〈中編〉  佐倉純太VS宮田実篤 〜続く前夜祭〜




『 生徒会長への報告:生徒会室に耳あり。よって詳細はメールで通達するものとする。また、これらの情報は誰にももらさないことを徹底すべし。繰り返す。これは誰にも見せてはいけない 』






 明後日の準備が学校中で慌ただしく進められて行く中、二つの組織が時同じくして行動を始めた。

 片や、生徒会室にて佐倉純太を司令塔と仰ぎ、彼の手と足となって働く生徒会メンバー+部費アップに釣られた臨時風紀委員たち。

 片や、秘密の一室にて超ナチュラルに騒動と愛を贈っちゃうゾな宮田実篤を司令塔と仰ぎ、彼の手と足となって働く観鞘学園体育祭&学園祭『裏』実行委員のメンバーたち。

 今はまだ祭りの準備時間。誰にも気付かれてはいけないと、それぞれ極々普通の一般生徒として偽ることを暗黙の了解として、行動に移る。

 楽しいお祭り騒ぎを始めるために。
 大変すぎる馬鹿騒ぎを防ぐために。






『 生徒会長への報告:ターゲットが行動を開始した。生徒会室に移動の後、自分が指揮を執り、生徒会役員には現場の指揮を担当してもらうこととする。また、生徒会長には一番重要な役割を担ってもらいたいです 』






『体育館南にて、敵対組織のメンバーと思われる生徒を捕捉しました!』

「了解。ただちに拘束してください。アメフト部は協力に回ってもらえますか」

『『サー・イエッサー』』

 マイクに向かって指示を伝えたあと、生徒会室に運び込んだ通信機器のスイッチを切った純太は、苦笑いを浮かべる。

「いくら俺が軍人のコスプレをしてるからって、なんてノリがいいんだ先輩たちは」

 カーテンを閉じて人工灯の灯りだけに照らされる生徒会室には、現在純太一人。他の面々は全て実篤の協力者である生徒たちの捕獲に回っている。一体何人いるのかはわからないが、全員を抑えればいくら実篤でも敗北を認めざるを得ないだろう。

 生徒会長がいつもは使っている、パイプ椅子より少し高級な椅子の背にもたれかかり、純太は次の通信を待つ。『確保完了』の通信は、そのすぐあとに来た。

「さて、実篤はどう出る? 大筋に影響はないとはいえ、仮にも仲間がたくさん捕獲されるのは良い気分じゃないだろ?」

 以前は壁に耳があった生徒会室だが、今は完全に取り除かれている。口に出して実篤の行動を予測してみたところでなんの問題もない。

「あいつがこのまま買収された先輩たちに捕まるとは思えない。このままメンバー狩りを甘んじているとも……そろそろ何か仕掛けてくるな」

『佐倉軍曹! 報告します! ラ、ラグビー部が敵対組織に寝返りました!』

「やっぱり来たか」

 椅子から飛び降りて、純太はマイクを掴んで口を近づける。

「どういうことです? どうしてラグビーは寝返ったんですか?」

『わからない。くそっ、あいつら。いつも場所取りとかで邪魔な奴らだけど、ボールにかける夢だけは同じだと思ってたのに! スポーツマンシップはどこに行ったんだ!』

「いや、アメフトとかラグビーは、結構スポーツマンシップとかのない、かなり肉体言語が発達しているスポーツだったはずなんですけど」

『ちくしょうっ! こうなったら、せめて俺らの手で引導を渡してやる! SET HUT!』

 アメリカンフットボール部三年でキャプテンであり、チーム司令塔の『クォーターバック』である太田先輩が、野太くもよく響く声をあげる。それに合わせ、彼を含む臨時風紀委員であるアメフト部の面々がラグビー部に突っ込んでいく。

 今回協力を願い出た部活動の中でも、指折りのパワーを持つアメフト部だ。相手もまた強敵ラグビー部であるが、決して力負けはしない。あとは根性と言ってもいいだろう。

 果たして、競技こそ違うが、同じ格闘球技同士の激突の結果は……

『ば、馬鹿な!? 俺たちが押し負けるなんて。正義は俺たちにあるというのに……!』

『正義など、俺たちの団結力の前では意味がないんだよ。太田』

 太田のマイクを通して、ラグビー部主将の郷田の声が聞こえてくる。何か大事なものを悟った、重く深い声が。

『団結力なら、俺たちだって!』

『甘い。甘いぞ! 我らが大佐のもたらしてくれた、この団結力に勝てるものか!』

『ぐはっ!』

 何やら聞こえる打撃音と、肉体同士が激しくぶつかり合う音。マイク越しでも泥臭さや汗臭さが届いてきそうな音を聞いて、純太は自分が体育館付近にいなくて良かったと思う。

『お、俺たちが負けるだって? 俺たちは学園祭のため、部活のため、夢のためにがんばってるっていうのに! そんな俺たちが、負けるなんて……!』

『夢ばっかり追ってるからそうなるんだよ。いいさ、教えてやる。俺たちの団結力を強くするために、大佐がくれた秘蔵のアイテムをなぁ!』

『そ、それは……まさか!』

 コポポポポ。と、純太は生徒会室に用意されてあったポットから急須へとお湯を注ぎ、湯飲みと共に生徒会長の机へと持ってくる。言い争いが大乱闘の音と共に聞こえていた向こう側では、何やらクライマックスに突入しているらしかった。

 純太はほどよく色の出た緑茶を、持ち込んだマイ湯飲みへと入れつつマイクに口を近づける。

「アメフト部、応答願う。アメフト部、状況をただちに説明せよ」

『ぐ、軍曹……す、すまん! 俺たち、俺たちも……!』

「裏切るんですか、太田先輩。アメフト部のために、高校生活最後の体育祭と学園祭のために協力するって約束は、嘘だったんですか?」

『嘘じゃない! 嘘なんかじゃないんだ! だけど、それでも俺は、俺たちは――修羅の道を行く!』

「……わかりました。それでは自分も、あなた方を容赦なく殲滅します。もうすでに、こちらも修羅の道に堕ちてるんですよ」

『ああ、ありがとうよ。次に会ったら、お前にタッチダウンだ!』

 いや、意味が全然わからない――何やら感動している太田先輩に対し、純太は最後の良心でツッコむのを止めた。一応アレでも、二年も先輩なわけだし。

(しかし、これはアメフト部が全員寝返ったと思っていいな。ラグビー部といい、一体どうして……?)

