番外編  削岩魔法少女☆ぎゅるぎゅるサクラン

 CASE2  ヒロイン登場、もしくはヒーローが現れる日

 

 

 はぁはぁ、と堪えようのない吐息が口を押さえた手の隙間からもれる。

 静寂の夜明け。俺は手に凶器を握りしめて、そっと床で眠る幼なじみへと近付いた。

 大丈夫。俺ならやれる。

 爆発しそうな心臓に手を当て、必死に自分を誤魔化して、俺は大きく凶器を振りかぶった。

 狙いは頭。渾身の力をこめて振り下ろす。

 ぽにょっ。

 振り下ろされた凶器は見事幼なじみの顔面に命中し、何とも脱力するような音を立てた。

「う、う〜む」

 そのままぐりぐりと凶器という名のうさぎのぬいぐるみを実篤の顔へと押しつける。苦しそうな顔をして眼を覚ます実篤だが、俺は押しつけるのを止めない。

「う、む、ぐ」

 やがて本格的に実篤が酸素を欲して暴れ始めるが、問題ない。俺と実篤の対格差はほとんどない。全力で上から押さえつければはね除けられることはない。

「こらっ、苦しいではないか」

 そう、いつもの男の姿ならば。

 軽くぬいぐるみを押しのけられた俺の目の前に、ちょっぴり涙目の実篤が現れる。相当苦しかったらしく、ぬいぐるみを押しのけるなり大きく息を吸っている。

 俺は内心舌打ちをしつつ、表面上は満面の笑みで実篤にあいさつした。

「おはよう。朝の空気は美味しい? 実篤お兄ちゃん」

「ああ、まったくもって美味だぞ。サクラン」

 世界なんて滅びればいい。そう思う今日という地獄。

 地獄のような日々が始まったのは、三日前まで遡る。

 

 

       ◇◆◇

 

 

 温かな朝日を感じて、俺はベッドの上で眼を覚ました。

 見慣れた天井を見上げ、また一日が始まることを実感する。
 大きく俺はのびをして、軽く身体を解してからベッドから下りようと床に足をつけた。
 
 そのとき、ぎゅむ、と何だか柔らかいものでも踏みつけた感触がした。

 疑問に思ったのは何を踏んづけたのかわからないからだけじゃなかった。同じ天井なのに、部屋の様子が自分の部屋とはかなり違っている。

 あまり何もない部屋なのは一緒だし、今時の高校生っぽい部屋なのも一緒だ。しかし何かが決定的に違う。それにこの部屋には見覚えがあった。

 実篤の、部屋……?

 俺が眼を覚ましたのは幼なじみの宮田実篤の部屋だった。はて、なんでだろう?
 結構頻繁に遊びに来るが、家が隣同士のためか泊まることは滅多にない。遊んでいて疲れて眠ってしまったのか。いやいやそれはない。実篤の前で無防備に眠る恐怖は身にしみてわかっている。

 では、なぜ?

「ぐぬぉ」

 疑問と共に俺は立ち上がって、足の下から呻き声が聞こえたところで自分が何かを踏みつけていたことを思い出す。ついでに、ここまで来れば自分が踏みつけているものの正体もおのずと明らかになる。自分がベッドで眠り、また実篤の寝相の悪さを鑑みれば小学生だって推理できる。

「おっと、悪い」

「酷いではないか、純太。今日の起こし方は今までにないハイグレードな……」

 慌てて飛び退く俺。さすがに実篤相手でも全体重をかけた踏みつけ攻撃は酷いという認識があった。が、飛び退いた時点で俺の意識は、鼻を押さえつつ立ち上がる実篤に対する謝意の念から移り変わっていた。

 それはたとえばおかしい自分の声だとか、立ち上がった実篤をなぜか大きく見上げなければならない自分の身長とかだ。

 しゃらん。銀色の髪が視界の隅で揺れた。そこで、俺は昨夜どんなことが起きたか思い出した。

 何だか無性に泣きたくなるような激情に襲われつつ、寝ぼけモードから覚醒した実篤に縋るように視線を向けた。

 次の実篤の一言が、今の自分をはっきりさせるものだと、そう気付いて。

「やぁ、目が覚めたか謎の脳内彼女よ」

 久しぶりに、泣きました。

 

 

「落ち着いたか、少女よ」

 差し出された温かいココアを両手で持って、俺は時折しゃくりをあげながら頷いた。

 場所を移して宮田家のリビング。俺は実篤の前で号泣したことに顔から火が出るような恥ずかしさに襲われつつ、現状の把握に努めていた。

 先程鏡を見たところ、俺の今の容姿は昨夜変身した魔法少女のままだった。
 髪は銀色で縦ロール。年齢は中学生に入り立てくらいで、全体的に柔らかい。瞳の色は晴れ渡る蒼天の色で、声だってロリスイートボイスのままだ。

 そして一番肝心なことだが……女の子でした。

 胸は僅かに膨らんでいるし、下はないしでもう意味がわからない。いや、分かるよ。元凶とか復讐すべき相手とかは理解しているが、とりあえず意味がわからない。自分の生まれてきた意味とか、神様の存在意義とか、そういうのが特に。

「ふむ、しかし困ったな」

 どんよりと負のオーラをまき散らしていた俺が腰掛けたソファーの、人一人分を開けた隣に実篤が座る。その手にはブラックコーヒーが入ったカップが握られており、格好はラフな姿。今日は土曜日なので学校はない。

「昨夜裸で倒れていたものだから家に運んだが、さすがに色々とまずいだろう」

 不幸中の幸いにも、実篤は俺の正体に気付いていなかった。

 まぁ、昨日まで男だった幼なじみが年齢及び性別が変化するなど実篤だって考えられない……ことはなさそうだが、少なくとも第一候補として当てられるほどではないのだろう。
 ひとまず実篤に俺が佐倉純太だと知られたら富士の樹海へ行こうと思っているので、そこだけはほっと一安心だ。

「そういうわけで、少しばかり事情を尋ねさせてもらうが構わないかね? ああ、もちろん言いたくないことには黙秘権を行使すればいい」

「……はい」

 実篤の猫撫で声に若干背筋が震える思いだが、一応好意でやってくれていることなのでぐっと我慢。これより始まる質問タイムを何とか誤魔化しきり、至急速やかに逃げなくては。

「では、まずは名前から教えてもらうとしよう。君の名前は?」

 いきなり答えられない質問が来た。

 俺はどうしようとかとココアを飲むことで一呼吸分考えてから、どうせ逃げるんならと適当に名乗ることにした。

「サクラン」

「まるで俺の幼なじみを女にしたような名前だな」

 こいつどういう思考回路してやがるっ!?

