第八話  去りゆくその背に

 


 トーユーズ・ラバスが戦場に駆けつけたとき、そこはすでに血と炎の運河と化していた。

「これは……」

 無言が辛く声を出すも、足下に散らばる人であったものの残骸に、言葉にはならなかった。

 ドラゴンとの対決を夢見て待ち続けた広場で、スラム街から上がる黒煙を見たのが半刻前のこと。

 ドラゴンが復活した場所がここではないと気付き、全速力で駆けつけたが、時すでに遅かった。 僅か半刻でここまでの被害を出すものなのかと、初めてトーユーズはドラゴンという生き物に畏怖を覚える。

 一瞬、生存者を捜すべきかとトーユーズは思ったが、すぐに思い直す。
 この状況下で生きているものはいないだろうし、よしんばいたとしても救出には時間がかかる。その間ドラゴンを野放しにしておく方が被害は拡大してしまう。

 トーユーズは後から来るだろう仲間に救出は任せて、強大な気配を感じる方向へと走った。

 地面、瓦礫、家問わず足場にして走って五分――トーユーズの眼前に、巨大な黒い影が現れる。

「見つけたッ!」

 腰にくくりつけた剣の柄を握って、鞘ごと引き抜く。

 山となった瓦礫を踏みしめてトーユーズは大きく跳躍すると、手首の振りで鞘を放り出し、両手でドラゴンスレイヤーを振りかぶった。

 ドラゴンが迫り来る気配に気付き、振り返る。

「いざ――死合いを!!」

 その額に一閃の傷を刻みつけたことが、シストラバス家最強の騎士トーユーズ・ラバスと、オルゾンノットの都に降り立ったドラゴンの戦いの合図!

 最初の攻撃など意に返さず、ドラゴンは荒れ狂う炎を放射する。

 そんなものトーユーズの速度には届かない。
 家屋を使った三次元の動きで、降り注ぐ炎の礫を舞うように避けて、ドラゴンの背後に着地。ドラゴンスレイヤーに魔力を集め、翼の根本目掛けて突きを放った。

 雷属性初歩の攻性魔法[雷の槍サンザースピア]は、光り輝く槍となってドラゴンに命中する。が、傷一つつかない。

「やっぱりね」

 尾が横から向かってくるのを察知し、トーユーズはバク転しながら下がる。

 攻撃が効かなかったことに動揺はない。初歩の魔法であるし、こうなることはわかっていた。今のは牽制の一撃であり、確認のための魔法だった。

「これは自分程度の攻性魔法じゃ、何年経っても傷つけられないか」

 トーユーズはよく意外と言われるのだが、剣術と同じくらい魔法を戦闘に使っている。区分をいえば魔法騎士になり、その中でも魔法を多用する方だ。

 ただし、使っている魔法自体は[雷の槍サンザースピア]など、初歩的な魔法ばかりだ。威力の高い魔法が使えないわけではないが、使うとなると詠唱に時間を取られる。それでは剣を装備している意味がない。

「ルゥオオオオオオオォオオオ!」

「おっと危ない」

 接近しようとしたとき、死角から尾が迫ってきたのを感じて、トーユーズは大きく飛び退いた。 同時に無詠唱で雷の矢を放っておく。それらはドラゴンには通じないが、動きを攪乱する役には立つ。

 接近戦では剣で斬り結び、距離を取っているときは魔法で牽制する。

 つまりは手数の多さ。それが高機動戦を得意とするトーユーズの特徴であった。

 よって、トーユーズの戦いの決着は、いつも驚くほど早い。鋭い刃の一撃、いくら初歩の魔法とはいえ人体急所を狙えば、相手を確実に絶命させるからだ。しかし、ドラゴンは並の一撃、初歩の魔法程度では鱗を貫くことすらできなかった。

「なら」

 炎を避け、ドラゴンの正面に回ったその瞬間――トーユーズは五年近く続けてきた戦闘スタイルを、何ら躊躇なく捨てた。

 左手で、クロードから受け取ったドラゴンスレイヤーを引き抜くと、右手のドラゴンスレイヤーに合わせて構える。

「さすがは先代。自分が気にしていた問題にも、代替案として候補にあげていたスタイルにも気付くなんて」

 左手の剣の感触を確かめるように動かし、さらに右手も合わせて剣舞を踊る。

 そして――

「しぃッ!」

 猛烈な踏み込みでドラゴンに斬り込んでいった。

 それは無謀な特攻だった。ドラゴンに対して近接戦に打って出るのは、敵が立てこもった巨大な城に一人で挑んでいくようなものだ。踏みつぶされるか、薙ぎ払われるか、それとも燃やされるか。ただ死に方が違うだけで、すぐに屍を晒す羽目になる。

