番外編  削岩魔法少女☆ぎゅるぎゅるサクラン


 CASE 1 アニメならきっと第二話、女難が始まる日

 

 

 世界は狙われている。

 密かに世界征服を企む悪の秘密結社とか、楽園に変えてしまおうと企む怪しい宗教団体とかに狙われている。ついでに謎の巨大生物とか、宇宙からの侵略者とか、そういうものにも狙われている。もしくは未来から来た時空犯罪者とか……まぁ、そういうのとかにもこの世界は狙われているらしい。モテモテだな、世界。

 世も末だ。世紀末だ。

 そんな世界は終わればいいと思うこと数十分、しかし本当に終わられると色々と困るので、そういった悪の秘密結社とか怪しい宗教団体とかエトセトラエトセトラから世界を守る正義の味方やダークヒーローなどが、やはり人知れず地球の平和を守っているのである。

 ご苦労様、といっておこう。きっと誰も言ってくれないだろうから。

 さて――ちなみにこの誇大妄想じみた前説は、何も俺がはじめに言い出したものはない。もちろんネタ振りでもない。

 出会ってしまったのだ。この誇大妄想を口にし、あまつさえそんな誇大妄想じみた敵と戦えと言ってくるとんでもない奴に。間違いなくそいつとの出会いは、今までの十八年間の人生の中でワースト5に入る出会いだろう。

 さすがにワースト1をブッチ切る幼なじみほどではないと思っているが、最近はそれも怪しくなってきた。初めてである、最悪具合であの幼なじみと誰かを比べるのは。そして比べざるをえない自分の状況には涙を禁じ得ない。

 ……ふぅ、長々と愚痴をもらして申し訳ない。

 しかし皆様も、この出会いと起きた事件の顛末を聞いていただければ納得してもらえると思う。同情は別に求めていない。ただ優しさは欲しいと思う今日この頃。絶対的に平和分が足りていないのだ。

 最後になったが、今回の事件の後に手に入れてしまった称号と名前を名乗ろうと思う。

 俺の名前は佐倉純太。
 手に入れてしまった称号は……ごめん、やっぱり言いたくない。

 ついこの間まで極々普通の高校生だったのに、今は世界の平和を守るため強引で無理矢理に自分の貞操と男のプライドのために泣く泣く戦っている薄幸の少年です。

 はぁ…………本当に、世も末だ。


 

 

       ◇◆◇

 


 

 なんて出来すぎたシチュエーションだと思った。

 曇った空から降り注ぐ雨が傘の上で音楽を奏でている。正午六時を過ぎた今、夏真っ盛りだが雨の日ということなので辺りは闇に包まれていた。月も存在しない新月の夜。住宅街にある灯りは家々の灯火と、街灯が落とす頼りない光だけである。

 に〜、と泣き声が聞こえた。

 街灯の光は電柱の影に捨てられた段ボールを照らしていた。雨の直撃を受けてふにゃふにゃなったみかんの段ボールには、やけに達筆な字が書かれた紙が貼られており、雨でにじみながらも確かに読める字は、『ひろってください』なんて訴えかけてきていた。

「……なんて、ベタなシチュエーションが家の前に……」

 ここまで漫画の中などでしか見ないシチュエーションも珍しいが、ここで無視できる人間などどれだけいる。ましてやそれが自分の家の前なら尚更に。

 この場に捨てた人間の悪意を感じつつ、俺は面倒ごとになるとわかっていながらも、近付いて段ボールの中を覗き込んでみた。悪いのは捨てた人間であって、捨てられているだろう子猫には何の罪もないのだから。

「しかし、なかなか段ボールも寝心地はいいではないか」

 何の罪も……。

「雨さえ弾いてしまえばこっちのもの。ふはははははっ、これほどの心くすぐるシチュエーションは二つとあるまい! 全てが俺の計画通りにことが運ぼう!」

 …………見なかったことにしよう。

 俺は段ボールの横を通り抜けて玄関のドアに鍵を差し込んだ。脳内を占拠している仁王立ちして高らかに人語を発している白い子猫のことは、努めて見なかったことにして。

「いやぁ、俺疲れてたんだなぁ。薄々わかってたけど」

 ガチャリと鍵を開けつつ俺は自分の人生における幸福成分の少なさを実感しつつあった。だからこれ以上自ら不幸を呼び込む行為は慎まなければ。別にこれまでだって俺は俺なりに質素倹約に努めて来たつもりだが、新しい年度が始まってからというもの取り分け忙しいし騒がしいし。

 うん、疲れていたのだ。だからあんな幻影プラス幻聴とご対面することになったのだ。今日は秘蔵のスイーツを食べて早く寝よう。

「ただいま」

 ドアを開け、まだ誰もいない玄関であいさつを口にした。心はすでに柔らかなベッドへとダイブさせつつ。

「おかえり。ご飯にする? お風呂にする? それとも、ワ・タ・シ?」

 大丈夫。これは幻影だ。幻聴だ。疲れているんだよ、お前。と、自分に優しく語りかけてみる。

「さ〜て、明日も学校だし、今日はもう寝るかな」

「ほほぅ? それは遠回しにこの俺という温もりを求めている、と解釈してもいいのだな。任せたまえ。たとえ雨に濡れてもこの身は猫。立派にゆたんぽ係を努めてやろう」

「…………」

「なに、遠慮することはない。大きな犬を枕代わりにすること、小さな子猫をゆたんぽ代わりにすること、これは立派な夢である。良かったな。お前は今夢が叶う瞬間に――ってさすがの俺もこれ以上のスルーには抗議を申し立てるぞ!」

 無言でリビングを目指すと、玄関先で寸劇を繰り広げていたさっき段ボールの中にいた怪しい猫が追いかけてきた。

 ドアの縁を三角跳びの要領で駆け上がるという荒技のあと、見事なタイミングで俺の肩の上へと着地した。

 パチリとリビングの電気をつけた俺は、冷蔵庫から昨夜バイト先でもらったケーキを取り出すと、フォークと共にソファーへ持っていき――そろそろ本気で自分の理性と常識を疑いかけたので、幻影と幻聴の駆逐にかかった。

「それで、お前は何なんだ?」

「ようやくそのご質問か。ふっ、いいさ。そう聞かれたなら一流のエンターテイナーとして答えぬ訳にはいくまい。俺の名前は――

「あぁ〜、聞こえないぃ〜」

 急いで耳を塞いで適当にしゃべる。すると不思議なことに幻聴が止まった。むしろ止めました。

「……訊くが、何をしている?」

「耳を塞いでる。俺としてはお前の正体が知りたいだけであって、別に名前なんて知りたくないし。むしろ知っちゃうと色々と面倒ごとに巻き込まれそうだから遠慮願ったわけだ」

 礼儀に反することでフラグを立てない。これが重要と最近学びつつある。フラグという単語を使っている時点で、色々とあの生徒会に毒されつつある気もするが、目の前のトンデモ存在よりはいくらかマシだ。

 ……というか、真面目にこれはなんだろう?

 俺は目の前にいる物体Aを観察する。

 猫だ。付け加えるなら白い子猫だ。それ以上でもそれ以外でもない。

 首に赤いリボンをつけているため誰かの飼い猫かも知れないが、そういえばさっき捨てられていたから違うのか。そもそも、人語をしゃべる猫がいていいものなのか。これを愛らしい小動物と一緒にして誰かに怒られないだろうか?

 その他もろもろの疑問をひとまず横へと追いやって、俺はケーキを口に含むことによって現実から三歩ほど目を逸らす。あ〜、チョコレートケーキは今日も美味い。惚れ直すぜ、マスター。

「なんという酷い男だ。肝心要の名前を名乗らせてくれぬとは……まぁ、いい。確かに、今あの名をここで使うのはいささか問題があるしな」

 物体Aは若干呆れた様子を顔に浮かべつつ、肩の上からテーブルの上へとぴょんと飛び降りた。

「だが、名前を聞かなかったからといって、巻き込まれないと思われるのは心外だな」

「……どういうことだ?」

「時すでに遅し、ということだ。俺がここに存在する時点で、すでに運命の輪とか輪廻の因縁とか、あとは大宇宙の意志とか絶対フラグとか主人公適正とかが動き始めているのだ。ズバリ言おう。もう手遅れだ、と」

 そんな気はそこはかとなくしていたが、あまりの急展開についていけなかったとなぜ考慮してくれない。言うに事欠いて手遅れだと、それはそれでもう少しオブラートに包んでくれないと受け取りづらいではないか。

 あまりに無作為な運命やら因縁やら意志やらフラグやら適正などの前に、悲しいことにシルフィー特性チョコレートケーキも限界があった。惜しまれつつ最後の一口を口へ放り込むと、俺はそのまま横になってふて寝を決め込むことにした。

「む? 眠るのか? ならば俺が湯たんぽに――

「いらん。寝る。俺は寝る。寝かせてくださいお願いします」

 明日になったら、もう少しマシな世界になっていることを切に祈りつつ。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 目を開いたら、何か知らない世界にいた。

「…………え〜?」

 変わらない日常とか、そういうものを認めてはいるし覚悟していたというのに、まさかの展開がやってきた。

 てっきり、ああ、昨日のことは夢なんだと爽やかに目覚めた瞬間悪夢再来――とばかり思っていたら、ほんとまさかの展開である。ここどこだよ?

