第八話  シストラバス家からの招待状(前編)





 今思えば、早まったことをしたと反省している。


「う〜む、行きたくない」


 ジュンタは机の上に置かれた一枚の招待状を前にして、腕を組んで唸っていた。

 

 赤い上質なレターセットの中には、真っ白な招待状が一枚。

 招待状には、今宵開かれるパーティーへの招待の旨が書かれた文がしたためられており、最後には主催者であるシストラバス家の印が刻まれている。


 招かれた招待客の名は記されていないが、これを持っていけば入れてもらえるという話。実際は招待状が読めないわけだが、渡されるときにそう説明された。


「招待されたのは女装した俺だからなぁ。その時点で行きたくないんだけど、さらに昨日のこともあるし……」

 この招待状を受け取ったのは、一重にショコラをパーティーで作って欲しいと頼まれたからである。客というより、パティシエとして招かれたといった方が正しい。


 問題なのは、それを頼まれたときのジュンタの格好が女装中だったことである。


『鬼の宿り火亭』で大絶賛発売中のショコラ。それを作れるパティシエのサクラであったときに渡されたのだ。つまり、行くには再びの女装が必要ということになる。


 女装するのが嫌だ。それを見られるのが嫌だ――それが行きたくない理由の一つ。


 もう一つの理由は、昨日の開会式で、もしかしたらアルカンシェルの中に入っているのが誰か、リオンにバレてしまった恐れがあることだった。

 可能性としては半々ぐらいだとしても、リオンにアルカンシェルの中にサクラという女性が入っていると思われているかも知れない。サクラが『サクラ・ジュンタ』であることはまず露見していないだろうが、それでも色々と困る。


「う〜ん、どうする? ユースさんには行くって言っちゃったけど……」


 パーティーは今日の夕刻から行われる。今は早朝――今日一日しか悩む時間はない。


 宿として借り受けている部屋でジュンタが悩んでいると、トントンと部屋の戸がノックされた。

「ご主人様、少しいいですか?」


「クーか? いいよ。鍵空いてるから」


「失礼します」


 いつも被っている帽子と白い上着を取ったラフな格好のクーは、手に何かを持って部屋に入ってきた。


「どうかしたのか?」


「あの、ご主人様にお届けものがありましたので、お持ちいたしました」


「お届け物?」


「はい、これです」


 そう言ってクーが差し出してきたのは一枚の手紙だった。
 やけに今まで睨んでいたシストラバス家からの招待状にそっくりな手紙である。


 恐る恐るジュンタは手紙を受け取って、封に使ってある蝋の形を確認する。不死鳥の形だった。


「うげっ、これシストラバス家からの招待状じゃないか」

「そうみたいです。ご主人様、すごいですっ。よく分かりましたね」


「分かるも何も、だって二枚目だし……って、これ俺に? なんでまた二枚も?」


 睨んでいた封の開いた招待状を手にとって、もう片手で新たに届けられた招待状を取り、まったく同種の二つにジュンタは首を捻る。


「……どうして二枚? なぁ、クー。一体誰がこの招待状を届けに来たんだ?」


「届けに来た人ですか? たぶん、シストラバス家の人だと思います。紅い鎧の騎士の方でしたので。先程宿の方に呼ばれまして、入り口で手渡しされたんです。私とご主人様の分の二枚を」


「クーの分も?」

「はい。これです」


 クーは持っていた招待状をかかげて見せる。それはシストラバス家からの招待状に間違いなかった。


「あの、ご主人様。何か問題でもありましたでしょうか?」


 未だ封の切られていない招待状を手に、不安げにクーが尋ねてくる。


「問題というか……まぁ、招待状を開けてみないことには判別しづらいな。取りあえず開けてみるか」


「わかりました」


 以前渡された方を置き、ジュンタは今日渡された方の封を切って、中に入っていた手紙を取り出す。クーも同じく取り出して、手紙を読み始めた。


(手紙も同じだな。なら二枚も同じ相手に渡す必要なんて……ん?)


 異世界の言語が読めないジュンタは、前の手紙と見比べて、一度最後まで目を通すだけ通してみた。するとある相違点に気付く。


「もしかして、そういうことか。クー、その手紙の書面、クーを名指しにして招待してるか?」


「はい。最初に『クーヴェルシェン様へ』って書かれてますけど、ご主人様のものには名前が書かれていなかったんですか?」


「最初に渡された方にはな。けど、二枚目には書いてあるっぽい」


 ピラリとクーが見せてくれた招待状もやはり読めないが、自分のと比べて文の最初の一箇所が違っていることは分かった。恐らくはそこに『クーヴェルシェン』という名前が書かれているのだ。


 ジュンタは自分が気が付いたことを半ば間違いない確信しつつ、一応確かめるためにクーに自分の招待状を見せた。


「悪いけどさ。ちょっと手紙の始め読んでくれるか?」


「構いませんよ。ええと、アルカンシェル様へ。此度は――あ、ご主人様のは武競祭で使われているアルカンシェルの方の名前なんですね」

「だな。思えば何のためにシストラバス家がパーティーを開くのか知らなかったけど、招待する客は武競祭の参加者なんだ。クーも俺も招待された理由は、武競祭本戦に出場するからなんだな」


