第二話  巡る血の答え

 


 先祖代々オルゾンノットの都で診療所を営んでいる男の許に、その患者が運ばれてきたのはまだ息も凍る早朝のことだった。

 父親によって運ばれてきた子供は、すぐにベッドの上に運ばれて診察された。
 腕の良い医師だ。これまで多くの患者を診てきたし、若い頃は王都で魔法理論も含めた医療技術について学んでいた。

「なんだ、この症状は……?」

 そんな医師にとって、その子供の症状は見たことがないものだった。

 外傷はない。内臓器官にも異常は見あたらない。ただ、眠っている。眠り続けている。そして、苦しそうにうなされているのに、何をしても起きる様子を見せないのだ。

 その状態自体は、睡眠魔法によって強制的に眠りに落とされた人間によく似ている。だが、知り合いの魔法使いを呼んであらゆる解呪の魔法を唱えてみても、強力な解毒効果のあるヒメザキノハナを投薬しても何も起こらない。

 お手上げ――それは医師にとって認めがたい屈辱であり、最大の失態である。

 結局、医師は眠り続ける子を入院させ、知り合いの医師たちに助言の手紙を書き、領主であるシストラバス家に嘆願書として送りつけることしかできなかった。






       ◇◆◇






 クロードの訪問から二日が経過した朝のこと。ゴッゾの姿は鍛錬場の中にあった。

「なぜだ?」

 ゴッゾは自分がこんな場所にいる違和感に顔を青ざめる。

 身につけているのは何とも似合わない紅の甲冑。手には紅い刀身の普通よりも細く長めの剣。シストラバスの正騎士だけが持つことを許される、ドラゴンを殺すために鍛えられ竜滅付加エンチャントされた剣――ドラゴンスレイヤーだった。

 ゴッゾとて、騎士の名門であるシストラバス家に婿入りしたとき、形式上は栄えある不死鳥の騎士団の団長として騎士の任命を受けている。
 しかしそれは遙か昔から、代々竜滅姫の番が団長となるという決まりがあるだけで、ゴッゾに武芸の心得は護身術程度しかない。

 だというのに、今完全装備で鍛錬場に放り込まれ、相対するのは紛れもない騎士の中の騎士。

「では、ゴッゾ君。そろそろはじめようか」

 前シストラバス家の騎士団長にして、かつて騎士団内で最強を誇った騎士――クロード・シストラバス。装備を調えた彼は、こっちに向かって剣を構える。

「いやいやいや。待ってください、お義父さん! どうして私がお義父さんと戦うことになっているんですか!?」

 いきなり早朝から呼び出されたかと思うと、あれよあれよという間に鎧をつけられ剣を持たせられ、鍛錬場の中にある決闘場へと放り込まれた。

 土造りの舞台の周りには、多くのシストラバスの騎士たちが観覧している。かなり本格的な決闘の様相である。

「聞いていませんよ。そもそも、相手になるわけがない!」

「渇! 情けないことを言うではないぞ、ゴッゾ君! 戦う前から負けた気でどうするのじゃ!」

「しかしですね、根本的に戦う舞台が違うといいますか。それに……」

 ゴッゾは観覧席の一角にいる、他の騎士とは背丈があまりに違う小さな戦士を見る。

「おとーさま、がんばってください!」

「娘の前ですし」

 そこにはリオンがいた。このままでは、娘の前で情けないところを見せる羽目になる。

「だから、お義父さん」

「うむ。好都合じゃな」

「え?」

「コホン。間違えた。ワシは娘の前だからこそ、精一杯がんばるところを見せたまえと言いたいのじゃ。……別にリオンが、一番大好きなのはワシではなくおとーさまとおかーさまと言っていた腹いせにこんなことをしているとか、目の前で叩き伏せて幻滅させてやろうと思っているとか、そういう魂胆ではないからな?」

