第十二話  祭りの夜(前編)





 祭りの夜には、総じてあちこちでもめ事の類が起こるものである。


 飲めや騒げやの盛大なムードの中、羽目を外しすぎる輩はどこにでも現れる。

それが荒くれ者だった場合、喧嘩だけならまだしも犯罪へと発展する場合もある。


 多くは警邏している騎士や衛兵によって制止させられたり、捕まえられたりするが、この祭りは武競祭。中には破れはしたものの、大会に参加した腕が立つ輩もいる。


 そんな連中四名に囲まれている少女は、いわば絶体絶命といえた。


「ちょ、ちょっとふざけないでよ!」


 往来から横へとずれた路地裏で、恐怖を強気な心で押し殺した少女が声を張り上げる。


 彼女の目の前には、見るからに凶悪そうな面の小者四名。しかしいたいけな少女にとっては、小者とは言え大の男四人というのは致命的な数の差だ。


 恐らくは追いかけられ、人気のない路地裏へと追いつめられてしまったのだろう。

 背中を行き止まりの壁につけて、ジュンタと同い年ぐらいの少女は、精一杯の虚勢で男たちを睨みつけていた。


 少女を下卑た笑みでいたぶるようにジリジリと間合いを詰めている男たちは、本当にどうしようもない。


(さて、どうしようか?)

 行き止まりに少女を追いつめる男たちの背後で、ことの成り行きを冷静に観察したジュンタは考える。

 目の前の獲物に集中している男たちは、こちらの存在に気付いていない。
 男たちが壁になって少女もまた同様だ。今なら好きな行動を取る自由がある。


 当たり前だが、少女を見捨てるという選択肢はない。ここでこうして遭遇したのだから、そりゃ助けないといけないだろう。悩んでいるのはその方法だった。


 現状――剣無し。今となっては『鬼の宿り火亭』に剣を置いてきたのが悔やまれる。

 リオンがかつて言った『騎士たる者常に帯刀せよ』というのは、こういう時のためにある教訓に違いない。


 いくらトーユーズに鍛えられたとしても、さすがに武競祭に参加できるレベルの相手四人はきつい。剣があれば何とか、甲冑があれば楽勝なのだが。


「こ、来ないでよ! いやぁ!」


 そんな風にのんびり悩んでいられたのも、少女の虚勢が完全に崩れるまでだった。


 少女の悲鳴に、思考する前に感情でジュンタは動いていた。


「南無三!」


 まず一番強そうな相手に対し攻勢に出る。相手はこちらに気付いていないので、最初の一人だけは問題なく倒せる。ジュンタは思い切り後ろから、その男の股間を蹴り上げた。


「うごべげっ!」

「あ、兄貴!」


 股間を押さえて倒れようとする巨漢に対し、さらに顔面にジュンタは拳を叩き付ける。


 我ながら惨いが、巨漢の男は男の急所と顔面とのショックで、そのままグラリと地面に倒れ込んだ。


「兄貴! テ、テメェ!」


「いきなり背後からとは卑怯じゃねぇかよ!」


 兄貴と呼ばれる男の沈没により、逆上したのは他三名――小者の中の小者たち。


「うわぁ〜、本気で小者の言葉だよ」


 それぞれが腰に吊してあったナイフを抜いた彼らを見、ジュンタはタラリと冷や汗を垂らす。

 巨漢をリーダーと思ったのは間違いじゃなかったが、リーダーが倒れたからビビッて立ち去るということはなかった。こういう輩の感情を深くは理解できていなかったか。

 なかなかのチームワークで、三人の男たちはナイフを手に囲んでくる。


 ジュンタはそれを冷静な眼で見つめるが…………内心大ピンチにどうしようとか思っていたりする。


(ナイフを持つ相手が三人。相手の力量にもよるけど、コンビネーション良く攻撃されたら勝てない。こんな狭い場所じゃ逃げられもしないし……)


 脅威の度合いでいえばトーユーズとの鍛錬の方が圧倒的に上だが、鍛錬と違って気絶したらそこで終わりというわけにはいかない。少女もいるのだ。やれるところまでがむしゃらになんて言っていられない。望むべくは必勝のみである。


 思考は一瞬。迷いも一瞬。ジュンタは最善を考え、即行動に移った。


――お前ら、そんな玩具を出すってことは、自分の命賭けてるんだろうな?」


 低く、威圧するような声を囲む男たちに向ける。


「な、なんだテメェ?」

「俺を誰か知って喧嘩売ってるのかって訊いてるんだ。さっきまでなら許してやれるが、ナイフを出したんなら是非もない。命を奪うつもりがあるなら、もちろん逆に奪われる覚悟もあるって判断してもいいよなぁ?」

 男たちの反応はとても分かり安かった。


 脅すような言葉を投げかけると、互いに視線で確認しあい、自分では気付かずとも狼狽えた様子で一歩後退っている。


「な、い、いきなり何を言ってやがる!」


「だ、騙されるな! 三人で一斉にやれば問題ない!」


「問題ない? それは一体どこにどんな確信があっての言葉だ?」


 他二名に対して率先して声をかけた男に、ジュンタはまず狙いを定める。


 恐らくはこの男は、兄貴というリーダーを抜かしては、この中で他者を引っ張っていける性格の持ち主だ。率先して行動する、と言い換えてもいい。

「お前は何様だ? 神様か? それとも不敗の軍師か? 違うだろ。ただ少し腕に覚えがあるだけの人間だ。その相手がどうして、俺に三人がかりなら勝てるって分かる?」


「く、口から出任せをいいやがって!」

「だから、それをどうしてお前は分かるって聞いているんだよ。口から出任せじゃなかったとき、お前は自分たちがどうなるか分かってるんだろうな? 他の二人にそう言うなら、他の二人に対してちゃんと責任取れるんだろうな?」


