〈後編〉  佐倉純太VS宮田実篤 〜終わる前夜祭〜


 

『彼』にとって、宮田実篤という新入生は眩しい存在だった。

 容姿端麗、頭脳明晰、文武両道はもちろんのこと、奇抜ながら人の輪から逸脱せず、我が道を行きながらもカリスマ性を持つ彼は、眩しい人間以外の何者でもなかった。

 入学式でのあまりにけったいな新入生代表あいさつから始まった彼の奇行は、瞬く間に全校に広がったものだが、多くの生徒が彼を軽く見ていたのに対し、『彼』はいち早く宮田実篤の本性を見抜き、ファンとなった。

 彼ならばきっと、素晴らしいことを仕掛けてくれる。
 最後の高校生活、きっと素晴らしい思い出をくれる。

 それは確信に近い憧憬。悩みの中にいた『彼』にとって、宮田実篤の存在はまさに仰ぐべきリーダーだった。

 だから、決めた。観鞘学園を愛していたから。

『彼』は誰よりも早く、観鞘学園体育祭&学園祭『裏』実行委員のメンバーとなった。

 


 

 純太が新たに提示したのも、また学園側が用意した書類であった。
 生徒会の権力を惜しみなく使った、しかし先程の延期願いとはまったく反対の書類――

「これが何か分かるか、実篤?」

 実篤が書類の名称を呼ぶ前に、純太はゆっくりと歩み寄って来て、その名を口にした。

「クラス企画が間に合わないクラスに対する救済措置。今日一日だけ、全ての生徒は校舎内での宿泊を許可する。つまりは宿泊許可願いだ」

 そう、それは問題として変わらず残っているクラス企画の準備の遅延を、学園祭延期以外で解決を試みたものだった。担任の許可を得たクラスの生徒は、今日一日クラスでの泊まり込みを許可するという、すでに生徒会長による記入がされている宿泊許可願いだ。

 実篤は、純太がこんなものを所有していたことに、先程の自分の判断は間違っていなかったと口角を吊り上げる。

「お泊まり宣言というわけか。いい響きだ。つまり最初から純太が取ろうとしていたのは、こちらの方だったというわけだな」

「そうだけど、お前はもっと自分の行いを反省しろ。確かに生徒会も悪い。無理なクラス企画を通したし、暴れまくって遅延させたしな。けど、その原因となったのは間違いなくお前なんだから」

「これはこれは、申し訳ない」

「誠意の欠片も感じられないな、おい。俺がこの救済措置を探し出して、生徒会長に学園長から許可をもらってくるよう頼むのに、どれだけ苦労したと思ってるんだ」

 はぁ、と疲れたように溜息を吐く純太は、持っていたファイルの中に許可願いをしまい込む。

「とにかく、そういうことだ。学園祭が延期されない代わりに、今日という準備の日が延長される。理解したか?」

「したとも。やはり純太はいい男ということだな」

「アホか。全然理解してないじゃないか」

 純太から呆れ眼を向けられ、とても良い気分だった実篤は眉を顰める。そう言えば、何かを忘れている気がする。

「…………おおっ! そう言えば、俺と純太の愛を賭けた戦いはどうなったのだ?」

「忘れてたのかよ。まったく」

 幼なじみの学園祭――ひいては母校に対する愛情に感服していた実篤は、ようやく本題について思い出し、表情を引き締める。

「純太。悪いが、この救済の件と我々の戦いの件は別問題だぞ。残り時間二十分少々の現段階で、俺はまだ負けを認めていない」

「いいや、それは違う。言っただろ? お前の負けだ、って」

「どういうことだ? 今やもう、俺に純太の膝元に屈する理由はなくなったわけだが?」

「元からお前に傅いてもらうつもりはなかった。俺が言いたいのはこういうことだ。現在時刻七時八分。前夜祭開始は七時半――これが俺たちの戦いのタイムリミットとして設定されていたわけだが、これはあくまでも前夜祭開始が、時間がもうなくなったことを意味してるからだ」

 純太の説明に、なるほどと実篤は合点する。

「然からば、お泊まりとなって明日まで時間ができたなら、これ即ち戦う時間が延長されたということか」

「そう、延長戦だ。まだ戦いは終わっていない。そして延長戦なら、実篤、お前の負けはもう決まったも同然なんだよ」

「ほぉ、延長戦にはそのようなマジックが存在するのか?」

 延長戦で不利になるとはこれ如何に。先の自信たっぷりな勝利宣言もはったりではないのだろう。一体いかなる理由がそこには存在するのか、否応なく期待が高まる。高まって、そろりとポケットの携帯に手が伸びてしまう。

 ポケットの上から携帯を触れば、この距離からでも純太には気取られない。実篤は前もって準備していたメール文を送信するために、布越しに送信ボタンへと指を乗せた。

「是非聞きたいものだな。俺が負ける理由とやらを」

「簡単なことだろ? 元から勝利条件はお前が敗北を認めるか、あるいは敗北せざるを得ない状況を作り出すことにあった。もちろん、お前たち裏委員会全員を捕まえれば俺たちの勝ちなわけだ。時間の関係もあって無理に近いと思ってただろうけど、延長戦に入った今ではどうだ?」

「そうだな。多くのメンバーがそちら側に捕まって、しかも残るは顔の割れている俺。つまり生徒会側に協力する全ての人員から、俺は一人で朝まで逃げ続けなければいけないということか」

「一度捕捉すれば、お前がどんな選択をし続けるのかは簡単に予測できる。追い詰めて追い詰めて追い詰めて、悪いけどお前一人なら二時間あれば十分だ。そうだろ? 実篤。だって俺たちは、幼なじみなんだから」

 勝利を確信した笑みを浮かべる純太。彼の言っていることは何も間違ってはいない。

 自分が純太の思考を予測できるように、また彼もこちらの行動を予測できる。校内という範囲が制限される中、しかもお泊まり中という教師の目も厳しくなる中での逃走は、ほぼ不可能に近い。この辺り、表の最大組織である生徒会は有利であり、裏の組織である裏委員会は不利だ。

「時間制限があるからといって、メンバーが捕まるのを座して見ていたのが仇になったな。どうだ、実篤。今なら優しく捕まえてやるぞ? 孤独に逃げ回るよりも、ここで捕まっておいた方がいいんじゃないか?」

「純太の優しくが、お前がよく食べる甘いスイーツほどの甘さならば考えよう。だが、経験上俺は知ってる。お前の優しくは、俺の望むような甘々ではないことをな」

 一歩近付いてくる純太から離れる。気が付けば、プールの入り口付近に人の気配を感じられた。

(あまりに巧みだった純太の作戦に心奪われすぎていたようだな。完全に包囲されている)

 気配を研ぎ澄ませて、実篤は敵の規模を読みとる。
 最大の敵が前方で微笑む幼なじみであることは言うまでもないが、何気に生徒会の能力も高い。さすがは名門の生徒会に選ばれた者たちである。