「そういう魂胆なんですね」

「おとーさま! 大丈夫です! おとーさまならきっと勝てますわ!」

「うぬぬ、ワシではなくゴッゾ君がリオンに応援されている……おじいちゃん悔しい!」

「あなたは子供ですか、お義父さん!」

 かつては娘を溺愛していたクロードは、今は孫を心底溺愛していた。鍛錬だというのに殺気まで放っている。これは逃げられそうもない。

「仕方がない。手加減だけはしてくださいね?」

「安心せい。弱い者苛めは好きではない」

「……信じますよ」

 ゴッゾは前に軽く手ほどきされたことを思い出し、剣を構える。
 まるで様になっていないことが、まったく隙もなく構えたクロードの姿と比べてわかった。

「かっこいい! おとーさま素敵です!」

「ゴッゾ君、安心して逝くといい。リオンはワシがしっかり育ててみせよう」

「前言撤回が早すぎますね!」

「なに、竜滅姫の番たるもの、内政だけではなく武芸にも秀でてなくてはの。せめて数合は持ってくれんと話にならんぞ?」

 大人気ないことを言ってはいたが、やはりクロードは歴戦の勇。相対しただけでプレッシャーが半端ない。

 それに多くの騎士たちが団長の腕前を確かめようとしているし、娘も見ている。

 大きく深呼吸。プレッシャーを跳ね飛ばし、ゴッゾは対戦者に笑いかけた。

「お義父さん。そろそろ老雄は去るべき頃合いですよ?」

「よくぞ言った! では行くぞ!」

 紅の閃光となって、クロードが迫る。

 ゴッゾは危険と知りつつ、自ら攻め込んでいって――……。






「大丈夫ですか? おとーさま」

「いたた。まさか一撃で倒されるとはね。現実は知識を時に超えるよ、まったく」

 五分後――叩き付けられた痛みと傷が残る腕を、リオンが慣れない動きで手当してくれていた。

 娘の顔には心配そうな色が浮かんでいるが、無様に負けた父親としては少しばかり気恥ずかしかった。相手がクロードとはいえ、あまりに情けない結果だ。

 敗者の特権である再戦の申し込みも、数合どころか一撃しか持たなかったゴッゾに落胆を露わにしたクロードは、それ以上の喜びを胸に他の騎士のところへ行ってしまった。リオンだけは気にせずに治療してくれているが、それが殊更ゴッゾの矜持を傷付ける。

「仕方ありませんわ、おとーさま。おじーさまはシストラバス家さいきょーの騎士なのですから」

「そうなんだけどね。私も男なんだよ。ありがとう、リオン」

 手当てを終えたリオンの頭を撫でて、ゴッゾは立ち上がる。

 これ以上娘の前で格好悪い姿を晒しているわけにもいかない。
 ゴッゾの戦場は主に執務室にあったが、養父の言にも一理あるし、剣を握ってクロードを探す。

「よろしい。では、手合わせするとしようかの」

 そのクロードは今、一人の騎士と相対していた。周りを囲む空気は訓練というより、先程のゴッゾのとき同様に決闘のそれ。

 リオン共々、できた人垣の中へと入り、ゴッゾは前列に出る。
 そうすることでようやくはっきりしたクロードの対戦者、それはこの人垣の中においてはリオンの次に小柄な騎士――トーユーズ・ラバスであった。

「ええ、先代様。どうかよろしくお願いします」

 昨日と違って鎧をつけた彼は、胸に手を当て優雅に一礼する。そのあと、こちらの姿を見つけたトーユーズはパチリとウインクなどをしてドラゴンスレイヤーを構えた。

「団長様のお言葉ではありませんが、そろそろその最強の看板、私にくださいな」

「わっはっは! よくぞ言いおったな、小生意気な小僧め! このクロード・シストラバス、引退してなお最強よ。その看板が欲しければ、力尽くで奪ってみせい!」

「言われずとも」

 トーユーズの顔つきが変わる。飄々としていた表情が戦士のそれに。鋭い眼で敵を睨み据え、いっそ淫靡であるほどの表情を浮かべる。強者に挑む戦士の喜悦。立ち向かっただけで如何に相手が強いか、彼にはわかったのだ。

 一度剣舞のようにドラゴンスレイヤーを振り回し、そして――

「はァ!」

 まるで剣舞を続けているような軽やかな足取りで、剛槍の一撃もかくやという刺突を放った。

「ぬぅ!?」

「しぃいいい!」

 流れるような剣の嵐。続け様に放たれる連撃は、反撃の隙を与えないほど苛烈だった。

 決して油断などしていなかっただろうクロードの顔つきが、変わる。

「やりおるやりおる! やりおるわァ!」

 トーユーズと同じ戦士の喜悦を顔に皺として浮かべ、クロードが身体ごと体当たりをするように反撃に出た。ゴッゾの目には隙などなかったはずの攻撃の中、それでもクロードには見えていたのだ。

