小ネタ  使徒観測


 

・ 第四使徒『万里の基礎』たるミフィン


「つまり、私もまた使徒であるということですか?」

 未だ信じられない説明を前に、私は目の前の女性に問い掛けた。

 ドラゴンが支配した地獄の世を終わらせた、三人の姫の一人。聖神教という新たなる宗教を開いた開祖でもある女性は、優しい光を抱きとめるように頷いた。

「ええ。あなたもまた、あたくしと同じく神に祝福された使徒です。その金色の瞳がその証。以後、どうかあたくしの傍で人の世を建て直す手伝いをしてはいただけませんか?」

「頭の悪い私なんかでよろしければ、その、使徒アーファリムのお手伝いをさせてください」

 目の前のいる人の噂は大陸を越え、世界の隅々にまで響き渡っている。田舎の村であるわたしの故郷にもその偉業は伝わっていた。この世界には彼女のような素晴らしい人もいるのだと、神はいるのだと、そう思ったものだ。

 自分もまたこの御方と同じ『使徒』――神に祝福された存在だというのは信じがたいが、家まで迎えに来られ、人々が『聖地』と呼ぶようになった聖神教の総本山まで連れてこられたら納得するしかない。そもそも、目の前の人が嘘をつくとは思えない。

「ありがとうございます、使徒ミフィン。これからよろしくお願いしますね」

「は、はいっ!」

 力強く返事をして、嬉しそうに微笑む使徒アーファリム・ラグナアーツの神々しい姿に見惚れる。

 誰かにここまで強く惹き付けられたのも初めてなら、今ほど何かを強く決意したこともない。この人を支えようと、そう強く私は思ったのだ。

 使徒メロディアの死が伝えられた今、使徒アーファリムを助けられるのは私しかいない。正確にいえば、彼女を一人の友として助けられるのは。

 そうと決まれば、やらなければならないことが多すぎる。無学なこの身には教養が欠けている。あらゆる分野の知識を詰め込み、未だ荒れ果てたままの世界を再興する力を得なければ。

 幸いにも、一度覚えたことは忘れないという特技もある。どこまでやれるかわからないが、精一杯やるとしよう。

 静かに去っていく『聖巫女』の背中を見て、私は生まれて初めて勉強をしようと思った。

「大変。まずは基礎が必要だわ」

 ありとあらゆる、全ての基礎が。

 そして基礎をきちんと固めた暁には、

「……アーファリム様をお姉様とお呼びなんかしたりして…………きゃ〜!」





・ 第五使徒『大いなる都』のアレア


 何というか、素晴らしい。

 一切混ざり気のない白い石のすべすべとした肌触り。触れただけでわかる、これはいい石だ。これなら聖地の象徴たりえるべき大神殿を造ることができる。アーファリム様が設計した大神殿と四方と神殿を建造するには、特別な石材が必要なのだ。

 その点を鑑みれば、これは素晴らしい。とんでもなく素晴らしい。

「はぁ〜、これはいい石だぁ。さすがはミフィン姉、いい仕事をするよ。はぅ〜」

 たまらずボクは石材に頬ずりする。

 こんなところを真面目なミフィン姉に見られたら『使徒としても女としてもはしたない』とか言われて大目玉だが、彼女は今アーファリム様と一緒に聖神教の仕組みとか、難しいことを談義している。当分は会議室から出てこないだろう。

 使徒は不可侵の存在として崇められているため、居住区には滅多に人は近寄らない。どれだけだらけていても誰も見ては……いないこともないけど。というより、ここまで大きい石材があればどこからでも見えると思うが、隣にいるボクには気が付かないはずだ。気が付いても、近付いてきてくれるはず、ないし……。

「……すりすり〜」

 原石そのままの石の大きさは、ちょうど貴族の邸宅くらいあった。ここまで大きな原石があったなんて、まさに神からの贈り物である。

「これがまだ十個以上もあるなんて、さすがは聖地だねぇ。すごいよねぇ。ボク、がんばって運ぶよ〜」

 ここまでの大きさになるとボク以外には運べそうにないから、つまりは独り占めできる。

 こんなたくさんのいい石が十個も……作り放題、何でも作り放題やりたい放題だ。

「やっぱり祭壇が継ぎ接ぎじゃかっこつかないもんねぇ。聖神教の総仕上げ、聖地ラグナアーツの象徴になるんだから。千年経っても、万年経っても倒れない、きっと素敵な神殿になるよはぅ〜」
 
 頭の中に広がる完成予想図を想像すると、よだれが垂れてくる。

「ああ、もう我慢できない!」

 よっこらしょと石を両手で持ち上げて、神殿の建築予定地へと走っていく。

 さぁ、建てよう。さぁ、作ろう。

 頭は良くないからアーファリム様とミフィン姉と同じことはできないけど、こと何かを作ることにかけては役に立てる。誰もがひれ伏すほどのすごい神殿を建てよう。みんなが憧れるような家を造ろう。

 それがボクの仕事。聖神教の基礎を作り上げることがミフィン姉の役目なら、聖地を作り上げることがボクの役目なんだから。

 ……というより、こんないい石を誰かに譲るなんて考えられないよね!






・ 第六使徒『箱船』のオルガナート


 どうも肩身が狭い。
 向けられる視線に疑いがこめられている気がする。

 それも仕方がないことだとは思うが、あえて言いたい。

 自分は男で、使徒である、と。

 わかっている。使徒が男のはずないと言いたいんだろう? 歴代のそうそうたる顔ぶれを見ればわかるが、全員の女だ。が、何の因果か自分も金色の瞳を持って生まれてきたのだ。神獣にだって変身できるぞ。本当だぞ? 見てろ……。

 とりゃっ!

 …………。…………うん、わかってる。何を言いたいのか。あまりにもぱっとしないって言いたいんだろ? いいぞ、言っても。そうだ。


 自分はアヒルだ!


 ちくしょう、なんだこれは。なんの罰ゲームだ。
 どうして苦労してオラクルをクリアした結果がアヒルなんだ?

