第十六話  紅き剣に騎士の名を





 前の試合において、クーが使った魔法により凍結されたリングが解凍された数分後、予定より数十分遅れて準々決勝最終試合は始まろうとしていた。


 シストラバス家騎士団代表騎士エルジン・ドルワートル対バーノン家騎士団代表騎士アルカンシェル。


 そんな色々と背後関係がごちゃごちゃあるその試合。けど、実際は一人の我が儘な騎士対騎士になりたい男の子でしかないことを、エリカは知っていた。


「お父さん……ジュンタ君……」


 これまでのどんな戦いよりも、たぶん、自分の心にはさざ波が立っている。

 だって、戦う二人ともが自分の知り合いなのだから、緊張するなという方が無理な話だ。エリカは胸元に手を当てて、じっと観客席最前列から戦いの始まりを見守る。


 片や、利き腕を失い、それでも騎士であり続けるために参加した者。

 片や、本当の理由は知らないが、騎士のように在ろうと参加した者。


 ジュンタの参加理由は想像に過ぎないのだけれど、たぶん合っている。昔、他でもない自分が父親みたいな騎士に憧れたときと同じ目をしていた。


 それは子供みたいな思いだけど……自分も体験したからこそ、エリカは知っている。それは決して弱い想いではない、と。


「…………」


 ドキドキと心臓が破裂しそうなほどに動いている。


 できればこのままリングに空から巨大な隕石でも落ちてきて、武競祭中止とかになってくれないだろうか? そうしたらどちらも傷つかないし、エリカとしては万々歳である。


「……怪我しちゃやだよ、二人とも」


 でも、それは叶わない妄想だ。エリカは、先程のリオンお嬢様とかわいらしいエルフの少女との戦いを思い出す。


 二人とも、ぱっと見は相手を傷つけるような人ではなかった。けど、試合が始まれば、二人ともが本気で相手を倒そうと剣を魔法をぶつけあっていた。それが武を競うということであり、そこに怪我の有無を心配することこそが間違っている。


 だけど――それでも、エリカは心配だった。


 怪我を負ったリオンお嬢様。命に別状はなく、友人であるメイドのユースが治癒魔法をかければ、十二分に治癒できる範囲だという。けれど完全治癒までには時間がかかって、とてもじゃないが準決勝までには完治できないという話。

 だからできることなら、ユースはエルジンに勝って欲しいと言っていた。

そしたらリオンお嬢様は、決勝まで治療魔法を受け続けることができる。そうすれば傷もほぼ完治できるらしい。


 傷ついても、ユースみたいな優秀な魔法使いがシストラバス家には大勢いる。多少の傷は大丈夫だと、エリカは改めて理解していた。だけど……

 そんな自分を安心させる考えと、『だけど』と考えることをループさせていたエリカの耳に、ついに選手入場を告げるアブスマルドの選手紹介が入る。

『さぁ、やって来ました準々決勝最終試合、今日四戦目の試合です! これまでの試合は全て激闘に継ぐ激闘でした……一回戦目はやらせ臭かったですが大丈夫! 最後の試合はもう、興奮熱狂間違い無しですから!』


 相変わらず賛否両論を分ける紹介である……というかそもそも彼、最初は実況という話のはずだったのに、試合の実況なんてちっともやってない。選手紹介だけで満足した様子というか、全ての力を使い果たしてるんじゃないですかこの人、という感じだ。

『前の試合がどハデな終わり方で、ちょっと試合が遅くなったことだけ謝罪しまして、さぁ、準決勝に行く最後の切符をかけて戦う、二人の色艶ない選手を紹介しましょう!』

「色艶ないって……お父さんは呆れてそうで、ジュンタ君は苦笑してそう」


『シストラバス家からの刺客。なぜか十代の少女たちに人気のダンディー! 羨ましいぜこの人な騎士! おじさま〜と思わず呼びたくなる貫禄を備えた、今大会きっての正統派騎士――エルジン・ドルワートル選手!』

「…………え、今の紹介でいいの? これまでの戦いとか全然紹介してないよ?」 


 何ともおかしなアブスマルドの紹介だが、ここで渋っていてもしょうがない。


 なぜかキャーキャーと少女の甲高い声援が多い中、リングへと上がっていくエルジン。その顔は盛大に顰められていた。


『さぁ、対しましてはこの人! なんだかんだで悪役キャラが定着している、マスク・ザ・ミステリアス&バッドガイ・オーイエー! 見える口元に覗くストイックな笑み。視線が合っただけで相手を妊娠させると評判の黒騎士――アルカンシェル選手ぅう!』


「…………」


 父親より輪にかけて酷い紹介だったジュンタことアルカンシェルに、エリカはもう何を言っていいかわからなかった。


 リング中央へと進み出てくる黒甲冑の騎士。エルジンも相成って、心なしかリングから実況席の騎士アブスマルドに対し、殺意のようなものが渦巻いているような気がする。


 その殺意のベクトルが変わったとき、エリカは息を呑む。

 真剣試合。それが招く緊張感。最前列にいるからこそ感じる、生の感覚……


「準々決勝第四試合。エルジン・ドルワートル選手対アルカンシェル選手――

 周りの歓声が遠くなる、それが騎士の決闘。それが男の戦い。女が入っていけない場所。


「…………くやしいなぁ」


――試合開始ッ!」


 ポツリとエリカが呟きをもらしたとき、もう踏み込めない場所で、その戦いは始まった。







       ◇◆◇







 その太刀さばきは剛なる威力。


 片腕だけで振るうにしては刀身の長い長剣を、騎士エルジンは左手一本で、両腕で振るうのと遜色ない威力とスピードで振るっている。


 それはどこかぎこちなさが見え隠れする太刀筋。両腕で振るっていた剣を左手一本で振るう行為に、まだ馴染んでいない太刀筋。だが一撃一撃、直向きな努力の跡も垣間見させる太刀は、酷く重くて強い。