「さすがに無理、か!」

 舌打ちしたトーユーズの反応は早かった。見るからに重い一撃を身体を捻って交わすと、鍔迫り合いを避けて下がる。

「渇! 気骨が足りんぞ、若造!」

「私には助走が必要なんです!」

 下がった位置から、地面を強く蹴ってトーユーズが雷光となる。
 先程以上の速度を弾き出した身体が、雷の魔法属性の魔法光である黄色の残像を後ろに伸ばす。雷の[加速付加エンチャント――その最高速度は、ゴッゾの反応では追い切れない。

 そこからは、まさにゴッゾの理外を超えた戦いだった。

 これが訓練なのかと疑うほどの力と技術の叩き付け合い。
 老雄と若き騎士の戦いは、集まった全員が息を飲むほど凄烈だった。

「すごい。まるで、雪が舞っているようですわ……!」

「リオン。お前には二人の戦いが見えるのかい?」

 足下のリオンは返事を返さなかった。まるで魅入られるようにして、目の前の戦いに釘付けだ。

 これが、大陸を超えて名を轟かす、シストラバス家の騎士団の栄光……。
 長き時に渡って、不死鳥を守るために継承されてきたユメの一握り……。

「ぐっ、なるほど」

 やがて、数十分にも匹敵する数秒が終わり、弾かれたようにトーユーズとクロードが離れた。

 両者共に傷はない。戦いは互角……に思われた。

「ええ、本当になるほどです。ここまで強いなんて思ってもみませんでした、先代様。これなら私も、本気を出せる」

 その中で、本人たちだけが何かを理解していたようだった。
 クロードは苦々しい顔をして、トーユーズは本当に嬉しそうな顔で何も持っていない左手を……。

「伝令! 伝令ッ!」


 緊迫の空気を打ち砕いたのは、いきなり鍛錬場に駆け込んできた一人の騎士だった。

 王国騎士団の装いをした騎士は転がり込むようにして入ってくると、声高に叫ぶ。

「シストラバス家当主であらせられるカトレーユ・シストラバス様へ、王宮より緊急の文をお届けに参りました! 竜滅姫様はいずこに!」

 ゴッゾは、嫌な予感がした。






 カトレーユを探せ!!

 城中の人間がゴッゾの号令の下、いつものようにふらりと行方を眩ましている当主の捜索に駆り出されている中、クロードは痛む腰を押さえながら用意された客間に下がっていた。

「あいたた。あのトーユーズという騎士、女みたいな顔をしておる癖にやりおるわい」

 老骨に本気の戦いは堪えた。もう身体が心についていかない。その心にしたって、横やりが入った所為で不完全燃焼もいいところだった。

「しかし、王宮からの伝令か……気にならんといえば嘘になるのぅ」

 椅子に腰掛けたところで、クロードは孫の前で見せていた顔とはまるで違う、貴族としての顔を見せた。代替わりをした以上、あの場に残ってゴッゾの邪魔はしたくないと思ったわけだが、『王宮』というところが引っかかる。

 シストラバス家はくくりとしてはグラスベルト王国貴族だが、実質独立した公国に近い立場にある。聖地と密接に繋がっているため、王宮から口出しされることはあまりない。あるとしても非常に重要なことくらいものだ。

 クロードの頭を過ぎるのは、あの懸念。

「前回より、六十年は経ったか。……まさか」

――そのまさか、みたいだね」

 誰もいないはずの部屋で、クロードの独り言に応える声があった。

 いつ現れたのか、どうやって現れたのか、バルコニーの方を見てみれば、そこには手すりに腰掛け、足をブラブラ揺するカトレーユの姿がある。その手には一枚の羊皮紙が握られていた。王宮からの伝令で届いたものとは違うものだ。