 緑茶のお供として栗羊羹を切り分けつつ、純太はしばし黙考に入る。

 栗羊羹が三切れ入ったお皿を持って再び椅子に腰掛ける。
 何やら実篤が行動を開始したのはもはや疑うまでもないが、一体何をもって、一応はスポーツマンである太田先輩や郷田先輩たちを裏切らせたのかがわからない。

 それを純太が理解できたのは、気持ちを落ち着かせるために緑茶を一口飲んだときだった。

『……軍曹。聞こえますか、軍曹』

「その声、確かアメフト部二年でエースランニングバックの佐々岡先輩ですか?」

「そうだよ。僕はアメフト部の佐々岡だ」

 突如響いてきた声に、純太はマイクへと耳を近付ける。

「アメフト部は全員裏切ったと思ったんですが、佐々岡先輩は……」

『裏切ってない。裏切る必要がないからね。でも、キャプテンたちはダメだ。完璧に寝返ってる。寝返らなかったのは僕を含めて三人だけど、僕以外のメンバーはすでにキャプテンたちによって気絶中。僕は鍛えたカットで何とか逃げられたけどね』

「それは、ありがとう、というべきなんですよね。こちら側に残ってくれて助かります。状況の報告をお願いしてもいいですか?」

『そんな丁寧語じゃなくていいよ。仮にも司令塔なんだから、はっきりとしてもらわないと困る』

 アメフト部の全員が全員裏切ったわけじゃないらしい。残ってくれた佐々岡先輩は、エースランニングバックというポジションと整った容姿、そして若者には珍しいがっつかない爽やかさが人気の先輩である。人望もあって、どうやらいい人そうだ。

 未だマイクの向こうからはアメフト部とラグビー部の野太いかけ声が聞こえてくる。先輩は物陰に隠れているようで、状況説明は小声で行われた。

『まず、一番気になっているだろうキャプテンたちが裏切った理由から説明するよ。
 これはラグビー部が寝返ったのと同じ理由なんだろうね。ラグビー部が持っていたとある品を配られた結果、キャプテンたちは寝返ったんだ』

「ある品? まさか、お金じゃあ……」

『いや、キャプテンたちもスポーツマンだからね。お金をもらったとしても、一度仲間になった相手を裏切ったりしないよ』

「それじゃあ、一体敵は何を用意していたんですか?」

『それはね――

 ゴクリ。と、声をさらに潜める佐々岡先輩に、純太は息を呑む。

――海外の無修正発禁本だよ』

「…………え? なんですって?」

『だから、つまりはエロ本だよ。しかもすごい男心をくすぐる奴。キャプテンたちもスポーツマンである前に男だからね、誘惑に耐えきれなかったようだ。
 裏切らなかった二人は部で珍しい彼女持ちなんだ。『何裏切ってんですか?』ってキャプテンたちに言った瞬間、『うるせぇ! 裏切り者はテメェだ!』ってボコボコにされた。まったく、そんなだからキャプテンたちは彼女ができないんだ。試合中の凛々しい姿のままならもてるだろうに』

 仕方がないなぁと、爽やかすぎる微笑みをマイクの向こうで佐々岡先輩が見せていることが純太にはわかったが、同意などはできなかった。

 恐らくただのエロ本じゃないのだろうが、まさかエロ本で部費増量のチャンスを手放すとは。
 同情すべきは部活一筋に生きてきた先輩たちの苦悩であり、恐れるべきは先輩たちの苦悩を知り、容赦なく利用する作戦を用いた実篤か。

『嫉妬のパワーも相成って、今じゃ郷田先輩と肩を組んで、明後日の学園祭を女子と一緒に回る約束をしている男子を屠ってるよ。酷いなぁ。僕のことを探してたはずなのに』

「いや、笑い事じゃないですよ」

『うん、そうだよね。許せないよね。チームメイトよりもそっちを優先するなんて』

 そのとき、純太は背中に走った悪寒に、反射的にマイクから顔を離した。

「なんだ? 今の悪寒」

『ん? どうかしたかい、軍曹』

「いや、なんでもないです……」

 まさかとは思いつつも、純太の顔色は優れない。
 あんまり自慢できる話じゃないが、悪寒が走ったときや嫌な予感がしたときなどは、大抵嫌な予感が当たってしまうのだ。それも悪い方向ばかりに。

 今さわやかな好青年である佐々岡先輩に対し感じた悪寒は、何かしらの意味があったはず。……そういえば、どうして他の面々がエロ本の誘惑に陥落されたのに、先輩は寝返ったりしなかったのか。彼に特定の女性はいないことは知っている。多くの女生徒が告白しては、玉砕していると専らの噂だった。もてる男としての余裕だろうか?

「……佐々岡先輩。一つ聞いて良いですか?」

『なんだい? そろそろここも見つかりそうだから、手短にお願いしたいけど』

「大丈夫です。簡単な質問ですから。
 佐々岡先輩。先輩はどうして、太田先輩たちと一緒に寝返らなかったんですか? 確か先輩、彼女とかいませんでしたよね?」

『なんだ、そんなことか。簡単だよ』

 あっけらかんとした先輩の態度に、純太は一般常識に則った理由を期待する。きっと自分がそこにいればそうしたように、あまりの呆れから寝返らなかったのだと……

――僕は女の子になんて興味ないからね』

 純太の願いはいとも簡単に裏切られた。
 恥じらいなく、澱むことなく佐々岡先輩がカミングアウトした内容に、言葉を失う。

『さて、それじゃあそろそろ、大事なチームメイトの眼を覚ましてきてあげようかな。許せないよなぁ。あんなに試合では、僕のことを熱い目で見てくれるのに、今ではあんな風に女の尻を追いかけ回してるなんてさ』

