第十一話  盾と共にある剣





 戦士にも休息は必要だ。


 毎日毎日試合がある本戦において、自分の番が終わってから翌日の試合までの時間は、何よりも得難い休息の時間となる…………のだが、それはジュンタには当てはまらない。


 他の選手に比べれば圧倒的に鍛錬の時間が少ないために、休息など入れている暇はないのである。その時間さえも鍛錬にあてなければ優勝はできない。さりとてあまりやりすぎると翌日に響く。その辺りの調節は師であるトーユーズの仕事だ。


「改めて言いましょう。一回戦勝ち抜きおめでとう」


「……ありがとうございます」


 朗らかにいうトーユーズの賞賛の言葉に、ジュンタは『鬼の宿り火亭』前でぐったりとしながら返答を返す。


「何よ、その気のない返事は。折角あたしが褒めてあげてるのに……もしかしてご褒美は別途で欲しいのかしら?」


「心底から遠慮させていただきます」


 蠱惑的に微笑むトーユーズにはそう言うしかない。

 彼女がどんなご褒美を思いついたかは知らないが、疲労困憊の現状で喜べるようなご褒美でないのは一目瞭然だ。


 夜の十二時――歓楽街であるこの通りの店々には灯りが灯っている。それはいつにも増して多い。

武競祭は祭りだ。それはコロシアムだけではなく、レンジャール全体に言えること。武競祭開催期間中は毎夜が祭りの夜なのである……そんな中でどうして自分は辛気くさい顔をしているのだろうと、ジュンタはトーユーズに恨めしやと視線を向けた。

「先生。何も今日までショコラ作りをさせなくてもいいじゃないですか」


 こうして自分が疲れているのは、何も試合の所為だけではない。初戦ということでかなり疲れたが、それよりも疲れたのがその後に開かれた初戦勝ち抜きパーティーと、本戦も始まっていつにも増して忙しかった店の仕事の所為である。


 この疲れが修行によるものならともかく、店の手伝いによる疲れだなんて。明日も試合だって言うのに、この人は一体何を考えているのか?


 きっと素人な自分には考えも付かないことを考えているに違いない…………と信じたいが……視線を泳がせて笑ってるところを見るに…………ふぅ……


「あはは、これも修行の一環よ。ジュンタ君も、店を手伝い始めた頃に比べたらとってもスピーディーでテクニシャンになったわよ」

「……俺もお菓子作りの腕は上がったと思いますよ。ええ、剣の腕よりよっぽど」

 

「す、過ぎたことは忘れましょ。さぁ、元気よく今日も鍛錬を始めましょう!」


 皮肉を返すと、トーユーズは子供っぽく『そんなに怒らなくてもいいじゃない』みたいな顔をし、手に持った二本の剣を掲げ、人気のない場所へと歩き始めた。


 誤魔化されている自覚はあるが、言っていることはもっともなので、溜息一つ吐くだけにして、ジュンタも自分の二本の剣を持ってトーユーズの後を追う。


 夜の鍛錬に使っている場所は、『鬼の宿り火亭』からさほど離れていない開けた広場である。


 広場といっても、そこは聖神教の教会前広場だ。祭りの喧噪をどこかへやって、変わらぬひっそりとした佇まいを見せている。別に聖神教が質素倹約を勧めているわけはなく、ただ単にこの教会の責任者が騒がしいことが嫌いなだけなのだという。


 トーユーズはその責任者と知り合いらしく、教会前の広場をうるさくしないことを条件に貸してもらっていた。


「さて――

 教会前広場に到着した途端、トーユーズの纏う空気が変わる。


 いつものどこか艶のある声がなりを顰め、凛としたものに変わる。それがいつもの鍛錬開始の合図となっていた。


 前を歩いていたトーユーズは振り向いて、余計な前置き無しに話し始める。


「実際ジュンタ君は相当疲れてるだろうから、今日は明日の戦いに備えた戦術を確かめるだけにしておくわね。できれば[
魔力付加(エンチャント)]の修行もしておきたかったけど、あれは下手に失敗すると疲労が蓄積するから止めておきましょ」


「分かりました。それで、明日の戦いについて何か先生には対策があるんですか?」


 明日戦う相手はシーナという騎士の女性だ。


 大会の選手の中でも、アルカンシェルほどではないが素性が不透明な選手である。

クーが同じ予選で戦ったので、シーナの戦い方はある程度つまびらかになっているか、それでも他の選手ほどデータが集まっているとは言いにくい。


 ジュンタはトーナメントの順番上見られなかったので、念のためにトーユーズに昨日の彼女の試合を見てもらったのだが……そこから何か気付いたことがあるのだろうか?


「シーナちゃん、ねぇ」


 期待を寄せるジュンタに対し、何やら言いにくそうにトーユーズは話し始めた。


「一応あたしも『騎士百傑』に名を連ねる騎士だしね、今回ばかりはジュンタ君に知ってること全部教えるわけにもいかないのよね」


「え? それってどういう意味ですか?」


「あ〜、それも秘密になっちゃうわね。でも安心していいわよ。あたしが応援しているのはもちろんジュンタ君だから」


 にこりとトーユーズは笑う。それは、これ以上は話せないという意味合いを持った笑顔だった。


「シーナの戦闘スタイルは剣の一刀ですけど……流派はどれになるんでしょうか?」


 それ以上トーユーズに『シーナに関する何か』を突っ込むのは止めにして、ジュンタは明日の戦いについて質問する。


「流派は間違いなく、このグラスベルト王国の正式流派――グラスベルト流ね。王国騎士団とかにも取り入れられてる、一番使い手の多い流派よ」

「あれ? でもグラスベルト流は剣と盾とを使う剣術じゃなかったですか?」


 剣と盾とを使う戦い方こそ、確かグラスベルト流だと以前教えてもらった気がする。だとするなら、盾を持たず剣一刀のシーナは少しおかしい。装備品不問の今大会において、決して盾の使用は禁止されていない。


「あんまり言えないけどね。ジュンタ君、間違いなくシーナという選手の流派は剣と盾とを使うグラスベルト流よ。それだけは肝に銘じておきなさい」


 トーユーズは真剣な顔になって、有無を言わさぬ強い口調で言った。


 それはたぶんグラスベルト王国の騎士であるトーユーズの、弟子に対する最大限の愛情なのだろう。いつもは飄々とした彼女だが、こんな顔のときは冗談を言わない。


「分かりました。肝に銘じておきます」


 ジュンタは強く頷き返す。そして師の優しさを胸に刻み込み、明日のために剣を構えた。







       ◇◆◇







 一日目よりも二日目の試合の方がより高いレベルになった。


 一日ごとに半分がふるい落とされていくのだから、それは当たり前と言えば当たり前だ。
 
昨日勝ち抜いた選手による戦いは、そのほとんどが拮抗した戦いとなった。その中でほぼ一方的な戦いになったのは、ジュンタの見た中では二組だけ。リオンとクーの二人が出場した試合のみである。