「聖地のお節介な人からのごあんな〜い。なんか特異能力で察知したらしくて、ご丁寧にも手紙をくれたよ」

「…………」

「なんていうかね、ここまで親切だと逆に気持ち悪いっていうか、なんかあの人笑顔が腹黒っぽく見えるんだよね。あれじゃきっと、一生結婚なんてできない気がする」

 手紙を抓んでいた指をカトレーユは離す。
 聖地の使徒フェリシィール・ティンクより届いたであろう文は風に流され、端から炎に包まれて灰も残さず消え去った。

 しかし、見ずともクロードには何が書かれているかわかった。悪い予感が現実に。前回より六十年あまり、ついにこの日が来てしまったのだ。

 であれば――誰かが生け贄にならなければならない。

 候補者は三人。その中で、最も必要とされていないのは……。

「ああ、不安がらなくてもいいよ。今回はわたしが行くから」

 クロードの内心を読みとったかのようなタイミングで、しかしそれならばあまりにも軽く、生け贄は自分だと言い、カトレーユは手すりから下りた。

「リオンも、あの子も、さすがにまだ早いしね。年功序列がしきたりみたいなものだし。歴代の中だと相当早いことになるけど、まあ、資格がある中ではわたしが一番年上だしね」

「……死ぬ気か?」

「何を今更。それがシストラバス家だって知ってるくせに」

 自嘲とも嘲弄とも取れる笑みを浮かべて、カトレーユは部屋に入ってきた。

「金糸の使徒が予知して、国から勅命が出た以上、アレが来るのに一週間もかからない。場所は当然、このオルゾンノットの都。
 さっさと帰った方がいいよ。でないと巻き込まれちゃうかも知れない。わたし、基本的に働くのとか嫌な人だし、途中で尻込みして逃げちゃうかも。パパも、旅先で死んであの子と永遠にお別れなんて嫌だよね?」

「お主はいいとでもいうのか?」

「別に。わたしはこの前会いに行ったから。伝えないといけないことは伝えたし、教えたいことも教えておいた。だからそっちにはもう何の心残りもない。パパと一緒にしないで欲しいね。わたしは最初からこうするって決めてたし、決められてた」

 カトレーユはクロードを通り過ぎてドアの前で止まると、

「じゃあね。精々長生きするといいよ。上手く行けば、あの子が子供を生むまで生きてられるんじゃない?」

 最後まで『あの子』の名前を口にすることなく、別れの言葉を告げて去っていった。

 無言で見送ったクロードは、いつの間にか浮かせていた尻を椅子に戻す。そして額を抑えて、足下に視線を注いだ。 

「……一緒にするな、か。手厳しいものじゃ。しかし、このクロード・シストラバスを侮ってくれるなよ」

 その時間は幾ばくもない。クロードは立ち上がると、剣を取って部屋を出る。

「いつでも別れの準備は完了していたつもりじゃよ」

 もう腰が痛いと休んでいる暇は、ない。






「申し訳ない。当主は現在所用があって顔が出せない状況にある。ここは代理として、私が文を受け取りましょう」

 屋敷中を騒がせた大捜索にもかかわらず、カトレーユの姿は未だに見つからなかった。
 王宮からの使者がやってきから十五分後あまり。さすがにこれ以上待たすことはできないので、ゴッゾは代理として使者に相対することにした。

「……わかりました」

 若干渋る様子を見せた使者だったが、実質シストラバス家を取り仕切っているのが誰かというのは暗黙の了解であるので、やがて文を差し出してきた。

「拝見します」

 丸められた羊皮紙を開けば、まず一番上にグラスベルト王国の紋章が目に付く。驚くべきは、これが普通の文ではなく、王からの勅命状であることだった。

 グラスベルト王国貴族であれば絶対に断ることが許されない王命……。

――――

 ゴッゾはそこに書かれていた内容を読みとって、愕然とした。

 理解ができなかったわけではない。ただ、頭が内容を拒絶していた。
 何度も頭を振って再確認するも、書かれた内容が変化することはない。たった二行しか書かれていない文面を、別の解釈で読み解くこともできなかった。

「…………何だ、これは……?」

 ようやく口にすることができた声は、自分でもわかるほどに震えていた。
 
 震えは身体にも及ぶ。まるで身ぐるみを剥がされ、冬の山へと放り込まれたかのようだ。受けた衝撃をいえば、その程度のことでは比べられようもなかったが、とにかくゴッゾは寒いと思った。

 しかし、よくよく考えてみれば、それだけ驚くことがそもそもの間違い。ゴッゾ・リンページがゴッゾ・シストラバスになったあの日、やがてこういう日が来ることは理解していただろうに。

 つまりは覚悟がなかったのだろう。

 理解してはいたが、受け入れてはいなかった。頭では理解していたが、心がついてこない。自分の妻がそういうものだとは知っていたが、頭の片隅では、こんな日は永遠に来ないものと思っていたのだろうか?