 つまりはそういうことだ。


 二枚目の招待状は、サクラというパティシエ宛ではなく、武競祭本戦に出場するアルカンシェルという個人に向けられたものだったのだ。二つの偽名を使い分けているために、こうして二枚も招待状が手元にある状況になってしまったのである。


「あれ? そういうことでしたら、どうしてご主人様の分まで私が渡されたんでしょうか?」


 今更ながら、クーがそのことを疑問に思って首を傾げる。


 そのことにもまた、ジュンタは予想がついていた。


「アルカンシェルってのは正体不明で、どこに招待状を届けていいか分からなかったんだろ。昨日リオンに、クーと俺が一緒だったのを見られたし、知り合いだと思われたようだな。それでできることなら渡してくれ、って感じか」


「なるほど…………あの、もう一つ疑問があるんですが、訊いてもよろしいでしょうか?」


「そんな畏まらなくても、もちろんいいぞ。聞きたいことって?」


 そろ〜りと手をあげたクーは、言いにくそうに口をモゴモゴさせたあと、意を決して質問をぶつけてきた。


「少し前から気になっていたんですが、ご主人様は、その、リオン様とお知り合いなんですか?」

「ん? ああ、そうか。クーは知らないんだっけ」


 考えてみれば、あのランカの街で起きた一連の事件のことを知っているのはサネアツだけだ。
 クーとは実際知り合って一月程度――あまりに密度が濃かった日々なので忘れていたが、互いにあまり互いのことを知ってはいないのだ。


(さて、どう説明したものかな)


 実際に起きたことを話すのはクーなら問題ないが、如何せん時間がかかる。これからトーユーズとの修行もあるし……


「知り合いって言えなくもない、ってとこかな? 実は俺ちょっとの間だけど、リオンの屋敷で働いてたことがあるんだ」


「リオン様のお屋敷でですか?」


 クーにとってはあまりに意外なことだったのか、目を大きく開いて驚いている。

 逆にジュンタにとっては、クーがリオンに様をつけていることの方が気になった。


「まぁ、そんな感じなわけだ。ところで、クーはリオンに様をつけるんだな」


「あ、はい。リオン様はやっぱり、とても偉いお方ですから」


「使徒ナレイアラの子孫、って奴か」


「そうですね。シストラバス家の祖である使徒ナレイアラ様は『始祖姫』様のお一人ですし、リオン様は竜滅姫ですから。あ、もちろんご主人様の方が偉いですよ?」


「いや、別に嫉妬とかはしてないから大丈夫……でも、そっか。リオンがねぇ」


 手にある二つの招待状――一つはショコラというお菓子を求められてのご招待で、もう一つは武競祭本戦参加者としてのご招待。アルカンシェルとして出席した方が、お客様だし待遇はいいだろうが……


(もしかしたら本当にリオンの奴、まいってるのかも知れないな)

 リオンの従者であるユースが、主は最近苦労が多いと、そう言っていた。

 

 苦労とは無論、武競祭優勝における例の約束のことだろう。
 
優勝しなければ誰とも知らない相手と結婚しなければならない――女の子にとって、それはどれほどの苦痛とプレッシャーになるのだろうか?


 男であるジュンタにはよく分からない。だからジュンタは、目の前にいる女の子に訊いてみた。

「クーはもし、いきなり見ず知らずの男に結婚してくれって言われたらどうする?」


「断りますよ」


 真剣な顔と共に即答が返ってきた。


「そんなことを私が言われるとは思えませんけど、やっぱりそう言うのは嫌です。私はもう、自分の全てを捧げた人がいらっしゃいますから」


「そ、そっか……」


 自分の胸元に手を当てて、それがさも一番の自慢であるようにクーは述べる。


 それを聞いて、まったく恥ずかしげもなく言い切ったクーとは違い、赤面してしまうのはジュンタの方だった。クーが言う『人』が誰か、簡単に分かってしまったために。


 ゴホン、とジュンタは咳払いをして頬の赤みを取る。

それから二枚の招待状の内、名前の書かれていない招待状を手にとった。


「それならまぁ、リオンの奴を元気づけに行きますか。明日からの戦い、誰にとっても悔いなんて残らないようにな」


「はい、それでこそご主人様です」


 主の優しい発言に、クーは嬉しそうに返事を返す。

それに続いて、いつのまにか部屋にやってきていたサネアツが笑って言った。


「それなら俺はマイステリンとルイ店長に、二人をとびきり綺麗にドレスアップしてくれるように頼んでおいてやろう。なに、礼はいらない。では早速」


「待てぇぃ!」


 ――結局、逃げるサネアツにジュンタが追いついたのは、すでに『鬼の宿り火亭』で今夜のことが話し合われたあとのことでした。








       ◇◆◇






 王都レンジャールにおいて、貴族の邸宅などが建てられた高級住宅街は城のすぐ近くにある。


 それは王城の近くの方が安全だからという防犯面や、王宮に勤めるために近場の方が何かと便利だという交通の利便性も理由にあるが、やはり古き王国であるグラスベルト王国では歴史的にそうであるから、という理由が一番強いだろう。


