Epilogue
宮田実篤が佐倉純太という少年に出会ったのは、まだ小学生低学年だった頃の話になる。
親が金を貯めて、念願だったマイホームへと引っ越した先の、その隣家の子供――それが佐倉純太という少年だった。
県外から引っ越してきた実篤には遊べるような友達もおらず、それは純太の方も一緒だったらしく、二人はすぐに一緒に遊ぶようになった。
学校も同じでクラスも同じ。当時から純太はほとんど変わらぬ付き合いやすい性格だったため、二人は親友と呼べるほど仲良くなった。
他の友人も増えていって、自分で言うのも何だがちょっとやることが常人とは少し違っていっても、彼との友情は変わらない。
二人は一番の親友同士。色々なことをするのに、苦笑いしながら付き合って貰った。
実篤は確信を持って言える――きっと自分は純太と出会わなければ、こんなに楽しく毎日を過ごせなかっただろう、と。
日常の営みを愛しく思っていた、佐倉純太。
日々の形から外れたことを愛していた、宮田実篤。
二人ともの好みは反対だったけれど――いや、反対だったからこそ、良かったのかも知れない。互いが互いを補完する形でいたから、日常と騒ぎを一緒に体験することができたのだ。
いつしかそんな騒がしい日々が純太の日常となり、実篤もそんな騒がしさを日常と呼ぶものになったから、同じように日常を愛するようになった。
どんなにおかしなことをしても、笑って許してくれる人。
彼がいてくれたから、自分は人の輪の中から逸することなく居続けることができたのだろう。
そうしてくれた幼なじみに感謝と友情と、そして憧憬を…………たぶん、実篤はこの世で最も佐倉純太のことを尊敬している。
自分とはまるっきり違うのに、自分よりも上にいる人間というものを、実篤は純太以外に知らない。一緒にいれば、どんなことでも楽しくなれる人間というものを、実篤は純太以外に知らなかった。
――――だからこそ、純太が二人に別れた時、実篤は自分も二つに分かれることにしたのだ。
親友が心配だったのも、もちろんある。だがそれと同じくらい、親友が歩む不思議でおもしろい日々に便乗したかったのである。
片方だけしか体験できないのは、あまりにもったいない。
それを解決するために二つに分かれたのだ。分かたれたお互いは意思疎通できないが、ほんの僅かな感情の共有ぐらいはできると考えている。そうでなければ困る。
そう、やはり佐倉純太はすごいのだ。
トラブルに巻き込まれる天性の才能がある。異世界なんて不思議な場所、純太と一緒じゃなかったら一生見つけることなんてできなかった。
リトルマザーの手により、異世界に消えた自分の片割れ――彼がまたジュンタと出会うことで、とんでもなく騒がしく、素晴らしい日々に出会うだろうことは想像に容易い。
それはこちらの世界で楽しく過ごす、自分と変わらないほど素晴らしい日々に違いない。
もう一人自分は、自分の幸せのためにも、もう一人のサクラ・ジュンタを守るだろう。
なぜならば、純太がいれば、それだけで楽しい日々になることが約束されているのだから。
真っ白なキャンバスに、どす黒いインクが落ちて染みを作ったかのような、奇妙な違和感――魔力の反応に、自室で瞑想していた実篤は瞼を開く。
春の陽気が窓の外に見える。
そしてそれに紛れるように、美しい白銀の少女が宙に浮いていた。
「こんにちは、実篤」
「ああ、こんにちは、だ。リトルマザー」
リトルマザーは、薄く笑って部屋の中に入ってくる。
相も変わらず全裸の身体は全くといって凹凸がなく、興奮より先に憐憫が立つため問題はないが、こんなところを下にいる両親に見られたら死活問題だ。今まで築き上げていた最後のボーダーラインを突破して、大爆笑に発展しかねない。
そのため無言で彼女に毛布を放り、身体を強引にでも隠させる。
「ふ〜ん、一応実篤にも羞恥心はあるのね……もしくはわたしの身体に興奮が隠しきれないとか?」
「お前はジュンタと一緒に異世界に戻ったはずだ。どうしてここにいる?」
完全にからかいを無視すると、『だからあなたは嫌いなの』と言った感じでリトルマザーに睨み付けられた。
威圧感のない童顔なんて、何も怖くない。
平気で見返せば、珍しくも先に折れたのは向こうの方だった。
「……わたしがここに来たのは、別に意味あってのことじゃないわ。ただ制限時間が少し残って、暇だったから来ただけ。一分一秒でも、あの封印世界よりはどこでもマシだもの」
「ようは暇つぶしの相手をしろというわけか?
