Epilogue
夢を見ている。眩しい夢を、懐かしい夢を、見ている。
それが夢だと分かるのは、それがもう現実では手に届かないと、見ることも叶わないと分かっているから。
両親や実篤、学校の友人たち。そんな故郷に置いてきた、佐倉純太にあった人生。
異世界にやってきた佐倉純太には、もうどんなに手を伸ばしても触れられない人生。
楽しそうに笑う家族を、友人を、知り合いを、そして他でもないそんな人たちに囲まれて笑っているもう一人の自分を――夢の中でジュンタは見続ける。
笑顔が溢れている。笑い声が絶えない。だけどそこには、自分の席はない。
気付けない。気付かれない。世界の外側から、ただじっと見ていることしかできない。それはどんな孤独よりも寂しい、独りぼっち……
じっと暗がりからジュンタは笑顔を見続ける――ふと、後ろから名前を呼ばれた気がした。
決して微動だにしなかった視線を、その向こう側の世界から、後ろの世界へと移す。
緑溢れる世界。魔法なんてものがある世界。騎士たちが活躍している世界。
旅人が憧れた見果てぬ彼方の大地――そこにも溢れんばかりの笑顔があった。それは春に咲く花のように、一面に咲き誇っていた。
日溜まりの笑顔をクーが、猫の姿のサネアツがニヒルに、蠱惑的な微笑をトーユーズが浮かべ、小さな微笑みをユースが、だらしない表情でラッシャが、本心を隠しているかのようにゴッゾが、天真爛漫にエリカが、不機嫌そうにエルジンが、異世界に来てから出会った人たちが笑っていた。
その笑顔の中で、眩しいほどに燃え上がる、綺麗な紅い華をジュンタは見る。
自信たっぷりに胸を張って、唯我独尊に誇りを示すその笑顔。一目見て、いいな、と思ったその笑顔――リオン・シストラバスが、そんな笑顔で笑っていた。
そこでジュンタは、自分が二つの世界の境界線上に立っていることに気付く。
一つは故郷の世界。もう一つは異世界。
どっちにも笑顔が溢れていて、自分はその境界線の上に立っている。
ああ、やっぱりこれは夢なのだ――ジュンタは苦笑して、故郷にあった笑顔に背を向ける。
歩き出す。前へと進む。境界線を、自分で選んで踏み越える。
一歩――ジュンタは目の前の笑顔に手が届くことに、涙が出そうになった。
口々に自分を呼ぶ声が聞こえる。この笑顔の中に混ざっていいと、そう言ってくれる声が聞こえる。この選択は間違っていないと、そう証明してくれる居場所がそこにはあった。
ジュンタは笑顔に囲まれて、そして憧れるほどに格好いい紅い華の並び立とうとする。
リオンは笑っている――――ジュンタも、笑い返した。
武競祭で何かと無茶をしたツケか、結局丸一日眠り続けて目を覚ましたら、宿屋ではなくジュンタはシストラバス邸に寝かされていた。説明を受けるためと治療のために、わざわざ招かれたらしい。
ジュンタはリオン相手に限界を超えた[稲妻の切っ先]を実行した所為で、完全に全身筋肉痛でダウンしていた。エットーの街のときとまったく同じ状況であり、二度轍を踏んだ自分を情けなく感じつつ、ジュンタは日々の世話をクーにしてもらった。無論強引に。誰も助けてくれない羞恥プレイの連続であった。
しかも今回は、クーに自分の身体を大事にしろと言ったのに使ってしまった捨て身アタックだ。一日涙目で睨まれながらお世話をされて、完全にもう従順姿勢である。
そんな日々を体験したジュンタにとって、最大の羞恥は三日目の今日待っていた。
「――優勝は『鬼の宿り火亭』です!!」
「きゃぁああああああああああああ――ッ!!」
祭りの終わりから三日後――シストラバス邸に庭先において、祭りの中にあった祭りの結果が授与式という形で行われていた。
武競祭期間中において、最も客からの票を集めた飲食店を決める大会である。
王都レンジャール中にある店が参加したといっても過言ではないこの競い合い。その優勝をかっさらったのは我らが『鬼の宿り火亭』であり、審査委員長のゴッゾより優勝が発表された途端、ルイ店長は幸せのあまり悲鳴をあげて倒れてしまった。
壇上に作られた舞台において、今回のイベント主催者となったシストラバス家、その現当主と次期当主が驚く中、ルイ店長はいつもよりきつい化粧の表情を歓喜に歪め、完全に気絶している。
集まった上位入賞者に紛れ込んでいた、何とか歩ける程度には回復したジュンタは、受け取る人のいなくなったトロフィーを見て、ひくりと頬を引きつらせた。
「……コホン。受賞者が気絶してしまったため、順序を入れ替えて、大会ナンバーワンに輝いた料理人の授賞に移ります」
紅い鎧の騎士の方々にルイ店長がえっちらほっちらと運ばれていく中、早々と冷静さを取り戻したゴッゾが、トロフィーの他に大きな額縁に入った絵画を用意させていた。
今大会は王都ナンバーワンの店を決めるのだが、それに加えて王都ナンバーワンの料理人も決めるのだ。今回は一位の料理人――パティシエと一位のお店が一緒なので、一緒にトロフィーも受け取ってくれという意味だろう。……最悪です。泣きたいです。
「それでは栄えある料理人のトップに立った方に、最高の絵描きが描いた絵画を勲章として渡したいと思います。それでは壇上にどうぞ。『鬼の宿り火亭』のパティシエ――
サクラ!」
ノリノリで勧めるゴッゾの声で、ジュンタの前の人垣が割れる。
「あ、あはは……」
壇上から二対四つの視線で射抜かれたジュンタは拍手をもらい、羞恥から身を縮こまらせながらも壇上に上がる他なかった。
今日のために揃えられたフリフリヒラヒラのドレス姿で、ジュンタは絞首台にあがる死刑囚のように壇上へと上っていく。歩く度に大きめな胸と縦ロールの黒髪が揺れる。眼鏡を取った顔には化粧が施され、どこをどう見てもそれは女装でした。生きていてすみません。
(うぅ、死にたい。これはどんな拷問だ……?)
