番外編  ピンク色吐息


 

『モモモモッ!』

 力強く盤面に叩き付けられた一手に、キルシュマ・ホワイトグレイルは押し黙った。

 コーヒーが器に落ちる音だけが響く静寂を破って放たれた好手は、青と赤の水晶で作られた盤上での戦いを決定的なものにした。

 何とか敵の猛攻を凌いでいたキルシュマは挽回不可能な状況に追い詰められ、ここから巻き返すのは不可能に等しい。一応諦めずに盤上を睨み、打開案を模索してみたものの、五分経っても結論は同じだった。

「まったく、もはや勝負は明らかというのに、一体いつまで無意味な黙考を続けるつもりですか? このロリコン野郎は」

 それでも腕を組んで悩み続けるキルシュマに対し、対戦者ではなく傍観者から文句が飛んだ。

 ドリップされたコーヒーが入ったコップをお盆に乗せ、チェリーがふんだんに使われたケーキと共に持ってきたのは、幼さの残る少女であった。

 可憐の他にも妖艶としかいいようのない深い魅力をたたえた魔性めいた美貌。砕いた宝石の粉をちりばめたように輝く薄紅色の髪を黒いリボンでツインテールにし、黒地に白いフリルがついたゴシックドレスを身につけている。その上からフリフリのエプロンをつけ、無感動な眼差しでキルシュマを見下していた。

 彼女の名はメア。おおよそ二週間前に出会った深紅の瞳を持つ毒舌少女である。

「マスターの貴重なお時間を割いて頂いているというのに、これ以上患わせるというのならメアにも考えがあります。そもそもどうしてあなたがここにいるのですか? そこのところをはっきりさせておきたいところです。もっとも、どうせメアのこの魅力漂う身体目当てでしょうが。救いようのないロリコン野郎ですね」

「……色々と反論したくはあるが、確かにこれ以上悩んだところで妙手は浮かばない、か」

 ない胸を張るメアのいうことはもっともで、ここは潔く諦めることが最も男らしいことだろう。たとえそれが断腸の思いであろうとも。

「…………投了だ」

 その一言を振り絞るのに、キルシュマは多大な労力を必要とした。

 それはこのボードゲームをキルシュマが大の得意としており、貴族の中でも負け知らずだったこともあるが、それ以上に――

『モモ、モモモ』

「マスター。勝利おめでとうございます。相手があまりにも格下ながら、全力で戦うその御姿にメアは目頭を熱くさせていただきました」

「まさか僕がこの遊技で彼に負けるなんて……」

 ――対戦相手がピンク色の不思議生物なのが一番の理由だ。

 テーブルを挟み、小さな椅子の上でふんぞり返っているのは、目に痛いほどのショッキングピンクの着ぐるみを着た何ものかだった。

 身の丈二メートルをこえる、ずんぐりむっくりのモコモコボディ。犬にも猫にも見える造形で、目は細く緩んでおり、口元は今にも涎をたらしそうなほどしまりがない。見ていると気が抜けるような、むしろ殴りたくなってくるような、そんな不思議な着ぐるみ野郎だ。

 これを着るくらいなら裸で大通りを一周した方が、まだ人としての自尊心は保たれるだろう――そうとすら思える着ぐるみを着て、あげく『モ』以外の言語を扱わない相手に得意種目で敗北を喫したのだ。そのショックは計り知れない。

「……勘弁してくれ」

 どこからともなく扇子を取り出し広げてみせる不思議生物に向かって、彼をマスターと慕うメアは頬を上気させ、目を潤ませつつ紙吹雪を散らせている。

 こんな相手に負けた自分が情けなくて、キルシュマはがくりと肩を落とした。

「マスター?」

 メアの声を聞いて顔をあげると、音もなく不思議生物が近付いてきていた。

『モモモモ、モモッモ、モモモ』

「マスターからのありがたいお言葉です。感激にむせび泣きつつ胸に刻みなさい」

 不思議生物はポムと短い手をキルシュマの肩に置き、理解不能な言語で語りかけてきた。同時に、唯一彼の言語を翻訳できるメアが、当然の務めのように翻訳に打って出た。

『モモ、モモモモモモモモッモッモモモッ』

「気にすることはない。卿は十二分に強かった。ただ、それ以上に我が強かった。それだけのことだ」

『モモモモッモモ、モモ、モモモ。モモモモモ』

「卿はこの敗北を糧にさらなる精進に励むことだ。我はいつでも卿からの挑戦に受けて立とう」

『モモモモ、モモモ。モモッモモモ』

「見直すべきは攻勢に出るときのタイミングであろう。それさえ改善できれば、卿はさらなる飛躍を遂げられると我は信じている」

 最後にもう一つのポムと肩を叩き、何とも威風堂々と椅子に戻る不思議生物。
 彼の言葉に感動を露わにするメアは、普通の人とは違う少し尖った耳をピクピク動かすと、喜々として彼の前にコーヒーとケーキを配膳した。

 ……確かに、彼の言葉は正しく、感動すべき要素もたぶんあったのだろう。キルシュマとて、もしも彼が変な着ぐるみなど着ていない状態で今の言葉を言われたら、その気になっていた可能性は高かった。着ぐるみを着ている状態でいわれても『こんなおかしな奴に負けたのか』とさらに気を重くするだけだが。

「まぁ、敗北を気にし続けるなという君の言葉には一理ある。またいずれ再戦を申し込ませてもらおう」

「負けた癖に偉そうな態度ですね。用が済んだのでしたら、さっさと帰ることをメアは強くお勧めします。むしろ今すぐ帰れ」

 不思議生物の隣に腰掛けたメアが、自分の前にもケーキとコーヒーを置き、コーヒーに山盛りになるくらいの砂糖とミルクを入れつつ邪険に扱ってくる。当然の如く、キルシュマの前には水一つ置かれていない。

「そもそも、あなたのような性犯罪者を家へ招いた記憶などないわけですが。あれですか、ストーカーですか? 先程メアが街へ買い物に出かけた途中で発見し、息を荒くしつつ物影に隠れながら付いてきたのですか?」

「それはこっちの台詞だ。僕だって君たちの家に来るつもりなんてなかった。いや、探してはいたが、今日こうして来るとは思っていなかったが正解だ」

 メアがいうように、キルシュマが今日二人の家に招かれることになったのは予定にはないことだった。

 パーティーの日の出会いから二週間。あの日は結局、自分の名前を名乗ったところで不思議生物が盗んだ下着を取り返そうとミリアンが突っ込んできたために、なんだかんだの混乱の内に二人を見失ってしまった。

 さらにミリアンからは下着泥棒に関わったという謂われない罪を着せられ、色々と奔走している内に今日に至った。誤解を解いている間も、気になる二人についてはそれとなく探ってみたのだが、まったく手がかりを見つけることはなかった。

 しかし、キルシュマはなぜか二人とはまたいつか出会うだろうという予感があったため、無理に探すのではなく時の流れに身を任せることにしていた。で、焦ることなく、色々あって疲れた身体を癒そうと屋敷の庭で植物採取していたら……

「質問したいのはこちらだ。どうして君ら二人は僕の家の敷地内に、勝手に家を作って暮らしているんだ?」

 家主でも滅多に訪れない広大な森の奥まった場所。隠れ潜むように建てられた小綺麗な丸太小屋と、小屋の前で日光浴に勤しむピンク色の生物を見たときキルシュマは、確かに一瞬気を失った。

 ……確かにまた出会う予感はあったが、まさかこんな形で訪れるなんて、予想外に過ぎる。

「彼に誘われるまま、なし崩し的にゲームに勤しむことになったがいい加減に教えてもらいたい。僕も歴としたホワイトグレイルの名を持つ者。一応不法滞在者にあたる君ら二人に対し、質問する権利はあるはずだ」

 名前も知らない不思議な『彼』が、我関せずと優雅にコーヒーを飲んでいるのを横目で気にしつつ、キルシュマは意思疎通が可能なメアに事情を尋ねた。というか、あの着ぐるみ状態でどうやって彼は食事を可能としているのだろう? 気になる。

「ああ、この森はあなたの家の敷地だったのですね。気が付きませんでした。こんな偶然あるものなんですね」

「棒読みで嘘をつかないでもらいたいな。というか、いい訳するつもりもないだろう?」

「別にいいではないですか。減るものではなし。むしろ至高なるマイマスターとメアが暮らしているだけで、森の木々は育まれ、健やかになっているのですから。あなたのような性犯罪者と野獣や傍迷惑女が暮らしているより千倍はマシですね」

 いい訳するつもりも悪びれた様子もなく、メアはケーキを食べている。そこはかとなく幸せそうで、それだけでもう満足のいく説明がもらえないのは明確だった。

「……君たちにも相応の理由はあるだろうし、聞かれたくはないだろうから深くは聞かないが、お願いだから事件等は起こしてくれるな」

「それより先に、メアはいつ性犯罪者に狙われないか不安です。もっとも、メアの力をもってすればこの森ごと焼却ですが」

『モモモモモ、モモ』

 そこで今まで黙っていた不思議生物がいきなり声をあげた。

 メアはハッとなると、少しだけ面白くなさそうな顔をして、それから主の言葉を通訳することに対して陶酔した表情になり、

「マスターがあなた方ホワイトグレイル家に対し、黙っていたことを謝罪すると言っておられます。しかし勘違いしないでください。あくまでもマスターは自らが奉じる道に則って謝罪をしただけで、あなたに対して個人的な――

『モッ!』

「失言でした。お許し下さい、マスター。ついでに変態」

「欠片も謝ってないな」

 軽く頭を下げ、小さな身体をメアは引っ込める。代わりにケーキを食べ終えた不思議生物が立ち上がると、徐に窓へと近付いて手を後ろで組む……のは構造上不可能だから、それっぽい感じで手を停止させた。

『モモモ』

「ときに、卿は革命に興味が有るという話だが」

 突然の不思議生物の語りかけにも、メアは滞りなく翻訳する。若干、いつもの無表情に輪をかけて表情がない冷たい顔で。

『モモモモモ、モ、モモ』

「それは、今巷で噂になっている革命軍に身を投じるつもりである、と解釈してもよいのか?」

 革命軍という言葉を不思議生物の口から出た――ということにしておこう――のが驚きなら、キルシュマが人知れず固めつつあった決意を彼が見抜いたことはさらに驚きに値する。

「どうなのですか? マスターがご質問されているのですから、疾く答えなさい」

「そうすることも一つの選択肢、とは考えている」

 メアからの催促を経て、キルシュマは不思議生物目がけて返答を発した。モノクルの奥の瞳を観察するように細めながら。

「現在、由々しき問題として王政府に捉えられている革命軍。いいや、革命運動と呼ぶべきか。レオナルドなる革命家が扇動し、水面下では多くの同志を仲間にしているという。貴族の中からも賛同者が出ているという話だ」

 政府の中枢に食い込むホワイトグレイル家だからこそ知ることができた、現在エチルア王国で行われている革命運動のことについて説明したキルシュマ。無論、このことを部外者に、それも関係者でもない者に教えることは罪に該当する行為だ。

 キルシュマはこの問いかけをもって、興味を引かれる彼について答えを得ようとしていた。果たして彼はこの情報を得て、一体何をしようとするのか?