 試合開始直後――速攻も速攻で攻め立てたジュンタは、気付けば攻めるエルジンの刃を必死で防いでいた。

 いつ自分の攻勢からエルジンの攻勢に移ったのか、ジュンタには分からなかった。
 ただいつの間にか、振り繋ぐ刃の途中、気付けば防御のために振るうようになっていたのだ。


 上手い――そう、ジュンタは正直に、心の中でエルジンに賞賛を贈る。

 これが熟練の技かと吐息すら出るほどに、隻腕となっても変わらず、エルジンが騎士という職に費やした経験は冴えている。


「ぐっ!」


 左から首を苅るような軌道で奔るエルジンの刃を、大剣を盾にして受ける。


「フンッ!」


 すると右からの返しの刃で、ジュンタの大剣はエルジンの紅剣に大きく弾かれてしまった。


 これまでにいなかったサウスポーのエルジン。片腕だけとはいえ、いや、だからこそ変則的な動きが来る。ただでさえ経験が無くて読みにくいのに、これでは本気で太刀筋が読めない。

 

ジュンタは無防備になった正面にエルジンが攻撃を仕掛けてくるのを見つつ、弾かれた剣を戻す――しかし予想に反して、エルジンの刃が甲冑に届くことはなかった。


 エルジンの刃は甲冑に触れるか触れないかというところで止まり、さらに彼は取らなくてもいい間合いを大きく取る。
その完全に攻撃を命中させることができたタイミングなのに、攻撃を直前で制止させたエルジンの行為に、ジュンタは剣を構えつつ困惑する。

 その困惑を笑うように、エルジンは試合中にもかかわらず、いつも通りの不機嫌な声でそう言った。


「昨夜の約束を守ろう。小僧、貴様にシストラバス家の騎士の魂を教えてやる」


「……正気ですか?」


「無論だ。騎士たる者、交わした約束は必ず守る。ふんっ、これは騎士に限らず全ての人間に言えることか」


 剣を下方に構え、エルジンは戦いを楽しむように笑った。


「本来相手を見くびらず、誰であろうと全力で行くものだが……あまりに貴様が子供なのでな。少しばかり大人として教育してやろうと思ったまでだ。先程の攻撃で終わらせてしまえば、あまりに空しい戦いになる」


「さっきの攻撃で、実際に俺に傷を付けられてたらの話ですよ、それ」


 剣を弾かれて防御を抜かれた先程のエルジンの攻撃は、確かにこの身に届いたことだろう。それは間違いない。が、それと傷を負わせることができたとは同義ではない。


 なぜならば、ジュンタには鉄壁とも言えるもう一つの防御があったからだ。『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』という名の、甲冑の防御が。


 剣の防御を抜いても、その先の甲冑の防御を超えなければ、ジュンタは傷を負わない。だから先の攻撃も、そのまま当てていれば必ず傷を付けることができた――そうとは限らないのだ。


 その事実を暗に匂わせるジュンタに、しかしエルジンは挑発的に笑みを浮かべるだけ。


「何を勘違いしているかは知らないが、俺は嘘など言っていない。間違いなく、先の攻撃は貴様に戦闘不能の傷を負わせていたことだろう。……しかし、言葉だけでは信じられぬのもまた道理。疑われるのも心外だ。試しておこうか」

 そう言うが早いか、エルジンは歩を刻み、ジュンタを自分の間合いの中に入れる。
 

「舐めないでください!」


 だがそれはまた、ジュンタにとってもエルジンを自分の間合いに捉えたということ。


 上へと振りかぶる、重力を利用した最大にして最速の攻撃。突っ込んでくるエルジンへと叩き付けるように大剣を振り切る。


 ガキン、と剣同士がぶつかり合う音が響き合う。


 これまでの二戦において、その威力により相手を一撃で戦闘不能に追いつめた一撃――それをこともあろうに、片腕一本で剣を支え、エルジンは完全に受け止めていた。


「いい威力だ。だが、これまでの試合で決定打としてそれを使いすぎたな。
 太刀筋が読めれば、威力を受け流すのは容易い。それに思っていたよりも威力はない……やはり何かしらの魔法の効力か。貴様の細腕で、このような大剣を振るえるはずないからな」


「くっ……!」


 刃同士を合わせた鍔迫り合い。自分は上から体重をかけていると言うのに、エルジンは下から受け止めていると言うのに、本気で力を入れていないと弾かれそうな圧力だ。平然と言葉を交わすエルジンは、怪物か何かかと本気で疑ってしまう。


「素人にしては考えたが、弛まぬ努力の前にはあまりに浅知恵だ!」


 一気にエルジンから来る圧力が増し、ジュンタは剣を弾かれる。

 それは先程の展開と同じ。剣は弾かれ、ボディががら空きとなる。そこへと躊躇無くエルジンは剣を振り……そこからがさっきとは違った。


 先程は甲冑の手前で止められたエルジンの刃。それが今度は浅いとはいえ、甲冑へと食い込んでくる。


 ――――その瞬間、ジュンタは目を疑った。


「なっ!?」


「ふんっ、やはりか」


 これまで傷一つつかなかった『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』の胸部が、エルジンの刃によって、まるで革の鎧のように切り裂かれていた。