 貴族というものは、何より体面を気にするものだ。

 それができないのは貴族としてはあり得ない。それが善いことか悪いことかは関係ない。そうであるものが貴族であり、それ以外を貴族とは呼ばないのだ。


 故に格式を重んじるのならば、例え広い土地が取れなくても建てるべきは王城の近くだ。


 そんな背景があって、過密的に、こぢんまりとした――それでも民家に比べれば広いが――屋敷が連なる高級住宅街。

 その中でも一際大きな邸宅が、シストラバス家のレンジャールにおける別邸であった。


 敷地にして他の屋敷の三倍近く。分厚い塀で囲まれているために庭の様子は分からないが、奥に見える屋敷を見るに相当庭も広そうである。

屋敷は騎士名家シストラバス家らしい、豪奢ではあるが質実であるという矛盾を、上手く形にした屋敷であった。

「すごいなぁ〜」


「すごいですねぇ〜」


 夕陽を受ける、そんな巨大すぎる邸宅を見上げながら、感嘆の声をもらすのは二人の女性――否、正確には女性の格好をした少年と、少女の二名だった。さらに正確に言えばもう一匹同行しているのだが、姿は見えない。

「いや、本拠地はランカなのに、普通に他の屋敷よりでかいあたり、さすがはお金持ちだって気がするな」


 タートルネック状の分厚い黒生地のシャツの上に、所々にレースの飾りがついた白いブラウス。下は白いロングスカートで珍しい黒髪を縦ロールにしているジュンタは、今更ながらにシストラバス家のお金持ちっぷりを痛感する。


「確かグラスベルト王国内でも五本指に入る金持ちだっけ?」


「そうだ。規模も格式も何もかも、紛れもなく最高であるのがシストラバス家だ。お金持ちになったのは、現当主ゴッゾ・シストラバスからのようだがな」


 モゴモゴと見えないサネアツの声が、ジュンタの胸元から響く。


 本来男であるジュンタにはあり得ない、大きな胸の膨らみ。それを補って作り上げているのが、実はサネアツだった。


 この幼なじみは、この時期に意味深にパーティーを開くシストラバス家――ひいては当主であるゴッゾのことが気になって、半ば無理矢理に付いてきたのである。先程からしゃべるたびに吐息が肌にかかってくすぐったい。


「サネアツ。分かってるとは思うけど、中に入ったらあんまりしゃべるなよ?」


「分かっているとも。俺はここで一人ぬくぬくと聞き耳を立てていよう」


 サネアツが笑ったことを長いつき合いと胸のくすぐったさから察して、ほんとに大丈夫かと思いつつ、ジュンタは隣のクーに視線を注いだ。


「な、なんだか、緊張しますね」


 クーはパーティーに行くとのことで大はしゃぎした『鬼の宿り火亭』の皆に、出かける直前まで着せ替え人形のようにされていた。


 実際は自分もそうなりそうだったのだが、正確にはパーティーではなく裏方に参加とのことで、今の服で我慢してもらった。その反動はクー一人へと行ったので、ちょっと悪いことしたなぁ、と感じていたのだが、今はそれが正しい判断だったとはっきり言える。それくらい今のクーの姿は可憐だった。

エルフは湖の妖精、森の妖精と呼ばれる、種族的に容姿が整った種族であるという。

ジュンタはクー以外にエルフを見たことはないが、それでもこの愛らしい少女ほどに可憐な女の子が、そんなにたくさんいるとは思えなかった。

恐らくは、クーはエルフの中でも指折りの美少女に違いない――そう確信するほどに、微笑むクーを見るとドキリとさせてしまう。

 
色々と着せ替えさせられた結果、結局は自分とおそろいの感じにしたらしい。

上は大きな桃色のリボンを胸元にあしらった白いワンピース型のドレス。腰には後ろに大きなリボンのついた黒いコルセットをつけて、身体全体の色にメリハリを付けている。

眩しいほどに白い二の腕が露わになっていて、黒い手袋は肘近くまであるレース柄のもの。まだ発展途上なクーの魅力を最大限引き出す、少し大人っぽい、しかし清楚な服である。


 長い金髪は首の後ろで一つに纏められ、それをリボンで持ち上げてポニーテールのような形となっている。露わになったうなじが綺麗で、『鬼の宿り火亭』で最初見たときと同じように、ジュンタはまたクーに見とれてしまった。

「あの、ご主人様。どうかされましたか?」


 澄んだ青色の瞳が下から覗き込んでくる。


 まるで心の奥底まで見通されているかのようにすら思える透明さは、自分自身の心を鏡のように映し出した。


「ご主人様……?」


「い、いや、なんでもないよ。うん、ほんと」


 これまでの人生において異性とお付き合いした経験もなく、基本的に異性に対して免疫の少ないジュンタは、少ししどろもどろになって視線を逸らすことで、今のクーと一緒にいても胸をドキドキさせないように、自分の中で何とか折り合いをつける。

