第十一話  巡り会った今日のために
 




 時が止まったかのような錯覚の中、目を閉じたジュンタは自分の唇に触れる感触に感動していた。 

 初めて感じる感触は、こんな時ではありながらもはっきりと味わえる。

 しっとりとしていて、冷たいのに温かくて、今まで唇で触れたどんなものよりも柔らかい――これが口づけと呼ばれる行為。なるほど、確かにこれは恐ろしいまでに感動する。

 だけど感動はそこまで。ジュンタは瞼を開いて、無理矢理に口づけした理由を実行する。

 息を逃すまいと閉じていたクーの口内に舌を滑り込ませ、強引にこじ開け、彼女へ
と溜め込んでいた空気を送る。

自分の中から空気がなくなるのと同時に、クーの中へと空気が送られたのがわかる。
 ここで
クーは重ね合わせた唇の意図に気付いたのか、眼を白黒させつつも、一度まっすぐにジュンタを見つめてから、瞼を閉じた。

ジュンタは空気がクーの口から逃げないよう口を閉じさせから、自分の唇を離す。

(これがキス。これがクーの味…………って、変態か俺はっ!)

自分も息が苦しくなるギリギリまでクーに空気を分け与えた後、ジュンタは再度水面目指して浮き上がる。そこでさらに空気を吸って、クーの下へ。

(これはキスじゃない。ファーストキスじゃない。人工呼吸です! 味わうな俺!)


 言い訳をしつつ、またクーの唇に自分の唇を合わせて空気を分け与える。

今度はクーも自ら口を開き、素直に息を分け与えられる手助けをしてくれた。


 何度重なっても、これが人命救助のための措置と分かっていても、その柔らかさに目眩に似た感覚を味わう。これならば世の恋人さん方が、人目を憚らずにしたくなるのがわかるというものである。

 しかし、素直に味わってばかりもいられないのがこの状況――

 嬉しいのか必死なのか分からない行為を四度繰り返し、水面が本当にギリギリになっていくのを見て、ジュンタは焦燥を覚えた。

 これはクーを死なせないための行いだが、根本的な解決にはなっていない。クーの身体を磔台から助けなければ、結果的に命は助からない。そしてよしんば磔台から引きはがすことに成功しても、見える範囲内にこの空洞から脱出できそうな場所は存在していなかった。

 水が流れ込んでくる場所は空いているが、そこに飛びこんだところで先はない。出口らしき場所もあるにはあるのだが、瓦礫によって塞がれてしまっている。

 もう少しで、こうしてクーに分け与える空気もなくなるだろう。そうなれば自分もまた窒息死してしまう。

(どうすればいい? また、俺は何もできないのか!?)

 クーと唇を合わせながら、ジュンタは悔しくて握り拳を握る。

 その固く握った手を、小さな手が握ってくれた。


 唇を合わせたままの極至近距離にクーの瞳がある。その眼が物語っているのは、相も変わらず自分を捨ててでも逃げて欲しいということ。だけどその中に、熱っぽい喜びの感情が混ざっているように見えるのは錯覚か。

(なにか、なにか方法は!?)

 息を分け与えている間――触れ合う感触に心を落ち着けながら、二人ともが助かる方法をジュンタは模索する。クーを置いて自分だけが助かる選択肢は、初めから放棄していた。


 何か、何かないかと探すジュンタ。息が苦しくなって唇を離す。

 ふいに足下で黒い輝きが瞬いたのは、これが水面に顔を出す最後になると思ったそのときだった。

辺りの光景が黒一色に染まり、視界が切れ変わる。


――――え?)

 闇のような黒い光。それが辺りを覆い隠し、ジュンタの身体を繭のように包みこんだ。

手が届く位置にいたクーの姿を感じることができなくなる。感じられるのは、冷たくて暗い、闇の感触だけ。


(なんだ、これ?)

 ジュンタは黒い光の発光源を探すため、真下を見る。

 そこには黒い闇色の魔法陣が、冷たい光を発して輝いていた。


(これは、まずい!)


 魔法陣を見た瞬間、本能が明確に告げる。


 あれはまずい。この光はまずい。今の自分の状況は、かなりまずい。

 ジュンタは鞘から剣を引き抜き、潜って魔法陣に切っ先を突き立てた。だが、まるで黒い泥を生み出しているかのような魔法陣は、剣の一撃など何の意味も介さない。逆に剣ごと腕を黒い光の中に呑み込んでいく。


「がぁっ!」


 水の中だというのに、光に触れた腕が焼け付くような痛みを発する。


 熱い。あつい。アツイ。


 あまりの痛みに錯覚をしたが、これは熱いという痛みではない。これは悪意だ。人の持つ悪意が、毒となって肉体を蝕んでいるのだ。


 何かが、頭の中でリピートを始める。


 それは過去の記憶だった。苦しくて、冷たい、過去の記憶だった。


(こ、れは……俺の記憶じゃ、ない……?)