「そ、それは……」

 口で追いつめる、とはこういうことを言う。


 戦闘に置いて、場の状況を自分で動かすことはかなり重要な要素と言える。自分のペースに持ち込めば、自分有利に戦闘を動かせるからだ。


 それに一番重要なのは言葉であり、疑惑である。


 それが初めて相対する相手なら、まず人はその容姿や雰囲気から相手の力の度合いを測る。厳つい男を強そうと思い、女子供は弱いと思う。それは人の共通認識だ。


 無論リオンなど、これに該当しない人間もいる。だがそれは珍しいのだ。だから人は見た目でまず判断し、次に自分との力の差を比べる。それを言えば、弱々しそうな眼鏡小僧である自分は、弱そうな人間に分類されることだろう。


 けどそこに『言葉』という外部情報が加われば、一概には第一印象を信じられなくなる。
 第一印象はあくまでも一番最初の印象でしかなく、確定情報ではないからだ。より確かな情報を求め、その情報如何で印象を変化させるのは当たり前のこと。


 ならばこれを逆手に取れば、相手に好きなように自分を印象づけることも可能ということだ。少しの演技力と相手を言い含められる口があれば、他には何もいらない。これは他でもないサネアツが得意としていることだ。……くそぅ、サネアツに一瞬感謝してしまった自分が悲しい。


 ドン、と思い切り音を立てて、ジュンタは獲物に定めた男ににじり寄る。


「分かるだろう? お前は決して馬鹿じゃない。喧嘩を売っていい相手と売るべきじゃない相手ぐらい分かるはずだ。違うか?」


 強く諭すように睨みつけると、ゴクリと男が息を呑むのが分かった。


 今、男の中では弱そうという第一印象がぐらつき、目の前の男は強いかも知れないという疑惑が渦巻いていることだろう。そうなるように流れを作った。


 いつもならリーダーという自分の力に自信がある輩がいるため、こんな言葉には騙されない。けれど今やリーダーはおらず、自分に決定権が委ねられていると、尋ねられているが故に錯覚する。


 自分が決めなければいけない――人を率いるというのは、並の肝では務まらない。


 リーダーにくっつくことしかできず、自分がリーダーになれなかった男が取るべき道は、自ずと一つに限られる。そこに笑顔で導いてやればいい。

「ああ、安心するといい。別に俺は怒っちゃいない。正義を語るわけでもない。ただ、そこの少女が偶々俺の知り合いだっただけだ。お互いに不幸な出会いだった。なら、これは出会いだけにしておくべきだと、そう賢いお前も思うだろ?」


「………………あ、ああ……そうだな……その通りだ」


「い、いいんですか! 兄貴がやられたんですよ!?」


「うるせぇ!」


 横手から上がった非難の声に声を荒げたのは、すでに自分の口で決定した男。


「なら、お前は自分なら勝てるってのかよ! 空気読めよ!」


「そ、それは……」


 男に強い口調で言われて、押し黙る非難の声をあげた男。

 

 恐怖は伝染する。勘違いは伝染する。特に知り合いからの本気の言葉には、信じてしまう何かを感じるものだ。


 果たして一度は非難の声をあげた男も、やがては沈黙してナイフをしまった。

 それを見て最初の男もナイフをしまい、そうなれば二人の男の視線が行き着く先は最後の一人だ。


 その男をジュンタも見て、にやっと口角を上げて告げた。


「お前一人だけでも俺と戦ってみるか? ひょっとしたら勝てるかも知れないぞ?」


「ま、まさかっ! 冗談じゃねぇ、やってられるか!」


 肩をビクンと震わせた男は注視に耐えきれずに、いうが速いか路地裏を駆け去っていってしまった。その男に続くように、残った二人もリーダーを抱えて路地裏から消える。


 重い足取りが遠くへと消え、やがては聞こえなくなる。


 そこでようやく、ふぅ、とジュンタは張りつめていた緊張を吐息として吐き出した。


「あ〜、肝が冷えた。酔っぱらいは始末に悪いけど、冷静な思考ができないだけ騙しやすくていいな」


 自信を失わずに脅しを成功させられたのは、常にトーユーズによって限界ギリギリまで追いつめられているからか。後は観鞘市にいた頃、サネアツのとばっちりで不良に絡まれるのが日常茶飯事であり、厳つい顔に慣れていたのもあるかも知れない。