「さ、さぁ、行こうか! ここでじっとしてたら怪しいと思われるし、俺はこれから準備しないといけないし、早めに行かないと!」


「あ、はいっ、そうですね。ご主人様、行きましょう」


 にこりとクーは笑う。どうやら本心には気付かれていないようで、ほっと一安心。


 ジュンタとクーは、どちらからともなく手を取り合って、厳重な警備が行われているシストラバス家の正門へと足を向けた。


 その姿が仲のいい姉妹のようにしか見えなかったのは、果たして本人たちには喜ばしいことなのか否か…………とても微妙なところだった。







 外観からして豪華にして洗練されていたシストラバス邸の内装は、やはり外観から感じたのと同じく豪華であり洗練されたものだった。


 お城のようなランカのシストラバス本邸とは違う、煉瓦で作られた邸宅は、どちらかと言えば貴族らしい方に傾倒している。だが、その中で確かに息づく騎士道精神を表すように、金をかけるべき場所は豪華に、それ以外は整然としている印象を受けた。


「どうぞ。サクラ様」


 屋敷の中を案内されていたジュンタに対し、案内役のユースが一つの部屋を指し示す。

「ここが……」

「はい。こちらが当家の厨房となっております」


 厨房と案内された場所は一言でいうと…………戦場だった。

 大きな食堂の隣にあった厨房の扉を開けた瞬間に、むわっとした熱気が中から流れ込んできた。

 厨房の中には十人近い料理人が、間近に迫ったパーティー料理の準備に追われているところであり、
罵声に近い料理長の指示が飛ぶそこは、紛れもなく調理人にとっての戦場――自分みたいななんちゃってパティシエには入ることさえ躊躇させる、料理人たちの戦場であった。


「あの、本当にここで私にショコラを作れとおっしゃるんですか?」

 十数人ものメイドが出迎えてくれた正面入り口から、ここまでまっすぐに案内してくれたユースに、ジュンタは作った高い声と女口調を総動員させて尋ねる。


 できれば首を横に振って欲しいなぁ、と思うジュンタの願いが通じたのか、ユースは首を横に振った。


「いえ。ショコラを作れではなく、作っていただけたら幸いです、が正解です」


「あ、そっちに対する否定だったんですね」


「?? よく分かりませんが、何かこの厨房に対して不満でもございましたか? あらかじめお聞きしてありましたアイスボックスなどの材料は、全て最高の物を揃えさせていただきました。一流の料理人が満足する厨房であると自負しておりますが」


 何が問題なのか分からないと言った感じのユースは、剛胆なほどにクールな性格だからそう言えるのだ。素人は、こんな鬼気迫った危険な場所を目の前にしたら尻込みします。


 そうやってジュンタが厨房に入るのを躊躇していると、やがて不安そうにユースが口火を切った。


「あの、申し訳ありませんが、ここ以外に厨房はないんです。紅茶を入れるための道具くらいなら別の場所にもありますが、本格的な調理となると……」


 どことなく不安そうなユースの無表情が『作ってくれるか不安』みたいになっているのを感じ取って、ジュンタの胸に良心の呵責が襲いかかってくる。先日『鬼の宿り火亭』にやってきたユースが見せた表情は、今も瞼の裏に焼き付いて離れない。


「そうですか…………それなら、ええ、覚悟を決めましょうかね」

 

ジュンタは尊敬すべき師、トーユーズのモットーを思い出して活を入れる。


(いついかなるときも美しく……って、違う! 俺男だから格好良くが正解っ!)


 内心で一人つっこみを行い、強引に活を入れて、ジュンタは持ってきたフリフリヒラヒラのエプロンを身に纏う。


「それでは任されました。数はホール十個ほどでいいんですよね?」


「はい、十分です。今夜のパーティーはさほど人数は来られませんので」


「分かりました。それじゃあ――


 一歩、安全圏だったユースの隣から前へと踏み出す。


――ショコラ作り、始めさせていただきます」


「お願いします、サクラ様」


 ユースの激励を耳にジュンタは戦場の外から戦場の中へ。
 
気分は剣取り盾持ち戦う兵士の如く。腕まくりをして気合いを入れる。

 戦場に足を踏み入れた瞬間に、周りの上官から訝しげな視線が突き刺さってくる。

 それも仕方在るまい。彼らからしてみれば、自分は聖地を乱す新参兵に他ならない。足を引っ張る子供を歓迎する戦地は存在しない。歓迎するのは即戦力だ。


(料理なら無理だけど、お菓子作りなら俺だって負けない!)


 突き刺さってくる視線を、半ば無視し半ば意識しつつ、ジュンタは自分のために開けられたスペースへと赴く。


 一通り材料が並べられ、背後には氷の箱が並ぶ四畳ほどのスペースが。そこがサクラという新参兵にとって、死守すべき聖地である。


 周りの歴戦の兵たちが見守る中、長い髪をリボンで纏め上げて、ジュンタは口端をつり上げる。


調理開始(ミッションスタート)料理名・ショコラ(ミッションコード・ラブアンドピース)――これより先は食べてくれる誰かのために(アイハセカイヲスクウノデス)






       ◇◆◇







 裏方が忙しなく動いている中、パーティー会場となっているシストラバス邸一階のダンスホールは、すでに少なくない数の招待客で溢れかえっていた。


 他の場所とは違い、無駄とも言えるほどに豪華絢爛なダンスホールは、広さにして『鬼の宿り火亭』が五つ入るほど。ちなみに『鬼の宿り火亭』は、飲食店としてはかなり広い方である。