「ご主人様っ、私勝ちました!」


 クーの試合を見たあと、もうすぐ始まる自分の出番のために控え室へと向かっていた甲冑姿のジュンタは、その途中でクーとばったり出会った。


 クーは笑顔でこちらを見つけると、駆け足で走り寄って来て、笑顔でそう報告する。


「ああ、ちゃんと見てたよ。勝ち抜きおめでとう。がんばったな、クー」


「ありがとうございますっ」


 傷一つないクーの姿を見て、そう素直な気持ちで褒め称えると、彼女は照れてしまった。

先程の試合。クーの対戦相手は王国騎士団の代表として出場した選手だった。

彼は昨日のナルシストほどアレではなかったので、クーに対してもちゃんと戦った。だがクーが魔法使いであるという油断はあったのだろう。一回戦の勝利はナルシストの自爆だったので、クーを魔法使いとして攻め立てれば勝てると、そう思ったに違いない。

そんな油断を抱えたままで勝てるような相手では、クーは絶対にない。

それを証明するかのように、クーは無詠唱の魔法で距離を着実に稼ぎ、詠唱の時間を自ら生み出し、強烈な魔法の一撃をもって相手を下したのだった。


「あの、ご主人様もがんばってくださいね」


 先に三回戦――準々決勝へと歩を進めたクーが、ぐっと手を握ってそう激励してくれる。


「相手はシーナだけど、クーは俺を応援してくれるか?」

「はい、もちろんです。シーナさんには悪いですが、私はご主人様を全力で応援します!」


「そっか。それじゃあ、がんばらないといけないな」


「がんばってください。ご主人様なら、きっと大丈夫ですから」

 純真な応援の声が少し緊張していた身体を解してくれる。


 相手はシーナ。昨日の相手よりも色々な意味でやりにくい相手だ。楽勝とは到底思えない。


 それでも勝つのだ。クーに力をもらって、ジュンタは力強く頷く。

「よしっ、それじゃあ俺もいっちょクーに続くかな。まだ先は長いんだ。相手が誰だろうと、しっかりと戦わないと」


「誰が相手でも……」


 それは何気なく口にした言葉だったのだが、どうしてかクーが反応を見せる。笑顔を少々曇らせて、不安そうな顔つきになった


「クー? どうかしたのか?」


「あ、はい。ちょっと次に戦う私の対戦相手のことを考えていました」


「次のクーの対戦相手って……ああ、なるほど。リオンか」


 クーが今から不安がるのも無理はない。次のクーの対戦相手はあのリオンだ。昨日今日の対戦相手とは訳が違う。先の戦いでも相手を瞬殺していたリオンは、いくら強いクーでも勝敗がどうなるか分からない相手だ。

 

「リオン様は間違いなく強いです。正直に言ってしまうと、とても不安です」


「クー……」

「あ、もちろん負ける気なんてありませんよ! 相手がたとえリオン様でも、私はご主人様のために勝利しか見てません! ……でも、やっぱりどこか不安に思っちゃってるんです」



――あら、戦う前からそれでは勝てる試合も勝てませんわよ?」



 握った拳とともに長い耳を力無く垂らしたクーを元気づける前に、そう会話に割り込むように響いたのは聞き知った声だった。


 お嬢様口調でしゃべる知り合いなど、ジュンタには一人しかいない。


 クーと一緒になって背後を振り向くと、そこには紅い鎧からドレスに着替えたリオンが腕を組んで立っていた。


「ごきげんよう、クー。それとミスタ・アルカンシェル」


 長い髪をかき上げて、颯爽とリオンは近付いてくる。


 話題にしていた少女のいきなりの登場に、クーが困惑の声をあげた。


「リオン様、どうして?」


「私だって選手ですもの。別にこの会場にいても何らおかしくありませんわ。あなた方と出会ったのはあくまで偶然ですが。
そうそう、クー。先程の試合は観覧させてもらいましたわ。見事な勝利でした。ふふっ、それで自信がないと言うんですもの、大した謙虚さですわね」


「み、見られてたんですか…………恥ずかしいです」


 優美なリオンの微笑みを向けられ、なんとなく恥ずかしくなったらしいクーが顔を赤らめる。ちょっとだけ垂れた耳がピンと上がった。


「恥ずかしがる必要などありませんわ。あなたは一人の戦士として十分観客を沸かせ、誇りを見せつける戦いをしたのですから。それに引き替え……」


 クーを褒めていたときとはまったく違う不機嫌な表情になって、リオンは視線をジュンタに変更した。


「ミスタ・アルカンシェル。あなたにはがっかりですわ」


「また、いきなりの言葉だな。失礼だとは思わないのか?」


「それはこちらの台詞です。何なんですの、昨日の戦い様は? 仮にもあなたは騎士団の代表騎士として出場した身。あのように相手を騙し、罠に嵌めるようなやり口で勝利を掴むなんて、恥ずかしくはありませんの?」


 睨みつけてくるリオンは、どうやら昨日の戦い方がお気に召さなかったらしい。


 騎士であることを誇りと思っているリオンには、やはり正攻法ではなく奇策を練って相手を倒すやり方は邪道の近いということなのか。


「それもまた一つの戦い方だと俺は思っている。生憎と俺はお偉い騎士様じゃないからな」


 リオンが気に入らないと言うのは最初から分かっていたことだ。それでもトーユーズの強さを感じ、それを『是』として弟子になったのだ。何を言われても今更変えるつもりはなかった。