――くだらない」

 小さく息を吐き出したのと同時に、メアから翻訳された不思議生物の意志が届いた。ただ一言くだらない、と。

『モモモ。モモモ。モモモモ』

「レオナルドという革命家が何者かは知らぬ。だが、我より先に革命の旗を掲げるとはなかなかの慧眼」

『モモモモ、モモッモモッ、モモ』

「が、ぬるい。行動がぬるすぎる。水面下での行動など愚かなり。真に世界に異を唱えようとしているなら、己が名をもって革命の旗とせよ。その男、王の器ではない」

 やるせない義憤に燃えながら、振り返る不思議生物。
 なんということか。キルシュマはゴクリと唾を飲み込んだ。

「君は……君たちは……やはりこの国に革命を起こそうとしているのか?」

『モ。モ』

「是、だ。我はこの国が気に入った」

 それは考えられたことなれど、そこまで覚悟があるとは思っていなかった。キルシュマが不思議生物の締まりのない顔から、それでも感じた強い気迫は、彼の覚悟の程を示していた。

 他人の庭に陣取る怪しいピンクの生物。彼の目的は革命にあった。それもレオナルドの掲げる平等の政治ではない。自らを王として君臨することが彼の目的であったのだ。

 それは民による革命ではない。彼による、革命だ。

『モモ、モモモ、モ』

「そこでだ。卿に一つ頼みがある。無論、聞いてもらえるだろう?」

 見えざる視線に射抜かれたように、キルシュマは不思議生物の言葉の深さに飲み込まれる。

 計り知れない器を持つ相手を目の前にして、キルシュマはじっと、王の言葉を待つ臣下のように不思議生物の言葉を待った。

『モモ』

 二言だけの意味不明な言葉。それが意味することは――


「我が臣となり、我が覇道に肩を並べよ。キルシュマ・ホワイトグレイル」


 …………本当に、そんなこと言っているのか疑問に思う。だって、圧倒的に字数が足りていないから。

『モモモモモ』

「差し当たって、卿に一つ任務を与える」

「……返答を聞かないのなら、それは頼みではなく命令だ」

「なんという傲慢な発言ですか。メアには信じられません――と、すみません。マスター。続きをどうぞ」

 返答を待たずに続きを始めた不思議生物はどこからともなく扇子を取り出すと、ビシリと先をキルシュマに突きつけた。そして言葉を訂正することなく、問答無用に、傲慢に、命令する。

『モモ、モモ』

「革命軍とやらに紛れ込み、レオナルドという男が我が臣たりえるか探ってくるがよい」

 


 

       ◇◆◇


 

 

「最悪です。死ぬほど最悪です。どうしてメアがあなたような性犯罪者と一緒に行動を共にしなければならないのですか?」
 
 ぶっすぅと不機嫌であることを隠そうともせず、隣を歩くメアがネチネチと文句をつけてくる。三十分以上もだ。

 キルシュマはもうこの濃い性格の少女に対する対応を弁えていたので、適当に相手しつつ流していたのだが、さすがに目的地を目の前にした今、これ以上不機嫌さが続かれると困る。

「メア。これは僕の意志ではなく、君のマスターの意志だ。文句があるのなら僕ではなく、彼に言ってくれ」

「……卑怯者」

 一言そう呟くと、メアは口を噤んだ。やはりメアにとってあの不思議生物の言葉は絶対のようで、彼を盾にすれば大抵の文句には口を噤むだろうという推測は合っていたようだ。

「…………あとで人知れず燃やしてやる……」

「いや、ぼそっと言っているようだが、完全に聞こえているから」

 本気も本気の声音でそう言ったあと、メアは気持ちを切り替えて目的地の建物を見上げた。

「それで、ここが件の革命軍が潜んでいるという建物なのですか? ここを跡形もなく燃やし尽くせば、メアはこれ以上あなたと共にいなくてもいいのですね? わかりました。それじゃあ――

「燃やすなよ」

「冗談です。メアはマスターの所有物ですので、マスターのお言葉は絶対なのです。マスターからあなたの手助けをしろ――もとい役に立たない荷物を背負った上で見事役目を果たせという試練を与えられた以上、何が何でもこれを達成するのみです。いくらマスターと引き離され不本意とはいえ、それがマスターのご命令なら、メアは、メアは…………」

 プルプル震えつつ息を荒くするメア。やる気は一応あるみたいだが、むしろ任務に障害を感じるのはキルシュマも同じだった。

(そもそも、どうして僕は彼の命令通りに動いているのか)

 不思議生物によりキルシュマが問答無用で託された使命は、未だ謎深き革命軍にスパイとして紛れ込み、その規模や上層部の存在、そして旗頭であるレオナルドの氏素性と器について調べることにあった。

 なぜか彼の命令を無視できなかったキルシュマは、一週間かけて革命軍に参加している人間とコンタクトを取ることに成功した。そして彼に橋渡しをしてもらい革命軍に参加する許可を得たのだ。

 キルシュマが不思議生物よりお助け要員として派遣されたメアと共に訪れた革命軍のアジトの一つは、表向きはただの大衆的な居酒屋だった。昼間の今は客も疎らで、おおよそ王政府に反抗する組織を運営しているようには見えないが、隠れ蓑として居酒屋は教会に並んで利用しやすい場所だ。情報が自然と集まる場所でもある。

「本当にここが、マスターを差し置いて革命軍を名乗る馬鹿共の巣の一つなのですか?」

「のはずだ。僕が罠にはめられていなければ、の話だがな」

「ホワイトグレイルといえば、革命の鍵を握っているともいわれている家柄ですから、罠にはめられた可能性は高いですね。もっとも、それはあなたがとんでもなく愚鈍で救いようのないマヌケであると仮定した話ですが……まずいですね。全てにあてはまっています」

「ふっ、僕はそこまで愚かではないよ。きちんと偽名と偽の身分証明を使った。君たちにありがたいアイテムももらったことだしね」

 片方しかレンズのないモノクルではなく、本物の眼鏡をつけたキルシュマは以前の癖で、指一つで位置を調整する。その姿は一目で『始祖姫』が一柱メロディアの系譜に連なる者とわかる白銀の髪ではなく、美しい紫色の瞳でもなかった。

 長い髪は茶色。瞳は緑。それはここエンシェルト大陸では、最も普遍的な髪と目の色だった。

 いつも通りの髪と瞳では素性が一目でばれてしまうため、髪の色を変える染料とメアたちが保有していた目の色を変える道具を使って変装したのである。加えて髪型を変え眼鏡をかけた。よほど仲が良い知り合いでなければ、今のキルシュマをキルシュマ・ホワイトグレイルと気付く人間はいないだろう。

「そういうわけだから、ここでは僕のことはキールと呼んでくれよ。メア」

「愚かですね。マスターが考えられたあなたとメアの偽装書類上の関係があれである以上、呼び名はとてもとても腸が煮えくりかえる思いですが決まっているのですから」

 苦々しく顔を歪めると、キルシュマを無視してメアはさっさと居酒屋へと入っていく。

「何をアホ面下げて突っ立ってるのですか。急ぎますよ。メアは一秒でも早くマスターに会いたいのですから。わかっているのですか?」

 そこで、遅れたキルシュマのことを、きちんと自分の所有者の言葉に従って、呼んだ。

――お兄様」

 偽の書類上でのキルシュマの名前はキール・グレン。メアの名前は、メア・グレン。

 二人の関係を一言で表すのなら――兄妹、であった。


 

 

 ミリアン・ホワイトグレイルの一部の隙もない完璧な笑顔は、ものの見事に硬直していた。

「お、お兄様……」

 素性がわからぬよう街娘に扮装したミリアンは、色が入った眼鏡に隠された紫色の瞳をめいっぱい開き、今し方酒場へと入っていった実兄の愉快そうな顔を思い出す。

 彼は何やらかなり面倒な変装をした上で酒場へと入っていった。それはいい。ミリアンとて自分の家柄上、素面を晒して街を出歩けないのはわかっている。比較的貴族としての暮らしを気に入っているミリアンでも、偶には一人で生き抜きがしたくなる日もある。そんなときは素性を隠し、気楽に散策するものだ。

 たとえば、そこに一夏のアバンチュールを含めてみるものいいかも知れない。貴族たるものあまり好ましくないが、兄も年頃の男。性欲を持て余していてもおかしくない。常日頃朴念仁の枯れた男だが、そういった本性が隠れていても不思議ではない。

 だが、だがしかし……よりにもよって、あんな性癖に目覚めるなんて…………!

「お兄様。そう、それがお兄様のご趣味なのですね。お父様には似ても似付かないから安心していたら、そんな一番ダメな部分を遺伝してしまうなんて……ミリアンは悲しいです」

 自分でも何を言っているかわからない感じでミリアンはフードの端を引っ張る。そうやってさらに顔を隠した上で、キランと宝石のような瞳を輝かせた。

 キルシュマが酒場に連れ込んだのは、いつぞやのパーティーで見かけた幼い少女。

「まさかあんな幼い女の子と関係を持とうなんて……妹として見て見ぬ振りはできませんよね?」

 魔力を隠すアイテムを念入りに調節したあと、ミリアンは何事もなかったように、さも当然の如く酒場の戸を潜る。

 どうやら、いい退屈しのぎが見つかったようだ。

 


 

 一組の男女と一人の少女が消えた酒場の屋根の上に、パンの生地のように張り付く何かがいた。

 体格的に無理があるのだが、どのような弾力性か、だらしなく伸びた目元の如く身体を伸ばした生物は、そそくさと人目がつかない位置まで下がる。無論足音一つ、気配一つ漏らすことはない。たとえ熟練の暗殺者が傍にいたとしても、決して彼に気付くことはなかっただろう。

『モモ』 

「ママ、あれ!」

「しっ、見ちゃいけません!」

 ただし、この時点で何の変哲もないただの子供に指差されていたわけだが。

 たとえどれだけ気配を隠そうとも、そのショッキングピンクは異様に目立っていた。

 


 

       ◇◆◇

 


 

 キルシュマ・ホワイトグレイルという青年は、基本的に真面目な人間である。

 頼まれれば誠意ある対応を取るし、一度受領した事柄を途中で投げ出すことはしない。やるなら最初から全力で取り組むし、失敗しないためにあらゆる不安要素は排除するタチだ。