(純太は生徒会が色々とミスしたと言っていたが、生徒たちはそれを特に恨んでいまい。むしろおもしろい企画を通し、何やらおかしなことをしている生徒会に好感度を高めているはず。その上でお泊まり宣言なんぞを出されては、まさに孤軍奮闘となろう)

 じっとりと背中にかく汗。投降などは考えられないが、それでも絶望的状況なのは間違いない。下手をしたら、このまま当初の時間制限内で捕まえられてしまう可能性もある。可能性は、の話であるが。

「なるほどな、素晴らしいぞ純太。準備の時間などさほどなかっただろうに、ここまで周到に俺を追い詰める手腕。まさにブラボーとしか讃えようがない」

「逆に準備時間が足りなかったから、俺はその場その場の状況に合わせて動くしかなかった。残念ながら、俺とお前の付き合いは長いからな。お前が選ぶだろう行動を予測して、予想するのが嫌だけど予想して、そうやって何とかここまで来れた」

「では、これから俺が取るだろう行動も予測してみるがいい」

「ああ、いいぞ。これからお前が選ぶのは――

 純太はそこで悩むことなく、すぐさま言葉を続ける。先程自分がそうしたように、絶対の自信をもって断言する。

「この状況を打破する一手を実行に移すこと、だろ?」

「大正解だ!」

 実篤はポケットのメール送信ボタンを押す。直後――この場からは見えないところで、異変は起こった。

 プールを満たす静寂に混じって、騒ぐ生徒たちの声が聞こえてくる。
 実篤はそれ以上何もしなかった。純太も何もせず、ドアの向こうの息づかいだけがやけに大きく聞こえてきた。

 その静寂を破るのは、純太のポケットの中に入っていた携帯の着信音。純太らしい飾り気のない音楽が流れ、彼は携帯電話を取り出し耳に当てた。

「もしもし」

『佐倉か! 大変だ、捕まえていた裏委員会のメンバーたちが!』

 通話相手の声はあまりにも大きくて、実篤の耳にまで届いてきた。
 直接聞いた純太などはあまりの大きさに携帯電話を離し、耳を押さえる始末。ある程度の声量で十分聞こえるというのに、通話相手はそれを忘れるほどの事態に陥っているのだろう。

「先輩、落ち着いて下さい。状況報告を」

 耳を押さえた純太が電話相手にそう言うと、途端実篤の耳に彼の通話相手の声は届かなくなった。純太の冷静な声に、相手も少なからず落ち着いたようだ。

「…………そうですか。わかりました、すぐにそちらに向かいます」

 やがて話を聞き終えた純太が通話を切る。彼は携帯電話を持ったまま、ジト眼を向けてきた。

「やりやがったな、実篤」

「何をいう、予想通りなのだろう? 俺がまだ事態打開の一手を残していることは。俺はただ、純太の予想通りに動いてやったに過ぎない」

「嫌な予想なんて外れた方がいいに決まってる。
 ……時間と労力を費やして捕まえた裏委員会のメンバーが、全員逃げたそうだ」

 通話相手の連絡とは、そのことに相違なかった。
 純太の指示によってことごとく捕まえられた裏委員会のメンバー全員の解放。これこそ、実篤が前もって用意しておいた、もしもメンバー全員が捕まえられたときの切り札であった。

 今頃はメンバー全員が拘束されていた場所を抜け出し、思い思いの場所へと逃げ延びているだろう。無論、生徒会側も捕縛に向かっているが、捕まえられて二、三人。全員を再び拘束することは不可能だ。

「これで振り出しに戻った。ようやくいい案配で延長戦を戦えそうだな、純太」

「何が振り出しだ。そっちはそうかも知れないけど、こっちは全然違う。捕まえたメンバーを逃がしたことで、協力してくれていた人たちの中から少なからず離れる人たちが出る。加えて、クラス企画にも人員を取られるんだ。振り出しから十歩は後退してるな」

「それはこちらにも言えること。なぜなら、全員の顔が割れているのだからな。次捕まえるのに、前回ほど時間はかからないだろうよ。
 そうだな……確かに振り出しではないが、条件的にイーブンなのは変わるまい。いや、本当の意味でイーブンにするために、これももう一度決めておくべきだな」

「決めておく?」

「そう、制限時間の設定だ。何も明日の朝まで、などというのは馬鹿らしいだろう?
 悪いが延長戦を持ち出して来たのはそっちだ。制限時間はこちらで決めさせてもらおう」

 実篤はプール内にある時計に視線を送って、時刻を確認する。現在時刻七時二十分。

「制限時間は約二時間後の九時半としよう。どうせ、みんなが参加できないからといって、前夜祭もそれくらいの時間にまで延ばすつもりだろう? 最初も前夜祭開始時刻だったのだ。文句はあるまい」

「…………いいだろ。制限時間は九時半だ」

「よしっ、ではお互い全力を尽くそうではないか。もっとも、それでも勝つのは俺だがな」

「言ってろ。勝つのは俺だ」

 ニヒルに笑っての宣言に、純太は苦笑をもって返す。

 そのまま純太は背中を見せ、出口へと向かっていく。どうやらここでドアの外に配置していた人員を突入さえ、こちらを捕まえるつもりはないらしい。捕まるつもりは毛頭なく、孤軍奮闘ではなくなった現状、状況は絶望のぜの字もないわけだが。

 とにかく、裏委員会の壊滅はこれで免れた。

「純太との直接対決――初戦は引き分けと言ったところか」

 実篤は祭りのただ中にあって高揚した気分の中、生徒会が全校生徒に向かって出したお泊まり宣言を、祝福のように聞き入った。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 裏委員会の監視にあたっていた大森副会長の話によれば、先程自分が実篤と直接対決に赴いていたとき、いきなり部屋へと誰かが侵入してきて、捕虜たちの拘束を解いたのだとか。

「本当にすまなかった!」

 場所を生徒会室に移して、他の生徒会役員と一緒に大森副会長に事情を聞けば、彼は心底申し訳なさそうな顔で土下座などを実行した。

「みんなの力になろうと思って来たのに、結果的に足を引っ張ってしまった。何て詫びていいかわからない。本当にすまなかった!」

 何度も土下座を繰り返す大森会長に、最初は彼の失態に怒っていた生徒会役員たちも溜飲を下げていく。手を重ね合わせたときの気持ちにみんなが戻るのに、かかった時間は大した時間じゃなかった。