 覚醒した瞬間戦っていた敵の顔はまだ忘れられないぞ。激戦の最中、光り輝いた自分。敵は恐れをなし、味方はやはりあの方は使徒様だったのだと敬服した瞬間、

 くわっとかいいながら、原寸大のアヒルがいやがりましたよ。

 死にたかったね。あのときほど死にたいと思った瞬間はないね。

 初めて神獣になって興奮してたのか知らないけど、俺しばらく自分がアヒルだってことに気付けなかったし。くわっくわっ、とかいいながら敵と戦ったし。呆然としてたところに嘴アタック入って勝ったし。嬉しかったし。踊ったし。微妙に飛べたし。

 …………なんだろう? 自分はあれか、神様が暇つぶしに生んだ使徒なのだろうか?

 最近は自分の巫女にもからかわれ、馬鹿にされる始末。使徒って敬われ、傅かれる立場のはずなのに、自分はお姉様方(そう呼ばせられている)のいい玩具だ。

 ……だが、耐えて好機をうかがってきた。

 そして今日、俺は大いなる大海原へと旅立つ! 夢を叶えるために!

 思い返せば散々な日々だったが、こうして水平線を眺めているとちょっとセンチメンタルな気分になるから不思議なもんだ。だが、男としてここで引き下がるわけにはいかない。昔から憧れた大海原へ単身漕ぎ出し、シャンバラを見つけ出す冒険の旅が自分を待っているのだから。

 一つだけ心残りがあるとするなら……それは、アイツにも旅立ちを言えなかったこと。

 最近は俺を馬鹿にしやがるが、アイツは初めての男の使徒として色々疑われた俺を最初から信じ、ずっと庇い続けてくれたいい奴だ。巫女とかそういうのを置いておいてな。 

 連れて行くことはできないが、せめて直接言ってやりたかった。置き手紙なんて形になっちまったのが心残りだ。

 いつか直接会って謝りたい。だから、いつかはここに帰ってくるのだろう。そのときはきっと殴られるだろうけど、許してもらえるくらいの土産話を持っていってやりたい。

 さぁ、心残りもここまで。いざ行こう、自由なる大海原へと!

 ――くわっ!






・ 第七使徒『緑の指』のイブリル


「土に栄養が足りてない。これじゃ、作物なんてできやしないべ」

 水分もなくぱさついた土を軽くなめて、オラは遠巻きに見ていた村の衆にそう言った。

 畏まった村長さんは低頭しつつ、困惑げに瞳を瞬かせた。その手はしわくちゃだったが、野良仕事で固くなっており、彼がずっと鍬で畑を耕していたことがわかる。

 なんとかしてやりてぇなぁ……。

 オラは心の底からそう思って、調子を確かめていた村の畑を眺めた。
 もうすぐ収穫の時期だというのに、畑には作物が実っている様子はなく、山の斜面に棚田状に作られた畑で一番良い場所でも、赤ん坊の指くらいの野菜がなっているだけだ。

 見れば、百人に満たない村人たちもやせこけ、子供たちも栄養失調に陥っている。彼らは満足に飯も食えないのだ。今朝ラグナアーツを出る前に作った握り飯を配ったが、そんなものじゃ全然足りてない。

「村長さん、この村に今蓄えはどれだけある?」

「お言葉ですが、イブリル聖猊下。この村には名前もなければ蓄えもありません」

 そう、ここは名もなき村。ここにいる村人たちの祖先は、聖地にて何かしらの罪を犯し、生涯聖地に足を踏み入れることを許されなかった罪人。しかし信仰には敬虔だった彼らは聖地より離れた場所に集落を作り、一生を聖地の方角へ贖罪の祈りを捧げて過ごしたという。

 無論、子孫である彼らに罪はない。彼らが聖地ラグナアーツへ来るというなら、普通に迎え入れられる。だが、敬虔なる彼らはそれを良しとしないだろう。近年続く異常気象による大飢饉によって餓えても、この場所で祖先と共に罪を贖い続ける。

 彼らだけじゃない。そういった集落が、聖地を囲んで東西南北に少なくとも四つはあるという。

「……街が、必要さな」

「聖猊下?」

 オラは人に頭を下げられるのが嫌いだった。だが、だからこそできることがオラにもある。

「アレアの姉さにお願いしてみるだか。政務のストレス発散にもなるし、一石二鳥だ」

 そうと決まれば、さっさと耕すことにしよう。
 困惑を強める村人たちの前でオラは腕まくりをして、手のひらを差し出した。

「さぁ、鍬をかしてくんろ。いっちょオラが、耕してみるべさ」

 




・ 葬り去られた使徒レイム


 趨勢は決した。夢見た王国ももはや夢と消え、志を同じくした盟友らも散っていった。

 結局、神の脚本は役者による好き勝手な改訂を許さなったのだろう。
 できすぎなくらいに、我が方の勝利で終わるはずだった戦いは荒れに荒れ、聖神教側に多くの奇跡が起こり覆された。

 忌々しい。自らが奉じる神のおぞましさに気付かぬ愚か者どもめ。愚鈍に笑い、怠惰にふける道化ども。神を信じる以上、この世界に未来がないことになぜ気付けない。

 ……今更言っても詮無きことか。所詮は負け犬の遠吠え。聖戦が発動された以上、これはどちらかが絶えぬまで終わらぬ殲滅戦だ。

 よろしい。ならば、せめて悪あがきだ。哀れな道化芝居に演じる奴らに幕引きをくれてやろう。

 キャプテン・オルガナート――使徒の分際で船長を名乗り、海賊艦隊を率いる下品な輩。
 怠け者のイブリル――野良仕事ばかりかまけていた癖に、真実の道に剣を向けた愚か者。

 この二人だけは必ずや道連れにしてくれる。相討ってでも。

 それがせめてもの同志たちへの手向け。
 それがせめてもの神に対する嫌がらせ。

 ははっ、眼下が燃えている。気味の悪い白銀に蠢いている。自らが正義と信じて疑わぬ亡者の群れが。

 だが知れよ、神の奴隷ども。この世界に神がいる限り、何度でも我と同じく正しき異端の信仰者は現れる!

 我が足跡をたどれよ、神の傲慢に気付いた勇者よ!
 我が意志を受け継げよ、神の欺瞞を知った英雄よ!

 我が名は歴史より抹消されども、我が意志は消えぬ。何人にも消せぬ! 

 さぁ、戦おう。聖戦の最後まで踊り狂おう!