 しかし――火花が散る。幾重にも、途絶えることのない剣戟が響き渡る。

 トーユーズの姿はドラゴンの足下で健在だった。

 最小限の動きでドラゴンの足の動きに対応しながら、左右の剣で斬りつけている。ドラゴンはすでに殺すというより、追い払うのに手一杯という有様だった。

 ゴリゴリと肉を削られていくドラゴンは、ついにはトーユーズを追い払うのを諦め、翼をはためかせて大きく跳び上がった。それはオルゾンノットの都に来てから、移動以外で初めて見せるドラゴンの空を飛ぶ姿だ。

 トーユーズは頭上で無防備となっていたドラゴンの腹部には手を出さずに、ドラゴンが二百メートルほど離れた場所に着陸する姿を、確かな実感を胸に見届ける。

「ああ……まさか、ここまでしっくり来るなんてね」

 双剣――攻性魔法の代わりに、もう一振り剣を使うというトーユーズの新たな試みは、果たして予想を超えて相性が良かった。

 中距離は捨て、近距離における手数の倍増を選んだわけだが、攻性魔法のための魔力を全て補助に使ったことにより、中距離という間合いがほぼなくなった。相手を駿足でかき回し、再生を許さない速度で連撃を加える。相手がドラゴンでなければ、たとえ他の誰が相手だろうと、今の攻防で無数の肉片に変わっていたに違いない。

「また一つ階段をのぼれた。ドラゴンとの戦いは、自分にとってどこまでも新しい強さの糧になる」
 
 先程まで別の人間のものだったとは思えない、まるで手の延長線にあるような動きで左右のドラゴンスレイヤーを振り回し、トーユーズは切っ先を揃えてドラゴンに向ける。

「さあ、ここからが本当の勝負だ。ドラゴン!」

 遠距離から炎を解き放ったドラゴンへ、トーユーズは左のドラゴンスレイヤーで受け流しながら詰め寄る。さらに右のドラゴンスレイヤーで、炎の余波を退ける。
 一振りのときですら余裕で回避できていたというのに、二振りのドラゴンスレイヤーからなる防御は、致命であるドラゴンの攻撃すら届かせない絶対防御であった。

「はぁあああああ――ッ!!」

 トーユーズは再びドラゴンの懐に入り込み、左右に剣を持ち、矛と盾の役割を交代しての乱れ舞う。攻撃の度に雷光が弾ける様は、まさに黄金の花弁が狂い咲くかのよう。

「ははっ!」

 振り回された尾や爪を軽々と避け、トーユーズはドラゴンの顔の前に跳んで、眉間に数度乱舞を見舞う。

「こんなものか! 散々言われ続けてきた最強とは、こんなものなのか!」

 一方的に切り刻むトーユーズの姿は、まさに狩人。ここに人とドラゴンの圧倒的な力の差は反転する。狩るものから狩られるものへと変わった獣は、たまらず空へと逃げた。

 所詮、ドラゴンとはいえ魔獣。獣の系譜か。
 戦術を用いて来ない敵に期待することがそもそも間違いだったのだ。

「まあいい。それでも、この戦いの勝利は格別なものになる」

 託されたユメを果たす、それは騎士の歓喜。
 騎士の中の騎士と讃えられたシストラバスの騎士の歓喜ならば、それはこの世全ての騎士の歓喜となろう。

 雷光と血の花弁の中、美しい騎士は踊る。

 負ける可能性など塵にも思わない程には、トーユーズ・ラバスは、天災に匹敵する天才であった。

 

 

       ◇◆◇






 地響きと共に、上から土が降り注いでくる。

「どうやら、地上で何かあったようですな」

 ルドールは髪についた土を払いながら、前を歩くカトレーユに話しかけた。

 ルドールの魔法で肌と髪についた血を拭ったカトレーユは、地上の様子など興味がないように、一度天井を見るとマイペースに通路を進んでいく。地下神殿の最下層は上層よりも相当広く入り組んでいたが、その足取りに淀みはない。