「頭を上げろよ。気にすることはないって、副会長」

「そうよ。確かに捕まえてた奴らを逃がしちゃったのは辛いけど、顔はわかってるんだもの。すぐに捕まえ直すことはできるわ」

「佐倉君が延長戦に持ち込んでくれたし、時間もまだ残ってる。一緒にがんばりましょう!」

「そう、ここからが本番。桃神様の力を見せるときが来たの。フフフフ」

「みんな……ごめん!」

「副会長、そこはありがとうだと思いますよ」

 優しい言葉に頭を再び下げる大森副会長。彼に対し、実篤が何かしらの打開策を用意しているものと予想しており、最初から怒っていなかった純太はそう声をかける。副会長は少しだけ口をモゴモゴさせながら、照れたように顔を隠して「そうだな」と頷いた。

「それで、大森副会長。すぐに追わせたんですよね? 何人捕まえることができたんです?」

 立ち上がった副会長に、純太は頭を切り換えて事情を尋ねる。

「確か、四人だと思う。他のメンバーを逃がすために囮になった連中だ」

「とすると、実篤と解放作戦を仕掛けてきた、把握していなかった一人を入れて、裏委員会は総勢二十四ってところですか。残り二時間で二十人……難しいですけど、やってやれないことはない。宿泊許可も全校に通達しましたし、すぐに作戦を練りましょう。副会長、手伝ってもらいますよ」

「もちろんだ。今度こそ足を引っ張らないようがんばるよ。……ところで、どうして生徒会長がいないんだい?」

 キョロキョロと生徒会室を見回した大森副会長は、部屋に集まっている中に山岸生徒会長の姿がないことに気付く。いや、最初から気が付いていたのだろうが、ここに来てようやく質問することができた。

 他の役員たちも生徒会長の居場所を知ることは後回しにしていたので、唯一この中で答えを知っている純太に、部屋にいる全員の視線が突き刺さる。

 純太は少しだけ言い淀む顔をして、

「生徒会長は……その、なんといいますか……」

「佐倉君。はっきり言ってくれると嬉しいんだけど」

「それじゃあ、はっきり言います。山岸生徒会長は倒れました」

『倒れた!?』

 率直に述べれば、生徒会の何人かが驚きの声をはもらせ、その他の者も驚いた顔を作る。

「倒れたって、もしかして僕が裏委員会のメンバーを逃がしたから……なのか?」

 特に大森副会長に至っては、顔を真っ白にするほどに青ざめさせている。一番最後に純太が山岸会長の顔色を見たときも、ちょうど彼と同じような顔をしていた。

 副会長にまで倒れられてはまずいと、純太はフォローを入れるために口を開く。

「確かに最後の引き金になっちゃったのはそれですけど、一番の原因は前々から溜まっていた心労の方でしょう。少し休めば治るぐらいですけど、色々と無理してたみたいですから。誰の所為と聞かれれば、それは実篤の所為なんでしょうね」

「そう、なのか……それじゃあ見舞いに」

「あ、それは止めておいた方がいいです。会長、できることなら心配させないよう黙っていて欲しいって言ってましたから。まぁ、知っておいてもらった方がいいと思って話しましたけど、見舞いなんかに行かれると俺が怒られます。それに、見舞いに行く時間があったら実篤を捕まえろ、とも怒られそうですし」

「それは、確かにそうだね」

 倒れた生徒会長の見舞いに行こうとしていた副会長は、納得した様子を見せる。

 みんなの顔を見回せば、全員副会長と似たり寄ったりの顔をしている。絶望している人は、誰一人としてここにはいなかった。

「それじゃあ、生徒会長がいないので俺がいいます」

 純太はここで一発気合いを入れるため、手を前に出す。
 そうするとすぐさま役員たちの手が手の上に重なって、最後に大森副会長の手が乗る。

 体育会系のノリだと思いつつも、純太は大きく息を吸って、吐く行程をシャウトに変える。

「実篤を捕まえ、楽しい体育祭と学園祭にするために! 観鞘学園生徒会――

『『万歳!!』』 

 声は高らかに。ここに戦いの狼煙を、再びあげる。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 そこから先は単純明快な戦いだった。

 生徒会側は裏委員会のメンバーを見つけ出し、拘束していく。
 裏委員会のメンバーは生徒会に捕まらないよう、逃げて潜む。

 学園中が最後のピッチに大忙しの中、ほとんどの一般生徒をもう巻き込まず、互いに互いが死力を尽くした戦いを繰り広げた。

 生徒会メンバーの中で、大柄な会計は殴る蹴るなどの熱い戦いを繰り広げ、細身で小柄な書記補佐もその手伝いで青あざをいくつか作っている。もはやミステリアス以外の何者でもない会計補佐が桃神様の力とやらで索敵・捕捉すれば、真面目で少し男勝りな書記が論破と微妙な脅しで敵を捕縛する。

 引き続き大森副会長が捕虜を監視する傍ら、純太もまた動いていた。

 肩書き通り、遊撃として幾人かの裏委員会のメンバーを捕まえたが、そんなものは片手間でしかない。純太の本当の任務は、敵の中で最も恐ろしい実篤と、今だ顔の割れていない裏委員会メンバーを解放した相手を捜すことにある。

 実篤の方はまだ良かった。探す相手の顔がわかっているし、何かと有名なので目撃情報も集まったのだが、最後のメンバーの素性は判明しない。裏委員会のメンバーやこれまでの状況から、幾人か疑わしい相手のリストこそ上げたが確証を持つには至らない。現に、幾人かに直接会ってみたが、これぞという相手はいなかった。

「残り三十分を切ったか」

 腕時計で時間を確認した純太は、廊下を歩きつつ首の後ろを手で触れる。

(捕まえたメンバーは十八人。残り六人。内二人は実篤と素性不明の最後のメンバー。クラス企画の方は九割以上終わったっていうのに、こっちはまだ終わらない)

 探すべきところは全て探した。残り時間も少なくなってきて、みんな死にもの狂いで探しているため、残りの半分以上は捕まえることができるだろうが、やはりネックになるのは手強い二人の存在だ。つまり、勝つか負けるかは純太の肩にかかっているといっても過言ではなかった。

(山岸生徒会長も、俺を信じて全てを託すといってくれた。最初は食べた分だけ働くつもりだったけど、ここまで来たら負けるなんて考えられない。どうすればいい? 実篤の行方を見つけないと、俺たちの勝ちにはならない)

 考えながら、純太は実篤の行方を捜す。

 そうしている中、多くの生徒たちの姿を眼にすることとなった。
 体操服の生徒たちは、はしゃぎながら同じ方向に向かって歩いている。なんだ? と一瞬怪訝に思ったが、すぐに疑問は解決した。

「前夜祭。そうか、そろそろみんな集まりだす頃か」

 クラス企画が終わらなくてみんなが集まらなかったさっきとは違う。
 多くの生徒が友人や恋人と、校庭の櫓目指して集っていた。生徒会もまた主催者として行かなければならないが、タイムリミットの最後まで粘るつもりだ。

「いや、待てよ。木を隠すなら森の中か。もしかしたら校庭に実篤がいる可能性も」

 純太は人が集まる校庭を思い浮かべ、そこを次の候補地として向かうことにした。それ以外に思いつかないから、行くしかなかった。

 靴に履き替えて外に出た純太は、校庭へと下りる石段の前で立ち止まり、目をこらして周りを見回す。

 校庭は多くの生徒で溢れかえっており、照明も何もない暗闇ではあったが、薄気味悪さというものは感じなかった。月明かりが明るいのもあるのだろう。空から降り注ぐ月光の下、生徒たちは前夜祭が始まるのを今か今かと待ち侘びていた。

「実篤は……」

 あまり視界がいいとは言えないが、それでも長年の付き合いである実篤の顔を間違えるはずがない。何度か見回したところ、わかったのは明るい声が溢れる人たちの中に、実篤の姿はないということだけ。

(ここにもいないか。だとすると、一体あいつはどこにいるんだ?)