 たとえここでの戦がどう決着しようとも。
 どちらが真に異端だったのかは、やがて本当の救世主が決めることなのだから!






・ 第八使徒『理の右』のジュリア


「よろしいですか? ジュリア聖猊下。ジュリウス聖猊下。外は危険でございます故、神居より出ないように」

「うん、わかった。ジュリウスと一緒に遊んでる」

 そう巫女である老人にいわれ、私は頷いた。手は、隣にいるもう一人の自分――ジュリウスと繋がっている。見ると彼もまた、私と同じタイミングで頷いていた。

「よろしい。実によろしい。その素直さは美徳ですぞ、聖猊下」

「うん、わかった。ジュリアと一緒に遊んでる」

 私の巫女の横で、ジュリウスの巫女が笑顔で頷いた。

 私とジュリウスが双子であるように、また以前は枢機卿だったという彼らも双子だった。しかも私たちのように男と女というわけじゃないので、正直どっちがどっちか分からなくなる。向こうに言わせてみれば、私たちもそうらしいが。

「政は我々にお任せを。まだ幼いお二方に代わり、平和な聖地を守っていきます」

「民たちが安心して暮らせる世界に我々がしてみせます故。お二方は安心なされよ」

 ニコニコ笑顔でそう言う巫女に、私とジュリウスは同じタイミングで首を同じ方向に傾げた。

「いつもいつも言われなくても、わかってる」と言ったのはジュリウスという名の私。

「だって私たち、もうすぐ二十歳になるんだから」と言ったのはジュリアという名の私。

 まだ幼い私たちの代わりに、聖地と聖神教の運営全てをやってくれる巫女たちは、物心付いたときから変わらぬ笑みで、また今日も嬉しそうに互いを見やっては頷いている。

「それでは、私たちはこれで」

「お二方はいずれ来る日まで、どうぞお遊びくださいませ」

『ありがとう』といった声は一つだけ。二人で言ったが声質もまったく同じなので一人のように聞こえる。そもそも、同じ人なのだから一つで間違っていない。

 去っていく巫女たちに手を振って、私は隣を見る。そこには私がいて、私を見ていた。

「じゃあ、遊ぼうか。ジュリウス」

「じゃあ、遊ぼうよ。ジュリア」

 笑顔には心からの笑顔で返す。何でも使徒の仕事とはとても大変らしいので、それを全て肩代わりしてくれる彼らには感謝しないといけない。いずれやらなければいけない日が来るかもしれないが、その日まで遊べるのは彼らがいてこそだ。

 ありがとう。

「クスクス」

 私は私の巫女たちが大好きです。






・ 第九使徒『理の左』のジュリウス


 ジュリアは私で私はジュリウス。私は私でジュリウスはジュリア。

 生まれたときから同じで別で、一緒で異なる二人だから、いちいち会話に確認は必要ない。それはそもそも会話という形を模倣した独り言だから。
 
 だから、いつも始まる急な会話は自分に対する語りかけ。確認事項を再確認するだけ。最初から最後まで、どんな言葉で始まってどんな言葉で終わるのか、全てが分かり切っている。

「つまらないよね」

 だから、そう言ったジュリアにジュリウスはこう答える。

「うん、つまらない」

 続く会話も鏡越しに、自分を見つめて自分に触れて。

「そろそろ遊ぶのにも飽きちゃった」

「飽きちゃったけど仕事をやるのは面倒くさいよ」

「大丈夫。少し辛抱すればいいだけだから」

「そうだった。だから心配ない。飽きたよ。退屈なのは嫌い」

「だから、次。次はもっとおもしろいのがいい」

「玩具っ、玩具。新しい玩具が欲しい」

「じゃあ少しだけみんなの暮らしを見てこないと。見ないとわからないから」

「少しの間でもきちんと仕事はしないと。私たちは使徒なんだから。人を導いて世界を救わないと」

「ダメ。そう、ダメ」

 私は私と手を繋いで、そしておもちゃ箱から飛び出す。

「いらなくなった玩具は片付けないと」

「神様に怒られちゃうから。きちんと捨てないと」

「前はきちんと捨てたから、神様は新しい玩具をすぐにくれた」

「要らなくなった玩具はゴミ箱へ」

「じゃあ、片付けに行こう」

「うん、ジュリア」

「うん、ジュリウス」

 クスクス。クスクス。






・ 第十使徒『光の灯し手』たるウガスト


――つまり、俺様に暗黒時代を終わらせろと? ……軽く言ってくれるもんだな」

 俺様は神居の私室で一人の女と向かい合っていた。

 半年ほど前に聖神教の総本山、聖地ラグナアーツに現れた一人の知識人で、その驚くべき手腕で瞬く間に使徒と面会する地位にまで駆け上った、文字通り鬼才である。偉大なる使徒との面会後の第一声が、あまりにも不躾な嘆願であることからもそれが伺えた。

 だが、俺様としてはそのことに対する怒りはなかった。今の時代、使徒にそう訴えるだけの理由があると理解していたし、女の奇妙な態度がそれをさせないでいた。

「そもそも頼むなら俺様じゃなくて、ジュリアとジュリウスの奴だろ。まだ俺様は思春期まっさかりの若人だぜ? 今の聖神教を動かしているのはあいつら……というより、あいつらの巫女だ」

「それが暗黒の時代と呼ばれる理由なのだと、気付かれないほど浅はかではないでしょう? 使徒ウガスト」

「その通り、俺様は軽薄な人間だ。真面目に仕事をするより、この怠惰な雰囲気に従って女と遊んでた方がいい。仰ぐべき光なき暗黒時代? はっ、いいじゃねぇか。そもそも使徒が導き、使徒に従う。そういうナンパをつまらなくさせる反則な法則そのものが気に入らなかったんだ。抱いた女が歓喜で死ぬことほど興が醒めることはない」

「では、使徒は必要ないと?」

「象徴でいいのさ。人は自分で考え、自分で道を選ぶべきだ。オルガナート、イブリルの両雄が討ち死にし、次に生まれた双子の使徒は遊びにふけった。巫女が実権を握り、枢機卿たちが暴利を貪る……暗黒時代。そう、暗黒時代!
 終わらせる方法は、ああ、アンタの言うとおり使徒が間違いを正せばいい。俺様と俺様の巫女の関係は、昔の良き時代のそれに近いし、正直それを成し遂げられる自信もある。
 だが――それがどうした?
 今の時代が嫌なら、終わらせたいと願うなら、自分らでそうすればいい。俺様に頼るな。俺様に頼るってことは、つまり使徒が全てだっていう今の時代を肯定することだ。暗黒の時代を肯定するってことなんだよ」

