番外編  ラッシャの華麗なる夜


 

 よくよく考えてみれば、今自分は素晴らしく恵まれた立ち位置にいるのではないだろーか?

 ラッシャ・エダクールは馬車の御者席に腰掛け、馬に鞭を入れながらそんなことを考えていた。

「やって考えてもみぃや。今ワイが一緒にいる面子を」

 一人なのが寂しいので声に出してラッシャは確認する。

「使徒が二柱に巫女が二人。竜滅姫にその従者。あとしゃべる超レアキャット。声に出してみると何や寂しいけど、これってすごいことやない?」

 もしかしなくてもすごいことである。この面子、権力だけでいえば国家転覆も狙えるのではないだろうか?

「やけど、重要なんはそっちやあらへんな」

 しかしラッシャとしては、権力云々など所詮飾りでしかない。それがえらい人にはわからんのです。いいじゃないか、旅人でも。夢さえあればお金も地位もなくていいのである。自由人万歳!

「そう、重要なんは面子の女の子がみんなえらい別嬪さんやってことやで!」

 誰に宣言したのか、立ち上がってぐっと腕を振り上げるラッシャ。
 そのときタイミングよく馬車の車輪が石ころでも踏んだのか、馬車が大きく揺れ、ゴミのポイ捨てのようにラッシャの身体は御者席の外に投げ出される。

「うわっつぅってほぉおおお!」

 なんとか手綱を握っていたラッシャは気が付けば再び御者席に叩き付けられていた。ぶるん。と、『世話がかかる奴だぜ』とでも言いたげに馬が鳴く。

「ば、馬鹿な。このラッシャさんともあろうものが、今みたいなナイスボケをツッコミ不在のタイミングでいてまうなんて……自分の不甲斐なさにくじけてしまいそうやで!」

 狭い御者席を器用に寝転んだまま回転し行ったり来たり。顔から火が出るほど恥ずかしい気が何となくしたのだが、やがて回転も止まる。無性に空しくなったのだ。やはり、身体を張ったギャグには相方が必要なのである。

「よぅし、改めてツッコミのありがたさを噛み締めたところで、本題に戻ろうや。うちの女子の顔ぶれやったな」

 何事もなかったように席に腰掛けるラッシャを、『付き合ってやるよ』とでもいいたげに馬がチラ見をする。話がわかる馬である。そしてラッシャも馬の言語などわからないが、何となく聴衆がいる気がそこはかとなくしたので、いい気になって語り出す。

「ええか? まず姫さんことリオン・シストラバス嬢や。
 紅に輝く長い髪。意志の強そうな瞳。身に纏ったドレスが気品を表し、こっそりとつけたリボンが女の子であることを密かにアピールしとるっちゅう寸法や。剣術やってるせいで若干スレンダーやけど、十分女らしいスタイルをしとる。
 そしてこれが重要や。間違いあらへん。姫さんはツンデレのデレ気に突入しようとしとる! ああ、ツンデレちゅうのはサネっちから教えてもろた称号でやな……」

 かくかくしかじかと、何ともいえないこのニュアンスを身振り手振りで伝える。
 シストラバス家が生み出した兄貴分な馬は『さすがは俺らの姫様だぜ』と荒い鼻息を噴出した。

「次はクー嬢ちゃん。金髪碧眼の愛らしい女の子。エルフ耳と大きな帽子がポイント高いで。で、これはもう教えるまでもないことやけど、クー嬢ちゃんはデレデレや。いつでもどこでもジュンタのことを一番に考え、しかもご主人様! ご主人様呼んでるんやで!? この破壊力は思わず吐血してしまうほどやでほんま!」

『このロリコンめが!』と、どこか醒めた様子の馬。どうやら幼い女の子は好みではないらしい。

「なんやなんや、自分選り好みの激しいやっちゃな。じゃあ次や。ユース嬢。そう、メイドさんや。これ以上に何か語ることがあるやろうか? いや、ない! …………あれ、なんで自分反応ないん――

 突如揺れる馬車と弧を描く馬の尾。横殴りに殴られたラッシャは、無様に床に這い蹲った。

「そ、そういやユース嬢は動物のお世話をよくやっとるんやったな。自分もファンの一人やったっちゅうことか……」

『俺らのアイドルに色目使ってんじゃねぇぜ?』と怒れる獅子の如き眼圧を滲ませる黒馬。ラッシャは頭が取れるくらい首を縦に振りつつ、怖々と手綱を握りしめた。

「や、やったら最後。スイカっちや。や、ほんとはスイカ聖猊下いうんが正しいんやけどな、何や話してみたらえらい話しやすい人やったもんでつい。
 黒髪に黄金の瞳だけでもご飯三杯はいけるっちゅうのに、未だに出会ったことのないお姉ちゃん属性や。ヒズミとおるときのあの輝きを見てみい。あれが使徒としての輝きなんやね、きっと」

 うっとりと眼を細めるラッシャに、『ほどほどにしとけよ』と夕焼けの中を突き進む馬。
 
 一人の男と一人の馬との間に芽生える、種族を超えた何か。わかってる。どの世界でも、こういう話は男同士の秘密と相場が決まっているのだ。

「そんな四人の別嬪さんに囲まれてるっちゅう美味しい状況。しかも監視役の大人は不在なんて、もはやチャンスとしか思えへん! これは、これは何かせえへんといけない思うんよ!」

 聖地ラグナアーツへの旅路は明日終わる。そして今日もまた残り僅か。ジュンタと出会ってから舞い込んできた幸運の中でも、輪をかけて数奇な巡り会いの中にいる今、何かをしたい衝動に駆られるのは男としては当たり前のことだった。

 できればもっとおもしろおかしい目にあいたい。
 できることならもっと女性とお近づきになりたい。
 艶姿などをお目にかかれれば、もう死んでもいい。

――ほう、奇遇なことだな。まさか俺の他にも、現状で何かしなければいけないという強迫観念に駆られている者がいるとは」

「自分は……!」

 ピンク色の妄想へと旅立とうとしていたラッシャの前に、沈む夕陽を後光のように背負った白い小さな影が舞い降りる。

 日が沈み、夜が来る。

 うっすらと口元に笑みを浮かばせた猫は、その小さな肉球をそっと差し出してきた。握手を求めて。

「俺とお前が組むのはこれが初めてのことだが、なぜだか俺はこの時点で終わりが予想できている。お前は正真正銘完全無欠のギャグキャラだ。だが、望むなら自らの瀕死と引き替えに望むものを得られるだろう。ギャグキャラだけに」

「ギャ、ギャグキャラにはそんな美味しい特典が……!」

「そうだ。望むが良い、望むままに。俺はその手助けをしようではないか。気にすることはない。疑うことはない。俺とお前の望みは合致している。お前はエロスを。俺はトラブルを。それぞれ、この旅の渦中に求めているのだからな」

「サネっち……」

 ニヒルに笑う子猫――サネアツに、ラッシャは漢の背中を見る。

「へへっ、そうまでいわれたら引き返せへんな。おっしゃ。ワイの命、自分に預けたで!」

「心得た。共に忘れられない夜を過ごそうではないか」

 強く握手を握る。柔らかい手の、しかし何と頼もしいことか。

 斯くして――ここにラッシャ・エダクールとサネアツの共同戦線が結ばれた。

 


 

       ◇◆◇

 


 

「第一回、王様ゲェエエエエエエムゥウウウウウ!!」

 イヤッホー、と夕食の席で突如雄叫びをあげる。突き刺さる視線が痛気持ちいい。黒髪の姉弟からは痛い子でも見るような視線。前から付き合いのある面子からはまたかという視線が、なんとも心地良かった。

 そう、今こそが宴の絶頂。ここぞというタイミングでラッシャは、前もってサネアツと取り決めておいた作戦に打って出た。

「なんやなんや自分ら、こんなええ夜なのにテンション低いで! イヤッホゥ! ヤッホホーイ!!」

「あなたの所為で、そのいい夜が台無しですわよ」

 たき火を真ん中に、それぞれレジャーシートの上で食後の一服という名の酒盛りを始めていた面々の中、ちゃっかりジュンタの隣を陣取っていたリオンが非難の声をあげる。

「突然何事ですの? 王様ゲームとは一体何なのです?」

「あれ? 知らないのか? 王様ゲーム」

 リオンが王様ゲームについて知らなかったことに驚きの声をあげたのは、リオンとクーの二人に挟まれて、ワインをちびちびと飲んでいたジュンタだった。ラッシャもサネアツに教えてもらうまで知らなかった王様ゲームを、やはり彼だけは知っていたらしい。

「ご主人様、その王様ゲームというのは何なんですか? 王様の真似をして遊ぶゲームなのでしょうか?」

 主であるジュンタが知っていたため、興味を抱いたクーがワインボトルを片手に首を傾げる。お酒に弱い彼女だけは、一口たりともアルコール類を摂取してない。ジュンタを初めとした面々の酌をしているのみである。

「王様ゲームってのはだな、宴会ゲームの一種で、俺たちの故郷の方じゃ割りとポピュラーな遊びだ。別に王様の振りをするんじゃなくて、クジで王様を選んで、当たりくじを引いた人間が他の番号クジを引いた相手に何でも命令をしていい、ってゲームだよ」

「なんでも? なんでもって、たとえば死ねって命令でもいいのか?」

「いいわけないだろう。あくまで常識の範疇内での命令をして、それを遵守して遊ぶに決まってる。そうだろう? ジュンタ君」

「ああ、スイカの言うとおりだ。ヒズミのはもはや遊びじゃなくて罰ゲームだ」

 ジュンタの説明に興味を持ったらしいヒズミと、浮世離れしているはずなのに意外にも的確に内容を理解していたスイカも話題に入ってくる。

 ぼうっとした様子のユースも含めて、皆が王様ゲームの内容を理解したと思しきところで、ラッシャは再び声を張り上げた。

「ジュンタのいうとおり、王様ゲームは宴会を盛り上げるのにこれ以上ないゲームやで! どうや、みんな。クジはワイが用意したさかい、これからいっちょやらへんか?」

 こっそりと木材を切り裂いて作りだした、番号と王冠のマークが描かれたクジをラッシャは取り出して掲げる。この時点で乗り気なのはラッシャだけで、ジュンタは別にやってもいいけど、という顔。クーはご主人様がやられるのでしたらと、スイカはおもしろそうだと喜んでいて、それを見たヒズミは渋々認め――

