第九話 シストラバス家からの招待状(後編)
(こいつはまた、怪しい……)
ゴッゾの話を聞いたジュンタは率直にそう思った。
「それではこれを持ちまして、あいさつを終わらせて頂きます。どうか皆様、今夜は心行くまでお楽しみください」
シストラバス家で開かれたパーティー――最初のあいさつを終えて退場したのは、シストラバス家当主にして主催者であるゴッゾ・シストラバス。
大勢の招待客が集まったパーティー会場は、ゴッゾの良く通る声で明言された言葉に、にわかに騒々しくなっていた。
「馬鹿な。一体ミスタ・シストラバスは何を考えているんだ……」
ゴッゾが告げたことを聞き、パーティー会場で知り合ったシーナが困惑の表情を浮かべる。
まぁ、彼女の気持ちも分からないでもない。いきなりあんなことを明言されたら、戸惑うのは聴衆の方だ。
「『噂として広まっている、武競祭優勝者と我が娘リオン・シストラバスとの婚約は事実である。それは優勝者が貴族・平民誰であれ適応される。そして結果がいかようになろうとも、シストラバス家は何ら拒否の姿勢を取らないものとする』――ですか」
戸惑った声で、クーがゴッゾの言った言葉を一言一句間違えずに復唱する。
「本気なんでしょうか? こんな様々な勢力に属す方たちの前で明言されたら、リオン様が優勝できずに負けてしまった場合、本当にリオン様は婚約しないといけなくなっちゃいます。もし婚約を拒絶したら、その時点で信用も何もかもがなくなっちゃいますよ」
「だな。いくらシストラバス家でも貴族として終わりだ」
クーの言っていることは間違いなく正しい。
こんなグラスベルト王国の貴族が集まる場所でそんなことを言ったら、負けたとき本当にシストラバス家は動けなくなる。どんな形であれ、リオンの婚約は確定させなければならない。
あの発言を『リオンが優勝すると確信している』という前提で聞けば、大した信頼だと思えるのだが、生憎とゴッゾが、そんな不確定要素の残ることに大事な娘の未来を賭けるとは思えない。
ジュンタは知っていた。ゴッゾ・シストラバスが、娘であるリオンをどれほど大事に思い、愛しているかを。
それを踏まえれば、自ずとゴッゾの言葉に嘘はないが真意も隠していることがはっきりとなる。
それはゴッゾのリオンに対する情の深さを知るものでなければ、伺い知れない事柄。クーもシーナも、そこまで考えが及んだりはできないようだった。
「どういうことなんでしょう。ゴッゾ様は、リオン様が誰とも知らない相手と婚約なされてもよろしいのでしょうか?」
「確かに貴族というものは得てしてそう言うものではある。しかし……」
会場が徐々に明るさを取り戻し始めたのに気付かないほど真剣に、クーとシーナは互いの意見をぶつけあっている。二人だけではなく、それはパーティーのそこかしこで見られる光景だった。
あいさつが始まる前よりも会場は喧噪に包まれている。シストラバス家の使用人も、前もって知らされていた話というわけではないらしく、動揺しているように見受けられる。
誰も自分に注意を払っていない――それを確認してから、ジュンタは自分の胸元にいるサネアツに向かって声をかけた。
「で、どう思うサネアツ? 今のゴッゾさんの発言」
「怪しい、と言うしかないだろうな。今のを額面通りに受け取るなんてことは、かの傑物相手には愚かであり、あり得ないことだ」
「やっぱりそう思うよな……まったく、一体何を考えてるんだか」
裏はある。絶対にある。ないはずない……それは分かっているのだが、肝心要のその裏が考えつかない。何か驚くような『裏技』があっての、今のゴッゾ発言なのだろうが。
「俺がシストラバス邸にいた頃には、特段何かが画策されていると言った風はなかったが」
「と言うことは、ここ最近思いついた、あるいは実行に移されて確証を得た作戦があるってことか。一番簡単に考えられるのは、ゴッゾさんにはリオンが絶対に優勝する確証があるってことだけど。確信じゃなく、確証が」
「それが事実だったら恐ろしいことだ。それはつまり、リオン・シストラバスとの戦いではなく、ゴッゾ・シストラバスとの戦いになるという意味だからな」
「俺はあの人に策謀で勝てる自信はないよ。まだリオンとの戦いの方が勝つ自信があるくらいだ」
サネアツの言葉に気を重くして、ジュンタは肩を落とす。
参加者として、一人の男として優勝を目指している者として、こういうのは頭が痛くなる。
傑物ゴッゾ・シストラバスが裏で策を巡らせているのは、今の発言で明白になった。あるいはそれが彼の狙いの一つであったのかも知れない。疑心暗鬼の連鎖はもう止めようがない。
「しかし、今の発言。リオンの優勝の確証がある以外にも、もう一つ考えられるな」
「どういうことだ?」
少し無言で考え込んでいたサネアツの発言に、ジュンタは耳を傾ける。
「考えてもみるがいい。確証があるにしても、わざわざこんなところであのように明言する必要はないではないか。むしろ逆効果だろう。確実に勝つことができるのなら、何も知らせずに実行に移すべきだ」
「そして、あのゴッゾさんがそのことに気付かないはずがない。それじゃあ別にリオンが優勝する確証があるわけじゃない……? その可能性が高いならゴッゾさんの目的は、ここにいる貴族たちにシストラバス家は動かないことを明言することなのか?」
「シストラバス家は反対しないことで王宮への忠誠を見せた。しかしミスタにはリオンを結婚させるつもりが皆無。それを踏まえて考えれば、ある一つの仮定が浮かび上がる。つまりシストラバス家が動かなくとも、それ以外の勢力によってリオンの結婚は結果的に反対される可能性がある、ということだ」
「なるほどな。でも、それってどうなんだ? シストラバス家が協力するって明言した王宮相手に、リオンの婚約を破棄させることができる勢力って……どんな化け物ですか?」
このように、国中の貴族を集めることができるシストラバス家に、一つの国であるグラスベルト王国――内心では対立しつつも、表面上は協力していると見せたこの組み合わせに、勝てる権力を持つ勢力など本当にありえるのか?