 気が付けば、俺様は初対面の女にそんなことをぶちまけていた。自分の巫女にさえ言ったことがない本音を。

「ちっ……それこそ、世の中を平和にしたいっていうならアンタがそれを成せばいい。見たとこ、アンタの才覚は俺様以上だ。アンタなら余裕だろ?」

「否。否です、使徒ウガスト。今はあなたの時代です。あたくしが出る幕でも、他の使徒が出る幕でもない。あなたが――やるべきだ。
 あなたは崇高な理想をお持ちだと確信を得ましたわ。その理想を現実のものとする力もある。あなたは歴代の使徒の中でも、最も人の善意に近い存在でしょう」

「享楽に耽る俺様が人の善意、ねぇ。凡庸とはいわないが、俺様にそれこそ世界を変えた『始祖姫』ほどの力はなねぇよ」

「使徒は獣です。ですが、あなたは人に近しい考えを生まれ持っていらした。あたくしから言わせてもらえればそれこそ奇跡に等しい。
 あたくしが手助けを致しましょう。人を導くに値するあなたがあなたであるからこそ、人が真実自分の意志であなたに従う……そんな世界に致しましょう」

 俺様はそんなことを宣う女をじっと見つめた。
 何を聞いていたのか、だからそんなことには興味がないと言っているだろう。

 だが……確かに、我慢ならないこともある。

 今目の前にいる女のように、当然のように俺様を語り、従えようとする輩がいることは苦痛だ。

「……老人たちには引退してもらうのも悪くはない、か。これからは若い時代だ。そろそろ暗闇を照らしてやるとしようか」

 その言葉を聞いて、女は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔だけは、眩しいほどに純粋だった。






・ 第十一使徒『宝石』のリガー


 一筆に渾身の想いを内封する。

 プラチナを混ぜた薄い空色。それを流れる水の如く引き延ばせば、そこに生まれるのは清涼なる水流。氷のように美しく煌めくそれは、まさに長年探し求めた真実の色――

 白い無垢なるキャンパスに描かれた一人の女性。彼女こそ、僕が恋い焦がれて止まぬ唯一の人。

 暗黒の時代と呼ばれた時代に光の訪れを運んだ、偉大なる先代使徒ウガスト。彼に助言する賢人だ。

 僕は気付いている。確かに使徒ウガストの才覚は僕などが比べようのないほど素晴らしいものだが、これより黄金の時代と呼ばれるだろう時代を築けたのは彼女がいたからこそなのだと。恐らくウガストにそう言っても、彼は苦笑しつつ頷くことだろう。

 彼女のことは多くは知らない。それは誰も知ることができない。
 さながら禁断の果実のように彼女に触れることは何人にも叶わないこと。

 だから、僕は描くことにしたのだ。偉大なる人の邪魔にならないよう、遠目から見つめることで無聊を慰めようとしたのだ。

 そうして求めた一枚の絵。これを書くのに多くの時間を費やした。彼女ほどの美を描くのにふさわしい色を求めることは容易いことではなかった。だが、ついに探し当てた。今キャンパスに描かれた人は、愛おしい彼女に瓜二つだった。

 だからこそ、悩む。

 描かれた彼女は虚像であるが故に、見たことがない姿を描くことが許される。
 僕は彼女が瞳を開けた姿を見たことがない。しかしキャンパスに描かれているのは、僕が想像した瞳を開いた彼女。そっと優しく微笑みかける聖母だ。

 想像にのみ存在することが許される、僕を見つめ返す瞳――

 ……ああ、その色は悩むまでもない。

 淀みなく僕が持った筆は一つの色を選んだ。それが芸術と呼ばれる分野においては禁忌とされる行いと知りながら。

 空想上の産物を描くことは芸術として許されるが、絶対に許されないことがある。

 それは『神』の偶像を作ること。

 真実存在する神に形を与えることは許されない。そもそもの話、すでに神の偶像は存在するのだから。使徒こそが神の偶像であり、故にこそ人工の使徒を作ることは許されない。

 だから既存の使徒を描くことは許されるが、存在しない使徒を描くことは芸術において禁忌とされる。だからこそ、僕が生み出したこの至高の芸術は人前に出ることはないだろう。この絵は、僕の生涯において最後に果たしうる仕事を決定づけた。

 僕は、この愛すべき人の絵を切り裂いて死のう……。
 
 そっと完成した絵の中にいる、現実であり空想のその人の微笑みを見つめる。

 冷たい水色の髪の賢者……ああ、やっぱり。その瞳には、金色の色がよく映える。






・ 第十二使徒『界の言葉』たるルルグン


「むぅ〜、なぜ喧嘩するのです。みんな仲良くしないといけないのですよ」

 めっ、と目の前にいる猫ちゃんを叱る。彼は聖地に縄張りを張る猫たちのリーダーの一人である。先日五匹いるリーダーの内一匹と喧嘩したのだ。

「争いで解決しようとするのはいけないことなのです。まずは話し合いの席を設けて、お互いに腹を割って話し合ってですね」

『ルー。それは理想ってもんだ。戦うことでしか得られないものもある』

「話は最後まで聞くのです。話し合って、歩み寄って……それでもダメならガチンコバトルなのですよ」

『…………おい。喧嘩はいけないんじゃないのか?』

「尊い闘争もあるのです。拳をぶつけ合うことでしか伝わらない想いもあるのですよ。だから、それまではお互いに我慢することも覚えないと。そうじゃないと、今度は犬さんや鳥さんとも戦争になってしまうのですよ」

 立場上、ルーはどれか一種族につくことはできない。あえていうなら人の側である。だからこうして全ての種族に等しく接して、争いをできるだけ少なくさせることしかできない。