「どんなやり方でも、勝つために戦うなら、勝率を少しでも上げる戦い方の方がいいに決まってる。過程に美学なんて求めてない。恥ずかしくもないさ」


「私だってそういう戦い方があるのは認めてますわ。到底気に入りはしませんけど。

 なるほど、ようやく分かりましたわ。つまりあなたは騎士ではありませんのね。ふんっ、やっぱりあなたは気にくわないですわ」

 こと戦い方に関しては、決してリオンとは相容れないだろう。


 そっぽを向くリオンの騎士道は正道であり、自分は邪道なのだから。それを邪道でなくすのがトーユーズ曰く『美しさ』らしいが、そこまでのレベルには達していない。


「それで結構だよ。誰も理解なんか求めてない」


「私も、もうあなたに理解など求めませんわ」

 互いにぶつかり合うのは、ある意味互いに意識し合っているからか。なんてことを頭の隅で思いつつ、ジュンタはリオンの敵意を受け止める。


 そんな中、ふいに視界に白いモコモコした帽子が入り込む。


「あ、あの、リオン様。あ、あんまりご主人様のことを悪く言わないでください」


 その帽子――ではなく、白い大きな帽子を被ったクーが、リオンに対して小さくも必死な声でそう言った。

 いきなりのクーの言葉に、リオンは面食らっている。

彼女が困惑した様子で視線を彷徨わせている内に、さらにクーは言葉を続けた。


「た、戦い方は人ぞれぞれだと思います。リオン様が言っていることももっともですが、ご主人様だって決して間違っていません。だ、だからあんまり酷いこと言わないください」


「ク、クー? え、え〜と……ですわね。私はそういうつもりじゃなくて、ですわね」

 リオンが困ったように視線を向けてくる。が、困っているのはこちらも同じだ。

 

 クーがどうして、自分を庇うようにリオンの目の前に立ち塞がったかは分かっている。クーは優しくて、自分を使徒として敬愛しているようだから、リオンに責められているところを見て我慢できなかったのだ。


 だけど、なんだかやはり敬愛している節があるリオンにクーがここまで言うとは、ジュンタも思ってみなかった。


 胸元で両手をギュッと合わせ、リオンの瞳をまっすぐ見ているクー。
 
時折直視するのが眩しいぐらい、まっすぐなクーだ。これにはリオンも、いつもの傍若無人ともとれる自信を発揮できないようだった。


「私、知ってます。ご主人様はとってもがんばっているんです。この武競祭だって、一生懸命周りの応援してくれた人に報いようと努力してるんです。そ、それを笑うのは、たとえリオン様だって私、許しませんから!」


「え? 私笑ってました……?」


「ふんっ、とか、さっき鼻で思い切り笑ってたな」


「そ、そうですの……」

 すかさず指摘すると、リオンはバツが悪そうに口を閉ざす。


 これ以上クーも緊張から言葉を続けることは無理なようで、唯一場を動かせるジュンタが口を開いた。


「ま、武競祭に参加する理由も、そこにかけた想いも、人それぞれなんだ。誰だって自分の想いが一番強いって思ってる。なら、分かり合うのが難しいのは当然だろ」


「わっ」


「ありがとな。俺のために怒ってくれて」


 ポフッ、と自分のためにがんばってくれたクーの頭を、少し強めに撫でる。


 感情表現と直結しているのか、嬉しそうに動くクーの長い耳を見てから、ジュンタは視線をリオンへと向ける。


「原因がどうあれ、俺は俺のために怒ってくれたクーの気持ちは無駄にしたくない。だから言わせてもらう。
 俺が勝つ。俺が優勝する。俺は――お前にだって負けてやらない」


 黙り込んでいたリオンは、その宣言によって元に戻る。

 まなじりに力が戻り、口に自信ありげな笑みが戻り、リオンは胸を張って反論した。


「言ってなさい。あなたがどんな理由を背負って武競祭に参加しているかは知りませんが、私にだって負けられない理由がありますもの。私も言わせていただきますわ。
 私が勝ちます。私が優勝します。私は――誰にも負けて差し上げません」


「誰にも、か。言ったな?」

「ええ、言いましたわ。あなたもクーも私が倒します、と。

まぁ、それもあなたの場合は次の試合に勝って、さらにその次に対戦する正真正銘の強者に勝てたらの話ですけど。次はともかく、我が家の騎士には勝てないと思いますわよ」


 そう言ったリオンは、今度は視線をクーに向ける。


 頭を撫でられて幸せ心地にとろけていたクーは、リオンに見られて背筋を伸ばす。


「クー」

「な、なんでしょうか、リオン様!」


「その呼び方のことですけど……あなたと私は戦う、いわば敵同士。相手に敬意を払うならともかく、そんな『様』付けでは興醒めですわ。私のことは好きに呼んでよろしいから、様付けだけはお止めなさい。あなたにも、私は負ける気なんてないんですから」


 言いたいことを言いたい分だけ告げて、リオンは背を向ける。

 その背中に向かって、ゾワリと背筋を震わせたクーが言葉を向けた。


「わ、私も負けません! 負けませんから、リオンさん!」


 クーの言葉にガクッとリオンが転びそうになる…………まぁ、それが良くも悪くもクーの限界だ。好きに呼んでいいって言っても、いきなり呼び捨てで呼べるはずがない。


 リオンもそれが分かったのか、もう何も言わず背筋を伸ばして去っていった。


 その背が見えなくなるまでじっと見送ったの後、クーが少しテンションを上げつつ口を開いた。


「やっぱりリオン様――ではなくリオンさんは、とっても素敵ですっ」

「ほんと。それだけは俺も同意するよ」


 ジュンタも今はまだ遠い背中を見送って、背中を向けた。






       ◇◆◇







 リオンに言った話ではないが、武競祭に参加した選手には、誰にだってそれぞれ参加した理由があるのだ。それは誰かにとっては大したことじゃないのかも知れない。けれど、その本人にとってはとても大切なことに違いない。


 自分がリオンの隣に立つため強さの証明を手に入れようとしているように。また、これまで消えていった幾人もの選手にも想いがあったのだろう。武競祭に優勝することは、それらの想いを踏みつけ、自分の想いだけを生かすということ。

極論かも知れないが、参加するということは相手の想いを踏みにじる覚悟をしないといけないのかも知れない――戦いの舞台へと進みながら、そうジュンタは思った。


 武競祭第二回戦最終試合。ついに始まろうとしている試合の相手を見る。

 茶色の髪に瞳を持った、中性的な容姿と雰囲気を持つ女性騎士シーナ。


 纏うは簡素な鎧。携えるはやはり簡素な鞘に入った剣。先日のウィミニス・スニアより装備は乏しく見えるが、その瞳にある勝利への闘志は彼を凌いでいる。


 シストラバス邸で開かれたパーティーで、彼女は自分が武競祭に参加する理由を語った。

 自分が武競祭で優勝することによって、リオン・シストラバスの身を襲う悲劇を回避し、ひいては騎士としてこのグラスベルト王国という国そのものを守りたい、と。

 正直すごいと思う。そんな考え方、どう逆立ちしてもジュンタにはできない自信があった。


 誰だって普通はそうだろう。自分のことか、できても大切な誰かのことしか考えられない。なのにシーナは、騎士として国のことを気にかけてる。誰にでもできることじゃない。


 そう、誰にでもできることではない……それは裏を返せば、自分にしかできないことなのだ。


「ミスタ・アルカンシェル。あなたは危険だ。ここで負けていただく」


 だからシーナは負けられない。その想いは、強い力となってこの戦いに現れることだろう。


「それはこっちの台詞だ。お前は強い、だからここで負けてくれ」


 だからこそジュンタも負けられない。


 ぶつける想いで負けていたら、どうやって勝利すればいいと言うのか?