 ゴッゾの手から勅命状が床に滑り落ちる。
 そこには永遠に変わるものはないとでもいうように、こう書かれていた。

――オルゾンノットの地にドラゴンが現れるであろう。
 王命において、今代の竜滅姫カトレーユ・シストラバスに竜殺しを命ずる――

 

 


       ◇◆◇


 

 

 ことの起こりは、シストラバス家の始祖ナレイアラ・シストラバスにまで遡る。

 使徒の始祖たる『始祖姫』の一柱でもあるナレイアラは、千年前まで人々を脅かし続けていた最強の魔獣であるドラゴンを殺す力を持っていた。不死の怪物であるドラゴンを殺すことができるのは、不死鳥の力を持つかの使徒のみであり、彼女は仲間と共にこの世からドラゴンを駆逐した。

 しかし、ドラゴンは周期ごとに世界に生まれ落ちる災厄である。たとえ一度は滅ぼせたとしても、百年以内に再び現れる。

 そのとき、果たして不死鳥の使徒は存命でいられるか?

 次の百年は可能かも知れない。しかしその次、さらにその次と時が経てば、いかな使徒とはいえ生きてはいられまい。不死鳥なき世を思えば、ナレイアラ・シストラバスは永遠になるしかない。

 その方法が竜滅の力の継承であり、竜滅姫と呼ばれる存在であった。

 ナレイアラ・シストラバスは亡骸になってなお、その力と意志を子へと受け継がせることで、一つの永遠となった。終わってもまた始まる、そんな救いの光に。

 されど、同時にそれは子へと遺された呪いでもあった。

 ドラゴンを殺すためには、竜滅姫がその命を捧げなければならないのだから――……。






 つまり王宮が寄越した勅命とは、カトレーユに死ねと言っているようなものだった。

 もちろん、王の意志がわからないゴッゾではない。

 ドラゴンを放置しておけば多大な被害が出る。国など、それこそ一週間もかからず崩壊を迎えるだろう。それを食い止め、世界を救うための犠牲となる。元よりシストラバス家とはそういうものであり、竜滅姫は生まれたときよりやがてはドラゴンと共に死ぬ運命にあると定められていた。

 平和のための人柱。必要な犠牲……わかっていたが、ゴッゾは自分を納得させられなかった。

 使者を丁重に追い返したあと、ゴッゾは優雅さに欠ける荒々しい足取りで廊下を歩いていた。
 すれ違う使用人たちはなんだなんだという顔でゴッゾを見ていた。未だ王宮からの文の内容は、ゴッゾ以外は知らない。

 当主代行を務めているゴッゾは、すぐにでも王命を遵守するために動かなければならない立場にあるのだが、今はそれよりも優先しなければならないことがあった。ゴッゾは自分の執務室まで来ると、両開きの扉を思い切り開いた。


 カトレーユ・シストラバスは、そこにいた。


「ちぇっ、見つかっちゃったか」

 寝間着姿のカトレーユはソファーに寝転がっていた。
 その手のものを買いに出かけていていなかったのか、一昨日も食べた焼き芋をほおばっている。

「最近気付いたんだけど、わたしやっぱりかくれんぼは苦手かも知れない。どれだけ知恵と権力を出し惜しみせずにがんばっても、すぐに見つかっちゃうしね」

「…………カトレーユ……」

「だからといって見つからないのも、実は寂しいと思うんだけどね。うん、この世にはもう誰も探してないのに、未だに隠れ続けている人がいると思うな」

「カトレーユ!」

 ソファーまで近付いたゴッゾは、気が付けば名前を大声で呼んでいた。

 眠たそうな瞳で窓の外を見ていたカトレーユはむくりと起きあがると、

「やれやれ、寝転がってお芋さんを食べるだけでそんなに怒らないでもいいのに……ま、まさかっ、この焼き芋を買ったお金をゴッゾの財布からこっそり抜き取ったってばれてる?」