 一番の不安要素が排除できず隣に陣取っている現状、やる気を早くも漲らせたキルシュマは、案内されたバーカウンターに座りながら周りの様子を観察していた。

 酒場の中はこれといって不思議な様子はない。多少汚らしく客層も気むずかしそうな人間が多そうな感じだが、おかしな点は見つからない。ある意味、昼間だというのに観察できるほどの客が席を陣取っているのが、おかしいといえばおかしなことか。

「待たせたな」

 ドンと、目の前のテーブルに冷たいエールが並々と注がれたジョッキが置かれる。

 眼鏡の奥の瞳を左右に動かしていたキルシュマは、動じることなくジョッキを置いたこの酒場のマスターを見返した。

「悪いが、昼間からアルコールを取る趣味はない」

「わかっちゃいないな、兄ちゃん。うちに来てエールを頼まねぇ奴はもぐりだ。周りの奴らに不審がられたくないだろ?」

 酒場に似つかわしい粗野な印象のマスターは、そういってヤニで黄ばんだ歯をむき出しにして笑った。キルシュマにこの酒場を紹介した男曰く、このマスターは革命軍の中でも人事を司る部門においてはかなり上にいるとのことだが、どこをどう見てもただのおっさんである。

「もちろん、お嬢ちゃんにはアルコールは出せねぇがな。ミルクで我慢しといてくれや」

「…………」

 キルシュマの隣に腰掛け、じっと目を瞑っていたメアの目の前にマスターはホットミルクを置く。コトンという音に、髪で隠されたメアの小さく尖った耳が動いたのを、注意深く観察に徹していたキルシュマは見逃さなかった。

 温められた新鮮なミルクの香りに、不機嫌丸出しだったメアが初めて目を開く。

 取っ手がついていないカップに手を伸ばすと、そっと淵に触れて温度を確認。大丈夫だと安心したところで、両手ですくうように持ち上げ小さな口をつけた。

「ははっ、どうやら緊張が和らいだようで一安心だ。兄ちゃんも方もそんなに警戒しないでいいぜ。今この店にいる奴のほとんどは俺たちの同志だけだ」

「それは安心だ」

 メアの様子に目元を緩ませたまま、油断ない声音でキルシュマにそう言う。完全に革命軍の一員として振る舞わないのは、それが彼のスタンスだからか、それともテーブル席の隅にフードを被った怪しい客がいるからか。

 キルシュマは自分が観察していたことに気付かれていたことに、やはりこのマスターがただ者ではないことを再確認していた。

「それで、僕たちは合格か?」

「俺たちは決して入団を断ることはしねぇ。使えるかどうか、スパイかどうか、全部が全部入れてから考えることにしてるんでね」

「……なるほど。あなたたちのリーダーは、懐が広い人間のようだ」

「ああ。同志レオナルドは王の器を持つお方だ。同時に謙虚でもある。俺たちはあのお方が王になればいいと思っているが、彼は決してそれを認めようとはせず、民主主義を説いていらっしゃるからな」

 普通の酒場の主人を演じながら彼は革命軍の話を口にする。リーダーであるレオナルドの人柄について簡単に口を割ったのは、言葉通り、こちらがスパイでも何でもどうとでもできるという自負があるからか。

 革命軍。思っていたよりも規模も団員の統率性も高いようだ。大した役者だと気を引き締め直し、キルシュマは一気にエールをカッ喰らった。

「それでこそおもしろい。革命を唱えるに値する男だ。もっとも、僕は自分の目で見たものしか信じないタチだが」

「いつかは会えるさ。お前さんが本物の革命の意志を持っているならな」

 主人は新たなジョッキをキルシュマの前に置いた。
 同時に、入り口の方からはジョッキで隠れて見えないところに、小さな鉄のバッチを置いた。

「同志の証だ。どんな悪辣な罠も奸計をもはね除ける鉄の十字。それを持っていれば、兄ちゃんは革命軍の援助を受けられる。同時に、他の同志を助けてやらなくちゃならねぇがな」

「……拝領する」

 キルシュマはジョッキの取っ手を握る振りをして、鉄の十字を裾に忍ばせた。そのまま景気づけに再びエールを一気飲みする。

「いつでもいい。またこの酒場に来な。そのときお前さんにやってもらうことを俺の方から依頼させてもらう。まだ見極めの段階で、お前さんに何がやれるのかもわからないからな」

「すぐに信頼してもらえるだろう。僕は誠実だからな」

「だといいがな。――期待してるぜ、同志キール」

 静かに頷いて、キルシュマは立ち上がる。懐から勘定を出そうとしたところを、マスターがゆっくりと首を横に振った。

 そこで、ずっと黙ってホットミルクを飲んでいた偽りの妹が口を開いた。

「……お兄様には証を渡しておいて、わたしにはないのですか?」

「おいおい、嬢ちゃん。気持ちはありがてぇが、さすがに嬢ちゃんにはまだはえぇな。しばらくはお兄ちゃんを助けてやんな」

「お断りします。メアも然るべき覚悟をもってこの席につきました。入団の席についたものを等しく平等に扱わないのならば、それは民主主義に反するのではないですか? 女子供という理由だけで遠ざけるというのなら、それは傲慢な不平等。真の民主主義とは到底いえませんね」

「そ、そいつはよ」

 身体はおろか、指一つ目の動き一つなく、淡々とした言葉だけでメアは酒場の主人を追い詰めていた。

 恐らくこんな入団希望者は初めてだろう主人は困ったように頭を掻いて、助けを求めるようにキルシュマを見た。

「……妹にも相応の覚悟と理由がある。可能ならば、一人の相手として取り扱ってもらいたい」

「兄ちゃんがそういうなら、仕方ねぇ。俺の独断専行になっちまうが、嬢ちゃんにもおかわりをやるよ。こりゃ、今日は赤字で怒られちまうかねぇ」

 まいったというように肩をすくめて、マスターは二杯目のホットミルクを用意する。コトンと置かれた音に重なって、小さな音がテーブルから響く。メアはじっと置かれた二つの品を見つめ、迷うことなくホットミルクを掴んだ。

「っ」

 ただし今度のは熱かったのか、触れた途端ぱっと手を離す。
 そんな仕草が先程の啖呵とのギャップでおもしろかったのか、酒場の主人が噴き出した。

 釣られて噴き出しそうになったキルシュマはすんでのところで口を押さえて飲み込んだ。メアからの鋭い視線に途中で気付いたからだ。もしも笑っていたら、人目を気にせず燃やされていたのは間違いない。

「……熱すぎます。今度からは注意を」

「悪い悪い、嬢ちゃん。お勘定はいいから、許してくれ」

 メアはむしり取るように鉄の十字を握ると、思い切りカップを掴み取った。まだ熱かったろうに、全然熱がる様子はなく中身を一気に飲み干す。主人が呆気にとられているが、元よりメアには炎や熱に耐性があるのだった。

「帰りますよ、お兄様」

「了解」

 すっと立ち上がると、メアは不機嫌な様子に戻って主人に背を向けた。

「ホットミルク、非常に美味でした。あなたにはこの酒場を平穏に続ける方が、メアには似合っているように思えます」

 最後にそうメアに言われた主人はきょとんとした顔をして、黄ばんだ歯をむき出しにして笑う。

「そうかい。だが、それだけじゃ喰っていけない世の中なんだから、しょうがないのさ」

「……愚かの極みですね」

 


 

 新しく革命軍に入る意志を見せた二人の同志を見送って、酒場のマスターは綺麗に飲み干されたジョッキとグラスを片付けにかかった。

(まったく、嫌な世の中になっちまったな)

 石けんと水で洗いつつ考えるのは、先程の少女。男の方も若かったが、彼の妹らしき少女は輪をかけて幼かった。そんな少女までもが革命の意志を――戦争を起こす意志を持たなければいけないとは、何て嫌な時代なのだろう。

(恐らくは没落貴族ってとこか)

 二人の素性は知らない。だが、立ち振る舞いがあか抜けていた。隠そうとしていたようだが、隠せないほどに身に付いた優雅さは貴族として育った証だ。これでも人を見る目は確かだと自負している男としては、二人の今後に心配する気持ちを隠せない。

 革命軍への参加理由は人それぞれだ。どうでもいい理由や切実な理由、色々とある。中には貴族や没落貴族も含まれているから、別段あの二人が特別というわけでもない。

 だからやっぱり、幼いということがマスターの心を締め付ける。

 溜息をついて洗い終えたグラスを布巾の上に乗せておく。

 軽く視線を下へと落とし、次に正面へと戻した男は、革命軍に関係ない唯一の客が席を立ってこちらに近付いてきたのに気付いた。

(香水の匂い……?)

 何も頼まずに座っていただけの客が、嗜好品である香水をつけた女であると気付いたマスターは警戒心を抱いた。客の振りをしている同志たちにいつでも取り押さえられるように指示を出しつつ、表面上はにこやかにカウンターの前に立った彼女に話しかけた。

「へい、お客さん。何用で? ご注文でしたらアルコールでも何でも取りそろえておりますが」

 目元を隠した彼女は、唇を動かして何かを呟いていた。
 それがあまりにも小さな声だったので聞き取れず、マスターは顔を近づける。

「すいません、もう少し大きな声でお願いします」

 顔を近づけたことによって、マスターは彼女のその端整に過ぎる容姿を目の当たりにすることになった。

 白銀の髪にアメジストの如き瞳。それが意味する身分に気付いた男が身を引くより先に、指先に魔法陣を組み立てた少女が呟きを大きく声にした。

――雷よ

 迸る雷気が店内を駆けめぐる。

 雷撃は見事に店内にいた全員に命中し、一人、また一人と麻痺で気を失った革命軍の同志たちが床に倒れ伏す。

 しかし少女の眼中に、もはや倒れた彼らは映っていなかった。

「お兄様……あなたって、人は……!」

 怒りを押し殺した声は、ただ一人肉親へ向けられていた。

 


 

       ◇◆◇

 

 

「む?」

 店を出て数分歩いた頃だったか。

 互いに帰り先が同じのため、一緒に――彼我の距離は相当あったが――帰っていたところ、ふいにメアが後ろを振り返った。

「どうかしたのか?」

 貴族の邸宅がある高級住宅街は人気がまばらだ。振り返ったところで店があるというわけでもない。一体メアが何に気を咎めて振り返ったのか、尋ねたあとキルシュマも警戒心を抱いた。

 キルシュマはゆっくりと振り返る。

「君は……」

 そこにいたのは先程酒場で見たフードの人物だった。
 先程と明確に違う点は、フードと肌の間に雷光がいくつも弾けていることか。

 ひりつくような雷は、しかし気配をもらしていない。恐らくあのフードは魔力封じの類。ここまで気が付けなかったのは致し方ないとしても、油断していたのは明らかな過失だ。

「どうやら早くも追っ手がかかったようですね。ふぅ、これだから幸運値が低い男と一緒にいるのは嫌なんです。メアの幸運をもってしても相殺できない不幸って、一体どれだけのものなんですか。生きていて辛くないですか?」