鉄が鉄を切り裂く音ではない。何か違う力が働いて、最強とまで呼ばれた『竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』はエルジンの剣の前に敗北した。そんな事実を前にしてジュンタは、頭のどこかでエルジンでも貫けないと思っていたがために、隙を作ってしまう。


「愚か者。容易く狼狽えるな!」


「がはっ!」


 剣ではなく、強烈なエルジンの蹴りがジュンタの腹部を捉える。

 

 回し蹴りによって、思い切り後方へとジュンタは蹴飛ばされる。
 
甲冑を無くした箇所に対する金属のブーツによる蹴りは、鋭い痛みとともに口へと血を込み上げらせた。

溜まった血を吐き出し、それでもこれ以上追撃されるのはマズイと、ジュンタは剣を構えて即座に起きあがる。だが、警戒していたエルジンの追撃はなかった。

エルジンは左腕を垂らす構えに戻り、再び語り出す。


「騎士たる者、過剰なまでに武具や防具に依存するのは間違いだ。
 
剣とは騎士の誇り。即ち、自分の心にある誇りこそが真なる力。剣はその誇りを表すための鏡であり、無くては何もできなくなるような絶対の力ではないと知れ」

「くっ……」


 戦場であるというのに、まったく意に介さず語るエルジンは、本当に騎士の心について教えているのだともう疑う必要もなかった。


 何を考えているのかまでは知らないが、本気でエルジンは教授するように戦っている。それは侮られていると言ってもいいのに…………だけどどうしてか、心に彼の言葉は響く。落ちてくる。


 一歩一歩、あらゆる意味で近付くようにエルジンは歩み寄ってくる。

そのどこか驚いたような視線は、自分が切り裂いた漆黒の甲冑を見ていた。


「貴様が過剰に依存するのも、まぁ無理からぬ話とは言えるか。『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』……我らが騎士団の天敵たるドラゴンの遺物。かの『終わりの魔獣』の防御力を具象する、存在自体が神秘である鎧。話には聞いたことがあったが、この目で見るのは俺も初めてだ」

「それでも大した目利きですね。試合開始前からわかっていたんですか?」


「そこまでは俺も詳しくない。ただ、なんとなく気配でわかる。なんと言っても、俺はその鎧の本体だったものに、右腕を一本奪われたのだからな」


 自分のそこにない右手を幻視して、エルジンは自らの騎士の誇りである剣を掲げる。


「貴様にはなぜ俺の刃が『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』を貫いたかわかるか? 貴様にも、今の一撃が俺の腕力によるものだけではないとわかっただろう?」


「『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』を貫けた理由……」


竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』は紛れもなく、防具にしては破格の防御力を持つ甲冑だ。前試合でクリスナが放った最後の一撃でさえ、全て弾き返した。だが、エルジンは嘘のように容易くこれを切り裂いてみせた。そこにエルジンの技量以外の理由があるのは明白である。


 ジュンタは考える。先のエルジンの攻撃、そして彼が掲げている剣、何が一体……?


――そうか、そう言うことか」


 察せられたのは早かった。


 今まで気付かなかったことの方が、気付いた今となってはおかしいと思えるぐらい、それは当たり前の理由だった。


 エルジンが掲げた紅の刀身を持つ剣――それこそが、答え。

「例え『竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』が、およそほとんどの武器の攻撃を防げたとしても、防げない剣がある」


「その通りだ。我らシストラバス家の騎士たる証は、千年も前から、その『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』と同じ防御を貫く力を手に入れんと鍛え上げられてきたもの。一度は貴様も持ったことがあるはずだ。ならば、この剣の銘はもはや教えるまでもあるまい?」


 エルジンの問いにジュンタは強く頷いて、その紅き刀身を持つ剣の銘を呼ぶ。


――ドラゴンスレイヤー。竜を殺すために鍛え上げられた、紅の剣」

 
 竜滅剣ドラゴンスレイヤー――シストラバスの騎士の証ともなっている、紅い刀身の剣。

 ドラゴンスレイヤーには、魔法使いにより『竜滅』とも呼ばれる[封印付加(エンチャント)]がなされている。ならばドラゴンの名を持つ甲冑には、この剣こそが天敵である。ジュンタの『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』がドラゴンの力をもって攻撃を防ぐのなら、エルジンのドラゴンスレイヤーを防げる道理はない。

 リオンとクーとの戦いを見て気付いておくべきだった。

 リオンがクーの魔法を切り裂いたのは、あくまでも副産物。相手のいかなる神秘をも――ドラゴンの人からは傷つけられないという概念すら貫く力こそ、かの剣の本領なのである。

「理解したか。これで俺の先の言葉が嘘偽りではないと。今と先程との二撃。俺が逸らさなければその身体、真っ二つに引き裂かれていた」


「……ッ!」


「どうやら甲冑に頼りすぎていたことが、どれだけ恐ろしいことだったか理解したようだな。――それでいい。無知は褒められるべきことではないが、学ぼうとしない、受け入れられない姿勢こそが最も褒められない行いだ」


 エルジンは生徒に教えを説く教師のような態度で、教本代わりに剣を構える。


「では改めて、貴様にシストラバスの騎士の魂を教えてやろう。我らが紅き剣に誓い、騎士となったその意味を」


 その魂こそが本当の力――そう語るエルジンの身体から放たれる威圧感は、これまでの選手の比ではない。

 それはトーユーズの見せる気配に似ている。しかし彼女とエルジンとで決定的に違うのは、敵対しているかしていないかだ。敵として向けられる気配が、これほどまでに恐ろしいのだということを、ジュンタはこのときまで知らなかった。