 しかし甘いな。俺を誰だと思ってる。宮田実篤を無力化することにかけては右に出るものはいないといわれた佐倉純太である。悲しいことにね。

「ごめんなさい。それじゃあ、別の名前でもいいです……サフランとかでも」

「いや、別に名前がおかしいと言っているわけではない。むしろとてもいい名前だ。春の訪れを告げる花に『ン』をつけることによって、なんとも愛らしく独創的な感じになっている」

「ありがとうございます」

「はっはっは。なに、思ったことをそのまま言っただけだ」

 本当にどういう思考回路してやがるんだ? コイツは。

「ではサクランと呼ばせてもらうとするか。サクラン、俺は昨夜道端で君と出会い、そして君は直後気絶した。そのことを覚えているか?」

「覚えています」

「それは僥倖だ。ならばそれ以前のこと、どうしてあそこに自分がいたのか、それも覚えているか?」

「…………よく、覚えていません」

 しばし考えたあと、そう返した。正確には覚えていないのではなく、オモイダシタクナイダケデスケドネ。

「……では、自分の家や家族、そういったことも?」

 ふるふると若干震えつつ俺は首を振る。思い出したくない思い出したくない思い出したくない。

「そうか……」

 はっ、俺は今なにを……?

 ダークサイドから眼を覚ました俺の横には、何とも悲壮な顔をした実篤の姿があった。こいつのこんな顔久しぶりに見る。本気で悲しんでいる顔だ。

「よし、わかった。そういうことなら好きなだけこの家にいるといい」

「え?」

「なに、遠慮することはないぞ。親は夜にならないと帰ってこないし、帰ってきたとしても快く歓迎してくれるだろう。俺の努力のお陰で、今では何にも動じることのない素晴らしい胆力を持つ両親と化したからな」

 謝れ。おじさんとおばさんに謝れ! 

「そんなこと。これ以上ごめいわくをお掛けすることなんてできません。わたしのことなら放っておいて結構ですから!」

 冗談じゃない。今すぐ実篤の前から離れたいのに、なぜ一緒に暮らさないといけない。いつボロが出るかわかったものじゃないのだ。というか、今俺自分をわたしとか言わなかったか? あれか? なんか精神汚染されてないか、身体に。

 あまりの恐怖に俺が怯えていると、ポン、と頭に手が置かれた。

 見れば、実篤が何とも異性を恋に落としそうな微笑を浮かべていた。

「遠慮は無用だといったはずだぞ、サクラン」

「でも、わたしはきっと何の見返りも差し上げることができません」

 正確にはお前の大好物の面白イベントを起こすつもりはないってことです。

「迷惑だけ一方的にお掛けするとわかっていて、どうしてここに残れますか? わたしは一人でも大丈夫ですから」

「いや、ダメだ。俺にはわかる。ここで君を行かせれば俺は後悔することになるだろう」

 くっ、どうして今日のコイツはこんなにも優しいんだっ?!

 実篤はそっと俺の頭の撫でながら、聖母マリアもかくやという慈愛の表情を浮かべる。

「正直に言えば、俺は君と初めて会った気がしない。それはな、君が俺の脳内彼女にそっくりだからだ。
 その造形。そう雰囲気。まさにうり二つ。髪の色だけ若干違うが、そんなもの些細な問題だ。俺のソウルが叫んでいるのだ。間違いない」

「………………うぜぇ……」

「何か言ったか? サクラン」

「ううん、なんでもないよ」

 ただ、俺の幼なじみは死ぬほどアホだという確信を改めて持てただけで。

 何か俺は空恐ろしいものを考えつつ、こうなった実篤はどうがんばっても諦めてくれないことを苦々しくも確信していた。

 切り替えは早い方がいい。俺は宮田宅に滞在することも考慮にいれて、今後の身の振り方を考えてみる。

 ひとまず、最も優先すべきことは男の身体に戻ることだ。それにはあの猫モドキの力添えが必要。死んではいないと思うし、たぶんそう遠い場所にいるとも思えないので、恐らくこの観鞘市内に潜伏していることだろう。Gのごとく。

 ただ、観鞘市内もそれなりに広い。見つけるまでに数日はかかると見た方がいいだろう。そう考えると、俺にはその間泊まる場所がない。家には帰れないし、ホテルに泊まろうにも、この外見年齢じゃ……。

 その点を補えるとすれば、多少の危険を冒しても実篤に厄介になるのもいいかも知れない。

 ……うん、なんか色々と問題もある気がするが、なんとなくいい気がしてきた。というか撫でられるのが気持ちいい。なんだろう? 男だったときには感じなかった何かを感じる。ハンドパワー? ハンドパワーなのだろうか?

「サクラン。しばらく俺の家に厄介になってはくれないか?」

「いいよ〜」

「そうか。それは嬉しいことだ。では、俺のことは実篤お兄ちゃんとでも呼ぶがいい」

「いいよ〜」

 ………………気が付けば、全てが遅かった。

 


 

       ◇◆◇

 

 


 ダイジェストシーン!