「少なくとも、一個人じゃありえないだろうな。他の国、とか?」
「いや、グラスベルト王国だけならともかく、シストラバス家を敵に回せる国は皆無に近いだろうな。俺は一個人の線を推そう。くっ、ミスタも反則的な相手に協力を取り付けたものだ。…………まったくもって残念だ。これではジュンタが優勝しても、おもしろおかしい展開にはなりそうにないではないか」
「ん? 何か言ったか?」
「いや、何も」
何か最後にサネアツは小声で呟いたようだが、聞き取ることはできなかった。
「……まぁ、いいや。どうせ戦いが始まれば分かることだろうし、俺は勝つだけ。ま、それが一番難しいんだけど」
「何、難易度が高い方がチャレンジとしては燃えるというものだ。――さて、そろそろ場も沈静に動いてきたようだな。俺は黙ってジュンタの胸となっていよう。さすがに息苦しくなってきたが」
「あと少ししたら、一度どっかで外に出してやるよ」
生憎と今日作り胸は持ってきていない。
あれはもっと胸の大きさが小さく、サネアツが胸に入った大きさでユースに見られたために仕方がなかったのだ。パットは重ねると見てくれがおかしくなるし。
(そう言えば、さっきシーナの奴が胸を凝視してたけど……まさか気付かれてないよな?)
疑惑の視線を、ジュンタはクーと話しているシーナに向ける。
咄嗟に隠してしまったが、今思えば失策だった。堂々としていた方が怪しまれなかっただろう。それでもたぶん、男だってことはバレていないと思うが。
(バレてたら死のう。うん)
悲壮な決意を固めつつ、嫌な予想を努めて頭の中の容量からゴミ箱に移す。考えるだけで頬が熱くなった。
「あの、ご主人様は先程のゴッゾ様のお言葉をどう思われますか?」
一人発作のように時折身を襲う羞恥心に悶えていたジュンタに、一頻り意見をシーナと交わしたらしいクーが質問の対象を変えた。
真っ白い妖精のようなクーの姿に癒されて、人生ケースバイケースこれもいい経験と自分を慰め、ジュンタも二人の意見交換の場に口を挟む。
「私にはなんとも分からないというのが正直な感想ですね。あまりグラスベルト王国のことも知りませんし、父親が娘の結婚を政略結婚で良しとするのは信じられませんが、貴族の方ならそれもあり得るかと」
シーナの手前、適度に誤魔化しをいれて意見を述べる。
「それに話に聞くところによりますと、リオン……様は騎士だとか。どうせいずれ誰かと戦略結婚しなければならないのなら、武競祭の優勝者という強い方と結婚された方がもしかしたら幸せかもと判断されたのでは? あくまでも私見ですが」
「なるほど。そういう考え方もできますね。できうる範囲で娘に幸せになって欲しい。そんな微妙な親心に気付かれるとは、さすがはご主人様ですっ」
「い、いやぁ……それほどでもないですよ。オホホ」
キラキラと尊敬の眼差しを向けてくるクーから視線を逸らすと、何やら難しい顔で考え込んでいるシーナの顔を見つけることができた。
他の誰それが酒の肴程度に意見をぶつけ合っている中、シーナの横顔は真剣そのもの。
武競祭参加者で当事者になりうるという点を鑑みれば、その真剣さも分からなくもないが……シーナは女だ。優勝しても、結局は結婚できないので少々おかしい。
もしかしたら、とジュンタは考え込んでいるシーナを見て、確かめてみようと思った。いや、結構切実なのである。もしばれていたら口封じの必要性が……
「ミス・シーナ。どうしてそんなに悩んでいらっしゃるのですか?」
「え? あ、いや、やはり武競祭参加者として無関係ではないですから」
話しかけられたシーナが、どこか慌てた様子で予想していた言葉を吐いた。それはいい訳にも聞こえ、真実を誤魔化しているようにも取れる。
「あら? ですけど、ミス・シーナは女性じゃないですか。優勝してもリオン様と結婚はできませんし、そんなに関係ないのではありませんか?」
「ご、ご主人様?」
表情には笑顔を張り付け、内心でおもしろいと笑いつつシーナにジョブを放つと、クーが驚いたように見てきた。悪いけど、本当に悪いけど、今回はスルーさせてもらいます。
「男性の参加者ならいざ知らず、女性の方にはあまりこの噂は関係ないですよね。それなのに、どうしてシーナさんはそこまで真剣に考えていらっしゃるんですか?」
「そ、それは……」
なんだかちょっとだけそのことが気になったので、教えてください――という真意を覆い隠したジュンタの問い掛けに、シーナは気まずそうに黙り込んでしまった。
その隙をついてクーがスカートの裾を掴んでくる。
「ご主人様。よく分からないんですが、シーナさんをあまりいじめたらかわいそうですよ」
「いやいや、いじめてるわけじゃないんだよ? これはそう、あくまでも調査なんだ。俺の予想では俺の知らないことをシーナは知ってる。それが何であれ、情報は多いに越したことはない。もしゴッゾさんとことを構える可能性があるなら、なおさらにな。決して女装のことに気付かれた可能性があるから口ふ……ナンデモナイヨ?」
「で、でも……」
チラチラと困るシーナを見て、彼女以上に困るクー。
己が使徒たる人と優しさとで板挟みになっているらしいクーを見て、ジュンタは優しく笑った。
「大丈夫だよ。いじめたりは絶対しない。シーナはクーが心配するような優しい人みたいだから、本当に困ったら止める。それならいいか?」
「あ、はい。それならいいです」
クーの顔に笑顔が戻る。思わず釣られて笑んでしまう、幸せを伝播させる笑顔だ。
まだ出会ったばかりだろう人を心配できるクーは、本当に凄いとジュンタは思う。
彼女がいる限り、これ以上はシーナを困らせる真似はできないか――そう諦めかけたとき、口を堅く閉じていたシーナがゆっくりと口を開いた。
「……関係なくはないんですよ、ミス・サクラ。武競祭の勝敗の行方は、このグラスベルト王国に暮らす人間にとっては、決して誰しも無関係ではいられないんです」
「ミス・シーナ?」
真剣な口調で語り始めたシーナを、ジュンタとクーは一度顔を見合わせてから見る。
「それはどういうことでしょうか? 誰にとっても無関係ではいられないとは……?」
クーが代表として尋ねると、シーナは声を若干潜める。
「はい。説明するのは構いませんが……ミス・サクラ、ミス・クーヴェルシェン。あなた方はグラスベルト王国の方じゃありませんよね?」