「断固反対ですわ! ラッシャに王様のクジを引かれたら、いやらしい命令をされるに決まってますもの!」

 一人、俄然とした勢いでリオンだけが拒否を主張した。

(やっぱり姫さんは反対か。当たり前やな。いつも命令する側なんやから、される側になるゲームなんかに参加するわけあらへん。サネっちの言うとおりやで)

 リオンが反対することは予想済みのことだった。ならば、前もって攻略の方法も用意しておいたということである。

 これが半年ほど前だったなら、頑固な彼女を説得するのにかなりの労力を要したことだろうが、今の彼女ならこの言葉をいうだけで十分だ。サネアツ、なんて恐ろしい猫――と内心で思いつつ、ラッシャは睨みつけてくるリオンにニヤリとした笑みを向けた。

「酷いやっちゃな。紳士たるワイがそんなことするわけあらへんやん。まぁ、疑われたなら仕方あらへん。ワイが王様になっても、絶対にいやらしい命令はせぇへんと誓うわ」

「……殊勝な態度が、逆にとても怪しく思えるのですけど」

「どれだけワイ、信用ないねん。けどなぁ、王様ゲーム自体はとてもおもろい思うねんけど。たとえば、何番が何番の耳元で愛の囁きをするとか――

「あなた、なにグズグズしていますの? やるのならさっさとしますわよ! さぁ、皆さん。クジを引きなさい!」

 座っていたリオンが神速の動きで立ち上がると、ラッシャの手からクジを奪い取る。しかも主導となって他の面々にクジを勧めた。彼女が前面に出てきた時点で王様ゲームの開始は決まった。

「そう、そうですのよね。何でも命令していいのでしたら……ふっ、ふふふふふっ」

 クジの束を手に持ったまま、リオンはチラリとジュンタの方を見て頬へと手を当てる。何を考えているかは、まぁ明白も明白だった。

(姫さんを攻略できればこっちのもんやな。あとはサネっちの仕込みがええ具合になったところで……グフッ、グフフフフ)

 奪い取られたために鈍い痛みを発する手をヒラヒラさせつつ、順番にリオンの手からクジを抜いていく面々を――その中でも女性衆をラッシャは見る。これからを思うと胸は否応なく高まり、鼻息が荒くなってしまう。

 しかし慌ててはいけない。当初の目的を果たすためには、綿密な計画が必要なのだ。

(頼んだで、サネっち)

 ラッシャはスイカたちがいる手前しゃべることなく、ジュンタの頭の上にへばりついている相棒へとウインクを飛ばす。白い子猫もまたウインクを返してきた。二人の絆は強く熱く、もはや何ものであっても断ち切れるものでもない。

 始まる王様ゲーム。そして、欲望の夜。

 ラッシャは堪えきれない笑みを必死に噛み殺しながら、残り二本になったクジの片方を引き抜いた。


 

 

       ◇◆◇


 

 

「うっ、僕が王様なのか……」

『王様だーれだ!』と、ハイテンションで一人叫ぶラッシャの合図の直後、最初の王様クジを引いたヒズミが困った顔を作った。

 王様ゲームを始めるにあたって決められたルールは三つ。
 一つ目は一回で命令できる人数は二人まで。二つ目は王様に何々する系はダメ。三つ目は蛇足かもしれないが、無理な命令はしないこと、である。

 あまり乗り気ではなかったヒズミを、それぞれの番号を確認したみんなが注視する。ヒズミは向けられた視線を面倒くさそうに受け止めながら、眉根を寄せてガシガシと頭を掻いた。

「あ〜、その、命令か。え〜と」

「ヒズミ。最初が肝心だ。盛り上がる奴にしてくれ」

「うっ」

 隣に座っていたスイカが、天然そのままの発言を、プレッシャーを感じているだろう弟に向けた。あからさまにヒズミは狼狽えて、傍目から見ても脳みそをフル回転させているのがわかる。

 それでもヒズミのボキャブラリーの中には、こういった場面での打開策はなかったのか、彼は助けを求めるように周りを見渡した。たき火の炎に照らされた全員の顔、その前に置かれた数多くの料理と――

「そ、そうだ! 一気飲み! 三番が瓶のグラスのお酒一気飲みで!」

 酒瓶。それを見たヒズミは天恵を得たかのような表情で、王様としての命令を下した。一気飲みというチョイスは、最初にしては軽すぎず重すぎずいい案配である。

 ヒズミが空気を読めたことにほっと安堵する中、それぞれが自分の番号を再確認する。振られた番号は一番から六番まで。ちなみにラッシャは一番であり、三番ではない。

(一気飲みやと、二人鬼門がいるんやけど)

 ラッシャはチラリとこの命令が嬉しくない二人を見る。お酒に極度に弱いクーと酒乱のジュンタである。ジュンタはポーカーフェイスで平然と、クーはあからさまに胸を撫で下ろしていた。

「それで、三番は一体誰なんだ? もちろん拒否は受け付けないからな」

 命令を選択する重圧から解放されたヒズミは、少しだけ乗り気になって手元に置いてあった未使用のグラスに並々とエールを注ぎ込んでいる。一気飲みをするにはかなりの量だ。アルコール指数の低いエールとはいえ、当たってしまった三番は厳しいことだろう。

 グルリとヒズミは自分の場所からそれぞれの顔を見ていく。
 ラッシャ、クー、ジュンタ、リオン、ユース全てが首を横に振った。
 
 残るは……

「三番はわたしだ」

 名乗りはヒズミの真横から上がった。

「え?」

 引きつったヒズミの声があがる中、エールが入ったグラスを手で掴むスイカ。彼女は三の番号が刻まれた木の棒を地面に置くと勢いよく立ち上がった。

「ね、姉さん! 姉さんが三番なの!?」

「そう。まさか一番手で当たるとは思っていなかったから、自分だとわかるまで少し時間を要してしまったけど」

「そ、そういうことじゃなくて……!」

 厳しい一気飲みを姉に当ててしまったことにヒズミが慌てる中、俄然やる気のスイカが気合いを入れる。

「それでは――一気のみ行きます」

 両手でグラスを持ったまま口をつけ、ヒズミが止める暇もなくスイカは傾けていく。黄金色のエールが細い彼女の喉を通り抜けていく度に、幾度となく喉が動く。少し苦しいのか目元には涙が滲むが、それでもスイカは飲むのを止めない。

「ちなみにヒズミ。スイカってお酒には?」

「別に弱くはない。むしろ強い方だし変に酔ったりもしないけど……」

 ジュンタがヒズミにそんなことを聞いている内に、スイカがグラスの中身を全て飲み干す。

「かなり、きついな」

 ぷはっと、勢いよく息を吸った彼女は口元を抑えると座りながらグラスを置き、目元に溜まった涙を拭いながら笑みを浮かべた。

「それじゃあ次だ。今度こそはわたしが王様になってみせるから」

 お〜。と歓声が上がる中、スイカが自主的にくじを回収していく。

『王様だ〜れだ!』

 今度の合図は、スイカとラッシャの二人からあがり――

「………………どうして、また、僕……?」

 王様を引いたうらやましい奴が、引きつった笑みを浮かべた。

「また王様はヒズミですの? どうして私ではありませんのよ」

「代われるものなら代わりたいよ……くそぅ」

 王様の権利を渇望するリオンが、王様ではなかった自らのクジを焼き殺さんばかりの視線で射抜いている。

 ヒズミはそんなリオンを羨ましそうに見ると、そっと姉を盗み見た。

 スイカは先程よりほんの少しだけ頬を上気させて、自分のクジを隠すように手で覆っていた。弟の視線に気付くと彼女は慌ててポーカーフェイスを形作る。そんなことをしなくても、元々番号などわかりはしないが。

「ヒズミ。早く命令なさい。そして早く次のくじ引きに移るのですわ!」

「そんなにリオンは王様になりたいのか……恐いな、色々と」

 姉には絶対当てたくないと顔が物語っているヒズミを余所に、外野はそれぞれ好き勝手なことを言っている。

 ラッシャは提案者として、悩みこむヒズミに先を促した。

「ほんなら、王様。命令をば」

「わ、わかった。それなら二ば……いや、もう一度三番! 三番がお酒を一気飲み!」

 意を決して先程と同じ命令を下したヒズミの心中としては、姉と同じ目に誰かを遭わせることによって罪悪感から逃れたいという気持ちがあったのだろう。そんな自分本位な考えは、しかし一番最悪な形で裏切られる。

「……ヒズミ。さっき見たとき、わたしの番号がわかったりした?」

 唇を尖らせて心底不思議そうな顔をするスイカが、がっくりと肩を落として三番が刻まれた棒をヒズミに渡す。代わりに今度は自分でエールをグラスに注ぎ込むと立ち上がり、

「それじゃあ、もう一度一気飲みします。……今度は途中でつっかえるかも知れないけど、それは許して欲しい」

 それだけを言って、潔くグラスを傾けた。

 


 

 次の回――ヒズミはクジの束を手に、やけくそ気味に喉の奥からお決まりの文句を叫んでいた。


 