 黒い光が呼び起こしたのは、ジュンタの過去の記憶ではなかった。それは言うなれば、肉体と血に受け継がれた、先祖の記録――

 何年も、何十年も、何百年と続く魂の記録。
 大事な全てを失った悪夢から、何もない孤独の千年を潜り抜けて、たった一つの望みだけを追い求めた少女の記録。

 一人きりの精神が痛む。

 存在しない肉体が軋む。

 魂が灰色の孤独に摩耗していく。


(知って、いる……?)


 誰かの記憶が、途切れ途切れに脳裏に映されていく。

自分が体験した記憶ではない、自分以外の誰かの記憶。それが一体誰の記憶であるかを教える映像が、まるでフラッシュバックするように脳裏に浮かび上がった。


 ポロポロと涙を零し、寂しいとすすり泣く声。

 幼い裸に何一つ纏うことなく、膝を抱えて丸くなる姿。


 灰色の世界にただ独りで、孤独に震える少女を、ジュンタは知っていた。


(リトル、マザー……)


 望まれて生まれ、望まれてがんばって、望まれて封印されたかつての使徒。名前すら満足に名乗れなかった、白銀の髪が美しい、大人びていて、だけど幼い少女。


 サクラ・ジュンタの肉体となった神獣は、その彼女の泣いている姿を脳裏に焼き付けていたのだろう。
それはまるで子が母を想うように、悲しみに暮れる少女を慰めたいと想うように、生まれる前の想いが、ジュンタの心に甦ってくる。

 剣の柄を握りしめる手に力が戻る。

 心にドロドロとした悪意の代わりに、怒りという名の理解が宿る。


「そうか。俺には、たくさん救わなきゃいけない人が……救いたい人がいたんだな」

 思い出さないようにしていた。


 自分は他者に強制されてこの世界の大地に立っているのではない。
だから、その身分不相応の力は必要ないと、使いたくないとそう思っていた。

 けれど今自分が誰かを救おうと思うなら、方法はそれしかないのもまた事実――――認めよう。サクラ・ジュンタは、今この瞬間、自分に与えられた力を欲している。


「いいさ。俺の命が助かるなら、クーの命が助かるなら、俺はその力にだって手を伸ばしてやる。それがどうしようもない、面倒なものだったとしても」

 握る手の平が熱いと渇いている。

 本来あるべきものが手の平になくて、足りない、足りない、と渇いている。

 渇きを癒やそう。渇いた手に、渇きを癒やす力を注ごう。

「使徒の力がなんだ! 救世主の力がなんだ! 結局は全部、俺の力なんだろうがっ!!」


 ジュンタは咆哮と共に、使徒としての力を、再び剣の感触と共に手に掴む。

 思い出せない肉体の機能全てを掌握することはまだできない。

かつて一度掴んだ感覚は、一度消失したときに消えてなくなっている。あの肉体に直接植え付けられた覚醒の感触は思い出せず、再びの覚醒まで、当分その神獣としての本質を封じ込めるだろう。

 だけど、肉体が神獣のものであることには変わりがない。ならば人の殻を被っている現状でも、力の一端を使うことは可能のはず。

「忘れるなよ。俺がこの世界で、どんなものを背負っているのか」

 ジュンタは自分の内界に呼びかける。


 心の水面に虹色の雫が落ち、静かに波紋を打つ感覚――

 魂から伸びた想いは、精神の元に統率され、肉体へと僅かな孔を開ける。

開かれた内界から溢れ出す力は、唯一の出口である『剣』に収束し、そこで凝縮され、虹色の光を伴って――


「俺は使徒――使徒、サクラ・ジュンタなんだ」


 ――爆発するように一気に噴き出し、破壊の力を撒き散らす!

 マグマの噴火のように噴き出た力は、終わりの魔獣の姿を形取り、ベアル教のアジトを地下から一瞬で吹き飛ばした。

 水を蒸発させるほどの熱量を持つ虹の雷が、天を焦がさんと高く伸びる。

 それは紛れもなく、人知の及ばぬ災厄の領域――使徒たる一柱サクラ・ジュンタの、神獣たる力の顕現だった。



 


 

