第二話 グストの村
クーこと、クーヴェルシェン・リアーシラミリィと一緒に遅い昼食を取った後、ジュンタは彼女に強制されるようにベッドの上で寝転がっていた。
「あのさ、別に俺の怪我なら大丈夫だから。できれば、村の中を見て回りたいかなぁーなんて思ってたりする、んだけど」
「ダメです。怪我はジュンタさんが思っているより酷いんです! 私が考えもなしに、魔法なんて使ってしまいましたから……ジュンタさん! 私が出来ることならなんでも言ってくださいね!」
ベッド脇の椅子に座ったクーはちょっぴり怒って、それから深く落ち込んで、最後に決意も強く顔を突きつけてくる。
そんな会ったばかりの少女に、ジュンタはベッドに寝転がりながら苦笑を浮かべる。
先程怪我については納得してくれたと思っていたが、どうやら何かの拍子に申し訳なさが再発してしまったようである。やはり異世界の村に興味を持って、教会の外に出ようとしたことがまずかったか。
確かに傷こそないが、歩く度に少し身体は痛みを発する。クーも心配してしまうから、ジュンタはこのままベッドで休むことに決めた。
「少し寝れば大丈夫だから。クーは好きなことをしててくれ」
「はい。では、ここで看ていますね。何か必要になったら、なんでも言いつけてください」
「…………うん。いや、もういいよ。クーの性格は大体分かった」
この責任感が強く、心優しい少女は、何を言っても聞いてくれないだろう。
ジュンタは諦めて、この愛らしくも頑固な少女に全部任せて眠ることにした。さっさと怪我を治した方が、きっと全ては丸く収まると思って。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい、ジュンタさん。あ、手を握っていましょうか?」
「………………なんで?」
おやすみのあいさつの後に続いた言葉に、ジュンタは枕に埋めていた頭を起こし、マジマジとクーを見る。
クーは少し不思議そうな顔で見返してきた。
「?? 病気の時とかに、手を握られて眠ると安心しませんか?」
「いや、何となく分かるけど、俺病気じゃないから」
「でも怪我してます…………私の所為で」
しゅんとしてしまうクーを見て、先程の自分の考えを思い出す。
(仕方がない、か)
ちょっと恥ずかしいが、そこは我慢だ。
「あ……」
ジュンタは手を伸ばし、膝の上で揃えられたクーの小さな手を握った。
クーは握られた手を見て少し頬を染めるも、嬉しそうな顔になる。本当に喜と哀の感情が豊かな少女だ。
「俺が眠るまででいいからな。おやすみ、クー」
「はい、おやすみなさいジュンタさん」
今度こそ眠ろうと瞼を閉じる…………だが、妙に手の中の感触が気になって眠れない。
目を閉じている自分を見て、クーが眠っていると勘違いしてくれることを祈りつつ、ジュンタは羊などを数えてみる。
今日見たあの緑の草原に、一匹、羊が現れてメェーと鳴く。
二匹目の羊がどこからともなくやってきて、一匹目と一緒にメェーと鳴く。
さらに三匹、四匹、五匹とやってきて、ついには戦隊を組んで羊たちは鳴き始めた。
羊たちが五人揃ってポーズを決めた瞬間、光が溢れ、彼らは羊ではない何かに変身する。それはあえて称すならモコモコだ。白い、モコモコである。
白いモコモコたちが、サーカスの芸人も真っ青のアクロバティックな動きを繰り広げている。
空中で三回転半ジャンプ。トリプルスピン。
グルグルとのんびりした顔で激しく動き回るモコモコたちは…………正直異様だった。
そしてついに、モコモコは最後のステップへと歩き始めた。
押しくらまんじゅうをするみたいに、五匹のモコモコは互いに身体を押しつけ合う。するとモコモコが互いのモコモコと絡み合い、融合を開始する。するともう、巨大なモコモコが草原に落ちているといった感じになる。
白いモコモコは、いつの間にか羊だった全てを体内に取り込み、モコモコ、モコモコと蠢き始めた。
まるでこの世の終わりような光景は、そのまま数十秒続き――そしてついにそれは生まれた。
光り輝くモコモコ。
視界が白いモコモコに包まれ、次に目を開いた時には巨大なモコモコはいなかった。 代わりに人間大のモコモコがあるだけである。
いや、それはもうすでにモコモコではない。別の何かだ。あえて名付けるなら、新モコモコ。真モコモコでもいい。モコモコの行き着く先であり、新たなる世界を生み出すモコモコである。
ただ者じゃないモコモコは、眩しい。
意思あるように、モコモコは振り返る。どうやら見えていた部分は、モコモコの背中だったらしい。背中でそれか、何という畏敬を誘う神々しさだろう。
そうして、無限に増殖を始めるモコモコ――ああ、全てがモコモコで埋め尽くされていく。
この世はモコモコの、モコモコによる、モコモコのための世界となってしまうのだろう。それが本当にいいことなのかは分からない。でも、きっとそれがモコモコの真の願いならば、これは祝福するしかあるまい。