「いや、慣れって怖い。でも、何はともあれ助かった。さてと――


 ジュンタは小悪党たちに追い詰められていた少女の方へと近寄る。

 彼女は助かったと分かって安心したのか、壁に背を預けて地面にペタンと座り込んでいた。

ちょうど暗がりに入っていてその表情は分からないが、きっとまだ怯えていることだろう――ジュンタは努めて優しい笑みを作り、少女に手を差し出す。


「もう大丈夫だ。あいつらはどっかに逃げて行ったから」


「う、うん……」

 怖かっただろう少女は、意外にもすぐ差し出した手に掴まってくれた。


 良かったと思い、彼女を起こそうと力を入れて引っ張った瞬間、少女はそこでお礼の言葉を述べた。


「ありがと、ジュンタ君」


「え?」


 お礼の言葉に続いた紛れもない自分の名前にジュンタは困惑する。どうして名前を知っているんだ、と。


 その疑問は、起きあがって暗がりから出た少女の顔を見て解消された。

 ふんわりとした蜂蜜色の髪をポニーテールにした、鳶色の瞳をした少女だ。
 
元気そうな人懐っこい笑顔は眩しくて、一瞬前まで自分が危険だったとは思えない明るさで満ちている。


 決して飛び抜けてかわいいというわけではないが、なかなかに整った童顔は人を自然に笑顔にする魅力を持っている――そんな少女を、ジュンタは以前にも見たことがあった。


 あれは以前シストラバス邸で奉仕活動をしていた頃の話だ。

 そのとき先輩として色々と教えてくれた少女が、ちょうど目の前と同じ笑顔を持っていた。


「…………」


 ジュンタは無言で助け起こした少女の顔を凝視し、想像の中でそのポニーテールの髪を降ろし、街娘のようなワンピースをメイド服に変えてみた。すると目の前にいる少女が、過ぎた日に笑っていた少女の姿と完璧に重なった。


「おまっ、エリカか!?」


「うん、そうだよ。あれ? もしかして気付いてなかったのかな?」


 少女――エリカ・ドルワートルは、酷いなぁ、と朗らかに笑った。






       ◇◆◇







「わぁ〜。王都はいつも賑やかだけど、やっぱりお祭りだからもっと賑やかだね」


 エリカ・ドルワートル――
現在、目の前を楽しそうに歩いている少女は、リオンの家でメイドをしている少女である。

 変人の巣窟といっても過言ではないシストラバス邸において、ジュンタが最初にまともだと思った少女である。それは悲しくもすぐに裏切られ、エリカが妄想少女であることを知るのだが、それ以外は比較的まともな少女といっていいだろう。


(リオンと比較すれば、誰でもまともだけど……)


 そんな本人が聞けば怒り狂うようなことを考えつつ、はしゃぐエリカの後ろをついていく。


(一体どんな偶然なんだ、偶々暴漢から助けた相手が知り合いのエリカだったなんて)


 さらにその後、助けてもらったお礼とかいわれてこうして連れ回されている。
十二時を超えた時間帯に、童顔の割に豊かな体つきを持つエリカを放っておくこともできなくて……結局は断れなかっただけなのに、断らなかった理由を作っている自分がちょっと悲しい。

情けない自分にジュンタが肩を落としてちょっと落ち込んでいると、エリカが振り向いてジト目を向けてくる。


「ちょっとジュンタ君! もう、そんな沈んだ顔して。お祭りなんだから、もっとはしゃいでるくらいで丁度いいんだよ? それともお祭り騒ぎは嫌い?」


「いや、別にこの雰囲気が楽しくないわけじゃないけど」


「ほんと? ……いいんだよ、別に。ジュンタ君に用事があるなら、私のことは放っておいても」


「こんなところで放っておいたら、またさっきみたいなことになるかも知れないだろ? もし本当にそうなったら寝覚めが悪いだけじゃない。責任問題だ」


 どこか無理のある笑顔を浮かべたエリカを見て、仕方がないと女々しい自分を叱咤する。


 エリカに告げた言葉は決して嘘ではないのだ。こんな騒がしくてうるさくて、誰も彼もが往来で笑っているような空気は決して嫌いではない。むしろ好きだ。いるだけで気持ちも華やかになり、心が躍ってくる。


 だから決してエリカに連れ回されているのは嫌なことではない。まぁ、少し強引でいきなりだったから、戸惑っていたのはあるが。そもそも久しぶりの再会であるし。


「ほら、助けてくれたお礼をしてくれるんだろ? どこに連れて行く気なんだ。あんまり長い間は付き合えないけど、奢りならある程度付き合うぞ?」


 ジュンタが周りの様子に釣られて浮かんだ笑みのまま告げれば、エリカは嬉しそうに笑う。


「もう、さっき悪党を追っ払ったのもそうだけど、ジュンタ君って案外口が上手いんだね。それじゃあ、お言葉に甘えてたっぷりサービスしてあげますか。行こっ」


「おわっ!」


 いきなりエリカに手を繋がれて走り出されたものだから、ジュンタは思わず転びそうになる。
 でもそれを堪えてから自分の足で走るようになれば、なんだか楽しいことのように思えてくる。