 オーガを囮にし、グストの森を逃げていたウェイトンは、アジトの方から轟いた轟音を捉えた。

 はっとして振り返ったウェイトンの眼に、アジトがあった場所から天に向かって立ち上る、虹色の奔流が映った。


「お、おおお……」

 虹の奔流は、地下から地上を突き破って天へと突き刺さり、それはやがて一つの獣の姿を形取り始める。


 それは魔獣の王。最悪の災厄。悪の象徴とまで呼ばれた、終わりの魔獣――輝くドラゴンの姿。


 虹色の光を身体に纏うようにして現れたドラゴンは、虹色の翼を広げ、天地を焼き焦がすような雷鳴を轟かせている。

 その雄々しき姿と言ったら、声も出ないほどに美しい。


「やはり、私は間違ってはいなかった……」

ウェイトンは感激に涙し、その場に膝をついて、祈るようにドラゴンを――反転した少女の成れの果ての姿を見つめた。

徐々に光量を落としていくドラゴンを見て、身体が歓喜に震える。

「ああ、なんと美しい。なんと美しいのか! あなたはやはり最高です、クーヴェルシェン・リアーシラミリィ!」

 もう逃げる必要はなくなった。神の力があれば、もう何も怖いものなど存在しない。

「は、はははっ、私たちの勝利だ! ベアル教に栄光あれ! 偉大なるかなドラゴンよッ!」

 懐から『偉大なる書』を取り出し、ページを開いて、ウェイトンは狂ったように叫ぶ。


「さぁ、神よ! 我が呼びかけに答え、そして全てを灰燼と化したまえ! 今こそ、この腐りきった世を正すとき! 万民に対して、誰が本当の救世主たるかを教えるときです!!」


『偉大なる書』の効力により、反転したものはそれがいかに自分よりも強大な力を持っていても、必ず従うはず。

 反転したドラゴンを手に入れたウェイトンは、まさに万軍を手にしたも同然。いや、それ以上だ。

 ………そう、それが真実反転して現れたドラゴンだとしたら、の話ではあるが。

 森の地形すら変えた破壊の輝きは森を照らす。ただ、それだけ。ドラゴンはウェイトンの命令には従わない。

――――な、ぜ?」


 それどころか、徐々に弱くなっていく虹色の光。

 光が完全に消えた後には、ウェイトンが望んだ漆黒のドラゴンの姿はなかった。

 ようやくここにいたって、ウェイトンは理解する。あのドラゴンは、ドラゴンの形を模していただけの、ただの虹色の魔力だったのだ、と。


「…………」

 開いた口がふさがらない――逃げることも忘れ、ウェイトン・アリゲイはそのまま数分に渡り、他のベアル教の団員が来るまでその場で立ち尽くしていた。







       ◇◆◇







 パシャパシャと、濡れた身体のまま一歩一歩地面を歩いていく。

 ジュンタは腕にクーを抱きかかえたまま、背後の陥没した地面をあとにし、数歩歩いてよろけるように地面に座り込んだ。

「つ、疲れた……」


 クーの身体を優しく地面に寝かせ、ジュンタはぐったりとしながら深く息を吐き出す。

 身体がまるで、数十キロマラソンした後のような疲労感に包まれている。

「なんなのかよくわからないが、あれは魔法……だったのか?」

 あの黒い光によって見ることになった記憶。それが恐らくは、神獣である肉体を活性化させたのだと思われる。

 無自覚に禁忌し、使おうとしなかった使徒としての力が、その所為で発揮されたのだ。

 身体から溢れるようにして噴き出た虹色の奔流は、以前一度神獣の姿――ドラゴンの姿になったときに使った、炎の雷と同じようなものだったと思う。

 あの時もそうだったが、炎の雷を使えばかなりエネルギーを消耗する。
 ドラゴンの姿の時は何十発も撃った段階で消耗を感じ始めたのだが、やはり人の姿のままだったからか、一発で疲労大である。