新世界のモコモコに幸あれ。お前は今、とても輝いている…………
「ああ、俺までがモコモコに………………なるわけがない」
意味の分からない――否、意味などない夢を潜り抜けて、ジュンタは目を覚ました。
手にはすでに柔らかな感触はない。
部屋にある小さな窓の向こうは、すでに暗闇に包まれていた。
「なんだ、いつの間にか眠っていたのか…………リアルな夢だった」
特に新モコモコがその顔を見せようとした時は、死を覚悟した。
ジュンタは寝起きの良い感じにぶっ飛んだ思考をしつつ、身体を起こす。
二つのベッドが置かれ、他には机と椅子だけが配置された小綺麗な部屋。教会の一室であるこの部屋は、クーのために用意された部屋である。
その部屋の、肝心の主の姿は見つけられない。
「喉、渇いたな」
ジュンタは喉の渇きを感じ、ベッドから降りて、部屋の隅に纏めておいてあった自分の荷物の方に近付いていった。
鞄には水や食料がたくさん入っている。村にも到着したことだし――その過程はともかくとして――少しは飲んでも大丈夫だろう。
ジュンタはリュックを開いて、中から水が入ったペットボトルを取り出そうとする。
――――その時、けたたましい男の悲鳴が教会の外から聞こえてきた。
「なんだ!?」
反射的に荷物の横に立てかけられていた布袋を手に取り、ジュンタは窓を開く。
窓の外。夜になって静まりかえったグストの村には、人っ子一人見ることはできない。どの家も、この一室と同じように明かりもない薄闇の中にある。
「……外に行ってみるか」
窓から見ただけでは、どうして悲鳴があがったのか分からない。
ジュンタは布袋に入った日本刀を持ったまま、部屋を出て教会の広間を目指す。
広間へと続く廊下を通り、ドアのない入り口を通って、広間へ。
「あれ?」
そして大きめの広間一杯にいる、大勢の人の姿を前に困惑を露わにした。
広間の中、所狭しといる人々はこのグストの村の村民だった。
突然現れたこちらを見て、彼らはかなり驚いている。
多くの視線が集まってきて、思わずジュンタが回れ右したくなってきた頃、村人たちの中から初老の男性が進み出てきた。
彼はこちらの姿を目に留めると、「おおっ」と納得の声をあげる。
「あなたは今朝、クーヴェルシェン殿に連れてこられた旅人の方ですな?」
「そうですけど。あの、あなたは?」
「私はこのグストの村の村長をしております、ウェイバーと申しますじゃ。驚かせてしまったようで申し訳ありません」
「それは別に良いんですけど……ここで何か集会でもあるんですか?」
大勢集まった村人たちを見て、ジュンタはそう見当を付けて尋ねてみた。が、ウェイバー村長は顔を顰めて首を横に振った。それだけでみんなが集まっている理由が、集会などではないということがよく分かった。
村長は少し悩んでいる様子を見せた後、
「……こうなっては仕方がありません。お話ししましょう。今、このグストの村で起きている事態を」
そう、畏まった様子で話し始めた。
その様子を見ただけでジュンタは確信を得る――自分は、また何かの事件に巻き込まれたのだ、と。
◇◆◇
ラッシャ・エダクールは商人である。
多くの街々へ訪れ、ご当地直産品、またはレアな品々を購入し、他の街で売りさばくことで生きる糧を得ている。今日も今日とて、森の中にあるというグストの村目指し、小さな馬車を走らせていた。
商人であるラッシャには、持ち運ぶべき品物がたくさんあるため、移動に馬車は必須だった。
グストの村は森の中にあるが、それなりに道は整備されていたので馬車で走れないこともなかったが、狭い道を通るため、予定よりかなり遅くなってしまったのは仕方ない。
「あー、疲れてもうたわ。早くつかへんかなー」
御者席に座って、ゆっくりと森の中の道を進んでいく。
こんな困難な道を通ってまで、グストの村に行こうとした理由は、一重に金儲けのためである。
なんでも最近、グストの村では夜な夜な恐ろしい怪物が現れ、村人を襲っているという噂が近辺の街ではたっているのだ。
そのために、今グストの村に行こうとする商人の数はかなり少ない。
「きっとグストの村の客人も、色々と雑貨がなくて困っとるやろ。ここはワイが行かんで一体誰が行くっちゅう話やな。グフフフフ、ほんで色々と売りさばいて、さらにはかわいい村娘もゲットや」
少しばかり邪な理由はあるが、一応は困っているグストの村の人たちに商品を届けたいという、商人根性でラッシャは進んでいた。
グフ、グフフフフという怪しい含み笑いが、夜の森に木霊する。
そうして後少しでグストの村に到着するという場所まで来たところで、ラッシャは近くの木の陰に動く影を見つけた。
「おっ、なんや自分? グストの村の村人か?」
当然、グストの村の近くで見かけたので、ラッシャはその人影が村人だと思った。しかし村人にしてはやけに身長が低いとも、また同時に思う。
(子供? こんな時間やのに?)