 一歩、知らずに身体が後ろに下がる。それを見て、エルジンは剣を振るった。


「恐怖し下がるとは何事か! 騎士たる者、どれほどの難敵強敵であっても決して怯むことなき心を持て!」


 左、右、左のフェイント無しの斬撃三つ。冷静だったなら受け切れたそれを、しかしジュンタは受けきれなかった。二撃目を受けたところで身体のバランスを崩し、三撃目が切り裂いたのは甲冑であり肩だった。


 甲冑を容易く切り裂いたエルジンの刃が、その下の服ごと肩に傷を付ける。


 浅い。傷は浅いが、エルジンの前では完全に『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』が意味をなさないことを改めて証明され、ジュンタは恐怖を覚える。


(何を馬鹿な、サクラ・ジュンタ! お前は今言われたばかりだろうが!)


 敵の忠告など聞けないなどと、素人の癖にほざくことはしない。
 例えそれが戦う相手からの言葉でも、それが真実意義ある言葉ならば受け入れよう。


竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』に過剰なまでに頼るな。真に頼るべきは自分であり、真に貫くべきは自分の意志である。


「同じ攻撃を二度も受けてたまるか!」

 なおも追撃を叩き込んでくるエルジン。再び放たれた三つの斬撃を、冷静に今度こそジュンタは防ぎ切る。


「なるほど。成長しないわけではない、か。防御における心構えはそれでいい。剣を魂というのなら、相手の侵蝕を剣でもって防ぐことこそが意志を守ることに他ならない。――誇れ。貴様は今、真実自分の貫こうとする意志を守りきったのだから」


 三撃のあと、それ以上は攻撃することなく、再びエルジンは距離を取る。


 何となくだが、ジュンタにはエルジンの伝えたいことがわかった気がした。


 剣や槍、盾や甲冑などの戦うために必要な道具は、しかし無くては戦えないものというわけではない。ないと戦えない。ないことが負けることに直結する……そんな考え方は、武器や防具への依存であり、愚かなこととエルジンは言ったのだ。


 それをいえば、先程の自分は間違っていたのかも知れない。


 剣があれば勝てる。甲冑があれば勝てる。それが効かなければ動揺する……これではどこに自分の本当の力があるかわかったものではない。


 剣は無くては戦えないものではない。本当に無くては戦えないものは自分の心だ。

 心で負けなければ、人は素手だけでも戦える。戦おうとすることができる。そこに強い意志があれば、人はいつだって戦えるのだ。

 剣は心を映す鏡。相棒と呼ぶべき、しかしなくては心折れるものではない。

 それが騎士の剣の意義にして、本当の力の在処――誇りと信念こそが真実の力と掲げる、それが騎士と呼ぶべき者の力。

 防御の姿勢こそ色々と思うところはあるが、それも間違っているとは思えない。
 ああ、なるほど。そう言う考え方もできると、ジュンタは素直にエルジンの眼差しに応えた。


「では次は攻撃だ。許可しよう。俺に対し、攻撃してこい」


 エルジンは手招きするように、剣を構えつつも動かない。その言葉に偽りないことはすでに分かっている。


「行きます!」


 ジュンタは大剣を構え、一気にエルジンに走り寄ってその剣を叩き付ける。


 大振りの一撃。並の人間では、その質量の重みに耐え切れず、剣ごと弾き飛ばされるだろう一撃を、エルジンはこともなげに一歩も動くことなく防ぎきった。


 これが、かくも完璧なる意志の力――何者にも我が意志は侵せんと叫ぶ、騎士の心。


 ジリジリとジュンタは剣をエルジンの剣に押し込んでいく。剣ではなく、リングが悲鳴を上げそうになったところで、エルジンが一つ鼻で笑って口を開く。


「なるほど、先程よりも速く、重く、そして何より強くなった。だが、しかし未だ貴様の剣には決定的に足りないものがある」


「足りないもの……ですか?」


「そうだ」


 エルジンの左手の筋肉が収縮し、ジュンタの剣を身体ごと吹き飛ばす。

 五メートルほどの距離を取って、二人は向き直る。その状態でエルジンは話の続きを述べた。


「こればかりは人それぞれだが……俺は騎士道とは、『貴く殺す』ことにあると思っている」


「貴く、殺すこと……?」


「そうだ。この世には自分の大切なものを傷つけようとする輩が多すぎる。それが何であれ、大切なものを守るために自らが疾く殺す――大切なもののためならば殺しを是とする、これこそ俺が長年の中で見つけた騎士道だ。

 不殺もまた貴き道ではあるが……俺には到底選べなかった茨の道だ。そして選ばなかった限り、俺には不殺を選ぶ輩とは相容れない位置にある」


 エルジンは視線を細め、ジュンタの持つ大剣を見やった。


 やはり、エルジンほどの相手ともなれば気付かれていないはずもないか。
 じっと大剣を見ている彼は、すでに二度間近でその刃を見ている。不殺を糾弾すると言ったエルジンが、ジュンタが自分の大剣に施したことに気付くのは容易かった違いない。


「貴様のその大剣、刃引しているな?」


「やっぱり分かりますか?」


「分からないはずがなかろう。下手な小細工をしおって。確かに、それほどの質量の剣ともなれば、切り裂くよりも殴り飛ばしての昏倒を選ぶのも一つの手ではあるが……いや、違うな。貴様のそれはそう見せかけただけの弱さに他ならない。