中央には大きな舞台。その傍には様々な楽器を使って音楽を奏でる楽士たちの部隊。

壁際には白いテーブルクロスに覆われた長テーブルがあり、その上には、まだパーティーが本格的に開始されたわけでもないのに、色とりどりの料理が並んでいる。

ただいるだけで高揚する――思わず音楽に合わせて踊りたくなるような、そんな雰囲気を発するダンスホールの中、主役にもなれる華やかさを持っているのに、壁の花にクーは徹していた。

バルコニーに続く窓の横の壁に背を預け、ぼんやりと行き交う人々を眺める。

 忙しそうに行き交う、赤と白のメイド服を着たメイドや黒い燕尾服の執事。
 
招かれた国の重鎮たちは、知り合いとワイングラス片手に談笑している。当たり前だが、此度のパーティーに招かれたのは、何も武競祭本戦の参加者だけではないようだ。

誰もがパーティー会場において、自分の仕事をしたり談笑したりと、忙しそうに、楽しそうにしている。……けれども、クーはあまり楽しいとは感じなかった。

元来、こういう騒がしく、人が多い場所が苦手というのもある。

生まれ育った場所が聖神教の聖地だったため、身体に馴染む落ち着く空気は静謐な空気だ。

けど、今日に限ってはそれよりも、他のことが楽しくない大きな要因となっていた。

(よくよく考えてみれば、ご主人様は裏方に回るのですから、一緒にパーティーを楽しむことはできないんでした……)

 それは隣に、一緒にいると安心する人がいないことだった。


 今朝招待状が届いてパーティーに行くことが決まったとき、苦手なはずのパーティーに行くことをクーは喜んだ。それはジュンタも一緒に参加するからである。どれほど苦手でも、大好きな人と一緒ならきっと楽しいだろうと、そう思ったのだ。


 準備中も楽しかった。仲良くなった『鬼の宿り火亭』の人たちに玩具にされた自覚はあったが、パーティーのことを思うとそれも楽しくて仕方がなかった。

ドレスも女装をしたジュンタと合うように選んでくれて、しかも彼が褒めてくれたことでとても幸せな心地だった。褒め返したら、ものすごい微妙な顔をされてしまったが。

とにかく、全てが楽しいと思ったのはジュンタがいたからである。

けれど同じくパーティーに招待された彼は、ショコラを作って欲しいと、すでにユースと名乗るただ者ではないメイドに厨房へと連れて行かれてしまった。

だから今、クーはひとりぼっちだった。それで楽しめという方が酷というものだろう。


「……ご主人様…………」

はぁ、と物憂げに溜息を吐くクーは、いつもとは違う子供っぽさのない艶やかな雰囲気を纏っていたために、多くの若い男性が声をかけた。それに困りつつも丁重に断ることぐらいが、クーがこの数十分間でしたことだった。

そんなつまらない時間が終わりを迎えたのは、もう少しでパーティーの開始時間と迫ったときに会場に現れた、一人の女性に話しかけられたことでだった。


「やぁ、ミス・クーヴェルシェン。君もパーティーに参加していたんだね」


「あ、シーナさん」


 少し地見目な淡い緑色のドレスを着た、中性的な魅力を持った女性――予選会場が一緒で、その縁で仲良くなったシーナが、微笑を浮かべて話しかけてきた。

「そのドレス、とてもよく似合っているよ。妖精のようとは、君みたいな女性を褒めるための言葉に違いない」


「そ、そんな。シーナさんの方が私なんかよりも、もっともっと綺麗です」


 褒められたクーは僅かに頬を染め、それからシーナを褒め返す。お世辞ではなく、
軽装姿ではない彼女は酷く新鮮で、とても綺麗だった。いつもは――失礼かも知れないが――男性にも見える彼女だが、今日だけはどこからどう見ても綺麗な女性にしか見えない。

そう正直な気持ちで褒めたところ、返ってきたのは、ジュンタを褒めたときと同じようなとても微妙な表情だった。


「あの、シーナさん? どうかされましたか?」


「いや、別になんでもない。こういう服には慣れなくてね。褒められて、どう反応すればいいか分からなかっただけ」


 どこか自嘲するようにシーナは笑う。
 その笑みも、やはりどこかジュンタが浮かべた笑みに似ている気がした。


「ところでミス・クーヴェルシェン。今日は君一人なのかい? 招待状には、一枚で二名まで来ることが可能だったようだけど?」


 クーの周りを軽く見渡したシーナは、話題を変えるように突如質問を口にした。


 クーは厨房に赴いたジュンタのことを考えて、別に言っても構わないと判断して答える。


「いえ、一緒に来た方はいるんですが、今は少し用事があってここにはいないんです。パーティーが始まったら合流する手はずになっているんですけど。シーナさんの方こそ、今日はお一人ですか?」


「まぁ、そういうことになるかな。生憎とこういう場に誘えるような人がいなくてね。色々と気になったから来てはみたけど、少々場違いという気がしてならないよ」


「気になること、ですか?」


 そう言われてみれば、シーナのような騎士然とした人が、このようなパーティーにわざわざ足を運ぶだろうか? 