「人の人生にケチをつけてる暇があるのか。酒場から付けいられていたとしたら、すでに……」

 やれやれと肩をすくめるメアとは違い、キルシュマははっきりとフードの人物が敵であると認識できていた。メアの場合、わかっていてふざけている可能性は否定できないが。

「別に警戒も不安も必要ありません。ここにはメアがいるのですから、あなたはガタガタ震えて自分の身だけ守っていればいいのです」

「メア?」

 戦闘の準備を行っていたキルシュマの前に、あくまでも自然体でメアが進み出る。

「誰かは知りませんし興味もありませんが、ここで立ち塞がること即ちマスターの王道を阻むということ。ならば滅却です。その灰をもってして、マスターの歩く道を清めるとしましょう」

 音もなくメアの周りに火の粉が舞う。紅蓮の奥に込められた灼熱の息吹が、下から上へとメアの長い髪を舞い上げた。

 メアが魔法を使う予兆を見せただけで、その場の気温が十度以上あがった。多くの火の魔法使いは炎を収束させることで威力を出すのだが、メアの場合、元々の威力が高すぎて収束せずとも肌で感じるほどの炎を生み出していた。実戦派の魔法使いとしてはさほど才能のないキルシュマが、嫉妬さえ抱けぬほどの魔力値だ。

「これほど、なのか」

 以前キルシュマはメアによる攻撃を受けたが、そのときとは桁が二つばかり違う。こんなものを浴びれば、人間など灰も残さず消え去るだろう。

「待て、メア! 捕らえるんだ! ここは少しでも情報が欲しい!」

「メアに命令をしていいのは唯一一人、至高なるマイマスターのみです」

 チラリとメアはキルシュマを横目で見やって、それから纏う炎とは反対の絶対零度の視線で立ちはだかった敵を射抜いた。

「それに、ちょうどいいストレス発散の相手が現れてくれたのですから、丁重にもてなして差しあげなければなりません。さぁ、燃え散る様でメアを愉しませなさい!」

 メアが軽く手をあげる。その手に合わせて、彼女を包み込んだ炎がフードの人物目がけて襲いかかった。

 炎の矢となって飛ぶ灼熱の息吹は、メアの手を動きに呼応する。手を横へと薙ぎ払ったメアの動きにより、炎はレーザーとなって辺り一帯を焼き払った。

「くっ、殺してしまったか……?」

 一瞬で炎の海と化した中、押し寄せる熱波から顔を守りつつ、キルシュマは攻撃を受けた相手のことを探した。

 探す前に、彼女はキルシュマの前へと傷一つない状態で現れていた。

「ふっ!」

 蛇のようにしなる手が、キルシュマの腕を掴んだ。
 炎の中で氷のように透き通る白銀の髪をたなびかせ、キルシュマを至近距離から絶世の美貌が微笑みかける。

 軽く開いて弧を描いた口が、一言、冷たい言葉となって紡がれた。

「捕まえた」

「ミリ――

 雷を操る魔法使いに掴まれた意味合いに気付く前に、キルシュマはフードの人物の正体を見て喉の奥から悲鳴をもらした。

「がっ!」

 バチリ。握られた手を通して相当なボルト数の雷撃がキルシュマに伝わる。

 雷に耐性を持つ雷の魔法使いは平気でも、耐性のない人間に雷撃はきつい。稀少属性として伝わる雷の魔法属性が、炎と並んで威力が高い由縁はここにある。人間である以上、弱い攻撃とはいえ雷撃に抵抗する術はない。

 障壁を容易く突き破って襲いかかってきた雷撃に、キルシュマは体表面に火傷を負いながらその場に崩れ落ちる。

「く、あ」

 麻痺で身体が動かない。倒れたままキルシュマは何とかしゃべろうとするが、上手く舌が回らない。自分を見下ろしている相手が誰かわかっているのに、それを伝えることができない。

 いくらメアが外見に反して凄腕の魔法使いとはいえ、彼女には勝てない。普通の魔法使いとは根本的に違う、『反則』持ちだからだ。

「ちょこまかとよく動きますね」

 攻撃が捉えられなかったことに眉を顰めつつ、メアが背後に轟々と炎を舞い上がらせる。

 キルシュマを痛めつけたところで初めてメアに視線を寄越した彼女は、僅かに身体を地面から浮かび上がらせて、いつでも回避できるよう体勢を整えた。

 このままでは攻撃しても当てることはできない――それがわかっているだろうに、メアはニヤリと笑って炎の矢を撃ちだした。

「ちょ、まっ」

 それを動けない状態で見たキルシュマは、メアの浮かべた笑みの意味を理解した。

 雷の帯と風を巻き起こして消えた彼女の傍にはキルシュマがいる。メアの狙いは大雑把極まりなく、つまり最初からキルシュマを巻き込む気満々で――

 巨大な爆発にキルシュマは悲鳴ごと飲み込まれた。

 ……次に気が付いたとき、襲撃者を逃がしたのに妙に生き生きとしたメアがいた。

 

 


       ◇◆◇

 

 


「ミリアン」

 名前を呼べば、キルシュマの妹であるミリアン・ホワイトグレイルはつんと顔を背けた。

 視線さえ合わせてくれない。これはいよいよ本気で怒っている証拠だと、キルシュマは腕を組む。キルシュマの顔にはまだ包帯が巻かれており、火傷が時折ジリジリと痛んだ。

 それよりも問題なのはこの三日間、妹がまったく相手にしてくれないことにある。弁明させ受け入れてくれないとなると、もうどうしようもならない。

「ミリアン、待ってくれ! 僕の話を聞いてくれ!」

「…………」

 煌びやかな装飾で囲まれたホワイトグレイル邸――というより城の回廊をミリアンはツカツカと歩いていく。白銀の髪。美しい佇まい。全てがいつも通りなのだが、背中からは拒絶のオーラが。

 しばらく無言を貫くミリアン相手にキルシュマは食い下がったが、彼女が立ち止まった先の部屋を見て諦めざるを得なくなった。

 今は夜、ミリアンが足を止めた先は浴場だった。

 ここでまったく視線を合わせようとしなかったミリアンが振り向いて、ジトっとした目を向けてくる。まるで、ここから先も付いてくる気ですか? と言われているような気がした。

「……わかった。これ以上は張り付いたりしない。ただ一言だけ誤解を解かせてくれ。僕に年下の少女を愛でる趣味はない!」

「……呆れた」

 父親と一緒にするなという気持ちを言外に込めて叩き付けても、ミリアンはその一言だけをもらして扉の奥へと消えてしまった。

 何がまずかったのか。ミリアンが三日間口も聞いてくれないのは、まず間違いなく、以前メアと一緒に出歩いていた件が問題だ。

 あの日、メアと一緒にいたところを襲撃してきた雷の魔法使い。あれは間違いなくミリアンだった。気絶する前とはいえ、至近距離で目を合わせたのだ。妹の顔をキルシュマが見間違えるはずもない。

 あのとき彼女は相当怒っていた。形振り構わず街中で魔法を使うくらいに。いつもの彼女なら間違ってもそんなことはしない。それは『理想の淑女』からはかけ離れているからだ。
 なのに魔法を行使したことが、何よりもミリアンの怒りのほどを物語っていた。それはきっとミリアンが誤解しているからだ。自分の兄がメアのような幼い少女と逢い引きしている変態だと。

「まったく、僕を父さんと一緒にしないでくれ……と言いたいが、あんなところを見られればしょうがないか」

 モノクルを上げて、キルシュマは大きなため息をつく。

「革命軍どころじゃなくなってしまった。……これは相談する余地がありそうだ」

 


 

――それで、なぜあなた如きの相談にメアが乗ってあげなければならないのですか?」

 屋敷から一時間ほど離れた森の中にあるメアと彼女のマスターの家を訪ねたキルシュマは、フリルが満載のかわいらしい寝間着姿のメアに三回燃やされたあと、何とか家へとあげてもらうことができた。

「あなたに相談できるような友達がいないことはわかっています。両親に相談するのは恥ずかしいという、思春期の子供みたいな痛々しい精神性を持っていることもまたわかっています。ですが、どうしてそこでマスターとメアが候補にあがりますか? メアもマスターもあなたの友人でもなければ、都合がいい存在でもないのですが?」

 焦げた部分をあらかじめ持ってきておいた医療箱から傷薬と包帯を取り出して治療しつつ、メアの罵倒が一頻り終わるのを待つ。

「無視。スルー。最低です。いきなり夜にやってきたあなたにこそ非はあるというのに、まるでメアに過失があるといわんばかりの無言の主張。改めていいます。最低です。もう一度いいます。死んでください」

「実は、前回の襲撃犯の正体は妹なんだ」

「わかりました。では、お城を燃やしてきましょう」

「待て」

 愚痴から一転、喜々として家を出て行こうとしたメアを引き留める。ここで彼女を止めねば、家が本気でなくなりそうだった。

「なぜそこで僕の家を燃やすという選択肢に至る? 物騒な」

「ふぅ……これだから年中眠っているような怠け者は困るのです。よく考えてみなさい。前回メアとあなたは革命軍の懐に潜り込むことに成功しました。しかし前回の酒場は謎の襲撃に合い取りつぶされ、実際はまた一からやり直しなわけですか。むしろ犯人と疑われてマイナスです」

 メアは風呂上がりで磨かれた額に小さく青筋を浮かべながら、

「その原因を作った襲撃者の正体があなたの傍迷惑な妹――ここでは汚物Aと仮称しましょうか」

「本名を知っているのに、なぜ仮称が必要となるのかわからないが、ここはぐっと我慢しよう」

「汚物Aはマスターの王道を妨げたことになるのです。これ即ち斬首、絞首、喉潰し、喉燃やしという体罰を与えるにふさわしい罪に該当します」

「全て首に攻撃を結集させているあたり体罰ではなく処刑だと思うが、一応筋は通っているな……本音は?」

「前からマスターを見下すように建っているあなたの家が気に入らなかったのです」

 これでもかというくらい個人的な理由だった。あと、すごい正直者である。

 キルシュマはそんなことだろうと思っていたが、ここまではっきり告げられるとあえて突っ込むのも疲れる。ひとまず猟奇的な含む笑いを浮かべるメアを止めるため、先程から椅子に座ったまま、一言もしゃべらない不思議生物に話しかけた。