「私は一応、聖地ラグナアーツに籍を置いています。ご主人様もグラスベルト王国の方じゃありません。そうですよね、ご主人様?」
どこか不安そうにクーは視線を向けてくる。
大体確信はしているが、確証はないという顔だ。言われてみれば、クーにはどこで生まれ育ったのとかも説明してない。異世界生まれと説明するのはなんともあれだし、他の話すべきことが最近はたくさんありすぎた。
いつかは説明するべきだろうと思いつつ、ジュンタはクーに頷き返し、シーナに訊く。
「私もグラスベルト王国生まれではありません。どういうことか教えていただけますか?」
「ええ、分かりました」
シーナは一つ頷いてから、内緒話をするように、声を潜めたまま説明し始めた。
「お二人が聖地の方なら知らないと思いますが……グラスベルト王国には、現在革命の予兆があるんです」
「革命の――」
「――予兆ですか?」
意外な言葉にジュンタがまず驚き、続けてクーが驚きと共に疑問の声を出す。
「そうです。革命……市民による、現王政に対する革命の予兆です。
この神聖大陸エンシェルトは、聖地のある大陸ですから色々と平和ですが、他大陸を見れば今は戦乱の世と言えます。そんな戦乱の世で確立されつつある圧政への反発精神が、またこのグラスベルト王国でも水面下で広まりつつあるんです」
「で、でも、グラスベルト王国は戦争らしい戦争もしたことない、とても平和な国のはずですよ? 土地の実りも十分で、ほとんどの人は餓えたりなどで苦しんではいないと聞いています」
「それは正しい。グラスベルト王国は建国より、聖地との結びつきのために侵略も受けることのない平和な国です……けれど平和すぎたのが悪かったようだ。
騎士の国として謳われた精神は、今なお確かに息づいている。けれども、そんな精神を忘れ、民を虐げ享楽に耽る貴族も多いのがこの国の現実です」
悔やむようなシーナの言葉に、ジュンタはリオンとバーノン伯爵を思い出す。
リオン――即ちシストラバス家は、見るからにお金持ちの大貴族様といった感じだが、あれは享楽に耽っているわけではないだろう。貴族として、騎士としての誇りと義務を常に心に抱き、良くあれとしっかりとランカの街を治めていた。
けれど一方で、バーノン伯爵のようにどうしようもない貴族もいた。
領地の村を守ることなく、私事を優先し、本来民を守るべき騎士団を愚かな雑務に従事させる。そんな貴族の下でも民が餓えていなかったのは、王国自体が豊かだったのと、部下であるレジアスの尽力のお陰だった。
確かに考えてみれば、シーナの言っていることにも納得はできる。
けれど、やはりそれでもシストラバス家のことを考えると非常に受け入れづらい。
「確かに、私もそう言う享楽に耽っている貴族を知っています。けど、一方でちゃんとした貴族もいました。このシストラバス家などが、そのいい例だと思うんですが」
「ええ。シストラバス家、僕もあの家ほど騎士として、また貴族として素晴らしい家を知らない。……正直に言ってしまえば、革命が予兆の段階で止まっているのはシストラバス家という、明確な騎士の象徴があるからと言っても過言ではないでしょう」
ジュンタの問い掛けに対し、その通りとシーナは頷く。
その後、彼女はだからこそ、誰しも関係なしではいられないと言葉を続けた。
「シストラバス家の存在が、このグラスベルト王国にとっての命綱になっていると言い換えても間違ってはいない。大陸の他の国、同盟国である魔法大国エチルアはともかく、この百年で多くの国々と取り込んだ侵略国家――ジェンルド帝国からの侵略を防げているのは、シストラバス家、ひいては竜滅姫あってのことです」
「シストラバス家は『始祖姫』ナレイアラ様の家系であり、そのシストラバス家を抱えるグラスベルト王国は、古の盟約により聖地と深く結びついていますからね。もしジェンルド帝国が宣戦布告をしたら、聖地を含めた聖神教の国々から集中砲火を受けてしまいます」
「その通り、ミス・クーヴェルシェン。そうなれば、いかな強国ジェンルド帝国といえども滅亡は免れない。それ以前に宣戦布告をした時点で、国を二分する内乱にまで発展することでしょう」
シーナとクーの会話に耳に傾けつつ、ジュンタは自分の知らない世界情勢に驚きを隠せなかった。
戦争――それが地球でもあったように、この世界でもあることは知っていたが、まさかシストラバス家がそれに深く関わっているとは。
(シストラバス家が聖地との強固なパイプになっているのか。使徒は聖神教にとっての重要人物。『始祖姫』ってのはよく分からないけど、昔の偉い使徒だから……つまりは使徒に喧嘩を売るってことは、聖神教そのものに喧嘩を売ることになるわけだな)
聖神教は世界の九割以上を占める宗教だ。
古の使徒を祖に抱くシストラバス家を抱えたグラスベルト王国に戦争をふっかけることは、それ即ち世界の九割以上を敵に回すと同義。それはどう足掻いても戦争など起きるはずもない。同時に、シストラバス家は内乱の抑止力にも繋がっているのだ。
(内乱ってことは、市民が敵に回すのは王家だ。それはつまり貴族であるシストラバス家も敵に回すってことになる。内乱で聖神教が出っ張っては来ないだろうけど、革命に成功しても、それでシストラバス家が滅んでいたら命綱は切れる。聖地との関わりを無くした革命後の小国グラスベルトは、ジェンルド帝国に侵略されて滅亡か)
革命は自分たちの暮らしを良くしたくて行うものだ。
結果的に国が滅ぶとなると、暮らしはさらに悪くなる。革命も戦争と同じく起こせるはずもない……シストラバス家がもしも、革命側についたら話は別だが。
(ああ、なるほど。確かにグラスベルト王国の人間は、武競祭の行方に関係なくはないな)
自分なりに情報を整理したジュンタは結論に達し、
「ミス・シーナ。あなたが危惧しているのは、シストラバス家が平民と下手に戦略結婚などをすると、革命側につく可能性があると考えているからですか?」
「厳密に言えば、王宮が勅命を出してシストラバス家に戦略結婚をさせようとしているため、もし本当に戦略結婚が成立したらシストラバス家からの反感は必死、ということなんですが。
リオン・シストラバスがいる限り、シストラバス家は騎士の誇りにかけて王宮と敵対することはないと思ってはいますが……その彼女に結婚という最悪の行為を強制するとなると、話は別です」