       
『いいか? まずは酔わせる。これに限る。場の空気とアルコールの相乗効果で、皆から冷静な思考を奪い取るのだ』

 王様ゲームというゲームをラッシャに授けたサネアツは、ゲームの序盤の作戦としてそんなことを指示に出した。

『なに、実行に移すのはさして難しいことではない。皆王様ゲームなどといった娯楽は知らないからな。突然初めても咄嗟に命令など考えつかないだろう。一部を除いて、だが。
 それなら夕餉の席に前もってアルコールを用意しておけば、誰かが勝手に一気飲みを提案するはずだ。そうすれば、後は考えつかなかった者がそれを踏襲していく。場の空気も手伝って、三十分もすれば酔いも回っていることだろう』

「すごいで、サネっち。予想的中や」

 五回目のくじ引きにより王様となったクーの命令――というよりお願いだったが――で、リオンとユースの主従がそれぞれ一気飲みを行っていた。王様になったことで慌てたクーは咄嗟に命令を思いつかず、混乱したままヒズミに倣ってしまったのである。

「これくらいちょろいですわ」

「ごちそうさまです」

 恐縮しているというおかしな王様の前で、主従はそれぞれ得意気な顔と無表情で軽々と一気飲みをやり遂げる。リオンが酒豪であることは知っていたラッシャだったが、まさかユースも同じだとは……。

(これまでのくじ引きはヒズミが二回続けてで、次にスイカっち。その次がジュンタで次がクー嬢ちゃんか。ジュンタには腕立て伏せなんてやらされたけど、スイカっちは報復も兼ねてヒズミを狙い撃ちしおったからなぁ。ここまでは良い感じやで)

 懸念としてクーなんかに一気飲みが当たった日には、その時点で彼女は退場だったが、なんとか凌ぎきっている。それだけは本当に幸運だった。

 やはり今日の自分はついている――ラッシャは五十回もジュンタの命令でやらされた腕立て伏せによる腕の鈍痛を堪えつつ、ほくそ笑んだ。

(次で六回目。そろそろワイに王様が当たったとしても、問題はあらへんやろ)

 クーが差し出したクジの束へと、隣という位置を利用してラッシャはいち早く手を伸ばす。そのときラッシャの目は、傍目からはまったく同じに見える木の棒の中、僅かに木目模様が違う木を捉えていた。

「これや!」

 そう、ラッシャは前もってクジに細工を施していたのである。王様クジを矯めつ眇めつ長い間見なければわからないような些細な細工を。これにより、ラッシャはなろうと思えばいつでも王様になれたのである。提案者である手前、すぐに王様になったのでは怪しかろうと今まであえて避けてきたが、六回目となれば誰にも疑われない。

「きたきたきたぁあああああ! ついに、ついにワイの手元に王冠ちゃんがぁあああああ!」

 押し殺してきた衝動を発散させるように、ラッシャは身体を思い切り逸らして雄叫びをあげる。いつも通りの奇行ではあったが、宴の席ではその滑稽さも一つのスパイスだった。

「ラッシャ。言っておきますけど、いやらしい命令だけは断固として拒否させていただきますわよ」

「わかっとるって、姫さん。二度三度いわれんでもこのラッシャ・エダクール。約束は守るでぇ。ワイはいやらしい命令は一切せぇへん」

 ワイは、な――と、心の中で続けてから、ラッシャはゲーム序盤の仕上げに取りかかる。

「そんなら、ワイもみんなに倣おうとしよか。ここらでみんなもオリジナリティあふれる命令を思いついたやろうし、打ち止めもかねてな!
 五番と六番がそれぞれ一気飲み勝負! ほんで、負けた方がさらに一気飲み追加や!」

「よろしいでしょう」

「げっ」

 ほぼ同じタイミングで五番と六番のクジを引いた人間から悲鳴が上がる。

 一つは先程と同じくリオンから。余裕綽々。勝負こと歓迎の声色で。
 もう一つは苦々しい声だった。それはこれまで全て回避してきたジュンタからのもの。彼は相手がリオンだと知って、さらに嫌そうな顔をした。

「どうやらジュンタと姫さんの勝負になるようやな。お互いに本気でやるんやで」

「当然ですわ。相手がジュンタでも、手加減など致しません」

「……お手柔らかに。真面目にお手柔らかに」

 二人それぞれ従者に注がれたグラスを持って立ち上がる。ラッシャは予定通りの人間が予定通りのクジを引いていたことに内心ほくそ笑みながら、高らかに開始の合図を下す。

「ほんなら行くで。よ〜い――スタートやッ!」

 お酒を飲むスピードはお酒に強いか弱いかが一番重要なのかも知れない。負けるものかとハイスピードで飲んでいくジュンタよりさらに早いのに、見た目に下品さの欠片もない飲み方でリオンは飲み干していく。これまで幾度のなくこういったことを行ってきた経験が見られる飲み方だ。

「ん。どうやら私の圧勝のようですわね。さぁ、ジュンタ。もう一杯お飲みなさい」

「……後悔するなよ?」

 最初から勝負になどならなかった。ジュンタも善戦したが、彼が飲み干したときにはすでにリオンはエールの瓶を持って微笑んでいた。リオンは空になったばかりのジュンタのグラスへと、嬉しそうにおかわりを注ぐ。その頬の赤みは、お酒を注ぐことができた嬉しさだけではない。

 そして、再び一気飲みに追いやられたジュンタは、得体の知れない仕草――胸の前で十字に切るという仕草のあと、グラスに口をつけた。

 ところで、ジュンタの酒癖の悪さを実際ラッシャは見たことがない。常に彼も適量以上を飲まないよう気を付けているので、その酒癖の悪さは聞き知っただけでしかない。

 どうやら彼が悪い酔いするレベルに到達するには、一定のアルコール指数を超えるアルコールを飲むか、大量に摂取する必要性があるらしいのだが、果たして――最初に飲んでいた量と合わせてワイン一杯とエール二杯。しかもエールは一気飲みなのは、彼の悪酔いに適合したのかどうか?

「ご主人様、大丈夫ですか?」

「だと思いたい」

(ちっ、まだもうちょいっちゅうところやな)

 可能ならここでジュンタを酔わせてやりたかったのだが、それは叶わなかったよう。残念。ラッシャの目標を達成するには、一番女性衆の気持ちを揺さぶれるジュンタの協力が必要不可欠なのだが。

(しゃあない。こうなったらサネっち。頼むで)

 自分で打ち止めと言った以上、これ以上ジュンタにアルコールを摂取させることはできない。ラッシャは相棒へとそのことは任せて、くじ引きの回収に動く。

 そろそろ酔いも回ってきて理性のタガも外れてきたはず。各々の願望が命令に現れてきてもいい頃合いである。

 ゲームは中盤へと。――さてまずは、爆発しない内にお姫様に一度は勝たせてあげなければ。

 


 

       ◇◆◇


 

 

『『王様だ〜れだ!』』

 その頃になると、最初の文句はみんなが口を揃えていた。

 奇抜な命令こそ今までなかったものの、空気も相まって場は高まりつつある。ポソポソと言っているのはユースのみで、それぞれがそれぞれの思惑をもって文句を口にしていた。

 今回クジを握っているのはラッシャ。基本的に引く順番は適当だが、大抵は席が近い人物から順々に引いていく。しかし今回一番に駆け寄ってきたのは紅い淑女。リオン・シストラバスである。

「先手必勝。残り物に福があるなどは嘘ですわ!」

 一番王様を渇望していたのに一度も引いていない彼女は、猛然と突っ込んでくると勢いよくクジの一つを引き抜いた。

 周りがあまりのテンションに置いてけぼりになる中、彼女は早々に自らのクジを確認する。そして彼女が引くとき、上手い具合に王様に当たるよう誘導してあった。そのため、無論のこと次に響くのは喜色満面の高笑い。

「来ましたわ! さすがは私! ほれぼれするくらいにさすがですわ!」

 恐らくそれを聞いた全員が抱いたの怯えだろう。あれほど高らかに笑う彼女が心底欲する命令とは一体何なのか。すでに王様クジが出たあとの番号クジを引く皆の足取りは重たかった。

「それで、リオン。お前は何を命令するつもりだ?」

「ギラン」

 引いた番号を絶対にばれないよう、無表情に淡々と問い質すジュンタへと、リオンはぎらつく視線を寄越す。まるで視線に力をこめればその番号が透視できるとでもいわんばかりに。

「……読み切りましたわ! 私の血に流れる熱き血潮と神に祝福された幸運が組み合わさり、今私は全てを読み切る神通力を得ましたのよ! ずばりジュンタ。あなたの番号は二番ですわね!?」

「さぁて、どうだろうな」

 まるで剣先を突きつけるようにクジの先を突きつけたリオンの指摘に、ジュンタは平然と答える。あっぱれというしかないポーカーフェイスだが、たぶん当たっているっぽいと、全ての番号を基本的に掌握しているラッシャは思った。恐ろしいことだが、リオンの直感は本物である。

「ふふっ、ではずばり、とても嬉し恥ずかしい命令を下すとしましょう。耳元で愛を囁くという命令……を…………?」

 ただ、猪突猛進で冷静さが欠けていたのも本当の話。いざ考えていた命令を下す瞬間になって、リオンはきょとんとした顔を作った。

 ここで今回のルールを思い出して欲しい。ルールの二つ目に、王様に何々する系はNGというものがあるのだ。つまり王様とは指定した命令を的中者が行っている様を楽しむ特権を持つ者であり、自ら喜劇に踏み込むことは叶わないのである。

「王様が参加することは……まさか、そ、そんな! こんなルール詐欺ですわ!」

 そのことに今更思い当たったのか、リオンは愕然となる。彼女の念願である、ジュンタに王様である自分へと愛の囁きをさせるという企みは、決して実現しないものなのであった。