ラッシャはその人影を注意深く見て、ようやく気付く。その人影が、一つだけではないことに。
「おわっ、な、なんやなんやっ!?」
馬車を引いていた馬が突然いななき暴れ出す。
慌ててラッシャは宥めようとするも、馬は一向に落ち着かない。
周りに入る人影が原因か? そうラッシャは思い、場を包む異様な空気に商人として勘が囁き始めた。
――ここにいたら、まずいとちゃうか、と。
空に浮かぶ月が、その時その場を少し明るく照らした。
木の陰に隠れていた人影たちの姿が、ぼんやりとながらも輪郭をはっきりとさせる。
「なんやてっ!?」
ラッシャの脳裏に過ぎるのは、ここに来るまでに街で聞いた噂――グストの村には夜な夜な恐ろしい怪物が現れ、村人を襲っているという噂だった。
「ま、まさか……本当やったんか……」
ラッシャは震える自分の声を隠せそうにもなかった。
月明かりに照らされ、露わになった小柄な十数ほどの人影たち。
それが一体いかなる名で呼ばれている怪物か、もちろんラッシャは知っていた。
「ゴブリン!?」
その名を呼んだあと、すぐにラッシャは馬にムチを入れ、なんとかその場からの離脱を計る。
自分を囲んでいる魔獣は、ゴブリンと呼ばれているもの。
人間の子供ほどの身体をしているが、顔は猿のような顔をしており、肌の色も緑色。手には小さな棍棒を持っており、ギザギザの歯を剥き出しにして笑っている姿は醜悪だ。
魔獣と呼ばれる人間に害なす獣の中では、ゴブリンという魔獣はそれほど脅威ではない。大の大人なら、難なく退けられるほどである。が、それが複数で、囲まれた状況だとすると楽観視などしていられない。
旅するラッシャは、今までにも幾度となく魔獣と遭遇した経験があり、仲間がやられるところも幾度となく見てきた。
故に分かる。この状況はかなりまずい、と。
「くそがっ!」
ラッシャは再び馬にムチを入れ、暴走気味に走らせようとするも、ここは森の中――街道をゴブリンたちに塞がれれば、他に逃げられる場所はない。
そして最悪なことに、馬車は木々にぶつかり動きを止めてしまった。
停止の衝撃で額を思いきり馬車の壁にぶつけてしまい、額から赤い液体が垂れてくる。
血が目に入ってぼんやりとする視界の中、馬車を引いていた馬へと群がる、小さな鬼たちの姿があった。
獰猛なことで知られるゴブリンたちは、生き物なら例外なく、襲う。
木々にぶつかった衝撃で横倒しになっていた馬は、十匹近いゴブリンにのしかかれ、殴られ、直ぐさま息絶える。
貪るように肉を喰らう音が聞こえ、ラッシャはぞっと背筋を震わせた。
逃げなければいけないのに、腰が抜けて動けない。
そんな風に鈍い動きをしていると、ゴブリンたちの視線が、ラッシャへと向けられる運びとなった。
顔の表面積に対して、やけに大きすぎる瞳が、ギョロリとラッシャを睨み付ける。
生物的嫌悪を催す魔獣特有の臭いがして、ラッシャは頭をクラクラとさせた。
「あ、ああ……」
声が震え、ゴブリンたちが向かってくるのに、手も足も満足に動かすことができない。
恐怖する。数秒先に迫った死に恐怖して、ラッシャは精一杯、唯一出来る行為を取った。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
悲鳴、である。
ラッシャは死に物狂いで悲鳴をあげ、それを聞いて誰かが駆けつけてくれることに一縷の望みを託した。
だが、それも結局は拙い行為でしかないだろう。こんな森の中、一体誰が助けに来てくれるというのか。グストの村から助けが来たとしても、今からでは到底間に合わない。
「ギャー怖い! ギャー怖すぎる! 誰か助けてくれー!!」
それでもラッシャは叫ぶ。死にたくない。死にたくないから、叫ぶしかなかった。
ギチギチと歯を鳴らして、ゴブリンたちが近付いてくるまで、ずっとラッシャは叫び続ける。そして目の前にゴブリンたちが立ったことで、ついに恐怖で声を出すこともできなくなってしまった。
(もう、ダメやっ! 神様っ!)