 ディスバリエ・クインシュとボルギィなるベアル教の人間にさらわれたらしいカトレーユは、捕まえられる際に道順を覚えたのだとか。今、カトレーユの案内の下ルドールが向かっているのは、敵の首領がいる場所だ。

 道すがら出会った信徒は、老若男女問わず、カトレーユが剣を一閃させて首を刎ねていく。

 急ぐでもなく、片手間のように敵を屠るカトレーユの姿は正直にいって異様だったが、ベアル教の悪事を止めるという目的は同じだ。黙ってルドールはついていく。

「……そろそろ着くはずだけど」

 カトレーユの足が目的地を前にして止まった。

 これまで無駄な会話も避けてきたカトレーユは振り返って、じっとルドールの顔を見つめる。

「ねえ、君はどこまでベアル教の目的とやらを知ってるの?」

 それは今まで来なかったことが不思議なほど、重要な質問だった。

 息子から預かった論文のことを、ルドールは誰にも話していない。主であるフェリシィールにもだ。謀るつもりはもちろん息子を庇ってのものでもなく、『救世存在仮説論』という論文そのものが異端に過ぎるからである。あの論文が真実であると気付いてしまった以上、聖神教の巫女として闇に葬り去らなければならないとルドールは考えていた。

「儂は……」

 無論、ルドールはカトレーユにも話すつもりはなかったが、紅い瞳を見て考えが変わった。

 長年生きたルドールから見ても、その瞳からは何を考えているか読みとれない。竜滅姫でありシストラバス家の当主である立場を考えれば、カトレーユが戦う理由は十二分にあるが、こんな目をした人間が家のため、住人のため、そういった理由で戦うものか?

 はっきり言ってしまえば、カトレーユ・シストラバスは得体が知れない。何を目的として動いているのかがわからない。

 あるいは、人ならざる責務を担う竜滅姫とは総てこういうものなのか。

「儂が知っていることは本当に少しだけです。ベアル教の最終目的が人工の使徒を創り出すこと。そのためにドラゴンを狙っているということだけです」

 ルドールはカトレーユを試すように、敬虔な聖神教信者ならば絶句するような真実を口にする。

「そう。人工の使徒……つまり『破壊の君』か」

 それに対するカトレーユの反応は乏しい。それどころか、聞き慣れない言葉を口にする。

「カトレーユ殿。その『破壊の君』というのは?」

「そのまま。世界を狂わし、終わりへと導く力から生まれたもの。わたしの推測が正しければ、アンジェロはそこから力を引き出して生まれ変わろうとしてると思うよ」

「それはどういう……?」

「ほら、急いだ方がいいよ。わたしが見た感じ、その『破壊の君』を創り出そうとする儀式は始まってるっぽいね」

 ルドールの疑問は解消されなかったが、カトレーユが誤魔化すように前を向いて、五十メートル先にあった扉を指差したために質問を切り上げるしかなかった。

「わかりました」

 疑問は残ったが、ルドールは頷いて歩き出した。
 一方、カトレーユがその場から動き出す素振りは、ない。

「カトレーユ殿?」

 カトレーユは天井をじっと見つめたまま微動だにしなかった。まるでそこに何かがあるのだといわんばかりに。

 果たして、地上に何がいるのか? 

 分かり切ってはいたが、ルドールにはこの竜滅姫が何を考えているのか、それはまるで理解できなかった。

「ねえ、ルドールさん。わたし、そろそろ疲れたから――……」

 本当に、理解できそうもなかった。

 

 


『謁見の間』にいたアンジェロの許に、侵入者がやってきたと報告が入ったのは、『竜の花嫁ドラゴンブーケ』がドラゴンと意識を同調し始めて十五分が経過した頃だった。

「侵入者? 何奴ですか?」

「侵入者は一人! 現在は竜滅姫を解放し、この場所を目指してきているとのことです! 護衛の兵士は、ぜ、全滅です……!」

「全滅?」

 この報告にはさすがのアンジェロも考えずにはいられなかった。

 侵入者のこともあるが、問題はカトレーユ・シストラバスを解放されたことだ。彼女がいなければ、『不死鳥聖典』があってもドラゴンを滅すことができない。

「いや、どちらにしろ逃げることはないだろう。彼女は『不死鳥聖典』を取り戻さないわけにはいかないのだから」

 事態は決してグランヌスの注意した通りの問題に発展したわけではない。あくまでも些末ごと。侵入者を潰し、再びカトレーユを捕まえればいいだけのことだ。

「わかりました。ターナティアをここに呼んでください」

「ここにいます、アナタ」

 騒ぎを聞きつけたのか、呼びに行かせる前に横の通路からターナティアが現れた。

「ターナティア。『術式』の解読にはあとどれくらい時間がかかる?」

「おおよそ二十分かと」

 内心舌打ちしそうになるアンジェロ。ドラゴンから術式を読みとるのは『竜の花嫁ドラゴンブーケ』の役割だが、ソレ自体が式を構築する意志を持たない以上、さらにそこから使えるようにするには解読の作業が必要になる。それをアンジェロはターナティアに任せていた。