「リオン、どうしたんだ? 愛を囁くって、何番が何番にやればいいんだ?」

「う、ぬ、ぐく……そ、それは……三番が六番に愛でも何でも囁きなさい」

 ジュンタからの催促に、リオンは肩を大きく落として投げやりにそういった。内容を変えたりしないあたりに彼女の負けん気の強さがうかがえる。それでもジュンタの番号を外すあたりがいじらしい。

 とにかく、王様からの命令は下った。ラッシャは自分の引いた番号が三番であることを確かめて、六番が誰であるか探した。

「三番はワイや。六番は一体誰やろな〜? ヒズミーとか言ったら、ワイ泣いてまうで」

「僕だってそんなのごめんだよ。僕は一番だ。ついでに姉さんは二番さ」

 男に愛を囁くなんて冗談ではないのでヒズミに確認を取ると、彼は首を横に振った。隣のスイカも以下同文。では六番は……

「はい、六番は私です」

 ぴょこんと自己主張をして名乗りをあげたのは、長い耳の少女だった。

「クー嬢ちゃんが相手か。これは役得かもなぁ」

 相手がクーということで、ラッシャのやる気は否が応にも膨れあがる。何を隠そうラッシャ・エダクール。相手がたとえまだ幼さの残るクーであろうと、十二分に守備範囲の内である。

 それにクーはこのノリからあからさまに敵愾心を向けてくるリオンや、基本無感動なユースと違い、唯一優しく接してくれる人である。以前命を助けられたことがあるから、どちらかといえば恩人という意識の方が強い彼女ではあったが、命令実行のために近付くと、何だかいい匂いがする気がしてくらくらしてしまう。

(な、なんや、ドキドキしてきたで)

 このシチュエーションはまずい。ノリとその場の勢いをこよなく愛するラッシャでも、思わず緊張してしまうシチュエーションである。

 四歩ほど離れた場所には、お酒も入っておらず、いつも通りの清楚可憐なクーがいる。いけないいけない。と、自分はギャグキャラであると言い聞かせて、努めていつも通りのノリをラッシャは心がけた。

「そいじゃ、ワイの甘辛いセクシーさを余すところなく込めた一言で勝負といこうやないか。
 麗しき妖精ことクー嬢ちゃん。ワイ、実は前からずっとクー嬢ちゃんのことが好きやったんや」

 自分を盛り上げる大仰な動きを取り入れて愛をぶつける。さながら戦いへ赴く前には決して言ってはいけない感じで。

 クーは輝くような日溜まりの笑顔を浮かべて、

「はい、ありがとうございます」

 ………………………………………………………………………………あ、あれぇ?

 何かが違う。何かが間違っている。
 平然と囁きを受け止めて、ありがとうとお礼をいう巫女さん。礼儀正しく純真な彼女に似つかわしい対応なのに、何かが致命的に間違っている気がする。

 だって、愛を囁くという、もしかしたら本気にしてしまうかも的な想いが錯綜するちょっと恥ずかしいイベントのはずなのに、くすぐったい空気も甘酸っぱい空気も一切合切ないなんて。

 あ、うん――と思わず答えてしまったラッシャは、理想と現実の軋轢に苦しむ自分の心をどこへぶつけるべきか悩みながら、元の位置にまで下がる。最後の最後まで、クーは頬の一つも染めることなく平然としていた。

 この際、完膚無きまでに意識されていないことは構わない。わかっていたことだし、クーにはジュンタがいることも理解している。けれど、けれど! 一流の芸人としてこんな素敵イベントを空振りに終わらせることだけは認められない!

「うぉおおおおおしゃぁああああ、またまたワイが王様やぁああ!!」

 クーがまとめあげたクジの中からラッシャは王様クジを選んで引き抜く。そして、

「今度こそリベンジや! これから愛の囁きイベントは素晴らしいイベントやっちゅうことを、ワイが証明してみせるでぇ! まずは一番――――ジュンタが愛を囁く係!」

「ちょっと待て! どうしてそこで俺を名指しにできる!?」

 それはもちろんインチキをしているからなのだが、それを悟られてはいけない。ここはその場の勢いで流そうとラッシャはすかさず相手を名指ししようとする。

「んで、囁かれる方が――

 そこで、焼き殺されるかと思わんばかりの視線を、感じた。

 ばっと生存本能に導かれるままに横を見ると、真紅の炎を纏った少女が自らの番号クジを手に凄まじい威圧感を醸し出していた。目が比喩ではなく本気で輝きを放っているように見える。バックの炎は果たして幻覚か現実か、六番の数字を形作っているように見えた。

「……ラッシャ・エダクール。あなた、わかってますわね?」

 自ら墓穴を掘って元気を無くしていたリオンは、思わぬところで舞い込んできた可能性に炎を倍増させて燃やしていた。

(ここで外そうものなら、ワイ、燃やされるっ!?)

 一番であるジュンタはもう諦めたのか、仕方がないといわんばかりの顔でスタンバイしている。後は相手役を選ぶだけの段階だ。もちろん、ラッシャはリベンジ目的なので、指す相手はクーにする予定だった。だが、そうすると死亡フラグが立つ気がする。

 ――ギャグキャラとしての矜持を取るか?
 ―― 自分の命惜しさにギャグキャラとしての名を捨てるか?

 干上がった喉をゴクリと鳴らして、ラッシャは運命を取捨選択する。
 
 選ぶ方など決まっていた。ギャグキャラという名前を捨ててしまえば、これから手に入る嬉し恥ずかしイベントがご破算となってしまう。それはダメだ。それだけはダメだと思うから、

――五番、や」

 たとえこの身を犠牲にしようとも、貫く性は貫かねばならない。

「ろ、六番ではありませんのね……」

「五番、また私ですっ!」

 魂が抜けたようにうなだれるリオンと、二度続けて選ばれたことに驚くクー。
 ラッシャはその場の主役をジュンタにバトンタッチして、清々しい男の顔で引っ込んだ。

「クーが相手か。それじゃあ、クー。二回続けて悪いけど」

「いえ。ご主人様、よろしくお願いします」

 始まる前から畏まるクーに向き直るジュンタは、キリリと表情を引き締めた。
 飾りっ気のない純朴な顔つきながら、真剣な表情を作るとジュンタはどこか人目を惹き付ける。お酒の力も手伝ってか、変化は一瞬にして劇的だった。

 引き締まる空気に、ジュンタを中心として甘くくすぐったい空気が紛れ込む。
 
 ピクンと耳を動かしてしまうほど変わった空気に身を強ばらせるクーの肩に手を置いて、ジュンタは彼女の耳元でそっと囁くようにストレートに言った。

「クー。好きだよ」

「あ…………あ、ありがとう、ござい、ます。ご主人様」

 それが演技だとわかっていても、それでもその言葉を心の奥底で受け止めてしまう恥ずかしさ。

 頬どころか顔を赤面させ、あわあわと慌てて俯くクーの様子に、うんうんとラッシャは腕を組んで頷いた。

「これや。これが見たかったもんや。ワイは、やっぱり間違ってあらへんかった」

「というか、これでいいのか? 僕にはものすっごくお前が哀れに見えるんだけど」

 隣で呆れたとヒズミが言っていたが気にしない方向で。少しだけ悔しいが、やはりクーという乙女が一番輝いて見えるのはジュンタと一緒にいるときなのである。デレる対象のいないクーの魅力は、悲しいかな半減してしまうのだ。

 ジュンタとクーが照れくさそうに並んで席に戻り、その様子をハンカチ噛み締めて見つめるリオン。いいなぁ、と小さく誰かが呟いた気がしたが、きっと気のせい。三人目がもし現れたら血祭りにしないといけないし。

(しっかし、ええ感じになってきたで)

 再び続けられる王様ゲームを見て、ラッシャは一人悪代官の笑みを強めた。

 もう誰も王様ゲームに乗り気などとは言えない。それは冷静さがなくなって興奮してきたのと、命令を下せる権利を得て起こしたい命令が決まったためだ。

 リオンも失意の底から甦り、新たな目的を胸にクジを引き抜いている。ヒズミも自分のクジを見て一喜一憂し、いつのまにか笑いの輪の中に混じっていた。最初から乗り気だったスイカたちも、おかしな命令歓迎ムードを出している。

(やけど……)

 そんな中、ただ一人だけ笑みも笑い声もあげない人間がいた。

「私、ですね」

 ポツリと盛り上がり少なく王様であることを主張するメイドさん。
 最初から今の今まで一度も王様にならなかった最後の一人は、命令する権利を手に入れてもまったく嬉しそうではなかった。眼鏡の奥の瞳を冷静そのままにしている。

 盛り上がる場の中で一人醒めた無表情。それでいて場の空気を壊さない秘めやかな存在感。

 ユース・アニエース。ラッシャが今最大の障害と認識するメイドは、やはり起伏のない声音で命令を下した。


「それでは一番が五番にこの果物を、手を使わず口だけで食べさせてください」


 シン。と、一瞬静まりかえる場。控えめながら通りのよい声を聞き逃した者はいないだろうが、一瞬で理解した人間もまたいない。

「どうしたのですか? これが私の王様としての命令なのですが。一番が五番に果物を口移しで食べさせる。とても簡単なことかと」

「どどど、どこか簡単ですのよ!?」

「た、確かに、それは簡単じゃないと思う」

 やがてユースが発した命令がなんであるか理解したリオンが、ガーと吠え立てる。続いてスイカが困った様子で、ユースの前に並べられた身が剥き出しの瑞々しい果実を見た。つまり彼女たちが件の番号を引いた人間というわけだ。

「く、口移しだなんて、そ、そんないやらしい真似人前でも誰も見ていないところでもできるはずありませんわよ?! ユース。あなた、なにいきなり難易度を跳ね上がらせてますの!?」