 純太は実篤の性格と状況を鑑みて、彼がどこにいるのかを考察する。

「あいつが最後の最後まで逃げ隠れしているとは思えない。かといって普遍的なシチュエーションで待っているとも思えない。勝利したタイミングで登場するのがびしっと決まる場所。あと、何とかと煙は高いところが好きなわけで……」

 考え込む純太の目に、今日自分も使った櫓が入り込む。

 まさかとは思いつつも、足は勝手にそちらに向いていた。
 櫓の下まで歩いていくと、そのまま縄梯子に手をかけて上がっていく。

「実篤がこんな見つかったら最後、退路のない場所にいるとは思えないけど……まぁ、いっぺん上から探してみるのも手だし」

 誰に対するいい訳かは知らないが、そんなことを呟きつつ純太は櫓の上へと上りきる。

 果たして、月に近いために明るい櫓には――

「ようやくの到着か、マイソウルパートナー。月見には少々飽きが来ていたところだぞ」

 ――二度目の直接対決にして、最終決戦を待ち受ける、宮田実篤の姿があった。

 


 

       ◇◆◇


 

 

『彼』にとって、宮田実篤という新入生は認めがたい存在だった。

 容姿端麗、頭脳明晰、文武両道だけならまだしも、奇抜であろうとして人の輪を乱し、我が道を行きながらもカリスマ性をもって悪事に他人を巻き込む彼は、認めがたい人間以外の何者でもなかった。

 入学式でのあまりにけったいな新入生代表あいさつから始まった彼の奇行は、瞬く間に全校に広がったものだが、多くの生徒が彼を軽く見ていたのに対し、『彼』はいち早く宮田実篤の本性を見抜き、ブラックリストに加えた。

 奴はきっと、観鞘学園の平和を脅かす。
 最後の高校生活、きっと素晴らしいトラウマをもたらす。

 それは確信に近い恐怖。栄光の中にいた『彼』にとって、宮田実篤の存在はまさに憎むべき敵対者だった。

 だから、決めた。観鞘学園を愛していたから。

『彼』は誰よりも早く、佐倉純太を特別臨時遊撃風紀委員に任命することを決めた。

 


 

『こちら生徒会書記補佐。裏委員会のメンバー一名捕獲しました! やりましたよ!』

「ご苦労様です。大森副会長のところに移送したあと、他のメンバーも最後まで探してもらってもいいですか?」

『もちろんですよ。がんばります!』

 携帯からはしゃぐ声が聞こえてくる。
 無邪気な先輩に笑みを零して、純太はお願いを告げたあと通話を切った。

「これで残り五人」

「ああ、そして残り時間二十分だ」

 新たに裏委員会のメンバーが捕まえられ、残りのメンバーの数を口にした純太に告げるのは、櫓の手すりを背に床に座る実篤。縄梯子がかかった入り口の横の壁に背中を預ける純太は、ちょうど真向かいにいる実篤から視線を離さない。

「訂正すべきか。残り五人じゃなくて、実質的には四人だ。お前はもう、ここから逃げられないんだから」

「然り。残念ながら、俺は純太から逃れられない。残りの裏委員会のメンバー四人をそちら側に捕まえられてしまったら、俺たちの敗北となるな」

 敗北の未来の可能性を語るには、あまりに実篤の顔は余裕のものであった。

 それも当然か。ここに至って、実篤が焦りを浮かべるはずがない。この櫓の上という場所に、入り口を塞がれれば退路がないことを知りつつずっと潜んでいたように、実篤にとって、ある一人のメンバーさえ残っていれば何の問題もないのだから。

「随分と信頼してるんだな、そのメンバーのことを」

「嫉妬か? 純太、安心するといい。確かに奴のことは信頼しているが、俺にとって純太以上に信頼を向ける盟友はいない」

「ありがとうというべきか? 盟友という響きには、そこはかとなく嫌なものを感じるんだが」

 実篤が信頼しているのは、大森副会長の守りを突破して、一度全ての裏委員会メンバーを解放した未だ素性の知れない最後の一人だろう。彼こそ実篤の切り札。決して見つかるはずない、わかるはずないと確信している切り札に違いない。

 しかし、純太はその裏委員会の切り札たる人物について、すでに理解が及んでいた。確証こそないが、まず間違いないと思っている。

 なら、今なお学校中を駆けめぐっている生徒会メンバーに、その人物について伝えればいいという話だが……

「何を考えているか、手に取るようにわかるぞ純太。やはり俺の予想通り、お前は最後の最後で残りのメンバーを把握したようだな。しかし、残念ながらそれを他のメンバーに伝えることは許さない。携帯電話を使おうとしたら、そのときはこの場所で組んず解れつさせてもらおう」

「追い込んだと思わせておいて、実際には追い込まれたのか。ここは地上から離れた場所。入り口も出口も一つだけ。校舎にいる生徒会メンバーに、情報を伝える方法は携帯のみ」

「なに、俺を捕まえたという偉業を成し遂げたのだから、あとは生徒会メンバーに任せるべきだ。元より純太は客将。真にがんばるべきは生徒会だろう?」

「といいつつ、自分を監視させる代わりに俺を監視するなんて、本命以上に俺を危険視してるってことじゃないか」

「純太さえ抑えれば何も恐くない。残りの生徒会メンバーで、俺たちの切り札を探し当てられる可能性は限りなく低い。そして、一人でもメンバーが残れば俺たちの勝ちだ」

 満足そうに頷いて、実篤傍らに置いてあったリュックへと手を伸ばす。

 彼がリュックの中から何かを取り出すのと同時に、手に握って見せたままでいることを、半ば強制されている携帯が震えた。

「もしもし」

 実篤が電話に出ることを禁じていないのはすでにわかっている。彼が禁じているのは、最後のメンバーの名前を教えること。リュックから取り出した水筒を弄くりつつ、その実実篤は隙を許していない。名前をいったら、その時点で携帯をどうにかしようと動くだろう。