 レフリーの前、向かい合って互いの想いをぶつけ合う。試合開始の前から、すでに互いの意志は勝負を始めていた。


「二回戦最終試合。シーナ選手対アルカンシェル選手。試合開始ッ!」


 それに加え――レフリーの合図を持って剣同士の戦いも始まったのだった。







「ついに始まっちゃったわねぇ」


「はい」


 始まった試合を見て何気なく呟いた言葉に、不安そうな声で傍らのクーが相づちをうつ。

 

 トーユーズの元へとクーがやってきたのは先程のこと。出場選手でその容姿なので、試合を見るために観客席に出てきた途端にもみくちゃにされていたところを助けたのである。今日は周りにルイなどもいるので、ここならゆっくりと見物できた。もっとも、クーは忙しそうだが。


「クーちゃん。そんなに不安にならなくても、ジュンタ君なら大丈夫よ」


「それはよく分かってます。けど、けど、ご主人様がもし怪我をしたらと思うと……ああ!」


 不安そうな顔をして押し黙ったかと思うと、試合開始と共に激しくぶつかり合った両選手――正確にはジュンタを見て、クーは身を乗り出して叫ぶ。


 ジュンタが押していると喜色を上げ、押されているとオロオロとする……もしかすると、試合よりこちらを見ていた方がおもしろいかも知れない。

(なんて、あたしってば薄情な先生よねぇ)


 トーユーズは改めて今戦っている二人を見る。

 片方はかわいいかわいい教え子であり、漆黒の甲冑で姿と想いを隠して愛のために戦っている男の子。勝って欲しいのは断然ジュンタの方であり、応援もしている。


 だが、もう片方。実はこっちも知り合いだったりする。

 視力を強化して、シーナと名乗っている少女の格好をした騎士をトーユーズは見る。

簡素な鎧と鞘からは考えもつかない、その握った白磁の美しさを持つ剣。

以前王国騎士団で教官として過ごしていたときに一度見たことがある。古の国グラスベルト王国が誇る宝物殿にあった『魔法剣』だ。

一回戦でジュンタが戦ったウィミニス・スニアも、確か見覚えのある魔法剣を持っていた。考えるに王宮側の息がかかっていたのだろう。リオン・シストラバスと結婚させるために。


「シーナも魔法剣を持っているけど、どうやらウィミニス・スニアとは違う理由のようね。……
まったく、よくやるわねぇ。愛国心と言うよりかは、ジュンタ君と同じ感情からだろうけど。意にそぐわない格好をしてまでなんて……若いってそれだけで素敵ね」


 若いからこそ無茶をする。それでいいと、そうトーユーズは思う。


 応援はジュンタをもちろんしている。けど――


「がんばれ、男の子たち」

――人知れずがんばっている王子様にも、少しだけのエールを送った。







       ◇◆◇







 何度目かの衝突を経て、ジュンタは静かに悟った。


 一回戦目、ウィミニス・スニアに対して仕掛けた『速度の偽装』は、やはりシーナには通用しないことを。


 試合開始直後から、シーナは油断無く攻勢に出てきた。

 可もなく不可もなく、特徴という特徴もない剣術は、なるほど、トーユーズの言う通りグラスベルト流剣術を思わせる動きだった。けれども、やはりシーナの左手に盾はない。


 盾のないグラスベルト流もあり得るのかは、あまり詳しく知らないので分からない。ただトーユーズの言葉を信じよう。シーナが使っている剣術流派はグラスベルト流だ。


「やぁッ!」


 鋭い声と共に、シーナが横から剣を叩き付けてくる。


 大剣を盾にしてその斬撃を受ければ、その次の瞬間にはシーナの次弾が目の前に迫っている。攻撃と攻撃との連携が上手い。何度も型をなぞってきた動きだ。


「くっ!」


 しかしそれは試合前から分かっていること。遮二無二避けにいかないのは、『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』はシーナの斬撃の威力では破れないからだ。あえて剣で受ける必要もない。その分、剣は攻撃に集中させればいい。


 数回の攻撃で、自分の剣が『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』を破れないと理解したのか、大きく彼女は距離と取ろうとする。それは初めてシーナが見せた攻勢以外の行動。すかさずジュンタは、大きく剣を振りかぶって攻め寄った。


「はぁッ!」


 ドガン、とリングの床を砕く音。相変わらず小気味よく剣戟の音は響いてくれない。


 それも仕方がないか。今シーナが払うでも受けるでもなく避けたように、下手に大剣とぶつかり合えば武器は歪む。シーナの体格では衝撃も受け切れまい。
ウィミニス・スニアがしたように、シーナはこちらの攻撃を完全に避けるしか道はないのだ。


 上から叩き付けるように、大剣を振り下ろす。

 巨大質量が落下のエネルギーを経て、さらに威力を高めて襲い来る。そのスピードは、本来大剣を振るって出るスピードではあり得ない。


 それでもシーナには攻撃を避けられてしまう。


 当たり前の話だが、重たいものを振るうにはそれ相応の膂力が必要だ。鉄板のような大剣を持ち上げるだけでも相当な力が必要だし、これを振るうとなるとどれだけ鍛えればいいのか。さらにどれだけ鍛えても、人間の限界としてある一定以上の剣速は出せない。


 重たい剣の剣速は、一定の場合を除いて軽い剣よりも遅いのは必然。それはどうしようもない原則である。

 

 ――だが、ジュンタの持つ『反則』はその原則を覆す。


 シーナの攻撃は滑らかで――そうであるが故に、その時は来た。

「ここっ!」


 今まで両手で扱っていた大剣を、片手に持ち直して振るう。


「片手で、だって!?」


 すでに間合いを計り終え、回避を最小限で計算していたシーナの身体を、両手から片手に変えたことで増えた僅かな刃の先が奇襲気味に襲いかかり、その鎧を砕いた。

 ジュンタがトーユーズに学ぶ以前から持っていた不思議な力。『侵蝕の虹』とサネアツが命名したそれは、いわば反則の力――誰もが等しく負う、重みという枷を取り払う虹色の力だ。