なるほど理解した。ふんっ、貴様。人を殺すことが――傷つけることが怖いな?」


 突きつけられた言葉に、ジュンタは無言で肯定を示す。


 この大剣をラッシャに用意してもらったとき、確かに刃引をしてもらっていた。

これほどの大剣ともなれば、その一撃が相手を殺す可能性があることは想像に容易い。例えそれが武競祭であっても、殺人だけはモラル的に、どうしてもジュンタには許容できなかった。


 それを弱さと言われれば、それはそれまでだ。傷つけることが怖いかと問われれば、Yesと答えるしかない。

けど、こればかりは譲れない。

「ええ、俺は怖いです。人を殺すことを、傷つけることを、全身全霊で恐怖してます。こればっかりはエルジンさんの言葉でも譲れません」


「譲る? ……何を勘違いしている? 譲る必要などはない。騎士道とは単一ではない。同じ騎士団に所属していても、個人によって思想が違うのは当たり前だ。

そもそも、これまでに語ったことを鵜呑みすることこそが愚かしい。これは俺が見つけ、俺が信ずる騎士道であって、貴様が見つけ、信じるべき騎士道ではないのだからな」


「それじゃあ、俺はエルジンさんの言葉をどう受け取ればいいんですか?」


「それは無論、それもまた一つの騎士道だと受け入れれば良いのだ。そこから学ぶべきところのみを我がモノとし、また自分の求道の道標とする。言ったはずだ。今日のこれは、俺による貴様への教育だと」


「試合は二の次だっていうんですか?」


 ジュンタは乾いた笑みを浮かべる。


 何というか、昨夜色々聞いたから何とも複雑な気分である。きっとどこかで見ているだろうエリカは、今頃ハラハラしながら見ているだろうに……当の本人たちがやっているのは、実戦訓練と来たもんだ。


「さて――では次の教えに移るとしよう」


「攻撃はもういいんですか?」


「不殺こそが我が道と言われてしまった上で、この俺が何を説くと言うのだ? そんなことをする時間が惜しい。さっさと教育を終わらせ、俺は貴様を倒さなければならないのだからな」


 やはり試合を忘れたわけではないらしいエルジンは、


―ああ、そうとも。俺は憤慨している。ジュンタ・サクラに。一度はシストラバスの剣を取った騎士でありながら、忘れた愚か者をな!」


 これまでにない本気の怒気を込めて剣を振るってきた。

 向けられた敵意にジュンタは震え、一瞬反応が遅れた。

それでも運良く、トーユーズに鍛え上げられてきた身体が反射的に動いていた。


 霞むようなスピードの斬撃は、トーユーズの斬撃スピードに迫っていた。これまでのお遊びの斬撃とは訳が違う。腕の一本ぐらいは平気で持っていきそうな、本気の一撃だった。


 ジュンタは思う。エルジン・ドルワートルという男。もしかしたら両腕が健在だったときには、トーユーズにも匹敵するほどの『達人』だったのかも知れない、と。


 そんな圧倒的な貫禄を見せつける男は、防がれた一撃を不満そうに鼻を鳴らして見て、後ろに下がる。


「つまらん。そこで倒れていたなら、もはや何ら心おきなく勝負を俺の勝ちで終わらせられたものを。感謝するべきは、憎むべきは、恐れるべきは、素人だった貴様を僅かな期間でそこまで鍛え上げた化け物のような師か」


「それ、俺の先生が聞いたら怒り狂いますよ?」


 と言うか聞いてなければいいなぁ〜と、きっと見に来ているだろう美しき師トーユーズに対し、ジュンタは手を痺れさせつつ感謝する。


 冗談とは思えないエルジンの言葉と斬撃だった――五体満足でいられたのは、トーユーズの斬撃があまりにも速かったからだ。それにずっと相手をさせられていて、反射的に身体が動くようになっていたのが腕一本の命を救った。

(今のは本当に危なかった)