 いきなりで悪いが、土日におけるシーンはダイジェストでお送りしたいと思う。なぜかといえば、実篤をお兄ちゃんなんてかわいらしく呼ぶことを強制されていたことに絶望していたのと、女になってしまったが故の、ほら、色々とあるんですよ。

 男女の違いっていうのは思ったよりもたくさんあった。
 それに自分の身体が中学生くらいとはいえ、ある程度女らしかったのも最悪だった。

 何だかとてつもない経験を自分はしていると理解するほどに、なぜか楽しそうな幼なじみの姿に殺意を覚える。

 身の回りのものを買ってくれたり、食事を作ってくれたりしたから感謝はしているし、今回は珍しく善意ある行動だが、なんだろう? 実篤が幸せそうだと何かむかつくのだ。あるいは男でなくなった悲しみを様々なシーンで気付いてしまったからか。突発的な殺意の衝動に毎朝毎晩悩まされている。

 こっちとしても正体をばらさないためにかわいらしく振る舞ったが、心の中では煮えたぎる暗黒物質を蓄えていた。底なし沼の如く貪欲に悪意を吸い込んでいくのは我ながら恐れ入った。このボディ、かわいらしい外見に似合わずすぐに思考がダークサイドへ傾く。

 魔法少女? ああ、そういえば魔女って一応ダークサイドの住人だったかな。

 サバト。黒魔術。悪魔崇拝……フフ、フフフフッ。
 
 生け贄は、まだ何も知らない。

 


 

 ここで話は冒頭に戻り、学園編の始まりである。

「高校?」

「そうだ。俺はこれから高校へと行かなければならない」

 朝食を一緒に食べながら、制服姿の実篤がそう言った。

 好都合。俺は内心喝采し、表面上は悲しそうな顔を作った。この内面と外面の矛盾、前はそんなに得意ではなかったのだが、このボディになったあとは自然とできる。改めて女って怖いと思う。

「そうなんだ……残念だけど、お留守番してるね」

 たっぷりのジャムを塗ったトーストをぱくり。うまうま。

「ふっ、安心するがいい。そう言うだろうと思い、すでにサクランが見学できる手はずは整っている」

「むぐっ!?」

 突然の実篤の発言に俺はパンを喉につまらせた。牛乳を求めて手を伸ばすが、その前に実篤が取ってくれた。

「慌てなくとも誰も取りはしないぞ。ゆっくり食べるといい」

「……お前が言うか」

「何か言ったか?」

「あのね、見学ってどういうこと?」

 笑顔で誤魔化して追求に入る。ことと次第によっては、サバト決行を早める所存である。今日の予定は昨夜の内から、猫モドキ探しと決めていたのだ。

「俺の友人に空園という、観鞘学園の生徒会長がいてな。彼女の親が学園の理事長なのだ。そのつてを使ってサクランを仮入学――まぁ、お試し期間だな――をさせてもらった。サクランを一人にするのは偲びないと思ったわけだ」

「う、嬉しいなぁ。わ〜い。わ〜い……」

 この三日間で俺は、順調に自分と実篤のキャラを見失いつつある。

 

 


「こ、これは……」

 俺は姿見の前で軽く頬を引きつらせていた。

 朝食のあと実篤に渡されたのは観鞘学園の女子の制服だった。ご丁寧にも、高校生の平均身長を大きく下回る特注サイズの制服だ。県内でもかわいいと評判の制服だが、問題はそこではない。

「スカートを、俺に、はけと……?」

 実篤に買ってもらった私服は、その全てがズボンタイプだった。実篤は駄々をこねたが、これだけは譲れなかった。

 しかし、女子の制服にズボンは存在しない。
 そもそも、奴はどうして制服を持っているのか? 考えたら負けだと思う。

「……仕方がない。好意。これは好意なんだ。……好意、だよな?」

 なんだかここまで来ると、本当は実篤の奴が全部気付いていて、その上で遊んでいるかのような気までしてくる……違うよね?

 俺は大きく溜息をつき、仕方なく女子の制服に着替えることにした。

 シャツを脱ぎ捨てズボンを脱ぐ。その下には下着という名のキャミソールと、ショーツ代わりのスパッツ。さすがに女物のちゃんとした下着をつける覚悟はなかった。

 悲しいことに、以前女装させられた経緯から女子の制服は難なく着替えることができた。サイズはぴったりである。どこでこの身体のサイズを把握したのか。実篤、恐るべし。この数日で実篤に対する評価をZからZZに変えなければいけないようだ。

「サクラン。着替えが終わったか?」

「……大丈夫」

「では失礼して――おお、やはり思っていた通りとてもよく似合っている。春をイメージしたその制服は、まさにサクランのためにあるといっても過言ではないだろう」

「あ、ありがとう、ございます」

 うんうん頷く実篤に何とか笑顔を返すことができた俺はえらいと思う。

「このまま写真撮影会に移りたいところだが、そろそろ行かねば遅刻してしまうため、涙を飲んで学校へと行くとしよう」

「うん。そうしよ。そうしないとわたし、なんか人としてやっちゃいけないことをやっちゃいそうだし」

 扉を開けた実篤に続いて、俺は玄関まで下りていく。うぅ、スースーする。

 玄関では学校指定のミューズが並べてあり、真新しい輝きを放っていた。
 それを見て俺は少しだけ胸が痛むのを感じた。そっと靴を掃き終わった実篤を見上げて、小さな声で訊いてみた。

「あの、お兄ちゃん。制服って確か高いよね? お金、大丈夫?」

「ふっ、問題ないとも。こう見えても俺は様々な場面でお金をゲットしているからな。これくらいは造作もない。先も言ったがサクランほど制服が似合う者もそうはいない。自信を持つといい。今のお前はかなりの萌えを体現している」

「うん、ありがとう」

 一言余計だけどな。

 朝から色々疲れたが、ひとまず濃い朝の一時はこれで終わりのようだ。
 二人して一緒に家を出て――まず向かった先は隣の家、つまりなぜか俺の家だった。

 何の用事があるのか? と俺が首を傾げると、その仕草に気付いた実篤が教えてくれた。

「ここは俺の幼なじみである佐倉純太という奴の家だ。いつもならあいつが俺を朝起こしてくれるのだが、今日は来なかったからな。様子を見に来たわけだが」

「そうなんだ……そうだよね、やっぱり気になるよね」

 自分のことで忙しかったからそこまで気にしていなかったが、佐倉純太を知るものにしてみれば、夜いきなり行方不明になったのだ。心配していないはずがない。

 休日ということで実篤はさほど心配していないようだが、両親は、特に母さんは心配していることだろう。なにせいきなり目の前から息子が消えたわけだから、さすがにあの胆力ある母さんといえど……。


「実は純太ちゃん、金曜日の夜に消えちゃったの。わたしが思うに、たぶん自分を見つめ直す旅に出たと思うのよ」


 え〜?