最後の最後で、ラッシャはあまり信仰してもいない神へと祈りを捧げた。
助けて欲しいと、そう心の中で叫んだ――――そしてそれに応えてくれるように、視界の端で白い魔法光が瞬き、目の前を白い暴風が通り抜けた。
それは中に氷の礫を含んだ暴風である。
一秒前までは目の前にいたゴブリンたちが、その風の奔流の直撃を受け、切り刻まれながら遠くまで吹き飛ばされて行くのを、まるで夢を見るような感覚でラッシャは見ていた。
「…………な、なんや一体……?」
地面に転がり、へし折られた木々の下敷きになってしまったゴブリンたちを目で追っても、自分が助かったことすら実感が湧かないくらい、それは信じることが難しい光景だった。
「魔法、なんか……?」
白の魔法光が意味する魔法属性は――氷。
あらゆる全てを凍てつかせる、とある種族にしか扱うことが出来ない、非常に珍しい魔法属性である。
魔法系統・氷の属性――[雪雲の暴風]
恐らくはそう呼ばれている魔法が、自分を救ったのだ。
「一体何がどうなっとるんや……?」
分からへん。そう思った次の瞬間――――ラッシャは、森の妖精を見た。
それは吟遊詩人が語る美しい姿。
金髪碧眼。ツンと横に伸びた、湖の妖精とも森の妖精とも賞賛されるエルフ族の、特徴である長い耳。
トン、と風に乗るように目の前に現れた少女は、自分に向けてその小さな手を差し伸べてくる。
「大丈夫ですか?」
その妖精が浮かべた笑顔は、ラッシャが今まで出会った他の誰よりも魅力的な笑顔だった。
「魔獣ゴブリン、ですか?」
「はい。そうなのです」
グストの村の教会にて、ウェイバー村長が説明してくれたことを要約すると、今現在、グストの村には毎夜ゴブリンが現れるということだった。
ゴブリンとは魔獣の一種で、獰猛な気性で知られている小さな脅威らしい。
一匹、二匹ならともかくとして、それが十匹、二十匹となったら十分な脅威となる。それが毎夜毎夜のことなら、グストの村みたいな小さな農村では致命的も致命的だとか。
「申し訳ありません、旅人の方。そういうわけですので、夜の間は決して教会から出ないようお願いします。それと、出来れば明日の朝にも村をお出になられますように」
「そうですか……分かりました」
グストの村を襲う脅威。それを説明されて、ジュンタは理解した。
ゴブリンを見たことはないが、魔獣と呼ばれる獣の脅威については少しばかり存知である。関わり合いにならなくていいのなら、ならない方がいいだろう。
「この教会にいる内は、そうゴブリンも手を出せますまい。一応は結界が張られておりますからな」
「取りあえず、ここに入れば大丈夫なんですね?」
「ええ、今までもずっと、ここに避難しておりましたからな。安全でしょう」
なるほど、この教会に大勢の村人が集まっていた理由が分かった。
この教会が一種の魔獣避けとして機能しているのだろう。それで村人たちは、ゴブリンから身を守るために避難してきているのだ。
(やれやれ、偶然に立ち寄った……んじゃないけど、やってきた村がそんな状況になってたなんてな)
自分の星の巡り合わせに、少しばかり危惧を抱くジュンタ。偶然にもクーの水浴びを覗き、昏倒させられ、運ばれたというのがこのグストの村にやってきた理由だが、これまでを鑑みると、何か運命的なものを感じてしまうのは仕方なかった。
「と、そういえば……」
自分がこの村に来た理由を思い出し、ジュンタはウェイバー村長に一つ尋ねてみた。
「村長さんは、クーがどこにいるか知ってますか?」
大勢集まった広間に、クーヴェルシェン・リアーシラミリィの姿は見あたらない。
人目を惹く容姿に金髪であの白い服。かなり目立つ彼女を見失うということはあり得ない。一度見回していないなら、それはこの広間にはいないということになる。
「クーヴェルシェン殿、ですか……」
グストの村で最も仲が良いといってもいい少女の行方を尋ねたジュンタに、村長は何とも言えない表情となった。
「クーに何かあったんですか?」
「…………いや、そういうわけでは」
煮え切らない態度を見せる村長に、ジュンタは焦りの色を強める。
どうしてクーの行方を訊いているだけなのに、彼はそんな悲痛そうな顔をするのだろうか?