「君からも何か言ってやってくれ。あの城を燃やされれば、恐らく森ごとこの家もなくなるぞ」

「…………」

「メア、通訳は?」

「何を一人芝居やっているのですか? マスターでしたらすでに寝間着に着替えて自室にてお休み中です」

「待て。それじゃあ、僕の横に鎮座しているこの殴りたくなるような不思議生物はなんだ?」

「燃やしますよ?」

「すまない、失言だった」

 コホンと咳払いをいれてから、キルシュマは不思議生物をよく観察してみた。

 しまりのない顔。緩んだ口元。細い目。ショッキングなピンクカラー……全てがあの不思議生物と同様だ。しかし、メアのマスターは寝間着に着替えて自室で眠っているという。それが意味することは……理解した。

「そうか。やはりこんな生物いてたまるかと思っていたが、これは着ぐるみだったんだな」

「着ぐるみではありません。マスターの日中用の服です。どこに目がついていれば、そんな簡単なことにも気付くことができないのですか?」

「……すまない。やはり僕には君らのことが未だに理解できないようだ」

 さらに視線を細めて見てみれば、驚いたことに、本当に小さな文字でピンク生物の額に文字が書いてあった。

『日中用(湿度が高い日)』

 キルシュマは想像する。今は眠っているだろう不思議生物を。

 これが着ぐるみで、中には普通の人間が入っていると考えたのだが、たぶん今寝室をのぞき見ても目の前のこれと同じものを見るだけだろう。『寝間着用』のピンクスーツを着た。

 改めてこの主従の異様さに打ちのめされつつも、結果的に今のやり取りでメアの意識は城を燃やすことから移り変わったようだった。

「……そうですね。変態は家族一度に燃やした方が生産的ですしね……」

「聞こえているぞ、そこ」

 城に戻るのが怖いが、そこからはあえて目を背けて、キルシュマはメアが不思議生物(日中用)の隣に置いてあった椅子に腰掛け、ぎゅっと抱き枕を抱きしめるように不思議生物(メアにとっては夜間用)を抱きしめて悦に浸っている様子を見つめた。微笑ましいというより、犯罪の臭いがする光景だ。

「それで、メア。僕はこれからどうすべきだと思う?」

「あくまでもメアの日課であるリラックスタイムを邪魔するつもりのようですね。マスターの睡眠の邪魔をするのも困りますから、仕方がありません、相談に乗って差し上げましょう。……早く、燃やしたいですしね」

 とりあえず今日は城下町に泊まることにしよう。

「さて、汚物Aのことでしたね。解決は簡単です。も――

「燃やせばいいなんて単純なことを、まさかメアがいうはずないだろう?」

――もう夜這いをかければいいんじゃないですか?」

「斬新な切り口で返してきたな。それはいいから、真面目に頼む」

 淀みなく言葉を続けるメアに感嘆しながら、キルシュマは真面目な返答を期待する。

「……口封じ、と言うのはこの上なく真面目な案なのですが。家族の情に流され、マスターの王道に身を捧げられないとは愚かですね」

「全てを捧げている君と一緒にしないで欲しいな」

「わかっているではありませんか。では、メアの返答がこれ以上のものはないということも理解しているでしょう?
 メアの第一希望は汚物Aの滅却、それ以上でもそれ以下でもありません。ですが……もしも第二希望をあげるとするのならば、仕方がありません。適当に誤魔化すか弱みを握るかして脅すとしましょう」

「脅す?」

「あなたの妹なのでしょう? 弱みの一つや二つ、握っていないのですか?」

「いや……逆なら山ほどあるが……弱みや隙なんて見せない奴だからな」

 ミリアン・ホワイトグレイルという少女を指して、世の人々はこう賞賛する。この上ない淑女――『理想の白百合』、と。

 美貌、勉学、武道、何より魔道。あらゆる点に優れ、佇まいも完璧な、兄から見ても非の打ち所がない美少女だ。隙もなければ弱みも見せない。家族という他よりも近しい関係を築くに足る条件を持っていながら、キルシュマはミリアンの弱点を一つも知らない。いや、あるにはあるのだが、そのほとんどは脅しなどには使えない程度のものだ。

「アレを一言で言い表すというのなら、間違いなく『理想の白百合』という言葉がふさわしい。完璧超人。弱みなど一つもないだろう」

「そういう風には見えない、人間としてはなかなかどうしてダメダメな女に見えましたが、外面は完璧ということですかね。近しいからこそ見えないものもあると思いますが」

 キルシュマの意見を真っ向から否定して、メアは不思議生物に頬ずりする。

「ええ、そうですね。わかっています、マスター。家族同士が争うのはマスターが志す王道とはかけ離れていますか。これ以上邪魔をされないためにも、ここはメアが一肌脱ぐとしましょう」

「協力してくれるのか?」

「今回だけです。ほとんど落ち度はないとはいえ、前回あなたにはメアが同行していました。もし前もって彼女の存在に気付けていたのならば、このように夜にたたき起こされることもなかったのですから」

 愛おしげに不思議生物の頬に口づけをしてから、メアはトンと椅子から降りる。

 そして嫌々という顔をしながらも、はっきりと告げた。

「明日から汚物Aの弱みを見つけるため、一日中彼女に張り付きます。メアを怒らせたらどうなるか、精神的に殺し尽くして差し上げます」

 やっぱり、個人的な理由だった。

 


 

       ◇◆◇

 


 

 スニーキングミッションを実行に起こすことにしたわけだが、街へとお忍びに出かけたミリアンに対し、キルシュマは街外れの宿にて潜伏していた。
 
 最低の宿よりはいくらかマシという程度の宿にはカーテンなどないが、日当たりも悪いので日中なのに薄暗い。埃臭いのさえ我慢すれば、まさかこんな場所にホワイトグレイルの姓を持つものが潜んでいるとは誰も思わないだろう。

 そこでキルシュマは一人、先程まで一緒にいたメアの行動を、遠視用の水晶玉を通して見守っていた。

「そろそろ、ミリアンの姿が見える頃だな」

『出来うる限り黙っていください。むしろ息を止めていてください』

「無茶を言うな」

 キルシュマの独り言に対して返ってくるメアの声。薄緑の光を発する高価な水晶玉は、メアが持つ水晶の欠片を媒介に使うことで遠距離の念話を可能としていた。

 メアが一人でミリアンの尾行をしているのは、彼女に言わせてみればキルシュマなど邪魔以外の何者でもないからだった。自分一人の方が効率的に弱みを握れると、聞きようによってはかなり犯罪チックなことを言い切ったメアは、水晶玉だけ用意させると一人で行ってしまった。

 追いかけてもいいのだが、実際長年ミリアンと一緒に暮らしているキルシュマが一定距離に近付けば、彼女に察知される可能性が高いのも事実だ。ここは素直にメアの指示に従っておくべきだと判断し、ことの成り行きを見守っている。

 ただし……すでにキルシュマは、メア一人に任せておくのが不安になっていた。

『むっ? この匂いは最近はやりのミートパイ』

「メア。優先事項を忘れるなよ」

 影から影へと素早く移動しているメアは、耳をピクピク動かしては屋台の料理に目を奪われる。ともすれば匂いに釣られて行列に並んでしまいそうだ。先程から何かがあるたびに彼女は興味を向け、その度にミリアンを見失いかけている。

「ほら、ミリアンが向こうへ行ってしまうぞ。早く追いかけてくれ」

『…………ここにいれば、燃やしてやるものを……』

 ミリアンの呟きを聞いて、心底からキルシュマは自分が一人でいることに感謝した。

『仕方がありません。ミートパイは次の機会にするとしましょう』

「そうしてくれ。何なら、君のマスターと共に行けばいいんじゃないか?」

 怒りの矛先を逸らすためにもキルシュマは冗談を口にした。あの不思議生物と一緒に街に繰り出すのは、猛獣と道化を引き連れて歩くようなものだろう。

『それは妙案です。偶にはいいことを言うではないですか』

 そこだけは罵倒でもいいから全力で否定して欲しかった。

 そんな馬鹿なやり取りもやがて消え、メアが無言でショッピングに勤しむミリアンを追いかける。目立つメアであったが、周りが彼女に気付いている様子はない。本人が豪語するだけのことはあり、見事な気配断ちである。

 しかしミリアンは風を使う魔法使い。その気配察知能力はかなり高い。常人には気付かれていなくとも、彼女に気付かれている可能性はある。気付いているのに気付かないふりくらい、妹なら平気でする。

「僕はメアを応援しているのか、それとも妹の無事を祈っているのか、どっちなんだろうな」

 メアに聞こえないよう蜘蛛による一大パノラマが描かれている天井を見上げながら、キルシュマはそんなことを考えた。

 仲直りをさせる知恵を貸してもらおうと相談したのに、口封じのためにも弱みを握るべきだと押し切られてしまった。妹の弱みを握るためにストーキングをするなど、どこからどう見ても変態の所行であるが、メアのいうことは正しいのだ。ミリアンは結果的にキルシュマの秘めたる野望を知ってしまった。どうにかしないといけない。

「……ミリアンは、この国の行く末をどう考えているのだろうな」

『兄であるのに知らないとは、さすがは謳に聞こえし性犯罪者。愚鈍鈍感といえばキルシュマ・ホワイトグレイルと通じるレベルに至った猛者なだけはあります』

「そんな噂は広まっていない! まったく、君はいちいち僕の言葉にいちゃもんをつけなければ気が済まないのか?」

『メアのあまりに優しい一挙手一投足を見て、もしかしたら気付いていないかも知れないのではっきり言っておきますが、基本的にメアはあなたのことが大嫌いです』

「この上なくわかりやすい態度をしていてくれたからな。知ってたよ」

『知った上で寄ってくるとは……ふぅ、これだからゆとりは』

 何か知らないが、とてつもない罵倒をされた気がするキルシュマだった。

「実際のところだ、兄である僕にもミリアン・ホワイトグレイルという名家の次期当主が何を考えているのか、それはわからない」

 話の流れを戻し、キルシュマは静かな声で妹について話し始めた。

「『理想の白百合』……伊達にそう呼ばれているわけじゃない。前にも言ったと思うが、妹は貴族としては完璧だ。たとえ貴族を嫌っている平民でも、ミリアンを前にすれば憧憬を抱く。それは決して生まれもったものだけじゃない、ミリアンが努力して磨いたものだ」

『良き貴族であるのなら、国の現状を憂いているのではないのですか? この国の腐敗した政権を見て、それでもなお是とするのは、誰が否定してもしきれない大馬鹿者です』

「ミリアンとてそれはわかっているだろう。妹も妹なりに憂いている……と思う」

『自信なさげですね』

「とにかく、彼女は本心を見せない。あの笑顔の向こうにある本当の気持ちを知っているのは、親友であるリオンくらいなものだろう」

『リオン…………そうですか。では、話は簡単ですね』

「え?」

 軽く疑問の声を出すキルシュマが注意深く水晶玉を覗き込んでみれば、いつのまにか水晶玉の中に人の姿はなくなっていた。元々人気のない雑木林の中とはいえ、異常なまでに気配がない。そこまで一直線に歩いていったミリアンが、そのとき振り返る。