シーナの言うことももっともかも知れない。
リオンという少女は、どこの馬の骨とも知れない相手と結婚しろと言われ、仕方ないと諦めるような少女ではない。貴族の家に生まれたことで恋愛結婚などできないと諦めている可能性はあるが、それでも最後まで渋るだろう。
そんなリオンに国王が権力を笠に着て命じれば、なるほど、騎士たるシストラバスには断りづらい。けれどもその裏でシストラバス家が、その重要人物たる二人が反感を抱くのは仕方がないことと言えよう。
(リオンはともかくとして、ゴッゾさんなら、リオンのために王宮が邪魔だとか言って革命側に付きかねないな。今思えば、リオンが竜滅姫として命を落としてたら、今頃革命が起きてたかも知れないのか……)
そう考えると、知らず自分はグラスベルト王国というものを助けていたことになる……なんだか何とも言えない気持ちになって、ジュンタは顔をしかめた。
なぜならば、王宮こそがリオンを現在苦しめている元凶だからだ。王宮が勅命を出して、貴族であり騎士であるリオンに武競祭優勝者との結婚を強制しているとなると、それは……
(勅命、か。だけど――)
ジュンタはよく国のことを考えているシーナを、感心と疑惑を混ぜ合わせた視線で見る。
「確かに王宮側の思惑もわかる。『双竜事変』という、命綱である竜滅姫の血が途絶え、聖地との結びつきが断たれようとした事件はあった。それを受けて、早く子孫を残して欲しいと思うもの仕方がない。……だけど、だからこそ国王は戦略結婚などさせるべきではなかった。
王がすべきことだったのは、竜滅姫に竜殺しを行うようにゴッゾ・シストラバスに命じたことで緩んだ、シストラバス家との関係強化だったんだ」
未だシーナは自分の考えを述べている。現国王は決して愚王ではない。ただ賢王でもなかったというだけで、見方を変えれば施政者として間違った判断は下していない。
けれどもシーナは納得ができない様子。まるで自分自身の失態だと言わんばかりに拳を固め、苦しそうにしている。
「どうして」
そんな彼女を見て、疑問を先にぶつけたのはクーだった。その疑問はジュンタも思っていたものと同じもの。
「どうしてシーナさんは、そこまで国のことを気にされるんでしょうか?」
「それは……」
クーの鋭い指摘に、またもシーナは口を閉じる。
関係ないと言った理由は分かった。が、だけどどうして、そこまでシーナが国の未来を憂うのかが分からない。貴族が腐敗を始めた今、彼女は革命を是とする市民の側ではないのか? 全員がそうであるとは言えなくとも、少しは革命に同調する部分はあるはずだ。
ややあって、シーナは口を開き、そして言った。
「――僕が、この国を守るべき騎士であるからだ。僕はなんとしても武競祭に優勝し、そして拒まなければいけない。リオン・シストラバスの結婚と、そしてグラスベルト王国の崩壊を」
そこには決意があった。武競祭優勝に向ける、強い決意があった。
(誰にも優勝する理由はある、ってことか)
そんなシーナの姿を、ジュンタはやっぱり王子様のようだと思った。
◇◆◇
宴の喧噪を後にし、ジュンタとクーは開かれたシストラバス邸の庭にやって来ていた。
玄関から出て、正門へと続く長い石畳の道の横、緑の芝生が植えられた広大な庭だ。
騎士団を抱えるシストラバス家にとっては修行場でもあるらしく、庭は敷地面積の半分近くある。今日に限っては誰もいないが、いつもなら鋭い剣戟の音が聞こえてきそうだ。
――否、今日もまた、鋭い剣の音は響いていた。
「誰かいるのか?」
「みたいですね」
早々とパーティーを後にしたシーナと分かれ、このまま帰るのはあれだからと、取りあえず一回サネアツを解放してあげようとやってきた庭。残念だが、誰かがいるとなると、サネアツを解放してあげることはできそうもない。
「むぅ、人がいるのか。残念だ。まぁ、多少息苦しいが、居心地はいいから大して問題ないがな」
「あ、きっとそうだと思いました。私もできることなら、サネアツさんみたいにして欲しいです」
「いや、さすがにクーとなると恥ずかしい……っていうか犯罪だろ? 普通に。俺が」
残念だか良かったのかよく分からない声をあげるサネアツをポンと叩いて止め、笑顔で恥ずかしいことを宣うクーから少し顔を背けたあと、静かに、決して忍び寄るわけではなく、剣を振るう音を響かせる人物へとジュンタは近付いていった。
別に近付かなくても、引き返せば良かったのかも知れないが、少し気になることがあったのだ。
それはパーティー会場に本来いるべき華がいなかったこと。
誇り高く咲く、炎のように紅い華――もてなして然るべき、パーティー主催者の一人娘の不在。そのことがジュンタの中で気になっていた。
芝生を踏みしめ、夜風を浴びながら、暗がりになって見えない向こうを見る。
果たして――そこに美しい紅い華は咲いていた。
外見と内面から来る美しさを無遠慮に放っている立ち姿は、まるで激しく燃える炎のよう。
夜気を切り裂く紅の刀身の剣を振るう度に真紅の長い髪が踊り、まだ髪と同色の瞳が、美しい宝石のような光をのぞかせる。
「ふっ!」
短い呼気。同時に奔る竜滅剣と煌めく紅い華――リオン・シストラバスは本来いるべきパーティー会場ではなく、こんな庭の端でひっそりと静かに、けれど激しく咲き誇っていた。
今宵はパーティーであるからか、常のドレス姿よりもさらに輪をかけて美しいドレスを着ている。肩を露出させた薄桃色のロングドレスである。少しボリュームの寂しい胸元にブローチをあしらっており、そのブローチが月光に高貴な黄金の輝きを放っている。
露出した白い肌が運動によって僅かに色づいていて艶ややかだ――芝生をカサリと揺らし、ジュンタは足を止める。その隣でクーも驚いた顔で足を止めた。
二人の目の前でリオンの舞踏は続く。
トーユーズにより剣術の基礎を教え込まれたジュンタは、ただただ、そのリオンの剣の鋭さと疾さに、そしてそれを超えた美しさに目を奪われる。
足の運び。重心の移動。間合いの測り。剣の繋ぎと流れ。
およそ剣術の基礎の基礎をこれほど的確に行えているリオンは、やはりすごいと、改めてそう思う。
傍目から見ているだけなのに、リオンが仮想的として描いている相手がはっきりと分かる。それは場の緊張感とリオンの剣の巧さが作り出した幻影のようなもの。