「家……じゃないな」

 そこは一言で言ってしまえば、自分の家に似たどこかだった。

 空にはまん丸お月様。雲一つ星一つない夜空の中心に、見たことがないくらい大きくてまん丸なお月様が不気味に輝いていた。

 その月明かりに照らされている観鞘市の光景は廃墟の街。

 見慣れたはずの部屋は巨人に踏みつぶされたように瓦礫の山になっていて、毎日学校へ登校するのに使っていた道も荒れ地と早変わりしていた。あれだけ整然と区切られていた家々は一つ残らず巨人の手に薙ぎ払われたように崩れ落ち、遙か道の彼方まで瓦礫の地平線が続いている。

 どれだけこの現代がビルや家屋で空を覆い尽くしていたかがわかるくらい、何もなくなってぽっかりとした世界。寂しいというには空の月が眩しすぎて、怖いというには現実味がなさすぎた。

「どうやれば、眼を覚ましたら廃墟の街で眼を覚ますなんて展開になるんだ?」

 一人だけタイムスリップして、第二次世界大戦直後の日本に迷い込んだみたいだ。あるいは世紀末と呼ばれる未来に迷い込んでしまったのかも知れない。

 どちらにしろ、自分でも驚くほど落ち着いている。それはなぜかと問われれば、迷いなく俺はこう答えられる。

「……それで、俺はどうすればいい?」

「そうだな。差し当たっては、街の散策と行こうではないか」

 目の前に、どう解釈しても元凶だろう物体Aがいたからだ。いや、そろそろ物体Aと未確認認定するのも面倒になってきたので、猫モドキと呼んでやることにする。あ、字数的には増えてるね。

「散策って、こんな何もない街を散策して何になる? それより説明してくれ。ここはどこだ? どうしてこんな場所にいる? 昨日スルーして眠ったことを怒ってるなら謝るから教えてくれ」

「別に怒ってはいないし、何もないと決めつけるのは早いぞ。全ての物事には可能性が眠っている。あり得ないと思うようなことにも、実はとんでもない秘密が眠っていたりする。この世界も然り。探せばきっと、とんでもないものと出会うだろう」

「出会いたくない。心の底から出会いたくない。誰か、誰もいい、これが夢だって言ってくれ」

「実は夢なんだ、これ」

「くそぅ、現実か。これ」

 猫モドキの所為でここが現実であると認めなくてはいけなくなった。本当に、この猫モドキめ!

「ではこの世界を形作る存在を探すとしよう。出会わないことはない。出会えないことはない。なぜならばこれは夢だからな。願えば叶う。認めれば叶う。さぁ、行こう」

 隣から肩の上へと駆け上ってきた猫モドキは、ビシリと肉球で瓦礫の地平線を指し示した。

 その物言いが、なぜか俺の幼なじみと重なった。その時点で、もう色々な不条理などを認めてしまえるのだから人生相当あのトンデモ幼なじみに汚染されているようである。

「願えば叶う。認めれば叶う。これは夢、か」

 痛む頭を押さえながら、俺は指し示された方向へと歩き出した。
 何があるかはわからないが、不安はあっても恐怖は不思議となかった。

 なら、たぶん危険はない。ここは万事塞翁が馬の精神で行くとしよう。色々とスルーして受け入れて諦め悟る。それが自分の人生においては重要であると、俺はだいぶ昔に心得ている。

 さて――現状を認めたところで、随分前から気になっていたことがある。

 瓦礫を踏みしめ踏みつけ歩いている俺ではあったが、なぜかその手に得体の知れない武器を握っていたりするのだ。間違いなく眠ったときは持っていなかった、握る過程が思い出せない代物だ。

 形は……誰がどう見たってドリル。一部では男のロマンといわれている所謂削岩機だ。

 ただし、鋼でできているべき部分はなぜか毒々しいピンク色。柄の部分が槍の柄のように長く、地金にこれまたラピスラズリに似たピンクの宝石が埋め込まれている。ちっとも重くなく高級品とは思えない上、スイッチなどもなく刀身が回転するとも思えない、ちょっぴりかっこ気持ち悪いドリルである。

「なぁ、これ?」

「ふっふっふ。いずれわかる」

「……左様ですか」

 ドリルモドキを持ち上げると、質問の前に猫モドキが怪しい笑みを浮かべた。どれくらい怪しいかというと、つぶらな瞳なのに思わず目を逸らしてしまうくらい怪しい。

 そして――逸らした先で、何かグロテスクな怪物と遭遇いたしましたとさ。

 物語をここで完結させたいという本音とは裏腹に、生物の本能として俺の身体は脱兎の如くその場から逃げ始めていた。

「ははははっ、なんだあれ? というか、なんですかこれっ!?」

 テンションが思わず上がってしまうくらい、視線がばっちりあったのは、これまでの現実味がない光景とは一戦を画した生物だった。

 廃墟に似つかわしいといえばそうなんだろうが、なんだろう? あの世紀末に登場しそうなヌメヌメな生物は? 単眼はぎょろりと鮮血色で、軟体生物に近い三メートルほどの身体は緑色の粘液に包まれており、見ただけでぞわりと鳥肌立ったよ。

「危険とかないとかいってなかったか? そこのところどうなんですかね? 猫モドキ!」

「猫モドキとは心外な。俺ほど愛くるしく見事な猫は他にいないというのに」

「おまっ、それ鏡見てからいえよ! お前ほど猫の概念からかけ離れた生命体は他にないぞ?! お前はどこからどう見ても、猫っぽい別の生物だ!」

「…………」

「なに、なにげにショック受けてるんだよ! 人の頬で涙を拭うな! 肉球をプニプニ押しつけるな、胸ポケットに入り込もうとするなというより早めに現状説明お願いします!」

 無言で落ち込みを露わにする猫モドキに冷静に対応している暇はない。背後からヌメヌメとナメクジのように、けれどナメクジのスピードとは桁違いの速度で軟体生物が現在進行形で這い寄ってくるからである。

 軽く後ろを振り返ってみると、触手が視界一杯で踊っている。なんというか、触手を蠢かせる風体は軽く卑猥だ。あれに捕まったら、色々と一巻の終わりだろう。

――この世界は狙われている」

「うわ〜お、なんかいきなりシリアスに語り始めたよ」

「異世界からの侵略者の魔の手が、この母なる星に伸びているのだ」

 人の肩の上でいぶし銀に決める猫モドキが、前振りいっさい関係なく説明を開始した。たぶんこいつとしても、この辺りで説明しないと最後まで説明せずに終わってしまうと理解できたに違いない。ノリでつっぱしるからこうなる。計画立てようぜ。

「この廃墟は侵略者の手から地球を守るため、異世界とこの世界の座標軸の通過ポイントに強引に作り上げた架空世界。限りなく地球に近く、けれど地球とは異なる世界法則が適用された世界。なんでもいい、とりあえずおもしろければ全てが許される世界だ。あのようなモンスターの一匹や二匹、五匹や十匹いても何の不思議もあるまい?」

「どこからつっこめばいいのかわからないが、とりあえずこの世界にいる時点で色々と不思議も受け入れるよ。だけど十匹とかいうな。なんか背後からのプレッシャーが増えているのは、たぶんお前がそんなことをいったからだ」

 すでに背後から追いすがってくる相手の数は、一匹や二匹という数ではなかった。それを感じ取ってしまったからには全速力。逃げなければやられる。物理的にも精神的にも死んでしまう。

「どうすりゃいい!? こんな世界に連れてきたんだ。俺にはここで何かすることがあるんだろ? それを教えろ、今すぐ教えろ。で、それをクリアして一刻も早くこの世界から脱出させてくれ!」

「では、その手に握ったマジックステッキを用い、異世界からの侵略者――『ジャッジメント』の下級戦闘員を倒すのだ!」

「ああ、そうくると思ってましたよ!」

 廃墟の世界。突如現れるモンスター。手には百歩ほど譲れば武器に思える道具とくれば、そりゃもうお約束な展開が待っていても驚かない。

 どうして俺なんだ? とか、そういう気持ちは色々とあるが、ひとまずここは落ち着いて考えてみよう。了解。わかりました。とりあえずそれがこの無理難題強制イベントをクリアする条件なら、覚悟を決めて戦ってやるよ。

「どうにでもなれ! ドリルだがマジックステッキだか知らないが、下級戦闘員っていうなら見た目とは違って雑魚なんだろ!」

「まぁ、さして強くはないな」

 俺は意を決して振り返った。猫モドキが耳元でもらした呟きを救いに思って。やっぱり、お約束の展開としては、最初に戦う敵は弱くてなんぼ。いきなりボスクラスの敵と戦うなんて、それもう死亡フラグ以外のなにものでもないし――

「…………おい、待て。コラ。多すぎだろうが!」

 ただし、それは振り返った先で百を優に超えるモンスターがいなければの話だが。

 振り返った瞬間、走る速度をぐんとあげた。冗談じゃない。いくらそんなに強くないモンスターとはいえ限度がある。モンスターA・B・Cが現れたっていう話じゃない。AからZが四ダース現れたとかいう意味不明な展開だよ、これ。