「上手くやれば口は触れ合わないかも知れないけど、これは、その、ちょっと恥ずかしいんだが」

「そうです! スイカ聖猊下にそのような真似をさせるわけにも――

「お言葉ですが、リオン様。――王様は私です」

 主であるリオンの訴えを、ピシャリと従者であるはずのユースが遮った。否、今は主従が逆転しているのである。それこそが王様ゲーム。

 無表情のままに自らの絶対性を突きつけ、チラチラと王冠マークが刻まれた棒を振るユースのかもしだす威圧感に、あのリオンがたじろいでいた。

「まさか、ユースさんが最初に暴君と化すとは。意外だな」

「というか。あれ、酔ってるんじゃないのか? 盛大に」

 ツッコミ二人の的確なツッコミにリオンがはっとなって、言動が常日頃を考えればおかしい従者を見やる。

 一目ではいつも通りの無表情無感動なユース。しかしよくよく見てみれば、その頬は上気しており瞳もどこかぼうっとしている。クジを持つ方とは逆の手は決してワインが入ったグラスを手放そうとせず、いつの間にか彼女の周りには空の瓶が散乱していた。

「い、いつにも増して大人しいと思っていましたら、ゲームが始まる前から酔ってましたのね。誰ですの? アルコールに弱いのに一度飲み出すと止まらないユースにお酒を飲ませたのは? ユース、最初は果実水を飲んでいたはずでしてよ?」

 素早く無駄の一切ない動きでグラスを口に運んで飲み干し、新たなお酒を手酌するユース。隙のないメイドである彼女に、一体誰がお酒などを飲ませたのか……ラッシャとジュンタだけが即座にわかった。

 ジュンタの頭の上で猫が笑う。メイドに忍び寄った魔の手は、どうやら肉球付きだったようだ。

(そうか、これがサネっちの仕込みやったんやな。ワイ、自分みたいな相棒がいてくれてほんま良かったで!)

 最大の障害は最初から陥落していた。相棒の素晴らしい行いにラッシャはガッツポーズを見えないところで連発する。

「こういうものにはリズムが大事だと思われますので、さぁ、素早い命令の実行をお願いします。安心してください。旅の恥は掻き捨てです」

 暗に拒否は許さないと、酔うと丁寧な口調なのに慇懃無礼になるらしいユースが視線に剣呑な色を乗せる。

 従者の頑なさは誰よりも理解しているのか、まずリオンが折れた。

「仕方がありません。ルールを破るのは貴族の名折れ。聖猊下、申し訳ありませんが、私の矜持に少しの間お付き合いを」

「わかった。わたしも、決められたルールを破るのは良くないと思うから」

 リオンからの殊勝な頼みに、スイカも肯定して歩み寄る。これだけ見てもアルコール作戦が上手くいっているのがわかる。いつものリオンなら何が何でも拒否したことだろう。

 しかし……

「思わぬところから棚ぼたが。これは、これはそそるシチュエーションやで!」

 ユースが果実として指定したのは木の実の一種だった。一つ一つは親指大で、果汁したたるとても甘い果物である。そのため身は柔らかく崩れやすい。唇を触れさせずに口移しさせるには、細心の注意が必要とされる代物だった。

 まず一番を引いていたリオンが、意を決して皮が剥かれた実を手に持つ。舌をちろりと出して乗せようと最初は考えたようだが、すぐに舌を引っ込めた。それでは舌が触れ合ってしまうと考え直したのか、結局リオンは実の端っこを白い歯で甘噛みしてくわえた。先から果汁を床に垂らす実が吹く風に揺れる。こころもとない様子にリオンの緊張が増す。

「それじゃあ、リオン。動かないでくれ」

 絶妙な力加減を維持しないといけないリオンはしゃべることができず、スイカに小さく頷くことによって了解を示す。何となく場が静まりかえる中、そっとスイカはリオンの肩に手を置いた。

 …………まずい。なんか、興奮してきた。

「ぐっはっ、なんやこの何とも背徳感に溢れてる構図! 使徒と姫君っちゅう何ものにも汚されない高貴なお方が小さな果実を挟んで急接近てなんやねんもうっ!」

 思わず地面にゴロゴロと転がりたいパトスが込み上げてくるが、そんなことをしていて美味しい構図を見逃すなんてこと死んでもできない。ラッシャは鼻息荒く、目玉が飛び出すように凝視する。

「ね、姉さんが……お、女同士で……」

 それに倣うように瞬きを忘れているのはヒズミであった。肩では上手く位置が固定できないのか、リオンの頬をそっとスイカが触れたあたりで情けない面を晒している。いつもは生意気な巫女であっても、所詮は男ということだ。

「あの、ご主人様、何も見えないのですけど?」

「クーにはまだ早い。見てはいけません」

 そしてやはり最後の男であるジュンタも恥ずかしそうにしながらも二人の様子に何度も視線が行っている。クーの目を後ろから隠しているあたりはさすがとしか言いようがないが。

「いい肴です。素晴らしい」

 一人暴君がコクコク頷きながらどんどんとワインを空けていく。

 そんな中、一時も見逃せない展開を作っていた二人に異変が起きた。

「あ」

 山道を突き抜けて吹き荒れた風により、リオンが思わず果実を噛みきってしまう。
 突如空いた空間に、接近していた二人の顔が急接近―― あわや唇が触れてしまう直前、互いの鼻頭が激突し事なきを得た。

「い、痛い……」

「わひゃ!」

 痛みにスイカが鼻を抑えるのと同時に、リオンが素っ頓狂な声を出して身体を跳ね上がらせた。

 瞬きもせずに一部始終を見ていたラッシャは全てを見届けていた。落ちてしまった果実が、リオンの開いた襟元から服の中に入っていくのを。

「あ〜、ユース嬢。どうやら失敗してしまったようやけど、どうするん?」

「まだ失敗ではありません。私は手を使わずに口だけを使って移せばそれでいいと言いました。つまり、スイカ聖猊下がリオン様から直接口を使って果実を取れば成功になるのです」

「ちょ、何ふざけてますのよ!? だって今果実は、わ、私の胸の上に……!」

「ご安心を。誰も皆さんの目がある中でやれとは申しません」

 やり直しではなく続行を言い放つ暴君が見せた優しさに、リオンがほっと胸を撫で下ろした。それが意味のない行為と知らずに。

「私だけが見ていますので。どうぞリオン様――脱いでください」


 

 

「きゃっ! ス、スイカ聖猊下。変なところをお舐めにならないでくださいませ!」

「す、すまない! そんなつもり――あ、動かないで!」

「落としたら最初からやり直しですので。それと、次もまた同じ条件で挑戦できるとは思わないでください」

「やー、ユースさん恐いなぁ。なんだかんだでストレス溜まってるのかなぁ」

「ご、ご主人様。あの、その、耳を塞がれるのはくすぐったく……ひゃうっ!」

「は、鼻血が……」

「グッジョブ! グッジョブやでグッジョブ!!」

 

 



「やり遂げみせましたわ!」

 一同に拍手で歓迎される中、衣服を整えたリオンが荒い息を吐きつつ戻ってくる。先に戻ってきていたスイカと視線が合うと、さっと二人は同時に目を逸らした。さすがに恥ずかしくて目はあわせられないらしい。

「妥協点ですが、今回はこれで我慢するとしましょう」

「こ、この酒乱……! どうして私の周りには、酒乱の気がある人間が多いのです……!」

 従者を羞恥の炎を燃やして睨むリオン。暴君と相成ったユースはどこ吹く風。平然とクジをシャッフルしている。

「それでは、どうぞ皆さん。お次を」

 差し出すユースの淡々とした声を聞いて、一同に緊迫が走る。

 ユースのこれまでとは桁違いに恥ずかしく難しい命令により、これより先の命令をする方もされる方も緊張度が格段に増した。逆をいえば、ある程度無茶に思える命令でも実行しなければいけない空気が発生したとも言える。

「たとえ相手がユースといえども、屈辱には報復を!」

 やはり先手必勝でリオンが引き抜く。そのあとみんなもクジを引いていって、最後に残ったクジをユースが自分のものとする。

「くっ、五番! 違いましたわ!」

「それでは五番の方に命令させていただきます」

 はい、自爆しましたリオン様。
 王様を引けなかった悔しさから思わず自分の番号をもらしてしまうという大自爆を。

 そして王様を連続で引いたユースは、そんな失態した主を容赦なく指名する。口元に滅多に浮かべない笑みを――どことなくサディスティックな笑みを浮かべて、青い顔をするリオンに命令した。

「そうですね。夏とはいっても夜は冷えます。リオン様。果汁で濡れた下着をつけていては気持ち悪いでしょうから、どうぞ上、取ってきてくださいませ」

「……………………………………………………………………………………ぇ?」

 とりあえず暴君にも、影で脱いできていいと付け加える優しさは残っていたらしい。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 泥沼の後半戦に突入する頃になると、たき火の傍に馬車が隣接されるという事態になっていた。もちろん馬車の用途はお着替えボックスとしてである。

 始まりは、このメンバーの中においてたった一人を除いて命令を拒否できないスイカが羞恥に震えて縮こまるリオンを見、おもしろがって下した命令にあった。

『二番と五番が服装をチェンジだ。そうだな、二番がかわいいフリルがついた服で、五番がそれをエスコートする服でお願いしようかな』

 これを引いたのがジュンタとヒズミだった。正確にいえば、フリルがついた服を着るのがヒズミで、エスコート役がジュンタである。

 涙目でクジを凝視するヒズミの肩にジュンタが手を置き、二人してトボトボと馬車の中へ入ってから五分。中から現れたのはフリフリヒラヒラなゴスロリドレスを身につけた女装ヒズミーと、きっちりとした服を着たジュンタであった。

 ヒズミの意外なほど――考えてみればスイカによく似た容姿なので不思議ではないのだが――似合う女装姿と、その手を引くちょっぴり格好良くなったジュンタのコンボに、女性陣大ダメージ。それ以上にヒズミに大ダメージがいったが、結果的にこれがさらなる混沌を招くことになった。

 その後四度にわたって、クジを引いた人間は衣装チェンジを命令とした。結果的にユースを除く全てが仮装することになり、そしてなぜか二人ずつ指名で全て的中したヒズミに至っては四度着替える羽目になった。内二回は女の子と一緒だったので、公開チェンジだったという切なさ。

 貴族然とした服装のジュンタ。ウサギの着ぐるみをかぶったクー。修道女服(上の下着無し)のリオン。ロスクム大陸の方の着物なる服のスイカ。ピエロ姿のラッシャという、幸か不幸か似合い過ぎる着替えで満更でもないのに対し――

「う、うぅ、どうせ僕なんて、僕なんて……」

「ヒズミ。とってもよく似合っている。うん、とてもかわいいと思う」

 最後に一緒にチェンジする相手となった姉によって変身させられたヒズミは、トーユーズが着るのよりさらにきわどいスリットが入ったロスクム大陸のドレスを着て、お団子ヘアーのウィッグを身につけて体操座りポーズで影を纏っていた。

 ……チラチラと見え隠れする股間部分に執念を燃やすかどうかラッシャが悩んだのは秘密である。いやほら、女性ものの下着をつけさせられたのか気になるし。ホントウダヨ?