「なるほど。純太らしいといえばらしい理由ですね」

「納得しちゃうんだ?! そういう風に思われてたんだ、俺!?」

「どうした? サクラン。いきなり?」

「な……なんでもないですよぅ」

 予想を遙かに超えていた。俺の母親はすごかった。

 猫三匹を抱きかかえたまま現れた母は、まったく息子が消えたことを心配せずに笑っている。実篤も同意するし。これでは突然声を荒げた俺がおかしいみたいじゃないか。

「ところで、実篤ちゃん。そちらのかわいらしい女の子は? もしかして、これ?」

 と言いつつ俺の母は猫の片手をあげてぷらぷらさせた。何を表現したいのかわからないが、実篤は厳かに頷く。

「そう、大事にしてあげるのよ。実篤ちゃん」

「もちろんですとも」

 何か通じ合っている二人。息子の俺にはわからないのに、どうしてこの二人の間では意思疎通が叶っているのだろう? わからない。俺にはわからないよ……。

 俺が母親の謎について深い悩みに落ちただけで、結局佐倉宅訪問は終わってしまった。結論を出してしまえば、佐倉純太の行方不明は驚きに値しないことらしい。

 ……そういえば、前にも両親に何も告げずに一ヶ月くらい行方不明になったことがあったか。あれは確か中学生の頃。夏休みの宿題で実篤と…………止そう。ブラッディサマーが甦ってしまう。

 俺が自分を見つめ直していることに気付いたのか、実篤も道中そこまで話しかけてくることなく学校へ到着した。

 その辺りで、俺は自分がかなり注目されていることに気付いた。

 買い物するときもそうだが、今回はそれ以上だ。当然か。見た目が中学生くらいの外国人の女の子が、いきなり制服を着て登校してきたのだ。しかも連れ添いは学校一の問題児宮田実篤。注目するなという方が無理である。

 まぁ、でもお試し期間が何日かは知らないが、そう長いということもないだろう。この半分以上は俺のことなぞ知らずにいてくれるのだ。うんうん、いつかは消えるこのサクランという少女。知らないのならそのままの方が――

『ようこそ、観鞘学園へ! サクラン大歓迎!!』

 俺はこけた。校舎の屋上から大きな垂れ幕に書かれていた自分の偽名に、そして正面玄関で待ちかまえていた二人の少女に、俺は全力でこけた。

「ようこそ、観鞘学園へ! 歓迎するぜ、ずっこけサクラン!」

「変なあだ名をつけるな!」

 出迎えてくれたのは観鞘学園生徒会長――空園可憐と、副会長――土方ヘレナの二人だった。見事なまでの凸凹コンビ。お祭り生徒会長と苦労人副会長さんである。

 二人の内、今の自分の身体と比較してもさほど差のないちびっ子がまず前に出てくる。ふわふわな黒髪はお人形さんみたいだが、全身から溢れ出した無駄な元気オーラが見た目の儚さを打ち消している、おつむまで子供な生徒会長だ。

「お前が実篤の言ってたサクランだな。へ〜、思ったよりもちっちゃいな」

「空園にだけは言われたくない言葉だな」

「なんだと、実篤! こっちはお前の急な無茶ぶりにもかかわらず、休日を潰してまでかけあってやったんだぞ! 感謝の言葉はないのか、感謝の言葉は」

「すまないな、土方。急な頼みを引き受けてくれて感謝する」

「って、そっち!? アタシだって手伝ったんだぞ!」

「いいんですよ、宮田君。どちらにしろ、可憐ちゃんの付き合いで休日は潰れてましたから」

「ヘレナまでぇ〜!」

 両手をぶんぶん回して自分の幼なじみへと突っかかっていく会長。しかしヘレナは、そのハーフらしい百七十近くあるタッパをいかし、右腕一本で押さえつけていた。赤みかかった金髪に青い瞳。穏やかでちょっと疲れた微笑みは、今日も何とも色っぽい。

「と、悪かったな。紹介しよう。こちらが我が学校が誇る副会長と、全世界が認めた馬鹿だ」

「えへん。アタシが生徒会長の空園可憐だ! 容姿端麗、眉目秀麗、才色兼備な見ての通りの――

 ダメ人間ですね。わかります。馬鹿にされたことに気付いてないし。

 相も変わらずな会長に俺は生暖かい視線を贈りながら、最後の一言をスルーした。だって、嘘にも程があるもの。

「ごめんなさいね、可憐ちゃんが騒がしくて。いつもはもう二デシベルくらい静かなのよ」

 それはほとんど変わらないと思う、ヘレナ。

「私は土方ヘレナ。この学校の生徒会副会長で、主に可憐ちゃんの補佐を務めています。初めての学校体験ということで、もし何かわからないことがあったら何でも聞いてね」

「そうだぞ。大人のレディであるアタシに何でも頼れ!」

「うん、たぶんもうそろそろ可憐ちゃんの扱いには慣れてきたと思うから、私が言いたいことはわかるよね?」

「大丈夫です。何かあったら副会長に聞きます」

「ひでぇっ!」

 会長の目尻に涙が浮かぶ。相変わらず涙腺の弱い人である。

 ヘレナはそんな幼なじみの姿に仕方がないという顔をして、

「嘘だよ、可憐ちゃん。可憐ちゃんも色々と手伝ってくれたものね。おじさんに我が儘いって脅したり、嫌いになるっていって脅してくれたりしたものね。それだけしかやれなかったけど、それだけはやれたものね」

「そうだ! サクランがここにいることができるのは全てアタシのおかげ……って、なんかサクランからとてつもない負のオーラを感じるだけど!?」

「お前が余計なことさえしなければ、俺はこんな恥ずかしい格好をしなくても……」

 サバト候補を追加しました。

 耳の奥でピロリロリンというシステム音を捉えつつ、ヘレナの胸に抱きつきながら恐怖に震え、えぐえぐ言っている会長を見る。

 実篤は顎に手を当て、よしよしと慰められている会長を見て言った。

「ああやって甘やかされて、きっとあの会長はできあがったのだろうな」

「ああいう幼なじみ関係も、あれはあれで大変そうだよなぁ」

 あれ? 幼なじみって、不幸の代名詞だっただろうか?