「はっはっは。やりがいがあるだろう? 純太無双をこの俺に存分に見せてくれ」

「人間は数の暴力には勝てません! ましてや視界一杯に蠢く触手を目の当たりにして、すでに俺の精神力ゲージはレッドシグナルだ!」

「なに、ヒーローは瀕死からが本領発揮だ。とはいえ、さすがに無策の状態で純太をこの戦闘区域に呼んだりはせんよ」

「やっぱりお前が俺をこの世界に連れてきたのかよ!」

「愛の逃避行という奴で、決して現実逃避ではないぞ? これは夢ではあるが現実だ。そしてこの世界に存在するモンスターをこのまま野放しにしておけば、やがては純太が暮らす日常の世界にもモンスターは現れる。文字通り侵略されてしまうのだ」

 シリアスに決める猫モドキのわりと本気な言葉に、俺は焦った。結構本気で焦った。

「……どうして、俺なんだ?」

 気が付けばそんな呟きがもれていた。だってそうだろう? 佐倉純太は極々普通の高校生だ。いきなりこんな世界に連れてこられる由縁もなければ、モンスターを一網打尽にできる能力も持っていない。明らかなミスチョイスだ。
 
 偶然選ばれたとは思えない。確かに昨夜、この猫モドキは俺の家をピンポイントに狙ってきた。さらには名前を知っていたりと、あからさまに俺のことを狙っている。

「どうしてだ? どうして俺なんだ? このモンスターを倒さないといけないのも、倒さないと俺たちの世界が危険なのもわかった。だけど、どうして俺なんだ?」

「お前ならばできると思ったからだ」

 なぜか、その断言は力強かった。

 始めて出会ったはずなのに、まるで俺のことを昔から知っていて、心の底から信頼しているとでもいうように、猫モドキの言葉には疑いが一切こもっていなかった。絶対の自信。全幅の信頼。それが全てだった。

「なに、いきなりの実戦で無手で戦えとは俺もいわん。そのために武器を用意した。安心するといい。お前が今握っているマジックステッキは、お前を本当の意味で正義の味方に、伝説の勇者に、最強の魔法使いに変える」

「この怪しいドリルが……?」

 俺は手の中にあるドリルを見つめた。

 力強くも頼りがいもない、毒々しいピンク色の物体A。百をこえるモンスターと相対するにはあまりに情けないそれ。だが、しゃべるトンデモキャットが用意した武器だ。きっと、相応の仕掛けが施されているのだろう。

 深く深く深呼吸。走りながらも腹の底に決意という名の空気を溜め込んで、一気に吐き出した。

「いいだろう。意味がわからないし正直混乱をこえて混沌としているが、今はお前の口車に乗ってやる」

「それでこそマイソウルパートナー! では、まずは起動の呪文を唱えたまえ。純太にとっての甲冑とマジックステッキを手にし、今こそ大いなる力を具現するのだ!」

 カッと猫が目を見開いた瞬間、ドリルを握る手を通って、何か得体の知れない情報が俺の頭に流れ込んできた。

 それは俺の中にあった常識やら固定概念やらを容易く打ち崩し、地球がある世界の法則に縛られていた俺の空想を解き放った。

 そして誘う。異なる世界の法則へ。魔法という名の神秘が許される星の力の下へ。

「さぁ、謳え! 佐倉純太! 全ての可能性を持ちうる者よ!!」

星よ。虹の彼方より、我が手に降り落ちて来たれ――

 高くドリルを灰色の空に掲げる。

 あまりにも美しすぎる満月より、虹のスポットライトが俺を照らす。廃墟に浮き彫りになる俺の身体は、虹の光で塗りつぶされた。

 さぁ、ではそろそろ――

――――ぇ?」

 ――――魔法■■をはじめよう。


 

 

 そこから先の記憶を、俺は持っていない。
 気が付けば、優しく俺を揺り動かして起こす母さんの顔が目の前にあった。


 

 

「純太ちゃん。起きなさい。もう朝ですよ」

「ん、ん……」

 ゆさゆさと揺さぶられる感覚に俺は眼を覚ました。

 やけにベッドが固いなぁと思いつつ、顔を覗き込む母さんを見て、どうして目覚ましは作動しなかったんだろうと疑問に思った。ついでに変な夢を見たと思ったが、あくまでも夢だ。あれは悪夢だと、かつてない速度で夢を忘却の彼方へと追放した。どうしてかソファーで寝ていたわけだが、きっと疲れていたのだそうでしょう?

「あらあら、純太ちゃん。朝から神様にお祈りかしら? まずはおはようから始めてはどう?」

「おはよう、母さん。そして今はそっとしておいてくれ。俺は今、夢の中で何か酷い目にあった自分を必死で慰めてるところなんだ」

「はい。おはよう、純太ちゃん。傷ついてるならママが慰めてあげるから、今は朝ご飯を食べていらっしゃい。早くしないと学校に遅刻しちゃうわよ」

「……遅刻はまずいな」

 これがきっと昨夜の続きなんだと、『全て夢。全て夢だったんだ』と呟きつつカーテンの外の、いつもと変わらない観鞘市の風景を眺めた。

「ああ、今日もいい天気だなぁ」

 今日もまた昨日と似た一日が始まる。変わらないことが素晴らしい。

「ふふっ、純太ちゃんってば、朝から疲労困憊なのね。良い子良い子」

 撫でないでくれ、母さん。理由は知らないけれど、深く抉られた傷口に響いて涙が出てくるから。


 

 

       ◇◆◇


 

 

 制服に着替えて大急ぎで向かった先は隣の家だ。

 この辺りの住宅は全て同じ建築会社が建てているため、二階建ての景観はほぼ同じ。表札には『宮田』とある。この隣家の表札が『鈴木』とか『佐藤』だったなら、きっと自分の人生はここまで波瀾万丈にはならなかったことだろう。いや、宮田夫妻はとてもいい人なのだが。夫妻は、ね。

「おはようございます」

 チャイムを押さずに直接玄関戸を開け、自宅に上がるかのように俺は軽やかにお隣さん宅に上がった。この辺りの礼儀作法一式を無視できるあたり、この毎朝の習慣が昔からのものだと理解してもらえることだろう。

 階段をあがり、ちょうど自宅の俺の自室がある間取りの部分にある扉に向き直る。
 ここで忘れてはいけないのがノックだ。ここに生息している幼なじみの部屋を尋ねるときはノックを忘れてはいけない。幼なじみのため? いいや、自分のために。

「お〜い、実篤。起きてるか? 起きてないな、よし」

 ノックに反応がない段階で一安心。奴が起きていたらここで警戒レベルをあげなければいけないが、とりあえず寝ているときと寝起きの奴のレベルはさほど高くない。何なく捌ける程度だ。

 俺は部屋へと侵入すると、ベッドではなく床の上で寝ている幼なじみへと近付いていく。

 ここで俺は毎日思うのだ。何が悲しくて幼なじみを毎朝起こさなければならないのか、と。相手が百歩譲って女だったならまだしも、幼なじみである宮田実篤は男だ。毎朝無気力感を味合わせられても見返りどころか恩を仇で返してくる奴だ。

 ……なんか沸々と怒りが込み上げてきた。蹴り起こしてやろうか?

「いや、さすがに実篤相手とはいえ、それはなぁ」

 いけない。いけない。夢の所為か、ちょっぴり苛々しているらしい。やっぱり牛乳は二杯飲んでおくべきだった。反省。

「起きろ、実篤。起きてさっさと着替えろ。じゃないと学校に遅刻するぞ」

「遅刻か……それは……スパシーボ……二次元……萌え萌えズッキーニ……」

「意味がわからん」

 仕方がないので手で揺すり起こしてやると、実篤が意味不明な呻き声をもらした。寝ている相手に常識的な返答が期待出来ないとはいえ、もう少しまともな返答を寄こせないのか、こいつは。

「まったく。毎度のことながら、寝起きは悪くない癖にどうして俺が来る前にさっさと起きないんだよ」

 脱力レベルが上がったところで、俺は早くも最終手段に出ることにした。

「じゃあ、俺は遅刻したくないから先に行くぞ。あんまり遅れるなよ。重役出勤されるたびに変ないい訳を聞かされる先生の身にもなってみろ」

「それはある春の日のことだった。舞い散る桜の木の下で、俺は脳内彼女そっくりの少女と出会った。一目見た瞬間に運命を感じたよ。だから、俺は言ったのだ」

 そのとき、実篤がバチンと目を見開いた。

――脳内に戻ってくれ、と」

「じゃ、学校でな」

 ああ、今日も実篤はアホだな。

 


 

 ここで今一度紹介させてもらうが、俺の幼なじみの名を宮田実篤という。

 男らしい甘いマスクに均整のとれた体躯。柔らかな髪は活動的に揃えられ……男の外見をこれ以上細かくいうのは気持ち悪いので割愛するが、二言目で言ってしまえば美男子である。一言目? アホです。

 ついにいえば文武両道で、これ以外にもとりあえずよさげな四文字熟語をつけても間違っちゃいないハイポテンシャル。間違いなく天の采配が偏っていると皆は思うだろうが、おあいにく様。神様は全人類に平等だったのである。

 実篤がそのとびきりの能力値の代わりに犠牲にしたもの、それは常識とか一般常識とか秩序とかそういうものである。くそっ、神様め。羨ましく思ったりしないし不平等でいいから、どうして性格も良さ気にしてやらなかったんだちくしょう。