 不可視の虹色の魔力が覆ったものは、それが何であれ重さが消失する。正確にいえば重さはそのままに、ジュンタにだけ重さを感じさせなくするが正解だ。

 別に力が一時的に強くなるわけではなく、いかなる原理か、本当に魔力が覆ったものの重みだけが遮断されるのである。たとえばこの重さにして相当ある全身甲冑も0キロとして感じ、動かすことが可能となっている。


 つまりジュンタはは服を着ているように『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』を利用していた。

重いから動きが鈍るとか、そう言う当たり前の枷が一切なくなるのである。


 それはまた大剣にも該当する。重く巨大な剣は、大の大人が両手でなんとか扱える重さ。けれど『侵蝕の虹』の力により、ジュンタは片手で木の棒を振るうように扱えた。


 そんな効力を持つ『侵蝕の虹』は反則であり、ジュンタしか持たない力である。よってシーナはこの力の詳細を知るはずもなく、大剣の特性とハンデを当たり前に考えて、動いてしまう。そこにつけ込んだ一撃が、そう易々と避けられるはずもない。


「しまっ」

 いきなりの間合いの変化に鎧を砕かれたシーナは、そのまま後ろへとバランスを崩している。それを勝機と見、ジュンタは渾身の力で斬りかかる。


 自分は重さを感じていないとはいえ、実際に質量が無くなっているわけではない。


 膂力が普通だから、普通の大剣使いの攻撃よりかは弱いが、大剣を遠心力によって威力を高めてぶつければ、相手は一撃で戦闘不能となる。


 果たして、バランスを崩したシーナにその攻撃を避ける術はなく、


(取った!)


 大剣はシーナの身体へと、吸い込まれるように叩き付けられた。


 ――その時響いた金属音に、ジュンタは嫌な予感を感じて急ぎ距離を取った。



「何だ? 金属音……?」


 叩き付けた剣とシーナがぶつかったにしては、それはあまりに硬質過ぎる音だった。


 剣と剣とがぶつかり合った澄んだ音でもない。あれは言うなれば剣が防がれた音――剣と防具とがぶつかりあった音だ。だが、それはあり得ないタイミングでの音だった。シーナの鎧は先程砕いた。完全に捉えたシーナの身体にぶつかったのなら、響くのは打撃音のはず。


「今、俺の攻撃は――


 ジュンタはゆっくりと体勢を立て直している、傷一つないシーナを睨む。


――一体何に防がれた?」


 剣を構え直すシーナの身体に、やはり鎧は付いていない。


 留め具が壊れたのだろう。見れば粉々になった欠片ごと全てが地面に落ちていた。

 やはり鎧とぶつかり合った音ではない。不可解すぎる金属音は、一体自分の剣と何とがぶつかり合って奏でられた異音なのか?

(確かめる必要があるな……)


 もはや隠すまでもない。ジュンタは大剣を片手で持ち直し、一気にシーナに斬りかかる。


 体勢を完璧に立て直した彼女は当たり前に避ける。だが両手での振りと片手での振り。剣速は同じなのに間合いが違うため、シーナは間合いを測り切れずにいる。


 前情報でクーに教えてもらった。シーナはあくまでも正道にあり、邪道にはすこぶる弱い、と。つまりは奇策珍策で勝利を狙いに行くジュンタにしてみれば、シーナは比較的相性がいいのである。

「体勢を整える暇は与えない!」

 突然の間合いの変化に対応できないシーナに、やがてジュンタの一太刀が届く。


 ガキン――その時響いた音も、また金属の音。


 前とは違うのは、ジュンタが自分の剣を受けた物の正体を、ちゃんと肉眼で捉えたことだった。

 重力をも威力に加えた、渾身の振り下ろしを完璧に受け止めたソレ。剣を避けられないと知ったシーナの前に忽然と現れ、剣を防いだソレ。ソレは紛れもなく……


「盾?」


 丸い形状をした、堅固なる盾であった。







「なんですか、今のは……?」


 ジュンタの攻撃が決まったと思った瞬間、二度に渡って凶刃を退けた現象に、クーはシーナを見て疑念を胸に抱く。


 シーナという選手は、決して強い選手という訳ではない。


 本戦の選手の多くがそうである研ぎ澄まされた才覚も、強者としての風格も彼女にはない。現に予選での彼女の戦いも、楽勝で終わるものはほとんどなかった。紙一重。まさに紙一重で、しかしシーナは勝利を拾ってきたのだ――予選からシーナの戦い方を見ていたクーは、そう思っていた。

 シーナの得物は剣であり、その使う剣術も特徴のない普遍的なもの。

 

 どこの国にも一つや二つ代表的な剣術流派があるもので、シーナのそれはそれに該当する。どの流派に対しても可もなく不可もなくと言ったそれは基礎の剣術だ。


 基礎が恐ろしく上手いシーナには、しかし致命的な欠点が一つある。


 それこそがジュンタにも伝えた、シーナの実戦経験のなさであった。

シーナは確かに一つの剣術を修めている。が、それはあくまでも鍛錬のみで磨かれた腕だ。実戦の臭いがそこからはまったく感じられない。たぶん、彼女は魔獣退治や夜盗退治などの実戦というものを一切したことがないと思われる。

その分独自の癖もなく、他流の影響もなく、相手に関係なく等しく力を発揮できるという利点もある。だけど実戦経験がゼロというのは致命的だ。

実戦では全てが綺麗ではいられない。訓練通りでは終われない。戦場は常に変動し、変化し、変質するものだ。臨機応変に対応できなければ無情な死だけが待っている。

シーナは綺麗な剣術を綺麗に習ってきたのだろう。シーナの性格だ。きっと真面目に鍛錬したに違いない。そうして身に付いた剣術はジュンタのそれを明らかに上回っているのだが、だからこそ、彼女は正道の域に収まらない突然の事態に滅法弱かった。