「流石だ、ターナティア。君でなければそんなにも早く解読することはできないだろう」

「いえ、そんな……」

 頬を染める妻を見ながら、アンジェロは『これなら自分でやるべきだった』と後悔する。

 二十分――短いが長い。何とも微妙な時間だ。
 
「ただ、すまないけどできる限り急いでくれ。侵入者が現れたようだから」

「わかりました。すぐに」

 ターナティアは夫に期待されたことが嬉しいらしく、笑顔で来た道を戻って行った。

「残りの時間をどうやって稼ぐか……」

 アンジェロは分析する。最下層に現れた以上、侵入者は相応の使い手と見て間違いない。それにカトレーユが加わった。彼女がさほど戦力になるとは思えないが、少なくとも、満足な戦闘訓練など施していない信徒たちでは相手にならないだろう。

 これまで防衛に使っていた魔法使いたちは、ギルフォーデが連れて行ってしまった。残る戦力は……。

「私が行くしかない、か」

「アンジェロ様、御自らですか!?」

 アンジェロが石の玉座から立ち上がると、側近である信徒が悲鳴に似た声をあげた。 

「危険です! 敵は非戦闘員ですら容赦なく殺すような相手! 時間稼ぎならば我々が……!」

「ああ、そういえば――私がどれくらい強いか、君たちの中で知っている者はいませんでしたね」

「え?」

 立ち上がったアンジェロは腕を一閃させる。
 刹那――白く眩い光が広がると同時に、信徒の上半身が吹き飛んだ。その傷口は抉られたようにズタズタになり、同時に凍りついていた。

「ふむ」

 久しぶりに研究目的以外で使った魔法の感触を確かめながら、アンジェロは悠然と羽織っていたローブを冷風にはためかせた。

 ――曰く、齢百歳を超えたエルフには手を出すな。

 肉体の衰えが意味をなさない部分で優劣を決する魔法使いという生き物は、生まれながらの才能が全てであり、年月を経たものがより強くなる。そういう意味では最高の才能を持ち、寿命が人のそれより長いエルフの魔法使いは、一人で高位の魔法使い十人以上の戦闘力を有する。

 特に誇示することもなかったが、ベアル教で誰が一番強いのかといえば、それは間違いなくアンジェロであった。

 なぜならば、アンジェロ・リアーシラミリィは魔法の天才であるエルフの中の天才だ。

「代償は必要とするが、すぐに生まれ変わるのであれば問題ない。一度この力を全力で使ってみたかったのだ」

 アンジェロは両腕に輝く白い紋様――『儀式紋』の光を輝かせながら、侵入者の到来を待つ。

 二十分程度の時間、簡単に稼いでみせよう。
 いや、そもそもそれだけの時間侵入者が持つか。
 実験だ。せめてその程度は持ってくれなければ意味がない。

 冷静に、冷徹に、欠片ほども自分の作戦が狂っているなどとは思わなかったアンジェロの目の前で、ゆっくりと、錆びた音と共に『謁見の間』の扉が開く。
 
 石造りの玉座に座る賢者ではなく、やがては世界全てを支配する王として、アンジェロは来訪者を出迎えた。

「ようこそ――

 歓迎を露わにしようとしたアンジェロの言葉が途中で止まった。呼吸も。あるいは、心臓も一瞬とはいえ止まっていたかも知れなかった。

 門を堂々と開いて現れた男は、アンジェロが知っている人物であった。

――あ」

 あり得ない。彼がここに来るなど、今ここに現れるなど、あり得ない。あり得ていいはずがない。

 そう思いながらも、アンジェロの中の冷静な自分が囁く。
 こうなることを計算していなかったといえば嘘になるだろう? 否――こうなることを期待していなかったといえば嘘になる。 