物腰があまりにも優雅で、パーティーに完璧にとけ込んでいたから今まで気付かなかったが、あまりシーナはパーティーに乗り気ではない顔をしている。ほとんど交流はないから、実際のところはそこまで分からないのだが、そこはかとなくそんな気がする。


「ミス・クーヴェルシェンは、今日のパーティーがどんな目的で開かれたのか知っているかい?」


 じっとパーティー会場で談笑する人々を見て、どこか憤ったような表情をそのときシーナは見せた。


「招待状にも明記されていませんでしたので私は知りませんが……シーナさんは何か知っていらっしゃるんですか?」


「いや、僕も分からない。だからこそ、それを知りたくてこのパーティーに足を運んだんだ。たぶん僕だけじゃなく、武競祭に参加する人間の数人かはそういう理由だと思う。

名高いゴッゾ・シストラバスが、この武競祭を明日に控えた時期に開いたパーティー。城下で広まる噂もある。何も関係ないはずがない」


「それは……考えて見れば、確かにそうですね」


 シーナに言われるまで気付けなかったのは、パーティーにジュンタと一緒に参加できることではしゃいでいたからか。今思えば、どこかジュンタもサネアツも、このパーティーに何か予感を抱いて参加しているようだった気もする。


「恥ずかしいです。こんな分かりやすいことにも気付かないで、私は一体何をしていたんでしょうか?」


 本来使徒の手足となって働くべき巫女の自分が、その本分を忘れて遊び呆けようとしていた――
自堕落な自分をクーは責め、罪を告白するように人間のように手を胸の前で組んで、曇った表情で自嘲した。


 そんなクーを見て、焦りだしたのは話題を持ち出したシーナの方だった。


「い、いや、ミス・クーヴェルシェン。君が気付かなくても不思議ではない。今回の武競祭の噂も、女性である君にはあまり関係ないことだし」


「でも、同じ女性であるシーナさんは気付きました。私、ダメダメです」


「いや、僕は………………あ、あ〜いや、そのなんと言っていいか……」


 何かを言おうとして、それを途中ではっと気付いてシーナは止める。

以後、いいフォローの言葉が思いつかないようで、口を噤んでしまった。

 ……二人の間に重い空気が流れる。

綺麗な少女二人が壁の花であったことを嘆いていた男性たちも、その雰囲気に割ってはいる自信はないようで、二人を遠目にして困り果てていた。

 

 その横を、見慣れぬ珍しい黒髪の女性が通り抜けていく。


「クー、悪いな。待たせたか」


 黒髪の女性の姿をした少年――ジュンタは、クーとシーナの間に流れる空気に気付きながらも二人に話しかけた。

その瞬間、朝が来て花開くつぼみのように、沈んでいたクーの顔に笑顔が花開いた。


「ご主人様。いえ、大丈夫です。ご主人様でしたら何年でも待てますから。料理の方はもう終えられたんですか?」


 満面の笑顔で、クーは幸せオーラを垂れ流しにする。


 ジュンタはふっと遠い目で厨房の方を見やると、力強く頷いた。


「あとはしばらく冷やせば完成だ。料理長に味見してもらったら感激されてさ。最後の飾り付けはやってくれるって言うから、先に抜けさせてもらったんだ。いや、人って分かり合えるものなんだな。絶対あれ、レシピ盗もうとしているんだろうけど」


「それはご苦労様でした。あ、何か料理をお持ちしましょうか? 喉は乾いてないですか? 私、何か見繕って持ってきますね」


 ちょっぴりお疲れの様子のジュンタのために、クーは先程までの失敗をこれからの行いで挽回しようといわんばかりの勢いで、料理が並べられたところへと特攻していく。

 やっぱりご主人様は偉大だ。傍にいてくれるだけで、こんなにも世界が鮮やかになっていく。

(これからです。これからもっと、がんばるんです私っ)

 先程よりももっと楽しく見えるパーティー会場を見て、楽しい気分でクーは気合いを入れた。






 笑顔を取り戻したすぐあとに、料理を取りにいなくなったクー。

後に残された見知らぬ茶色の髪の女性が、何とも言えない表情であいさつをしてきたのは、クーを完全に見送り終わったあとのことだった。


「初めまして、僕はシーナと言います。ミス・クーヴェルシェンとは同じ予選で出会いまして。もしよろしければ、あなたの名前をお聞かせいただいてもよろしいですか?」


「これはご丁寧に。私の名前はサクラと言います」


 偽名を躊躇無く名乗りつつ、ジュンタはまるで王子様みたいな奴だな、とシーナを見て思った。


 長い茶色の髪に、意志の強そうな黒みがかったブラウンの瞳。

 物腰は柔らかで、口元には絶えず微笑が。中性的な容姿も相成って、きっとさぞや女にもてる女性であることだろう。

 ここにいて、予選会場でクーに出会ったということは、彼女もまた本戦参加者であるということ。なるほど、言われてみれば開会式で見かけたような気もする。

 

 ある意味では敵であるシーナなのだが、今ここにいるのは武競祭参加者のアルカンシェルではなく、ただのパーティーの参加者のサクラだ。ジュンタは特に気にせずいようと思い、何の意味のない話題を振る。