「わかったですか? 話し合い、なのですよ」

『……ルーには勝てねぇな。わかった。アイツと少しは話し合ってみることにする』

「いい子ちゃんです。ルーの方からもお願いしてみますから、がんばってみるのですよ」

 大きな猫ちゃんの頭を撫でてあげる。するとゴロゴロと喉を鳴らして嬉しそうな声をあげた。最初の頃は撫でようとすると噛みつかれたものだが、今ではこの有様です。

「ああ、やっぱり殴り合うことでしか繋がらない絆もあるのですよ。懐かしいですねぇ、全ての動物さんたちと語り合ったあの日々が」

『ビクッ!?』

「もしも話し合いが上手くいかなかったら、ルーを呼ぶのですよ。きちんと悔恨が残らないように審判をしてあげるですから」

 なぜか震える猫ちゃんを撫でながら、ルーは恍惚に震えた。

「繰り出されるひっかき攻撃や食らいつき、放たれる尻尾攻撃は人間同士の戦いでは決して見られないものなのですよ。ああ……生々しいとっくみあい、夕陽をバックに互いの頬にめり込む拳……そして、繋がる友情……」

『(血まみれの友情だ!?)』

「そしていつしか築かれる愛……」

『(愛になっちゃった?! 男同士なのに!)』

「しかしそこでまさかの寝取り展開……芽生える嫉妬は憎悪に変わり……」

『(本当にまさかだ! まさかのドロドロ展開だ!)』

「本当の愛に気付いたときにはもう遅く、二人は決して分かり合うことができない戦いの日々へ……それは全ての動物を巻き込み、世は群雄割拠の戦国時代へ……」

『(平和は?! ねぇ、話し合いはどこへ行ったの!?)』

「そして死屍累々の山の上、一緒にモンピーチを食べるという感動のクライマックスを迎えるのですよ」

『(なぜそこで和やかな終わり?! 周り血まみれですよね!? 血塗られた道の先で何のんびりモンピーチ食べてるの! いや、美味しいけど。美味しいけどさ!)』

「う〜ん、ちょっと流血が少ないですかね」

『(これ以上を望むの!? こいつ、ただ血まみれの展開とか好きなだけだ!!)』

「そして全ての考えはルーにお見通しなのですよ」

 心の中で考えれば聞こえないってものじゃないのですよ。
 優しく優しく頭を撫でながら、ルーはにっこりと笑いかけた。猫ちゃんはガクガクブルブル震えて――……。

 ――その後、なぜか猫ちゃんたちは争いを止めたという。うん、やっぱり平和が一番なのですよ。






・ 第十三使徒『水の母』たるリン

 
 開闢の時代があった。暗黒の時代があった。黄金の時代が訪れ、そして今まさに始まろうとしているのは闘争の時代――

「聖猊下! 全軍の避難が完了致しました!」

「よし。わたしが此処は片付ける故、全軍は迂回して敵の本拠地を潰すように致せ」

「はッ!」

 伝令の聖殿騎士を行かせたわたしは、聖水の杖を携え単騎にて走り始める。

 かつて『始祖姫』に率いられた人の軍勢がドラゴンと戦った常冬の大草原で、今相対するのは同胞であるはずの人……。

 巫女の暴走による暗黒の時代において、使徒が回収していた聖遺物や邪法の知識の一部が散逸した。それらが巡り巡って、渡ってはいけない人に渡ってしまったということなのだろう。敵軍は得体の知れない魔法をもって、聖神教に宣誓布告をしてきた。

 となれば、如何に平和を謳う聖神教とはいえ応戦せざるをえない。そして聖神教が固有武力である聖殿騎士団を『軍』として動かすとなれば、発動されるのは聖戦だ。敵を倒すまでは終わらぬ絶対勝利の戦い。

「はぁあああ!」

 湖一つ分の水を用いて作り上げた刃をもって、一太刀で数人の命を刈り取っていく。

「我が仔らよ、敵を射抜け!」

 その隙をついて放たれた矢を作った盾で弾き、次の瞬間水の弾丸を放って射手を逆に射殺す。目指すは敵軍の中央だ。

 とはいえ、敵の数は千に届く。食い込むのにも手間がかかる。わたしが真に単騎ならば、だが。

「水霊騎士ウンディーネ! 盾! 槍!」

 杖を振るって、前面一列に盾を持った水の騎士を作り出す。さらにその後ろに槍を持った水の騎士を並べ、共に面を作って殲滅に移る。

もやがのぼる海原へ。霊を乗せた船は旅立つ。
 我が心は岸辺を離れども。船には乗れずに水面を漂う

 変幻自在の水の進軍。それはどんな地形も、どんなものも包み込み削る波濤の如し。

水よ。水よ。水よ。なぜわたしを離さない?
 水よ。水よ。水よ。なぜわたしを運ばない?」

 そして中心へと至ったそのとき、わたしは全ての騎士を水に戻し、『英雄種ヤドリギ』の杖と共に敵軍の上空へと跳んだ。

ただ沈む。下へ。下へ。暗き闇の水底へ。
 船を見送り、わたしは沈む。底へ。底へ。底へ。
 水に抱かれた我が人生、抱擁はいつも水の中

 水を広げ、敵軍全てを包み込む。水面の中央から敵軍を見下ろすわたしは、今遙かなる水底を見ている。水底に存在するのは珊瑚礁。水の底にいる、愛しい貴方。その美しい光景に、別れの記憶が甦り、胸が痛んだ。

故に我が愛しき人よ。水底へ会おう

 敵の瞳がわたしを射抜く。憎しみをもって。殺意をもって。
 それにわたしは愛をもって答え、全てを包み込む決意を固めた。

 全ての魔力を注ぎこみ、ここに我が理想を描き、真なる銘を歌い上げる。


「『理想の英雄ミスティルテイン――――水底の愛しき貴方ディーブコーラル』ッ!」


 ボコリと敵軍の中心にて、珊瑚の井戸より神のしずくが湧き立つ。

 一滴。それが水底に生まれ、水面で弾けた瞬間――バチンと、水底にいた千人あまりの人間が内側から弾けて消え去った。

 血もなく、肉片もなく、水に変わって消える。

 深淵より生まれたその水源をさらなる刀身に変え、わたしは地面に着地した。
 手にした『水底の愛しき貴方ディーブコーラル』の刀身は膨れあがり、地上にいながら水底にいるような錯覚に陥る。