 痺れる手から、ジュンタは少し責めるような視線をエルジンへと変える。


「エルジンさん。教育してくれるんじゃなかったんですか? ものすごい奇襲じみた攻撃でしたけど?」


「感情の爆発という奴だ。俺もまだまだということか、感情の制御が上手くできていなかったらしい。教える間ぐらいは我慢できると思ったんだがな」


 悪びれた風もなく宣うエルジン。……まぁ、あれほど愛娘のことで感情を爆発させているエルジンだ。そう言うのは苦手なのだろう。


「だが、今ので倒れなかったのは失策だったかも知れんぞ? 自分の本当の愚かさを、貴様はこれから知ることになるのだからな」


「……どういうことです?」


 これまでにない本気のエルジンの視線に、少し狼狽えつつもジュンタは返す。


 根拠もなく気付いていた。これからエルジンが語ることこそが、最後の騎士の教えであり、最も彼が語りたかったことである、と。


「貴様は、我らシストラバス家の騎士団の――シストラバスの騎士の存在理由を知っているか?」


「え?」


 いきなりの質問は、そんな質問だった。

 シストラバス家の騎士団と騎士の存在理由――それはジュンタにも分かっていることであった。
 
ジュンタも一度は紆余曲折の果てに入団することになったのだ。受け取ったドラゴンスレイヤーの力こそが、彼ら紅き騎士の存在理由のはずである。

「……ドラゴンを滅すること。それがシストラバス家の騎士の存在理由」


「然り。だが貴様は我らシストラバス家の騎士団が、真にこのドラゴンスレイヤーに誓った想いを知らん」


 紅鎧を纏った隻腕の騎士は、己が剣を前へと突き出す。


「我らシストラバス家の騎士団の存在理由は、確かに貴様が語ったとおりドラゴンを滅すことにある。我らは『始祖姫』ナレイアラ様の時代より、それを使命としてきた」


 それは示すように、


「だが、考えても見るがいい。実際にドラゴンを滅す役割を担っているのは、我らが騎士団においてただ一人。竜滅姫様だけだ。――ならば、我らの存在はどこに意味を持つ?」


 見せつけるように、


「否、ない。竜滅姫様だけがいれば、ドラゴンはつつがなく滅せられる。それがナレイアラ様の意志であり、竜滅姫様が血の責務と掲げるモノ。――ならば、我ら騎士の存在理由は、その責務を竜滅姫様が果たすまで守ることであり、手助けすることか?」


 嘆くように、


「それもあろう。しかし本当の意義は別にある。それもまた、代々竜滅姫様が責務を血に巡らせたように、紅き剣に過去の騎士たちが抱き、後世まで残した願いに他ならない。

目の前で竜滅姫様を守れなかった嘆き。自分の無力さへの絶望。ドラゴンへの憎悪。そして、いつかの未来へと託した希望……」

 だが誇らしげに、


「我ら紅き剣の騎士の存在理由であり、胸に懐く祈りは、過去現在未来に渡りただ一つ。
 それは真の意味で竜滅姫様を守ること。竜滅姫様の犠牲なくして、竜滅を完遂させること――


 真っ直ぐに剣を掲げる。それは個の銘無き紅き剣――ドラゴンスレイヤーの名を冠し、しかし未だ竜を殺さぬ刃。

その紅き剣に込められた想いを。

過去より未来に託されたシストラバスの騎士の理想を、エルジンは謳いあげる。


 そう、我らが紅き剣執る理由とは――



「紅き剣に騎士の名を――――我らは、
(まこと)竜滅紅騎士(ドラゴンスレイヤー)となる!!」








       ◇◆◇







 声も高く、恥じることなく、会場中に響かせるように突如咆哮したエルジン・ドルワートル――その魂の叫びを、シストラバス家の騎士の祈りを、エリカは以前にも父の口から聞いたことがあった。


 それは昔の話。まだオルゾンノットの街がランカと名前を変えたばかりの頃。

 
一度酒に悪酔いした父親が涙ながらに語った話をエリカは隣で聞いており、当時幼かったがそれでも覚えていたのだ。

助けられなかったと嘆いていた父親の姿を。父親の涙を、エリカはそのとき初めて見たから。

エリカにとって父エルジンは、とっても優しくて強い騎士だった。

母親を誕生と同時に亡くしてしまったエリカだったけど、寂しいと思うことはあっても不満なんてまったくなかった。

自分にはとってもとっても偉大で格好いいお父さんがいるから……幼心に父に憧れ、誇りと思っていたエリカだったから、その涙は衝撃だったのを覚えている。

……その少し前、酷い酷い事件があったのだ。

何万人もの無辜の人々が死んだ。エリカもその恐怖を、身をもって体験している。


 街がたった一匹の獣によって灰燼へと変えられていく、その恐怖。『
終わりの魔獣(ドラゴン)』と呼ばれる厄災の恐怖。当時オルゾンノットで生きていた人々にとって、ドラゴンの恐怖は骨身にしみて味わったものなのだ。


 今でも、あの時の恐怖を思い出して眠れない夜がある。
 幼い頃それはしょっちゅうで、その度に自分は父親のベッドに潜り込んだものだった。


 エルジンは力強く、まったくドラゴンなんて怖くないように抱きしめてくれた。


 そんな強くて格好いい父親を……今思えばあの涙が切欠で、自分と同じ人間だと認識したと言ってもいい。お酒を飲んで涙ながらに話したエルジンの嘆きを、今でも強く心に残し、エリカは思い出せる。


『守れなかった。……俺は、守れなかった』


 その当時は、一体父親が誰を守れなかったかのかが分からなかった。だってエリカは父親に救われて生き残ったのだから。


『何が騎士か。誰が騎士か。主を守れなかった騎士に、一体何の価値がある……』


 だけど今なら分かる。エルジンが守りたくて、だけど守れなかった人が誰なのか。


 リオン様の母親にして先代の竜滅姫――カトレーユ・シストラバス

 オルゾンノットの街を救った英雄にして、ドラゴンと共に散った人……その人に間違いなかった。

 父親が吐露するには、代々シストラバス家の騎士は、紅き剣を担うにあたって先達からあることを教えられるらしい。


 親から子へ。祖父から孫へ。師匠から弟子へ。先輩から後輩へ……そうやって遙か千年の昔より受け継がれ続けている、一つの意志。シストラバスの騎士たちが胸に懐き、祈り、渇望し、だけど未だ果たせない理想……