リオンは仮想的を攻め立て、攻め立て、攻め立て――
「はぁッ!」
――袈裟懸けに振り上げられた刃が、ついに相手の首を刎ね飛ばした。
リオンは飛び散った返り血が届かぬ位置まで即座に下がり、静かに息を吐きつつ剣を指輪の形に戻す。
彼女は剣だった指輪を右手の中指に嵌めながら、
「覗き見とは、あまりいい趣味とは言えませんわよ」
なんて言って、ジュンタとクーへと振り向き、ドレスの裾を摘んで礼儀正しく一礼した。
「あいさつが遅れて申し訳ありませんでした。
ようこそ我が家に。私、リオン・シストラバスは、あなた方のお越しを歓迎いたしますわ」
「こ、こちらこそ、お招きいただきありがとうございますっ」
いきなりのリオンのあいさつに、半ば反射的にクーが頭を下げる。
頭を上げたリオンは、クーの様子に小さく笑って、それからジュンタの方に視線を向けた。
「お久しぶりですわ、と言った方がよろしいのかしら? ミス・サクラ」
「覚えていてくれたんですね」
「当然ですわ。なかなかあなたのような人は、忘れようとしても忘れられるものではありませんもの」
腕を組んで、ツンと澄まし顔でリオンは見つめてくる。
その声には僅かな険が。とてもじゃないが、ただ一度足を向けたお店のパティシエへと向ける態度でも言葉でもない。
あえて言うなら、敵対する相手への向ける対応か――これは真面目にバレているかと、内心でジュンタは舌打ちした。
(俺とアルカンシェルが同一人物ってバレたとしたら、この態度にも納得いくか。なんだか知らないけど、相当嫌われてるみたいだし)
武競祭本戦の開会式を思い出せば、決してリオンがアルカンシェルにいい感情を持っていないのは明白だ。サクラという人間とアルカンシェルという人間が同一人物だとリオンに知られてしまったら、この態度は至極当然と言えよう。
「あの、ご主人様。どうかされたんですか?」
正体を露見させる原因を知らず作ってしまったクーは、睨み合うジュンタとリオンを困惑の眼差しで見る。
「いや、なんでもないよ。私の方は別に何も、ね」
クーに笑顔を向けて、ジュンタはリオンには意味ありげな流し目を送る。
リオンはむっとした表情になり、
「その言い方ですと、まるで私が一方的に喧嘩を売っているようではありませんの」
「あら、喧嘩を売られていたんですか? 私、リオン様に喧嘩を売られるようなことしましたか? まったく身に覚えがないんですが」
「いけしゃあしゃあと。あなたが私にしたことを最初から思い出してみれば明白でしょうに」
「と言われましても……もしかして、ショコラをお作りできなかったことに腹を立てていらっしゃるんでしょうか?」
頬に指をあて、まったく分からないので困っていますという風に首を傾げる。
「そうですの。つまり何があっても、自分から認める気はないと言いますのね?」
おろおろとしているクーの目の前で、リオンは目を尖らせて爆発寸前となる。
ここに来て可能性は確信に変わる。間違いない。リオンの頭の中ではサクラ=アルカンシェルだと等式が結ばれてしまっている。
武競祭の時点では確証はなく、まだ疑っていただけのように見えたが、ここに来てなぜか確信している様子。何がリオンの中で決定打になったかは知らないが、あまり歓迎すべき事態の推移とはいえない。
今の段階でも誤魔化せるのなら誤魔化すべきだ――そう思ってジュンタは、どうしてリオンがアルカンシェルの正体について確証を持ったかを考える。
(さて、どういうことだ? ここに来て、何がリオンの中で決定打になった?)
「分かりましたわ!」
埋没しようとしていた意識を強引に戻したのは、リオンの一喝に近い大声でだった。
リオンは何かを決断したようにビシリと人差し指を突きつけてくる。行儀が悪い。クーの顔が少しむっとなる。なんだか知らないうちに、クーの中で増えてはいけないメーターが急増中のようである。
「……何が分かったんですか?」
ジュンタは突きつけられた指を見て、その後リオンの瞳を真っ直ぐに見る。
「そんなことは簡単ですわ。ミス・サクラ。あなたが誰であろうと、アルカンシェルなる者が誰であろうと、私は一切気にしません。ええ、そうですとも。初めから気にすることこそが愚かだったのですわ!」
「はぁ。どうして私がアルカンシェルなる人と結びつけられるのかよく分かりませんが、取りあえず、はぁ、と溜息をつかせていただきますね」
「ふんっ、まだ認めないとは強情ですわね。すでにことは一分の疑う余地もなく露見していますのに。ミス・サクラ――いえ、ミス・アルカンシェル! あなたは痛恨のミスをすでに犯してしまっているのですわ!」
気分は名探偵なのか、リオンは高らかに笑いつつ、やけにハイテンションで突っ走る。
その何かを忘れるようとするような態度とともに吐かれた言葉に、ジュンタは顔色を変えなかったが、隣のクーが若干青ざめた。
そんなクーの強ばった手をジュンタは掴む。大丈夫。任せておいて――そんな気持ちを込めて。クーは安心したように、手から緊張を抜いた。
「リオン様。失礼ですが、私には何を言われているのかさっぱりなんですが。どうして私をアルカンシェルと呼ぶのでしょうか? 私はそのような名前ではありませんが?」
ただ嘘を付くだけではダメだ。何気にリオンは鋭い。嘘をつくなら、そこに真実も含めないと。
「正直に言ってしまえば、確かに私はアルカンシェルという男のことは知っています。顔見知りと言ってもいいでしょう。けれど、私はそのような名前ではありません」
だって本名はサクラ・ジュンタですから――笑顔の裏に真意を隠し、ジュンタは言葉を続ける。
リオンはその余裕の笑みを変えたりはしなかった。
「言ったでしょう? あなたは痛恨のミスを犯している、と。
その事実がある限り、あなたがアルカンシェルという失礼にもほどがある男――いえ、女だと言うのは間違いありませんのよ」
「と、言いますと?」
痛恨のミスとはこれ如何に。開会式での失態を踏まえて、今日に限っては何ら失敗などしていないはずだ。だがリオンはやけに自信満々で、これさえ宣告すれば間違いなく自分は勝利できると疑っていない。
果たして一体何をミスしていたのか? その疑問を、リオンは高らかに告げた。
「ミス・サクラ! 今宵のパーティーにあなたが出席している、これこそがあなたがアルカンシェルだという動かぬ証拠なのですわ!