ジュンタの脳裏に、先程の悲鳴の声が甦る。
あれは男の声だったが、ここにグストの村の村人全員が集まっているのなら、あの悲鳴は村人以外の誰かということになる。まず、運悪くもこの村を訪れようとした誰かの可能性が高い。
(あんな風に、もしクーがそんな風になってるなら……)
この教会にはいないということは、それ即ち危険な外にいるということである。ジュンタは握っていた日本刀をさらに強く握りしめ、ウェイバー村長に強気の姿勢で再度訊く。
「クーは、どこにいるんですか?」
「………………クーヴェルシェン殿は今、村の外でゴブリンと戦っておられます」
「ゴブリン、と? なんでクーが!?」
「それは、彼女がそれを望まれたからなのです」
村長の言葉に、ジュンタは息を呑む。
(クーがそれを望んだから、今ゴブリンと戦っている? なんだそれは?)
まるで出来の悪いシナリオのよう。
自分と同じ旅人であるクーが、ゴブリンと戦う理由なんてないはずなのに、ゴブリンと戦っている。
いや、それは違うか――ジュンタは広場に集まった、村人たちの表情を見て思い直す。
ゴブリンという恐怖に震える子供を、母親がなんとか元気づけようと胸に抱いている。
若者たちは広間の入り口付近に集まって、手に斧を持ってもしもの時に備えている。
誰も彼もがピリピリとした空気の中、困っている――きっとクーにとっては、それだけで助ける理由にはなるのだろう。
どうしてそう思ったのか、それは定かではない。ただ、きっとクーヴェルシェンという少女はそうなのだと、理由もない確信がジュンタの中にはあった。
「クーヴェルシェン殿は、ある日偶然村に立ち寄られ、ゴブリンに襲われそうになっていた村の子供をお助けになってくださいました。そして事情を聞かれると、自分は魔法使いだから、この村を守ってくださると申されまして……」
申し訳がなさそうに独白する村長は、クーに戦わせていることに苦しんでいるようだ。
まだ幼い女の子を、たとえ戦う力があるとしても、戦わせているということは人を苦しめる。それでもクーの言葉を阻めなかったのは、彼がこの村を守る義務を持つ村長だからだ。
(クー、大丈夫なのか……?)
ジュンタは出会ったばかりの、それでも優しい少女のことを思う。
……心配だった。
だが時は易々と心配をさせてはくれないらしい。暗く沈黙に満ちていた室内が、そのとき俄に騒がしくなった。
「なにごとだ?」
村長が尋ねるのと同時に、ジュンタも室内に視線を這わせる。
何が起こったわけでもない。村人は別に声をあげていない。
(なら、どうして騒がしくなった?)