『紅き剣に騎士の名を――――我らは、真の
竜滅紅騎士(ドラゴンスレイヤー)となる』


 過去現在未来を通して、その理想を叶えることこそが紅き竜滅の剣を担った騎士たちの使命であり存在理由。


 守りたい。守りたい。守りたい。目の前で大事な主を亡くした騎士たちが、次の竜滅姫様こそはと、そうして未来に託した理想の詩。


 いつかこの剣でドラゴンを滅し、この剣を本当のドラゴンスレイヤーに。

 いつかこの手でドラゴンを滅し、自分こそ本当のドラゴンスレイヤーに。


 剣に懸けた想い。剣に託した想い。剣に誓った想い。


『紅き剣に騎士の名を――――我らは、真の
竜滅紅騎士(ドラゴンスレイヤー)となる』


 託され誓い、また託す。そのシストラバス家の騎士という枠組みの中に、またエリカの父もいた。そして彼もまた目の前でその誓いを果たせず、独り涙した騎士であった。


「ああ、そっか……」


 紅き剣の騎士――エルジン・ドルワートルの叫びを聞いて、エリカは理解した。


 あの日、エリカは知ったのだ。涙する父親を見て、守れなかったと嘆く父親を見て、この人も自分と同じ人間なのだと。大事な人が傷つくのが悲しくてたまらないのだと、そう思い知ったのだ。


 力試しのために? 強さの証明のために?

 

 ――違う。エルジンという騎士は、そんな目的のために武競祭に出場したのではない。彼はただ守るために出場したのだ。

竜滅姫カトレーユ・シストラバスが散ったあの日に在った騎士として。

竜滅姫リオン・シストラバスが散りかけた、あの日に在れなかった騎士として。

今代の主をあらゆることから守るため、エルジン・ドルワートルは、紅き剣の騎士たちの代表として参加しているのだ。

それを自分は、一体何と嘲笑ったのか? 


「馬鹿だね、私…………全然お父さんのことわかってあげられてなかった。たった一人の、大事な家族なのに……」

 家族のことを理解してやれていなかったのは自分の方だった。


 止められるはずがなかったのだ。子供のことを考えていないのではない。自分のことを考えていないのではない。考えていてなお、それとは別の次元であの人は、一度そう誓った騎士としてその歩みを止められないのだ。


「ごめん……ごめんね、お父さん」

 誰よりも苛烈な、誰よりも誇り高い騎士を父に持って、エリカは涙を零しながら謳う。


「紅き剣に騎士の名を――――我らは、真の
竜滅紅騎士(ドラゴンスレイヤー)となる」

 ただ竜滅姫への愛故に。あの人はこの勝負に勝ち、この試合に負けるだろう。







       ◇◆◇







『紅き剣に騎士の名を――――我らは、真の
竜滅紅騎士(ドラゴンスレイヤー)となる』


 それこそがシストラバスの騎士の魂。


 ドラゴンを殺す。竜滅姫を守る。

 自分こそが、我らこそが、真実竜殺しの騎士であることを願う、貴き騎士の詩。


「貴様にはわかるか? 目の前で主君に死なれる痛みが。どうしようもない敵を前にして、守ると誓った人を犠牲にしなければならなかったシストラバスの騎士たちの嘆きが。自分たちが守れなかった嘆きを、後生に託すしかなかった無念が」

 
剣の切っ先と共に、そのシストラバスの騎士であるエルジンは鋭い視線をジュンタに向け、そのことを教える。また、自分も竜殺しを紅き剣に刻むことを願う一人の騎士として、声に怒りを滲ませて、エルジンは語る。

「シストラバスの騎士になることとは、いつか主を見殺しにする騎士になることと同義。
 だからこそ我らはその理想に魅入られ、縛られ、誇りとする。この紅き剣を執るということは、そう言うことなのだ」


「…………それが、騎士の誇りの重さ……」

 ジュンタには、ここにきてエルジンが何に怒っているのかに気が付いた。


 紅き剣に込められた、強くて、眩しくて、切実な想い。それを継いだ騎士だからこそ、エルジンは怒っているのだ。

――その剣を何も知らずに手に取り、そして捨てたサクラ・ジュンタという、一時でもシストラバス家の騎士であった男を。

「俺は……」


「その顔、どうやら俺が怒ってる理由に察しがついたようだが……どうやら、まだ誤解をしているらしいな。俺は別に、貴様がこの誓いを知らずにシストラバスの騎士になったことを怒っているわけではない」


「違うん、ですか?」


「騎士任命とはそう軽々しいことではない。聖堂で貴様が紅き剣を託されたのならば、それは我ら先達の騎士たちに認められ、誰よりも我らの誓いを理解するゴッゾ様が許可したということ。

 ああ、そうだ。あの時あの瞬間、確かに貴様は過去からの願いを知らなかったとはいえ、紅き剣を執るにふさわしい心を持っていた」


「なら、どうして? エルジンさんはどうしてそんなに怒ってるんですか?」


 エルジンの顔は、いつもの不機嫌面を数倍歪めた険悪なもの。それを怒っていないと見るのは到底無理なことだ。


 確かにエルジンは怒っている。サクラ・ジュンタという人間に対して怒っている。それはあの騎士任命が原因ではなくて……だけど、やはりあの騎士任命が理由だった。


「俺が怒っているのは、貴様があのとき持っていた心を失っていることだ」


「あのとき、俺が持っていた心?」


「我らが誓いは、突き詰めれば竜滅姫様――即ち今代ではリオン様をあらゆるものから守ることにある。

何が相手であろうと、それがたとえドラゴンであろうと、リオン様を守り抜くという意志。それを持った騎士のみが、正式にシストラバスの騎士になることが許される。そこに剣の力量の有無はさほど意味をなさない」

 例え、長年シストラバス家の騎士になるべく修行をしている人間でも、ぽっと現れたどこの誰とも知れない人間でも、関係ない。シストラバス家の正騎士になることが許される条件は、絶対唯一なる『竜滅姫を守り抜く』という意志のみ。