「そもそも、どうやれば撃てるのか俺分からないし……節約もできないし……」


 炎の雷は、恐らくは魔法のようなものだ。だから知覚すれば放てるが、理解しなければ使えない。


「まぁ、ともかくとして、なんとか助かったな」


 僅かに掴んだ力の感覚と共に、ジュンタは
先程の衝撃で気絶してしまったクーを見やる。

 鎖が繋がれた手足が若干赤くなっているが、大丈夫そうだ。クーに怪我はない。無事だ。

「今度はちゃんと助けられた」

 安堵の吐息を吐いて、ジュンタはクーの頬に張り付いた、濡れた髪を避けてあげる。


 無垢な寝顔を見せるクーの姿。
その姿が一瞬、あのとき見た孤独な少女の姿と被る。


「使徒、か……」


 その名はこの異世界においては特別な意味を持つ。

 使徒の役割は世界を救うこと――救世だ。

 
冗談じゃない、と思う。

そんな危なそうで大変そうなことを担うなんて、とてもじゃないが歓迎できない。退屈はしそうにないが、それに比例して危険度も上がるなら関わり合いになんてなりたくない。

でも、自分が救世主にならなければ救われない人がいるのも、また事実のようだ。

それに気付いてしまった自分はどうすればいいのか……ジュンタにはまだ分からなかった。

分かっているのはただ一つ。取りあえず、自分には何にでもなる資格があるということだけか。

「……俺は、一体何になりたいんだろうな」


 無限に広がる未来という名の道。

 そこに想いを馳せて、ジュンタは疲れた身体を休める。


「ん、んぅ……?」


 木にもたれかかったところで、クーが小さな声をもらした。


 瞼がゆっくりと開いていき、蒼天の色をした瞳がのぞく。

 クーは上半身を起こすと、きょろきょろと周りを見回す。雷が轟いた余波で頭が混乱しているのか、しきりに首を傾げている。


「クー、体調は大丈夫か?」


「え? あ、ジュンタさん。はい、大丈夫で――


 背中を木から離してクーに話しかけると、その視線がまっすぐこちらを向いた。

 その顔が笑顔の状態で完全硬直し、その後何と形容したらいいか分からない複雑怪奇な表情となり、クーはさらに首を傾げつつ考え始める。


「……ジュンタさん……ジュンタさん? ジュンタさんがジュンタさんで、召喚に応じてくれて、目の前に現れて、水の中でああなってこうなってどうなりましたか?」

「クー? やっぱりどこか調子悪いのか?」


「はわっ! す、すみません!」

 クーはいきなり立ち上がり、その場で気をつけの状態を取る。
 その顔は、全てを思い出したと言わんばかりに、真っ赤に染まった。


「こ、この度はわたくしめのことを心配するお声をかけて頂きまして、光栄でありまし……いえむしろ、ご心配をおかけして申し訳ありませんの極みでありまして恐れおおいでしたっ!!」

 そして――――クーの手と表情が、高速で動き出す。


「ややや、やはりここは今までの失態ですとかご迷惑ですとか色々生意気なことを申してしまったことを謝るべきでありましょうか!? すみませんでしたごめんなさいでしたダメダメで申し訳ありませんでしたっ!!」 


「ちょっ、クー。どうしたんだよ一体? 大丈夫か?」

「だだだ、大丈夫かと聞かれますと正直を言えば全然大丈夫ではないかと申しますですが、まさかもう出会いを果たしていたことには運命を感じずにはいられないのですけどやはりびっくりした気持ちも強いわけでした私は一体どうこの瞬間の驚きと感動を言葉にすればいいのふぇふぇふびゅっ」

意味不明な言葉をほとんど息継ぎなしで羅列したクーは、最後に盛大に舌を噛んだ。

「ちょ、ちょっとやばいぐらい勢いよく噛んだっぽいけど……舌平気か?」

 口元を抑えて目を潤ませるクーを心配して、ジュンタは立ち上がって真正面から彼女の瞳を覗き込む。

 すると、おもしろいぐらいに視線を逸らされた。

「?? クー?」

 視線が動いた方に移動して、再度真正面から見つめると、今度は逆に逸らされる。

 今にも蒸気でもあげて気絶しそうなほど顔が赤いクーを見て、どうしたものかとジュンタは首の後ろに触れる。


(一体なんだ? このクーの豹変ぶりは?)


 突然豹変したクーの態度に、ジュンタはどうしてそんな風になったのかを考える。

ゴブリンたちと戦っていた時は、クーはいつも通りの態度だった。だとしたら、おかしくなったのは先程の地下でのことになる。

ちょっとその時のことを思い返してみて……なるほど、と言った感じでジュンタは納得した。


「あ〜、クー。一応言っておくが……いや、言い訳は男らしくないか」

 自分がしたことを思い出し、それが言い訳が意味をなさない所行と思い直し、ジュンタは冷や汗を垂らしつつクーに向き直る。やはり視線を逸らされたが、それも無理はないとあきらめる。恥ずかしそうにしているクーの態度は仕方がないのだ。

 あれは仕方がなかったとか、あくまでも救命措置だったとか、そう言うのは男の言い訳でしかない。

 ――そう、クーの唇を奪った事実には、何ら変わりはないのだから。


(うわっ、今思うと俺すごいことしたよな)

 ジュンタはクーと唇を交わした事実を思い出し、熱っぽくなった唇を意識しないようにしつつ、深々と頭を下げた。

「ど、どうしたんですか……ジュンタ、様? あの、頭を下げられては困ってしまってどうしたらいいいのか分からなくなってしまいます!」

「クー。悪かった。その、ゴメン」

「……ッ!」

 頭を下げたジュンタを見て慌てたクーだが、さらにその口から謝罪の言葉が吐かれると、息を呑んで押し黙った。


 彼女はしばしの沈黙の後、ゴクリと息を呑んで、震える声で尋ねてくる。

「そ、それは…………何に対する謝罪なのか、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」


「ああ、そのだな。俺が、クーを困らせてしまった件についてなんだけど……」


 キスをしてしまったこと、と言うのはあまりに気恥ずかしくて、そうぼかしてジュンタは口にする。

「ほんと、ゴメンな。悪気がなかったのはクーも分かってくれてると思う。けど、俺がクーにした事実は変わらない。……結果的に傷つけたことは分かってる。あの状況では仕方がなかった、とは言い訳しない。クーの気持ちを無視してやった。今回の件は、全面的に俺が悪かった」


「…………」

「だから、本当にごめんなさい」

 頭を下げているから、ジュンタにはクーの表情は分からかった。

 優しいクーのことだから、怒ってたりはしていないだろう。けど、やはり女性にとって初めてと言うのは大事なもののはずだ。いや、初めてかは知らないが、十中八九そうだろうし、それを奪ってしまったのは非常に申し訳なく思う。

 ……しばらく静寂が続いた後、頭を下げ続けた間見つめていた先の地面に、ポタリポタリと雫が落ちてきたことにジュンタは気付いた。

 雨ではない。雫は視界内の地面にのみ、僅かに落ちてきている。

 はっとして頭を上げ、クーの顔を見てみると、予想通り、そこには瞳から涙を流す少女の姿があった。

 目を見開いて、その状態で涙を止めどなく溢れさせているクーを見て、ジュンタは怯む。

(そ、そんなにショックだったのか……!?)