「スイカがどうしてこんなに変わった服を持ってたのかと思ったけど、全部ヒズミ用だったんだな」

「増えていくのさ。なぜか僕の洋服タンスに女性ものの服が増えていくのさ。気が付いたら増えてたのさ。最近、ヨリからの視線がとてつもなく生暖かいんだ」

 自分のものも含めて全ての変身衣装がスイカの私物だと聞いたジュンタが感心している横で、乾いた笑い声が響く。あまりにも悲壮な笑い声に、ジュンタは引きつった笑みでクジを纏めた。

「と、とにかく、これ以上の服装チェンジは、もう夜も遅くなってきたし止めにしよう」

「え? そんな、折角裏ルートから手に入れた新作をお披露目しようと思ったのに」

 ジュンタのヒズミに対する優しさに、頬をかわいらしく膨らませるスイカ。その手には白いエプロンドレスがついた、何とも立派なメイド服が握られていた。

「ジュンタ君。もう一回くらいダメかな? 今のわたしなら、ヒズミをピンポイントで狙える自信があるんだ。ほら? 使徒と巫女だし」

 スイカの嘆願の直後、ヒシリと、涙目でジュンタの裾を掴むヒズミの姿があった。
 傍目から見るとかわいらしい女の子に見えないために、ジュンタも声を詰まらせる。

「い、いや、なんかヒズミばっかりだとおもしろくないし、それにメイド服は嫌がる相手には着させない方がいいと俺は思うんだ。むしろ着させるのはおかしいと思うから、できれば諦めてもらえると助かるんだけど」

「え? う、うん、ジュンタ君がそこまで言うなら。これはフェリシィール女史に渡して、誰かふさわしい人にプレゼントしてもらうことにする」

「ああ、そうしてくれ。その方がきっと、そのメイド服も嬉しいはずだから」

 ヒズミのために熱く訴えるジュンタの眼差しに、スイカがメイド服をあたふたと畳む。助かったヒズミは安堵しているが、同時に何かむかついているよう。それ以上に目を尖らせているのは、ジュンタにぴとりと肩を触れさせているヒズミを睨むリオンだった。

「さぁ、そろそろ次へ行こうやないか! ほれ、ジュンタ。クジ引かせぃ」

 このままではリズムが崩れると、慌ててラッシャが手を叩いてゲームに戻らせる。それぞれ思うところはあるものの、ジュンタの手からクジを引いた。

『『王様だ〜れだ!』』

 響く声は高らかに。静かな山に熔けていく。

「王様は俺か。さてと、どうするか」

 王様クジを引いたのはジュンタだった。何気に他の面々とは違い、特別な命令希望を持たないだろうジュンタは、引いてから眉根を寄せて悩む。

 次に口を開いたときどんな命令をするのか? 期待を不安を混ぜて待っていたラッシャが聞いたのは、予想もしていなかった命令だった。

「ちょっと知りたいんだけど、この王様ゲーム、どれくらいまで続けるつもりなんだ?」

「へ?」

 素っ頓狂な声をもらすラッシャへと、ジュンタは王様クジを振る。

「夜も遅くなってきたし、明日も早いだろ? あんまり長い間やってるわけにもいかないだろうし、そろそろ回数制限加えた方がいいんじゃないか?」

 それによって命令のランクも考えられるし。とつけて自分の考えとしたジュンタ。なんということか。ジュンタの今の発言は決して彼に口にはさせてはいけない類のものだった。

「そうですね。野宿ですので見張りなども考えないといけませんし、あんまり遊んでいるのもまずいかも知れません」

 ジュンタの言葉に当然の如く追随する少女がいた。クーもまた頷くと、同意する姿勢を見せるし、もともと素面の彼女である。その言葉は酷く正しいものとして場の空気を変えんとする。

 白熱の熱度はそのままに。回数制限を設ける方で進んでいく状況。ラッシャは汗を流しつつ、サネアツへと救援の合図を送った。

(メーデーメーデー! あかん! このままやと不完全燃焼になってまう! 至急応援頼むで!)

 残り十回――残りのクジ引き回数が決まってしまったその瞬間、目を閉じていたサネアツが目を開いた。

「じゃあ、俺からの命令だな。残り十回だし、ある程度すごいのがいいよな。じゃあ――

 キラン、と輝く瞳。雌伏の策士は無言でジュンタの肩へと舞い降りて、

――六番が服を脱ぐ方向で決まりだな」

 直後ジュンタの口から飛び出た命令に、場の空気が硬直した。

 まさかのエロス方面。しかもジュンタが一番最初にということで、驚きと衝撃からみんなが口を閉ざす。そんな様子に一番焦っていたのは、何を隠そうジュンタだった。

 笑顔の状態のまま横へとギギギと首を回すと、ジュンタは肩の上の猫へと牙を剥いた。

「このサネアツ! お前っ!?」

「にゃ、にゃにゃにゃ、にゃにゃーん!」

 そういえば、とラッシャは思い出す。サネアツには人の声真似が、特にジュンタの声真似が得意だったことを。今のはジュンタではなくサネアツの声真似だったのか。

 しかし、どういうつもりなのか。今の様子を見れば、サネアツがしゃべる猫だと知らないアントネッリ姉弟以外は真相に気付いたはず。先の命令が実行されることはな――

「うぐっ!」

 サネアツを捕まえようとしていたジュンタが、何の前触れもなくその場に崩れ落ちた。

「ご主人様!?」

 クーが慌てて立ち上がって駆け寄る。他の面々も心配してジュンタへと駆け寄っていく。

 その中で、確かにラッシャは見た。聞いた。

『エセ紳士エセ紳士エセ紳士エセ紳士エセ紳士エセ紳士エセ紳士エロ紳士エセ紳士エセ紳士エセ紳士エセ紳士エセ紳士エセ紳士』

 刷り込むように目を回すジュンタの耳元で囁き続ける、尻尾の先にいかにも度が高そうなお酒が入った小瓶を巻き付けた子猫の姿を。

 ――斯くして、最後の関門にして最大の関門はここに陥落し、三人目の協力者は現れる。

「さぁて、それじゃあゲームを続けようか。なに、心配することはないよ。私は紳士だからね」

 酔っぱらいジュンタ――もとい、エセ紳士として甦ったジュンタが。

 


 

「いいかい? 私としてもこんな命令をするのは本意ではないんだよ。しかしね、一度口にした以上は守らなければならない。それが人だろう? うん、抵抗する気持ちはわかるよ。それはとても恥ずかしいことだ。それを恥ずかしがることは人間として何も間違ってはいない。わかるね? 私は何も人間として間違ったことは言ってないんだ」

「そ、そうだったんですね。やっぱりご主人様は間違われてなかったんですけね!」

「そうだよ。クー。私は間違ってはいない。さぁ、私と一緒に正しい自分を貫こうじゃないか。大丈夫。私がついている。私がいれば不安はないね?」

「はい、不安なんてありません!」

 目をキラキラさせながら自分の肩に手を置くジュンタを見つめるクー。その純真無垢の騙すことに罪悪感を感じるだろう視線に、まったくジュンタは戸惑ってはいない。そもそも欺いているのは彼であるし、紳士と化した彼に動揺など皆無なのである。

 すでに周りにはサネアツが肩代わりした命令を、仕方が無いといいつつ実際に実行に移そうとするジュンタを制止しようとして、逆に論破されたリオンとヒズミがうなだれている。仕方がない。紳士と化したジュンタの意味が分からないのに妙に説得力のある怒濤の言葉に、酔いで頭を鈍らせた人が勝てるはずもない。

 最大の障害であろうユースは我関せずにあるし、実際に六番クジを引いたクーは酔ってはいないがジュンタ相手じゃ最初から勝負は決まったも同じ。

「それじゃあ、改めて命令としようか。六番と一番が服を一枚脱ぐ。これでいいね?」

「はいっ!」

「んなっ!?」

 元気よく返事をするクーと、なぜか追加された自分のクジ番号に顔を勢いよくあげるリオン。

「リオンさんが一番なんですね。それじゃあ一緒に服を脱ぎましょう。正しいことを貫くのです」

「待ちなさい。洗脳、あなた洗脳されてましてよ?! クー。私は断固として――

「リオン」

 立ち上がってなおも抵抗を続けよとするリオンに対し、紳士は困ったように笑う。何とも大人っぽい仕草でリオンの髪を一房手に取ると、顔をそっと近づけた。

「あまり私を困らせないでおくれ。そんなに私のことが嫌いなのかい? ……悲しいな。ラッシャたちの命令は聞けても、私の命令なんて聞けないのかな?」

「そ、そういうわけでは! そ、それに私、ジュンタのことが別に嫌いでは。ど、どちらかといえば、す、す――

 尻つぼみになっているリオンの呟きは誰にも聞こえない。
 それでも空気から察したのか、ジュンタはリオンの髪に口づけると、ポンとリオンの肩を叩いた。

「ありがとう、リオン。それじゃあ、私の言うことが聞けるね?」

「は、はい……」

 コクンと偉大な父親の前にいる幼子のように、ぼうっとした様子で頷くリオン。ジュンタ、なんて恐ろしい奴。もとい最高な奴。

「ワイ、なんかジュンタの背後にゴッゾの旦那を幻視してまったで」

「ジュンタの酔い方において、一番影響するのは周りの人間だからな。エセ紳士のイメージと自分が着ている服……イメージ上の自分に一番影響する人間など、一人しかいまい?」