 

 

 俺が仮高校生活を送ることになった舞台は、なぜか一年生の教室ではなく三年生のクラス。観鞘学園の二凶と恐れられたクラスの片割れ、つまり俺こと佐倉純太が在籍するクラスだった。

 俺のクラスということは、もちろん実篤もおり、実篤に連れて行かれた俺は教室に入った瞬間、男子生徒からのぎらついた視線で迎えられた。

「あれが噂の……」

「ああ、サクランだ」

「宮田の奴が連れてきたが、まさか」

「いや、それはないだろう。奴にはすでに佐倉という生涯のパートナーが」

「つまり――あのロリっ子はフリー!」

「「ぃやっふーッ!!」」

「うぅ。やだなぁ、このクラス」

 頭の先から足の先まで舐めるように観察される視線。おかしい。年齢差にして五歳近くあるはずなのに、奴らの視線は獲物を見る目だ。そこまでか。そこまでお前らの肉食獣の本能は餓えていたのか。

 狩猟の雄叫びをあげるクラスメイトたちは、同性として付き合うのならいいが、異性として付き合うのは最悪です。俺は実篤の後ろに隠れるようにして、教室の後ろまでついていった。

「そんなに怯えなくとも大丈夫だぞ、サクラン。少なくとも奴らは紳士を自称している。アピールはあっても、直接的な行動はあるまい」

「絶対紳士の意味を四周りくらい吐き違えてるけどね」

 このクラスにいる内は、できるだけ実篤か女子に近付いておくことにしよう。俺は固く誓った。

 実篤の席は窓側の後ろから二番目で、そこに鞄を置いた奴は後ろの席を俺に勧めてくる。

「そこに座るといい。俺の幼なじみの席だが、当分戻ってきそうにはないからな」

「そ、そういうことなら」

 確かに、ブッキングすることはないからいいけど、何か悲しいものがあるんだが。

「それで、実篤お兄ちゃん。わたしは勉強をしてればいいのかな?」

「別に勉強ではなく何でも――

 今日することを尋ねた実篤の肩を、ぽん、とクラスメイトの池口が叩いた。
 同時にガタリと男子生徒の約半数が立ち上がり、爽やかな笑顔で教室の外へと消えていく。

「どうした? 池口。俺に何か用か?」

「いや、特に用はないけど。ちょっと校舎裏まで来てくれないか? 実篤オニイチャン」

 こわっ。笑顔なのに目が笑ってないよ。というかなぜお兄ちゃん? 池口、先月後輩の女の子と別れたって聞いたけど、一体そのあとお前に何が……。

「ふむ。まぁ、いいが。手短にな」

「時間は取らせないヨ。すぐに終わらせるからサ」

「わかった。そういうわけだ、サクラン。俺は少し出てくるぞ」

「うん、早く帰ってきてね」

 もしくは生きて戻ってこいよ。

 クラスの男子四人に前後左右を挟まれて連行されていく実篤。まぁ、実篤は強いから心配はしていないが、なんか一人で放っておかれるもの寂しい――

「サクラン!」

「きゃっ!」

 と思ったら、実篤が消えた途端クラスの女子の半分以上に取り囲まれてしまった。

「ねぇねぇ、宮田君の家で一緒に住んでいるって本当?」

「今日佐倉君がいないのは、もしかしてこのことに何か関係あったり?」

「三角関係? 三角関係なのかな?」

「違うわよ。四角関係よ!」

「いや〜ん、わたし純太×実篤派なのに〜!」

「でも、サクランなら有りだわ。これはこれで有りだわ!」

「え? ち、ちがっ、別にそういうのじゃなくて……」

 女子のパワーに圧倒された俺は、言い返さなくてはいけないのに言い返せない。女子達はそれぞれ勝手に妄想を強めていく。どうしろというんだ、この状況で。

「四角関係じゃなくて五角関係でしょ?」

「わたしも純太×実篤より、純太×……あ、噂をすればご登場よ!」

「な、なんだ? 何か僕に用か?」

 女子達の視線が一斉にずれる。そこには俺の隣の席である男子生徒が驚いた顔で立っていた。

 切りそろえられた黒髪と中性的な顔立ち。美少年といえば美少年だが、ちょっと小柄すぎて頼りない感じがする。ただ、このクラスではまともという貴重な人種だ。

「ん? どうして女の子が佐倉の席に座ってるんだ?」

「サクランよ、サクラン。今日からしばらくの間、うちのクラスにやってきたマスコットで――

「宮田君の愛人で――

「朝霧君のライバルよ!」

「はぁ? 宮田の愛人で僕のライバルって、はぁ!?」

 意味が分からないと首を傾げる友人の朝霧火澄。俺はチャンスだと思い、助けを求める視線を送った。

 ちょうどこちらを見ていた火澄は、視線に気付くとうろたえる。今年からが編入してきた火澄は、あまり女性というのが得意ではないらしい。しかし空気が読める人間なので、こちらの言いたいことには気付いたようだった。

「よ、よくはわからないけど、そんな大勢で囲んだらそいつも困るだろ? 手加減してやれよ」

 クラスの女子の半分に好奇の視線に晒されながらも、火澄は助けを求める声を無視したりはしなかった。さすがだ、火澄。三年Aクラスにおいて、俺と並ぶ最後の良心!

「ライバルにまで優しいなんて、やっぱり火澄君じゃ相手にならないかしら」

「シスコンだしね」

「噂だとロリショタまで行けるらしいよ」

「って、お前らは一体何の話をしてますか?!」

 顔を赤くして怒る火澄に、女子達はきゃーきゃーいいながら席に戻る。

 火澄は「まったく」と呟くと席に腰掛け、そこでアンニュイな表情でひじをついた。

 いつもちょっと眉にしわが寄っている奴だが、ここまで憂鬱そうなのは珍しい。それに何だか疲れているようだし、何かあったのだろうか? ただでさえ彼の実家は色々とあるし。

「……あの」

「ん? どうかした?」

「い、いえ、さっきは助けてくれてありがとうございます」

「いいよ、別に。どっちにしろ、追い払わないと僕も席に座れなかったしさ。それより、そこの席の奴――佐倉はどうしたんだ?」

「あ、ええと」

 本当のことは言えないから……仕方がない。疑われるだろうけど。

「なんか自分を見つめ直す旅に出たらしいです」

「またか。あいつも暇だよなぁ」

「…………火澄の中でも俺はそういうキャラなのか。というか、またって……そんなこと一度もした記憶ないのに……」

 またしても頬杖ついた火澄の横で、俺もまた深い悩みの中へと落ちていく。

 実篤が帰ってきたのはそれから五分後――男子たちが帰ってきたのは、昼休憩のことだった。

 

