Prologue ランカの街を一望できる小高い丘に建てられた、一つの石碑。 『不死鳥の姫、此処に眠る』 否、ここに眠るのは千年の間戦い続けた不死鳥の姫君たち。 美しい薔薇の花束を手にした金髪碧眼の男。年齢は四十近い。全体的に穏やかな様子が見られるが、墓地の前だからか、どことなく湿っぽい雰囲気を漂わせている。 曇り空の下、しばらく墓前に立っていた男は、花束を持ったまま語りかけた。 「久しぶりだね、カトレーユ。といっても、まだ一月ぶりだけどね」 穏やかに呼ぶ声には、連れ合いを呼ぶ愛おしさがこめられていた。 カトレーユ・シストラバス――かのオルゾンノットの英雄を愛しく呼ぶ者は多くいても、真実呼ぶことができる男性は彼一人。墓前に立つ男こそ、英雄の夫にして現シストラバス家当主、ゴッゾ・シストラバスだった。 「今日は寒いね。そろそろ冬らしくなってきた。この辺りでも、近々雪が降ることだろう」 そこでふとゴッゾは昔を思い出す。 「そういえば、カトレーユは雪が降るといつも屋敷にこもりっぱなしだったか。まったく、私がどれだけ外に出るようにいっても出ようとしない。冷え込んだ朝はベッドから一日下りない始末だ。もっとも、君が朝きちんと起きてきたことの方が稀なんだが」 まだ、カトレーユが生きていた頃。 この場所からよく見えたシストラバスの居城において、ゴッゾはいつも彼女と共にいた。 マイペースで、面倒くさがり屋で、ダメ人間な彼女といつも一緒にいた。 その頃を思い出すと、まだ小さく胸が痛む。後悔が押し寄せてくる。なくしてはじめて大切なものに気付くというが、まさにそれだった。ゴッゾはカトレーユという女性を亡くして初めて、彼女をどれだけ好きだったか自覚した。 カトレーユ・シストラバスとの出会いは、まだはっきりと思い出せる。 紅き騎士らが立ち並び、民草が薔薇の花を散らせて祝福する中、二人は将来を誓い合った。 男は女を利用すると決めていて、 愛などなく、恋もなく、ただ利用し合うだけの政略結婚。 それでも、ウェディングドレスを身に纏ったカトレーユの美しさだけは本物だった。誰に否定することもできない姫君がそこにいた。 いつ恋が始まったのかはわからないが、もしかしたらあの時なのではないかとゴッゾは思う。打算も矜持も一言で跳ね飛ばした女を、もしかしたら一人の男として意識していたのかも知れない。 重ね合わせた唇の柔らかさ。吸い付くような肌の白さ。その全てを今も思い出せるのだから。 「ああ、まったく。私という男は本当にしょうがないね。ここに来ると、いつも同じことを思い出してしまうよ」 きっと今カトレーユが隣にいれば、喜々としてからかってきただろう。彼女はそういう人間だった。 ゴッゾは花束を墓前に飾ると、胸に手を当てて鎮魂の祈りを捧げる。 「……なあ、カトレーユ。お前はたしかに人としても、妻としてもダメダメだったが……私が思うに、母としてはそれなりだったと思う」 閉じていた目を開き、ゴッゾは妻を思うと共に、この墓標に愛娘の姿も重ねる。 「だから、リオンの奴をきちんと祝福してやってくれ。私たちの娘は、愛する人と結婚してからそっちへ行ったよ。だから、温かく迎えてやってくれ」 もう一度、今度は娘のために祈りを捧げ、ゴッゾはこの場所から見える街並を見つめた。 神聖大陸エンシェルトの騎士国家、グラスベルト王国が一都市――ランカ。 かつての古都オルゾンノットの地に芽吹き、美しく咲いた街。ゴッゾの街。シストラバスの街。そしてカトレーユとリオンが守った街。 どこかで幸せな二人が結ばれようとしているらしい。 全てが終わり、全てが始まったあの日を……。 この世界から一度全ての紅色を失った、あのときを。 時は聖神歴983年・ティアマティアの月。
色とりどりの献花が手向けられたそこは、十年前に没した街の英雄のため建てられた墓だった。
骸もなく燃え尽きた姫を讃えたこの墓地が、その男にとっては、最愛の妻の墓であるというだけだ。
まだ、このランカの街がオルゾンノットと呼ばれていた頃。
女も男を利用すると決めた上での結婚式。
ゴッゾは遠く、耳にホワイトチャペルの鐘の音を聞きながら、静かに思い出す。
後世に語られる名は――――オルゾンノットの魔竜。
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