……そもそも、どうして封印から解放されているのだ、お前は?」
「知らない。マザーの意思なんてわたしにも理解できないもの……言っておくけど、ほとんどわたしは操り人形よ?」
無表情極まりない、疲れた顔を見せる少女は、その金色の瞳を濁らせた。
「マザーの操り糸で動くマリオネット。自分の意思で行動するなんてこと、本当に少ないんだから。自我だってさっき取り戻したんだし……って、何よその鬱陶しいって顔は!?」
自分と彼女。二人の間に流れるのはいつだって険悪な空気だ。世間話をすることなんてあり得ない。
だから自ずと、会話は一人の少年のことへと移っていく。
「ジュンタは、ちゃんと異世界に降り立てたのか?」
「もちろん。あれからちゃんと魂と精神、肉体の結合を完全に完了させて、ちゃんともう一回お腹を痛めて生んだわよ。今は願い通り、異世界の地にいるはずよ」
「そうか、それならいい」
送り出した親友が無事だと聞いて、実篤は少しだけ笑う。
「……でも、本当にあれはジュンタの願いだったのかしら?」
だが、それを嘲笑うかのように、リトルマザーが唐突にそんなことを言い出した。
「どういうことだ? ジュンタの出した『異世界に行く』という決定が、ジュンタ以外の誰かの手で行われたものだと?」
「かもしれない、って話よ。だっておかしいでしょ? ジュンタがこの世界に残った期間はたったの三日。そしてマザーがわたしに許した時間も三日。何この偶然の一致?
結局、肉体の核を用意したのはマザーよ。ジュンタに神獣の肉体を与えた時点で、帰巣本能はあっちの世界になってたんだわ」
「…………」
「わたしはそれでも、ジュンタが幸せになってくれるならって思って送ったわ……でも、本当にそれで良かったのかって、そう眠っている間に考えてた。マザーの行動も怪しいし、もしかしたら異世界に行ったことで不幸になっちゃうかも――」
「――――バカかお前は?」
悲しそうな表情で、自分の子供も等しい少年を心配する女に、実篤はストレートに言う。
ポカンとリトルマザーは口を開け、次の瞬間瞳を爛々と輝かせて、怒気を発し始める。
「誰が馬鹿よ、誰が? あんまり調子に乗るんじゃないわよ?」
さすがに化け物じみた彼女が本気を出したら、自分では太刀打ちができない。
だからその前に、実篤は言ってやる。こればかりは言っておかなければならない。大事な親友をバカにされたままではいられない。
「お前はジュンタを甘く見すぎている。あれはな、俺なんかよりよっぽどの変人だぞ?
大雑把極まりなくて、行き当たりばったりの人生を送ることを究極的に楽しんでるような奴だ。そんな男の、お前は一体何を心配するというのだリトルマザー?」
「……それでもマザーは、人を使って、運命を弄くって、干渉出来る範囲でジュンタを新人類にしようとする。ジュンタの巫女だって、そう。やる気のないジュンタにやる気を出させるための要素を、探し出してあてがうはず。誰もが知らない内に、マザーの手の平の上で踊っているのよ」
怒りを霧散させ、代わりに悲しみに表情を変えるリトルマザーを、実篤はやはり呆れた様子で見る。そんな可能性の話、していたら限がないではないか。
取りあえず遠い場所にいて、何も出来ない自分たちに出来ることは、所詮一つしかない。
それは心配することじゃない。その反対のことだ。
「……もっと信頼してやれジュンタを。あいつは、きっと大丈夫だ。どんなに肉体が別の何かになっても、魂も精神もまったく揺るがない奴だ。何をマザーが企んでいるかは分からんが、そんなものはものともしないで、日常の一部にして楽しむんだ、ジュンタは」
全てに適応し、最適化する――『進化』こそが、きっと佐倉純太の本質に一番近い言葉。
たぶん一番優しくて、たぶん一番残酷なる傲慢な人。ずっと一緒だった実篤だからこそ分かる、それこそが佐倉純太の抱える歪みだった。
日常を愛する彼には、その実、日常と非日常の境界線がない。
佐倉純太にとっては、周りの世界全てが日常であり、また非日常であるのだ。
「自分に触れる世界の全てが佐倉純太の日常風景。故に、ジュンタほどに日常を、世界を愛している奴はない。ジュンタにとって真に憎むべきは、日常を奪う相手なのだ。皮肉なことに、ジュンタほどに救世主として在るのにふさわしい奴はいないだろう。