――安らかに眠れ、我が仔らよ」

 一つ祈りを捧げて、わたしは先を行く騎士団の後を追う。

 今は闘争の時代。完全なる勝利を遂げるまで、戦い続けるしかない。






・ 隠れ潜んだ使徒カイエ


 思い出すのは、アーファリム大神殿を去ったときの彼女の顔と言葉。
 
 ――意気地なし。

 ああ、そうとも。某には意気地がない。美しいそなたと連れ添う自信も、永遠に戦い続ける自信もない。

 最大の大陸ベルルームは群雄割拠の時代を迎えた。そして、その裏で暗躍する闇のカルテル。

 敵は予想を超え強大だ。聖地より散逸した秘宝の中には、過去の使徒が用いた秘術・武具もある。黄金の時代、使徒ルルグンの力によって魔獣の脅威から一時的に解放されたためか、聖殿騎士団の力は全盛期に比べて著しく衰えていた。

 争いの火種が芽吹くことを予見していたように、戦場の使徒リンが生まれたが、それでも大陸中に広がった火を消すことは叶わない。
 聖地に籠もりさえすれば、『始祖姫』以降初めて幻獣を神獣の形とするルルグンの守護の下破れることはない。だが、自ら戦地へ赴けば……。

 ――死を恐れないのか? リン。

 ――死は恐れるものではない。真に恐れるは、人の傲慢により世界に地獄が甦ることだ。

 いいや。これは建前だ。質問にそう彼女が答えたとき、そうとはっきりわかった。ただ自分は、この戦場でしか生きられない女傑を死なせたくないだけなのだと。

 だから……某は逃げる。聖地より。聖戦より。そして――何よりも愛しい人から。

 ――さよなら。わたしの愛しい人。いつか、地獄の底で会いましょう。

 ――ああ、さよなら。某の愛しい人。いつか、天の果てでまた会おう。

 




・ ???


 散らばった力ある遺物をかき集め、それを各国にばらまくことで戦火を拡大し、莫大な利益を手に入れようとした死の商人。ベルルーム大陸における聖戦の裏に潜む闇のカルテル――サカズキ』。

 その会合が開かれるという情報を掴んだ聖殿騎士団が奇襲を仕掛けた。

 すでに十年近く『敵』が絡んだ戦いに介入してきた聖殿騎士団水霊騎士隊。その勇猛さは名高く、百あまりの騎士の実力はかの『騎士百傑』とも並び立つほどだとか。さらにそれを率いる使徒リンの強さに至っては、単騎にて万軍を蹴散らすといわれていた。

 会合の場に集まった『サカズキ』に参入していたギルドマスターたちは慌てふためき逃げようとした。彼らの直属の凄腕たちが足止めとして放たれ、これまで以上に戦いは激しい装いを見せる。

 老獪たちの手腕は見事なものだった。
 持ち寄った聖遺物を使い、まんまと逃げおおせるところまで戦を運んだのだから。

 ただ一つ失態があるとしたら、それはこの旨味ある戦争が続く以上、一人のギルドマスターも裏切らないと思っていたことか。

 一刺し。長年闇に生きたケダモノたちが、『黒騎士』の放つ槍の一刺しによって息絶えていく。あらゆる聖遺物の息吹も『黒騎士』の身につけた漆黒の甲冑には通じず、毒の魔槍は分け隔てなく命を奪っていく。

『黒騎士』をのぞく全てのギルドマスターが死んだそのとき、『サカズキ』の全ては彼のものになり、また彼こそが闇の王として聖戦の敵となった。

 そして激戦を潜り抜け、彼に相対するのは美しき女傑。水の杖を手にした戦場の使徒。

「覚悟しろ、『黒騎士』。ここで貴様との因縁を終わらせる」

「……、……そうだ。これで、終わりだ」

『黒騎士』は仮面の下でくぐもった吐息を零し、毒の魔槍を構えた。

 二人は因縁の相手。戦場の中で幾度となく刃を重ね合わせ、決着を先延ばしにし続けてきた。だが、それはもう終わり。

 女傑は聖なる騎士であり、男は世界の敵だった。

「いざッ!」

 ここまで戦ってきた中で刈り取った命の水を使い、単騎にして軍の戦いを見せるリン。しかし相対する『黒騎士』も、もう一つの二つ名、『戦場の狂戦士』の名を欲しいがままにした戦いを見せる。乱れ咲く火花の熱量はあらゆるものを壊し、行き交う視線の交差はお互いをそれだけで射抜かんばかりだった。

 激闘が終わりを告げたのは、水の騎士の間を駆け抜けた『黒騎士』の放った一刺しがリンの身体を貫いたときだった。毒の魔槍の一撃は、全てを終焉へと導く一撃となる。

 リンは自分の死を覚悟して、

「……カイエ」

 戦いが終わったあと、平穏に生きているだろう愛しい人に会えないことを覚悟した。

 そのとき『黒騎士』の心の内を知ることができたのなら、別の未来もあったかも知れない。だが、気付くことができなかったリンは『理想の英雄ミスティルテイン』を自分を巻き込む形で解き放った。

 水底全てにあるものを水と変えて消し去る力。そしてここは水の底、地獄の底だ。等しく全てを泡沫と消す力は、また使い手であっても変わらない。

「……ああ、やはり…………そなたは美しい」

 だから、それが『黒騎士』の最期の言葉になった。

 投擲された魔槍の衝撃で、リンは水面の上へと弾き飛ばされた。そのとき、彼女を水底から見送った『黒騎士』の身体が溶けて消える。ドラゴンの甲冑のみは消えることなく水底に残ったが、がしゃんと音を立てて消えたその中にはもう誰もいない。

 きっと、彼は水の抱擁を喜んで受け入れたのだろう。愛しい人と水底で出会い、抱擁を受けたことを最高の終わりと思っているのだろう。彼は意気地がないから。その程度の幸せで満足しているのだ。

 それが……少しだけ、羨ましく、思えた。

 戦いは終わった。多くの疑問を残しつつも、ここに聖戦は終わりを告げる。

 ……安堵と共に意識を失った彼女が全ての真実を知ることになるのは、きっと、血塗れた二人が地獄の底で、天の果てで会ったとき。『黒騎士』が誰であったかは誰も知らなくてもいい話なのだから。