ジュンタは考える。答えは解答を伴って、すぐに出た。
きゃあああああっ、と誰かが悲鳴をあげた。それに続いて、断続的に悲鳴の声があがる。広間にいる誰も彼もが、天井を見つめて悲鳴をあげていた。
視線を上に向ける。そこに何がいるのか、ジュンタにはすでに予想がついていた。
そう、村人が騒がしくなっていないなら、他の何かが声をあげているということだ。そしてその何かの正体は、グストの村を襲っているゴブリン以外にはあり得ない。
「あれが、ゴブリン……」
天井を見れば、ステンドグラスの向こうから、大きな赤い瞳がいくつも覗き込んでいた。
「落ち着けぇい! 落ち着くのじゃ!!」
慌てふためく村人を落ち着かせるため、村長が声を張り上げる。
「大丈夫! 大丈夫じゃ! 教会には結界が張られておる。奴らは絶対に入ってこられはせんっ!」
力強い断言に、逃げ惑っていた村人たちが落ち着きを取り戻し始める。
村長の言っていることは事実だ。ゴブリンたちは覗きこんではいるが、ステンドグラスを割って入って来ることは出来ないようである。教会の建物の表面には、魔獣を阻む結界が張り巡らされている。
落ち着きを取り戻した室内。しかしゴブリンに覗かれていることには代わりがない。
室内を包む緊張は先程より張りつめ、村人の怯えも酷くなっている。
村長の隣、事態の行く末に心を痛ませていたジュンタは、村長へと近付いてきた屈強な若者に気が付く。
彼は手に斧を持ち、後ろに幾人かの同じような木こりを揃え、村長に向かって提言した。
「村長。外のゴブリン共、俺らが追い払います」
「何をバカなことを言っとるんじゃ! そんな無茶は許さん!」
「ですがっ! 家族が怯えてるの、黙って見ちゃいられないですよ!」
「大丈夫です。そんなに数はいませんっ!」
「俺たちを信じてくださいっ! クーヴェルシェン様一人に頼ってばかりいられません!」
村長の一喝に、若者たちが口々に声を揃えて訴え始める。その熱意に、村長は困ったように「うむぅ」と唸る。
広場の視線が、今や村長と若者たちに集まっていた。
若者たちは村長をじっと見つめ、そして屋根に張り付いているゴブリンを睨み付けている。
恐らく、毎夜毎夜ずっとこんな恐怖に耐えてきて、ついにはこの事態にまでなって、堪えがきかなくなったのだろう。
しかしジュンタは、それでも村長は若者たちの意見を認めないと思っていた。
毎夜訪れるということは、きっと朝にはゴブリンたちはいなくなるということだ。
それまで待てと、堪えろと、そう村長は言うものだと、そう思っていた。顔は強ばっているし、悩みはしているが乗り気の様子はまったくない。
――だがしかし、唐突に室内に響いた子供の泣き声に、村長の顔色は変わる。
「うぇええええんっ!」
「大丈夫よ、坊や。大丈夫だから。泣きやんで、ね?」
まだ歩き始めたばかりと言った感じの子供と、それをあやしているまだ若い母親。
「ウェイバー村長!」
若者の一人が――恐らくは、その母子の夫であり父である若者が――村長の名前を大きな声で呼んだ。もう我慢できないと、断られても自分はやると、そんな無言の意思が込められた叫びだった。
ウェイバー村長が広間に集まった、村人を見渡す。
誰も彼もが疲労の色が濃い。
恐怖で眠ることもできない日々がずっと続いているのだ。すでに皆限界に近いのは、今日村にやってきたばかりのジュンタにも分かった。
「………………仕方あるまい」
村長は長く黙考した後、ついには若者たちの意見を認めた。
「しかし約束をするのじゃ。危なくなったら、すぐに教会に戻ってくると」
『分かりました!』
子を心配する親のような表情で村長に言われ、若者たちは大きな声で頷く。
心配される優しさが彼らの熱意に変わり、斧を握る力が強まっている様子。若者だけじゃなく、戦えそうな男たちが一斉に立ち上がる。
見ていて清々しいほどに、彼らは家族を、村を助けるという意思で団結していた。
「あの――」
気が付けばジュンタは、村長に話しかけていた。
「なんですかな?」
手に持った布袋から日本刀を取り出して、
「俺にも手伝わせてください」
自分には全く関係ないのに、そんなことを言っていた。
◇◆◇
教会の裏口から戦いに参加する二十名あまりの男たちが外に出ると、すぐにゴブリンたちはそれに気付く。
わらわらと虫の死骸にたかる蟻の如く、教会の壁や天井に張り付いていたジュンタたちと同数以上のゴブリンたちが、一斉にこちらに向かって近付いてくる。