だからこその特異能力――【全てに至る才】なのだろう? 安心しろ。あれは本気で願えば、どんな奇跡にだって辿り付く奴だ。お前の心配は杞憂と断言しよう、リトルマザー」
「そう、かな?」
自分の思っていることを全部伝え、もう話はないとばかりに実篤は視線を窓の外へと向ける。
そろそろ純太と遊びに行く時間である。心配性の小さな母親には、そろそろお暇して貰わなければ。
「おい、そろそろ…………帰還する、みたいだな」
「そうみたいね」
実篤が再び視線をリトルマザーに向けると、そこには徐々に光に包まれていく彼女の姿があった。
――時間切れ。
本来は封印されて然るべき彼女が、マザーに許された制限時間の終了。
これより彼女は異世界の地に戻り、完全なる世界にて封印される。救いがあるその日まで、ずっとずっと……
「それで、心配は取り除けたか? 俺はお前の相談役ではないのだがな」
「わたしだってあなたなんかに相談したくなかったわよ。……でもしょうがないじゃない。あなた以外に、わたしに話せる知り合いなんていないんだから」
そりゃそうだろう。千年近く独りで生きてきた彼女に、自分を除いた友達なんているとは思えない。家族だって、彼女にはジュンタしかいないのだから。
「はぁ……そう初めから言っていれば、少しはまともに付き合ってやったものを」
「ふんっ、あなたに付き合って貰わなくても結構。あなたはわたしの質問に答えてればいいんだからっ」
両手を組んで、リトルマザーは光の向こうで顔を背ける。
その小さな胸に込められた決意に、実篤は知らず、感銘を受けてその話題を持ち出していた。
「リトルマザー……お前は結局、最後までジュンタに教えなかったな。【全てに至る才】のこと、そしてお前がマザーと交わした契約のことを」
「なんだ、そのこと。そんなのは別にどうでもいいじゃない」
「どうでもいいわけないだろう? それはつまり、俺にとってお前を嫌う理由が特になくなるということなのだから」
「え?」
ポカン、と今呆気にとられているリトルマザーと初めて出会ったとき、ジュンタに彼女が言わなかった異世界や新人類の情報について、実篤は彼女自身の口から確かに聞いていた。
それこそが、理性的に彼女を嫌いになり、そして嫌いになりきれなかった理由。
リトルマザーがジュンタをマザーの計画に巻き込むことを肯定した、彼女がマザーに対して協力を了承した理由である。
「お前は確かに俺に言った。自分がマザーに協力したのは、やがてジュンタが新人類に至ったとき、そこには自分の居場所があるからだ、と」
「わたしは存在するだけで世界を壊す。でも、ジュンタが変えた世界なら、わたしにも普通が許される居場所はあるはず。だからわたしはジュンタをハッピーエンドへと導くために、マザーの協力を了承した……ええ、そう確かにわたしは言ったわね」
リトルマザーは語った。自分が生む子供が幸せな終わりを迎えたとき、自分もまた救われる、と。
それは彼女にとって誇らしいことだったのだろう。そのときすでにリトルマザーは、ジュンタのことを母親として愛していたのだから。
愛して当然か。千年の孤独の果てに、ようやく手に触れた温もりが、消えぬ親子という絆が、ジュンタという存在だったのだ。孤独に絶望していた彼女にとって、何よりもそれは愛しい繋がりだっただろう。
そしてその子供が、自分を本当に救ってくれる
――嬉しそうにそう語ったリトルマザーを、しかしそのとき実篤は否定した。
「それは結局お前の独りよがりだ。子供と呼ぶジュンタの行く末を、自分の意志で強引に定めて持って行こうとする。俺はそれが許せなかった」
「だからあなたは、ジュンタが望んだ終わりへの手助けをした。それが何であれ、自分がどうであれ、それがジュンタにとっては必要だから、と。感情は別として、あなたが選んだのはそういう道」
同じようで、まったく違うそれにより、互いに互いを嫌悪していた。
あくまでも協力関係。マザーとリトルマザーの関係のように、ジュンタを大切に思うだけで繋がった関係。
そう、確かにそのときのリトルマザーはそんな考えだった。だけど……果たして今の彼女はどうだろうか?