「…………」

『でも、僕はみんなを裏切ったりしないよ。だって、どんなときだって熱く肉体をぶつけ合った仲だからね。では、軍曹。ランニングバック佐々岡、今日も走ってきます』

「ええ、どこまでもどうぞ」

 マイクの向こうでビシリと佐々岡先輩が敬礼を決めたのを想像して、それが格好いいからこそ、純太は表情を凍らせたまま別部隊へと連絡を繋ごうとする。

『みんな! その汗滾る分厚い胸板に、今タッチダウンだ!!』

「弓道部。アーチェリー部。裏切り者たちを殲滅しろ。そう、全員が裏切った。一人残らず殲滅せよ。いいな、特にエースランニングバックの二年佐々岡は集中して狙え」

『『サー・イエッサー』』

 女子が多い弓道部やアーチェリー部は、佐々岡という名前にどこか喜色めいた返答を返し、一声に弓の弦を引く。

 放つのは先っぽに吸盤のついた玩具の矢。しかし強い弓とアーチェリーの弓で放たれた矢は尋常の威力ではない。制圧用の部隊として、これ以上使いやすいものはなかった。

 マイクをポチリと切った後に、体育館の方から聞こえてくる男たちの悲鳴。純太は羊羹を一つ口に放り込み、緑茶を飲んで、ほぅっと息を吐いた。

「……おかしいな。ここって確か県内でも随一の名門だよな? いや、名門って響きがいけないのかなぁ?」

 自分と実篤の周りに最近蔓延りだした噂や、ある意味女生徒にとっては最大の裏切り者である佐々岡など、お祭り前でハイテンションなのを差し引いてもこの学校は何かがおかしい気がする。学園側は勉強か運動さえできれば、もしかしたら人格は無視して入学させているかも知れない。そういえば、受験のときの面接は形式上だけのものだった気もする。

「やばい。今更ながら、家から近いってだけでここを選んだことを後悔してきた。いや、大丈夫。実篤のことをおかしいと思える感性を持つ生徒会がいるんだから、一部の生徒だけだよ。うん」

 もう一つ羊羹を半分に切って、口に放り込む。栗の甘さと羊羹の柔らかさが口一杯に広がって、見つけかけてしまった真実を再び覆い隠してくれる。甘さをほどよく中和してくれる緑茶の渋みに目尻を下げれば、もう純太の視界にはフィルターが完備されていた。

「がんばろう、色々と。思えば面接から実篤のフォローばかりしてた気がするけど、甘酸っぱい青春がきっと俺を待ってるさたぶん」

 ああ。とってもお茶がおいしいなぁ〜。






『 生徒会長への報告:体育館南で小競り合い発生。逆徒と化したアメフト部・ラグビー部を殲滅完了。その隙に敵対組織メンバーは逃走した模様。裏切った両部には相応の処罰の検討されたし。追記・栗羊羹美味しかったです 』






 すでに校内はフライング気味なお祭り騒ぎのただ中にあった。

 今やもう両組織の激突は一般生徒も知るところとなり、生徒会側が定めた協力者への報奨も相成って、生徒会側の人員はうなぎ登り。逆に生徒会にいい感情を抱いていなかった生徒や、おもしろいの一言でこちら側の手助けをしてくれる生徒も出てきた。

 多くの生徒の内心にどのような思惑があるかはわからないが、すでに暗黙の了解は在って無きものに変わった。

 だからこそ実篤は解せない。このような結果、秘密裏に裏方として表舞台を盛り上げることを旨とする両陣営には決して有意義ではないのに。

「何を考えているのだ、純太。お前なら、部活動を動員すればこのような結果になることは予測できただろうに」

 いくつものパソコンの画面に映る、交渉の果てに手に入れた学園の外部に設置された監視カメラの映像と同じ映像に目を配る実篤は、椅子に腰掛けたまま顎に手を添える。

「純太が気付かなかった可能性は考えにくい。だとするなら、この状況が純太の狙いか? しかし一般生徒にも露見したこの状況下、歓迎すべきことではないが、どちらかといえば俺たちの方が有利になったと言えるのだぞ? 皆、おもしろいことは大好きだからな。
 それに、どうやら我々全員を拘束しようと目論んでいるようだが、そんな時間のかかることをしていていいのか? その方法では、全員捕まえられなければ俺の負けにはならんのだぞ?」

 ピアノの鍵盤を叩くように、トントンとテーブルを指で叩く実篤は、十年来の幼なじみが何を考えているか、考えを巡らす。今回こそ敵対しているが、いつもは純太のソウルパートナーを自負している実篤だ。ある程度の思惑は予想できた。

(純太をなめてはいけない。本気になったアレは俺の予想を遙かに超えてくる。考えろ。そして万全を期せ。本気になった純太が捕まえようとしているのだ。俺を含め、全員の素性が暴かれ、捕獲される可能性も否定できない)

 今回の戦いの勝利条件と敗北条件は簡単だ。
 宮田実篤に敗北を認めされられるか否か、である。

 明日明後日にもちろん講じている仕掛け。これらが使われることを未然に防ごうと思ったなら、なるほど、純太が言ったように前もって使わせないよう約束させるしかない。当日追いかけ回され、監視されたところでやりようは幾通りもある。

 純太たち生徒会側は今日中に、実篤に敗北を突きつけなければいけない。敗北したと感じたのなら、実篤としては明日明後日行動しないことを確約する腹づもりでいる。

(俺を敗北させられたら、の話だが)

 これは簡単に捕まえられる、捕まえられないの話ではない。

 実篤をたとえ捕まえられたとしても、お祭りを盛り上げる裏組織は消えない。前もって指示しておいたように、皆動くだろう。一人でも残れば、最高に楽しい一時をプロデュースできる。

 もちろん、現在純太たちが試みているように、組織全員を拘束されたなら、明日明後日動くことが叶わない。完全なる敗北だ。つまり今純太たちが行おうとしていることは、決して間違っているわけではないのである。

 しかし、秘密裏に動く組織のメンバー全員を今日中に捕まえるのは並大抵の苦労ではない。何せメンバーの詳細すら伝わっていないのだ。誰を捕まえればいいのか、生徒会側は分からない状態だろう。あえて陽動のために姿を晒させたメンバーは数人いるが、クラス企画を手伝いつつ潜んでいる面々はまだいる。この方法は建設的ではない。

 なれば、生徒会側はこれ以外の方法で宮田実篤を敗北させられる方法を思いつかなかったのか。純太がいてなお。

「わからんな。俺自身、俺を敗北させる方法がわからない。まぁいい、どちらにしろ――

 実篤はパソコン画面の弱い明かりの中、時を刻む時計の針を見やる。

 現在時刻――午後4時。

「残り三時間半。逃げさせてもらうぞ、純太」






『 生徒会長への報告:屋上にて敵対組織のメンバー二名を拘束。彼らの口振りから以下のことが判明。
 敵組織の名称が観鞘学園体育祭&学園祭『裏』実行委員(以下『裏委員会』)であること。彼らは予想通り、今夜の前夜祭においても何かしらのことを企んでいること。また、恐らく裏委員会のメンバーは二十名ほどであり、リーダーは『大佐』と呼ばれていること。
 以上の情報を臨時風紀委員全員に通達。一般生徒の中からあぶり出しをかける。以上 』