 

       ◇◆◇

 

 

「前々からおかしなクラスだとは思ってたけど、まさか男子の七十パーセントがロリコン予備軍だったとは」

 手にクリームパンとジャムパン、チョココロネが入った袋を抱えた俺は、クラスから離れた、立ち入り禁止の屋上へとやってきていた。

 実篤に返り討ちにあった男子生徒だが、昼休憩に帰ってきたかと思いきや、朝の女子による囲い込みを凌ぐチームワークと暑苦しさで迫ってきた。その威圧感、『ジャッジメント』を前にしたのとよく似ていた。

 なんとかあること無いこと言って実篤を犠牲にしたからいいものを、もう少しで購買の人気商品であるチョココロネを手に入れ損なうところだった。何か昨年あたりから急に買う人が増えたから困る。

「なんか、久しぶりに開放感」

 屋上の壁に背中をつけ、俺はチョココロネを囓りながら開放的な空を見上げた。

 雲が気持ちよさそうに泳ぐ快晴。それは昨今のストレス社会に悩む苦学生である俺の心を癒してくれる。ただちょっと風が強いのが難点。見られると恥ずかしいし、スカート抑えとかないと……

「はっ?! なんか俺、慣れ始めてる!?」

 自然とスカートを直す自分に、俺は衝撃を受けた。

 思えば、実篤をお兄ちゃんなんか呼んだりすることなんて、普通に考えればあり得ないはずだ。しゃべり方をかわいくする必要なんてないし、パンツはいてないんだからスカート関係ないし。

 確かに、男の視線があまりにも餓えた狂犬のようだったから貞操の危機は感じたけど、その結果自分から女性化するなんてあってはならない。

「こんなことをしてる場合じゃない! 今すぐ猫モドキを探さないと!」

 でも、お昼ご飯だけはきちんと食べていこう。

 チョココロネ……美味しい。

 口が小さくなったため、なんかお得感があって幸せだ。ほくほくとした顔で、俺はチョココロネを囓っていく。我ながら六十円のパン一つで幸せになれるとは安いものだが、やっぱり甘いものは女になってもいいものだ。

「チョココロネ、そんなに美味しい?」

「美味しいよ〜」

「そっか。それじゃあ、お姉ちゃんのも食べる?」

「わ〜い」

 笑顔と共に差し出された新しいチョココロネに俺は喜んで飛びついた。

 飛びついてくわえたところで、目の前でしゃがみこみ、ニコニコ笑っている女子生徒がいることに気付く。

 長い黒髪を先の方でリボンを使い結んだ、中性的な印象の少女だ。華美ではないが整った顔立ちは異国の血が混ざっているのか、健康的だが白い。古き良き日本を思わせる、包容力を感じさせる少女である。

「ふふっ、口元にパンくずがついてるよ?」

「あ、う……」

「ほら、取れた」

 チョココロネをくわえたまま目をパチクリしていた俺に、顔見知りの彼女は穏やかな表情で手を伸ばしてくる。唇に近い頬についていたパンくずを取ってくれると、そのまま自分の口に運ぶ。

 カーと顔が赤くなってくるのがわかった俺は、彼女の顔から視線を下げた。そこでドンと、制服を押し上げて主張する二つの膨らみと出会い、さらに視線を下げる。そこで今度は短いスカートの奥に魅惑のデルタゾーンを確認し……大佐! どうしたらいいかわかりません!

「ねぇ、君が噂のサクランでしょ? 宮田君が連れてきた」

 立ち上がったことにより、ようやく視線を下で固定することができた俺は、ぶんぶんと首を大きく縦に振った。

「やっぱり。火澄がさっき言ってたから。あ、火澄っていうのはわたしの弟で、わたしに良く似た顔してるんだけどわかるかな?」

 さらに首を縦に。

「そっか。あ、ごめん。まだ名乗ってなかったよね」

 空をバックに、子供みたいに純真な微笑みを浮かべて少女は名乗った。俺は彼女の名前をよく知ってたけど、それでも彼女が自分の名前を口にする度に奇妙な感慨を胸に懐く。

 澄み渡るような、そんな水面を見つめて――自然と歌うような人であれ。

「わたしは朝霧水歌。よろしくね、サクラン」

 朝霧水歌――佐倉純太にとって、とても大事な人がそこにいた。

 


 

 何でも水歌は突然いなくなった火澄を捜して屋上にやってきたらしい。本来立ち入り禁止の屋上だが、合い鍵を勝手に作ってしまった俺と実篤の所為で、一部の知り合いの緊急避難施設として機能してしまっている。

「誰かな、屋上を開けたままにしておいたの。サクラン、ここは本来入って来ちゃ行けない場所だから。今日はわたしが一緒にいるからいいけど、一人じゃ危ないからね」

「う、うん」

 屋上の入り口の壁に隣合ってもたれながら、購買のパンを一緒に食べる。なぜこうなっているかわからないが、水歌からの誘いを断ることなんてできない。

 でも、彼女にばれることほど恥ずかしいものはないし……思わず口数が少なくなってしまう。さっきからパンを食べることで誤魔化し続けているが、顔が熱くなるのが我慢できない。なんでだろう? 男だったときはこんなことなかったのに。