 神様の慈愛溢れた采配の所為で生まれちまった幼なじみは、おもしろければオールオーケーの主義の下、幼い頃より俺を巻き込んでは様々なトラブルを引き起こしている。
 たとえば…………うん、逆に言おう。あいつと過ごした時間の中で健やかに平和だったときの方が思い浮かばないくらいである。

 それなのに縁を切れないのは、もうそれなりにコイツに毒されてしまったからか。あるいは実篤が他の人に迷惑をかけないよう監視しなければいけないという使命感からか。どちらにしろ、これからも実篤が一緒にいることは変わらないだろう。一生幼なじみという称号のままに巻き込まれ続けるのだ。めげるな、俺。でもくじけてもいいぞ、俺。

「そういえば、純太。昨夜お前の家から猫の鳴き声が聞こえて来たのだが」

「うっ」

 結局一緒に高校へと登校していた実篤から、今一番思い出したくもないことを指摘された。

「ほぅ、その様子を見るに、何かしら猫にまつわるおもしろエピソードが聞けそうだな。たとえば猫耳メイドが突然恩返しにやってきたとか」

「それだったらどれだけいいか。俺は今、本気で猫という生物について深い悩みに落ちているところだ。……なぁ、実篤。猫ってしゃべらないよな?」

「難しい質問だ。世間一般の認識で言えば猫はしゃべらない。けれども、俺個人の認識でいえば、猫が突然しゃべったところで驚きには値するが刮目するほどではない。なぜならば猫がしゃべったところで俺に問題はなく、むしろ楽しそうだからだ」

「そう考えられるお前が、俺は時々本気で羨ましく思えるよ」

「ふっ。純太のお陰で、俺は誰もが羨ましく思えるような人生を歩ませてもらっているよ。それで、一体昨夜何があったのだ? 教えてくれると実篤さん的には嬉しいのだが」

 実篤の流し目攻撃を華麗に無視しつつも、俺は相談すべきかどうか悩んでいた。

 今朝は見なかった、昨夜出没したしゃべる猫モドキ。疲れていて幻覚を見た……にしては、あまりにも生々しい肉球の感触。あと濃すぎるキャラクター。自分の夢だけはまだ綺麗であって欲しいと思う俺としては、あれの存在を夢の中のマスコットと絶対に認めてはならないのだ。

 かといって、実篤に相談すると問題は解決するがトラブルが持続するのは目に見えている。一体どうしたものか……。

「うっ」

 ゾクン――そのとき俺の背筋に走った寒気をどう表現して良いか。わからない。わからないが、とりあえず実篤にいうのは絶対にNGだと、俺の中の何かが叫んでいた。

 了解。わかってるよ、本能くん。危険を察知してしまったんだな。数ヶ月に一回はある大きな危険を。なら、この俺が危険回避の本能に従わないわけないじゃないか。

「遠慮しておく。お前に相談しても意味はないことだからな」

「そうか。残念だ」

 と言いつつ笑みを零すのを止めない幼なじみは、同性から見ても決まっているウインクを一つ。

「まぁ、本気で困ったらいつでも相談するがいい。なに、相談料はあるとき払いでいいぞ」


 

 

       ◇◆◇


 

 

 こんなことを言うと正気かと疑われるかも知れないが、少し拍子抜けだった。

 学校へと到着した俺を待ち受けていたのは、平和な学校生活だった。夏休み前のテストも終わり、次のイベントまで何もない休息時間。実篤にとっては準備期間にあたる現在、これといって特質すべきトラブルの気配はない。

 夢はやはり夢だったということか。うん、さすがに猫がしゃべるのはないだろう。

 俺はこれまで超常現象と呼ばれるものに三度遭遇している。全てがここ一年の間で起きているものだ。深く関わったものもあれば見ただけのものまであるが、その全てでいえることは、俺はただの脇役Aだったということ。
 様々なトラブルにおいて、実篤の所為で中心にいることの多い俺だが、こと超常絡みにおいては中心にはいけないという法則があるらしい。やっぱり普通人だからかね。切った張ったのあの世界に飛び込むには、やっぱり素質がないらしい。嬉しいことにさ。

 放課後。お祭り生徒会長からの招集も子守副会長からの応援要請もなく、俺は実篤と一緒にのんびり帰路についていた。不良からの襲撃もなければ、道端に落ちていた五円玉から始まる大事件というのもなかった。たわいない雑多な音のみが響く道を通れば、すぐそこは愛すべき我が家だ。

 何かのトラブルを期待してくれた誰かさん方にはほんと申し訳なく思うが、今日という日はこれにて終了。平和で結構。ノートラブル万歳。

「それではな、純太。また明日会おう」

「土曜日までお前の面倒みてられるか。じゃあな」

 かくして緊張で張っていた肩を揉みつつ、俺は家の玄関扉に手をかけた。鍵はかかっていない。朝慌ただしかったので聞くのを忘れていたが、両親のどちらかがいるのだろう。

「ただいま」

 父と母のどちらがいるのかは、家にあがればすぐ分かる。

 学校からの帰宅時間頃、もし母さんがいれば必ず料理の匂いが漂ってくる。しなければ父さんだ。

 扉を開いた瞬間鼻孔をついた匂いはカレーの匂い。どうやら母さんが今日は在宅らしい。うんうん、素晴らしい。これで夕食の支度をしなくてもいいし、やっぱり俺が作るより母さんの料理の方が二割り増し美味しいので、今日という平和な一日を締めくくるにはふさわしい展開である。

「ただいま、母さん。何か手伝おうか?」

「あら、純太ちゃん。お帰りなさい。お手伝いは大丈夫よ。手は足りてるから」

 偶には手伝いでもしてあげるか、とキッチンと一体化になっているリビングに足を踏み入れた俺が見たのは、柔らかく微笑む母さんの姿だった。それは予想通りだが、予想と違うのは母さんがのんびりとソファーに座っていて、灰色の毛並みの子猫を撫でていることだ。

 一体どこで拾ってきたのか、首輪のない野良猫をゴロゴロとかわいがっている母さんに俺はボスンと持っていたバッグを落とした。

「……母さんよ。どうして家にこんなにたくさん猫さんがいらっしゃるのかな?」

「どうしてかしらねぇ? ママが帰ってきたときにはもういたからわからないわ」

 不思議ねぇ、とまだ小さい猫の喉を撫でてあげる母さん。それでいいのか、母さん。突然家に猫が十匹近くいてものんびりとできる腹の据わり方は凄まじいが、本当にそれでいいのか、母さん。

 ……わかってはいたんだ。俺にそんな平穏な一日がやってくることなんて、それこそ一年に一度ぐらいなものだって。期待したら裏切られるって。

 俺が帰宅早々目の辺りにした光景は、猫好きには堪らない光景だった。

 にゃん、にゃん、にゃーん。と、色とりどりで年齢も図体も様々な猫が、リビングを占拠していたのである。三匹ほど母さんの周りで構って欲しいと甘えていて、四匹はテレビの前で夕方のアニメなんかを見ている。残りの三匹は床に転がったりと猫らしくのんびりしていて、

「おかえり、純太。今日の夕食は必殺猫カレーだ。おっと、別に猫が入っているわけじゃないぞ。猫が作った猫でも人でも大丈夫なタマネギなしカレーのことだ。スパイスが違うのだ、スパイスが」

 キッチンでコック帽を被った白い子猫に至っては、寸胴鍋でカレーをコトコト煮込んでいる。猫好きにはたまらないが、一般常識人にもある意味たまらない光景ですよね。

「……マジかよ」

 額を抑えて俺は深く項垂れた。

 朝見ないかと思ったら、夕方には十倍になっているなんて。今はまだ昨夜の猫モドキ以外は普通の猫っぽいが、一斉にしゃべり出したりした日には、もう常識が崩れ去るのは明白だよ。

「とりあえず、母さん。これはありなのか?」

「ありね。だって、かわいいもの。パパも猫は嫌いじゃないから、きっと大丈夫よ」

 三匹の猫から同時に甘えられていた母さんは、一時的に幼児退行したかのように、子供みたいな顔で猫に頬ずりしていた。見た目がかなり若いからまだいいものの、ただのおばさんがやっていたら見るに耐えない光景なのは言うまでもない。

「……母さんがいいなら、それでいいか」

 それでいいのかと突っ込む誰かさんがいたら、俺はこう声を大きくして言いたい。

 あとで絶対ツッコミフィーバーを行うので、今だけは休ませてください。ほんと。

 俺はソファーに昨日に引き続きバタンと倒れ込んだ。猫たち数匹が甘えるように背中の上に乗ってきたが、ごめんよ。俺に今遊んでやる元気はないのさ。ガクッ。


 

 

 そうして深い眠りの中に落ちてしまった俺は忘れていたのだ。猫の傍で眠るという危険性に。

 眼を覚ませば、そこは猫とカレーの匂いで満ちる我が家のリビングではなく、見知らぬ廃屋の中だった。近くにはリボンを首につけた白い子猫。満月の光に白銀の毛並みが輝いており、まるで生きた宝石のようだった。

