Epilogue


 

 神聖大陸エンシェルトの中央から南下した場所に、その歴史ある国は存在する。

 グラスベルト王国――

『始祖姫』の一柱ナレイアラ・シストラバスが建国に手を貸した、今や聖地を除けば唯一神話の時代から存在している国である。領土こそ小さいながら豊富な資源を有し、騎士の国などと呼ばれるほどの王国騎士団を抱える平和な国だ。

 そんなグラスベルト王国の王都レンジャールにある、王の居城たるフェニキアス城を揺るがす情報が届けられたのは、今から半日前のこと。

 すぐに王宮内の重要な役職についた者が招集され、玉座の間で開かれた御前会議は、しかし今に至るまで無意味な言葉の応酬に終始していた。

「まさか、婚礼の式典中に襲撃を仕掛けてくるとは。神をも恐れぬなんという不埒な行いか。本当に、その男はジェンルド帝国の者なのですか?」

「伯爵! 何度その質問をすれば気が済むのだ! このような馬鹿げたことをするのは、あの『虐殺皇帝』を除いて他にいるものか!」

「しかし、聞くところによれば聖エチルアの『革命王』も式に参加したとか」

「まさか、あの歴史と血筋のなんたるかを知らない野蛮人が?」

 事件の詳細を確認する者がいれば、

「しかし、聖神教は何をしていたのだ? 敵の侵入を許すなど、どれだけ竜滅姫が大事か本当にわかっているのか?」

「仕方ないだろう。二年前の聖戦で聖殿騎士団の兵力は低下したのだから」

「これは大問題だぞ。すぐにでも責任追及をしなければ」

「それをいうなら、聖地に全てを任せ、国から騎士を派遣しなかったことにも責任が生じるのでは?」

 事件の責任の在処を求める者がおり、

「竜滅姫は無事だろうな? 彼女が死ねば、我が国と聖地の結びつきは弱くなってしまう」

「それよりも、私はさらわれた彼女の身が汚されていないかが心配だ」

「そのようなことになれば、せっかくの婚姻も無効に……。使徒サクラの機嫌をどれだけ損ねるか。かの使徒はよくない噂も付きまとう。これはすぐにでも誰か代わりの娘を送るべきでは?」

「そう言って貴公は自分の娘を使徒の妻に据えるつもりだろう!」

 聖地との結びつきが弱まるのを恐れる者がいた。

「ええい、今はそんなことを揉めているときではないだろう!」

 何十人もの人間が集まりながら、一番重要な問題に触れもしないことに、玉座の横にある席に座っていた美貌の王子――クリスナ・イズベルトはたまらず立ち上がった。

「リオン・シストラバスがジェンルド帝国の者と思しき者にさらわれ、我が国と聖地の結びつきが切れようとしている。ああ、それは大変重要な問題だ。しかし、我々が今一番に考えなければならないのは別のことだ!」

 クリスナはそこに集まった者一人一人の顔を見渡して、はっきりとした声で告げた。

「この度の件、皇帝グランヌスが全てを理解した上で世界に対して宣戦布告をしたとしたらどうする? これからこの大陸がどうなっていくか……ここまで言ってまだわからないという者は即刻この場より立ち去るがいい!」

 この一喝には多くの貴族が口を噤んだ。そのあとで、数人が口を開く。

「しかし、クリスナ王子。もしも此度の件が本当に帝国によるものとして、一体何を心配する必要がありましょうか?」

「左様。聖神教に喧嘩を売った以上は、すぐに聖戦が発動されかの国は滅びることになりましょう」

「それまでにさらなる暴挙に出たとしても、我が国とジェンルド帝国は国境を面していません。それこそ、海を跨いでの侵略しかない以上、むしろ狙うとしたら聖エチルアでは?」

「そうです。グランヌス皇帝とアース王という野蛮な者同士が争うというのなら、我々はこれを期に領土の拡大を目指してみてはどうでしょう?」

 公爵のこの発言には、多くの貴族たちから同意の意見が出た。たしかに、グラスベルト王国とジェンルド帝国は国境を面していない。聖地が緩衝剤の役割を担っており、それを除けば聖エチルアが唯一ジェンルド帝国と面している。もしも侵略を受けるとすれば、それはかの国になるだろう。

「ぐっ、本当に理解しているのか? 使徒と竜滅姫の婚礼を阻むという行為が、もっともふさわしい宣戦布告になる国がどこなのか……!」

 クリスナは拳を固めて苛立ちを募らせるが、増大した貴族たちはもう彼に意識など向けていなかった。自分の利益を守り、さらなる利益を手にするため、再び意味のない会話を始めようとしている。