「シーナさん、とお呼びしてもよろしいですか?」


「よろしければシーナと呼び捨てで呼んでください。ミス・サクラ」


 にこりと柔和な笑みと共に、普通に『ミス』とか言われて、ジュンタは頬をひくりとさせた。

だ、大丈夫。相手に悪気は一ミクロンほどもない――内心の苦痛を男の涙で押さえ込んで、笑みが歪んだ口元を手で押さえ、さも上品な仕草であるように取り繕ってジュンタは返答する。

「では私もミス・シーナと呼ばせていただきますね。よろしくお願いします」


 うふふ、と完全に作った笑みと共にそう告げれば、今度はシーナが頬を引きつらせる番だった。


 彼女は何やら重い苦悩でもあるかのように一瞬黙り込み、それを強い意志で隠し通して笑みを作る。それは強ばった笑みではあったが、それでも彼女の必死さが伝わる綺麗な笑みだった。


「ええ、こちらこそよろしくお願いします。ミス・サクラ」


「はい、本当によろしくお願いしますね。ミス・シーナ」


 傍目からはわからぬ葛藤を抱え、二人は外見にこやかに握手を交わす。


 なぜか繋がるシンパシー――まさかね、と思いつつ、ジュンタはシーナと名乗る女性から手を離した。

「ご主人様。お飲物とお食事をお持ちいたしましたっ」


 そこへ、片手に大量の料理が乗ったお皿を持ち、もう片手にたくさんの飲み物が入ったグラスを並べたクーが戻ってくる。


 その給仕のように大量の品を持ってきたクーを振り見て、ジュンタはぎょっとなった。


「ど、どうしてそんなにたくさん持ってきたんだ?」


「え? それはもちろん、ご主人様にお好きなものを選んでもらうためですけど」


「いや、まぁ、なんとなくそうじゃないかとは思ったけど……」


 いくらなんでも持って来すぎ――そんな言葉が喉から出かかったが、折角好意で持ってきてくれたクーの手前、実際声に出すことは憚られた。

「うん。ありがとな」


 見ていると不安になるほど抱えているクーから、危なそうなグラスの入ったお盆をジュンタは受け取りつつ代わりに礼を述べた。


 すると横手から、クーのもう片方の手から、料理が乗ったお皿を取り上げる手が伸びた。


「シーナさん?」


「少し見ていると危なっかしいからね。これは僕が持っているよ」

それはシーナで、やはり彼女も似たようなことをクーを見て考えたらしい。

 
お皿を受け取ったシーナにジュンタは軽く頭を下げる。クーの保護者……というのもあれだが、保護者みたいなものとして、一応お礼を。


「すみません。ありがとうございます。それでできれば、ありがとうついでにこれの消費を手伝ってくれたら嬉しいんですが」


「構いませんよ。ちょうど僕も喉が渇いていたところですから」


 巨大なお皿の上に、所狭しと乗っている癖に見てくれを悪くしていない、けれども到底一人では食べられようもない量を見て、ジュンタはシーナに協力を要請する。


 格好いい騎士のような彼女は、レディに対する礼儀をよく分かっている。嫌な顔一つせず笑顔で承諾してくれた。……今普通に自分のことをレディって言っちゃったよ。どうしよう?


「そ、それではどうぞ。お飲み物はたくさんありますから、選んでください。いいよな、クー?」


「はい。ご主人様がそれでよろしければ」


「と言うわけですので、どうぞ。向こうの机を借りて少し食べましょうか」


 立食パーティーなのに、立食できないこの重量――畏まるクーの前で、ジュンタとシーナは笑って頷き合い、パーティーの片隅に置かれた小さなテーブルへと歩いていく。






       ◇◆◇







「ご主人様の作ったショコラは、いつ大々的に披露されるんですか?」


「大々的にはされないと思うけど、パーティーの終盤の方じゃないかな」


 何とも奇妙な共感を抱く、クーヴェルシェンの知り合いである女性――サクラ。


 珍しい黒髪を巻いた、どこか異国の風貌を持つ少し年下くらいの彼女は、その雰囲気もやはりどこかミステリアスだった。そしてそれに輪をかけているのは、クーヴェルシェンが彼女の呼ぶ際の呼称――『ご主人様』というものだった。


 エルフという、人と友好的だが、あまり俗世に姿を現すことの少ない種族の少女であるクーヴェルシェン。彼女が主の呼ばうのなら、サクラはそれ相応の身分にある女性なのだろう。

 異国の貴族か、あるいはエルフ族に関わり合いの深い聖地の人間か……着ている服はそれほど華美ではないため、貴族というよりは聖職者の可能性の方が高そうだ。


 クーヴェルシェンはいかにも聖神教の関係者という風だが、それ以外に素性が知れないため、そこからサクラという女性について推測するのも難しい。せめてクーヴェルシェンが名前だけではなく、人間にとっての家名にあたる『森名』を名乗ってくれれば良かったのだが。

(まぁ、武競祭に参加しているのはミス・クーヴェルシェンの方だから、関係ないと言ってしまえばそれまでなんだが)