『直接本人に訊くとしましょう。マスターの王道の障害となるか否かを』

 それが水晶玉から響く最後の声と映像だった。

 紫電が駆け抜けたと思ったら、次の瞬間プツンと媒体との繋がりが断たれた。
 ミリアンが気付いて破壊したのか、それともメアが破壊したのか。恐らく前者だ。

「我が妹ながら、恐れ入る」

 妹の洞察力に引きつった笑みを浮かべながら、キルシュマは大急ぎで宿を後にした。

 


 

「さて、と。あなたと出会うのはこれで三度目になりますが、私の名前を覚えていただいているでしょうか?」

 振り向き様に雷撃をもって水晶玉を打ち砕いた魔女は、にっこり笑顔を浮かべて話しかけてきた。
 
 なるほど。その笑顔はまったく無垢で、引き裂いてやりたいほど気に入らない。

「ええ、覚えています。その薄汚れた髪と作った仮面の笑顔を見れば、嫌でも覚えてしまいますから」

「仮面? あはは、ミリアンはそんなものはつけていませんよ。実はお化粧も最低限だったりします。あまり濃くするのは好きじゃなくて」

「天然モノのこの顔が綺麗でしょ? と、はっきり言えばいいですのに、わざわざ回りくどい言い方とはご苦労なことですね」

 メアは友好的に懐柔してくるミリアンに対して、小馬鹿にするように鼻で嗤った。

「しかし片腹痛いですね。その程度の中途半端な美貌でいるくらいなら、厚化粧をしてでももう少し個性を持たせてはどうですか? ノーメイクのメアに比べれば、今でも十分厚化粧に見えます」

「まぁ、そんなお人形さんみたいなかわいい顔が天然モノだなんて言い張るとは驚きです。その美貌にその耳……何か神ならぬ手が入っているようにしか思えませんが?」

 皮肉に皮肉をもって返してくるミリアン。メアは再びなるほどと思った。
 あのキルシュマが心の奥底で、自分ではなく彼女こそをホワイトグレイルの次期当主と認識しているのも頷ける話。洞察力が半端ではない。

 しかし……メアからしてみれば所詮五十歩百歩。
 その程度しかわからないようでは自分のいる舞台には到底あがってこられない。

「そろそろ汚物Aの演技に付き合っているのも馬鹿らしくなってきました。直接身体に訊くとしましょう。マスターの王道の障害となるか否か」

 自分という存在を構成する源に働きかけ、無尽蔵の魔力庫からひとすくい魔力をすくい上げる。轟、と音と共にメアの手の中に火の玉が生まれた。

「試してあげましょう、ミリアン・ホワイトグレイル。ああ、安心してください――

 この一時の間にミリアン・ホワイトグレイルの本質を読みとったメアは、彼女の仮面を破壊する一言を、的確に選んで投げかけた。


――――雑魚に対する手加減は十分してあげますから」


 雷光が大気を切り裂く鎌となって襲いかかってくる。

 無詠唱での魔法行使。笑顔のままミリアンが放った一撃は、殺傷性すら十二分にこめられた一撃だった。それを先手必勝とばかりに放ってくるなど、よほど今の一言が頭に来たのだろう。

「決闘の礼儀を自ら破棄するとは、なるほど、穀潰しの兄よりはわかっているではないですか。これが決闘ではなく、一方的な蹂躙であることが」

 メアは薄紅色の髪の周りに火の粉を散らし、軽く唇から吐息を吐き出した。

 呼気。それが向かってきた雷を弾き返し、前方一体を炎に包み込んだ。

「口から炎だなんて、まるでドラゴンのようですね。おチビさん」

 炎の檻を打ち破り、風の弾丸が空へと虚空を蹴って駆け上がる。
 ようやく笑顔を消したミリアン・ホワイトグレイルの目には、確かな怒りの炎が灯っていた。

「偶にはリオンの真似事でもしてみましょうか」

 雷の尾をたなびかせて、ミリアンは駆ける。

 風と雷の属性の同時行使。常識の壁を突破して、空間転移さながらの不条理な疾走で空を一直線に横切る。

 その手を雷の魔手に変えたミリアンが足を止めたのは、メアの背後。一撃でその細首をつかみ取れる位置。

「安心してください――手加減してあげますから!」

 そう言うが早いが、魔手がメアの身体を捉えた。

「なっ!?」
 
 第三者がここにいれば、あるいはそう見えたかも知れなかった。

「手加減、ですか。ではあなたにはこれ以上の力があって然るべきだと、そう判断します」

 ミリアンの手は、メアに触れる薄皮一枚手前で止まっていた。そこに何かがあるわけでもないが、ミリアンの鋭い洞察力が、これ以上不用意に近付けば自分の指が焼け崩れると訴えていた。

「ドラゴンのよう、ですか」

 ゆっくりと振り返ったメアは、その深紅の瞳でミリアンを見る。

 圧倒的な高みから――路傍に咲く『理想の白百合』を、見下ろす。

「否。メアは――あなたの想像の中に住む魔竜を超えている」

 発火。

 メアの体表面に薄く維持されていた高密度の魔力が、ミリアンに向けて解放される。熱の暴力は指向性をもって酸素を奪い、レーザーとなってミリアンを撃ち抜いた。

 攻撃時にメアが展開していた見えざる魔力の層に気付いていたミリアンは、身体を強引にねじることによってこれを間一髪避けきった。代わりに、彼女の背後にあった林が一息で吹き飛ぶ。その背後に設置されていた結界もまた、微塵も耐えられずに砕け散った。

 あとに残ったのは、溶けた地面と陽炎に揺れる大気。
 一歩も動くことなく立つメアと、腰を抜かして座り込むミリアンという構図だった。

「なに、あなた……?」

 唇を震わせながら、ミリアンが問い掛けてきた。情けない。軽く本気を出したとはいえ、この程度で戦意喪失か。

「所詮はこの程度ということですか。堕落に耽った貴族の末……この程度ではマスターの障害にはなり得ません」

「答えて! あんたは何!?」

 楚々とした姿はどこへやったのか、ミリアンは大声を上げて再度問い掛けを放った。

 これにはメアは失望を隠さず手のひらを向ける。そこに収束する炎は、先の一撃の二倍強。メアが彼女の格を認めて放てる、最大限の手向けの一撃だった。

「障害でもない以上、あなたはマスターにとってただの害悪。いるだけ目障りな汚物です」

 灼熱の如き色の瞳が放つのは絶対零度の哀れみ。
 眼前で燃えさかる拳大の炎が、悲鳴か台詞かをもらしたミリアンから声を奪う。

「さようなら。弱き魔女」

 慈愛が炎という形をとって牙を剥く。

 そこで――ミリアンを守るように、人影が飛び出してきた。

「ミリアン!」

 大きく手を広げて、立ち塞がったのはモノクルをかけた白銀の髪の少年。その顔にはやってしまったという表情が。

「……まったく。理知的なのか感情的なのか、よくわからない男ですね」

 炎に飲まれて消えた男の顔を見て、メアは苦笑を残して数歩下がった。
 
 代わりに、堂々とした足取りで進み出てくるのは至高の存在。どの角度から見ても比類なき輝きを持った御姿には、貧血のときのような目眩に襲われる。

「マスター。ご覧の通りの結果になりました。あとはお任せ致します」

『モモッ!』

 威勢よく響いた甘美な声に打ち震えながら、炎が風によって消え去った中を見る。

 そこには――

「あ、ありがと……お、兄さ……ま…………!?」

「ん? ………………………………………………って、なぜに裸!?」

 ――――露出狂がいました。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 尻餅づいたまま、ミリアンが口を押さえてわなわなと震える。

 その白い顔は首筋からどんどんと真っ赤になっていき、やがて耳まで真っ赤になったが、そのときになってもまだキルシュマは自分の身体を隠すことができなかった。

 水晶玉を破壊されたために急いで向かったこの場所で、案の定メアとミリアンが戦っていた。予想外だったのが、一方的にミリアンが押されていたことだ。しかもメアは容赦なくとどめの一撃を放とうとして、気が付けばミリアンを庇って立ち塞がっていた。

 魔法の防壁を出した方が役に立ったことを後悔しながら炎に包まれて――ああ、死んだな、と思ったわけだが結果的に生き残った。ある意味では死んだわけだが、一応身体は残っている。

 代わりに、全ての衣服が焼け崩れた。

「な――にっ、見せてくれるのよ、この変態ぃいいいいいいいいいいいいいいッ!!」

「dふぁいぇうlfう゛ぁkえい――!?」

 そのとき受けた痛みのほどは、きっと一生を費やしても説明できないだろう。

 いつもだらしないピンク色不思議生物が、身をよじって悶えている。どうやら彼には男の痛みというものが共感できるらしい。

「い、いや、いやぁ! ぐにょって、ぐにょおぉおお……!?」

「み、ミリアン、お、落ち着け……!」

「近付くな! それ以上近付いたら潰すから! 全力で、完膚無きまでに潰すから!!」

 自分の手を振り回して泣きべそをかいているミリアンに対し手を伸ばしたキルシュマは、その一言と至って真剣な妹の瞳の前にすごすごと身を引く。男としての尊厳を失いたくはない。

『モモモ、モッ』

「すまない。恩に着る」

 裸を何とか手で隠すキルシュマに同情したのか、不思議生物が風呂敷を取り出して手渡してくれた。それを腰に三重に巻くことで何とか下半身を隠したキルシュマに、ようやくミリアンの混乱も収まる。

「………………ぷっ……」

 一人何やらメアが笑っていたが、そこは気にしないことにしておく。

「まったく、酷い目にあった。一体何がどうなってこんな事態になっているんだ?」

「メアは悪くありません。あなたの妹がいきなり襲いかかってきたのです。メアは正当防衛に打って出ただけです」

「どう見てもやりすぎだ。正当防衛の域を超えている。いくらミリアンとはいえ我慢することを知――

 キルシュマの視界を雷撃が横切る。それはメアめがけて放たれたミリアンからの攻撃だった。

「ちっ」

 盛大に舌打ちする妹の姿に、キルシュマは弁護する気を失う。今更だが、ミリアンならそれくらいのことをしてのけそうである。

「当たれ! 当たりなさいよ!」

 白銀の髪を逆立てて、次々に雷撃をメア目がけて放つミリアン。そのことごとくがメアの身体に触れることなく霧散する。メアが鬱陶しげに手を振ると、それがレーザーとなりミリアンがいる場所を焼き払った。そのときにはすでに空へと逃げていたミリアンは、今度は落雷のような雷の槍を投擲していた。