 祭りの夜の往来をエリカと一緒に駆け抜けていく。


 意味もない全力疾走を上等の娯楽と変えるのは、祭りの夜だけの魔法だろう。


「はぁ、はぁ、はぁ……つ、疲れちゃった……」


「も、ものすごく意味のない全力疾走だったな……」


 そんな楽しい一時を終わらせて、エリカが立ち止まったのは一件の酒場だった。


 読めない異世界文字で店名の書かれたそこは、外だというのに中の喧噪が届いてくる、往来でもかなりの規模に見える酒場である。


「ここで何かごちそうしてくれるのか? それならありがたい。ちょうどお腹が空いてたところなんだ」


「うん。それもあるけど、他にもここに用事があったりして。ま、とにかく中に入ろ。お注ぎさせてもらいますよ、騎士様」

小柄な身長を生かし、エリカは胸を強調させて下から顔を近づけさせてくる。

ニンマリと微笑むエリカ。間違いなくこれはからかう気の瞳だ。

女には誰でも小悪魔な部分があると、トーユーズとの師弟生活の中で嫌と言うほどジュンタは味わった。が、あの熟練の悪魔に比べたらエリカなんて小悪魔も小悪魔だ。恐れるに足りず。

「それじゃあ、エリカががんばって働いた給料を食い潰させてもらうとするか。混んでるようだけと、席空いてるかな?」


 確かにエリカも体格の割に胸も大きいが、甘い。

トーユーズのそれは桁が違う。次元が違う。あんな二つの凶器を持っている女性と、それこそ四六時中一緒に入れば慣れてしまう…………男としてちょっと悲しいが。


(エリカがメイド服だったら分からなかったけどなぁ)
 

 少なくともストレートなからかいには冷静に対応できる自信がある――不満そうなエリカを置いて、ジュンタは酒場の扉を押して入ろうとする。


 その前に、バキィと音を立てて店の中から誰かが吹っ飛んできて、押そうと思った入り口を吹っ飛ばしてしまった。

「きゃっ! な、なになに?」


 後ろから服の裾を掴んできたエリカが、いきなりの事態に驚いている。かくいうジュンタもこれにはさすがに驚いていた。


「たぶん、酔っぱらって投げられたんじゃないか?」


 入り口が無くなってよく見えるようになった店内は、酔っぱらいたちによってカオスとなっていた。


 乱闘の打撃音と、それをはやし立てる声。瓶が割れ、椅子が壊れ、時折店員らしい悲鳴も聞こえてくる。先程吹っ飛んできた男性は乱闘の脱落者と見た。


「た、助けなくてもいいのかな?」


「いいだろ。酔っぱらうのも自由なら、酔っぱらった後に起きたことも自己責任だ。俺はそれを嫌と言うほど理解してる…………たとえ覚えていなくても、酔っぱらって見境を無くしていたとしても、それが自分の行いなら、責任を取るべきは自分自身だ」

「なんか、ものすごい説得力あるね」


 そりゃ説得力もあるに決まっている。酒には弱くないが、生憎と一定量を飲んだ後の酔い方は最悪らしい。何が最悪なのかはサネアツでさえ口を噤んで教えてくれなかったが、その沈黙こそが最悪さを如実に表している。

「ほら、そんなところで過去を悔やんでないで、中に入ろっ。乱闘してるなら、隅の方の席は空いてるでしょ」


 若気の至りを思い出していたジュンタの背中をエリカが押す。


 そうして中に入った酒場の中は、アルコール臭で満ちていた。


 バーカウンターのある席を端にして、その周りをたくさんのテーブル席が囲んでいる作りだ。二階へと上がる階段もある。恐らくは宿屋も兼任しているのだろう。


 店内の中心近くで乱闘が行われており、その周りを見物客が囲っている。その喧噪からは少しだけ離れた酒場の隅の一席を二人は取り、乱闘にお客が気を取られている内に店員に適当に飲み物を注文すると、
甘いフルーツカクテルはすぐにやってきた。


「この混みようだと、注文の料理が来るまで時間がかかるだろうな」


「だね。別に私は急いでるわけじゃないから気にしないけど、ジュンタ君は?」


「俺もまぁ……いいかな」


 クーには先に帰って眠るように言ってあるし、素直な彼女はきっと眠っていてくれることだろう、たぶん。明日が試合だということを考えれば早く眠るべきだが、明日で武競祭がどうあっても終わるのは確か。一回ぐらい楽しんでおきたいという気持ちもあった。

「うん、大丈夫だ。取りあえず一時間ちょっとぐらいなら付き合える」


「やった。それじゃあ乾杯しよ、乾杯!」


「ん、じゃあ乾杯」


「かんぱ〜い!」


 グラスを合わせて、それから一口口をつける。
 ジュンタは酒乱である自分を気にして。エリカはそもそも酒があまり飲めないようだった。


 それから先は、話を肴にして酒を飲むと言うより、酒を肴にして話を交わすと言った方が正しかった。


「でも、本当に偶然だよね。こんな王都で、ちょうど悪党に襲われていた私を助けてくれたのがジュンタ君だなんて」


「それは俺も思う。何か下手な呪いでもかかってるんじゃないだろうか、俺」


「そこは運命の赤い糸で結ばれてるんだ、とかロマンティックなこと言ってくれなきゃ私は口説けないよ? ああでもっ、ジュンタ君の赤い糸はリオン様に繋がってるのかな。きゃっ、身分の差を超えた愛ってかっこいい!」

久しぶりの再会とはいえ、エリカは明るくて話しやすい女友達みたいな奴だ。

会話は途切れないし――時折入るエリカの妄想中は例外として――何より、周りの喧噪も相成って楽しくて仕方がない気分にさせる。


「ところでさ、どうしてジュンタ君てば、屋敷を辞めちゃったの?」

 そんな雰囲気に後押しされたのか、やがて当然のこととしてエリカは、ジュンタがシストラバス邸を離れたあの時の話題を口にした。それを聞いて、ついに来たかとジュンタは思う。