 謝るという行為で先程のことを思い出させてしまったのだろう。
涙を流すクーの姿は、何とも悲しそうだった。

 慰めてあげたい。手を握ってあげたい。だけど、今泣かせているのは自分が原因だ。そうしてあげることは、してはいけないことだろう。


「ごめんなさい!」

 かけてあげられる言葉も、行為もない。ジュンタはもう一度頭を下げることしかできなかった。

 

 しばらくその状態で、ジュンタはクーが泣きやむのを待った。

 地面へと落ちる涙の粒がなくなった時、擦れる声で、クーが口を開いた。

「……頭を、上げてください」


 言うとおりにジュンタは頭を上げた。そこで見る。

 先程まで泣いていた少女は、今、笑顔を作って笑っていた。

「私、気にしていませんよ。私は、少しでも夢を見せて貰えただけで十分に幸せだったんです。たとえ選ばれなくても、恨む気持ちはまったくありません。むしろ、ごめんなさいと言うのは私の方です。こんな私でごめんなさいでした」

「クー……」

 いや、笑顔じゃない。確かにクーは頬笑んでいる。だけど、決してクーは笑っていない。


 笑顔を表情に貼り付けているだけだ。こんな時、笑顔以外にどんな表情をしていいか分からないだけだ。クーはきっと、泣くことすら罪だと思ったのだろう。

 迷惑だなんて思ってない。クーは気の済むまで泣いて、怒ってくれて良かったのだ。

でもそれが出来ないのが彼女という少女だった。自分のしていることが迷惑のように思えたら、すぐにそれを誤魔化そうとする。感情を押し殺して、相手に嫌な気持ちを抱かせないようにする。そういう風にして今も作られた笑顔を見て、ジュンタは本気で嫌だと思った。

「ごめんなさい。私、お役に立てなくてごめんなさい。ごめんな、さい……こんな、こんな私を、一時でも仲間として認めてくれましたのに……私、ご期待に添えなくて……本当に、ごめんな――


「止めてくれ!」

 震える声で、それでも表情は笑顔で、必死に自分の責任だと思おう(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)としている少女の自傷行為である謝罪を、ジュンタは強い口調で遮った。 

 守りたかった。守ると誓った――それは傷つく姿を見たくないと言うことだ。ジュンタはこれ以上、クーが自分で自分を傷つける姿なんて見たくなかった。

 クーの涙で濡れている瞳は何も映してはいない。

 暗闇に一人取り残されたかのように、寂しそうに、その瞳を光から逸らしている。


「謝らないでくれ。お前は何も悪くなんてないんだから」


「で、す……が…………私……だって……そうじゃなきゃ……悪いのは私で……」


「違う。クーは悪くなんてない」


 ジュンタはクーの涙を指で拭った。

「何も悪いことなんてしてないじゃないか。例え何があったとしても、クーは……」


 自分を認めてあげられない理由が過去にあっても、もし何か大きな罪を犯していても、ジュンタにとってのクーという少女は、旅の途中で出会った優しくて、がんばり屋で、頑固で甘えん坊な少女でしかない。


 過去を知らない自分がこの台詞を言うのは、無責任かも知れない。
けれど、それでもジュンタは言った。

「大丈夫。クーは良い子だ。他の誰が否定しても、俺にはそれが分かってる」

 光を映していなかった青い瞳に、光が戻る。

 息を呑んだクーは取り戻した光とともに、悲しみから、今度は瞳に怒りの念を灯した。


「私が良い子、ですか……? なら、どうして謝ったりするんですか? 私は拒絶されたのに、どうして謝っちゃいけないんですか? 教えてください! 私は目覚めたあの瞬間、一体どうしたら良かったんですか!?」

 初めてクーから向けられた激情に、ジュンタはこの会話の違和感に気付く。


 強い口調で、訴えるように、嘆くように、縋るように吐いたクーの言葉を聞いて、ジュンタは逆に尋ね返した。

「なら、クーは怒ってないのか? 俺で良かったのか? ……もし怒ってないなら、ごめん。さっきの謝罪は撤回する。クーが良かったなら俺に謝る意味はないからな。でも、そうじゃないんだろ? クーは涙が出るほど嫌だったんだろ?」