 ああ、そうか。甲冑の中に残る一つの歴史を奪い去ることが、ここでの自分の役割なのだろう。






・ 第十四使徒『白き手』のティアマティア


 戦場で戦士たちが激しい戦いを繰り広げたあとには、もう一つの戦いがある。

 それは戦災。命を守るための戦い。ウチには戦う力はなかったが、誰かを治す力はあった。

「ほな、次の人治療しはるで。気ぃ楽にしはってな」

 戦争の終わりと共にウチは生まれた。だから実のところ先の聖戦は知らない。ルルさんやリンさんに聞いたことだけ。やがてウチがベルルーム大陸へと足を運んだとき、そこで見たものは今までウチがいた場所とは違ていた。

 清らかな水の都とは違う、厳しい大地と十年以上経った今もまだ惨く残る戦場の爪痕。

 人々は疲れ果てていた。そんな人らにウチがしてあげられることはほとんどない。身体の傷は癒せても、心の傷を癒すことはウチには無理なのだから。

「先生、よろしくお願いします」

 仮設テントの中へと入ってきた次の患者さんを見て、ウチは出そうになった悲鳴を殺し、無理矢理笑顔を浮かべた。

 まだ小さい子供だった。だがその顔には酷い火傷のあとが残り、髪は全て抜け落ち、爛れ寄った皮膚が老人のような顔に変えてしまっていた。一瞬ゴブリンが現れたのかと勘違いしてしまったほどだ。そんな自分が恥ずかしくてたまらへん。

「ほな、治療するで。目を閉じて、気ぃ楽にしててな。ボク」

 精一杯の微笑みで顔に手を当てようとすると、緊張していた子供が急に着ていた服の裾を握りしめた。

「あ……ごめんな……」

 その服を見て、初めて気が付いた。子供が着ていた服……それはズボンではなくスカートだった。そこにいたのは気丈に振る舞う少年ではなく、少女だった。

「いえ」

 小さく首を振った少女は、顔面を引きつらせた。
 それが今の彼女にできる精一杯の笑顔だと気付いて、ウチの眼からは涙がこぼれ落ちた。

「わ、わわ、ちゃうねん!」

「いいんです。自分の顔がどうなっているかは、自分が一番よくわかってますから。こんな自分が聖猊下の治療を受けられるだけで幸福です。わたし、この顔を見られて悲鳴をあげられたことはあっても、泣いてくれたのは先生が初めてですから」

「……お嬢ちゃんは、強いんやね」

 止まらない涙にしゃくりをあげながら、五歳は年下の少女をウチは尊敬の眼差しで見た。同じ女として、顔に傷ができてしまう辛さは少しはわかるつもりだ。なのに彼女は自分に絶望することなく生きようとしている。それは、とてもすごいことだ。

「強くなんてありませんよ。ただ、私を守って死んじゃったお父さんやお母さんのために、絶対死ぬもんかって思っているだけです」

「そか……」

 ウチには見えた。愛らしい笑顔で微笑む少女の姿を幻視した。

「ほな、ウチは自分に女としての幸せをプレゼントしはる。約束や」

「え?」

「この使徒ティアマティアさんを馬鹿にしてもらっては困るで。ウチの力がどれほどのものか見せたるわ!」

 袖で目元を拭って、手に力をこめる。すると力をこめた指先から肩のあたりまで色が抜け落ちた。人には本来ありえないモノトーンの白一色。それこそがウチの力の発現であり、他者の色を塗り替える力。

「あったかい……」

 少女の顔に触れると、彼女はそんなことを言った。その瞳は柔らかな光に閉じていく。

「そうやよ。人はとってもあったかいものなんやで」

 コツンと少女の額に自分の額をあてて、ウチはここで知ったものを思い返す。

 確かにここは楽園のような聖地とは違う。人々は疲れていた。だけど、決して足を止めることなく復興の道を選んでいた。人とはかくもたくましい。ものごっつぅすごい生き物なんやと分かった。

 その手助けをすることがウチの仕事。傷ついた人の傷を癒すんが、ウチの役目。

 次に目を開いたとき、そこにあるだろう愛らしい少女の微笑みを思い浮かべながら、ウチは人間としての意識を閉じた。






・ 第十五使徒『聖なる眼』のイヴァーデ


 うほっ。と、思わずあげてしまった声に慌てて手で口を押さえる。

 危ない危ない。テレサの奴は鋭いから、声一つあげただけで気付かれかねない。お湯が流れた音がしていても、壁一枚隔てていても油断はできない。奴はオレの巫女。こっちの思惑などお見通しだろう。まぁ、毎回つっかかってくるこそ、何年経っても楽しいんだが。

 しっかし……かぁ〜、あいつも成長したもんだぜ!

「アホか。君は」

 いきなり後ろから声をかけられても動じない。ここで声を出せばどんなオシオキを受けることか。アイツはオレの声にだけ敏感なのだ。

 オレは振り返って、そこに立っている仲間を見た。

 同性から見ても何ともいい男である。少年のようにも大人のようにも見える美貌。自然体で立つ姿は涼やかで、何とも目線一つで女を陥としそうな美少年だ。

「ルド。静かにしろ。テレサに奴に気付かれたらどうするんだ」

「なら、わざわざ壁に穴を開けて風呂を覗く必要もないだろう。そんなに煩悩を持て余しているなら、特異能力を使えばいい」

「ばっ――

 ルドの呆れたっぷりの言葉だけは聞き逃せなかった。
 覗き込んでいた穴から眼をどけると、立ち上がって十年来の親友の肩に手を置く。

「いいか? ルド。確かにオレの特異能力を使えば、あらゆるものが丸裸だ。街中にいけばそこはもう桃源郷。……だがな、オレは気付いたんだよ。チラリズムにこそ男の夢は詰まっているのだと!」

「…………そうか……」

「お前、絶対わかってないだろ? 引いたな、お前引いたよな今!?」

「はいはい、素晴らしいな。私は自分に正直なイヴァーデが羨ましいよ。ああ、羨ましい」

 あくまでも淡々と同意するルドはエルフ。あまり異性に性的な魅力を感じることが少ない性質とはいえ、あまりに同じ男として枯れている姿にオレは同情を抱いた。

 ルドがオレとテレサの回収の旅に同行している目的としては、先のベルルーム大陸での大戦の原因ともなった、聖地より散逸した聖遺物を調べたいがためだろう。ルドの知識とオレの眼があれば大抵の探し物は見つかる。歴史発掘という共通の趣味を持つからこそ、俺たちは親友となった。