「あんたみたいな生意気な子供は、今ここで然るべきしつけを受けておくべきよ!」

「子供はどちらですか。自分の思うとおりにならないからといって癇癪を起こすとは」

「うっさい!」

「狂犬の如くうるさいのはそちらの方です」

 キルシュマと不思議生物が隣り合って呆然とする前で戦う二人。
 雷撃と炎が旋風を巻き起こし、結界も壊された都の一角は破壊の憂き目にあっていた。

 このままではそう遠くない内に王国騎士団が駆けつけることだろう。そうなって困るのはキルシュマではない。自分以外の三人だ。

「仕方がない。悪いがメアの方を大人しくさせてくれないか。そうすれば、妹の方は責任をもって僕が大人しくさせよう」

『モ』

 軽く頷くと不思議生物は一歩前へと出て、

『モ、モモモモッ!』

「イエス、マイマスター。仰せのままに」

 少し強気に声を発した途端、メアが攻撃を止めてこちらを振り向いた。ものすごい勢いで大人しくなると、

「隙あり!」

 空気読まない渾身の一撃を思い切り喰らっていた。

 痛烈な衝撃にもビクともしないメアだったが、いきなりの攻撃に目を白黒させていた。ツインに結ばれた髪が雷撃を浴びてぴょんぴょんと跳ね上がる。

「ぃよしっ!」

 反則の攻撃にガッツポーズを決める少女が一人。

「おいコラ待ちなさい」

 さらに魔法を続けようとする破壊魔に、キルシュマは溜息を吐きつつ呼び止めた。

「止めろ、ミリアン。そろそろ人が集まってくるぞ。地がこれ以上ばれたくなければ大人しくしろ」

 キルシュマの一言は絶大な効果を持っていた。
 ミリアンは地面に着地し、ポンポンと服についていた汚れをはたいて、

「おほほほほっ、何をおっしゃいますか。お兄様。ミリアンはこれが地ですよ?」

「とてつもなく苦しいいい訳ですね」

「うるさい。黙れ。チビ」

「……マスター。御許可を。この物わかりの悪い女を燃やすことは世界のため人のため、ひいてはマスターの御ためです」

 笑顔と無表情の二人の間に飛び散る火花。ここまで相性が悪いとむしろ清々しさすら湧く。

 不思議生物はメアに許可を出すことはなく、それが主の意志である以上彼女も動かなかった。一方のミリアンも常の空気を読めない――否、空気を読まない我が儘を発揮することなく笑顔。ここまで騒ぎを大きくしてしまったことに警戒を強めているのだろう。

 新しい結界くらいすぐにでも張れるものだが、ミリアンはキルシュマの隣へ移動してメアから不思議生物へと、ここでようやく視線を向けた。

「そちらの見た目も内面も底辺に位置する最低変態ゴミ野郎はお兄様のお友達ですか?」

「笑顔なだけで、中身は完全に地が出てるな。今回ばかりは無理もない気がするが」

 以前下着を盗まれたことがあるミリアンとしては、いかに気を落ち着けても言葉遣いまでは取り繕えないのだろう。不思議生物を見る視線には、メアに向けるものとは違う嫌悪がありありと浮かんでいる。

 この発言にはさらにメアが目を吊り上げるが、横に立った不思議生物に抑えられて声一つあげない。彼女の内面を思えば、大した我慢のほどだ。

 さて――ここで何となく、両者の間にボーダーラインが引かれてしまった。
 
 不思議生物の側と自分たちの側。それが何だということもあるが、やはり人情的に自分はミリアンの側にいるらしい。

「…………お兄様はやっぱり変態……弱みがまた一つ増えたわ。ふふっ」

 輝くような笑顔で毒を吐かれても、やはりたった一人の兄妹であるから。……本当に、自分の周りはこんな女ばかりか。

 ミリアン・ホワイトグレイル。

『理想の白百合』と讃えられた淑女であるところの彼女は、実のところ猫を二枚も三枚もかぶった薔薇である。
 見た目の優雅な姿で自らの棘を隠し信者を集め、そして気に入らない相手には容赦なく毒を撒き散らす。弱みを握って口封じが不可能な以上、父親にすら本性を見せないという筋金入りの腹黒である。

『モモモッ』

 そんなミリアンの本性を見抜いた上で堂々と向かってきたのは不思議生物だった。しまりのない顔を心なしか引き締め、彼はミリアンに向き直る。

「あら? もしかして盗んだものを返していただけるのですか?」

『モモ、モ、モモッ!』

「…………お兄様、これは喧嘩を売られていると解釈しても構わないですよね? 『理想の白百合』的にも消し炭にして海に捨てても何の問題もないですよね?」

「いや、環境的に問題がありそうだ。それに一応は真剣な言葉を言った……のだと思う。実際そうだったかどうかはメアが答えてくれるさ」

 キルシュマから目配せを受けて、メアが忌々しそうに見返したあと、責務として不思議生物の通訳を紡いだ。

「汚ぶ……ミリアン・ホワイトグレイル。マスターはあなたにこうおっしゃられています。――気に入った。我が臣下に加えたいが故、条件を言え、と」

「はぁ? どうして世界に名高い超絶美少女のあたしが、変態の臣下にならないといけないのよ」

「待て。僕のときは条件も何もなかったのに、なぜミリアンの場合は条件を聞くんだ?」

 演技が崩れるほど呆れかえるミリアンと、自分の扱いの悪さにキルシュマが同時に異議を申し立てる。

「ふぅ……キルシュマ・ホワイトグレイル。いい加減話が進まないので、少し引っ込んでいてくれませんか?」

 そう前置きした上で、メアは不思議生物の斜め後ろからミリアンを睨む。

「個人的にあなたのような道化は好きになれませんが、どうやらあなたの道化芝居をマスターは高く買っているようです。身に余る光栄に歓喜し、歓呼し、跪いてマスターの足を舐めなさい」

「理解しました。つまり、その不思議生物をぶっ殺せばいいんですね?」

 にこぉと笑いながら、上へ向けた手のひらの上に雷気を呼び集めるミリアン。正直、今のは怒ってもしょうがないとキルシュマも思った。

「いいでしょう。言ってわからないのなら叩きのめして差し上げます。……いい加減、ストレスで、おかしくなりそうですし」

『モッ』

 不思議生物の方も、それが卿の条件かといわんばかりに承諾した。

「お兄様」

 ミリアンから投げ渡されたものをキルシュマは受け取る。それは見るからに高そうな紫水晶がはめこまれたブローチの形をした、魔法の効力をあげる触媒だった。

「それを使ってできうる限り強力な結界を作って。大至急」

「……仕方がない。了解した」

 もう止められないと悟ったキルシュマは触媒を手に周囲を一周し、決闘場と化した場所を外界からくくった。これでこの一帯に誰かが侵入してくることはないだろう。

 どれだけの戦いが起きても無害な民が傷つくことはなく――


「その醜いピンクの着ぐるみを剥がして、中の醜男を引きずりだしてあげるわ!」


 ――ミリアン・ホワイトグレイルが全力を出す枷はなくなった!

 全身に雷光を纏ったミリアンは、首にぶらさげたプラチナとダイヤのペンダントから長短、二本の杖を取り出した。彼女の胸元のそれは『箱の底』と呼ばれるホワイトグレイル家に伝わる『始祖姫』の秘宝の一つだ。

 中は空間に干渉するメロディアの魔法がかけられており、理論こそわかっていないが、無限の空間が広がっているという。そこにはガラクタから秘宝まで、ホワイトグレイルの財で溢れかえっている。代々最も高い魔力を持つ者に受け継がれ、守られてきた財宝庫である。

「金持ちなめるな、一般庶民。ホワイトグレイル家の名の意味を教えてあげるわ!」

 そう、ホワイトグレイル家の真の力とは、その身に受け継ぐ血ではない。千年続く権威と世界一の個人資産に他ならない。

起動

 長杖の先を不思議生物目がけてミリアンは突き出す。するとその縦横にそれぞれ五つずつ魔法の杖が出現し、先に破壊の光を灯らせた。さらに腰ダメに構えた短杖を軽く振ることで、ミリアンを中心に魔法陣と共に雷の磁場が発生する。弾丸のブーストだ。

「ファイア!」

 まだメアが避難していないのにも関わらず、むしろ積極的にミリアンは砲撃を放った。

 都合二十の十字の形をした破壊の光が一直線に駆け抜け、不思議生物へと迫る。

 果たして彼はどのような戦い様を見せるのか――注目するキルシュマの前で、不思議生物が跳ねた。

 ぽにょーんという擬音が聞こえてきそうな弾み具合で空高く跳び上がった不思議生物は、そのままお餅みたいなボディを回転させてミリアン目がけて落ちてきた。
 その見た目の異様さ以上に威力の高そうな攻撃であっても、避けることは腹立たしく思えるのか、ミリアンは杖の照準を空へと変えて再度光のクロスを放った。

『モモ!?』

「まだまだぁ!」

 今度こそ命中した光に吹き飛ばされる不思議生物が地面に墜落しても、ミリアンは攻撃の手を休めない。メアが避難する中、『箱の底』から、刀身から柄まで全てガラスでできた曲刀を取り出し、起動の言葉と共に投擲した。

ダンスパートナーを切り刻め

 魔法がかけられた曲刀は魔力を注がれたことで、一人でに回転してその体格故に起きあがれない不思議生物の周りをぐるぐる回る。その度に不思議生物の身体が切り刻まれ、血でも肉でも綿でもない繊維が飛び散った。

 そのときには、ミリアンの最大の一手はすでに構築されていた。

「おいおい、ミリアン。正気か?」

 ミリアンが無数取り出した触媒の山を見て、キルシュマは頬を引きつらせた。
 この中でただ一人、キルシュマだけがミリアンが放とうとする攻撃の威力を知っていた。

鏡よ鏡 教えておくれ この世で最も美しい者は誰

 悠然と一歩も最初の場所から動くことなく、ミリアンは詠唱を重ねる。
 凛とした響きは曲刀を無数のガラス片と変える。陽光を反射させつつ不思議生物を中心に舞い散る様は、まるで雪が降っているかのようだった。

ミリアン・ホワイトグレイルが招く

 その無秩序に舞い散っているかのようなガラス片が、自らの望む形を整えたのを見定めて、ミリアンは最後の詠唱に入った。長短両方の杖の先に収束する雷気。杖の直線上には風の操作で磁差ができあがっている。

雷と風の魔女が招く

 雷と風の二重属性。それがミリアンにのみもたらされた奇跡の様な力。

 世界の法則の合間を縫うような奇跡の欠片は、物理・現象、どちらの防御でも意味をなさない『必殺』の攻撃である。これではどれだけ不思議生物が異様でも、死は確定したも同じだ。

 それほどまでにミリアンは彼に怒っていたのか。

「僕は……」

 キルシュマは不思議生物に期待を向けている。彼ならば、と。だからこの攻撃は止めるべきなのかも知れないし、感情は止めろと訴えていた。だが、キルシュマは動かない。自分の理性的な部分が醒めた目線で状況を見ていろと訴えていた。