「そんなことはどうだっていい!」

 カトレーユの正面に回って、その肩を強く掴む。
 冷静になれ。まだカトレーユは何も知らないんだぞ――そう自分に言い聞かせても、今は止まることができなかった。

「カトレーユ、私は……!」

 いざ声に出そうとして、ふと、ゴッゾは何を言えばいいのかわからなくなった。

 そもそも、自分は何を言おうとしているのか。言いたいのか。
 逃げよう? 街の人々を犠牲にしてしまうのに。それとも真実を話すことか? そのためだけにここまで来たのか。受け入れているのか。

 否、違う。もっと別の言葉をゴッゾは伝えに来たのだ。カトレーユが犠牲にならなければならないと命じられ、混乱した頭を叩き直して、ここまで来た理由は……。

「ほい」

「むぐっ!?」

 何の前触れもなくカトレーユによって、ゴッゾは口に大振りの芋を詰め込まれた。まだ熱の残った柔らかい芋が口の中でほぐれて、火傷をしたかと思うくらいの熱が口の中いっぱいに広がる。

 同時に、芋の甘みも。

「よくわからないけど、そんなに怖い顔してたら人生楽しくないよ? まあ、カトレーユちゃんの食べかけという希少価値が付加されたお芋でも食べなさい。おっと、しかし全部食べさせてもらえるとは思わないことだね」

「……なんだ、それは……」

 詰め込まれた芋を引き抜いて、カトレーユは口いっぱいに頬張った。

「はふはふっ」

 口から白い湯気を出しながら、リスみたいに頬を膨らませながら食べている。
 熱くないのかと聞けば、それがいいと答えそうな、そこはかとなく幸せそうな顔だ。

 それを見て、ゴッゾはわかった。自分が何を言いたいのか。

「守る」

 お世辞にも上品とはいえない、カトレーユらしい姿を見て、ゴッゾは言った。

「お前を守るよ、カトレーユ」

 そう、それをゴッゾは何より先に、誰より先に言いたかったのだ。

 頬を膨らませたまま首を傾げるカトレーユを見て、ゴッゾは満足して立ち上がった。やりたいことは果たした。ならば今度は、やるべきことをやらないと。

「それじゃあね、カトレーユ。焼き芋を食べたら話さないといけないことがあるから、談話室まで来るように」

「よくわからないけど了解っす」

 新しい焼き芋に手を伸ばしたカトレーユに笑みを零して、ゴッゾは執務室を後にした。

「そう。ドラゴンは倒さないといけない。けれど、カトレーユを犠牲にするのは許せない。ならば――

 後ろ手で扉を閉めて、

「ならば、話は簡単だ。守るんだ。戦うんだ。ドラゴンを我々の手で倒し――

 目の前に揃った、紅い鎧の騎士たちを見る。

――竜滅姫を守り抜く」

 廊下を行くゴッゾの様子を見て、何が起きたのか悟ったのだろう。そこに集まった十名あまりの古参の騎士たちは、誰も彼もが今すぐ戦闘が始まっても一番槍を果たせそうな、そんな準備万端の格好で整列していた。

 紅き剣に騎士の名を――――我らは、真の竜滅紅騎士ドラゴンスレイヤーとなる。

 このときゴッゾは初めて、飾り物の騎士としてではなく、シストラバスの騎士として、その聖句の意味を理解した。

「カトレーユを守ろう。ドラゴンを滅そう」

「応とも。そのために、我々はこれまで継承してきたのだ」

 騎士たちの誰よりも瞳に決意をこめたクロードが前に出て、剣を差し出した。銘は未だなく、呼ばれる意味はドラゴンスレイヤー。竜を殺すと、そう誓った剣。

 今度は負けられない――ゴッゾはそう思いながら、剣を受け取った。

 

 


       ◇◆◇

 

 


 聖地の中央で威光を放つアーファリム大神殿の前に、見目麗しい男女のエルフはいた。

 女の方は使徒フェリシィール・ティンク。もう一人は、フェリシィールより見た目は若く、しかし雰囲気は老成した金髪碧眼の美少年だった。

「やはり行くのですか? ルドール」

「はい。時間ももうほとんど残されておりません。ここで行かねば」

 名を、ルドーレンクティカ・リアーシラミリィ。通称をルドール老。
 使徒フェリシィールの巫女であり、湖の賢者と呼ばれ讃えられたエルフの賢人である。

 旅立とうとするルドールをフェリシィールが見送りに来ている形になっていたが、その実二人の心の内は、抱える事情が複雑に絡み合うことによって、見送りの一言では語れない心境となっていた。