「リトルマザー。何もジュンタに語らなかったお前は、今はどう思っている?
お前が真にジュンタを新人類へと至らせようと思ったら、その内に抱える力のことを教えるべきだったし、ジュンタが新人類に至らない限り、自分が決して救われないことを教えるべきだった」
「そうすれば、ジュンタは優しいから、きっとわたしのために新人類になろうと思ってくれた。そして思えば、ジュンタの【全てに至る才】はそこへと必ず導く…………そうね、わたしはずっとそう思ってたし、願っていた。けど――」
光に包まれながら、そのとき確かにリトルマザーは笑っていた。
「――失敗しちゃったなぁ。ジュンタと実際に言葉を交わして、わたし、心変わりしちゃったみたい。自分の願いがあなたの言うとおり、ジュンタを無視した自分の我が儘だって気付いちゃった。
ならね、もう願えないでしょ? 母親が子供に、自分を助けるために自由を放棄しろなんて、言えないでしょ?」
もしかしたら、彼女は本当にジュンタの母親になりたかっただけなのかも知れない。
自分が救われたいがために、ジュンタに新人類になって欲しかったのではなく、世界が変わったあとでジュンタと一緒に過ごしたかったから、新人類になって欲しかったのかも知れない。
どちらにしろ、今考えても詮無きことか――実篤はリトルマザーの言葉を噛み締めて、そう思う。
「自分の幸せよりも子供の幸せを優先する、か……リトルマザー。お前の母親としての価値観がどうであるかは知らんが、俺はそれは、とても母親らしいと思うぞ」
「ふふっ、そうだと嬉しいな。わたしは、ジュンタの母親として在ろうって決めたんだもの。例えジュンタが生きた先にわたしの救いはなくても、ジュンタがそれで幸せなら、わたしはそれでいい。いつか今日みたいに少し目を覚ましたときに、ジュンタの生きた世界を見られたら、それだけでいい」
「そうか…………ならば俺にはもう、お前を嫌う理由はないな。お前も俺も、ジュンタが作る未来を見てみたいと、そう思っているのだから」
自分が救われないことを、笑って肯定したリトルマザーに、実篤は初めてと言える純粋な微笑みを向ける。
その後で、無性に泣きたくなるぐらいの激情に駆られた。
(本当に、リトルマザーは救われない)
救世主を目指し、救世主へと至った彼女は、だけど滅ぼすことでしか世界を救えない猛毒になってしまった。
そして全てのものに裏切られ、彼女は世界を壊す存在として封印された。何もない灰色の世界に、たった一人で封印されてしまった。
そこは時の止まった世界なのだと言う。
リトルマザーはその寒い世界の中で独り、永劫の一瞬を、千年近くも過ごしてきた。
死ぬことが出来たら良かっただろう――だけど、彼女は新人類であるが故に、死ぬことが許されない。
忘れることが出来たら良かっただろう
――だけど、彼女が封印された場所には時間がない。彼女は辛い記憶を忘れることなく、摩耗することなく、その辛い記憶を永遠に思い出し続ける。
何が悪かったのだろう? どうして自分は独りなのだろう?
永遠に答えの出ない、その疑問。何も悪くないのに悪者にされてしまった彼女は、永遠の悪夢に震え続けるしかなかった。
だけど、その悪夢の中に光明が差し込んだ。
新たなる新人類。子供となる使徒。佐倉純太という、救世の光が。
千年の果てに触れた温もりを彼女は愛しながら、だけど自分のためにマザーへ協力した。その先にしか、彼女には救いがなかったのだ。
だけど、それをリトルマザーは放棄すると言う。願えば手に届く救いを、放棄すると言う。
ただ子供への愛のためだけに。故に――リトルマザーには救いがない。
自分の救いがあるときは、つまり子供が運命に囚われているということ。
子供が運命から解放されれば、自分は永遠に孤独なまま封印され続ける。
『それでいいのか?』――思わず実篤は、そう言いそうになった。
だが、それはリトルマザーの決意に泥を塗る行為だ。ジュンタのためを思って、何も教えなかった彼女の決意を前に、その言葉はぐっと呑み込まなければならない。
だから実篤は言わず、その代わりにリトルマザーに言われた。
「なに、あなたが申し訳なさそうな顔をしてるのよ?