 残り時間二時間を切ったところ、純太は相変わらずのほほんと購入してきたり、もらったりした甘味片手に司令塔をやっていたのだが、生徒会の面々が焦りを見せ始めた。

 残り時間三時間半のところで、敵組織――裏委員会のメンバーを拘束。いくつかの情報の引き出しに成功し、そこから一気に十名近いメンバーを拘束することに成功したが、最後にメンバーを拘束してから四十分。吉報は途絶え、情報すら満足に集まらない。

 これは臨時風紀委員として結集していたメンバーたちが、この段階に至ってもまだ完成しないクラス企画に駆り出されたのが大きい。他でもない生徒会役員たちも前夜祭の準備に追われ、一時間近く連絡を取ることができなかった。準備もようやく終わって戻ってきたらこの結果だ。焦りもするだろう。

「佐倉君。残りの裏委員会のメンバーは何人いると予想している?」

「今までに捕まえたメンバーが、頑なに口を割りませんからね。現在拘束中の十二名の中、余裕そうな顔と不安そうな顔が同数ずつ……恐らく残りのメンバーも十二人ほどかと」

「もちろん、その中には――

「いますね。大佐なんて呼ばれてるリーダー――実篤が」

 捕まえた中に、当たり前の如く実篤の姿はなかった。
 恐らく彼らの半数、比較的余裕そうな顔を見せる面々はこちらの目を引く囮として動員されたメンバーなのだろう。結果を正しく表すとするなら、こちらの成果は六人ほどでしかない。

 その数値は、実篤を敵に残している現状、あまりに絶望的だろう。残り時間は半分をとっくに切っているのだから。

 山岸生徒会長以下役員たちは、皆一様に険しい顔を見せている。
 純太はコンビニで買ったプリンを一口食べ、プラスチックのスプーンを軽く噛んで生徒会長たちに視線を合わせる。

「ここまでが現状の詳細になりますね。他に何か質問はありますか?」

「質問も何も、全然ダメじゃないか! 全員を時間内に捕まえないといけないって言ったのは佐倉君、君だろう!」

 生徒会を代表して、山岸生徒会長が声を荒げる。

「俺が信用できないんですか? 俺を信用して任せてくれるって言ったのは嘘だったんですか?」

「それは……」

 自分から頼りにして招集し、一任すると言っておきながら、状況が芳しくなければ疑う。それはないだろうという気持ちを視線に込めると、基本的に真面目な山岸生徒会長は狼狽える。代わりに、背後の役員たちがあまり強い口調ではないが文句を口にした。

「だけど、現状どう考えても間に合わないだろ。頼りにしていた体育会系の部活動は、大抵色々なところに引っ張り出されてるし、これ以上人員を増やすいい方法もない」

「部活動の予算アップだけでも難しいのに、これ以上の旨味は用意できないわ。何人かの生徒が協力はしてくれるけど、結局は前夜祭までの暇つぶし程度。熱意の欠片もありゃしない」

「加えて、敵はこちらの動きを読んで完全に雲隠れしてしまいましたし、捕虜も口を割りません。うちの生徒の誰が裏委員会のメンバーかもわからないんじゃ、探しようがありませんよ」

「もう桃神様に祈る以外に道はないけど、桃神様は世界が桃色のオーラに満たされたときしか現れてくれない。私にはわかる。今日の世界のオーラはどんより曇りオーラ」

「なら、何か他に良い方法はありますか?」

 焦りと不安を浮かべ、現状の不利を並べ立てるだけの生徒会役員たちに、純太はにっこりと微笑みかける。隣のクーラーボックスに入った和菓子や洋菓子などが香らせるいい匂いとは裏腹に、凄みのある笑顔で。

 笑顔によって口を塞がれた面々には、やはりいい案はないよう。ぶつぶつと祈りを捧げる会計補佐以外、視線を合わせないよう俯いた。

「ないようでしたら、今は俺を信じてください。確かに現状不利なのは間違いないです。実篤は裏から手を回しているだけで、実際に面だって動いているわけでもない。こちらは手詰まりで時間も少ない。だけど、俺はこのままじゃ終わらない」

 プリンのカップを置いて、純太は加えていたスプーンを取る。

「約束します。これからの時間内で、俺は実篤を表舞台に引きずり出します。実篤以外を捕まえる方法は、そろそろ完成しますから」

「……信じて、いいんだね?」

 今日の昼休憩のときと同じように、山岸会長が真剣な眼差しで訊いてくる。

 純太はマイクのスイッチに手を伸ばし、

「こんなにたくさん美味しいものをプレゼントされたんですから。言ったでしょう? 俺は、食べた分は働きます。働いて、結果を見せますよ」

「よしわかった。なら、我々は君と運命を共にしよう」

「会長!?」

「いいんですか?」

 全てを受け入れたかのように頷いた会長に、未だ不安の残る役員たちが驚きの眼を向ける。

 山岸生徒会長は、この名門の生徒会長に選ばれた威厳をもって、彼らを見渡した。

「もしも佐倉君がおらず、我々だけだったなら、今頃我々は必死に宮田実篤のことを監視していただろう。そして当日も監視を続け、奴の行う工作を阻もうとしたはずだ。時すでに遅いことに気付かずにね。
 私は、宮田実篤のことを一番知っている佐倉君に賭けたい。彼ならきっと、我々の悲願を成し遂げてくれるはずだと信じている」

「会長……」

 今目の前にいる五人は、今日まで一年間ずっと一緒にがんばってきた仲間なのだ。
 観鞘学園の生徒会として、生徒たちの良き模範たろうとして、少しでも環境を整えようとして奮闘してきた仲なのだ。そこに見える絆が、今、不安を取り除いていく。

「僕も信じますよ」

 そして、最後の不安を取り払ったのは、そのとき生徒会室に入ってきた、眼鏡をかけた生徒会六人目の仲間だった。

「副会長!」

 入ってきた生徒会副会長の姿を見て、他の生徒会役員たちは驚く。
 唯一純太だけが扉の前で彼が話を聞いていたのに気が付いていたので、驚くことなく出迎えた。

 三年大森副会長――実篤による騒ぎの結果、胃を悪くして入院していたという彼を、すぐさま会長たちは取り囲む。

「副会長、調子の方は大丈夫なのか?」

「胃に穴が空いたって聞いてたけど?」

「心配してくれてありがとう。もう平気だから。それに明日明後日が、僕ら生徒会にとって最後のイベントになるんだ。そんなときに眠ってなんていられないよ」

「副会長。君って奴は……」

 青白い、とても調子がいいとは言えない顔で登場した副会長の、生徒会――ひいては学園に対する愛情に生徒会役員たちの心は今度こそ一つになる。

 山岸生徒会長は大森副会長と頷き合って、純太に向き直る。
 二人の横に役員たちも並んだ。輝く笑顔で。その光景は純太が入学式の日に見た、あの日の観鞘学園生徒会と同じ光景だった。