『桃神様一の部下、初美ちゃんです。一人メンバー捕まえた。モチ、桃神様の御力で』

「おめでとうございます。それじゃあ、捜索を続行してもらってもいいですか?」

『了解。でも、もうあんまりパワーが残ってないから、期待はまた明日に』

「いや、今日期待しておきます」

『……がんばってみる』

 よって純太にできたことは、生徒会メンバーの人たちに捜索してもらうのを応援することだけだった。

「これで残り三人だな」

 会計補佐の先輩との連絡を切った純太に、実篤が水筒の蓋にいれたコーヒーを差し出した。

「まだ日中は温かいとはいえ、夜は冷えるようになってきたからな。風邪を引いて明日からの楽しいお祭りを楽しめないのは困るだろう? 純太は俺と同じクラスなのだからな。体育祭でも学園祭でも、是非がんばってもらわなければ」

「……砂糖とミルク」

「もちろん、用意してあるとも」

「それは用意がいいことで」

 リュックからシュガースティックとミルク――それも純太の好みである牛乳パックを取り出してみせた実篤に、純太はあきれ顔になるのを我慢できなかった。

「そのリュック、誰のだと思ってたらお前のだったんだな。……最初から、ここで俺たち二人がタイムリミットを迎えることを予想してたってわけか」

「何とかと煙は高いところが好きだというではないか。宣誓布告は屋上で。第一の決戦は屋上プールで。ならば、残った高い場所はここだろう? 祭りのシンボルともいえる場所だ。こういう場所にはな、そういう縁というものが存在すると俺は思っている」

 実篤が立ち上がることに何ら危機を見せず、純太は差し出されたコーヒーを受け取る。
 ほとんどカフェオレに近い熱いコーヒーに口を付ければ、文句のつけられないくらい好み通りの甘さが口の中に広がった。

 水筒にコーヒーはいれるべきではない――浮かんだそんな皮肉をコーヒーと一緒に飲み込んで、純太は元の場所に戻ってブラックのコーヒーをすする実篤を見る。

「結局、俺とお前の戦いに、このままで勝敗がつくのか?」

「どうだろうな。このまま俺たちが勝ったとしても、俺個人としては純太に捕まっているわけだからな」

「読み合いで上を行かれてるわけだから、俺の負けだろ。……悔しいから、今のところは、をつけさせてもらうけど」

 軽く睨むも、実篤はどこ吹く風とコーヒーを飲むだけ。
 別に憎み合っているために敵になったわけではないのだから、純太もすぐに眉間の皺を和らげ、コーヒーを口にした。

 再び携帯が鳴ったのはそのとき。

「もしもし、裏委員会のメンバーを捕まえたんですか?」

『ええ、がんばったわ。かなりハードな捕縛劇になったけど』

 通話相手は書記の先輩。少し疲れたような息づかいで、だけど力強い笑みを浮かべた声音だ。連絡はもちろん裏委員会のメンバーを捕まえたというもの。高揚も確かに、彼女は言葉を続ける。

『それじゃ、残りのメンバーを捜しに行くわ』

『ちょ、壊した看板このままにしておくんですか!? 先輩!!』

『うるさい! こっちは人生でも滅多に来ない大勝負の真っ最中なのよ! 前夜祭のあと、徹夜して直してあげるわ!』

 電話の向こうで、先輩と誰かが言い争う声に、純太は「あ〜」と声をもらす。

「先輩、一体何をやらかしたんですか?」

『ああ、大したことじゃないわよ。あんまりにもうろちょろと逃げるものだから、近くにあった看板を投げつけただけ。後頭部に角を直撃させてみせたわ!』

「……死んでないですよね、相手」

『佐倉君。お互い最後まで全力を尽くそうじゃないの。じゃあ、また後で』

 プツリと途切れた通話のあとのツーツーと音が、何とも薄気味悪かった。

 笑顔で通話を切られた純太は、引きつった笑みで携帯から耳を離す。
 実篤は会話の内容を耳にしていたのかいないのか、なぜかうんうんと頷いている。

「実篤。なんでお前は頷いてるんだ?」

「いや、なに。俺が当初予想していたよりも、生徒会の粘りがすごかったのでな。感心しているところだ。
 この観鞘学園に入学した当初はあまりに普遍的な生徒会に失望したものだが、いやはや、最後の最後でとんだ化け方をしたものだ。純太を取り込む手腕といい、暴走具合といい、何より最後まで諦めない根性はブラボーだ。これは評価を改めなければいけない」

「みんな、お前に高評価を受けてもあんまり嬉しくないだろうけどな。と――

 次の連絡は、前の連絡から早い段階でやってきた。

「はい」

『佐倉か? 良かった、さっきは繋がらなくてさ』

「ああ、メンバーを捕まえたって連絡を受けていて……何だか神妙な声ですけど、何かあったんですか?」

 生徒会会計である先輩の声は、何やら今までの役員とは違っていた。喜々とした報告ではなく、重苦しい疑問に満ちた連絡なのだ。

「裏委員会のメンバーを捕まえた報告、ってわけじゃなさそうですけど」

『ああ、いや。一人捕まえたは捕まえたんだ。で、副会長に預けようとしたんだけど……』

 そこで言葉を切った彼は、困惑のままに繋げる。

『いないんだ、副会長。捕虜たちは揃ってるんだけど』

「副会長がいない、ですか? ……わかりました。とりあえず先輩がそこで見張っててもらえますか? あと、誰かに放送室へと向かってもらえるよう頼めますか? 足で探すよりも、放送を使った方が早いですから」

『時間ないからな。わかった、すぐにそうする』

「お願いします」

 ピッ、と通話を切って、純太はそのまま聞いた話の内容を脳内で反芻する。

 残り時間八分になって、これで残りの裏委員会のメンバーが一人になったという朗報――だけど、それ以上の感情が純太の中ではうねっていた。

(……やっぱり、先輩たちは全然理解してない。最後の裏委員会のメンバーが一体誰なのか。実篤のいうとおり、彼らだけじゃ気付くはずがない)