剣術が素直である故にシーナは初見の策にことごとく翻弄され、実戦がない故にその策の効果に対応するまで時間がかかる。

策を講じ、相手を嵌めて倒す邪道のジュンタは、シーナにとって相性は最悪と言えよう。

なのに――未だシーナは策の前に倒れない。

間合いの偽装によってできた隙を彼女はつかれ、バランスを崩した。

その隙をついたジュンタの攻撃を彼女は避けきれず、そのまま敗北を喫するはずだった。


 だが、シーナはその決着を覆した――その
一度目は角度的に分からなかったが、二度目の異常はクーも気付くことができた。


「盾……今確かにシーナさんの前に盾ができて、ご主人様の攻撃を自動で防御しました」


「そうね。その通りよ」


 隣に座って静かに見物していたトーユーズが、何か含みのある声色で答える。


 トーユーズは何か知っている? そうクーが思ったのは戦士としての勘だった。

「トーユーズさん。何か、今のシーナさんの使った力についてご存じなんですか?」


「まぁ、ね。今更隠すことでもないし教えてあげる。あれはね、クーちゃん。シーナって騎士が持っている『魔法剣』の力よ」


「魔法剣……ですか?」


 予想通りトーユーズは知っていたようで、そう教えてくれた。


『魔法剣』――それは魔法のように、本来人間ではあり得ない力を秘めた剣のことである。

『魔法武装』という魔法の力を持つ武具の中で、剣の形状をしている物を特にこう呼ぶ。

 予定とは違ったタイミングでジュンタの手に渡った『英雄種(ヤドリギ)』の剣も、魔法剣と呼べなくもない……あれは個人によって武器の形状も違うし、どうなるか分からないから一概にそうとは言えないが。


「シーナさんの持っている剣が魔法剣だとしたら、それは一体どんな力があるんでしょうか?」


「今見た通りよ。銘を『
盾と共にある剣(ハルバトーレ)』って魔法剣でね。力は盾を生み出す力。言ってしまえば、いつでもどこでも好きなときに盾を作れるっていう派手さに欠ける剣ね」


「それじゃあ、ご主人様の攻撃を防げたのは」


「避けられないって分かったから、攻撃を受ける前に『
盾と共にある剣(ハルバトーレ)』の力で盾を作って受け止めたんでしょうね。あれは相手の攻撃を受ける盾を作れるから、どんな攻撃だって一応は受けられる。もちろん、使用者の魔力量とイメージに大きく左右されるけど」


盾と共にある剣(ハルバトーレ)――決して攻撃に大きな威力を発するわけではないが、白兵戦での防御性能としてはなかなかのものだ。


「とんだ隠し玉です。シーナさんも自分の弱点には気付かれていて、防御性能を底上げする力を持っていらしたんですね。
ご主人様……」


 途端不安になって、クーは黒甲冑の騎士を見つめる。

 その横で、トーユーズがクーを安心させるように言葉をかけた。


「大丈夫よ、心配しなくても。確かに『
盾と共にある剣(ハルバトーレ)』の防御性能は、今のジュンタ君の攻撃では破れない。でも、また逆も然り。シーナ君ではジュンタ君の甲冑を破れない。

それなら、自分の魔力を注がないと発動しないシーナ君の方が不利よ。まったく、『竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』って何気にとっても反則よね」

「ドラゴンの防御力と同等だという話ですから。でも、それなら良かったです」


 自分よりも圧倒的に高みにいるトーユーズの言に、ほっと胸を撫で下ろす。


 クーは先程よりも少し気楽な状態で、膠着した戦いが続くリングを見つめた。







「くっ、堅い!」


 比較的動きの鈍いアルカンシェルに対し、斬撃を加える。だがその攻撃は、彼の身につけた漆黒の甲冑の前に容易く弾かれてしまう。


 堅い。あまりに堅すぎる。なんという反則的な甲冑なのだろう、アルカンシェルのつけた甲冑は。手の痺れを感じながら、シーナは相手の反撃から避けるために大きく下がった。


「はぁはぁはぁ……くっ、ダメだ。僕ではどう足掻いても彼の甲冑は破れない」


 アルカンシェル――異容な黒騎士の実力は、思っていたほどのものではなかった。


 剣の腕だけなら、たぶん自分の方が勝っている。単純な剣の競い合いなら開始数分で決していたことだろう。しかし防御力は、認めたくはないが圧倒的に彼の方が上だった。

試合開始から、延々と彼の防御を抜いて甲冑へと攻撃を加えているのだが、一向に漆黒の甲冑には傷がつけられない。


 これは致命的だ。相手の防御を貫けないということは、即ち試合に勝てないことと同義だ。装甲を薄い部分を狙っても、そこだけは完璧にアルカンシェルはガードを入れてくる。彼は自分の甲冑の頑丈さを知って、脆い部分だけを守る戦い方を心得ている。


(決して僕も防御能力で劣っているわけではないが……)


 シーナは力強く握っている、愛剣『
盾と共にある剣(ハルバトーレ)』を見る。


 今回の戦いに出場するとき、こっそりと城の宝物殿から借りてきた、いつか正式にもらい受けようと思っていた魔法剣。グラスベルト流に必要不可欠な盾を生み出す能力は、盾などを常時持ち歩けない身分にある自分にふさわしいと思っている。

実際その名に恥じない力を、この戦いでも『盾と共にある剣(ハルバトーレ)』は示している。

威力のあるアルカンシェルの一撃を、盾を生み出して完璧に防いでいる。

どれほどの威力であれ、魔法の盾は完璧に防ぎきる。これで自分も盾のある内は、アルカンシェルの攻撃を受けないことが決定した。


 だからこそ、アルカンシェルの装甲を破れないのは致命的だった。


「カラクリが読めてきた。盾が攻撃の瞬間に形成されて防いでるのか」


 間合いを外し、両手から片手に剣を持ち替えたアルカンシェルとの間合いを改めて測っていると、彼が徐に口を開いた。


 アルカンシェルが発した言葉は、『
盾と共にある剣(ハルバトーレ)』の能力を見破ったもの。


 これほど分かりやすい能力はないのだから、すぐに見破られても当然か。シーナは黙っておくことなく、アルカンシェルの言葉に同意を示す。


「その通り。銘を『
盾と共にある剣(ハルバトーレ)』と言う。グラスベルト流の基礎を作り上げた、偉大なる先達の名から取られた魔法剣だ」


 素直に答えるとは思っていなかったのか、アルカンシェルは少し驚いた気配を見せる。それはすぐになりを潜め、後には清爽なる微笑だけが残った。


「なるほど、いい名前だな。それには正直お手上げだ。俺の攻撃じゃ、その盾は破れない」


「皮肉なものだな。それはまた僕も同じ。あなたの甲冑を僕は破れそうにない」


 戦闘中とは思えないほどに、気楽に返答を寄越してくれるアルカンシェルに、シーナは自分が誤解をしていたことに気が付いた。


 アルカンシェル――開会式で一目見た瞬間に、危険な相手と認識していた。


 その魔力と姿を隠匿する姿に陰謀の臭いを感じたのだ。

しかしこうして剣を交え、話をして分かった。彼は決して危険な相手ではないことに。


 その戦い方は正面からの激突を避け、奇をてらうやり方だ。そのあまりに強すぎる甲冑を使っているのも合わせ、その戦術は非難されうる邪道ではあるが……だからこそより明確に勝利への求めが知れるというもの。シーナは決してその戦術を貶したりはしない。