「佐倉君。僕は君のことをよく知らないし、宮田実篤の幼なじみである君を少し疑う気持ちもある。だけど、僕は山岸生徒会長を信じてる。そんな生徒会長が君を信じるというのなら、僕もまた信じる。――君に、全てを任せたい」

「大森副会長。ご期待には結果で返します。どうかゆっくり待っていてください」

「いや、今まで準備をみんなに任せっきりにしてたんだ。今日くらい手伝わせて欲しい。何でも頼んでくれて構わないから」

 弱々しくも、決意をこめた笑みを見せられて、純太は思い悩む。

 いかにも体力が乏しそうな大森会長に無理はさせられない。かといって黙って待っていろというのも申し訳ないし、きっと言っても聞いてもらえないだろう。ならできるだけ簡単な仕事を……

「それじゃあ、捕まえた裏委員会の監視を頼んでもいいですか? これは信頼できる相手じゃないとダメなんで」

「嬉しいよ、信頼してもらえて。君が結果を出してくれるというのなら、僕も全力で手助けしよう。監視は任せてくれ」

 すっと副会長に出された手に、純太はこの人はきっと真面目で優しい人なんだと思い、立ち上がって手を握り返す。

 握手。その上に重なる山岸会長の手。次々に乗せられる生徒会役員たちの手。

「副会長。君だけにやらせるはずがないだろう」

「そうだぞ、俺らはみんなで生徒会なんだから」

「あたしたちも全力で手助けするわ」

「だから一緒にがんばりましょう、大森先輩!」

「私にはわかる。もうすぐ世界は桃色に染まるから」

「みんな……ありがとう」

 重ねた手を中心に、生徒会室の中央でみんなが丸くなる。
 純太は向けられる全員の視線に何を求められているかを知って、大声で宣言した。

「実篤に敗北を認めさせる! 観鞘学園生徒会――

『『万歳!!』』






『 生徒会長への報告:次にメールにて、実篤に敗北を認めさせる方法を通達します。最重要事項のため一人で見ることを強くお勧めする。また、作戦には無条件で協力して欲しい。先程の言葉を信頼しています 』






 校庭には体育祭と学園祭のシンボルである櫓が存在する。
 
 先週の土日に、観鞘学園のOBたちやってきて作り上げた、かなり立派な木の櫓である。観鞘学園が新しい経営者に買い取られ、リフォームされたあと、なんでも伝統となっているらしい。この櫓は学園祭の後夜祭にて、キャンプファイアー用の木材にもなるのだとか。

 そんな櫓にはもちろん縄梯子を使ってあがるわけだが、櫓の高さは校舎の二階に匹敵する。主に実況などが上がったりするわけだが、かなり高い。純太は別に高いところが苦手というわけではないが、少しだけ足がすくんだ。

 しかし、わざわざ上った甲斐はあった。
 ここからなら、現在校庭で繰り広げられている決戦の様子がよく見える。

「首尾は上々。みんな好き勝手に踊ってるな」

 誰が用意したのかわからないが、櫓の上にはリュックがあって、そのリュックの上には双眼鏡があった。純太は双眼鏡を拝借して、校舎の窓から見物する多くの生徒と同じように眼下を見下ろした。

 体育祭用の白線が引かれた広い校庭では、現在臨時風紀委員と裏委員会との激しい激突が繰り広げられていた。

「アメフト部、ラグビー部整列!」

 裏委員会に所属する覆面の生徒が、早々と復活したアメフト部とラグビー部の巨漢たちを横一列に並べる。服のベルト部分に桃色な本を挟み入れ、爛々と目を輝かせる野獣たち。彼らに睨まれた弓道部、アーチェリー部、野球部の連盟は、怯んだように背後に下がった。

「何を怯んでいるんだ! 学園の敵はここで殲滅する。全部活動構え! 日頃の練習の成果を見せてやれ!」

 そんな臨時風紀委員に発破をかけるのは、校庭で勃発した裏委員会との戦いにおいて、臨時風紀委員たちを指揮する生徒会会計の男子生徒。アメフト部の体格に負けない巨漢の彼は、誰よりもアメフト部とラグビー部の前に出て、声を張り上げる。

「奴らはこともあろうにエロ本なんかに目がくらんで裏切った、スポーツマンにとっての裏切り者だ。ここで遺恨を立たないと、のちのちの評判にも繋がる! みんな、観鞘学園のスポーツ特待生という理由だけで、もてなくなってもいいのか!?」

 これには、うら若き青春時代を駆け抜ける少年少女たちは決意を固めるしかなかった。

 高校三年間彼ないし彼女ができずに終わるのは嫌だと、スポーツ特待生の名を貶めた悪漢たちを睨みつける。今やもう、生徒会と裏委員会の戦いだけじゃない。各部活動の名誉を賭けた戦いにまで発展していた。

『『ジークエロス! ジークエロス! ジークエロス!』』

『『恋人欲しい! 恋人欲しい! 恋人欲しい!』』

 校庭をピンク色に染め上げる両者の想念。
 にわかに校庭の空気が緊張に包まれ、激突はそれぞれの指揮官の指示で開始される。

『攻撃、開始!』

 放たれた雄叫びは、純太のいる櫓の上の空気までも震わせた。
 
 アメフト部とラグビー部は、競技の枠を越えた見事なコンビネーションで一直線に突き進む。
 綺麗に引かれた白線は校庭の砂ごと無惨に蹂躙され、大会の決勝さながらの熱気に大気は歪む。

 敵軍を迎え撃つ友軍は、まず後方に陣取った弓道部とアーチェリー部が空に向かって山なりに矢を放った。その間に最前列に控えていた野球部が、それぞれ見事なノック打ちで前方に波状攻撃を仕掛けた。夕焼けに白球が輝き、次々と向かってくる猪の如き男たちに命中する。その後、重力に引かれて、数多の矢が空より彼らの上に落下を始めた。