「あー、なんて言ったらいいのかなぁ。俺としても色々と理由があってのことだったんだけど」


「うん、たぶんそうだと思ってた。一緒に働いてたのは一週間ちょっとだけだったけど、ジュンタ君は深い理由がないなら、黙っていなくなるような人じゃないって分かってたから。

 正直言うとね。あのタイミングでいなくなって、もしかしたらドラゴンに襲われちゃったのかな、とか思ってたりもしたんだ。だからほんと、こうして無事な姿を見てほっとしたよ」


「エリカ……」

 シストラバス邸から去ったのは、あの後に『双竜事変』と呼ばれる事件の折だ。正確にいえば、シストラバス家が使用した神殿魔法閉鎖魔女(クローズウィッチ)]を脱出した後になる。ゴッゾと密談した後、その後はユースとだけ会って、世話になった他の誰にもあいさつをしていない。


 そのことがちょっとだけ気がかりだった。あのタイミングでいなくなった自分は、果たしてみんなにどんな風に思われていただろう、と。


 なんだかんだで騎士として選ばれた自分だ。どうやらエリカみたいな、シストラバス家の騎士以外の者には
閉鎖魔女(クローズウィッチ)]のことは教えられていないよう。なら、ドラゴンを前にして逃げた臆病者と謗られていてもおかしくない。


 だけどエリカはそんな風には思わず、純粋に突然いなくなったことを心配していてくれた。皆が皆エリカのように思っているわけではないだろうが、それでも嬉しい。


「そっか、なら、心配かけたことを謝らないといけないな。

 悪かった。突然いなくなって。理由は言えないけど、心配かけてごめん」


「え? ええっ!?」


 ジュンタは机の上に両手をついて、エリカに対し頭を下げる。

 

 エリカは驚いたよう声をあげて、あたふたとした様子で手を振る。


「い、いいよそんなのっ! というか今日は助けられた私が感謝する日だし!」


「そ、了解。それじゃあ、もうちょっと何か注文するかな」


「……その早変わりは早変わりで腹立たしいんだけどなぁ」


 感謝を伝えるのが目的であり、困らせることが目的ではない。エリカの困った様子にさっさとジュンタは頭を上げて、場の雰囲気を適当に濁す。エリカもエリカで小さく口を尖らせる振りをして、それからおかしそうにクスクス笑った。


 その後はまた酒を肴にした話が始まる。


「ジュンタ君もやっぱり、王都には武競祭目当てで来たの? それとも元から王都出身?」


「いや、出身は違うよ。王都には武競祭目当てだ」


「じゃあ、もちろんリオン様の試合は見たよね? ね?」


「……見たけど、なんで身を乗り出して目を爛々と輝かせるんだよ?」


「それはもちろんあれですよ…………きゃっ、恥ずかしい」


 赤くなった頬を両手で押さえ、いやんいやんとエリカは身体をくねらす。絶賛妄想中らしい。その間は放っておくに限る。エリカの奢りなので遠慮容赦なくお酒のお代わりをもらおうかと、ジュンタは店員を探して視線を店内へと巡らせた。


 店内ではようやく乱闘が終わったようで、人垣は崩れ、中で暴れていた張本人が露わとなっていた。


 その酔っぱらいは先程見た巨漢の男に似ていて……


「やばっ! 視線が合った!」


「え?」


 妄想から立ち直ったばかりのエリカに手を伸ばし、思い切り抱きしめる。


「ちょっ、え? や、やだっ!」

「悪い! 少し我慢してくれ!」


 いきなり抱きしめたことで暴れるエリカに謝って、ジュンタはそのまま床に押し倒した。

 投げつけられた木の椅子がテーブルの上のグラスや料理を粉砕したのは、そのすぐ後のことだった。


 すぐにエリカの身体を抱き起こすと、背に庇って、ジュンタは視線が合っただけでいきなり椅子を投げつけてきた大男を睨みつける。


「最悪だ。本当に呪われてるんじゃないか、俺?」


「ジュ、ジュンタ君? な、何? どうして椅子投げつけられたの? あれかな。かわいい女の子といいムードだったから、もてない男の僻みで?」


「ある意味では……まぁ、そうだな」


 背中から怯える声でエリカが尋ねてくる。その様子は、先程抱きしめたのは仕方がないことだったと分かってもらえているよう。良かった。目の前の男のような最低男と一緒くたにされるのは、一人の男としてあまりに悲しいので。

「テメェ、その女と一緒にいるってことは、お前が俺の大事な部分を蹴りつけちゃった奴で間違いねぇんだろうなァ?」


「そ、そうです兄貴! こいつで間違いないです!」


『そうです。そうです!』


 先程まで乱闘していた大男の言葉に、彼の周りにいた三人の子分が口々にそう言う。それを見て、エリカもことの次第が分かったらしい。


「この小悪党たちって、まさかさっきの……?」


「ああ、エリカを襲ってた奴らだ。たぶん、あの後目を覚ましたリーダーがこの店で鬱憤晴らしてたんだろうな」


 大男とその三人の子分こそ、先程エリカを襲い、ジュンタが奇襲と口八丁で追い払ったあの小悪党たちだった。


 リーダーは鬱憤が溜まった原因である女と、そして自分の大事な部分を蹴りつけた男を見てニヤリと獰猛に笑う。すでに次のターゲットは決まったご様子だ。他の三人も、今度はリーダーと一緒で強気になっている模様である。