「そういえば聞いたんだけど、サクランは宮田君の家に居候してるんだよね?」

 パンをくわえたまま、首を縦に振る。

「そっか。それなら、ちょっと聞きたいんだけど……」

 水歌の声がちょっと小さくなったのが気になって、俯けていた顔をあげた。
 隣にいた水歌は少しだけ頬を染めて、照れくさそうにパンを数口食べてから、続きを言った。

「今日純太君の顔見ないけど、その、どうしたのか、知ってる?」

「え?」

「あ、ごめん。もしかして純太君のこと知らなかったかな? 佐倉純太君。宮田君の幼なじみで、一緒の生徒会に所属してるんだけどね」

「あ、うん。それは知ってるけど、どうしてそんなこと聞くの?」

「だって……気になる、から。携帯にも繋がらないし、それに相談したいこともあったから」

「相談?」

 思いがけない言葉に聞き返すと、水歌は安心させるように笑って、

「ごめんね、サクランには関係ないことなのに」

「それは別に構わないけど……」

 いつもの水歌の微笑みに比べて少し元気がないことに気付いて、俺はどうかしてあげようと思った。

 変わってしまったとはいえ自分は彼女の捜し人。自分がここにいる以上、水歌は佐倉純太には相談できない。その何かが今彼女の心を悩ませているなら、相談に乗ってあげたい。

「あの、わたしでよければ相談にのるよ?」

「ありがとう。でも大丈夫、心配しないで」

「でも、こう見えてわたし色々と知ってるよ? なんていうかすごいよ? 本当だよ?」

「そっか……いい子だね、サクランは」

「ん」

 そう言って水歌は頭を撫でてくれた。優しく髪を撫でる温かさは、実篤のそれよりもずっと気持ち良かった。

 けれど、同時に胸の中で燃え上がるのは、男に戻らないといけないという決意だった。この身体では水歌は気を使って相談してくれない。彼女は我慢するきらいがあるから、一刻も早く元の身体に戻って安心させてあげたい。

「ん〜、かわいい! わたし、サクランみたいな妹が欲しかったな」

 思い切り抱きしめられたとき、顔を埋めることになった胸の柔らかさに必死に抗いながらも――何かが癒されていくのを感じて、俺は目を閉じた。

 何かが瞳の奥で燃えている。黄金の色に。

 そして俺は、隣の世界へ一歩足を踏み外した。


 

 

       ◇◆◇

 

 

 気が付けば、廃墟の屋上に立っていた。

 唐突といえば、あまりにも唐突な展開だった。

 しかし三度目ともなれば慣れたもので、心のざわめきはさほどのものではなかった。
 気を失う直前、こうなるとどこかで感じていたのも大きい。俺は誰もいなくなった、今にも崩れそうな学校の屋上の縁まで歩いていき、そこから周囲の様子を観察した。

 青みかかった漆黒に輝く満月の下、蠢く無数の怪物。

「『ジャッジメント』……あれ一体じゃなかったってことか」

 以前倒した触手とは少し異なる、狼のような顔に尻尾の代わりに触手の生えた異世界からの侵略者。それらはこちらの気配に気付いているのか、続々と学校の周りに集結している。屋上から見える範囲内にすでに百体以上が揃っていた。……というか、『ジャッジメント』は卑猥な触手以外いないのか?

 男でも女でも近付きたくない相手。それでも――魔法少女の力からみれば、容易く蹴散らせる程度でしかない。

「やってやるさ。今更駄々をこねるほど、俺はガキじゃない」

『あらん。勇ましいわね、サクラン。惚れちゃいそうよ』

「やめてくださいお願いします」

 独り言に答えるオネェ言葉があった。この狭間の世界へやってきたときから持っていたかっこ気持ち悪いドリルである。実篤の家に置いてあるはずなのに、当然のように手におさまっていて、AIであるレディ・アンが口をきいていた。

「色々と質問したいこととかあるけど、片付けたあとにしよう」

『起動の詠唱は覚えてる ?』

星よ。虹の彼方より、我が手に降り落ちて来たれ

 レディ・アンの、何ともサポートAIの如き言い回しに俺は実戦することで答えた。

さぁ、ではそろそろ――――魔法少女を始めよう

 魔法を紡ぐ詠唱と共に、ドリルから発生した光が俺の身体を覆った。

 腕の先からお湯へと入ったかのような感触に包まれたかと思うと、一瞬の空白のあと頭にクラウン、制服がフリフリヒラヒラなエプロンドレスに瞬時に変わっていた。

 務めてそれを見ず、獲物を睨むことでサバト衝動を抑え、屋上の縁を蹴った。

『あらやだ、この子ったら。変身後の名乗りシーンを全面カットしたわ』

「いちいちやってられるか、あんなもん」

 身体を包み込む無重力は一瞬のこと。すぐに浮遊感と共に落下速度が落ち、まるで階段を下りるかのような足取りで俺は地面に着地した。

 正面玄関前のグラウンドに降り立った俺の周りには獰猛な含み笑いを喉の奥に秘めた餓狼の群れ。しかし恐怖はない。右手のドリルから湧き上がるエネルギーの力強さは、万軍を味方につけたかのような力で……

「…………ん?」

 俺はそこで何か奇妙な違和感を覚えてドリルを見た。

 そこは以前ほどの力を感じるドリルの姿はなかった。外見上は何かしらの変化はなかったが、肌でわかる。一撃で巨体を葬り去ったほどの高揚感が今日はまったくない。

『まずいわね……DKエンジンの充填率が十パーセントを切ってる。これじゃあ満足に戦えないわ!』

「DKエンジン……? なんだそれ?」


――――説明しよう!!」


「うぉ!」

 聞き覚えのない単語の説明を求めた瞬間、いきなり胸元から白い子猫が頭を出した。

「おまっ、なんでそこに?! なんでそこから!?」

「はっはっは。そんなこと些細な問題だよ」

「大問題だ!」

 胸元から全ての元凶を引っ張り出して放り投げる。しかし空の星となっても舞い戻ってきたトンデモキャットはブーメランのように戻ってくると、肩の上に百点満点の着地を決めてみせる。

「それではDKエンジン――『ドッキンドッキエンジン』について説明しよう!」

「悠長にそんなもの聞いてる暇はなさそうだけどな!」

 俺は色々な意味で軽く感じるドリルを構えて、いったん猫モドキのことを思考から排除した。
 ジリジリとにじり寄ってくる『ジャッジメント』の群れ……触手が闇夜に蠢き、卑猥な粘液がグラウンドに染み込んでいく。

「DKエンジンは、魔力など知らないサクランに魔法を使わせるための、いわば変換装置のようなものだ。『きゃぴきゃぴるんるんマジックステッキ』に内臓された機能で、それがいわば魔法少女になったときのパワーアップの数値を決めている」