今宵のパーティーは招待状を受け取った人間のみが参加できるパーティー。つまり呼ばれていないあなたがここにいるということが、即ちあなたが招待状を受け取った代表選手であると物語っていますのよ!」
どうですの、反論はありますかしら? と、言わんばかりに胸を張るリオン。
なるほど、リオンの推理にも納得できないわけじゃない。が、結局リオンは本物の名探偵の前に推理をし、その推理の穴を指摘される踏み台の探偵でしかなかったということだ。
ジュンタはかわいそうな人を見るような生暖かい視線をリオンに向けつつ、ポケットに入れておいたパーティーの招待状を取り出した。
「招待状を取り出すということは、諦めて認めたということですのね。ああ、大丈夫ですわ。先程言いましたとおり、あなたが誰であろうと私は一切気にしませんので。存分にパーティーを楽しんでいってくれて構いませんわよ」
「いえ、そうじゃなく。とにかく、この招待状を見てください」
浮かれ気分のリオンに、今日参加するにあたって持ってきた招待状をジュンタは差し出す。
リオンは悠々とそれを受け取って、招待状の受取人の氏名を確認…………したところで、はてと首を傾げた。
「ちょ、ちょっと、これ何なんですの? どうしてアルカンシェルという名前がありませんのよ? 無名表記って、でもちゃんと私の家の紋は押されてますし……これは即席の招待状ではなくて? ど、どういうことですのよ!?」
「どういうことと言われましても。ユースさんから聞いていらっしゃらなかったんですか?」
「ユースに? 一体何をですの?」
動揺を見せるリオンの推理には、致命的な勘違いが存在する。
それはジュンタがアルカンシェルという人間として招待されたのではなく、サクラという人間として招待されたという一点にある。
どうやらリオンは『鬼の宿り火亭』でのユースの行為を知らなかったらしく、サクラが招待されることも知らなかったよう。だから勘違いしたのだ。パーティー会場にいる、それ即ち招待されたアルカンシェルであると。
なぜリオンがサクラとアルカンシェルとを等号で結んだのか理解した。
リオンの推理において、犯人自体は合っている。けれど正解が合っていても、推理に穴があれば犯人は捕まえられない。
気の毒そうな顔をして、ジュンタはリオンに説明した。
「私はユースさんに招待状を渡されて招かれたんですよ。リオン様が店にいらっしゃったあの日に」
「なんですって!? そ、そんなはずは……だってそれじゃあ私の推理が……ちょ、ちょっとここで待っていなさい! 今ユースに確かめに行ってきますから!!」
「あ、ちょっと……って、行っちゃったよ」
言うが早いが、リオンは全速力で屋敷の方へと消えていってしまった。
屋敷のどこかで働いているユースに事の次第を確認しに行ったのだろう。これでもう、後はリオンがどんな結論に落ち着こうと、アルカンシェルではないと論破できる。というかこの招待状、一つで二人まで来れますよ?
「いや、焦った。本気でアルカンシェルだってバレたかと思ったよ」
「わ、私も驚いちゃいました。心臓に悪いです」
信じて見守っていてくれたクーが、リオンの背中が見えなくなったことで息を大きく吐き出す。やはり緊張していたらしい。
「やっぱりリオン様には、ご主人様がアルカンシェルという名の武競祭参加者であることは知られない方がよろしいんですよね?」
「リオンに限らずな。情報の漏洩は少ないほどいいってのは鉄則だし」
「……あの、それでしたら私も、ご主人様のことはご主人様と呼ばずに、サクラ様、アルカンシェル様って呼んだ方がいいんでしょうか?」
「確かに念を入れるという意味ではそっちの方がいいけど……」
チラリ、とジュンタは手を繋いだクーの少し寂しそうな瞳を見つめる。
クーの綺麗な蒼い瞳に浮かんだ色を見て、彼女の内心を悟る。ご主人様と呼ぶことが、彼女の中で特別な意味を持っているということは知っていた。
「まぁ、今更だな。いいさ、気にしなくてもな。クーは気にしないで俺をご主人様でもなんでも好きなように呼んでくれ。どんなに呼び方に気を付けても、リオンに芽吹いた疑いは消えないだろうし、今変える方が怪しまれるかも知れない。なら、好きに呼ぶ方がいいだろ?」
ぱぁ、とクーの表情が明るくなる。
握った手に力がこもって、嬉しそうにクーは返事をしてくれた。
「はいっ、ご主人様!」
そんな笑顔に癒される中、胸元から全てを台無しにする声があがる。
「…………ご主人様と呼ばれることに慣れてしまってる時点で、もう色々とダメな気がするのは俺だけだろうか? ロリコンなのか? 目覚めてしまったのか、マイソウルパートナー!?」
ジュンタは聞こえなかったことにした。
◇◆◇
リオンが庭へとユースを引き連れて戻ってきたのは数分後のことだった。
彼女は庭に戻ってくるなり、開口一番、非常にバツの悪い顔で軽く頭を下げた。
「申し訳ありませんわ、ミス・サクラ。あなたの言っていることの方が正しかったようです」
「私からもお詫び申し上げます。元はと言えば私の連絡不備が招いたこと。不愉快な思いをされたことを深くお詫びいたします。申し訳ありませんでした」
リオンに続いて、ユースまでもが頭を下げる。
これにはジュンタも戸惑って、慌てて声をかけた。
「気にしないでください。私はまったく気にしていませんから!」
『ですが――』
申し訳なさそうに顔をあげる二人をみて、ヒシヒシと罪悪感を感じる。
厳密にいえばリオンのいっていることは紛れもなく真実で、ユースが頭を下げる理由などどこにもなかった。
(良心の呵責が! け、けど何もいい訳ができない!)
結果、ジュンタが選んだ道は、この話題を全力でどこかへと追いやることだった。
「そ、それよりなんだか寒くなってきません? こんなところにずっといたら風邪引いちゃいますよ。風邪はダメですよね。ですからパーティー会場に行きませんか?」
「確かに、私も少し汗が冷えてきましたわね。屋敷の中に戻った方がいいかも知れませんわ」
(よっしっ! 話題逸らし成功!)