 フェリシィールが受けたドラゴンが現れる予知と、それに伴って活発な活動を始めたとある宗教団体。このときのフェリシィールの心境をいえば、戦場へ赴く恋人を見送る女、あるいは親を見送る子供と言えば近いか。

 とにかく、今フェリシィールの目には、ルドールが二度とは戻らないように感じられてならなかった。

「そう心配召されるな。少しばかり子供の躾に行くだけです。これまで放っておいた儂が言うのもなんですがな」

 ルドールの方も心境は複雑だろうが、あくまでも瞳は湖のように静かだった。

「主はくれぐれも御身大事に。儂を追うなどという理由をつけて、決してオルゾンノットの都に入らぬように。文を送っただけで、すでに越権行為も過ぎます」

「わかっています」

 フェリシィールは長い耳を垂らすと、金色の目で自らの巫女を見た。

「ルドールもくれぐれも無茶はしないように。もう貴方も若くはないんですから」

「これはまた、主に年寄り扱いされるとは珍しいものもあったことですな」

 美貌の老人と呼ぶべきルドールは苦笑して、

「では、またすぐに」

 颯爽と、身につけた旅装のローブを翻して歩き出してしまった。

 吉報を待つ。帰りを待つ。そういった見送りの言葉は、なぜか声には出せなかった。元より、ルドールが行く場所はたった一つの終結しかあり得ない戦地であり、目的を考えれば吉報など持ち帰ろうはずもない。

 あるのは絶望か、それとも諦観か……。

「せめて、貴方は生きて帰ってきてください。ルドール」

 予知ではないただの嫌な予感は、しかしぬぐい去ることはできなかった。


 

 

 ――澱んでいる。

「ああ、神がようやく我々の許に現れる」

 円柱の柱が並ぶ、重苦しい空気に汚れた秘密の地下神殿。
 濁っている。腐っている。聖神教という宗教が唯一絶対であるこの世界において、異端の宗教は得てしてそういった秘匿性を持つものだが、そこはあまりにも澱んでいた。

「皆の者、歓喜せよ。近々、後世に語られる日はやってくるだろう。我々は悲願にまた大きく近付く」

 百名あまりの信者が揃った『謁見の間』で、痩身の男が目を輝かせ、高らかに祝福を声に出していた。

 おぞましい。苛烈な信仰とは、かくもおぞましいものなのか。

 体裁として信者の末席で頭を下げながら、長い髪の男――ボルギィは言いしれぬ嫌悪感に身体を震わせた。とてもではないが、直接の雇い主である隣の男のように盗み嗤いに興じることはできそうもない。

「神です! 我らは今、神に至る階を上り始めた! かつて誰一人として――あの使徒さえ成し遂げられなかった『神の座』へ続く階段を上り始めているのです!」

『『ベアル教万歳!!』』

 扇動する男に合わせるように、広間に集まった全員が讃える。

 神聖大陸エンシェルトを中心として、近年有名になりつつある異端の宗教団体――ベアル教。
 古都オルゾンノットの地下深くで、その暗く澱んだ信仰に耽溺している者らもまた、近く来るであろうドラゴンの招来を待ち望んでいた。

「ベアル教万歳」

 男は澱んだ狂気に満足そうに頷いて、それから背後にある祭壇に飾られたモノへと頭を垂れた。

「…………」

 祭壇に飾られたエルフの少女。

 暗闇に輝く黄金は美しく、愛らしい顔は万民を虜にしてあまりあったが、その瞳には決定的に人としてある感情が欠けていた。精巧な人形よりも虚ろな、なまじ呼吸をしているだけ歪な無表情がそこにはある。

(これが、ベアル教か……こんなものに関わるべきではない。狂っている。狂いすぎている)

 ボルギィは心底から震えながら、それでも大勢の信者たちと共に、人でありながら人ではないベアルの巫女へと頭を垂れる。

(しかし、それが唯一の方法ならば……ミステルを救う唯一の道ならば……)