 視線を少し冷めてしまったコーヒーの水面に移し、それから真正面で微笑む実篤を見る。

「……どちらにしろ、俺にやれることはもう何もない、か」

「そう、純太にできることといったら、俺と睦言を交わすことだけだ」

「何もないな。いや、本当にやれること何もないな。何も」

 残ったコーヒーを全て飲み干して、それから純太は携帯を真正面の床に置く。

 純太も実篤も理解していた。もしも次に携帯が鳴ったとき、それは最後のメンバーが捕まえられたときであると。

「携帯電話は鳴って、俺たちが勝つ」

「いや、携帯は鳴らず、俺たちの勝利の花火が高らかにあげられるのだよ」

 最後の最後の時に至って、自然と二人の間に言葉はなくなる。眼下で生徒たちが騒ぐ中、静寂だけが二人の間を支配して、視線の先もまた携帯電話が支配していた。

 一分が流れるのが、酷く早くて、酷く遅い。

 二人はもう待つことしかできず、勝敗の最後を握るのはそれぞれの切り札――互いに互い勝利を確信して、全ての終幕を待つ。

 一分が過ぎる。二分が過ぎる。三分過ぎて、五分が過ぎる。

 やがて、残り時間は二分となり――


「どうやら、実篤。俺の勝ちのようだな」


 ――携帯電話は震え、静寂を破る着信音を鳴り響かせた。

 純太はニヤリと笑って、携帯電話を手に取る。
 実篤は目を見開いて驚き、しかしすぐ余裕の笑みに戻って口を開く。

「残念だが、純太。それは最後の一人を捕まえたという連絡ではないよ。恐らくは他の誰かからの、何の意味のない連絡だ」

「認められないのもわかるが、間違いなくこれは生徒会役員からの電話だ。そしてもちろん――

 通話ボタンを押し、耳に携帯を押し当てる。
 
 通話相手はしばし無言。深呼吸をするような音が聞こえ、その後に勝敗を分ける宣言は響いた。

『観鞘学園生徒会会長より報告する。最後の一人を、捕まえた』

 静寂の中、小さな宣言は純太の耳にだけ残る。
 じっと自分を見つめる視線に気付きつつ、勝利の余韻に少しの間ひたって、残念ながら負けてしまった幼なじみに視線を向け直す。

「悪いな、実篤。決定的だ。最後の一人が捕まった。俺たちの、勝ちだ」

「それはない。なぜならば純太、俺たちの勝利を彩る花火は上がろうとしているのだから」

 実篤は笑みを崩すことなく、自分の携帯電話を見せる。
 彼の携帯は今、通話やメールとは別の機能を発現させていた。それは何かのスイッチが押されたなら、発射までのカウントダウンを画面に表示させる機能――

「制限時間まで、俺たちの勝利の時まで、カウントダウン十秒」

「九、八、七――

 純太は勝利したという宣言を疑うことなく、終わりを刻むカウントダウンを口ずさむ。

「六、五、四――

 実篤も自身の勝利を疑うことなく、カウントダウンを口ずさむ。

「三」

 純太は実篤を見る。

「二」

 実篤は純太を見る。

「一」

 そして二人は、互いに宣告した。


――――お前が敗者で、俺が勝者だ』


 互いに自分を勝者と疑わぬ者たちが見ぬ空に、勝者を全てに対し知らしめる花は咲く。

 夜の闇を吹き飛ばす、美しい光の花――――それは大きな打ち上げ花火。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 つまるところ、実篤から託された使命とは、それにあった。

 裏委員会の使命たる、祭りを盛り上げるという行動。
 前夜祭の開幕はタイムリミット。それ即ち、勝者が決まるということ。

『彼』――裏委員会の最後の一人である彼に与えられた使命とは、その勝者と敗者が決定される瞬間、勝者が誰であるかということを、明確に全ての生徒たちに教えることであった。祭りの開催の象徴である花火を華々しくあげることによって、裏委員会が勝者であることを知らしめる、大事な使命だ。

 花火を上げるためだけに、全ては費やされた。

 彼の行動も、実篤の行動も、他のメンバーの行動も全て。

 全ては、勝利の花火をあげるために。

 


 

――生徒会からの連絡です。
 全校生徒の皆さん、準備ご苦労様でした。満足の行く仕上げになりましたか? 来るべき明後日の学園祭の日を楽しみにしていますね。
 さぁ、それでは大変長らくお待たせしました! 第五回観鞘学園大祭――前夜祭の始まりです!
 今の花火は生徒会からのささやかなの贈り物です。どうぞ、心ゆくまで今日という日を楽しんで下さい。ではでは、ミュージックスタート!」

 


 

「この手があったか……!」

 軽快に流れるダンスミュージックと共に、校庭の照明が一斉に輝く。

 生徒たちが櫓を中心に大きな円となって、手を取り合って踊り出す楽しげな姿を眼下に、全ての中心たる櫓の上で、純太と実篤は向かい合う。明確に線引きされた、勝者と敗者として。

 愕然とする実篤。変わらず勝利の笑みを浮かべる純太――そう、勝利の花火は生徒会のためにあげられた。たとえ用意したのが裏委員会だとしても、生徒会のために上げられたなら、それは生徒会の勝利を祝う花火以外の何ものでもなかった。

「言っただろ? 実篤。俺が勝者で、お前が敗者だってな。俺は、お前に読み勝った」

「最初から、全部気が付いていたのか? 俺が前夜祭のために花火を用意していたことも、最後のメンバーが誰だったかということも、全て……!」

「最初からじゃないけどな、予想はついてた。ここからなら見えるだろ、実篤。お前が花火の打ち上げ場所として選んだ方を見てみれば、全てがわかる」

 そう言って、純太は隣に一歩ずれる。
 実篤を見張るために、決して見ることのなかった、だからこそわかってしまう最後の敵がいる場所を。

 実篤が手すりに近寄って、目をこらす。隣で、純太は転がっていた双眼鏡を使って、背後にあった体育館の屋根の上を見やった。

 そこには打ち上げ花火の準備がされてあり、二人の生徒が立っていた。

 片方は山岸会長。もう片方は、山岸会長に取り押さえられている見知った顔の男子生徒――同じく生徒会役員である、大森副会長だった。

「実篤、副会長が最後の裏委員会メンバーで間違いないよな? いや、肯定されなくても、あれを見れば一目瞭然なんだが」

「……なぜ、わかった? 彼がそうであると?」

「最初は疑ってもいなかった。胃を壊して入院してるってことを知るまでは。俺は知っていたからな。実篤、お前は確かに騒ぎを起こしては誰かに迷惑をかけるけど、それでも誰かを入院させるような真似はしない奴だってな。だから、副会長の入院は嘘だって思ったよ」

 双眼鏡から目を離し、純太は下ろしていた携帯電話に再び耳を近づける。

「生徒会長だって、胃を悪くして胃腸薬を常用してたけど、その辺りが実篤の限界だ。入院までは追い込まない。それでも最初、副会長は家で休んでいるだけだと思った。トラウマにでもなって……だけど、副会長は今日学校にやって来た」

『しかし、それは我々に協力してくれようとしたからでは?』

 疑問は実篤ではなく、通話相手の山岸会長からやってきた。

『副会長は、本当に学園を愛していた。だから我々は、何の疑いを抱くこともなかった』

「でしょうね。実篤がそう思ったように、生徒会メンバーだけじゃ、絶対に副会長は捕まえられなかったでしょう。疑うことすらできなければ、捕まえるのなんて夢のまた夢。
 俺が副会長を裏委員会のメンバーだとほぼ確信を持ったのは、裏委員会のメンバーが全員、何者かによって逃がされてしまったときですよ。普通、誰かが監視しているところに入っていって、姿も見られずに仲間を逃がすことなんてできない。唯一できる実篤は俺が相手をしていたから、自ずと監視していた副会長を疑うしかなかった」