 サネアツと一緒にジュンタの手管にラッシャは感心する他ない。まさに場はジュンタの独壇場。気が付けばリオンとクーは自分の服に手を付けていた。

 とはいっても、残念ながらクーの身につけているのはうさぎの着ぐるみ。帽子代わりの長いうさぎ耳のみはそのままに、彼女は着ぐるみを取っただけ。下にはいつも通りに服がある。

 扇情的なのはリオンの方だった。

 誰もが気にしないよう――すると死亡フラグが立つ気がして――に務めていたが、リオンは暴君の命令にやはり逆らえずに下着を身につけていない。その上で修道女服などという布面積は多くとも枚数は少ないものを脱ぐというのだからたまらない。

 衆人環視の中、熱に浮かされた恋する顔でリオンは服へと手をかける。迷ったあと帽子ではなく上着へと。一度決意すれば大胆なもので、彼女は長く黒い上着を脱ぎ捨てた。

「おおぉう!」

 その後に現れたのは、白い薄手のワンピースだけという真紅のご令嬢。月明かりに照らされた姿はさながら月の女神のようで、劣情より先に美術品を見るような感嘆が口をつく。下着がなく、美しい身体のラインがくっきりとわかる姿で堂々と立っているものだから、ラッシャの目は血走り鼻息は荒くなる。

 ちなみにラッシャ、美術品でも問題なく興奮できる男の子である。惜しまれるのはもう少しボリュームが……。

「ラッシャ・エダクール。あまりこっちをいやらしい目でみたら潰しますわよ?」

 にっこりと満点の星すら霞む笑顔で釘を刺してくるリオンに、ラッシャは全力で目を逸らした。純情で正面から見えないヒズミや紳士なのでいやらしくないジュンタとは違い、少々見苦しい形になってしまったらしい。気を付けねば潰される。潰されるのは目であって欲しい。

「ジュンタ。これでよろしいかしら? とても恥ずかしいのですけど、ジュンタのいうことですから少しがんばってみましたわ」

「素晴らしいよ、リオン。なに、恥ずかしがることはないさ。堂々としてればいい。それくらい綺麗なんだから」

「…………はい」

 ジュンタに頬を染めながら感想を訊くリオンは、いつもなら来ないだろう百点満点の褒め言葉に意識を失う一歩手前の夢遊病者のような足取りになる。きっと今の彼女、空をも飛べると思っているのではないだろうか。

 クーは次にがんばってみようね。と、次回の根回しをするためにジュンタがクーのところに行ったことにも気付かずにやけるリオン。今なら大丈夫と視線を向けようとしたところで、スイカの声に意識を向けられた。

「次をしよう。さぁ、みんな。早くクジを引いて欲しい」

 ずいっといつの、あに纏めたのかクジを手にしたスイカは、どことなく脱がされたリオンを羨ましげに見ていた。

 残り十回。最終ラウンドへと突入する今、もはや状況はラッシャの思う通りに進んでいた。

 

 

 …………進んでいた、と思っていた。

 

 

 きな臭くなってきたのは立て続けにジュンタに王様を引かせたあと、さすがに四連続はまずいと思って運頼みに任せたあたりだった。

 すでにジュンタの手管によって女性衆の内二人の服はかなり薄着になっていた。酔っているため色々と刺激が危険なユースと、さすがに使徒ということで狙えないスイカ以外の二人。ジュンタならば楽々言うことを訊かせられるリオンとクーである。

 リオンはさらに帽子を取った状態で、言及死ぬと死んでしまうが恐らく薄絹を肌の上に一枚の状態だろう。上半身に至っては本当に文字通りに。クーは複雑な服をあれよあれよと脱がされ、あと一枚で上か下の下着が見えてしまう状態だ。いや、果たして彼女が上の下着をつけているかどうか、ラッシャは知らないが。

 まさに最高の状況。天国まであと一歩手前というところで、

「…………わたしが王様だ」

 ものすごくスイカ様が怖かった。

 威圧感が尋常じゃない。見た目は最初と変わらないのに、どことなく目が据わっていて声に刺が含まれている。ジュンタなどは気付いていないというか気にしていないようだが、隣のヒズミが小刻みに震えているあたり彼女が不機嫌なのは間違いないだろう。

(あ、あれぇ? どうして何も被害にあってないのに不機嫌なんやろ?)

 王様クジを引いたというのに不機嫌極まりないスイカの様子に、ラッシャはビクビク震え上がる。

 幼い頃からの教育というのは、やはり成長したあとでも影響を残す。使徒様偉いよ、使徒様すごいよ、と教育を受け続けたラッシャもそれは変わりない。だからさすがにスイカをジュンタの命令の対象にするのはまずいと避けていたのに、逆効果としか思えないばかりのご様子である。

 一体何が悪かったのがさっぱりわからない。ラッシャは怖々と王様の命令を待つしかなかった。

「じゃあ、三番が――

 ピクンとヒズミの肩が一際大きく震え上がった。

「……三番と五番が熱く三十秒間抱擁を交わした上で、五番が情感たっぷりに耳元に愛の囁きをする命令をする」

 弟に対して容赦なく、唇を尖らせつつきつめの命令を下す王様。
 慌てふためくヒズミが三番なのは周知の事実。果たして五番は誰なのかと戦慄が走り、

「……私だ」

 名乗りをあげたのはエセ紳士ことジュンタだった。

「ジュンタとヒズミが抱擁!?」

「しかも愛を囁くなんて、はわわわっ!」

「ほぅ、ありですね」

 心底嫌そうな顔をして向かい合う二人を見て、リオンとクーは何とも言えない顔になって、ユースはなぜか頷いた。気が付けばスイカも頬を染めて機嫌を直している。本当になんでだろう?

「……姉さんの命令じゃ仕方がない。いいな? サクラ」

「望むところだよ。偶には道化を演じるのも紳士の努めかな」

 女性衆からの視線が異様に熱い中、そっと抱きしめ合う男二人。本来なら見苦しいはずなのに、今のジュンタが無駄に爽やかで、ヒズミの格好が女性に見えるためにまったく見苦しくない。まるでダンスを踊る恋人を見るかのような錯覚に陥る。

 スイカが楽しそうにカウントしている音だけが響く。偶に生唾を呑み込む音が聞こえてくる以外は、みんななぜか無言。

 まったくもって平然としているジュンタに比べて、背が低いヒズミは自分がどちらかといえば女性的立場にいると理解しているのか、顔を徐々に赤くしていく。それがまたなんかかわいい。いや、かわいいとか思ってはいけないのだけど実際かわしい何かドキドキしてきたこれは何うぎゃっWヒスルム店長が何か手を振ってる!

 三十秒経過。抱擁だけでは終わらない。終わらせない。

「へ?」

 悪い乗りしたジュンタがくいっとヒズミの顎を持ち上げると、少し強引に赤く色づいた耳をさらけ出し、

――愛しているよ、美しいレィディ」

「〜〜〜〜!?」

 直接言われたわけではないのに耳にこびりつくぐらい甘い声で、ヒズミの耳元で愛を囁いた。

 息の熱さすら感じられる距離で吐息を吹きかけられたヒズミは耳元を抑え、パクパクと口を動かしてその場にへたり込む。初対面で正体を知らない男子がここにいたら、恋でもしかねないほど可憐な仕草だった。

 ジュンタは愉しげな笑みを浮かべると、お別れのあいさつを優雅な礼で示して戻る。完璧だ。役者が違う。ヒズミは涙目になりながら、スゴスゴと立ち去るしかなかった。ところで抱擁の最後五秒くらいの記憶がないのはなぜだろうか?

「うむ、これはこれでありだな。トラブルの香りがデンジャラス」

 サネアツが横手で何やら言ったのと時を同じくして、ジュンタが次のクジを差し出した。

 ……そう、つまりはこの辺りからおかしくなったのである。

 

 


「なんでや」

 残りあと一回という状況で、嬉し恥ずかしの羞恥に晒されているのは女性衆ではなく、女性衆に狙い撃ちされているヒズミであった。

「なんでや」

 頬にキスマーク――相手が誰であるかはいうまでもない――がついたラッシャは、ガクリと両手を地面につけてうなだれる。自分が満たなかったのはこんな薔薇薔薇しい光景ではなく、どちらかというと百合百合しい光景だったというのに。

 王様クジを持ってはしゃいでいるエセ紳士。裏切り者のジュンタがヒズミの様子を見ては笑っている。

「う〜む。さすがに紳士バージョンは控えておくべきだったか。ゴッゾ・シストラバスを利用しようなどということは、まだ俺にも無理だからな」

 つまりエセ紳士ジュンタは楽しければなんでもいいらしく、女性の艶姿に行動を限定しているわけではなかった。手綱を握れるような矮小な人格でもないため、すでにくじ引きに仕掛けられたイカサマに気付いた彼はやりたい放題好き放題だった。

「僕は、僕は一体、何のために生まれてきたんだ……」
 
 遠慮というものをなくしたジュンタの悪辣過ぎる命令によって、度重なる羞恥行為を余儀なくされたヒズミは、ついに自分の誕生にすら疑問を抱き始めている。下着なし、ドレス一枚の虚ろな女の子の姿はこれはこれでありだが、やはり中身が伴っていないとダメなのだ。

(サネっちも楽しければそれでいいはず。味方はおらへん。ワイが、ワイがここはなんとかするしか……!)