 だから、論文を送りつけた。
 自分はここにいると叫びたくて、あの愚かしいほどに賢すぎる男に論文を送りつけた。

 ならば――この再会は必然だ。


「ようやく見つけたぞ。アンジェロよ」


 頭にグランヌスの言葉が甦る。

 そう、このときこの瞬間だけは、アンジェロは計画も計算も何もかも忘れ、ただ胸から湧き上がる感情に突き動かされるままに、冷静な皮を剥ぎ取って叫んだ。

「ルドーレンクティカッ!!」

 それは父親ルドーレンクティカ・リアーシラミリィとの百年ぶりの再会。
 そして、綿密な計画の全てを打ち崩すかも知れない敵が、アンジェロの目の前に現れた瞬間であった。

 

 

       ◇◆◇

 

 


 ボルギィから見ても、シストラバス家は後手後手に回っているように見えた。

 ジェンルド帝国の虎の子といえる破壊の魔法により、長年、どんな外敵にも耐え抜いたシストラバスの居城は、内側から爆発したように半壊していた。

 むしろ戦場で千人の人間を消し飛ばす一撃を受け、半分残ったと驚嘆すべきか。中にいた住人もそれなりの人数が生き残っているようだ。

 だからこそ、今シストラバス家は呻き声で満たされていた。
 火傷を負った人間、瓦礫の下敷きになった人間など、要救助者で溢れかえっている。その中には、命が助からないものも多くいた。

「……もう逝け」

 その中の一人、もう助かりようがないであろう使用人だったろう女の心臓に、ボルギィは剣を突き立てた。

「これ以上苦しまないように、ですかぁ。ボルギィさんは紳士ですねぇ」

 心臓の破裂によって息絶えた少女を見て、ギルフォーデがニヤニヤと笑う。

 二人の姿は半壊したシストラバス家の中にあった。生き埋めになった人を救助するためでは、無論ない。

「しかし、半壊で終わってしまったときはどうかと思いましたが、これはこれでいい感じですねぇ。死にかけがたくさぁんで、何とか生き延びた人も、目の前の命を助けるので精一杯。指揮系統はあってないもの」

 ギルフォーデはボルギィの肩に手を置いて、

「さっきの攻撃で死んでいれば儲けものですが、竜滅姫みたいな特別な人間は神様に愛されていますからねぇ。念には念をいれて……わかっていますね?」

「そちらこそ、わかっていると思うが」

 ボルギィは細すぎて見えないギルフォーデの目を睨みつけ、

「約束は守ってもらおう。今回の任務を完了したら――

「ええ、奥方の治療の方は任せてください。皇帝陛下に誓って、どのような不治の病といえど治してご覧にいれますよぉ」

 手を胸に添えて、ギルフォーデは口の端を吊り上げる。

 そう、このギルフォーデにボルギィが付き従っているのは、彼しか床に伏せった妻を治すことができないためだった。たくさんの医者に診せたが、誰もが匙を投げた最愛の妻。彼女を救えるのはもう、世界最高の治癒術師といわれたギルフォーデしかいない。

 たとえ彼がその力を得た経緯が血に染まっていようとも、愛する妻を救うためならば、ボルギィはどんな犠牲も厭わないつもりであった。

「任された。ここで待っていろ」

 初めて人を殺したとき以来、これまで赴いたどんな戦場でも震えなかった手の震えを堪えながら、ボルギィは任された任務に向かう。

「間違えないでくださいよぉ」

 その背に、喉の奥で嗤いながら、ギルフォーデが声をかけた。

「きっちりリオン・シストラバスを殺して来てください。竜滅姫を根絶やしにしなければ、ドラゴンが最強とはいえないのですからねぇ」

 ――まだ幼い子供を殺せ、と。

 ボルギィは忸怩たるものを抱えながら、ギルフォーデの指示に頷いて、外壁が崩れて内装が剥き出しになった城の内部へ侵入した。

 前もって調べがついていた、リオン・シストラバスの私室へとボルギィは向かう。

 偶然か必然か、彼女の部屋は雷の直撃からは僅かにそれていた。周りは半壊し、焼けこげていたが、跡形もなく消えたということはない。

 願わくば、すでに死んでいて欲しいのに……。

 雇われれば否はない傭兵業を過ごしてきたボルギィは、幸か不幸か本物の戦場を駆け抜けてきた。そこにいるのは敵の兵士であり、弱い女子供を手にかけたことは一度もなかった。