「テメェ、あんなことしやがって分かってるだろうな? 今更泣いて謝っても、この砂漠の傭兵バラサドウ様は許さねぇぜ?」


 バラサドウと名乗ったリーダーは、視線を舐め回すようなものに変え、エリカに視線を移す。


「そっちの女も、清い身体のまま家に帰れると思うな」


「ひっ!」


 汚らわしい視線を受け、エリカがさらに怯える。服の裾の端を持って震え始めた。

今度こそ相手は決して騙されないだろう。四対一で武器無し。それはあまりに相手方有利な状況。けど、逃げられないし、震えるエリカを見ればなんとかしなければと思う。


(くそっ、酔っぱらいたちめ。はやし立てるだけで助けるつもりゼロかよっ)


 周りから『やれやれ〜!』とか『待ってましたっ!』とか声があがっている。誰もが先程の乱闘の続きと思っているようで、店の人間でさえ制止を呼びかける真似はしない。そしてさらに最悪なのは、もし彼らが乱入してきた場合、なんだか雰囲気的に敵になりそうなことか。


 こんな祭りの夜に酒場で騒いでいる輩どもである。
 
特定の彼女がいるはずもなく、かわいい女の子を連れている奴は全員敵なのである。

「テメェら、やっちまえ!」


「こんなことが原因で、武競祭敗退してたまるか!」

 そうして相手方に場の雰囲気も状態も有利なまま、いきなりな喧嘩は始まった。






 その男、瞳は羅刹の如し。

 その男、纏う雰囲気は悪鬼の如し。


 体中から魔力ではない、強者としての鋭い闘気を発しながら王都の通りを行く男が一人いた。その男が放つ雰囲気は並大抵のものではなく、通りを歩く人は皆、男の前の道を空けた。


 触れれば斬られる。邪魔をすれば潰される――そう思うほどに男の持つ雰囲気は険悪で、その腰に納まった刃は血を餓えているように見えた。


 ただ、本当の意味で、その男の真意に気付けたものは誰一人としていなかった。

「…………エリカ」


 ……いるはずがない。まさか家出同然で家を飛び出していった娘を捜して、延々と歩き続けているだなんて、一体誰が気付けるというのか?

 そうして親馬鹿騎士は幽鬼の如く、道を行く。


 その足取りがふいに止まった。


「…………エリカ?」


 それは気のせいのような、あやふやな感覚だった。だが、父親たる男には確かに感じられた。愛娘に危険が迫っている、と。


 虚ろだった男の瞳に燃えさかる炎が戻る。それはまるで不死鳥の炎の如く。


「エリカッ!!」


 気迫の声で愛娘の名前を呼び、男は戦場を求めて大通りを駆けていく。







       ◇◆◇







 運が少しは残っていたということか――場の状況に酔っていたバラサドウという大男たちは、先程の路地裏では持っていたナイフを抜くことなく、素手で襲いかかってきた。


 前方からバラサドウ。その後に続いて子分ABC。


 その数量は有利なほどの力を生むが、まだ刃物を使われていないだけ抵抗はできる。ここは狭い路地裏ではなく、店の中なのも幸いした。


「おらァッ!」


「っ!」


 小麦色に焼けた筋骨隆々な肉体から繰り出されるのは、技巧無き右ストレート。

いや、それはそれで一つの技として機能できる力なら、十二分な威力を発揮する。

ジュンタは豪腕が繰り出す攻撃を、先程バラサドウが投げつけてきた椅子を盾に受け止める。その早業はスリのような手並み。椅子は簡単に壊れてしまうが、もちろんジュンタにダメージはなし。


「テメっ、いきなり椅子かよ!」


「お前にだけは言われたくないっ!」

椅子を殴りつけたバラサドウが殴りつけた右手を押さえて下がる。その目は椅子を使ったことを責めていた。しかしいい訳できるならしたい。背中にエリカを庇ってる今、こうするしか他になかったと。

自分の卑怯さに悲観する暇もない。


 下がったバラサドウの代わりに、三人の子分たちが特攻してくる。

 椅子もなく、テーブルもすぐに持ち上げることはできそうにない。素手で迎え撃つしかなかった。


「エリカ、ちゃんと下がっててくれよ」

「う、うん。分かった」


 服の裾を掴んでいたエリカの手が離されると同時に、ジュンタは自ら三人組の方へと殴りにかかった。


 まず前と左右から同時に殴りかかってくる三人組の内、前から来る奴の手を逆に掴んで思い切り引っ張る。彼の身体を盾として扱って……無論、そう易々と同士討ちになんてならない。