 ワイバーンを倒し、ランカの街を救ったジュンタ。だけど、実際はそこが評価されての騎士任命ではなかったということ。


 あくまでもあの任命において、シストラバス家の騎士たちがジュンタの任命を許したのは、その胸の奥に息づいていたリオンへの想い――大切な人だから守りたいという、その意志にこそあったのだ。

 だからこそ――――エルジンは怒る。

「それが何から来るものでも、リオン様を守りたいという意志が確かに貴様にはあった。守りたいという心が、あの時の貴様からは感じられた。だが、今の貴様はなんだ?」

 ヒュン、とそのとき唐突に、エルジンが斬りかかってきた。

 

 上から叩き付けるような一撃。奇襲じみたその攻撃を、ジュンタは大剣を両手で使って盾にすることで何とか受ける。

 

(なんて、力っ!)


 剣が想いというのなら、この剣の圧力こそがエルジンの抱いている怒りのほどを示していた。これほどまでにエルジンを怒らせた理由が、まだジュンタには分からない。


「俺たちは若輩者の貴様を高く買っていた。実際に現れたドラゴンを前にして、命がけでリオン様を助けたため……それもある。だが何よりも、貴様と一緒にいたリオン様がとても楽しそうだったからだ!」


 ギリギリと押し込まれていく刃。大剣がその圧力で折れそうなほどに、重たい。


「神殿魔法に巻き込まれて、それでも脱出した貴様がその後ドラゴンを前にして消えたこと。我らはこれを臆病者とは罵らない! 貴様を見ていれば、いなくなったことがどうしようもない理由だったと分かっていたからだ! ドラゴンに怯えて逃げたわけではないことが分かったからだ! だから突然剣を手放し、いなくなったことは責めん。だが――

「ぐっ!」


 圧力が増す。怒気が増す。エルジンの間近に迫った顔が、鋭い視線が、まっすぐにジュンタが犯した許し難い罪を責め立てる。



――会えるのならば、どうしてすぐにリオン様に会わなかった?」



 さらにエルジンの剣の圧力が増した。――違う。エルジンの剣の圧力が増したのではなく、ジュンタの力が弱まったのだ。

「なぜ、貴様はこんなところでそんな仮面をつけている? なぜ、会えるのならばリオン様に会いに行かない? なぜ、自分がジュンタ・サクラだと名乗らない?」


「どういう……こと、ですか?」


「そのままの意味だ。貴様は俺が怒っていると言ったな? 当然だ。リオン様を守る心を持っていた貴様が、今リオン様を悲しませている。それが怒らずにいられるかッ!」


 ふいに消える圧力と、横腹に感じた熱。

 エルジンが剣をいったん引き、高速の突きを放ってきたのだとジュンタが気が付いたのは、さらに足へと擦過する振り下ろしを受けた後だった。


「かッ!」


 最後に腹部に膝蹴りを受けたところで、エルジンの攻撃は止まる。

距離を取って二人は向き合い、そんな中でジュンタは呟くようにエルジンに訊いた。


「待って……待ってください! 俺がリオンの奴を悲しませてる? そんな、何が理由で……?」


「それに気付かぬことが俺を苛立たせていると言うのだ!」


 鋭い踏み込みと共に懐に入り込んできたエルジンが、言葉と共に剣を振り上げる。


「リオン様を守るということは、何もその身体を傷つけないことだけではない。その心をも守らなければいけないのだ。リオン様の日常の中にズカズカと無神経に侵入しておきながら、貴様はいきなり消えた。そのことに対して、リオン様が一体どう思われたと思っている!」


 それを何とか避けようとしたジュンタは、しかしエルジンの言葉に避けることができなくなった。

「……っぁ!」


 甲冑の胸部をかすめていく刃。完全に切り裂かれた『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』と浅く裂かれた肌。


 その痛みに悲鳴を出すことはなかったが、だけど、エルジンに言われた言葉が強く胸を抉り、小さな悲鳴をジュンタの喉から絞り出させた。


 日常が突如崩れるということがどれほど辛いことか、ジュンタにはよく分かっていた。


 リオンの日常にズカズカ入り込んでいたというエルジンの言葉。確かに、理由はどうあれ、彼女に強烈に意識されていたのは理解している。最後の最後で愛の告白だ。いきなり消えたところで『ふ〜ん』の一言で片づけられたとは思っていない。


 けど、もしもエルジンの言うとおり、どんなことであれリオンの日常を欠けさせて悲しませたのだとしたら……


「俺は、この戦いを誰のために……?」


 ジュンタは呆然と呟き、エルジンの攻撃のままに後ろへと倒れ込もうとする。

 それを見咎めたエルジンは心底忌々しそうな声と共に、大剣を腰ダメに構え、


「リオン様に会うことなく、貴様はここで終われ! ジュンタ・サクラ!!」


 鋭い一喝と同時に、紅き剣を突き出した。


「俺は、あの時……」

 その想いが込められたドラゴンスレイヤーが迫ってくるのを、ジュンタはじっと見つめ続ける。自分の犯した何かに、ただただ思い巡らせながら。


――汝、栄誉たる行いを成した者。

汝、賞賛されるべき行いを遂げた者。

其の名をここに、高らかに告げることを許しましょう――

――俺の名前は、ジュンタ。ジュンタ・サクラ――


 ああ。そういえばあの時あの瞬間、自分は彼女に名乗ることに、どんな想いを抱いていたんだったか……?









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