「そういうことだったのか。俺と直接対決に持ち込んだ本当の理由は――

「いる可能性の高かった、隠匿性の高いメンバーを見つけるためだ。実篤が捕まった仲間を逃がす方法を持っていた可能性も高かったから、俺が実篤を引きつけておけば、何かしらボロを出すんじゃないかって思ってな。もちろん、そのままメンバーが捕まったままなら、あとは延長戦に持ち込んで、実篤を捕まえるだけで良かったわけだけど。
 つまりはそういうこと。実篤と直接対決することで得たかったのは、敵メンバーの全容と時間だったわけだ」

『時間。つまりは大森副会長を――いや、大森副会長が握っているだろう、宮田実篤の始める祭り開催の狼煙と――

――実篤が体育祭と学園祭期間中に行うだろう、イベント情報を手に入れるための時間だ」

 全ての作戦をメールによって唯一伝えていた山岸会長の言葉をついで、純太は実篤に自分の作戦全てを説明した。

「お前が行う傍迷惑のイベント情報が俺は欲しかったんだ。お前と最初に対決する時点で、メンバーが逃げたら、敵全員を捕まえる以外の勝利方法の方が確率良かったからな。
 結果的にメンバーは逃げ、俺は作戦をそちらへと移行した。一度捕まり、焦っているメンバーが逃げ込んだ場所――人間、足を向けやすいのは通い詰めた場所か安心できる場所だ。そっちの方に何かしら、お前たちが設置した仕掛けがあると思ったよ」

「生徒会役員たちに、特に作戦なくメンバーを追い詰めさせた理由はそれか。そして裏では、生徒会長を使って仕掛けを捜していた。……報告のあった、生徒会長が倒れたという情報は嘘か」

「ああ、嘘だ。疑いの強かった副会長を騙すための。副会長から伝わることでお前も騙し、生徒会長が秘密裏に動けるようにした。
 もうわかっただろ? 実篤。結局メンバー全員を捕まえたことになったわけだけど、俺が本当に、お前に突きつけようとした敗北条件が何か」

 純太は携帯電話を、実篤も聞こえるように差し出す。

『宮田実篤。大森副会長をタイムリミット間際に捕まえたのは、あくまでも保険に過ぎなかったのだ。今の花火は副会長からスイッチを奪った私があげたものだが、たとえ見つからずにそちら側が花火をあげていても何の問題もなかった。放送室さえ押さえて全校放送すれば、表の最高権力である生徒会の言葉を信じない生徒はいないからな』

「みんなが、今の花火は生徒会によるものだと思う。胃の弱い生徒会長を気遣ってか、お前は今までの半年間手加減してたからな。全校生徒はお前が変人だと知ってるが、花火を打ち上げるなんて大それたことをする奴とは、まだ認識していない。
 それに比べて、今年の生徒会ならやりかねないっていう認識はもう与えてある。結果論だけど、今年の生徒会は例年なら禁止されていただろう企画にOKを出し、今日という日に大騒ぎを起こし、最後にはお泊まり宣言――花火くらい上げたって、感心こそすれ誰も疑わない」

『加え、ここまで生徒会の認識を全校生徒に植え付けたのなら、以後突発的なイベントを発表しても受け入れてもらえるだろう。それどころか、どんなおかしなイベントが起きようとも、声明を出せば生徒会によるイベントとして認識される。仕掛けのほとんども発見した。裏委員会が何をしようとしていたかは、佐倉君が看破済みだ。つまり――

 純太は実篤に。山岸生徒会長は大森副会長に。それぞれ敗北の本当の理由を突きつける。どう足掻いても今更覆せない、絶対の敗北を。


――裏委員会の全ては生徒会が吸収した。もう、裏委員会がどれだけ暗躍しても、それは生徒会の株を上げる行為でしかない。生徒会の、完全勝利だ』


 実篤は馬鹿ではない。自分の行動の結果を認められない奴じゃない。

 悔しそうに顔を歪め、だけどすぐに吹っ切れたような表情で、やられた、と実篤は笑った。


「ああ、そうだな――――俺の、負けだ」


 

 


 純太が思いついた作戦は、全て上手くいった。

 あえて騒ぎを大きくすることで、全校生徒に堅物と思われていた生徒会の認識を改めさせること。

 純太が実篤と直接対決することで裏委員会のメンバーの全容を掴むこと。また、延期願いにより冷静な判断を奪い、宿泊願いによって時間の延長をする。これにより実篤らに生徒会の狙いが敵の全滅だと誤解させ、なおかつ明日までの時間を削ることで、よしんば裏委員会に全てが終わったあと、生徒会が把握していない新たな仕掛けを施す暇を与えないことも。

 敵を騙すにはまず味方から。以後は生徒会役員に本気で裏委員会のメンバーを追わせつつ、裏で生徒会長に仕掛けを発見し、報告してもらっていた。
 また、副会長が敵側であることを言い含めて監視もしてもらっていた。最後まで会長は信じていたようだが、それでも実際に花火を上げようとする場面を見れば認めるしかない。

「不安要素がなかったわけじゃなかった。俺が実篤を見つけられなければ、お前はきっと敗北を認めない。これからの時間でも、新しい何かを隠れつつ作ろうとしただろうからな。見つけてずっと監視していないといけなかった。そのためにも、校舎に泊まれるようにしたんだし」

「なるほどな。俺の策の中に引き込んだと思っていたが、実際は純太の策に引き込まれていたわけか。ふっ、なるほど。状況状況に合わせた行動は、お前の得意分野だったな」

「完璧に時間配分して、今日何もする必要がないくらい準備を終わらせていたのが裏目に出たな。完成品を見れば、俺ならお前のしようとしている全てがわかる」

 前夜祭が続く中、場所を、体育祭の準備をしないために生徒会以外使わない体育倉庫へと移した純太は、実篤と隣合って話を交わしていた。

 後ろでは、先程までこの場所に捕らえられていた裏委員会のメンバーたちが、しょんぼりとしたムードで肩を落としている。彼らには実篤の口から全てが伝えられていた。そして前方に集まっている生徒会役員にも全てが伝えられており、だから純太と実篤たちは離れていた。

「大森副会長。説明してくれるね?」

 生徒会役員たちに囲まれて、説明を求められているのは、裏委員会のメンバーだった大森副会長。生徒会役員でありながら敵側だった彼に、皆一様に疑問を抱いていた。怒りなく、ただ疑問を。

「どうして宮田実篤の側にいた? 君は、この学校を愛していたんじゃないのか?」

「愛していたからこそ、だよ」

 黙り込んでいた大森副会長は、ぽつぽつと話し始める。

「僕はこの学校が好きだ。良くしていきたい。みんなを楽しませて上げたいと思って、生徒会にも入った」

「なら、なぜ裏委員会に? 生徒会として盛り上げて行けば……」

「何言ってるんだ。僕は誰よりも今年の生徒会を知っている。みんな真面目で、やることと言ったら例年通りの体育祭と学園祭。……僕は嫌だった。もっとみんなに楽しんで欲しかった。だから、宮田と連絡を取って協力を願ったんだ。一緒に盛り上げて欲しい、って」