「お目覚めのようだな、純太」

「……寝るとこの世界にやってくるって法則ができてるなら、俺にはベッドに逃避することも許されないじゃないか」

「安心するといい。何も毎回毎回狭間の異空間へ飛ばされるわけではない。いうなればこの世界は歪みだ。正常な姿へ回帰させれば、安眠は約束される。ちなみに、この場所にいる純太自身の肉体は、現実の肉体そのものなのであまり長引けば徹夜並の疲労が蓄積されていくぞ」

「夢の中の方が良かった……とは全面的に思えないあたり、どれだけ俺が夢に最後の希望を託していたのかがわかるよ」

 ゆっくりと壊れかけたソファーから立ち上がると、半壊になった我が家を仰ぎ見て、その向こうで輝く怪しい黄金の満月に目を細める。

「ここは昨日と同じ場所か。いつの間にかまたドリル握ってるし」

 手にはかっこ気持ち悪いドリル。どの辺りがマジックステッキなのかわからないが、猫モドキ曰くそうらしい。確かに、詠唱をもって起動させれば色とりどりの星を操ることができるが……。

 ――あれ? どうして俺、このドリルの力について知っているんだろ?
 ――考えるな。考えたら負けだ。色々とさ、考えるのは良くないよね。

 同時に二つの意識が浮かび上がってくる。なるほど、よ〜くわかった。この辺りはスルーすべきところらしい。

「それで、この場所からは、出てくるモンスターを倒さないと出られないんだったっけか?」

「覚えていないのか? まぁ、前回は初戦闘の中で説明したからな、その辺りの記憶が完全でなくともおかしくはないか」

 ぴょんぴょんと跳んで肩の上に飛び乗ってきた猫モドキは、爪を立てることなく見事なバランスで陣取ると、のんびりと説明を開始した。たぶん、昨夜ペース配分を著しく間違えたので、今回は最初にやっておこうという腹積もりなのだろう。夏休みの宿題みたいなものだ。終わりの頃慌ててやるより、最初の辺りでやる方がいいもの。

「前にも説明した通り、純太の世界は異世界からの侵略者によって狙われている。未だ敵の正体は謎だが、便宜上『ジャッジメント』という呼称をつけて呼んでいる。姿形状は動物型のものもあれば植物型、人型のものも観測されている」

「あ〜、なんか聞いた覚えがあるな。『ジャッジメント』が現れるとき、必ず地球のある世界と侵略してきた世界との間に、境界の世界――つまりこの世界が生まれるんだったよな?」

「そう。いわばここは地球側から見れば最終防衛ライン。ここで食い止めねば、断層をこえて『ジャッジメント』たちは我々の愛する地球を襲うという寸法だ。そんなことは断じて許してはおけない。故に、俺は『ジャッジメント』から地球を守るための作戦を開始した」

 熱く語りながら、猫モドキは握り拳を握る。なんだかこれだけを聞けばものすごくこの猫が正義の味方っぽいのだが、俺は全然感動していなかった。よくは覚えてないけれど、感動できない何かがこの先に展開されるのだと、なんとなく記憶があるためだ。

「必要なのは純粋な力だった。『ジャッジメント』を退ける力……だが悲しいかな、俺は基本的に舞台裏の人間。華々しく主役として活躍できるほどの力を持っていなかった。できることといえば、主役の武器となるカッチョエエドリルを作り上げることぐらいだったのだ」

「なぜにドリル限定なんだ?」

「いや、公式設定的にはこれマジックステッキだから。ただ形状がドリルタイプなだけでな。色としてもピンクを基調にしているし、まさにマジックステッキだろう? 宝石だってハート形だ」

「芸が細かい最悪のセンスだな。救いようがない。こんなもの持っているのを知り合いに見られたら、たぶん俺死ぬわ。人間としての尊厳ズタズタだからな」

 昨夜一度この世界に来ていたからか、今日は昨日よりも比較的冷静だった。改めて手の中でいかがわしいオーラを発するドリルを見てみる。

 マジックステッキなるこのドリル、猫モドキが所有するマジックパワーをもって作り上げられた、世界に二つとない最高クラスの武器らしい。見た目のセンスは最低最悪だが、その力は『ジャッジメント』に対しても極めて有効だ。

「目には目を。歯には歯を。いかがわしいもんいは最低のセンスを。そういう基本設定に基づかれて作られたからには仕方がないかも知れないけどな、もう少しマシなセンスで作れなかったのか。そこんとこどうよ? クリエイター」

「俺としては最高のセンスを発揮していると思うのだがな。本来の担い手たる相手にも、土下座された上で『これで戦うくらいなら死んだ方がマシ』と言われて逃亡されるし……おかしい。すでに世界は『ジャッジメント』の魔の手によって蹂躙されてしまったというのか!」

 恐れおののく猫モドキには悪いが、俺としてはその本来の担い手さんに全面的に同意だ。これを使って戦うところを誰かに見られたら自殺もんである。どれだけパラメーター補正が高くても、見た目が悪いと一番大事な死亡フラグをぬぐえないし。

 ただ、ここで重要な情報が出てきた。思い出したといいかえてもいいが、別に当初の予定では俺がこのマジックステッキの所有者となって戦うことにはなっていなかったらしい。

 猫モドキには相棒ともいうべき人物がおり、マジックステッキはその彼ないし彼女のために作られたのだとか。しかしあまりのセンスにその相棒に逃げられてしまった猫モドキは、仕方なく次の所有者探しを始めたというわけだ。

 そこで目に止まったのが俺だったというわけ。いやぁ、思い出して早々この猫モドキをぶっ飛ばしたくなってきた。恨むべきは逃げた相棒さんかも知れないが、実際に起動させてしまった身からいわせてもらえば同情に値する。逃げて当然だ。

「どうでもいいが、どうして俺だったんだ? 本来の持ち主に逃げられたのはしょうがないとして、俺が選ばれた理由が想像つかん」

「『ジャッジメント』の脅威は未知数だったのでな、考えられうる最悪の事態を想定し、できうる限りの能力を付加させたのだが、どうやら欲張り過ぎたらしい。結果的にあまりに特化型となってしまい、所有者認証を受け付ける相手が少ないのだ。そこで、ほら、俺としても巻き込むのにはほんのちょっぴり気が咎めたのだが、純太に登場してもらったというわけだよ」

「もっと誰でも扱える汎用型目指せよ。それがたぶん最強の形だよ? これだからマニアは」

 結果をいえば偶然なのだ。偶々俺という人間がマジックステッキの所有コードに引っかかっていたというだけ。だから猫モドキは俺の目の前に現れて、こんな場所にお連れ願ったというわけだ。

「……ところで純太、先程から俺の最高傑作を踏みつけているのはどういう意味なのだ?」

「元凶はお前だが、ある意味このマジックステッキが俺を選んでくださったのが悪いからな。猫のお前を蹴るのはさすがに心痛むので、この無機物に八つ当たりしてるんだ」

「それにはサポートAIが搭載されているため、厳密な意味で無機物ではないのだが」

「知ってる。というか、その上でやっても何ら問題ない気がしてるから無問題だ」

 ゲシゲシと足の裏で思う存分マジックステッキを踏みつけると、少しだけ気が晴れた。どことなく弱々しくなった気がするステッキを拾うと、軽く振ってみる。

「何となく説明は思い出した。それで、今回の敵はどんな奴なんだ?」

「おお、乗り気だな。やってくれる気になったのか?」

「どうせ、やらなきゃ元の世界には戻れないんだろ? それに、ここで食い止めないと地球に被害が行くって言われたらなぁ、俺にできるくらいはやらないととは思うわけだ」

 なんとなく、記憶の片隅には昨日現れた触手生物相手に楽勝だった記憶がある。あの程度の敵を倒すくらいなら、この最強のマジックステッキがあればお茶の子さいさいなのだろう。どんな感じで戦ったのかは覚えていないが、初心者でいけたのだ。二回目の今回行けないはずがない。

「乗り気の純太に朗報だ。今回の空間は昨日の空間の続きでな、言ってしまえば昨夜討ちもらした残党を退治すると思ってくれればいい。昨日の純太は素晴らしく美しかったからな、昨日ほど数もいないだろう」

「それは朗報だな。じゃ、さっさと終わらせてお前が作った必殺猫カレーでも食べるとするか」

「こちらの世界での時間経過は現実には反映されないからな。熱々のカレーが待っているぞ」

「そいつは楽しみだ」

 和やかムードの中、俺は家の外に出た。

 別に正義の味方になったわけでもないが、今回くらいは別にいいか程度には色々と受け入れている。やらなければ終わらないというのなら、さっさとやって早く終わらせるだけだ。それが正しい時間の節約という奴だろう?

 敵も弱くて時間がかからないというのなら、何を尻込みする必要があろう? ないね。うん、そういう場合は俺とて怒ったりはしない。笑顔で戦ってやったさ。

「ぐぬ、ぐぉ、……純太……く、苦しいのだが」

「あっはっはっは。こいつぅ」

 だから今猫相手に動物愛護団体から訴えられるような行動に出ているのは、家の外に現れた敵があまりにも巨体だったから。

 廃墟の街をベタベタに粘液で濡らしてそびえ立つ、二十階建てのビルに相当する巨体の触手生物。確かに数は減ったさ。一体だけだし。だけど、だけどな――

「ボス戦ならそうだと最初に言っとけ、馬鹿!」

 ――心の準備って奴は必要不可欠なんだよ!
 