「嫌なわけないじゃないですか! 嬉しかったに決まっています! 私が……こんな私が選ばれて、求められて、嬉しくないわけないじゃないですか!!」

 ――その言葉を聞いて、ジュンタは何かが食い違っていることを確信した。


「分かってます。断られるのは、分かってたんです……」


 弱々しい声に戻ったクーは、なんだか一杯一杯のようだった。

 先の動揺もそうで、恐らくクーの中では今、何かある一つの事柄に結びつけてしか物事を考えられないのだろう。クーの中では、今こうしている会話の内容はキスのことではなかったのだ。

 他の何か……それもクーにとっては何よりも大事なことで、そしてそのことにはクーの中ですでに決定された答えが出ていたのか。違うことだけど、そのことの返答ともとれる言葉を聞いて、『ああ、やっぱり』と勘違いしてしまったのだ。

「すみません。失礼なことを、生意気なことを言いました。一度断られたのに、みっともないですよね」

 あはは、とクーは強ばった笑みを浮かべる。


「本当にすみませんでした。私なら大丈夫ですから。優しい言葉、謝ってくれた言葉、本当に嬉しかったです。私には、それだけで十分ですから。だから……がんばってください。応援をすることだけは、許してくれますか?」


「許すも何も、俺は――


 自分は何か大事なことを見落としている。そのことにようやくジュンタは気付く。――けれど、気付いたときにはもう遅かった。

 互いの会話の齟齬を指摘しようとしたジュンタが最後まで口にする前に、何かよくない気配が森の一角からあがった。

 それは少し離れたこの場所にも伝播してきて、二人は会話を中断してそちらを振り向く。

「なんだ、これ?」

「これは……」

 クーは森の一角を見て、それからジュンタを見て、何かを決めたかのように頷く。

「私、良かったです」

 何の脈絡もなく、クーは口を開いた。


「本当に、良かったです。あなたに会えたことが。だって、あなたは私が思っていた通りの、本当に優しい人でしたから」

 ジュンタが何かを問う前に、クーは両手を自分の胸元に寄せ、小さくはにかむ。

「だから、私はあなたをこれ以上傷つけたくありません。どうぞ、お逃げください」

「何、言ってるんだ……?」

「その身体ではもう戦えません。後は私に任せてください」

「任せるって、お前まさか……!」

 森の一角からあふれ出した気配は、よく思い出してみれば、ウェイトン・アリゲイが持っていた本が放っていた気配に酷似していた。それはつまり、戦いがまだ続くことを意味している。

 クーは言う。ジュンタを傷つけたくないから、逃げてください、と。

 クーは言う。自分に任せてと、自分だって立ってるのがやっとなぐらい辛いはずなのに、そう言う。

 そのクーの姿に、笑った姿に、ジュンタは怒りと呆れのあまり口をパクパクと動かして、声を出すことはできなかった。

 その間に、無茶しまくりの少女は、また無茶をしようと自分勝手に行動する。

――ありがとうございました。私はあなたの『巫女』に選ばれたことを、死ぬまで誇りに思います」

 そしてその言葉を最後にして、身を翻して森の中へと走っていってしまった。

「ああもうっ、どうしてお前はそんな……!」

 ジュンタはクーの最後の一言で全てを理解したが故に、空を見仰ぐ。

 辻褄があった。予感が確信に変わった。クーと出会ってから感じていた不思議な感覚に納得がいった。

 けど、彼女がそうであることへの驚きよりも、それ以上の感情がジュンタの心を塗りつぶす。


「また、取り残された。また、一人で行く。俺の考えなんて聞かずに、無視して、また他人を助けるために一人で行く……なぁ、クー? 
置いていかれた方の気持ち、考えたことあるのか?」

 髪をガシガシと掻いて、ジュンタはクーの後を追う。


 走る。走る。走る。


 ここ数日で傷ついた身体は痛みを発す。けど、それはクーも同じことだ。苦痛を堪えて走るのは、クーも今していることなのだ。


「まったく、クーは本当にバカだ」


 
濃密な気配。ほんの数十分前に『魔力』というものの感触を覚えたジュンタでも分かる、悪意ある魔力の猛り。危険を覚えるのには十分で、クーは自分を守るためにその危険に立ち向かっていったのことは明白だ。

彼女が自分に望んだのは、追いかけることではなく、逃げることだろう。


 だが惜しい。あんな風に笑って去っていった女の子を、ジュンタが追いかけないわけがないのである。

 昨日はあの小さな背中に追いつけなかった。
 でも今日は追いつく。そして誰にも文句が言えないくらい守り抜いてみせる。

 先に控えた戦闘に対する恐怖はない。あるのは自分勝手な真似をしたクーに対する、確かな怒りだけ。

「ああ、本当に馬鹿な奴。だから……そうか。お前が俺の巫女なんだな」






◇◆◇







 使徒ジュンタ・サクラ――

 旅に出たクーがついに出会った、自分の主。旅の途中で巡り会った旅人は、その実金色の瞳を隠して旅をしていた、この世で最も貴いお方の一柱だった。

(ジュンタ・サクラ、様……私を巫女として選んでくれた人)