わたしは大丈夫。だってもう、千年前の悪夢は思い出さない。代わりに、わたしはジュンタと過ごした三日間を思い出し続けるの」
クルリ、と光の舞台で回って見せたリトルマザーは、まるで妖精のように可憐で、だから何の悲壮感も見えなかった。
「……そうか。お前はもう、幸福な夢を見続けられるのか」
答えはすでに出ているのだ。なら、実篤に言うべきことはもう何もなかった。
足はすでに、リトルマザーにはない。下から少しずつゲートに喰われているようで、もう一分も持たないだろう。
最後の最後――そう言えば、と実篤はリトルマザーにとある興味をぶつけてみることにした。
「リトルマザー。お前の名前を、俺に教えてはくれないか?」
「え?」
質問は彼女にとって心底不思議なことだったのか、リトルマザーは目をこれまで以上に見開いて驚く。
小首を傾げ、また逆に傾げ、さらには目を閉じて眉間に皺を寄せてから、
「……それ本気で言ってる?」
なんてことを訊いてくる。
時間がないというのに、大した余裕である。
一度口にした手前、ちゃんと質問に答えて貰わなくては、今日から健やかに眠れそうになかったので、少々慌てつつ実篤は首を縦に動かす。
リトルマザーと会える機会なんて、この先あるかないか分からない。これを逃せば、一生不眠症で苦しむことになりかねない。
「――呆れた。わたしの名前を聞くことが、どんなことか分かってて言ってるの? 下手をしたら、肉体に障害が出るわよ?」
「知っているさ。ジュンタ同様、俺を侮るな。俺はお前が思っているより強く、何よりチャンスには貪欲だ。この先あるかないか分からないチャンスを、みすみす逃すわけがないだろう。それに――」
実篤は自分の胸をポンポンと叩き、
「――魔法を使うには、少しばかり俺の身体は普通すぎる。ここらで致死性に近い毒を貰ってもいいと思ってな。明日のおもしろさのためだ、惜しくはない。
――――さぁ、教えて貰おうか、リトルマザーの偽名を語る者。この俺が、お前の名前を聞いてやろう」
すでに顔の半ばまで消えているリトルマザーの表情は、もう分からない。でも息を呑んだかのように、実篤には見えた。
「わたしの名前は…………」
しかし、質問に対する答えはそれ以上返って来ない。
一向に答えをくれず、果てには最後の髪一本が消えるまで無言だったリトルマザーを見送って、実篤は苦々しい顔で瞼を閉じる。
(間に合わなかったか――ん?)
その時、ふいに聞こえた透明な声――質問の答えは彼女の口からではなく、遠い場所から零れてくるかのような形で実篤に届いた。
―――― メロディア・ホワイトグレイル ――――
予想通りの答えを受けて、身体が灼熱するように熱くなる。
自分の世界がとてつもなく巨大な世界の影響を受け、歪んでいる熱さだ。
しかしこんな熱さ、あの女の孤独を癒やすためならどうってことない熱さだ。少なくとも、ジュンタならそう言うに決まっている。
「いつか、ジュンタとお前が再会できることを、祈っていよう」
膝をつき、熱い吐息を吐きながら、実篤はそのまま眠るように気絶した。
そんな彼を起こすのは、いつも通り変わらず彼の親友で――それはこの世界でも、彼方の世界でも変わらない、親友同士の関係だった。
「ほら、起きろ実篤。なに寝てるんだよ? 遊びに行くんだろ?」
倒れたままの実篤は、見下ろしてくる黒髪黒目の、素朴な笑顔を見せる佐倉純太を見る。
「ああ、悪いな純太、すぐに起きるとしようか――」
見て笑い。そして約束するように言った。
「――――楽しい物語を、続けるために」
どこかで誰かが旅に出た。どこかで誰かが眠りについた。どこかで閉じた物語が、再び開かれた音がした。