――静粛に」

 それらを一言で抑えてみせたのは、これまで玉座に黙ったまま座していた国王イズベルト三十二世だった。

 やはり、クリスナがいかな将来を期待されている王子とはいえ、国とそこに住まう民全てを背負うイズベルト三十二世ではまるで威厳が違った。冷厳なる瞳に見据えられた会議の参列者たちは、皆一様に萎縮する。

「なるほど。公爵の言うことにも一理ある。港町のみに兵を派遣し、あとは高見の見物を決め込むか。そう考えれば、聖神教との関係修復を話し合う必要があるだろう。もしも彼女が死ぬないし汚されようことがあれば、早急に王家に連なる高貴な娘を捧げる必要がある」

 イズベルト三十二世はまとめるようにそう言って長い顎髭を扱くと、自分の正面で黙って座る一人の貴族を見た。

「ゴッゾ・シストラバスよ。貴君の考えが聞きたい」

「はっ」

 短く答え、立ち上がった金髪碧眼の男性貴族の名はゴッゾ・シストラバス。名門シストラバス侯爵家の現当主であり、さらわれたリオン・シストラバスの父親だった。

 事件の当事者ともいえるゴッゾがこれまで発言を控えてきたことを、他の参列者たちは娘をさらわれた衝撃から立ち直れていないのだと考えていた。彼がイズベルト三十二世と水面下で事を構えたこともあるほど娘を溺愛していることは皆が知るところだ。

 しかし、そこで疑問が残る。そもそもどうして彼はここにいるのだろう?

 そんな溺愛する娘の結婚式に参列せず、領地でもなく王都にいること――今になってようやく、その不自然さを彼らは感じ取っていた。

「では、私の考えを述べさせていただきます。我が国はこれからどうするべきか」

 そして、そんな不自然さは次のゴッゾの言葉で明確なものになった。

「我が娘、リオン・シストラバスを救出すること、これは必要ありません」

「ほう。もはや我が国に竜滅姫は要らないと?」

「いいえ。優先順位の問題です。我々は彼女を救出し、聖神教との結びつきを取り戻すより先にやらなければならないことがある」

 堂々とした振る舞いで、しかし静かな声でゴッゾは語る。そこにはイズベルト三十二世に匹敵する迫力があった。

「それはジェンルド帝国を迎え撃つ準備です。相手は世界から敵と見なされることを覚悟して聖地に喧嘩を売るような行動に出た。それが狂った果ての自殺行為ならば構いませんが、もしも相応の勝算あってのことならどうでしょう?」

 玉座の間にざわめきが駆け抜ける。ゴッゾが言ったことは、つまりジェンルド帝国が世界中と敵対してなお勝ち抜ける力を手に入れたかも知れないということ。

 しかし、一概にあり得ないと一笑することはできなかった。なぜなら現実に、襲撃者たちは守りの堅いアーファリム大神殿において、まんまと竜滅姫をさらってみせたのだから。

「未だ此度の事件と帝国との関係性はわかりませんが、最悪の事態を考えて動かなければなりません。もしも全てグランヌス皇帝の企みだとしたら、これがただの始まりに過ぎないのだとしたら、我々は最悪の敵と対峙しなければならないのですから」

 ゴッゾの言葉に、今度こそはっきりとした動揺が広がった。

 使徒サクラとの婚姻を破綻させられ、リオン・シストラバスがさらわれたその意味を、そう聞いてもついぞ感じることができなかった現実を、彼らはようやく理解した。

 これは聖神教とジェンルド帝国の戦いではない。聖エチルアとジェンルド帝国の戦いでもない。
 
 これはグラスベルト王国がジェンルド帝国に売られた戦いなのだと。

「静粛に」

 再びのイズベルト三十二世の言葉に静寂が戻る。

「相分かった。ゴッゾ・シストラバスよ。恐らく、今この場で一番事情に精通しているのは貴君だろう。我々は少々長く平和に浸りすぎたようだ」

 イズベルト三十二世は立ち上がり、強い眼差しで臣下たちを見た。

「自分の利益だけを追求するのはもう止めよ。ことはすでにその段階ではないのだ。我が国の防人たる貴君らが今すべきことは、いかにしてジェンルド帝国の脅威を退け、臣民の暮らしを守るかにある。今一度、我々は騎士にならなければならないのだ」

 大貴族の当主たち。騎士団の団長と参謀。未来の国を担う王子。そして最後にもう一度、かつては確執もあった男を見て、グラスベルト王国の王として命を下した。

――戦争の準備を」









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