(自分にできるのだろうか? 否、やらなければならない。迷えば彼女を失ってしまう)

 祈る気持ちで向かったボルギィは、しかし、裏切られる羽目になった。

「ダメ、死んではダメです! 気を強くもちなさい!」

 踏み入れたリオン・シストラバスの部屋の前でボルギィが見たのは、胸から下を巨大な瓦礫の下敷きになった紅い騎士と、その瓦礫を必死にどかそうと格闘している紅い髪の子供であった。

「リオン様……私のことは、いいです、から……どうか、避難を……」

「何を言っているのですか! シストラバスの騎士なのでしょう?!」

 瓦礫に押しつぶされた騎士は、ボルギィから見ても致命傷であった。あれでは内臓のいくつかが壊れてしまっているだろう。たとえ瓦礫をどかせても助かる見込みはない。

 リオンはそれでも助けようとしていた。白く小さな顔は煤で汚れ、手から血が滲み、城のどこかから炎が弾ける音が聞こえていても逃げ出す様子はない。騎士もまた自分のことなど無視し、そんな少女を温かい目で見ていた。

「…………」

 ボルギィは、そこにあった尊い光景に立ち尽くす。

「大丈夫。大丈夫で……」

 そんなボルギィの存在に、そこでようやくリオンは気が付いたようだった。

 リオンはやや呆けた顔でボルギィを見ると、涙でくしゃくしゃになった顔で笑顔を作った。全身で喜びを表すかのような、そんな笑顔だった。

「良かった。手伝ってください。騎士ミラルドがわたくしをかばって……お願いしますわ!」

 どうやら、リオンはボルギィを城の人間だと勘違いしているようだった。当主の子であるとはいえ、城の使用人全員を知っているわけではないようだ。

 リオンは頼みこむと、すぐに瓦礫との格闘に戻った。

 ……一瞬、ボルギィはこのまま手伝いたいという、抗いがたい魅力に襲われた。こうなることを理解しながら魔法行使を見送った身で詮無きこととわかっていたが、目の前の光景は、それでも尚突き動かされるものがあった。

「何をやっているのですか?! 早く!」

「…………ああ」

 しかし、それでも、ボルギィはそれを選ばない。

 騎士を勇気づけ、細い腕に力をこめるリオンへと背後から近付くと、手に握っていた大剣を振り上げる。

「リオン様!」

「え?」

 倒れていた騎士が最後の力を振り絞ってリオンを突き飛ばすのと、ボルギィが剣を振り下ろすのは同時だった。

 突き飛ばされたリオンはそのまま弾き飛ばされ、振り下ろされた大剣が、突き出した手を残して騎士ミラルドと呼ばれた青年騎士の上半身を砕いた。

 リオンは尻餅づいたまま、目の前で起きたことがわからないといった顔で、ボルギィと頭部を失った騎士を見ていた。

「あ……あぁっ……」

 その顔に、少しずつ理解が広がっていく。同時にリオンは身体を震わせて、ボルギィを得体の知れない怪物を見るような目で見た。


 ……恐らくは。
 このとき、ボルギネスター・ローデは、本当の意味で殺人鬼となったのだろう。


「子供にこんな目で見られているオレを見て、お前は何と言うだろうな? ミステル」

 ボルギィは自分を見つめるリオンの視線に、戦争における人殺しではなく、日常における人殺しになったことを知る。

 それでも止められない。止まる気はない。
 カチカチと歯の根を震わせるリオンに向き直ると、血がついた大剣を振り上げ、ボルギィは機械的に振り下ろす。


「そのミステルというのは、君が想いを寄せる人かね? 少年」


 それを受け止めたのは、銀色に輝く剣。
 駆け寄ってきてボルギィの怪力を押しとどめたのは、前もって知識として頭に叩き込んでおいた中にいた人物であった。
 
 ボルギィの攻撃を自分の剣の腹で逃がしながら、流れるように返しの刃を放つ。

 身体を逸らすことによって避け、ボルギィは一度距離を取った。一度落ち着かなければ、この男には勝てない。

「ほほう。賊の癖にやりおるな」

 カトレーユ・シストラバスの父親にして、標的であるリオン・シストラバスの祖父。

「しかし、このクロード・シストラバスと戦って、無事で済むとは思わないことじゃ。――孫娘を狙った賊ならば、その首ないものと知れ!」

 かつて歴代最強と呼ばれたシストラバスの騎士団を率いた団長は、強い怒りを瞳にこめて、孫娘を庇ってボルギィの前に立ちはだかった。

 