パーティー最高! と内心でガッツポーズを決めるジュンタ。
――しかし思わぬ形で話題は戻ってきた。
「そう言えば、先程言っていましたけど、あなたはあのアルカンシェルという男と知り合いという話でしたわね?」
「うぇ? へ?」
屋敷の中へと戻ったジュンタとクーだったのだが、そのまま向かった先はパーティー会場ではなく、どこからどう見てもリオンの部屋と思しき場所だった。
リオン先導で案内を受けた二人は、そのまま部屋に招かれて、お茶会なんかに誘われてしまっている。優雅にリオンがカップを傾ける傍らでジュンタは頬を引きつらせ、クーは恐縮しっぱなしで身を縮こまらせていた。ユースは紅茶やお茶菓子などを用意してくれた後、どこかへと消えてしまって部屋には三人だけだ。
「あら?」
クーの緊張した様子に気が付いたリオンは、カップを置いて微笑を浮かべる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですわ。別に作法などを気にする訳でもありません。お茶会は自由に楽しむものですもの」
「そ、そうは言われましても、リオン様と同じテーブルを囲むこと自体が恐れ多くて……」
気を利かせてくれたリオンに、クーが強ばった声で返事を返す。
これにはリオンも困った顔になって、
「あなたの名前は確か――」
「ク、クーヴェルシェンですっ! もしよろしければクーと呼んでください!」
まるで憧れの人に自己紹介するようにクーはリオンに対して頭を下げ……ガツンと目の前のテーブルに額を強かにぶつけ、涙目を浮かべた。テーブルの上の紅茶は、クーが頭を下げ始めた時点でリオンとジュンタによって避難がなされている。
「い、痛いです……」
「ちょっと大丈夫ですの?」
紅茶のカップを手に持ったリオンが、クーを心配そうに見やる。
その姿は、おっちょこちょいな妹を心配する姉のようにだけ見えた。百合の花は見えません。
「ひゃ、ひゃい! 問題ありませんです。よ、よくあることですので!」
「あら、そうですの? しっかり者に見えて、なかなかにおっちょこちょいなのですわね、クーは」
やはりクーの印象があれだったからか、リオンも何の気もなしに『クー』と愛称で呼んだ。
クーの方も今ので少し緊張がほぐれたのか、少し恥ずかしそうながらも笑みを取り戻す。
ジュンタはそんな二人の姿を見て、話題が逸れたと喜んだ。が、リオンのアルカンシェルに対する興味は深いのか、再びのリターンが。
「それで話を戻しますけど、ミス・サクラ。あなたはあのアルカンシェルとお知り合いですのね?」
「………………………………………………はい、そうです」
ここで再び誤魔化しても、やはりまた戻ってくるだろうということは想像に容易く、ジュンタは諦めてリオンの質問に肯定を返した。
リオンは興味津々と言った風に瞳を輝かせ、
「そうなんですの。世の中狭いということですのね。
それで、あなたとあのアルカンシェルという男はどういう間柄ですの? クーも関係があるようですけど」
「それを説明するのは非常に難しい上に、話すと色々とお怒りがあるんです」
自分の自分に対する自分のためのお怒りが――そう言う意味での言葉だったのだが、リオンはまったく違う意味で取ったようだった。
「それはつまり、あなたはあのアルカンシェルに脅されているということですの? はっ、まさかクーも!」
「それは違います! 別に脅されているわけではなく、ただ純粋に説明が難しいというか説明すると自分の恥部を晒すことになるというか!」
「わ、私もです! 別に私はご主人様に脅されたりなんてしていません!」
おかしな考えに至ろうとするリオンをクーと一緒に止め、ジュンタはゼーハーと息をつく。
乱れた息を紅茶で整え、話を強引に纏めにかかる。
「すみませんが、これはいくらリオン様とはいえ、簡単に話すことができないことなんです。すみませんが、黙秘ということにさせて頂きます」
「そう、残念ですわ。でも私も調子に乗って無粋な質問をしてしまったようですわね。ごめんなさい。……ですが、無礼なのは承知ですけど、一つだけはお聞かせ願えません?」
「え?」
少しでしゃばっていたのを認めたリオンが、そのとき表情を強ばらせるように引き締めた。どこか覚悟を決めたようにカップの取っ手を強く握り、まっすぐにジュンタを見る。不躾なのを承知だと言い放ったリオンの前置きに、ジュンタも覚悟を決めた。
「はい。構いません。なんでしょうか?」
「訊きたいことは山ほどありますけど、今は一つだけ。……サクラさん。あなたはアルカンシェルのお知り合いと言いましたが、そのアルカンシェル。彼は男ですか?」
「おっしゃられるとおり、アルカンシェルは男です」
性別を質問された様々な理由が脳裏を掠める中、ジュンタははっきりと返答を口にした。
リオンはその返答に満足したように頷くと、
「そうですの。では、決して負けられないということですのね。ありがとうございますわ。少し気になっていたことを、あなたのお陰で知ることができました」
「いえ、気にしないでください。むしろ謝るべきはこちらの方かも知れません。アルカンシェルが猛烈に怪しいのは私にも分かっていますから」
「やっぱりあなたもそう思います?」
「ええ、たぶんこの世で一番そう思っています」
他でもない自分自身のことだから、そう明言することがジュンタにはできた。
リオンにはその評価こそが正しいと思えるのか、うんうん頷いて紅茶を飲もうとし、そこで『あら?』と気が付いた。
「もう一杯飲んでしまいましたわ。どうしましょう、ユースはまだ戻ってきませんし」
一杯目の紅茶を飲み干したリオンは、そこでユースがいないため、二杯目が出てこないことに入り口を振り返った。
「ユースさんならパーティー会場にいるんじゃないですか?」
「ええ、たぶんそうだと思いますけど……」
ジュンタの言葉にリオンは頷く。けれどその表情は、先程まであった明るい表情ではなかった。
パーティー――その言葉を聞いた途端、リオンの顔は曇った。そう言えば、屋敷に戻ろうとなったときも、パーティー会場を避けようとしていたようだった。
「リオン様、何かパーティーに出たくない理由でもあるんですか?」
気が付けば、ジュンタはそうリオンに尋ねていた。
尋ねてから不躾だったかと思ったが、特にリオンは気にした様子もなく、小さく笑みを浮かべて教えてくれた。
「やっぱり分かってしまいます? ええ、実を言いますと、少しパーティーには出たくありませんの」
「やっぱり、あのゴッゾ様の発言があったからですか?」
と、クーが話の流れから推測して、リオンに訊く。
「そうですわね。お父様のあの言葉が原因、と言ってもいいでしょう」
いつも自信満々な姿こそが似合うリオンには、到底似合わない物憂げな表情。
リオンはパーティー会場がある方に視線を向け、ここにはいない父親へと質問した。
「お父様は一体何を考えているんでしょう? 私にはまったく分かりませんわ」
その呟きからジュンタは、ゴッゾがあの宣言について、リオンに前もって何のフォローも入れていなかったことを悟った。
はぁ、とリオンは重い溜息を吐く。その姿は、いたたまれなくなる程に寂しそうだった。
ゴッゾとリオンの親子関係は良好だ。だからこそ、リオンはあの発言で心痛めている。いや、きっとリオンはもっと前から精神的には不安定だったのだろう。思わず、会ったばかりの人間の前で弱音に近い言葉をもらしてしまうほどに。
そしてこの場には、そんな弱さを放っておけない優しい少女がいた。