裏口をしっかりと閉め、ジュンタたちは教会を背にゴブリンたちと距離を取る。
(まったく、俺も何してるんだか……)
鞘に入った日本刀を両手で掴み、背後を取られないよう、円陣を組んでいるグストの村の男衆の中、唯一外部の人間であるジュンタは思う。
自分は旅人で、このグストの村とは関係ない人間だ。なのに今、こうして戦おうとしている。
初めて目にするゴブリンは、正直に言ってかなり気持ち悪い。しかも大量にいるため、夢に見そうなぐらい怖い。
思わず身体が震え、ジュンタはゴクリと唾を飲み込む。
その音が聞こえたのか、円陣の隣にいるグストの村の若者が話しかけてきた。
「やぁ、旅人さん。手伝ってくれるのは嬉しいけど、怖かったら教会の中にいてもいいんだぜ?」
「……そちらこそ、身体が震えてますよ?」
軽口を叩いてきた若者に対し、ジュンタはそう言い返す。
すると彼は笑って、
「仕方がない。怖いんだから、身体ぐらい震えるってもんさ」
と、情けないことをはっきりと口にして認めた。
若干の呆れを含んだ、それでも優しい視線をその人に送り、ジュンタは左手を鞘に、右手で刀の柄を握る。
(怖いのは俺だけじゃない)
みんながみんな、騎士でも魔法使いでもない、ただの木こりだ。
木こりたちが、本来木を切る斧を持って、それぞれ守るべき者のために戦おうとしているのだ。
理由なんて関係ない。村とは関係ない身分なんて、それこそ関係ない。
泣いている子供をあやす母親を見て思ったのだ。助けたい、と。その思いがあるなら、きっと他には何も必要ない。
(だろ? 実篤)
ジュンタは銘のない、親友から渡された日本刀に尋ねる。
『ああ、そうとも』
聞こえるはずのない声が、どこからか聞こえた気がした。
ジュンタは覚悟を決め、勢いよく鞘から日本刀を抜き放つ。
居合いなんてできやしないから、鞘に入れておく意味はない。
月光に波紋をうつ日本刀は、外界にその姿を晒す。さすがに芸術品としての側面を持っているだけに、日本刀は人を感嘆させるほどに美しかった。
「おう、頼もしい武器だな旅人さん」
「初めて握るんですけどね」
細く、繊細な刃を見た若者は、ジュンタの言葉を聞いて一粒冷や汗を垂らす。
しかしもうジュンタには、そんな彼を気遣っていられる余裕はなくなっていた。
様子を見ていたゴブリンたちが、攻撃を開始してきた。
村人たちはそれぞれがそれぞれ、適当に相手にあたりをつけ、一対一になるようにしてゴブリンに立ち向かう。
ジュンタもこちらへと突進してきたゴブリンに向かって、一歩、大きく踏み出す。
他者には不可視の虹の波紋が、身体をいつの間にか包んでいた。
余分な重さをなくした身体は、無駄なくスムーズに動く。重たい日本刀も、虹の光に支えられ、手の延長のように軽い。
ゴブリンとの間合いを測り、怪物が向かってくる恐怖を押し殺す勇気を振り絞る。
「はぁぁっ!」
ただ袈裟懸けに切り裂くだけの一撃が、おもしろいぐらいにゴブリンの身体を切断した。
緑色の血が切断面から飛び散り、肉体が二つに分かれたゴブリンはそのまま倒れて沈黙する。
今更ながらにグロイ映像と、肉を切った感触にジュンタは震えるが、自由に震えてられる時間はない。
辺りはすでに乱戦状態になっていた。
木こり業で鍛えた筋力を惜しみもなく使って、思いきり斧でゴブリンを叩きつぶす村人たち。一人一人が、それぞれ一対一なら特に問題なく倒せている。
しかし二匹目になると、倒せる確率がグンと下がっているようだった。
その理由は骨と筋肉とを持つゴブリンに、木を切断するために作られた斧が切れ味をなくしてしまったからである。どうやらゴブリンの血は粘性が高く、一度斬りつけると拭わなければ切れ味がかなり落ちるようであった。
乱暴に若者たちも斧を振り回すが、それはゴブリンの持つ棍棒と同じ程度の成果しか発揮しない。
しかしそれでも、数的には村人たちの方が有利。問題なく、ゴブリンは全滅させられる。
だが、若者たちの中に危険な状態に陥ってしまった人たちもいる。
ジュンタはそんな人たちへと近付き、棍棒を振るおうとしていたゴブリンを横から襲って、一息で両断した。
「大丈夫ですか?」
「おぅ、ありがてぇ」
「いえ、気にしないでください――と」
助けた人にお礼を言われていると、横手からもう一匹向かってきた。
「ぉらっ!」