 なぜならば――その戦術を貶すのは、その戦術を前に破れようとしている自分を貶すのと同義だからだ。


 シーナは大剣を構え直したアルカンシェルを見て、姿勢を正す。


「まずは謝罪を。ミスタ・アルカンシェル、試合の前にあなたに吐いた暴言を取り消したい。
 あなたは決して危険な相手ではない。戦うに値する、一人の騎士だった。あなたの勝利への求めに一寸のかげりもない」


 乱れそうになる息を押し隠して、なおも呆気にとられる彼に告げる――


「故に、名乗り合いたい。ここで戦うあなたに、僕の真の名を知ってもらいたい。あなたの真の名を知りたい」

 ――この後すぐ、自分を倒して勝ち上がっていくだろう黒騎士に対して。







 一体何をシーナは考えているのか?


 いきなり名乗りをしたいと申し出たシーナを見て、ジュンタは困惑に眉を顰める。


 試合中でやけに冷静に回る思考は、彼女の思惑を探ろうと回転を早める。その真摯な表情、言葉、仕草から見れば、その言葉通りの意味と思えるが、今は試合の最中だ。自分がそうであるように、またシーナも何か裏を考えている可能性は捨てきれない。


 そんな風に疑ってしまう自分が少し嫌になるが、勝つためには仕方がないものと受け入れる。そのついでにシーナの言葉が偽りなき真実の言葉であると受け入れられたのは、彼女の心の内を探ろうとしっかりと観察したからだった。


「あなたにとって自分の真実の名を名乗るということがどういうことか、理解しているつもりだ。だが、それでも僕はあなたに尋ねたい」


 決して観客にもレフリーにも聞こえない音量で、自分の思惑を突き進めていくシーナの呼吸は、必死で隠しているようだが上がっていた。


 シーナはまず間違いなく疲労している。


 恐らくは『
盾と共にある剣(ハルバトーレ)』と言う名の魔法剣を使うのには、多大な負担がかかるのだろう。そうしなければ先程の時点で終わっていたとはいえ、諸刃の剣だったわけだ。


(まさか、勝負を諦めたのか……?)


 シーナも馬鹿ではない。これまでの何十もの攻撃を加えた結果、自分では『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』を破れないことを確信してしまったに違いない。相手に傷をつけられないのはジュンタもまた同じだったが、シーナとは違って『竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』は甲冑だ。消耗はない。


盾と共にある剣(ハルバトーレ)』が消耗の激しい防御能力なら、おのずの試合の結果は予想できる。
 互いに相手の防御の前に攻撃が通らないのなら、敗北するのは先にその防御を維持できなくなった方だ。


「騎士の礼に則って、まずは僕から名乗らせていただく」

 今こうして騎士として改めて名乗りを上げようとしているのは、シーナの騎士としての潔さが故になのだ。


 愛剣『
盾と共にある剣(ハルバトーレ)』を正眼に構え、まっすぐに立ったシーナは、真摯な眼差しで見つめてくる。そのまま彼女――否、彼は静かに己が真名を告げた。



「我が名はクリスナ・イズベルト。騎士アルカンシェル。汝が真名は如何に!」



 クリスナ・イズベルト――そう名乗ったシーナにとって、『シーナ』という名は偽名だった。


 一人の国を思う騎士として参加したシーナ――否、クリスナだから、最後に己が名を名乗りたいという気持ちは分からないでもない。だが、ここで名乗り返すのは決して建設的ではない。


(まだ俺は徹しきれない、か)

 それは分かっている。けれど名乗りたいと、そうジュンタは思ってしまった。


 大剣を構えたまま、疑う事なき眼差しを向けてくるクリスナに敬意を送り、ひた隠しにしてきた名を、ジュンタは名乗る。


「俺の名前は、ジュンタ・サクラだ」

 

 名乗った瞬間、見せたクリスナの笑みは酷く爽やかなものだった。


「礼を言おう、騎士ジュンタ。あなたとの戦いで、僕は自分の弱さを知ることができた」


 強く一歩を踏み出して、クリスナは剣をまっすぐに突き出しの構えを取る。


 その周囲に浮かぶ、鋭利な盾、盾、盾――十を超える六角形の形をした盾がシーナの身体を囲むように現れて、最も尖った部分を向けてきた。

疲労が激しい人間が選ぶのは早期の決着。完全に勝負を諦めたわけではないクリスナは、最大の一撃をもって雌雄を決しようとしている。

それにジュンタも応える。構えは迎撃。両手で大剣を握り、その刀身に魔力を流す。

魔力付加(エンチャント)――そう呼ばれる戦闘技法を、まだジュンタは会得していない。


 しかしそれは戦闘に使えないレベルでの会得をしていないと言うだけで、十数日のトーユーズとの訓練により、動きのない状態でなら短時間の[
魔力付加(エンチャント)]の使用は可能となっていた。現に以前オーガと戦った際に最後に使ったのも、不完全な[魔力付加(エンチャント)]と呼べた。

 一撃にして決するなら、こちらも最大威力の攻撃でなければならない。それが礼儀だ。


 刀身に纏っていた不可視の『虹』が、雷という色をもって可視の『虹』へと変質する。
 辺りにスパークを撒き散らし、その鈍い刀身を虹色の雷が覆い尽くしていく。触れればその瞬間に焼き断たれると思える、それは稲妻の切っ先。

「行くぞ!」


 かけ声と共にクリスナが駆け抜けてくる。それに合わせ周りの盾も奔る。


「来い!」

 ジュンタは集中をもって剣を上段に構え、向かい来る騎士に向かって振り下ろす。







       ◇◆◇







 星の明るい『鬼の宿り火邸』から宿屋までの夜道を、ジュンタは一人歩いていた。


 今日も今日とてトーユーズとの夜間鍛錬を終え、クタクタになっての帰宅である。


 いつもいつも待っていてくれようとするクーは強引に帰らせたので、一人での帰宅だ。できればみんなと一緒に帰りたいが、弱い選手にゆっくりする暇などないのである。


 そう、また明日も試合がある。今日よりもさらに激しい試合が。


 今日のシーナ――いや、クリスナ・イズベルトとの戦いは、いうなれば運が良かった戦いだった。


 そもそもの相性が良かった。互いに防御に特化した戦闘スタイル。ジュンタは攻撃の技術にはものすごく自信がなかったが、防御力だけは自信があった。だからその一点でクリスナを上回ることができて、持久戦の末に勝利を飾ることができたのだ。