 だが、それでもタックルによって鍛えられた野獣たちは止まらない。何人かは攻撃によって撃沈するも、両者の部活のエース級は何もなかったかのように疾走を続けた。

「キャッチャー! 受け止めろ!」

 野球部のバッドは球を打つためのものであて、人を殴るものではない。ノック攻撃を行った野球部員は下がり、代わりに見事な体格のキャッチャーたちが最前列の壁となる。

 アーチェリー部たちが次弾を構え、前方に向かって射撃したのと同じタイミングで、ガツンとキャッチャーミットにアメフト部とラグビー部の強烈なタックルが命中する。

 百数十キロ以上の剛速球を受け止めるキャッチャーといえど、全員が全員タックルを受け止め切れることはできなかった。それでも後方に控える友軍に被害は出さないところは、まさに女房役と言ったところ。最後の一線は死守し、決して後ろには通さない。

「今だ! 行け!」

 そして、敵軍の足が止まった今がチャンス。指令の合図に合わせ、隠れていた伏兵が一斉に側面から襲いかかる。

「先輩! みんな! 僕だよ。エースランニングバックの佐々岡だ!」

「続け! わかってるな、陸上部。佐々岡の半径十メートルに入らないようにして続けェ!」

 アメフト部に入ってランニングバックのポジションを選んだ理由が、『みんなが僕に死にもの狂いで抱きついてくるからです』とカミングアウトしたらしい佐々岡先輩を筆頭に、足の速いスプリンターが側面から次々と敵軍の足を捉えていく。

 そうして動きを封じている間に、容赦ない射撃を繰り返す弓道部とアーチェリー部。何かしらアメフト部とラグビー部に恨みがあったようで、一撃一撃に魂が込められている。これが試合に発揮されたなら、全員が皆中も夢ではないだろうに。あと、偶に佐々岡先輩に流れ弾が当たっているのは、うん、偶然偶然。

「これならここでの戦いは大丈夫だな。参戦した裏委員会のメンバー三人はここで拘束できる。さっきの体育館での戦いでも三人。残りは五、六人ってところか」

 雌雄は決した戦いから視線を外し、純太は校舎を振り返る。

「お祭りが大好きな奴らだ。捕まえた捕虜をエサにすれば、数人はおびき出せると思ったのは間違いなかったな。だけど、残りは出てこなかった。実篤が指示を出してるのか、それとも用心深いのか……どちらにしろタイムリミットまで近い。そろそろ実篤を引きずり出す頃合いだな」

 残り一時間近くになって、捕まえた裏委員会のメンバーの数は十八人。正確な残り人数はわからないが、もうほとんど残っていないだろう。向こうとしてもここまで人員が見つかり、捕まるとは思ってなかったはずだ。最初は余裕だった捕虜の中にも、焦りを見せ始めた者が存在すると、大森副会長から連絡があった。

(実篤はお祭り好きな連中の中で一番お祭り好きな奴だけど、一番美味しいところを見逃さないよう、用心深くもある。だけど大勢仲間が捕まって、なおかつ組織がピンチっていう美味しい状況になっても、まだ引っ込んでいるなんて真似しないだろう。なぁ、実篤?)

 今の段階で出てこないのなら、それは罠を罠と我慢できる有能なメンバーが残っているということになる。これ以上の囮作戦には意味がない。だが、この段階まで来たことで、残りのメンバーを捕まえる方法は得た。

「十人程度じゃわからなかったけど、十八人ともなれば、メンバーの関連性もはっきりしてくる。あとは疑わしい生徒に任意同行を求めればいい。誤魔化すために大人しくしてても、全てが終わりまで拘束しておけば何の問題ない。――チェックメイトだ」

 純太は携帯電話を取り出し、生徒会メンバーの一人――放送室に控える、二年会計補佐の先輩に連絡をつける。

『もしもし、桃神様一の部下こと初美です』

「先輩ですか。手はず通りにことは進みました。実篤に向けて学校放送してもらえますか?」

『いいよ、どこにする?』

 どこか嬉しそうな声色の先輩に対して、純太は最後の決戦の舞台となるべき場所を、告げる。

「校舎屋上の温水プールで。今から三十分後の七時ちょうどに最終決戦を行おう。もちろん――

 すっと眼を細めて、純太はニヤリと笑う。

――一対一で決着を付けよう、と」






『 生徒会長への報告:新たに裏委員会メンバーと思われる生徒を五名捕獲しました。これで実篤以外のメンバー全てを捕まえた可能性はありますが、あくまでも可能性です。疑わしきは罰せよ。最後まで気を抜かないようお願いします。最後のお祭り。精々誰にとっても満足の行くような結果を残すために、ね 』






 観鞘学園が誇る屋上温水プールは、年中並々とプールに水が溜まっている。我が校が誇る最大にして最高の部活動である水泳部が毎日使っているプールだ。が、学園祭準備の今日ばかりは誰も居らず、窓から差し込む、夕焼けから変わった月明かりのみが水面を輝かせている。

「遅かったな、純太」

 否、そこには人がいた。

「待たせたな、実篤」

 歩み寄る純太の前に立ちはだかる、悠然とした立ち姿。
 ニヒルな笑みを浮かべる甘いマスクと、短い茶髪を半ば隠した漆黒の軍帽。一部の隙もなく決まった軍服姿の幼なじみ――裏委員会の大佐である宮田実篤は、そこで待っていた。

「学校放送で指示した時間ジャスト五分前。お前にしては珍しいくらい、ちゃんとした行動じゃないか」

「なに、純太からの誘いとあっては、はやる気持ちをもてあますのもしょうがないというもの。七時になるのを指折り数えて待っていたところだ」

「そりゃ、歓迎してもらえて嬉しい限りだ」

 間の距離を二十メートル開けて、純太は実篤の前で立ち止まる。
 まだ教室で別れてからさほど時間は経っていないというのに、なぜか酷く懐かしく思えた。

「ああ、嫌だな。これじゃあまるで、俺もお前に会うのが待ち遠しかったみたいじゃないか」

「嬉しいことを言ってくれるではないか。しかし、生憎と手加減はしないぞ。こちらとしても、まさかこうも容易くメンバーを突き止められ、拘束されるとは思っていなかった。――さぁ、始めようか」

 軍帽を脱ぎ捨てて、実篤は白い手袋をつけた拳を握る。
 実篤の作ったファイティングポーズに、純太はきょとんとした顔を作って、なるほどと得心が言った顔をしたあと首を横に振った。