 

       ◇◆◇

 

 


 トーユーズは焦っていた。意味がわからなかった。

「はぁッ!!」

 勝ち鬨よ雲を突き破れといわんばかりの叫びと共に、苛烈な斬撃がドラゴンを襲う。
 洗練された双剣の剣舞。一太刀では肉厚のドラゴンを両断することはできないが、斬撃を集中すれば、いかなドラゴンとはいえ肉片に変わる末路を辿る。

「はず、なのに……!」

 焦燥も露わに、トーユーズはドラゴンの爪による攻撃を避けつつ後方に下がった。その肩は大きく上下し、息遣いは乱れに乱れていた。

 トーユーズの戦意の表れである[加速付加エンチャント]も、今は弱々しい静電気を散らすばかり。スラムにてドラゴンと矛を合わせてから、すでに十五分。奮戦を続けたトーユーズの前には、今も三眼のドラゴンが五体満足で健在だ。

 切り刻んだ片方の足も、さほど時を経たずに再生する。ドラゴンの質量は、矛を交えた当初より僅かも減じていない。

「くそっ!」

 吐き捨てる悪態に余裕もなく、トーユーズはドラゴンの攻撃を全力で避ける。
 走り続けて十五分。すでに四肢は疲労という名の蛇に絡みつかれていたが、ここで足を止めるわけにはいかない。

 ドラゴンの攻撃はどれ一つを取っても必殺。当たれば即死。かすっただけでも内側まで持って行かれる。

 つまり戦い始めて十五分が経過した現状、トーユーズは劣勢も劣勢に立たされていた。

 最初あった余裕も、四肢を切り落とし、首を抉ってなお再生を続け、動き続けるドラゴンを見てすぐになくなった。トーユーズは考え得る限りの殺害手段をもってドラゴンを殺し続けたが、漆黒の巨体がいなくなることは一度もない。

 ドラゴンには勝てない――人々の共通認識としてあり、これまで自分にはなかったものを、トーユーズはようやく認識していた。

 確かにトーユーズは強かった。ドラゴンを相手取って一人で十五分戦い続けられたことそのものが、もはや人の域から半歩抜け出た偉業だ。

 ただ、ドラゴンは死ななかった。ドラゴンを殺す方法を、ついぞ見つけることができなかった。人の域から踏み出してはいたが、ドラゴンを殺しうる特別ではなかったトーユーズの、これは当然の結末だった。

 もはやこの戦いは、ドラゴンを殺すための戦いから、ギリギリで生き延びる負け戦へと様相を変えていた。

 攻撃は暴風のような攻撃から身を守るための手段であり、

「ふざけるなッ!」

 そんなものは自分の戦い様ではないと、無様な自分に怒り、トーユーズは乾坤一擲、最後の力を振り絞って特攻に出た。

 ドラゴンのブレスが地面を溶かす前に、雷光と共に背後に回る。

これ即ち騎士の剣 我が雷光のドラゴンスレイヤー

 さらに詠唱の叫びを胸に、トーユーズは頭上でクロスした双剣を、股下から飛び込んでドラゴンの首めがけて叩き込んだ。

 真紅の刀身に雷光を纏ったドラゴンスレイヤーが、ドラゴンの頭を削り飛ばす。
 漆黒の肉片と瑞々しい鮮血が噴水のように飛び散って、凄惨に、劇的に、戦いを締めくくる。

「これで……」

 生物である以上、死は免れない光景を前に、トーユーズの額からは大粒の汗が地面に落ちる。

 足下にあったドラゴンの影の頭部に、肉の音と共に新たな頭部が生まれたのがその直後。

「嘘……でしょう?」

 愕然と、再びの再生を遂げたドラゴンを見上げるトーユーズの顔には、確かな恐怖が浮かんでいた。

 かつて、強者と呼ばれた敵との戦いに果敢に挑み、その才能をもって凌駕し続けてきたトーユーズにとって、最強の好敵手と定めたドラゴンは、その実才能云々の領域では意味をなさない、正真正銘の怪物だった。

「ルゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!」

 幾度となく傷を刻み込んだ若き騎士へと、ドラゴンが吼える。

 開かれた口内に紅蓮の輝きが灯る。
 ブレスの前兆。膨れあがった炎の熱に目が灼かれない内に、トーユーズは回避しようと地面を蹴って、

「あ……」

 地面を踏みしめるはずだった右足に力が入らず、そのまま地面に倒れ込んだ。

 まるで小さな子供のようだと、トーユーズは久しく忘れていた感覚に逃げることもできずに倒れ伏したまま炎を迎える。

 これまで一撃も攻撃もらわなかったトーユーズだったが、この一撃を受ければ灰も残らず死ぬ。戦いとは最後に立っていた者の勝利。となれば、残るのはトーユーズ・ラバスはドラゴンに歯が立たなかったという敗者の烙印のみ。

 それだけではない。シストラバスの騎士の歴史上、最も才に溢れた騎士ですらドラゴンには勝てなかったとという事実も残る。それは長い間受け継がれてきたシストラバスの聖句に、決定的な楔を打ち込むかも知れない。ドラゴンを滅し、竜滅姫様を助けるのだというユメが、潰えてしまうかも知れない。

「ああ、そうか……」

 トーユーズはようやく理解した。これまで煩わしいとすら思っていた、大きな期待とそれに伴う責任に。

 自分は、ただ驕っていただけなのか……。

 そう気付くのと同時にトーユーズの視界が赤く染まり、

「トォオオオオユゥウウウズッ!!」

 いつも聞いていた先輩の声と共に、横からの衝撃に吹き飛ばされた。

 直後に、先程までいた場所に炎が叩き付けられ、猛烈な火柱があがる。
 突き飛ばされた勢いのままに地面を滑っていけば、同じように、横に先輩の騎士が滑り込んできた。

「先輩、どうしてここに?」

 すぐに立ち上がったエルジンの横顔を見て、トーユーズはそのまま唖然とした表情から顔の筋肉を動かせなかった。凍ってしまったみたいに、さっきから同じ顔だ。

「話は後だ。一旦、退却するぞ」

 間一髪のところで助けてくれたエルジンが、太い手でトーユーズに肩を貸して身体を持ち上げた。

「ちょっと、退却なんて、この状況でできるはずが……!」

 そのままドラゴンから距離を取ろうとするエルジンを見て、トーユーズは二つの理由から足踏みした。

 一つは、ここでドラゴンを食い止めておかないとスラムの住人に被害が出ること。
 一つは、誰の足止めもない状況で、翼もあるドラゴンから逃げるのは不可能だということだ。

「大丈夫だ」

 しかし、返ってきたエルジンの返答はそれ。

 ドラゴンの方を見たトーユーズもまた、エルジンの言葉も意味を思い知った。

「そんな……」

 先程まで自分が戦っていた場所で、ドラゴンスレイヤーを構えてドラゴンと相対する十名あまりの騎士。誰も彼もが騎士団内で名が通った、先代クロード・シストラバスと共に戦場を駆け抜けた猛者たちであった。

 つまりは、すでに引退したはずの老練の騎士たち。白髪交じりの髪を戦火で赤く染め、しっかりと背中を伸ばして剣を握っている。

「無理です! ドラゴンと戦うなんて、命を落とすようなものです!」

 ドラゴンと彼らが戦った場合、訪れる当然の未来を確信してトーユーズは大声で叫んだ。

 その間も、エルジンは容赦なくトーユーズを引っ張っていく。ドラゴンに立ち向かった十人の中には、エルジンの父親もいるというのに。

「先輩! 何してるんですか!? あの人たちで勝てるはずない。勝てるはずが――

「それでも、彼らはシストラバスの騎士だ」

 自分が行くべき方向だけを見るエルジンの横顔に、トーユーズは何も言えなくなった。

 先輩ではあり好きな人ではあったが、剣の腕は下だったから心のどこかで見下していた人が、今はとても大きく見えた。いや、違う。自分があまりにも小さく、惨めに思えたのだ。

「…………ちくしょう……」
 
 トーユーズは力の入らない手の代わりに、優雅でない言葉を思い出すように口にして、奥歯が割れるほど歯を噛み締めた。

 そして、あまりにも勇敢に、高らかに、シストラバスの騎士の聖句を謳ってドラゴンへ挑む騎士たちの背中を見て、自分の足で前に進んだ。逃げるために、歩き出した。

 トーユーズ・ラバスはこのとき見た騎士たちの背中を、きっと、生涯忘れることはないだろう。









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