 驚きはあった。気付けなかった自分を愚かしいとも思ったが、ついに出会えた。
 
 けれど……
 
(ごめんなさいって、そう言われてしまいました)

 それはつまり、自分が従者になることを断られてしまったということ
だけど、クーは不思議と穏やかな気持ちだった。

 確かに告げられた時は取り乱ししまった。前もって覚悟していたとはいえ、実際に断られて酷くショックを受けた。けど現金なもので、こうして走っている今は、こんなにも穏やかな気持ちでいられる。

 それはやはり[召喚魔法]に彼が応じてくれたからだろう。

 自分と彼の間には、何よりも深い縁がある。

結果は残念だったけれど、その事実だけで大丈夫。断れてしまったが、嫌われているわけではない――会いたいと祈って、求めて旅に出て、本当に良かった。

絶望など、そう、するはずがない。

会いたいと願ってついに会えた人は、ずっと夢見ていた通り――いや、それよりもずっと優しい人だったのだから。

 

ただ見つめていられるだけで気持ちが落ち着いた。
 それは出会った時からそうだった。ずっと彼が主であることに気付くことはできなかったけれど、それでも自分と彼は繋がっていたのだ。


 ああ、それはなんて幸せなことなんだろう。


 握った手の力強さと温かさ。

 水の中でもわかった、触れた唇の熱さ。

 思い出す度に総身が震え、甘い幸福感が交感神経をかき回す。

 この幸せを守りたい。恩を返したい。そう心の底から思う。


(それなら、私がやらなくてはならないんです)

 ここでこんな優しい人を傷つけさせるわけにはいかない。

 例え断られても、クーヴェルシェン・リアーシラミリィは、ジュンタ・サクラのためにある従者――彼を守ることこそが、己が神より授かった天命であり、本望なのだ。


 今までずっと自分を見ていてくれた人たちに感謝を。

 こんな自分と巡り会ってくれた、優しい主に感謝を。


「ありがとうございます…………


 クーは振り返ることなく、もう一度お礼を口にして、走る速度をあげる。


 最後に伝えたいことは伝えた。だから、足をその場所へと向ける。ウェイトン・アリゲイが何かを魔獣へと反転させた気配の満ちた、その場所に。

 走る身体が悲鳴をあげるが、それを意思の力で押さえつける。

 魔力はない。だけど、それ以上に価値あるものをクーはすでに貰っている。大丈夫。身体は動く。動かないはずがない。


 走って、走って、走って――その先に、森の美しさを汚す存在たちをクーは見つけた。


 三体の赤銅色の魔獣と、彼らを率いている褐色の肌の魔法使い。

 グストの村の村人を苦しめ、森を傷つけ、故郷を奪ったベアル教の人間。

グリアーとオーガ――彼女たちが、森の開けた一角に立っていた。

 近くに寄っただけでわかる、威圧的な空気。澱んだ空気は、オーガの巨体の威圧感と相成って、この戦場での戦力差を知らしめる。

 けど、それは今のクーには関係ない。

 ある意味では暴走状態――幸せな暴走状態でいるクーにどんな恐怖も、絶望も、通じることはない。心に想いを抱き、背中に守りたい人がいるのなら、恐怖などは感じない。どこまでも冷静に、どこまでも情熱的に、ただ倒すべき障害を睨むだけである。

「誰かと思ったら。ちょうどいいわね。ターゲット自らの登場だなんて」


 グリアーが近付いてきたクーに気が付いて、振り向く。

 オーガ三体も低く唸りつつ、グリアーに倣ってクーを見る。鮮血の瞳が、獰猛な光をたたえてクーを凝視する。

「さすがにあれだけの数の騎士は倒せない。もう逃げることしかやることはないけど、ウェイトンはせめてあんたをご所望だそうよ。どう? 抵抗しなければ優しくしてあげるけど?」

「お断りします。この身の全てはすでに、もうあの人のモノですから」

「へぇ。それじゃあ仕方ない。戦うってなら容赦しないわよ。まったく、信じられない神経ね。そんなボロボロの癖して――


 クーは僅かな魔力を、いつでも捻り出せるように準備をする。


 グリアーが戦う気である敵を見て、愉しそうな笑みを浮かべる。

 彼女は言う。敵である相手に向けて。


――あんたたち、オーガ三体と私に、たった
二人だけ(ヽヽヽヽ)で戦おうっていうの?」


「え? ふた、り……?」

 グリアーの言葉に驚いて、クーは後ろを振り返った。


 そして、そこにまた優しい人を見つけてしまった。


「勘違いをするなよ」


 剣を手に握り、当たり前のように弱った身体で前に出て、自分を庇うように立った人――それは紛れもなく最愛の人。

「お前らと戦うのは俺一人だよ。クーはただの応援だ」

 ――ジュンタ・サクラ。彼が、当然のようにそこにいた。


「どうして……?」

 彼を守ろうとしてここまで来たのに、後から付いてきてしまったジュンタを見、動揺を隠せなかった。


 クーは自分を庇うジュンタの背中を見て、


「どうして、か。クー、それはこっちの台詞だ」

 優しい笑みを作った彼の表情を見て、


「酷いじゃないか、置いていくなんて。俺とクーは仲間だろ? それに誓ったんだよ。絶対に、お前を守るってな」

 その言葉を聞いて、目の前が急に霞んだ。

「クーは俺が守る。他の誰でもない、俺が守ってみせる。だから、お前は俺を守らなくていい」

 