 だからこそ、この親友のことが心配なのだ。

「ルド。お前はなぁ、そんなんだから危機意識の高いテレサに同じ部屋で眠られたり着替えられたりするんだぞ? それ、男としてかなりなめられてるってことだからな?」

「同じ部屋にいるだけで性犯罪者の扱いをされ、触れようものなら殴り飛ばされるイヴァーデよりはマシだと思うが」

「ちなみにテレサは首筋が敏感だ。後ろから息を吹きかけるとものすごくかわいい声をあげる」

「それを私に教えてどうしろというんだ?」

 ……テレサの気持ちにはやはり気付いていないらしい。報われない奴、テレサ。

「やれやれ、何を言っても無駄か。仕方ない。健全な覗きに戻るとするか」

「へぇ、誰を覗くって?」

「もちろん、温泉があるからって入ったテレサだよ。いかんなぁ。そんな無防備だと変質者に覗かれてしまうといつ、も……」

 後ろからかけられた引きつった声に、オレは凍りついた。ルドがやれやれと肩をすくめて離れていく。

「覗く、ねぇ。忠告してなかったかしら? イヴァーデ様。次に覗いたらその瞳をくり抜くって」

「ま、待ちたまえ。金色の瞳は使徒にとっての証で――

――世界で最も許されない瞳よね」

「ダッシュ!」

 後ろで急速に高まっていく魔力に、オレは被っていた帽子をおさえて、脱兎の如く走り始めた。

「待て、この変質者! 今日という今日こそはその瞳を潰すッ!」

「ふははははっ、やれるものならやっってみろ! 遺跡の中でオレに勝とうなんて百年早い!」

「ルドーレンクティカ様! 後生です。手伝ってください!」

「了解した」

「おまっ、ルド! お前は誰の味方だ!?」

「少なくとも女性の敵の味方ではない。成仏してくれ、我が親友」

 眼前が氷によって塞がれる。他の出口はないかと瞳にこめられた特異能力を用いて探すが、その全てが用意周到にルドの魔法によって塞がれていた。

「かくなる上は――視姦し倒ふぎぬぼろへっ!?」

 悲壮な覚悟を決めたオレは振り返って――瞬間、悪鬼の形相になったテレサのビクトリーパンチによって両眼を潰された。

 遺跡で最も恐ろしいもの――それはトラップではなく、自分の巫女だった。






・ 第十六使徒『星詠み』のユリケンシュ


 夜の空に輝く星を見上げて、遠い過去と遠い未来に想いを馳せる。

 今は皆いなくなってしまった先達の使徒たち。彼らが残した膨大な資料と知識の数々に語られた九百年あまりの歴史曰く、救世の時代のあとに開闢の時代が始まり、暗黒の時代が来て黄金の時代が興り、その後闘争の時代がやってきた。

 ならば、今は何の時代なのだろうか?

『始祖姫』が地獄を終わらせた日より、多くの事件が起きた。使徒の存在が招いた事件も、それ以外が起こした事件も、使徒が破壊者となった事件も救い手となった事件もあった。

 けれど今は聖戦の火種はなく、使徒の中にも事件を起こしそうな者はいない。フェリシィールもズィールも、共に使徒としては出来すぎくらいなものだ。社交的じゃない自分に比べても、彼らはもっと良き時代を作っていくことだろう。

 ああ、つまり今の時代を称するのならば……平和な時代というべきか。

 争いも何もない凪いだ日々。けれども、使徒という存在がいる以上弁えておかなければならない。黄金の時代のあとに闘争の時代が来たように、平和な時代のあとにはかつてない激動の日が来るということを。

 今が平和なだけに、自分がこの上ない平和な時代を生きただけに、残していく二人には申し訳なさが残るも、こればかりはしょうがない。これは遠い昔より決まっていたことなのだから。

 使徒とは神によって生まれるもの。今このとき夜空にあの星々が輝いているように、必ず何か意味をもって生まれてくる。これまで生まれ落ちた使徒が残したものには必ず意味があるのだ。

 そう、恐らくそれは神にとって意味あるもの。使徒はその人生を通して神に何かを残す。あるいは神が意味をもって使徒を生み出したのかも知れない。
 それはわからない。わからないが、この星の動きを見て現在に想いを馳せれば、何かが起きようとしていることは明白だった。

 使徒による何かを生み出す日々は、使徒ズィールをもって終焉に至った。彼が生まれたこと、生きたこと、その何かしらによって神は満足したのだろう。それがこの先何に繋がるかわからないが、歴史の節目に何かが起きるように、この平和な時代の次には『始祖姫』の時代を超える何かが必ずやってくる。

 恐らくそれは、真の意味でこの世界を救う者。あるいは破壊する者。平和な時代のあとを決める選択者の来訪と共に始まる。

『始祖姫』が地獄を終わらせ、ミフィンが基礎を作り、その上にアレアが世界の姿を作った。オルガナートはその意志を海の向こうまで広げ、イブリルがゆっくりと耕していった。ジュリアとジュリウスは空白を作り、その空白をウガストが埋め、未来をリガーが描き、ルルグンがそれを語った。リンが守り、ティアマティアが癒し、イヴァーデが集めた。

 過去の使徒たちが描いたもの、残した人の意志の欠片は今もまだ受け継がれている。それは箱庭の中にあっても、決して否定できない尊いもの。

 星に祈りを捧げるように。
 星の光があまりにも遠い光のように。

 届かないからこそ誰にも――神様にも否定できないものなのだから。

 これより始まる物語には、自分は参加することができない。もうすぐ自分のところへ迎えがやってくる。物語の幕があがるのは、まだ先。しかし遠くない未来。そのとき誰かが訪れ、誰かが何かを成し遂げる。

 旅が始まる。

 だから自分はここで星を詠んで、星に託そう。

 残していく大切な人たちの幸せを。この世界に生きる人々の幸せを。そして、誰かの旅の無事を願おう。

 星に祈りを。この祈りがやがて遠き未来、誰かを照らす光になるように。

 自分もまた、あの星の一つとなれるように。









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