 粘液に包まれた軟体生物の中心部に、ぎょろりと大きな瞳が浮かび上がる。その瞳がにんまりと笑いながら俺を見下ろしているのに気付き、ぞぞぞぞと全身に鳥肌が立った。
 
 まずい。あれはまずい。見た目もまずいし精神的にもたぶんNGだ。こういうときは女の方がまずい感じがするが、たぶん関係ない。男でもダメだ。むしろダメだ。あれはたぶん誰が相手でも嬉々として言葉ではできないことをするだろう。メーデー。

 かといって退路なし。一度気付かれた時点であれから逃げ切ることは不可能。

「くそっ、やるしかないのか!」

 味方だと思っていた奴が敵だとわかったときのような言葉を吐き捨てながら、俺は天高くドリルを構えた。

 身体がドリルを起動させる方法を覚えていた。あのこっ恥ずかしい詠唱を唱えれば、ひとまず軟体生物とは戦える力を得る。男としての尊厳を守るためには、ここで戦わないという選択肢は残念ながらなかった。

「……で、お前はそこで何をしてるんだ? 猫モドキ」

「こちらのことは気にしないでもらいたい。邪魔をしないよう退避しているだけだ」

 と言いつつ、猫モドキが構えた小さな一眼レフは俺のことを狙っていた。若干ローアングル気味に。

 一体何を狙っての行動かわからないが、いちいち考えていたら頭がパンクする。わずか一日程度でこれか。キャラが濃すぎるのも考え物だな。猫でアホでアホでアホでアホでアホでアホ……欲張りすぎにも程がある。

 猫モドキの姿を視界から排除して、俺はのんびりと近付いてくる軟体生物を見上げた。
 あの巨体だ。動くだけで廃墟の街が崩れ落ちていく。地響きはぬちゃぬちゃという粘液の音に掻き消される。まるで、世界があのモンスターに汚されているように。

 口を開く。戦うために。

 しかし、どうしてか言葉に詰まった。詠唱の言葉を覚えていないわけではない。ただ、不安が過ぎる。

 当然だ。いきなり過ぎる理由で戦場に放り込まれて、しかも色々とツッコミどころ満載だが世界の危機を守るという使命まで与えられている。正義の味方もかくやという現状、不安がるなというのが無理な話か。

 ドリルを握る腕が小刻みに震える。
 歯がカチカチと鳴って、足が後ろに下がろうと脅迫してくる。

 逃げろ。逃げろ。逃げろ。

 ……ああ、それができたらどれだけいいか。逃げられるなら逃げたいさ。でもさ、そうしたらあのケダモノが俺たちの街にやってくるかも知れない。あの騒がしくも平和な観鞘市に被害が出るかも知れない。

 あそこは憩いの場所だ。あそこは俺にとっての故郷で、佐倉純太の日常なんだ。壊されるなんて許せない。汚されるなんて許せない。

 勇気なんて都合のいいもの知らないが、理不尽に対するツッコミだけは嫌という繰り返してきた。ツッコミ待ちの奴がいたら盛大にツッコンでやる。今日はボケ殺しのスルーなんてするものか。

 そうさ。俺は家で眠ったときにはこうなることを覚悟していた。
 疲れるだろう。死ぬほど疲れるだろうけど―― ツッコミフィーバーしてやるってな。

星よ。虹の彼方より、我が手に降り落ちて来たれ――

 掲げたドリルに月光がしみいるように吸い込まれていく。
 黄金の光はドリルの内部で螺旋を描き、虹の波動となって回転を描く。

さぁ、ではそろそろ――

 螺旋の中、俺は口の端を吊り上げて嗤った。


――――魔法少女を始めよう


 開幕のファンファーレを告げるために。



 

 

 突然ではあるが、ここに変身シーンが挿入されるわけで、そのときはお約束よろしく変身している本人の意識は超宇宙的な何かに支配されていて冷静な描写には向かない。

 そんなわけで、ここでいったんバトンを変身シーンで祭りを起こす者共のようにフラッシュを焚きまくる猫モドキに渡そうと思う。本当は渡したくはないのだが、ある意味こいつ以上にこの時この瞬間の描写を表現できるだろう奴はいないだろうし、一応は読者サービスって奴だ。

 なお、盛大に変身シーンが長い分だけ戦闘シーンが短くなるという法則は健在である。そのところ理解してこの先は見てもらいたい。


 

 

 月下に祝福され、虹の舞踏場は此処に生まれる。

 無数の色に変化する螺旋は、この場所でのみ存在するエネルギーを撒き散らし、世界の常識に喧嘩を売る。多少野蛮な言い方をすればその通りなのだが、もっと優雅にいうのなら、このときこの瞬間の美しさで世界をメロメロにしちゃうぜということだ。

 とにかく、そこにあるのは一つの『可憐』なる芸術だった。

 渦巻く虹の光の中、エネルギーの奔流に晒された純太の身体が量子シフトする。

 身長が縮み、全体的に丸みを帯びる。胸元には柔らかな膨らみが生まれ、髪が長く伸びていく。顔立ちも星屑がルージュを引くように、元々ある魅力そのまま女の子らしい可憐な形へと変わった。今純太の身体の中ではマジックステッキを使うに最もふさわしい状態へと進化が急激な勢いで起きていた。

 肉体の変化が終わったところで、身につけていた学生服がはじけ飛ぶ。代わりに白とピンク色を貴重にしたフリフリエプロンドレスが現れる。ともすればメイド服にも見えるそれは、純太の趣向とこの変身システムの創造主である俺の趣向が混ざり合った、まさに愛の結晶というべき代物である。

 フリルがふんだんに使われた、機能美を損なわぬ楚々とした美しさ。
 内面の可憐さを一途に表す戦闘ドレス。クラウンのようにも見えるヘッドドレスが頭に装着され、螺旋を描いて縦ロールとなった黒髪を白銀に染め上げる。

「ああ、素晴らしい……」

 パシャパシャとシャッターを押しながら、俺は自分の瞳から滂沱の涙がこぼれるのを堪えることができなかった。昨夜に至っては涙で前が見えないほどだったわけだが、それはまた今回も変わらない。

 否。この光景を見て、一体誰が鼻で嗤えるというのか?

 男のロマンと美の結晶が合わさった、まさに個人の容姿を超越した世界的可憐さ。『ジャッジメント』も突きつけられた可憐さという名の『今は襲っちゃダメですよ、ご主人様』、『KY格好悪い』、『世界中の紳士に喧嘩売るの?』、『ごちそうさままでが戦でござる』に空気を読んで立ち止まっている。

 斯くして、世界が許した一瞬の不条理は虹の光と共に泡のように消え、白銀の魔法使いは瞳を見開いた。

「世界の平和はわたしが救う。人の幸せわたしが守る」

 澄み渡る蒼天の瞳でしかと世界を見つめ、ビシリ、ビシリと一言一言に可憐で格好いいポーズを決めながら、魔法使い――否、


――魔法少女サクラン、ここに見参! えっちな生物、わたしが許さない!!」


 魔・法・少・女・爆・誕!!

「魔女っ子キタァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!」

 俺、顔が崩れるほど絶叫。

 変身シーンは僅か数秒だが、もう一生分ドキドキワクワクさせてもらいました。おっと鼻血が。効果音的にシャンシャンシャラリンシャキーンという感じだったが、俺にはバックに巨大なハートマークが見えたとも。当然だとも。

 ああ、なんかもうここで死んでもいい。ここが俺の抱擁の楽土か……。

 俺は女神の如くギザカワユスな魔法少女となった純太を見て、熱い漢の涙を流したのであった。

 ……あ、なんかここで切ってもハッピーエンドっぽい。


 

 

 強引に視点を回収。やばい。読者サービスとしてもこれはなかった。みちゃいけない奴のみちゃいけないところを見てしまった気がする。

 いや、もう正直そんなのどうでもいいくらい今俺は混乱しているわけだが。

「………………なに、これ……?」

 ビシリとモンスターを人差し指で指したところで、俺は正気に戻った。正気に戻って、ここが本当に現実なのか悩むぜほうぇあー。

「え? えっ? ええっ!?」

 なんかスイートな修正がされているかわいい声が聞こえた。その声の主が自分であると俺は気付かなかった。気付きたくなかった。

「なにこれ声が高い?! しかもアニメ声!?」

 それでも現実って奴は容赦なく若者に現実を見せてくるのだ。この変わってしまったスイートロリボイスは紛れもなく俺の声。ついでにいえば、白銀色になって縦ロールってる髪も俺の髪で、フリフリドレスも俺が着ている服で、胸元のささやかだけど確かな膨らみも俺のもんですね、はい。