 嬉し涙がポロポロと零れてくる。仲間と言ってくれたジュンタの言葉に、うれし涙が止まらない。

 あえて涙は拭わない。これほどに幸せを感じる涙はないから。


 自分なんかより、よっぽど広く、力強い大きな背中。
その背中に庇われて、クーはしっかりとした確信を抱く。

(この人は負けない。誰にも負けない。私を、守ってくれる――

 本来なら禁忌してしまうはずの、守られるという行為。だけどどうしてか、クーはその背中の後ろから一歩も出ることは出来なかった。







 開けた森の一角――そこに見えたのはオーガたちとグリアーの姿。


(本当に。バカなくらいすごい奴だよ、お前は)

 そして今にも崩れ落ちそうなふらふらな身体で背を向けた、小さな優しい魔法使いの姿。

 その背中が語る想いは、守るという絶対な意思。

 その肩に背負っているのは、守りたい人の命の重さ。


 重いだろう。辛いだろう。守るという行為は、自分のことを守れた上で本当に機能するというのに、彼女は自分を守る力も、誰かを守るための力として使っている。


 これまで生きてきた年数に比例して、どんどんと軽くなる自分の価値。それに反比例して重くなっていった肩の重り――そこからジュンタは、一つの重みを取り除くことを決めた。

 剣を引き抜き、敵の視線を受け止め、クーの横を抜いて前に出る。


 クーを庇うために背を向けて、自分だけが戦うことをその場の全員に告げる。


 それから驚き混じりの非難の色を顔に貼り付け、『どうして?』と尋ねてくるクーに言ってやる。何度だって、言ってやる。


――クーは俺が守る。他の誰でもない、俺が守ってみせる。だから、お前は俺を守らなくていい」

 そのために戦うのなら、躊躇いなんて生まれない。


 傷つけることに躊躇なんてなくなる。だってクーを守るということは、相手は優しい少女を苛める敵だということなのだから。


 圧倒的有利な立場にいるグリアーは、余裕の笑みを崩そうとしない。

 確かにオーガが三体。魔法使いのグリアーが一人。自分との戦力差は、ヤシューとの戦いよりも大きいはず。間違いなく、新たに異世界に来てからは最も危機的と言えよう。


 だが、ヤシューの時とは違って、今のジュンタには負けられない理由がすぐ後ろにある。


 背中に大事な少女を庇っている――それがどれほどの力になるか、知らないグリアーたちに教えてやろう。

 ジュンタは剣をしっかりと握る。


 虹の波紋が内界より生じ、滲み出るように身体を覆っていく。

 その感触、今初めて理解したが、魔力が体中に満ちていく感触だった。


 虹色の光は自分の魔力――サクラ・ジュンタが持つ、本来なら無色であるはずの魔力だ。
 だから他者には見えないし知覚もできない。が、それは加工されていない魔力の状態である場合のみに適用される話だ。

「ん? なんだい、その魔法光は……?」


 密度を増し、属性を付加へされた魔力は、歴とした可視の魔法光としてグリアーの目に映る。


 虹色の魔法光に、
余裕の態度は崩さなかったが、グリアーは何かしらの危機感を抱いたようだった。


 ジュンタは剣を握り、身体からいつも以上に溢れる魔力の感覚に、身体の痛みが少し和らいでいるのを感じていた。

(わかる。魔力の感触が、今ならはっきりとわかる)


 地球に生まれたジュンタに、魔力を知覚し操るという感覚は本来、ない。だが先程地下儀式場で放った炎の雷のお陰か、魔力というものに対する感覚を掴めていた。


 自分の中にある生命力。渦巻くように眠り、人の殻に収まり封じられていた魔力。自然と知るが、本来使徒と呼ばれる存在が持つ魔力は膨大極まりないらしい。

 初心者であるジュンタに、全ての魔力を統べる力はない。

だがその極一部の――それだけでも並の魔法使い以上はある――魔力を、剣を通じて外界に表すことは何とか出来た。

 剣にまとわりつくように唸り、輝く虹色の魔力。大気を焦がす、虹色の雷。


 
虹雷(こうらい)を纏いながら、ジュンタは鋭い剣の切っ先をグリアーたちに向ける。


 絶望的戦力差――だが、それがどうしたとジュンタは笑みを浮かべた。

――さて、クーに男を見せますか」

 足の裏で魔力が弾ける。剣の切っ先に雷が迸る。


 澱んだ空気を晴らす光となって、ジュンタは敵に――全力で牙を剥く。










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