 味方はおらず、イカサマももう使えない。残り一回という条件が残る今、もはや今日という日を人生最大の良き日にするには、この右腕に全エネルギーを集中する他ない。

(この世の生きとし生けるもの全てよ。今、この右手に宿りたまえ。今宵奇跡を起こしたまえ)

 クジを纏めたのはジュンタ。彼が何かを仕掛ける前に、誰よりも先に突っ込んでクジを引く。

(この世にいるもてない男子諸君よ、今ワイに力を! 狙うは残り一枚の姫さんのみ! あらゆる全ての困難を打ち破る神通力よ! 今、この溢れる劣情によってぇええええ!)

 今ここで全ての運を使い果たしてもいい。明日運悪く死んでも構わない。

 だから、だから、全てを変える力を今こそ我に!

「これやぁああああああああああああああああああああああああ――!!」

 轟く絶叫。闇夜を切り裂く一人の漢のピンク色な激情。
 今こそラッシャ・エダクールは自身の下心に誓って、今宵幾度となく紡がれた言霊と共に一つのクジを引き抜いた。

「王様ぁあぁああだぁあれぇええだぁあああああ――!!」

 のけぞる身体。宙を舞う引き抜いたクジ。

 そこに刻まれた三という数字を横目でしっかりと観察したメイド――否、暴君が、宴の最後の命令を下した。


「それでは一番と二番が全―― 失礼。生まれたままの姿になるということで」


「なんですってぇえええええええ―― !!」

「なにぃいいいいいいいいいいい――!!」

 一番と二番のクジを引いた二人の口から同時に放たれた悲鳴に、遠ざかろうとしたラッシャの意識は急速に浮上する。ラッシャの耳朶は間違いなく、絶叫をあげた人物がヒズミともう一人、リオンであったことを捉えていた。

「ちょ、ちょちょちょっと待ちなさい! それはさすがにシャレになりませんわよ!」

「そ、そうだ! 絶対に嫌だ! それだけは、それだけは絶対に嫌だぁあああああ!」

「仕方がない方々ですね。では一枚脱ぐだけで許しましょう」

『同じことですからね、それ!!』

 ツッコミはまったく同時。ここで被害者二名の間に芽生えるシンパシー。それはおおよそこの世の過半数以上では受け入れざるをえない、竜滅姫と巫女という絶対の権力の誕生であった。

 しかし相手が悪い。今のユース・アニエースは王。今この瞬間、彼女の権力を超える権力はなし。

「……暴君や…………暴君様がここにはおられるでぇ、みんなぁ…………」

 ラッシャはハラハラと流れ出る自分の涙の熱さに呆然とする。
 絶望から希望へと。まさにここに降誕された暴君こそ、使徒を超える神の使徒である。もてない男の子たちの夢の神様である。

 運はラッシャを見捨ててはいけなかった。怒濤の抵抗に晒されているメイドへと、エセの名を捨てエロへと堕ちた紳士が助け船に入る。その頭の上にはトンデモキャットが。

 恐らく全世界を敵に回しても敵に回してはいけないタッグの完成である。クーもスイカもさすがに抵抗があったようだが、それは砂上の楼閣に過ぎない。やがては大いなる波に浚われて消える儚いもの。

 果たして、抵抗は無意味な時間の浪費でしかなかった。

「あぅあぅあぅあぅあぅ」

「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」

 顔を死人のそれに変えてあやふやの内に命令に従うことを約束されていた二人。薄絹一枚の二人にとって、暴君の優しさに意味はない。

 みんなの目の前へと押し出され、月光とたき火に照らされる舞台へと追いやられた二人。

 プライドと羞恥心の戦い――それはリオン・シストラバスに当てはめてしまえば、問うまでもなく前者が勝ってしまうものである。さすがだ竜滅姫。愛している竜滅姫。

「……いいでしょう。ええ、わかりましたわ! 私も騎士! 王の命令には従いましてよ!」

「シ、シストラバス! お前っ!」

 周りが『おお』と今日一番の感嘆符を出す中、ヒズミだけが涙目で訴える。

「なに馬鹿なこと言ってるんだよぅ? ここで脱ぐってことは、つまり、その、お前、は、は、はだっ……」

 涙目で隣にいる少女を見たところで、その意味に男として気付いてしまったヒズミの声が尻つぼみになっていく。ゴクリと生唾を彼が呑み込んだどころで、リオンはにっこり笑顔で服に手をかけた。

 自分ではなく、ヒズミの。

「ですけど私、生憎と将来添い遂げる相手以外に見せる趣味はございませんの。というわけで、ヒズミ。悪いですけどあなた、生け贄になってもらいますわね」

「…………………………へ?」

 闇夜を切り裂くような衣服を切り裂く音。問答無用にヒズミの服の前部分を手で切り裂いたリオンは、笑顔のまま見事な回転回し蹴りをその背中に叩き込んだ。

 宙を舞う少年。飛び散る衣服の残骸。この時点でクーが何かを見て気絶した。

 このときこの瞬間、ラッシャもまた、あるものを見ようと躍起になって前のめりになっていた。

「ああ、もうちょいやったのに!」

 スカートで回し蹴りをしたリオンへと食いついてしまった時点で、ラッシャの敗北は決まっていた。がんばれば避けることもできただろうが、広がるスカートの裾とその奥にある白い何かに気を取られてしまいそれが叶わない。

 意識を前に戻せば、そこには視界一杯に広がるナニカ。認識はスローモーションで。

 顔はとてつもない美少女。お団子がキュートなヒズミちゃん。鎖骨は綺麗で首も細い。のど仏なんて見あたらないね。胸はぺったんこ。大丈夫。未来があるさ。まな板でも無問題。だってラッシャ・エダクールの守備範囲は広いから。

 広いから。

 広いから。

 広いから…………ごめんなさい。さすがにこれは無理です。

 ナニカが潰れる音。ナニカが潰れる感触。
 遠のいていく意識。世界がガラガラと崩れていく音。

――俺とお前が組むのはこれが初めてのことだが、なぜだか俺はこの時点で終わりが予想できている。お前は正真正銘完全無欠のギャグキャラだ。だが、望むなら自らの瀕死と引き替えに望むものを得られるだろう。ギャグキャラだけに――

 思い出すのは宴の始まりの言葉。
 何てことはない。まだまだ自分はギャグキャラに徹しきれていなかったということだろう。エロキャラは救われない。救われる要素があるのはギャグキャラのみなのである。

「ワイ、次はがんばるで。次こそは、次こそは完全無欠のギャグキャラに! 明日から生まれ変わるラッシャ・エダクールを、どうぞよろしく!」

 それを夜空の星となろうとしている白い子猫のニヒルな笑みに誓って、ラッシャはヒズミと共に泡を口から吐き出して意識を断った。

「素晴らしい。ええ、本当に素晴らしい。それでこそリオン様……うぷっ」

 宴の締めとして、そんな暴君様の声を、聞いた気がした。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 その次の日、出発はかなり遅くなった。

 理由は大多数の人間が二日酔いだったからである。特にユースとジュンタの悪酔い組の酔いが非常に激しかった。二人とも昨日の記憶はないようで、つまりあのあとリオンがどのような行為に出たか、全ては本人とスイカのみが知っているわけである。

「なんか二人の距離が縮んどる気がするし、どうなんかなぁ?」

 気持ち悪さを何とか堪えて手綱を握るユースが繰る馬車に乗り込むときのリオンとスイカの様子を思い出して、ラッシャは手綱を握りながら考える。きっと今頃少しだけ距離が近付いた二人は、女の子しか知ってはいけない話しでもしていることだろう。

「はぁはぁ、な、なんか、萌えるなぁ、それ」

『ほどほどにしとけよ』と、昨日に引き続き馬様に釘を刺される。確かに、昨日の記憶は思い出したいような思い出したくないような、微妙なものである。

「まぁ、それでも楽しかったな。なぁ、そうやろ? サネっち」

 にゃあ――馬車の上で日向ぼっこに興じていた昨夜の相棒が鳴く。

(ん? もしかしたらサネっち、ワイが聖地でしよ思ってること察して……とか思うんはワイの妄想やろか?)

 ラッシャは聖地ラグナアーツに、他の面々とは別の目的をもって目指していた。ある意味ではこの旅はラッシャにとって始まりであり一つの終わりとなるかも知れない旅となる。上手くいっても失敗しても、もうこの面子で一緒に騒げる日はなくなるかも知れない。

 それを人知れず察して、この猫が思い出を作ってくれたと考えるのは、果たして妄想かどうか。

(……ありがとな。親友)

 それはわからなくとも感謝する意味はあった。ジュンタだけではない。旅先で知り合ったこのおもしろおかしな猫も、ラッシャにとっては大事な親友なのだから。

 彼らの強さを見て、これまでの旅先で見たもの知り合ったものに触れて、ラッシャは選んだ。親元を飛び出してからもう何年も経った。その間に手に入れた思い出は、一つの決意をラッシャに抱かせた。

「こうしてワイは大人になる。ああ、すごいでワイ。格好いいでワイ。ラッシャさん最高! キャーステキー!」

 まずは決意を行動に変えて、思い出を夢に変えて、少しずつ形にしていこう。

 目指す目的地はもうすぐそこ。
 ラッシャはかけがえのない旅の思い出を胸に、鼻息混じりに馬に鞭を入れた。

「…………美女相手なら鞭をいれられるのもありやなぁ」

 その呟きは高い空へと吸い込まれていき、誰の耳にも入らなかった。










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