 一体の餓狼が我慢できなくなったように飛びかかってきた。
 まさに狼のように牙を剥きだしにして。ただし、前足に尖った触手が追随する。

 俺はいくらか補正を受けた身体能力を駆使し、飛び退きつつ触手をドリルで払って避けた。その際レディ・アンが野太い悲鳴を上げたが、今は自分の身の安全が最優先だ。

「数値は一定ではない。制限を加えることで、素人でも一夜にして最強の魔法少女になれるよう設計しているのでな」

「ご託はいいから、さっさとどうにかしてくれ! どうすりゃ、そのDKエンジンの数値をあげられる? というか、そもそもどうやってそれは決められてるんだ!?」

 次々に跳びかかかってくる餓狼を何とか裁きながら、肩にしがみついたまま説明を続ける猫モドキに答えを求めた。

 振り回される衝撃に少し口を噤んでいた猫モドキは、はっきりとした口調で、DKエンジン――魔法少女の力の源を言った。


「魔法少女の力の源、それは変身時に測定された『羞恥心』の数値だ」


「くたばれこの猫モドキ!」

「ふにゃーー!」

 飛びかかってきた餓狼に向かって、俺は思いきり猫モドキを放り投げた。直線を描いて餓狼にぶつかってくれたお陰で、何とか攻撃を凌ぐことができた。猫モドキ、お前のことは忘れない。忘れたくても忘れられない。殺意でな。

「ちっ、猫モドキに対する殺意なら確実に百パーセントをたたき出していたっていうのに」

『説明を補足すると、つまりのあの変身後のポーズには意味があったのよ。『恥ずかしいポーズ』をすることで変身時の羞恥心を煽り、DKエンジンの回転数をあげるの。今回は一切無視した上に悟りの境地を開いていたから、まったく力が出せないのね』

「なんてクリーンなのに地球に優しくないエネルギー源なんだ。せめてお約束の愛とかにしといてくれればまだ……羞恥心。なんでよりによって羞恥心なんだ?」

「それはもちろん、いつまでも変身に夢と希望と萌えを保ゲフンゲフン。上目遣い+頬が赤くなっているのは男のロマンだ!」

「誤魔化してるつもりでもまったく誤魔化せてないからな?! というか、どうしてまた胸元から生えて来てるんだよ!?」

 ひょこりと再び猫モドキが胸元から顔を出したことに、俺はついにキレるのを通り越して泣きたくなってきた。

 つまり前回ほどの力を取り戻すには変身シーンからやり直さないといけないのだが、そんなことすればその隙にやられてしまう。
 これ結構なピンチのはずなのに、なぜシリアスな空気がどこにもないのか。餓狼百数体が肉の壁のように蠢いているのに、なぜ助けようとはしてくれないのか?

「う、うぅ……」

「サクラン?」

「もうやだぁ! サクランお家に帰るぅ!」

「にゃんですと!?」

 ついには幼児退行までしてしまった俺をきっと誰も責められまい。

 その場に尻もちづいてしまった俺に、一斉に飛びかかってくる餓狼たち。猫モドキが何やら地面に下りたって茶色い光を放ち始めたが、俺はただただ現実逃避のために泣いていた。


――ふふっ、でしたらお帰りあそばせ。ここから先はわたしが引き受けましたわ」


「きゃぁあああああああああああああ――!」

 そのとき空から無数の灼光が雨のようにグラウンドを叩いた。

 昼夜を逆転させるような赤い光は餓狼たちを打ち抜き、辺りいっぱいに断末魔の叫びが響き渡る。空間をも切り裂くような叫びはやがて消え、気が付いたときにはグラウンドから餓狼の姿が、最初から幻だったかのように消えていた。

「これ、は……?」

「まったく、敵を前にして泣き叫ぶなんて、それでも魔法少女かしら?」

 呆然とする俺の前に、優雅な淑女が降り立った。

 赤と黒の螺旋模様の日傘をさした、戦場に似つかわしくないゴシックロリータを身につけた中学生くらいの少女。黄金の縦ロールは大きく二つに分けられ、血のような瞳は見る者の心臓を鷲掴みにするような光を放っている。

「あ、あなたは……?」

「しゃらっぷ! あなたのような凡百に名乗る名など持っていないわ。この偉大なる魔女にしてれでぃーである『吸血姫』の名を知ることができるのは、わたしが格を認めた者だけ。敵を前にして泣き叫ぶようなお嬢ちゃんはふさわしくないの。どぅゆあんだーすたん?」

「いや、名乗ってるから」

 日傘を閉じた少女――吸血姫は、八重歯が光る口で笑みを作って、何とも発音が怪しい英語を使った。

「お前はまさか……そうか、そういうことか」

「どうやらご理解いただけたようね、きゃっとさん。そう、魔法少女は二人もいらない。わたしさえいれば、地球の平和はもーまんたいです」

「何か別の言語が混じった!?」

 猫モドキが何やら言っている横で、俺はつっこみつつ気が付いていた。
 少女が握りしめた閉じられた日傘、それが今はまったく異なるものになっていることに。

 赤と黒の螺旋模様はそのままに、閉じた日傘は鋭利に尖るドリルと化していた。今自分が持っているのと似たかっこ気持ち悪いドリルに。

 吸血姫はドリルを突きつけてくると、満月をバックに艶やかに微笑で、そして告げた。


「子供はさっさとごーとぅーほーむ」


 それがもう一人の削岩魔法少女――『吸血姫』との出会いだった。

 

 


『次回予告』


 ――関わってはいけない。

 何とか男の姿に戻ることができた魔法少女は、しかし元の生活に戻ることに小さなわだかまりを覚える。脳裏を過ぎるのはもう一人の魔法少女、自分の代わりに戦っているだろう女の子。

 平和な日常か、それとも羞恥心溢れる戦場か。

 二つの道の間で悩む魔法少女は友人たちと共に遊びに出かける。
 だが楽しい時間は長くは続かなかった。現れる餓狼のボスと傷つく吸血姫、そしてさらに追加オーダーされた魔法少女が交差する!

 エルフ耳を装備した正統派魔法少女の前に全ては氷結の煌めきに消え、完結させる気のまったくないまま、書き散らされるままに物語は進行する!

 次回――『デート×ライバル=他殺フラグ』をどうぞ夜露死苦DEATH!!



 


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