 此処で敗北するならば――所詮はその程度ということだ。

 期待と敬服は違う。期待は結果をきちんと示してもらわなければいけないのだから。


罰する雷よ 我が敵を射殺せ


 ついに放たれた極大の光。無数の触媒によって何倍にも高められた儀式魔法は、ようやく起きあがった不思議生物を飲み込んだ。

 さらにそれだけでは飽き足らない。放たれた[雷神の疾風ジーン]は隊を組んだ敵をも殲滅する魔法。飛び散った曲刀の欠片に光が触れた瞬間、光は反射して軌道を変えた。細い光と変わった破壊光はドーム型に包み込まれた鏡の中で乱反射し、やがて空間全てを包み込む破壊そのものに変わった。

 やがて曲刀が耐えきれずに霧散したとき、矛盾の光は世界の強制力に負けて消え失せる。

 時間にしてみれば十秒たらずの出来事。だが、その間に刻まれた破壊の傷跡は相当なもの。不思議生物を中心に数十メートルに渡ってぽっかりとクレーターができあがっていた。

「ふぅ、すっきりした。これで全ての問題が解決ね」

 爽やかに笑うミリアンの目は、クレーターの中心に横たわる、黒こげた不思議生物を見ていた。もはや原型も止めていない。

 彼は、死んだか。

 キルシュマの心を過ぎ去る風はあまりにも冷たかった。一方的な蹂躙は、やはり小さな魔女の名を欲しいがままにしただけで終わった。期待を抱いた不条理の塊は、千年の力の前にもろく崩れ去った。

 けれど……未だに期待している自分がいるのも、また事実。キルシュマにそうさせる理由は、避難した先からまったく動かないメアの静かな横顔が――信頼の眼差しがあったから。


――おめでとうございます。これでまた一つ、マスターを縛る枷が外れました」


 黒こげた灰の中で蠢く影があった。

「まさか? 嘘! 今のを、耐えきったって言うの……?」

 ミリアンが呆然と呟く。

 その呟きを合図としたように、むくりと起きあがった巨大な炭の塊。その塊の中より、今小さな魔女の一撃をも耐えきったモノが現れる。

「は、ははっ!」

 期待が確信に変わる。誰よりもミリアンの力を知っていたからこそ歓喜は凄まじいものになった。炭より溢れ出る輝きの正体に自然と口元に笑みが浮かび上がる。

 力強い丸太のような腕。大地を強く蹴り返す安定感のある足。見る者全ての視線を釘付けにして止まない――






「モモモッ!!」






 ――変態が、いやがりました。

「二重構造!?」

 思い切りこけたキルシュマの目の前に殻を切り裂いて現れたのは、ピンク色のずんぐりむっくりとした不思議生物だった。心なしか前よりも縮み、声もちょっと身近に聞こえるが、それ以外はまったく変わらないショッキングピンクである。

「モモ、モ、モモ!」

 キランと新品同然の身体を輝かせながら、不思議生物は駆ける。その速度は先程よりも速い。

「え? ちょ、まっ――――それは卑怯じゃない!?」

 一直線に自分に向かってくる不思議生物を前にして何とか防御しようとするミリアンだったが、不思議生物が爆誕した姿を見て手から杖を取りこぼしている。さらに動揺は強く、すぐに反応することはできなかった。

 ある意味ミリアン以上の反則攻撃。

「モ――――――――――ッ!」

 結果は…………語るまでもなかった。


 

 

      ◇◆◇

 


 

 メアは必要と判断し、夜、家を離れて同じ敷地内にある建物へとやってきていた。

 見事な気配遮断能力で闇に紛れ込み、見張りの兵にも気付かれることなく容易く内部へと侵入した。まったくもって度し難いほど簡単な警備である。

「メアが暗殺者だったらその首が切られているところですね」

「いきなり現れて何ですか?」

 アンティークの家具で彩られた部屋。そこのベッドに腰掛けていたネグリジェ姿のミリアンは、窓から侵入してきたメアに対してにっこり微笑みかけた。いつもの猫かぶりの笑顔で。

「というか、なんであんたがそこにいるのよ? 鬱陶しいから帰ってくれない。生憎とお兄様ならいないわよ?」

「人を勝手に穀潰し目当てにしないでください。メアが用のあったのはあなたです、ミリアン・ホワイトグレイル」

 すぐに猫をかなぐり捨てたミリアンのガン飛ばしなどどこ吹く風で、メアは本題に入った。ミリアンを前にして、世話話に興じるつもりなどない。

「メアは再確認に参じたのです。先日、あなたはマスターの華麗なる一撃に敗北したわけですが、これより穀潰しの兄と一緒にマスターに仕えますか?」

 返答は相も変わらず雷撃で返ってきた。

「ふぅ、これがあなたの返答ですか?」

「当然よ。なんであたしがあんな変態に仕えないといけないのよ。ま、お兄様が個人的にやる分ならどうでもいいけど」

「どうでもいい、ですか」

「何か文句でもあるの?」

 クスリと思わず笑ってしまったメアに、ミリアンが目を尖らせる。手には発散しきれなかった雷気が静電気を散らしているが、これ以上攻撃してくる気はないようだった。どれだけやっても無駄だと、ようやく気付いたのかも知れない。見るからに無駄な努力とか嫌いなタイプだ。

 メアの瞳にサディストの光が宿る。

「いえ、どうして『理想の白百合』ともあろう者が、メアのような善良な市民に対して地を出したのだと思いましてね」

「あんた、善良という意味を百回ほど辞書を引いて調べた方がいいわよ。そのあと自分の発言に赤面したあと、ぬいぐるみの尻尾に額を打ち付けて死になさい」

「それはマスターに対する求愛行動と取りますが構いませんね?」

「とるな!」

 ゼーゼーと息を荒くするミリアン。どうやらマスターのことを考えて興奮しているらしい。こればかりはしょうがない。当然の生理現象である。

「そういえば、以前穀潰しが言っていましたが、あなたはこの国の未来についてどう考えているのですか?」

「また、いきなり問題が変わるわね。しかも真面目な方向に」

「答えなさい。これは重要な問題です。もっとも、メアはあなたがどのように考えているか察することができますが」

「へぇ、答えてみなさいよ。誰にも、それこそお兄様にだって言ったことのないアタシの心の内がわかるならね」


――あなた、家族が大好きでしょう?」


 わかるはずないと高をくくった女に対し、淡々とメアは突きつけた。それは有無をいわさぬほどの図星で、ミリアンは愕然と押し黙る。

「やはり。おかしな話と思ったんです。穀潰しから聞いたあなたの印象からいえば、実力行使ではなく丸め込もうとしてくるはずですから。それなのにメアのことを排除しようとした……ふぅ、本当にあの穀潰しは鈍いですね。あなたが機嫌を損ねていたのは穀潰しのマニアックな趣味ではなく、その思想の方なのでしょう?」

「…………」

「黙りですか。まぁ、構いませんが。どちらにしろ、これではっきりしたわけです。あなたが革命でも秩序でもなく、現状維持を望んでいることは」

「好き放題言ってくれるじゃない」

 ミリアンが立ち上がり、目を冷たく尖らせた。戦っていたときに瞳の奥にあった暗い炎が、今は前面に出て燃えさかっている。マスターが一目見て気に入った炎だ。

「どちらが誘ったかなんて関係ない。ただ、あなたたち邪魔なのよ。お兄様は優柔不断で穀潰しのままだったらいいのに、世俗なんて気にせず研究ばっかりしてればいいのに、それなのに――!」

「革命に誘った、ですか? それこそ責められるのはお角違いというもの。メアたちが何もせずとも、結局あれはそこへと結論が至っていたことでしょう」

 あくまでも淡々と口にする度に、ミリアンの憤怒が広がっていく。

「ふざけないで! それがどういう意味か、あなたたちはわかってるの? お兄様が革命に参加して、その先に誰が立ち塞がるか、知ってて言ってるの?」

 もちろんメアは知っていた。けれど頷くことはせず、ミリアンの怒りの爆発を待った。


「お兄様が革命の道を進もうとするなら――その先に立ち塞がるのはお父様よ。親子で殺し合うなんて、そんなのごめんだわ!」


 なるほど。家族が大事なら、キルシュマの道を認められないのも頷けるというものだ。

 親子同士での殺し合い。それがキルシュマにあった改革の意志を封じ込めていたもの。キルシュマがマスターとの出会いで決意したのは、マスターのあまりに雄大な姿を見て、そうなる以外の道があるかも知れないと吹っ切ったからだろう。

「マスターは親子による殺し合いなど望んではいません。マスターの覇道は王道。あなたが言っているのは常道です。真の『革命』がどういったものか、あなたはまったく理解していません」

「理解なんてしたくない。あたしは、ええ、あんたのいうとおり家族が大好き。あたしの我が儘を許容してくれるお父様と地を知っても邪険にしないお兄様……この上なくあたしにとって都合がいい。我が儘が許される居場所……それを家族というのだから」

「子供、ですね」

「うっさい。アンタにだけは言われたくありません。おチビさん」

 むかつく。メアはにっこり笑顔に戻ったミリアンを見て、心の底からそう思った。

「ミリアン、少し話が……と、なんだメア? どうして君がここにいるんだ?」

 そう思うのと同時に扉が開いて、穀潰しが現れた。途端、ミリアンの態度が地に戻る。この切り返しの早さは素直に感嘆してしまう。

「メア?」

「何度も呼ばなくても聞こえています。もう帰りますので、メアのことは気にしないで禁断の関係を続けてください」

「ちょっと待って」

 仕事は終わったので帰ろうとするメアを、ミリアンが呼び止めた。

「そうだ、ミリアン。これはきちんと訂正すべきところだ。言ってやれ」

「お兄様も黙ってて。いちいち反応するからつけあがるのよ。こういう奴は無視するに限るわ」

 兄を一刀両断してから、ミリアンはバルコニーへと近付いてきた。そのまま何とも意地が悪そうな、彼女らしい笑顔で、


「穀潰しは穀潰しらしくさせるつもりだから、あんまりお兄様を誑かさないで。じゃないと、あんたたちの家にでかいの一発撃ち込むわよ?」


 それは、彼女なりの宣誓布告だった。

 おもしろい。

 メアは自分の帰りを待ってくれているだろうマイマスターの代わりに、笑って答えた。

「それでこそ王道の障害。踏み越えるに値する魔女だ」

 宣誓布告をし、メアは行きとは別に炎のように激しい光の流星となって駆け去った。

 まだ来るべき日までは時間があるが、そこまで遠いことはない。
 それまでマスターが退屈せず、強くなってくれることがメアの喜び。唯一無二のマイマスターのために尽くす、それが欲望。

 革命万歳――さぁ、障害をことごとく踏みつぶし、王道を征こう。









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