「リオン様……あの、私がこんなことを言うのはなんですが、きっとゴッゾ様のあの発言は訳あってのことだったと思います」
我がことのように心を痛めたクーが、リオンを元気づけようと言い、ジュンタもそれに続いた。
「私もそう思いますよ。ゴッゾ様がリオン様を悲しませるようなことを本気で言うとは思えません。きっと本音では、リオン様を絶対に結婚なんてさせたくないと思ってるに決まってます」
「そうですわね。私もそう思いますわ」
「だから元気出して…………って、え?」
続けてフォローしようとした言葉を途中で止めてしまう。それはリオンが同意を示したから。
「……リオン様は、別にゴッゾ様が自分のことを蔑ろにしているから、悲しんでいるわけではないんですか?」
「もちろんです。お父様の愛は十二分に感じていますし、お父様が私を悲しませるような真似をするはずありませんもの」
リオンの即答を聞いて、さらにジュンタの頭はこんがらがる。
クーの顔を見ても、やはり同じように意味不明ですと言った感じだった。
「それじゃあ、どうしてそんなに悲しんでいらっしゃるんですか?」
「別に悲しんでいるわけではありませんけど……そうですわね、少しだけ寂しいのかも知れません。お父様が私のためにと思って、あのようなことを明言したのは分かっています。ですけど、お父様はそれがどんな意味を持っているか、私に教えてはくれませんの」
自分で考えても分からないので、ジュンタは本人に直接訊いてみた。するとリオンは表情を曇らせて、寂しそうに笑ってみせた。
「お父様は優しくて凄い方ですわ。だから任せておけば大丈夫……そうは分かってますけど、だからいつも私は蚊帳の外。自分が原因ですのに、いつも守られているだけで、私が全てを知るのは全てが終わったあと。私自身のことなら、他でもない私がどうにかしないといけませんのに、私はいつも置いてけぼり。幸せであるが故に、私は、少しそれが寂しいのですわ」
「リオン様……」
「…………」
何と言っていいか分からず、クーもジュンタも黙り込む。
半年前の事件を思い出せば、黙り込んだジュンタもリオンの言いたいことはよく分かった。
あのドラゴンの事件の折も、動いていたのはリオンの周りの人間。ユースやゴッゾ、そして自分やサネアツだ。リオンも当事者なのに、今でも彼女は全てを知らない。
周りの人間も良かれと思って黙っている――それはリオンにも分かっているのだろう。けれど、だからこそリオンは感じているのだ。自分だけが置いてけぼりになっていると。自分のことが、自分以外の手によって進められていると。
それはゴッゾのあの宣言も同じこと。
リオンはゴッゾの思惑を知らない。ゴッゾはリオンを思って思惑を教えない。
終わったあとで全てが分かるとしても、それは終わるまでは全てが分からないということ。それまで一抹の寂しさを抱くのは、しょうがないことなのか。
「と、すみませんわね。こんな愚痴をもらしてしまって。あなた方には何の関係もありませんのに」
「いえ、私も武競祭に参加しますから、何も関係ないわけではありませんので。全然気にしないでください」
「そう言えばそうでしたわね。クー。悪いですけど、勝負となれば手加減は一切いたしませんわよ?」
リオンとクーが話をしている傍らで、ジュンタは冷めた紅茶を飲み干す。
リオンは吹っ切って、今笑っている。自分には彼女から寂しさを取り上げられる方法はない。だから黙っているしかなかった。
(口惜しいな。俺もゴッゾさんと同じ、リオンに内緒で何かをしようとしている)
黙っている。自分がアルカンシェルであることを。サクラではなく、サクラ・ジュンタであることを、黙っている。
そんな自分がリオンにしてやることなど何もない――そう思ったとき、部屋の扉がノックされ、ユースが部屋に戻ってきた。
「失礼します」
「ユース? ちょうど良かったですわ、悪いですけど紅茶のお代わりをもらえます?」
「はい、分かりました。それと新しいお茶菓子も出させていただきますね」
やってきユースは新しい紅茶の用意をする。その動きは見惚れるほどに的確で素早い。
間もなく紅茶は出来上がり、ユースは三つのカップ全てに琥珀色の紅茶を注いでくれる。さらにそれだけではなく、新しいお茶菓子が乗せられたお皿もそれぞれの前に置いた。
「これは……」
「あ、これはご主人様の……!」
お茶菓子を見たリオンとクーが驚きの声をあげる。
ユースが持ってきたお茶菓子は、ジュンタが作ったチョコレートケーキことショコラだった。どうやらユースがいなかったのは、これを持ってこようとしていたかららしかった。
「これ、確かショコラですわよね……?」
「そうです。ご主人様謹製のショコラです」
一頻りお皿の上のショコラを見たリオンの問いに、クーが自慢するように答える。
「でも、どうしてショコラがここにあるんですの?」
「それはリオン様のために、サクラ様が作ってくださったからです。そう言えば言っていませんでしたね。サクラ様をご招待した理由が、このショコラです」
不思議そうに視線をジュンタに注いだリオンに対し、ユースが説明する。
リオンは「えっ?」と小さく声をあげて、ジュンタを見た。
「私のためにわざわざ作りに来てくれましたの?」
「はい。どうぞお食べください、リオン様」
「そうですの……では、ありがたく頂戴いたしますわ」
やっぱりリオンも女の子で、食べたことがなく、おいしいと評判のお菓子を前にして、それ以上何かを訊くこともなかった。あるいはユースがサクラの招待について何も語らなかった理由に察しがついたのかも知れない。
フォークを持って、切り分けられたショコラをさらに切り取り、リオンは口に運ぶ。
モグモグと咀嚼――他三人が見守る中、先程の物憂げな表情はなんだったのかと言った感じに、彼女は幸せそうに笑った。
「おいしい。とてもおいしいですわ」
もう一口食べて、なおも顔を綻ばせる。
「私でも食べたことのない味ですわ。しっとりとしていて甘くて、それでいて口の中で溶けて……何ですの、これは?」
「ショコラです。幸せをそのまま形にしたお菓子なんですよ」
「お、おかしい説明のはずですのに、なぜか納得してしまいますわ」
リオンの疑問に、自分もショコラを食べてとろけた顔となったクーが答える。リオンはうんうんと頷いて、なおも褒めちぎりながらショコラを口に運び続けた。
それを見て、ジュンタは思った。今日だけは、きっとこれ以上リオンは寂しそうな顔はしないだろう、と。
おいしそうに食べる二人を幸せそうに見ていると、リオンの後ろに控えていたユースが小さく頭を下げてきた。
(俺が心配しなくても、リオンの周りには優しく支えてくれる人がいたってことか)
その視線にはリオンに対する深い愛情と、ショコラを作ってくれたことに対する感謝が見えた。
今日はパーティーに来て良かった――ジュンタはそう思って、自身もショコラに手を付けた。
結局リオンは、パーティー会場に一度も足を運ぶことなくパーティーを終えた。
去っていく招待客より少しだけ遅く去っていく二人の背中を見送ってから、リオンは明日――いや、日付はもう変わった。今日から始まる武競祭に対して、深く強く思うことがあった。
その思いを、主人に内緒で色々とやっていた竜滅姫の従者に伝える。
「――ユース。私、勝ちますわよ」
「――ええ。勝ってください、リオン様」
それは感謝を『ありがとう』という言葉以外で伝える、リオンらしい態度だった。
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