 あと、何か股間部分が寂しかったり、全体的に肉着き落ちてミニマム化したように感じられる。これが気のせいではないと来たら、次の言葉は決まり切っているだろう。

 俺は満月をそっと仰ぎ見て、

「…………ふぅ。夢か」

 自分でも騙せない嘘にはらはらと大粒の涙を零した。
 どんな補正がかかっているのか、ただの涙が本当に真珠のようだ。

「夢、か。ふふっ、まさかひょんなことから夢を叶えてしまうとは俺も流石だな。是非心行くまで堪能してくれ」

 ぴょんと目の前に現れた猫モドキは、かつてない温かい微笑みを浮かべて、どこからともなく巨大な姿見を取り出した。

 咄嗟に見てはいけないと思ったのだが、何か自分の身体ではない――自分の身体だと認めたくない肉体が反応を拒否して、ばっちり姿見を覗き込んでしまった。

 そこにいたのは、ひいき目に見てもとてもかわいい少女だった。俺に五歳ほど年下の妹がいて、とびきりのメイクをしたらたぶんこんな感じになるだろう。白銀の髪に蒼天色の瞳と、日本人離れしているのに雰囲気は東洋人といった感じ。とても馴染みやすい、ともすれば懐かしさすら感じてしまう母性を感じる少女だ。

 ……いやだなぁ。自分に見惚れるとかありえない。せめて男の姿だったときならともかく、変身を遂げた自分に見惚れるって、とても大切な何かをなくしたような喪失感を感じます。

「そうだった。そうだったんだよな。あまりにも酷い体験だったから忘れてたってのに、昨日の俺が痛みを我慢して俺に注意勧告してくれてたってのに、俺は気付いてやれなかった……」

 突っ立ったまま、涙を零して変身前に感じた不安の正体を知る。なんてことはない。あれは戦闘に対する不安ではなく、変身そのものに対する不安だったのだ。

 このえがたい喪失感はまた昨日も味わったものである。生き残るために選んだ戦うという道は、同時に男として最大限のものを傷付けるものでもあった。女装ならさせられたことがあるが、それを大きく超えてまさか女性化させられるとはネ。これはもう、どこからどうツッコンでいいやらわからないYO。

 思わず心の中での呟きがヒップホップ調になるくらい傷ついた俺は、深く、大きく、全てを抱きしめるように頷いた。

 わかってる。これが現実だと。これが自分の選んだ道の先にあるものだと。
 後悔はない。懺悔する必要もない。そうだ。ここに至った自分の取るべき道は一つだけ。

――死のう」

「待て! 目が至ってマジだぞ!」

 なんでも人は思いこみで死ねるらしく、ならきっと今の俺は安らかに死ねるだろうと目を閉じたところで、顔にへばりついていくる生暖かい感触が来た。

「止めてくれるな、猫モドキ。俺は今、決してやってはいけないことをやってしまった。佐倉純太としてのこれまでの生き方に後悔しないためにも、こんな俺は死んだ方がいい」

「真面目に語られると反応に困るが、とりあえず止めておきたまえ。その姿はなかなかに決まっている。どこからどう見ても魔法少女。大きなお友達が見たら、はぁはぁと息を荒げること間違いなしだ!」

「お前は俺を助けたいのかそれとも悶え殺したいのかどっちだ!」

 猫モドキを掴み上げ、怒りのまま思い切り投げ飛ばす。しかし猫モドキは身体をブーメラン状に回転させ、一周回って戻って来るという神技をやってのけた。

「無論、助けたいとも。純太……いや、今はサクランと呼ぼう。サクランは確かに男から女になり、色々と混乱している部分もあるだろう。だがな、全ては『ジャッジメント』を倒すためだろう? そのためにあえて茨の道を行く、これはとても男らしいことだぞ」

「男、ね。もう男じゃない俺が男らしいといわれてもしょうがないんだがな。ちくしょう。昨日も今も、全ては何も説明しなかったお前が悪いっていうのに、どうしてか色々と脱力しすぎて怒りが沸いてこない」

「ちなみに、女性化したことでラブリーなものに対する好感度があがっているらしいぞ? いわゆる補正という奴だな」

「そんな個性を統一させる不平等はいらん! 男らしい女がいたって何ら問題ない社会でふっ」

「はっはっは。いつも通りにしゃべっていると舌を噛むぞ?」

「お、おしょいんひゃよ、ばかひゃろう」

 痛い。思い切り舌を噛んだ。怒りたいときに怒れないって、どんな最悪具合なんだこれ。

『大丈夫かしら? レディ』

「ひぇっ!」

 目尻に溜まった涙をぬぐい取ったそのとき、いきなりここにはいない第三者の声がした。しかも野太いのにおねぇボイスという、背筋を凍らせるような声が。

「だ、誰だ! どこにいる!?」

 ガクガクと膝が震えた。これも女性化したことによる補正だっていうのか。いつもなら声にまで怯えが反映されることはないってのに、今は誰が訊いても庇護欲バリバリな怯え声になっている。

 夜中に見知らぬ土地を歩くくらいの恐怖心に苛まれ、俺はぎゅっと手に握っていたものを強く握り込んだ。ずっと握っていたために忘れていたが、そういえば今自分はドリルという名のマジックステッキを持っていたのだった。

 これなら――殺れる。俺の心に希望が灯った瞬間だった。

『ふふっ、怯えちゃってかわいいわね。子うさぎちゃん。そんなに抱きしめたら痛いわよぅ』

 希望が絶望に変わった瞬間だった。

「ま、まさかっ、今の声はこのドリルから……!?」

『そうよん。『きゃぴきゃぴるんるんマジックステッキ』の美しき妖精――レディ・アンとは何をかくそうアタシのことよん』

 名乗りをあげるレディ・アン。恐怖で腰を抜かした俺は、できうる限りドリルを遠ざけて怖々と見る。というか、このドリルそんな最低のセンスの名前だったのか。いや、ある意味これ以上なくふさわしいのだが。

 絶対に正式名称を呼ぶことはないだろうドリルは、ドレスの変化に合わせ柄の先に大きなピンクのリボンをつけていた。これには戦闘をサポートするためのAIが搭載されているらしいが、どうやらこの声の主がそのようだ。

「こういう場合、普通はかわいい女の子の人格じゃないのか? どうしてこんな、厳ついおねぇボイスが設定されてるんだよ?」

「情報提供者に対する守秘義務があるのだな、それについてはノーコメントとさせてもらう」

「絶対ただおもしろそうだったからだけだろ! 野獣にしとけば魔法少女が映えるとかしょうもない理由だろ!」

『野獣ですってぇ? こんな美しい乙女に対して、失礼しちゃうわ。ぷんぷん』

 役に立たない猫モドキとの会話を受けて、いやに自己主張の激しいAIがかわいらしく怒り始めた。同時に、俺の脳内に送られてくる映像があった。それは見たことがないはずなのに、なぜか鮮明に浮かぶイメージ映像。

 小麦色の肌が悩ましいプロポーション抜群のダイナマイトボディ。ただし男。そんな奴が頬を膨らませて身をよじっている姿を想像して欲しい。ちなみに服はリボン一枚である。

 ……………………おえっ。

「汚されちゃった。わたし、汚されちゃったよ……」

「やはり気を抜いた瞬間補正によって女の子言葉になる仕組みは我ながら素晴らしいアイデアだな」

『いいわぁ。すごく素敵よん。頬を染めて涙目な幼女。それでこそアタシのご主人様だわ』

 ご主人様という響きが、今とてつもなく汚された気がした。

「きっと、このAIが消せないように、もうどうにもならないんだろうなぁ」

 変身後とはおもえないほど長く濃密な時間に、ついに感覚が麻痺し始める。この猫モドキやオネェAIに比べれば、まだ自分の格好なんてまともじゃないか。そうとすら思える。

 ついでにいえば、そろそろ『ジャッジメント』さんの方も、待っているのは限界らしい。というか、いままで待っていてくれた時点で空気ものすごく読める相手だということがはっきりとしているな。空気読めない二人より、何かすごいまともに見えてきたよ。

 潤んだ瞳で俺は軟体生物を見上げた。じっと見下ろしてくる単眼と目が合う。

 なんか女の子より男相手の方が燃えるっぽい軟体生物さんは、じっと見下ろしたまま止まっていた。やがて腕の部分にあたる身体を動かすと、人間のような五本指のある手を作ってみせた。

 そのまま手が描いた造形は――グッジョブ。

『これはこれで有り』――なんだがそう言った気がした。ふぁっきん。YOUも敵ですか。

「ふ、ふふっ、わかったよ。これは現実で、現実って奴はとても厳しいんだな。そして、俺の周りは敵ばっか。なら――この現実、ぶっ壊してもいいよね?」

「スイートボイスで物騒なことをいう。だがそれも魔法少女的に大いに有りだ。よしっ、サクラン。やってしまえ!」

「OK。マスコット。まずは憎しみが大きい奴から順番に殺っていきますよ」

「へ?」

 俺は笑顔のまま、バットを振りかぶるようにドリルを振りかぶった。レディ・アンが「いいわ、そこすっごくいい」とか気持ち悪いボイスをあげているが、そこは無視して、全ての元凶である猫モドキのみを睨む。