 そこまで説明して、副会長はうなだれる。
 会長たちは自覚があるだけ、何を言っていいかわからないようだった。

 純太にしてみれば、そもそも今の生徒会のどこらへんが真面目なのか甚だ疑問で、副会長が率先して提言すればどうとでも体育祭も学園祭も盛り上げられたと思うのだが、ずっと一緒にやってきた彼らからしてみれば違うのだろう。

 会長たちは、あくまでも健全な範囲で楽しんでもらおうとした。
 副会長は、ただ、生徒たちが楽しんでくれればそれで良かった。

 両者の齟齬は小さいようで大きい。どうしても副会長は我慢できなかったのだろう。観鞘学園を愛するが故に。

「……あんなにも、人は自分の学校って奴を愛せるものなのかな」

「逆に聞くが、純太は今日という日が楽しくなかったのか? この学校という舞台の上で繰り広げられた全てが楽しくなかったか?」

「いや、そんなことない。楽しかった」

「それと同じことだ。人間、楽しければそれを愛せる。だから、学校を楽しいと思えば、学校を愛せよう。俺が純太を心底から愛しているようにな」

「うん、最後の一言がなければ非常に良い言葉だったな。
 しかしそうすると、このまま副会長を責めるのはあれだよなぁ」

「では、どうする?」

 裏切ったという事実は存在しても、生徒会も副会長も、学園を愛する事実は変わりない。実篤は何か微妙に違う気がするが、副会長は真摯に学校が好きなのだ。

 腕を組んで流し目を送ってくる実篤に、純太は視線を送り返す。仕方がない、と。

「あの、生徒会長、提案があるんですけど」

「なんだい?」

 言葉を探していたような山岸会長に手を挙げて近付いていくと、彼は少し安心したような、助けを求めるような視線を向けてきた。他の生徒会役員からも同様で、何やらいつの間にか信頼を獲得してしまっていたらしい。

 純太としても悪い気はしなくて、最後に副会長が自分を見たのを確かめてから、思いついた提案を話し始めた。

「俺たちが勝ったわけですけど、勝ったからには絶対にやらないといけないことが存在します。なぁ、実篤?」

「当然だな。敗北を認めたのだ。こちら側としてはそちらに、敗北条件に含まれている我々が設置した仕掛けの管理を願い出る権利がある。もちろん、吸収したと言ったからには、仕掛けはきちんと使ってくれるのだろうな?」

「ちなみに、俺はずっと実篤が仕掛けたトラブルに巻き込まれて来たのでわかるんですが、今回設置されているものは相当まともな代物です。上手く運用すれば、誰に迷惑がかかることもなく、盛り上げることに繋がるはずですよ。
 でも、それには仕掛けのことがよく分かっていて、尚かつノリに突っ走らない責任者が必要です。もちろん実篤だけはNGで」

「はっはっは。何気に酷いぞ、純太」

 敗北を認めた結果、実篤は明日明後日何も騒ぎを起こさないことを約束したわけだが、如何せん実篤は根本からずれている。奴を責任者としたなら、真顔でトラブルを引き起こしておいて『別に騒ぎにはなってないだろう? 普通だ、普通』と言いかねない。

 山岸会長もそこら辺は理解しているのか、鋭く笑う実篤を睨みつけてから、純太に訊いた。

「佐倉君。どうするべきだと君は思う?」

「俺は大森副会長を責任者に任命すればいいと思います」

『え?』

 と、声をあげたのは、山岸生徒会長であり名前をあげられた副会長だった。

「ぼ、僕を責任者に? でも、僕は生徒会を裏切って……」

「でも、実篤よりは安心できますし、きっと会長たちにとっては安心して任せられる唯一の相手のはずですから」

「なら君がやればいいんじゃ……」

「俺が任されたのは実篤を大人しくさせることだけなので。明日からは普通の生徒としてお祭りを楽しみますよ。まぁ、もう一枚プラチナチケットがあるなら別ですけど」

 二枚も『世界の終わりワールドエンド』のチケットを手に入れるなんて、それこそ不可能なことである。無理難題。だから自分は、絶対に責任者になることはない。

「というわけで、副会長がやらない場合は、仕方がないですけど実篤が候補に挙がる可能性が。奴はナチュラルにトラブルを巻き起こす奴です。奴の大人しいを、俺たちが思う大人しいと一緒にしてはダメ絶対」

 生徒会長と副会長が顔を見合わせる。

 お互いに答えは決まり切ってるのに、素直になれない二人に、最後に実篤が言った。

「俺としては任命されても一向に構わんが。責任者、いい響きではないが。俺を選んでくれたなら、絶対に後悔させないことを約束しよう」

「大森副会長、君に頼めるか?」

「こんな僕でよければ」

「ああ、一緒に皆の思い出に残る、素晴らしい体育祭と学園祭にしよう」

 がっちりと握手を交わす二人に実篤が微妙にむっとなるも、やれやれと頭を振って、

「仕方がない。今年は純太と一緒に一生徒として体育祭で青春の汗を流し、学園祭では甘酸っぱい青春を楽しむとしようか。我らが裏委員会の栄えある精鋭たちは、副会長を手伝ってあげるといい。我らは敗北を迎えたが、それでも何も失っていないのだから」

『『サー・イエッサー』』

 振り返って告げた軍服姿の実篤に、裏委員会のメンバーは揃って綺麗な敬礼を決める。うちのクラスにも見習わせたいくらい、見事な光景である。
 
「佐倉君」

 複雑な心境で実篤の影響が周りに出始めているのを見ていた純太に、山岸会長が声をかける。

 彼の隣には副会長。後ろには生徒会メンバーが揃っていて、彼らはタイミングを合わせてお辞儀をした。

「ありがとう、佐倉君。君のお陰で、高校生活最後を楽しく締めくくれそうだよ」

「僕からもお礼を言うよ。やっぱり、僕は生徒会のみんなと一緒にやりたかったから」

「そ、そんな、俺は食べた分を働いて返しただけで……」

 他の面々からも一様に感謝を伝えられ、純太は照れくさくなって、首の後ろに手を触れつつ明後日の方向へと視線を逸らす。

 その先でニヤニヤと笑う実篤と視線が合って、自分の頬が赤くなっていくのを感じた。

「いや、その、俺は……平穏無事なお祭りになることを応援してます。がんばってください」

 こういう青春なのには、あまり、純太は免疫がなかった。他でもない、いつも一緒にいて、これからもずっと一緒だろう幼なじみの所為で。

 ――宮田実篤と一緒にいるから。









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