使う日本刀は虹の光で守られているからか、切れ味が上がっているというわけではないのだが、魔獣の血が付着しないために切れ味は落ちていない。そしてそこは切り裂くことに真価を発揮する日本刀――三匹目のゴブリンも、ジュンタは難なく倒すことに成功した。
そうこうしているうちに、他の若者たちによってゴブリンが掃討されたようである。近くに動いているゴブリンの姿はない。
「よっしゃあ!」
誰かの歓喜の叫びを皮切りに、皆が皆喜びの声をあげる…………だが、ジュンタは他の村人たちのように、喜ぶことはできなかった。
「…………マジか……?」
眼鏡と、度の入っていない黒のカラーコンタクトレンズが見つめる先に、見つけてしまったのだ。数にして先程と同数ぐらいのゴブリンたちが、自分たち目指してやってくるのを。
「ゴブリン! 増援か!?」
「まずい。もう俺の斧使えねぇぞ!」
ジュンタに遅れてゴブリンたちに気が付いた村人たちが、上げた手を力なく下ろし、驚く目でゴブリンたちを見る。
数は先程と同じ。しかしこちらの武器は先程より劣っている。
倒すことは可能かも知れないが、まず間違いなく、少なからず被害が出る。
小さな村の村人たちは、皆が皆家族のようなものだ。
一人でも被害が出れば、それはゴブリンに怯えるよりも深い悲しみを呼ぶだろう。そうなってしまえば本末転倒だ。
「教会に逃げろ!」
誰かが叫ぶ。若者たちは躊躇することなく、教会の中へと逃げ込むために走り出す。
しかし全員が入るまでは間に合わない。その前に、ゴブリンたちは到達する。
「ああくそぅ、仕方ないなぁ」
ジュンタは悪態をついて、日本刀を再度構えた。
切っ先を迫るゴブリンたちに向け、背中越しに仲間に向かって告げる。
「早く入ってくださいっ!」
「あ、ああ、分かった。すまねぇ、旅人さん!」
教会内へと逃げる皆のスピードが上がる。ジュンタの言葉の真意を察したのだろう。自分がゴブリンを食い止めるから、その間に逃げろと言う真意を。
「なんだかねぇ〜、俺はこんなに熱い性格じゃなかったはずなんだけど」
自分でも貧乏くじを引いてるなぁとは思いつつも、自分の日本刀は切れ味が健在なのだからしょうがない。
諦めて、今自分が出来る精一杯を実行しようと、ジュンタは刀を構え直す。
「まぁ、いいか。部屋の隅で震えてるよりかは、きっとかっこいいよな…………いや、なるほど。これが旅って奴なのか」
ゴブリンたちが突っ込んでくる。
それを迎え撃とうと表情を引き締めたジュンタは、そこでおかしな事実に気が付いた。
こちらに突っ込んでくるゴブリンたち。その形相が、なぜかジュンタには恐怖に顔を引き攣らせているように思えた。突っ込んでくるというよりは、何かから逃げて来ると言った感じの方が正しいように見える。
――そして、それは正しかった。
ジュンタは三十あまりのゴブリンたちの向こうに、美しい白い死神の姿を見つけた。
風に乗って、死神が紡ぐ詠唱の詩が聞こえてくる。
「奔れ雪雲 主に仇なす敵を打ち砕け」
白い服を着た少女の指先に、白い氷結の魔法陣が輝く。
今朝ジュンタに向かって打ち出されたのとは違う、完全な制御と威力を詠唱によって構築された、凍てつく魔法――
「これ、は、魔法?」
内に氷の礫をまき散らせた白い暴風が、ゴブリンたちを背後から飲み込んでいく。
荒れ狂う暴風から逃れるには、ゴブリンたちはあまりにも弱く、儚い。
後列から順々に氷に身体を切り刻まれ、風に千切られ、虚空に血を迸らせては消えていく。
それは最前列の一匹まで見事な調整で行われ、ゴブリンたちの姿は一瞬にして白い風と共に消え去ってしまった。
教会の前に立っていたジュンタの前髪を、僅かに残った冷たい風が撫で付ける。
圧倒的な規模での掃討――ジュンタは初めて、魔法という異世界の神秘の力を思い知った。
そしてそれを生み出した、まさしくゴブリンたちにとっては死神となった少女を、驚きを含めた視線で見つめる。
「ジュンタさん!」
魔法使いの少女――クーヴェルシェン・リアーシラミリィは、ジュンタに駆け寄り、思いきり頬を膨らませた。
「何をやってるんですか、ジュンタさん! ジュンタさんは怪我をしてるんですよ? それなのに、ああ、傷が開いちゃってます!」
「いやな、これはだな、クー」
クーは包帯に滲んだ血を見て、直ぐさま治療のための魔法を唱え始める。
癒しの力を含んだ冷たい風が、ジュンタの傷を癒やしていく。
「これで大丈夫です」
そして傷が完全に塞がったのを見て、クーはにっこりと笑って――
「もう、自分の身体は労らなくちゃダメで、す――」