 結局彼女とは今宵限りの出会いに過ぎない。

特段気にするべき相手ではないのだが……不思議と、気にしておけという印象をサクラからは受けるのだ――恐らくは今度の武競祭。彼女こそが重要なファクターとなるのだと。


「ふっ、考え過ぎか」


「何か言いましたか? シーナさん」


「あ、いや、なんでもありません」


「そうですか……?」


 かわいらしく小首を傾げるクーヴェルシェン。いけない。独り言がいつの間にか口からもれていたようだ。


 気を付けなければと思い、シーナはグラスに入った桃色の果実酒に口をつける。
 お酒を飲むつもりはなかったが、クーヴェルシェンが、主と仰ぐサクラのためにもらってきたのはほとんどお酒だったので、なんとか消費しないといけないということで飲んでいる。


 クーヴェルシェンはアルコール類が全然ダメで、サクラは飲めるがあまり飲み過ぎると悪酔いするとのことらしく、必然的に昔から飲み続けて慣れているシーナが飲むしかなかった。


 少し頬を染めつつ、時折声をかけてくる男性に本気の睨みを向けつつ応対。

サクラとクーヴェルシェンという、若干怪しいが気のいい人と飲むことすでに四杯目――それを飲み干したとき、ふいに辺りが暗くなった。

「あ、灯りが消えちゃいました」


 天井に飾られたシャンデリアの明かりと、壁に付けられた魔法の燭台が一斉に消えたことにクーヴェルシェンがちょっと不安そうな声をあげる。


「と言うことは、ようやく始まりってことか」


「みたいですね」


 楽しげな雰囲気を少し硬質化させたサクラの言葉にシーナは同意する。

灯りは消えた。それでも互いに顔が分かる程度には周りが明るいのは、パーティー会場中央の舞台だけ、月光のように明るく輝いているからだった。

その舞台へと、動きを止めた招待客の合間を縫って、上がっていく男性がいた。


「皆様。今日はわざわざお集まりいただきまして、誠にありがとうございます」


 金髪をオールバックにした三十代ぐらいの男性だ。

 柔和な顔にはしみ出るような気品が漂っていて、見るからに高貴な生まれであることが分かる。聴衆に語りかける翠眼とよく通る声には、人を引き込ませる貫禄と静かな魅力があった。


 それもそのはず――今壇上に上がり招待客にあいさつをし始めた男性こそ、比類なき商才を発揮し、金銭的に苦しかったシストラバス家を一代で大富豪へと至らしめた傑物。シストラバス家現当主、ゴッゾ・シストラバスその人である。


 パーティーの主催者の登場に、本当にパーティーが始まるのだと、騒いでいた来客全てが彼へと注目する。シーナも眼を細め、じっとゴッゾを見つめた。


「お忙しい中、突然の招待にも関わらず足を運んでいただいたことを、まずは最初にもう一度お礼と申し上げさせていただきます。本当に、ありがとうございました」


 優雅に一礼するゴッゾ・シストラバス。

 彼が口にしたのは極々普遍的なあいさつであるのだが、彼が言うと至上の名言である気がするから不思議なものだ。


 それは自分だけが感じたことではないのか、暗がりになってよく見えないが、隣のサクラもそう思っているようだった。ともすれば、敵を見るような、慕情を向ける相手を見るような、そんな強い視線をゴッゾに注いでいる。


「え?」


 真剣な表情をしていることが気になって、思わず彼女のことを見ていたら、おかしなものが目に飛び込んできて思わず声をあげてしまった。


 ゴシゴシ、とシーナは目を擦って、もう一度サクラを見やる。


(……気のせい、か?)


 何の変哲もない彼女の姿だが、一瞬彼女の胸が動いたような気がしたのだ。いや、揺れるとかそういうのじゃなく、胸の構造上あり得ない動きを。


(やっぱり、気のせいだったのか)


 薄暗いために見間違えたのかも知れないとは思うも、妙に気になってしばし見つめていたら、いつしか凝視になっていたのかも知れない。続くゴッゾのあいさつに集中していたサクラが視線に気付き、慌てて胸元を両手で覆い隠した。その頬は羞恥で染まっている。


 どこかうかがうような、責めるような視線をサクラは向けてきた。


 それにシーナは自分の見ていた場所がどこであるか思い出し、はっとして顔を背ける。


(ぼ、僕は一体何をしているんだ! 女性の胸を凝視するなんて?!)


 比較的大きめな胸を隠すように背中を向けるサクラを横目で見て、シーナは騎士にあるまじき行いだと恥じる。ひとしきり恥ったところで、自分が女性であることに気が付いた。


(ぼ、僕は女性だ。サクラとは同性だ。だから胸を見ていてもそこまで最低だとは……いや、僕自身が最低であることには変わりないか……)


 人生初といってもいい失態に、シーナは自己嫌悪に陥る。


 それを現世へと呼び戻したのは、終盤に差しかかったゴッゾ・シストラバスのあいさつだった。


――さて、最後になりますが、私の方から一つ皆様方にお伝えしなければならないことがあります」

 それを聞いたシーナは、サクラのことを忘却してしまうくらいの衝撃を受けることになる。


 それは会場中の全ての人も同じ――ゴッゾ・シストラバスが口にした宣言は、まさに驚くべきものであった。

 なぜならば、彼が語った言葉の意味は――

「それは私の娘、リオン・シストラバスのことです。では皆さん、よくお聞きください」

 ――竜滅姫リオン・シストラバスのあの噂を全面的に認めると、そういう意味だったのだから。











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