「クリスナ・イズベルト、ね」


 いつかパーティーの夜、国を守る騎士でありたいと語った彼女ではない彼の名を、ジュンタは知っていた。いや、このグラスベルト王国にいる人間でクリスナ・イズベルトの名を知らない人間などいないだろう。


「グラスベルト王国の王子様。お忍びで武競祭に参加してたってわけか」


 なぜならば、クリスナ・イズベルトは紛れもなくこの国の王子の名なのだから。


 そんな王子が武競祭に平民として紛れ込んでいたのだ。自らの父が治め、やがては自分が治める国の未来のために。とてもとてもそれはすごく、そして大変なことである。王子が身分を隠すのにどれだけの労力と手回しが必要なのか、想像もつかなかった。


 そんな彼がこんな時分に何の用があるのか、だからジュンタには分からなかった。


「やぁ、こんばんは」


 目の前に立っていたのは、金髪の美しい中性的な容姿を持った男だった。


 彼は自分を待っているように現れ、にこやかに話しかけてきた。こちらの思惑など無視しての登場は、さすがは偉くなるほど変人が多い異世界の王族という感じだ。


「こんばんは、クリスナ・イズベルト王子」


「クリスナでいいよ。ミスタ・サクラ」


 ジュンタと呼んだ彼こそは、今日自分が勝利したシーナという選手に他ならない。


 クリスナはシーナという名前で女装をしていたのだ。優勝したときに女性ならリオンと結婚しなくてもいいから、という理由でだと思うが。


 そんなクリスナは確かに自分のことをジュンタと呼んだ……少しびっくりだ。


 今のジュンタの格好はアルカンシェルの黒甲冑姿ではない。黒髪黒目黒縁眼鏡の素顔を晒しているスタイルなのである。なのにクリスナは一目で今日自分が負けた相手であると気が付いた。


「今更誤魔化すのはあれか。どうも改めまして、ジュンタ・サクラです。王子様」


「ああ、やはりそうだったか。半信半疑だったが、正解で何よりだよ」


「半信半疑だったのか……でも、俺がそうだってよく分かったな?」


「まぁね。君には不思議と共感を感じていたから。ジュンタ・『サクラ』と聞いてピンと来たよ。ミス・クーヴェルシェンのこともあるからね」


 なるほど。どうやらクリスナは、自分がサクラとして女装していたことにも気付いているようだ。なら、何よりも先に言っておかなければならないことがある。


「言っておくが、女装は無理矢理で趣味じゃないから。そこだけは勘違いしないでくれ」


「分かっている。僕も仕方がないとはいえ、無理矢理女装をされる気持ちは分かるつもりだ。あれは男としての大事なものが、女装するたびに減っていくような気がしたよ……」


「うん。すごいよく分かる、その気持ち」

 同じ女装という苦難に耐えたものとして、肩を落として頷き合う。


「……この話題は止めておこう。自分の傷を抉ることになる」


「ああ、僕もそう思う。それでは時間もない。本題に入ろうか」


 ぴしりと背筋を伸ばしたクリスナが微笑を浮かべながら本題に移った。


「本題と言っても、ただ純粋に僕を倒した相手の姿を見たかっただけ、というものなのだけど。あとは僕の想いを継いでくれそうかどうか――これは尋ねるまでもなかった。ジュンタ、君はきっと優勝しても、リオン・シストラバスを苦しめたりはしない男だ」


 その言葉から、ジュンタはクリスナの想いを察した。

 国のために武競祭に身分を偽ってまで参加したクリスナ――だけど何も武競祭に参加した理由はそれだけではなかったと言うことだ。彼は王族。けれど同時に、また一人の男でもあったということ。

「君が負けていいのはリオン・シストラバスだけだ。それだけを、僕は君に伝えたい」


 ゆっくりと右手を差し伸べてくる彼は、その時だけ王族ではなかった。ただ一人の男として、自分を負かした相手に向ける挑戦的な笑顔と握手の催促だった。


 その手を、ジュンタは握り返す。


「それは少し違うな。俺は誰にも負けない。リオンにだって負けてやらない」


「なるほど、それも間違いではない……少し複雑な気分だが」


 クリスナは笑みを深めて手を離すと、颯爽と付けていたマントを翻して背中を向けた。彼の向かう先には、一台のこぢんまりとした、しかし豪奢な馬車が停められていた。


「さらばだ。僕は今宵から、また王子へと戻る。最終日の明日は観客席で君の勝負を見守ろう」


「そこを俺の勝利に変えてくれると嬉しいんだけどな」


「ははっ、君はおもしろいな。そんな君は、それでいてなかなかにおっちょこちょいなのかも知れない。僕が、君がジュンタ・サクラだと分かった理由を教えよう。アルカンシェルという選手に近寄れば誰でも分かる。その甘い甘い匂いにはね」


「うげっ!」

「正体を隠し通したいのなら、少しは工夫が必要かも知れない。その甘い匂いがなんであるかは、僕の耳にも届いているよ」


 最後にクリスナは少し意地悪く笑って、そして馬車へと乗り込んで王城へと続く道に消えていった。


 第一印象の通り、本当に王子だったクリスナが消えたあと、ジュンタは困ったように首の後ろを撫でる。


「…………まずいな。それって下手をしたら、リオンとかにも疑われてる可能性があるってことじゃないか。まぁ、リオンには元から疑われてるだろうけど……トーユーズ先生の馬鹿」



――ちょっとふざけないで!」



「はい、ごめんなさい!」

 尊敬すべき師に恨み言をぶつけた瞬間に響いた声に、ジュンタはびくりと肩を震わす。


 あまりにタイミングが良すぎて、偶々通りかかったトーユーズに聞かれたと思ったが、どうやら違ったらしい。


「びっくりさせないでくれ。一体なんなんだ?」

 

 大きな女の子の声は、どうやら近くの路地裏から響いてきたものらしい。


「……放ってもおけないよなぁ」


 ジュンタは困った顔をさらに困った顔に変えると、溜息を一つ吐いて路地裏へと足を進めていった。

 祭りの、その夜の中へと。









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