 だが目の前に仲間が現れ怯んでいる内に、右の男へと掴んだ男を投げつけ、左の男へとジュンタは襲いかかる。


 錬度こそ違うも、この辺りは故郷の不良と同じだ。
 
多対一の場合はどうやって一対一の状況を上手く作れるかが鍵になる。トーユーズ曰く、それは違うとのことだが、そうこう言っていられる余裕もない。


「そらっ!」


「おぶっ!」


 容赦なく、腰の捻りを加えて目の前の男を殴る。


 その間にバラサドウや他二名が立ち直って仕掛けてくるも、これには逃げることによって一人一人になるように追い込む。正直、バラサドウには素手で勝てる自信はないので、狙うは他の三人。


「おわっ!」


「げふっ!」


「ぐぉっ!」


 それぞれがそれぞれの特色ある悲鳴を上げて、一撃ごとに苦悶の声をあげる。それでも一撃では倒れないのは、嫌なタフさというしかない。


(リーダーのバラサドウを倒さない限りは、終わりそうにないな)


 いつの間にか野次馬が輪になっているのも状況としては悪化だ。
 床に倒れた子分たちが、バラサドウの手によって強引に起こされている。バラサドウももう本気で怒っているようで、その怒気にあてられフラフラながらも子分たちは起きあがった。

 開始五分後。こちらは一撃ほど頬にもらって、相手は三人ほどフラフラで一人はピンシャンしている。状況は変わらず四対一で、武器も無ければ援軍もない。


 だが、思っていたよりも、トーユーズの鍛錬は自分に力を付けていてくれたらしい。


 武競祭本戦参加者と戦っていたので、いまいち強くなった気はしていなかったのだが、こうして予選落ちレベルと戦えば嫌でも分かる。体力と、攻撃を相手の急所に当てる方法、相手の攻撃を急所から逸らすのがとても上手くなっている。うん、それだけは。

(時間はかかっても、勝てない勝負じゃない)


 ジュンタは眼鏡を外して胸ポケットにいれる。もしも付けていて壊されたりでもしたら失明しかねない。


「ちっ、やるじゃねぇかガキ」

「あんたに褒められても全然嬉しくないな」


 子分を背中にして、前へとバラサドウが進み出てくる。その顔には怒気と共に、ニヤニヤとした笑みが。

「?? なんだ、一対一(タイマン)で勝負を決めようって言うのか?」


 そうだとしたら殊勝な心がけであると共に、戦術的には悪くない。正直、他三人はバラサドウの足を引っ張っているだけだ。

 そんな風にジュンタは一瞬、バラサドウを見直す。さすがは武競祭に出ただけのことはある。が、バラサドウはあくまでも悪党に徹する気でいたらしい。


「確かにテメェとなら
一対一(タイマン)でも負ける気はしねぇが、それだと憂さは晴らせねぇだろうからな。お前にはこれからサンドバックになってもらうぜ?」


「は? なんで俺がそんなこと……?」


「違うぜ。お前はそうするしかねぇんだよ?」

 そう酷薄な笑みを浮かべると、バラサドウはその図体を一歩横へとずらした。

 

彼の後ろ、子分たちがいるはずのそこに、いてはならない第三者が、


「ちょっと、あなたたち卑怯よ!」


「うるせぇ! 黙ってろ!」


 一人の男に羽交い締めにされ、首筋にナイフを突きつけられているエリカの姿があった。


 ――一瞬思考が止まる。その後には『ああ、なるほどな』と納得するしかなかった。


「分かったか? 俺に攻撃しようものなら、かわいい彼女がどうなるか分かってんだろうな?」


 愉しげに嗤うバラサドウに向かって、これには野次馬だった酔っぱらいたちも非難の声をあげる。


「うるせェ! なら、テメェらも一緒にかかってこいやァ!!」


 しかしバラサドウの一喝により収まってしまう。野次馬たちも、これがお遊びの喧嘩じゃなく、本気の戦いであるとようやく気付けたらしい。


 慌てて店員が店を出て行くも、もう遅い。

すぐに衛兵を連れてこようが、もう場は完璧なぐらい煮詰まっている。どうにもならない。戦いは続くのだ。


――――


 そう、続く。続ける。ここまでされて黙ってなんていられない。ジュンタは怒りで冷え切っていく心を、自分自身で鋭敏に感じ取っていた。

「黙りこんじまったか、ははっ、だらしねぇなまったく。それじゃあ、待たせたな。そのままちっとばかし動くなよ?」


 ボキボキと拳を鳴らして、バラサドウが近付いてくる。


 彼のことをまっすぐに射抜くようにジュンタは睨みつける。それに一瞬バラサドウは怯むも、背後で暴れて声を出すエリカを見て自分の優位を確かめ、加虐的な笑みを崩さない。


「ジュンタ君! 私のことはいいかきゃっ!」


「だとよ、彼氏? どうするよ? 彼女の言うとおり、俺様に刃向かうか? ン? できるはずないよなぁ。彼女が大事なら、一生お嫁に行けない顔になるのは困るよな。ン?」


「困るな。心底に」

 その心底愉しげに馬鹿にしてくるバラサドウへのジュンタの返答は、声だけではなかった。

 そもバラサドウなど狙わない。
この状況において、狙うのは彼ではなく――



「ああ、なるほど。これが戦いにおいて集中するってことか」



「ハ?」

 ――ただ一人、エリカを捕まえていた男のみ。


 バチリ、と店の床を焦がしたのは虹色の雷光だった。そこはジュンタが立っていた場所。その場所でスパークが起きた次の瞬間には、エリカを捕まえていた男は殴られていて、人質にされていた彼女の身体はジュンタの腕の中にあった。