――涙目で睨んでくる姿。萌え」

「吹っ飛べこのトンデモマスコットッ!!」

 覚悟は決まった。フルスイングすることに何ら躊躇はなかった。

 流星もかくやという速度での振り抜きに、瞬く空の彼方に消えていく猫モドキ。

「忘れるな。俺は男たちの熱いパトスと面白トラブルがある限り、何度でも甦る。そして第二、第三の俺が必ずやお前の萌えカットを激写することだろう!」

「ちぃ、ちゃっかり復活フラグを立てていきやがった」

 キラン。と星になるまでに猫は一度だけしか台詞をいえなかった。なんか流れ星っぽかったので、三度いわないと意味がない……なんて素敵展開ならいいのに。

「さて――

 最も憎しみを抱く猫モドキが消えたところで、俺は手の中のドリルと軟体生物を見比べた。もちろん、次に吹っ飛ばすべき獲物として。

「ど〜ちだ?」

 世界なんて滅びちゃえばいいんだ。と、たぶん今の俺は全身から妖気じみたオーラを放出していることだろう。ビクンと巨体を『ジャッジメント』が震わせ、ドリルが超振動ドリルと化していることからもそれが伺えるというもの。

 さすがにちょっと世界ごと多くの無関係な人を巻き込む思考は危険だから、クールダウンもかねて二者択一に挑戦してみようと思う。

『ジャッジメント』……異世界からの侵略者。放っておくと現実に侵蝕をしかけてくる、たぶん悪者。なんか卑猥。両刀使い。結論――滅んだ方がいい。

 レディ・アン……おねぇAI。放っておくと精神に侵蝕を仕掛けてくる、たぶんケダモノ。どう考えても卑猥。両刀使いじゃないが同じこと。結論――滅亡した方がいい。

 まぁ、そう考えるとやっぱり先に倒すべきは『ジャッジメント』か。ほら、人の生き方なんて人それぞれだし。個人に迷惑かけないならどっちでもいいよ。日本人ももう少しそういうことに対しておおらかになればいいのに。

 まぁ、どっちにしろ。あとでさくっとヤっちゃうけどネ。

『サクラン。あなた、とてもヒロインとしてあってはいけない顔してるわよ』

「気にしないでくれ、レディ・アン。そもそも俺ヒロインじゃないし。むしろダークヒーロー上等だし」

 というか、ぶっちゃけそろそろどうでも良くなってきたので、さっさと敵倒して帰りたい。

「そういうわけで、さぁ、殺し合おうか。『ジャッジメント』。今宵の変態は血に飢えておるわ」

『餓えてるけど血には飢えてないわよぅ』

「どっちでもいい。どっちでも変態には変わりない!」

 俺は力強く地面を駆け抜け、怯える『ジャッジメント』目がけて矢のように跳躍した。

『もう、先走っちゃって。仕方がない子ね。DKエンジン充填率・84パーセント。魔力変換率・九十九パーセント』

「やってやる千切ってやる引き裂いてやるブッチギッテヤル」

『怖いわね。それでもレディ・アンはご主人様の夢を叶える都合がいいオ・ン・ナ。身体強化・六十パーセント。ドレス強化・四十パーセント!』

「斬!」

 途中、本来の役目を果たすべくレディ・アンが肉体強化を施した。跳躍時にはもはや人間離れした身体能力が、ライトエフェクトと共に数倍に膨れあがる。
 音速の速度にまで加速したエネルギーをこめてドリルを振り抜けば、削岩能力無視して軟体生物の右手が根本から吹き飛んだ。

「行ける!」

『余裕よん。でも、今度は本来のドリルの使い方してねん』

「やってやる貫いてやる砕いてやる穿ってやるブッチギッテヤル」

『だから怖いってばぁ! でもそこがか・い・か・ん。必殺技百パーセント!』

 俺の思考はもはや現実から半ば逃避していた。戦闘シーン=サービスシーンなど知ったことか。もう色々な意味で色々な人が疲れていると思うので、そろそろこの物語にFinっていれて終わらせてやるのさ。

「さっさと男に戻りたい!」

 終わりたいという願いが俺の中の(たぶん)すごい(きっと)潜在能力を覚醒させた(んじゃないかな?)。

 ピンク色の翼が背中より飛び出し、俺は天駆ける流星となった。ドリルはものすごい回転を始め、反撃どころか何の技さえ見せることができなかった軟体生物が怯える。まぁ、攻撃自体が十八禁なので、攻撃させるわけにはいかないのだが。

 驚きに見開かれる瞳。なんか攻撃の予備動作に出るが、もう遅い。

「必殺奥義――

 螺旋を突きつけた空間そのものが確定され、圧縮され、断絶する。


――――惨殺世界」


 すぷらった、すぷらった〜。
 今日も元気にすぷらった〜。
  
 鼻歌を歌いながら着地。続いて背後で何か知らないけど大爆発。

 世界の歪みは、ここに正された。

 ……うん。しかし、感心するほどドリルまったく関係ない必殺技だな。ゼロコンマゼロゼロ秒の間に数万回斬ってるだけの必殺技だし。爽快だったけど。

 というか魔法少女的にこれはいいのか? 魔法らしい魔法一つも使ってないんだけど。

 そんな俺の素朴な疑問などどうでもいいこと。爆発四散する軟体生物を背に俺が感じるのは、これで全てが終わった。男に戻れるという感激だけだった。

 なくして初めて気付くというが、まさしくそうだ。あの何の変哲もない、格好よくもない普通の身体だけど、男であるというそれだけで価値があったのだ。うんうん。これからはもう少し大事にしてやろう、あの身体。

 そこからは少しだけスペクタクルだった。

 軟体生物の消滅に合わせ、廃墟だった世界から変化していく。

 崩れていたものが元通りに。消えていた光が灯り始める。
 生まれたものは『街』だった。愛すべき故郷、観鞘市だった。

 そうして――歪みが正されたことにより、二つに分かたれていた街が一つに戻る。気が付けば俺は、家の玄関前に立っていた。

 元の場所に戻るといっていたが、それはたぶんボスを倒さなかった場合なのだろう。なんとなく理解していたが、あの世界はボス一体につき一つ生まれる架空のバトルフィールド。ボスを倒せば元通りになるのだ。だから今、俺はここにいる。

 つまりいきなりリビングから玄関前に移動したことになる。母さんが驚いているかも知れないが、あの母さんだから大丈夫だろう。ご近所にも見られていないし、良かった良かった。

 もちろん、俺の身体にも変身シーンの逆が起きている。ある意味変身シーンだが、変身シーンとは呼ばないものが。

 再びのライトエフェクトと共に、ヒラヒラの服の感触がなくなる。はい、元通り。

「まったく、やれやれだ」

 …………あれ?

「くちゅん」

 俺の声は変わらず甘いスイートボイス。ちょっと待てっと思う前に、夏の夜風が素肌にダイレクトに当たることで、かわいらしいくしゃみが出た。思わず向いてしまった下をみれば、そこには一糸まとわぬ女の子の身体がありましたとさ。めでたしめでたし。

 めでたくない!

「ちょっと待て! どうして戻ってない! なんでドレスだけ消えてるんだよ!?」

『あらあら、はしたないわねぇ。でも仕方がないわ。アタシ、こっちの世界だとエネルギーが切れると動けなくなるし。ドレスはアタシが構成してるものだから、一緒になくなっちゃうのよ』

「そうじゃない! そうじゃなくて、男の身体! 俺の本当の身体はいずこに!?」

『ああ、あっちはマスコットキャラの仕事だもの。でも羨ましいわぁ。女の子の身体ってすごく妬ましい……ああん、でも、アタシの肉体美だって負けてないわよん。胸だったボインボインなんだから』

「それは大胸筋だ!」

 思い切りドリルを地面に叩き付けたところ、戦闘によってエネルギーが切れたのか、レディ・アンはうんともすんともいわなくなる。

 それはそれで寂しい……なんて思う心はまったくないが、如何せん情報源が途絶えてしまったのは失敗だった。どうやらドレスはレディ・アンの仕事。身体を元に戻すのは猫モドキの仕事らしい。で、猫モドキを思わず吹っ飛ばしてしまったからこのままと。

「あはは、もうやだ。神様、俺のこと嫌いですか?」

「ん? そこに誰かいるのか?」

 そして聞こえる聞き間違えようのない声。

 死んだ。今、俺の知ってる佐倉純太は死にました。

「……世界なんて、滅びちゃえばいいんだ…………」

 プツンと途絶える意識の中、俺が最後に見たのは見慣れた幼なじみのもので、聞こえたのは奴の呟きだった。

「ふむ。脳内に戻ってくれないか?」

 ああ。明日も実篤はアホだな、絶対。

 

 

 そんなわけで俺、佐倉純太は魔法(?)少女になりました。

 …………どうして(?)がつくの、少女の方じゃないんだろ? 

 はぁ…………本当に、世も末だ。



 

 

『次回予告』


 ――絶対にばれてはいけない。

 幼なじみの家で保護をうけた魔法少女は、自分の正体を絶対に秘密にすることを誓い、一人孤独なミッションを開始する。
 
 そんな凍てついた乙女の心を解きほぐすのは、全てを知っているはずの幼なじみ。
 幼なじみの新たな一面に気付き、魔法少女の小さな胸ははちきれんばかりの憎しみと殺意で満ちあふれていく。

 輝きを失う瞳。血に濡れるドリル。むやみやたらと乱立するダミー死亡フラグの嵐。

 さらには新たに現れた『ジャッジメント』ともう一人の魔法少女の出現で、もう何がなんだかわからないまま事態は進行する!

 次回――『学園×ラブコメ=自殺フラグ』をどうぞ夜露死苦DEATH!!









番外編部屋に戻る

inserted by FC2 system