「悪いけど、一対一で決着をつけようとは言ったが、何も拳で語り合うつもりはない。俺じゃお前相手に勝ち目がないことぐらいわかってるからな」

「なんだ、そうなのか。俺としては純太が、熱い決着の方法を選んだものと嬉しかったというのに……して、ではどうやって決着をつける? 約束通りここには二人きり。どうやって俺を捕まえるというのだ?」

「捕まえる? いや、その必要はない。俺は最初からお前を捕まえるつもりなんてなかった。そうだろ? だってこの勝負は最初から、お前に負けを認めさせればいいんだから。あえて難しい拘束という手段を選ぶ必要はない」

「他のメンバーは拘束しておいてか?」

「そう、彼らを捕まえることで、俺の目的であるこの瞬間へと辿り着けた。さぁ、実篤。交渉と行こうじゃないか」

「ほぅ、あくまでも彼らの拘束は取引材料の一つだったということか。おもしろい」

 腕を組むと、実篤は少し上から視線をぶつけてくる。切れ長の瞳が、無邪気な子供みたいに輝いていた。

 純太は持ってきていたファイルを開くと、その中から一枚の紙を取りだした。
 A4サイズのどこにでもあるコピー紙。これの白い裏面部分を実篤に向けて、書かれている内容が見えないように掲げる。

「実篤、まずは確認しておくぞ。負けを認めて、明日明後日大人しくする気はないか?」

 返答が分かり切っている質問を、あえてぶつける。

 案の定実篤は小さく失笑を浮かべると

「愚問だな。もちろん、断らせてもらおう。交渉で俺を負かしたいというのなら、それ相応のものをもって交渉してくるがいい」

「ああ、そうか。お前ならそう言うと思ってたよ。だけど、一つだけお前は勘違いしている」

 にべもなく断られたことに、純太は仕方がないと頭を振って、滅多に実篤相手には見せない爽やかな笑顔で、彼が勘違いしている事柄を教えてあげる。

 そう、この場は正しく交渉の場ではあるが、交渉を持ちかけるのは自分ではない。

「交渉しないといけないのは俺じゃない。――お前なんだよ、実篤」

 そう告げて、純太は持っていた紙をひっくり返した。
 特例措置――体育祭と学園祭の中止に関する、学校側から受け取った正式な書類を。

「なっ!? それは、まさか……!」

「そう、特例措置として明日の体育祭と明後日の学園祭、またはそのどちらかを急遽中止にすることができる書類だ。忘れたか? 俺たちは生徒の代表であり、学園側と交渉権を持つ由緒正しい生徒会。この書類を用意することなんて、とても簡単なことなんだよ」

 珍しく本気の驚きを見せた実篤は、目の前にあるのが正真正銘、学校側の認可を受けた書類であることを確認して、苦虫を噛み潰したような顔となる。

「正気か、純太。まさかお前、それを提出するつもりではないだろうな?」

「どうしてその行為を正気じゃないと決めつけるんだ? 俺が頼まれたのはお前を大人しくさせること。お前に体育祭と学園祭で暴れさせないこと。なら、そもそもお祭り自体がなくなれば、自ずと俺の勝利は確定となる。違うか?」

「違わないな。純太の勝利条件を鑑みれば、それ一つで軽く満たせる。しかし――

「実篤。俺は、俺が食べたあの美味しいものを未来永劫美味しい思い出にするためなら、手段は選ばないつもりだ」

「……なるほど、これは確かに交渉するのは俺の方か。つまり純太はこう言いたいのだな? 体育祭と学園祭を無事に開催したいのなら、負けを認め、大人しくしていろと。でなければ体育祭と学園祭は中止。……どちらにしろ、純太の勝利は揺るがない」

「そういうことだ。さぁ、どうする? 実篤。俺としてはどちらでも構わない。お前が好きな方を選んで良いぞ」

 ぐっ、と押し黙ったように拳を握る実篤に、純太はさらに笑みを濃くして書類を突きつける。幼なじみの少年は、借金取りに借用書を突きつけられた借用者のように狼狽えていた。

 ただ、さすがは実篤といったところ。すぐに落ち着きを取り戻すと、冷静な口調で話し始めた。

「訊くが、たとえ生徒会とはいえ、そう簡単に学校行事を中止にはできないのではないか? 何かきちんとした理由が必要のはずだ」

「俺の言葉がはったりだとでも?」

「真実を求めているだけだ。その点はどうなのか、教えてもらわねば判断に困る」

 疑いの眼差しを向けてくる実篤。彼の言うとおり、実際いくら生徒会とはいえ、何かしらの問題がなければ一方的に行事を中止したりはできない。それは間違いなく、だけど純太は余裕の態度で返答を返す。

「あまり時間はないからな、焦らしたりはしない。
 確かにお前の言うとおり、何の不備もない行事を中止したりはできない。現実問題、体育祭を中止させることは不可能だ。そう、体育祭の方はな」

「……では、学園祭は?」

「正直、中止は無理かもな。何せ生徒も地域の人も楽しみにしている行事だ。だけど、理由をつけて延期させることぐらいは可能。来週へと延期とかな。……そういえば、来週の天気はなんだったかな? 生憎、雨だと学園祭の多くの楽しい行事は中止になるらしいんだけど」

「来週は高確率で雨。その上、二週間の延期は認められていない。その場合は行事自体の中止となる……俺が負けを認めないと、一部のイベントが廃止になるということか」

「さぁ、どうだろうな。で、返答は?」

「返答は先の質問に答えてもらってからだ。純太、俺はまだ答えてもらっていないぞ。そもそも学園祭の延期させるにたる理由をな」

 さすがは実篤だ。本題を見失わない。
 純太は緊張から額に冷や汗を浮かべると、努めて作った酷薄な笑みを絶やさないように気を付ける。

「どうなのだ? 理由はあるのか? ないのか?」

「ない――そんな状況で、俺がお前にこんなものを直接対決の切り札に選ぶと思うか?」

「……答えは否、だな」

「そう、理由はある。実篤、そこから校庭の姿が見えるだろ?」

 目線をマジックミラーになっている窓に向けると、実篤もまたそちらを向いて、眼下に見える校庭を視界に収めた。

「見えるなら、おかしいとは思わないか? もうすぐ後夜祭が始まる時間なのに、櫓の周りに人が全然集まってないことに対して」

「それは…………まさか、このために騒ぎを大きく……!?」

「さすがだな。すぐに気が付くか」

 校庭の櫓の周りには、ちらほらの生徒の姿が見つけられた。しかし前夜祭の会場である櫓の周りに集まっている人数は、開始のすぐ前だということを鑑みればあまりに少ない。その理由は一つだけ。即ち、多くの生徒は前夜祭に参加する暇がないのだ。