 一瞬の出来事に、誰もが声を失ってついていけない。それは殴られた男も、横を抜かれたバラサドウも、救われたエリカも同じだった。
もしかしたら、ジュンタにも分からなかったかのも知れなかった。


 師トーユーズは教えてくれた。


 戦闘において本能は要らない。理性で戦い、集中しろと。今までずっと試合の最中も集中していた気でいたが、今なら分かる。今まで本当の集中はできていなかった。


 それは感覚だ。あえていうなら、ただ一つのことしか考えていない感じか。
 今自分の身に起きた『集中』は、これまでのそれとは比べものにならなかった。何が違うかは分からない。ただ、違う。本当の集中は言葉の外側にあった。

「ある意味では感謝するべきかな。明日に最終日を控えたこのタイミングで理解させてもらったことを。いや、感謝してたまるか」

トーユーズから習う剣術において、必要不可欠にして基礎である[魔力付加(エンチャント)]と呼ばれる、魔法にして技法なるもの。これを静止した状況で、時間を必要として行使するのがこれまでの精一杯。

けれど今、確かにジュンタは動きながらの[魔力付加(エンチャント)]を可能としていた。[魔力付加(エンチャント)]に必要な魔力の制御を、高い集中状態の中完成させていた。

自分は怒れば怒るほど、思考が冷たく冷静になる質だ。たぶんエリカを人質に取るやり方をされ、怒りという感情が爆発したのだろう。それがきっと高い集中を生む要因になったのだ。


「ジュンタ君……?」


「大丈夫。安心しろ、今の俺はさっきよりも強い」


 抱き留めたエリカを立たせてやってから背中に庇い、ジュンタは驚きから立ち直っていないバラサドウと残り二人の子分に対して、壮絶な微笑みを向ける。

きっとこの場にサネアツがいたら、キレタとか抜かすだろう。さもありなん。今現在、触れたら色々と潰すぐらい本気で怒っています。


「お前ら、覚悟はできてるんだろうなぁ?」


 バチリバチリと身体を包む虹色の魔力が、雷の色をもって可視の雷気となって迸る。

これこそが自分の肉体に対する強化の意味合いを持つ[加速付加(エンチャント)――


 ジュンタの怒気に人垣が割れる。バラサドウと二人の子分が一カ所に集まって、それぞれ子分は懐からナイフを、バラサドウは巨大なナイフを構えた。


 その時だった――――ジュンタよりも怒れる悪鬼羅刹が店の中にやって来たのは。



 入ってきたのは茶色の髪をした、四十代前後の男性。

 身に纏うのはただの平民の服ながら、その腰には一本の剣が掲げられている。そしてその剣よりもただただ恐ろしいのは、その纏う怒気と殺気だった。


「誰だ!?」

 やって来るなり瞬く間に自分に背中を向け、バラサドウに視線を向けた男の顔は、ジュンタにはよく見えなかった。ただ怒っていると、そう察するだけが精一杯だった。


 急変する状況に、ジュンタは怒りを発散させてしまう。それと同時に、集中力を無くした魔力が辺りに少し焦げ目を作って霧散した。


「な、なんだテメェは!?」

「…………」


 バラサドウが目の前の鬼気を放つ男に大声で訊くも、無言で返答はない。


 ガタガタとバラサドウは震えている。それも仕方がない。ここにいても感じる怒気を真っ正面から浴びせられているのだ。その恐怖、筆舌にし難いだろう。


 だがバラサドウは男の姿を確認する過程で、なぜかその恐怖を霧散させ、引きつりながらも笑みを取り戻した。


「ハ、ハハ、なんだよ! ビビらせやがって!!」


「あ、兄貴? どうしたんですか、いきなり笑って?」


 笑い出したバラサドウに尋ねた子分の内心は、まさしくその場の人間の総意だった。

 気でも狂ったかと一瞬思ったが、どうやらそうではないらしい。バラサドウはニタニタと笑うと、子分に対して言い放つ。


「よく見ろテメェら、この男を! ビビる必要ねぇ。この男は――


 ビシリとバラサドウは目の前の男に向かってナイフを突きつける。正確には、本来在るはずなのにない、男の右腕に向かって。

――隻腕だ!」


 バラサドウの言葉を受けてようやくジュンタも、鬼気を放つ男が、右腕が肩の辺りからない隻腕だということに気付く。

 背後のエリカも気付いたようで、はっと息を呑んで、そして彼を彼女しか呼べない呼び方で呼んだ。


「お、お父さん!?」


「え?」


 ジュンタはエリカが男に向けていった言葉が信じられなかった。


 エリカの父親にはジュンタも以前接したことがある。
 何かとエリカに関する誤解で、戦々恐々なトラウマを植え付けられたシストラバス家の騎士だ。


 だが彼にはちゃんと右腕があった。だからすぐには、目の前の男がエリカの父親であると分からなかった。


 だけど、すぐに頭の中で、目の前の男性と想像の中のエリカ父と姿が重なる。


 エリカの言葉を受けて、顔だけ振り向いた隻腕の男――


「エリカ、すぐに終わらせる。下がっていろ」

 ――その子を深く想う顔は、シストラバス家の騎士エルジン・ドルワートルに相違なかった。

 








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