 ボルギィは傭兵としてここにいるのではない。ましてや、信者としてここにいるのではない。

(たとえ世界を滅ぼすとしても……竜滅姫には死んでもらわなければならない)

 一人の夫として、ここにいるのだから。






       ◇◆◇






「……一体、何が起きているんだ……?」

 診療所を営む医師が、しかし本当に驚くのはその夜のことだった。

 他の街の診療所に比べれば比較的大きな病室、数多くあるベッドが全て埋まっていた。それは恐らくは、長年このオルゾンノットの地で診療所を開いてきて初めてのことだろう。

 うなされる子供や老人たち、病人の声で満たされた診療所。
 診療所に運び込まれた患者の数は二十二――その誰もが同じ症状を発症しており、昏々と苦悶の表情で眠り続けていた。

 まるで、終わらない悪夢を見ているように……。

「そういえば……」

 手の施しようのない、医学とは何か隔絶したところにある病人を前にして、医師である男は祖父から聞いたとある話を思い出す。

 オルゾンノットの都とは、即ち竜滅姫の都である。

 その都で何か恐ろしい事件ないし得体の知れない出来事が起きたとき、それはドラゴンが現れる予兆であると。

 ならば、彼らを助けるのは自分ではなく竜滅姫になるのだろう。
 恐らくは診療所へ運ばれた患者たちとは別に、今も人知れず自宅で眠り続けている人たちがいるはず。彼らにとっての希望とは、このオルゾンノットの姫君に他ならない。

「おお、竜滅姫様。我々を救いたまえ」

 男は医師ではなく、オルゾンノットに住む一人の人間として祈りを捧げた。

 それはこのオルゾンノットの都で今代の竜滅姫に捧げられた、最初の祈りであった。






 竜滅姫の犠牲によって作られた平穏は、時を経てまた崩れ去る。

 そうして再び時代と人は次の平穏のために生け贄を求め、祈られた姫は新たな人柱となる。

 それは長い年月の間繰り返され続けてきた救済機構。
 世界が矛盾を許さないように、人々が作り上げた『竜滅姫』という名のシステム。この世界がこの世界であるために必要不可欠な、たった一つだけ存在する永遠……。

 そんな竜滅姫である女は、寝静まったというには悪夢にうなされる声が聞こえる都をバルコニーから見下ろし、風に真紅の髪を遊ばせる。

 手には三度焼き芋。
 不穏な動きを感じたのか、それとも騎士による追求に屈したのか、焼き芋屋は王都へ移動するというから、これがこの冬最後の焼き芋タイムとなるだろう。

 あるいは、人生最後の。

「……もう焼き芋も飽きちゃったな」

 ひんやりとした空気は、風呂上がりで火照った身体を優しく冷ましてくれる。
 そうやって、最後の一つを両手で掴みながら湯たんぽ代わりにし、カトレーユ・シストラバスは手すりに座りながらブラブラと足を揺らす。

 自由に。マイペースに。

 自分にもうすぐやって来るだろう終わりを知りながらも、いつもと何ら変わりない、むしろ静かでのんびりとした夜を過ごす。

 それはドラゴンの到来を知っても。
 何も変わらぬ生まれたときからの確定事項。

 ドラゴンが来ることを知って、カトレーユが抱いた感想は『ああ、来たんだ』という呆気ないものだった。

 残念なことがあるとするなら、そのことか。

 今の日常に対する執着がもっと出ると思ったのに、悲しみも寂しさも感じず粛々と受け入れた自分がいて……それはつまり自分が楽しいと思っていた日々は、所詮、すでに決定されていたものの前では負けてしまう程度のものでしかなくて……。

 だけど――

「……守るよ、だって」

 カトレーユは小さく笑って、空を見上げた。
 
 夜空にはもうすぐ満月に届く欠けた月。
 それを綺麗だと、ゴッゾがくれた言葉を嬉しいと、そう思うことはできたから。

「うん。飽きたりは、しなかったな」

 どうか――これから訪れる終わりが惨劇ではなく、ただの喜劇で幕を閉じますように。

 そう祈りながら焼き芋を食べて、

「むぐっ!?」

 その直後に喉を詰まらせて、竜滅をする前に死にかける――そんな夜を今代の竜滅姫は過ごしていた。









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