「クラス企画の準備が終了したクラスは、生徒会に報告することが義務づけられているんだが、実篤。これまでに報告に来たクラス、全校中の何割だと思う?」

 実篤は理解がいったという顔で、顔に焦りの色を浮かべる。
 返答は返ってこなかったので、純太はすぐに答えを繋げることにした。

「二割、これが準備の終わったクラスの数値だ。今もまだ、多くのクラスは準備に追われてる。ここまで準備が遅れている理由は――

「俺たちと生徒会の戦いに、一般生徒も混ざったからか。生徒会が招集した部活動メンバーや騒ぎを見物に来た野次馬などで」

「クラスにたとえ残っていても、校庭で大きな戦いが起これば、準備の手を止めて見ない奴はいない。何せ生徒会と謎の組織の戦いだ。みんな、おもしろいことは大好きだからな」

「そのために、わざわざことを大きくして生徒を巻き込んだわけか。それで結局、準備がおろそかになり進行に遅れが生じた」

「加えるなら、そもそも最初から準備が時間内に終わるはずのないクラスが多かったんだよ。普通なら、準備が時間内で終わりそうにない企画を持ってきたクラスは生徒会が却下するんだけど、お前たちの相手で、生徒会が正しく機能していなかったからな。その上でこの騒ぎだ。間に合えという方が無理な話だろ。
 さて、これでわかったな。残り時間三十分を切った現時刻で、たった二割しか企画が完成していない。これは学園祭を来週に延期させる理由としては、十分だとは思わないか?」

「……元々は全て生徒会が原因だろう?」

「責任は取る。今期の生徒会メンバーは全員生徒会にはいられなくなるな。だけど、学園祭が終われば生徒会は引き継ぎだ。責任追及に意味はない」

 純太はそこで言葉を止め、強く視線を突き刺してくる実篤の瞳をレンズの奥の瞳で見つめ返す。強く強く、言葉にはしなくても、結論を促すように。

「……俺に、選べというわけか。俺たちの企画を通すか、それとも生徒たちが作り上げた企画を通すか」

「選ぶのはお前だ。お祭りを楽しくするために立ち上げた裏委員会なら、お前が思う、より楽しくなる方を選べばいい。そうだな。もしも負けを認めてもらえなければ、俺は負けてしまうことになるわけだけど」

「なんて悪どく、そして完璧な作戦だ。しかし、俺は確かに裏委員会のリーダーだが、裏委員会に確たる階級の差はない。これは俺一人で決められるものでは……」

「そのためにお前以外のメンバーを捕まえた。連絡は取れない。選ぶのはお前なんだよ、実篤」

 笑みを消して、純太は真剣な表情で実篤を見る。

 やるべきことは全てやった。あとは実篤の返答次第。返答次第で、全てが――


「では、断わろう! 俺は敗北を認めはしない!!」


 全ては、まだ終わらない。純太は制服のポケットの上から、携帯のボタンを押す。






『 生徒会長への報告:これが送信された場合、実篤は負けを認めなかったことになります。俺にできるのはここまでです。生徒会長、あとはあなたに託します。実篤が用意した全てを、探し出して下さい 』 






「断る、か。それで本当に後悔しないんだな?」

「ああ、後悔はしない」

 そう言った純太に対して、実篤ははっきりと頷いた。

 純太が最後の決戦のために用意した手札は、紛れもなく最悪のカードだった。まさか主催者である生徒会側が、行事自体を人質に取ってくるとは思わなかった。これはお祭りを盛り上げるために集まった裏委員会としては、最悪も最悪の切り札だ。
 
 学園祭の行事の一部を切り捨ててしまうことなど、断じて許容できない。
 実篤は思う。それはたとえ自分たちが準備したものを放棄してなお、貫き通すべき意志だと。

 学園祭は生徒たちががんばって作り上げるもの。生徒によって営まれるべきもの。裏委員会は裏方として盛り上げる手伝いをするだけで、決して表舞台の何かを犠牲にしてはいけないのだ。それがポリシー。絶対に侵してはいけない部分である。

 ……だが、それでも実篤は『否』と答えた。しかしこの答えが間違っているとは思えない。これが山岸生徒会長から突きつけられたなら負けを認めるしかないが、相手は幼なじみの純太なのだ。

「……わかった。お前がそう言うなら」

 紙をファイルにしまった純太は、どこかショックを受けたような顔で背中を向けた。

「できることなら、お前には頷いて欲しかったよ。特別臨時遊撃風紀委員としてじゃなく、お前の幼なじみとして。俺が言えた義理じゃないけどな」

「いや、純太は言ってもいいと思うぞ。なぜならば、俺が負けを認めないと決めたのは、その手札を提示したのが純太、お前だったからだ」

 ピタリと、出口に向かって歩き始めていた純太の足が止まる。

「……どういうことだ?」

「俺は決してお前の幼なじみとして恥ずべき行いをしたわけじゃなく、またお前も俺の幼なじみとして恥ずべき行いはしていないということだ。
 純太。俺とお前は長年共に歩んできたソウルパートナーだ。お前がどういう奴かは、俺が一番よく知ってる。お前が自分の勝利のためだからといって、誰かが楽しみにしていたものを奪おうとしない奴だということは確信しているぞ」

「実篤……」

 実篤が否と答えた理由はそれだった。

 本当に学園祭が延期してしまえば困ったことになるが、純太はそれを決してしまい。その手にはそうできる書類があるが、彼は決して実行には移さない。それを幼なじみとして確信しているからこそ、実篤は否とはっきりと言えたのだ。

「純太。悪どいお前も俺好みだったがな、生憎とまだ甘い。そんな誰かを悲しませる真似、お前にできるはずないではないか。他の誰かには通用しても、この宮田実篤には通用しない。なぜならば俺は、純太の幼なじみだからな」

「……ああ、そうだな。俺とお前は幼なじみだからな」

 絶対の信頼をこめてそう言えば、純太は首の後ろに手を触れて苦笑する。そうして振り向く。


「だから、そう――――お前の負けだ、実篤」


 その手に、先程とは違う書類を持って。









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