自らの生まれすら否定するほどの絶望の中にいたジュンタを、さらに絶望の底へと叩き落とそうと、トロフィーと絵画を手にした紅いお姫様――リオンが壇上で待っていた。
向かい合ったジュンタは虚ろな眼で、綺麗に笑うリオンを見やる。
「おめでとうございますわ、ミス・サクラ」
もしかしたら正体がばれていないのかなぁ、と微かな希望を持っていたのだが、『ミス』を強調して呼んだリオンの満面の笑顔に、もう乾いた笑みを浮かべてトロフィーと絵画を受け取るしかなかった。
「あとで少々お話がありますわ。中庭でお待ちいただけますわよね?」
「…………ありがとうございます。誠心誠意待たせていただきます」
渡される際に耳元で囁かれた呼び出しに、ジュンタは涙ぐむ。もう、生きていく力がわかなかった。
「にゃ〜」
胸の中のサネアツには後で絶対にタマネギ攻撃をしてやろうと、ジュンタこと謎のパティシエ・サクラは誓った。
「……トーユーズ。本当にあれが『竜滅紅騎士』なのか?」
壇上からふらりふらりと降りていく女装したジュンタを見て、エルジンは疑問の声を出す。その声色は心底から呆れかえっていた。
シストラバス邸の入り口前、決して敷居を跨ぐことなく門に背中を預けたトーユーズは、自分の店が優勝したことの喜びを噛み締めつつ、それ以上におもしろい生徒の様子に忍び笑いを浮かべながら、エルジンに答えた。
「ええ、あれがあたしたちの宝物です。きっと誰も想像だにしていなかった姿ですわ」
「想像できるか、あんなものを」
酷く疲れたため息と共にジュンタから視線を外したエルジンは、トーユーズの方を向く。
「貴様は結局、それ以上は入ってこないつもりか?」
「あら? 中でお茶でもごちそうしていただけるのかしら? でも、残念ですけどまた今度にしておきます。先輩の大切な娘さんに恨まれたくはないですから」
「む?」
ヒラヒラと手を振って門から背を離したトーユーズの視線の先を、エルジンは追う。
「お父さんが綺麗な女の人と親しげに会話を……こ、これは新しいお母さんの予感!?」
そこには式典の手伝いをしていたエリカが、頬を押さえてキャーキャー言っていた。
「……大切なものは、得てしてこういうものなのか」
エルジンは未だ自分を許していない後輩を静かに見送る。
いつか魂が抜けているあの少年と一緒に、『神童』が自分を許せる日が来ることを祈りつつ。
「……なんで、こんな優勝賞品なんだ?」
シストラバス邸の人気のない中庭において、女装を式典の終わりと共に速攻で封印したジュンタは、しかし自分の女装した姿を見せつけられていた。
コンテストで優勝した賞品である、精巧な絵画。そこに描かれていたのは、紛れもなく『鬼の宿り火亭』で働いていたときの女装姿の自分であった。絵の中の自分はものすごく楽しそうに笑っていて……
「よし、なかったことにしよう」
「だ、ダメです!」
笑顔で絵画を抹消にかかったジュンタを止めたのは、笑い転げていたサネアツではなく、走り寄ってきたクーだった。
「ご主人様! そんな、ご主人様の姿が描かれた絵を破ってはダメです! いえ、ですがご主人様の絵なので、破ってもいいのはご主人様だけであり……で、ですけどやっぱりこの世から至宝の一つが消えてしまうのはあまりにもったいないことだと思うんです!」
取りあえずクーはパニクっているようである。とにかく絵を破くのはダメと言いたいらしいが、それでもこちらを止めるのには少々気が引けるらしい。
(クーが自分のために何かをするってのは、珍しいよな。微妙に違う気もするが)
クーの視線が絶えず絵画に注がれていることに気付いていたジュンタは、かなりの葛藤のあと、彼女に絵画を差し出した。
「欲しいならクーにあげるから。どうするかはクーが決めてくれ」
「え? い、いいい、いいんですか!?」
「いいよ。まぁ、ある意味は名誉の品だし。むしろ破くと嬉々として量産されそうだし。ここは誰の目にもつかないよう、クーあたりに持っていてもらった方がいいかも知れないし」
「…………」
絵画を恐る恐る両手で受け取ったクーは、敬虔な信者が神の姿を描いた絵を見たかのように、目の前にかかげて沈黙する。
「大事にします!」
大きな声と共に、クーはジュンタを振り向いた。そしてまた絵に。その後もう一度ジュンタに。
「一生の宝物にします!」
同じことを繰り返す。今度は長く絵画を見つめると、胸にきつく抱きしめて、振り向く。
「むしろ大切にし過ぎて死んでしまうぐらい大事な宝物として崇めます!!」
「いや、それだけは勘弁してください」
脳裏に毎日絵画を前に祈るクーの姿を思い浮かべて、ジュンタはそれだけは止めてもらうよう懇願する。そこで何とか絵画からクーの意識を逸らすために思考を巡らして、言っておくべきことがあったのを思い出す。
約束していたのだ、クーと。だけど、自分はそれを果たすことができなかった。だから、言っておきたいのだ。少しでも早く。
「クー、悪かったな。武競祭で優勝できなかった。クーは期待してくれてたのに、第三のオラクルもクリアできなくて。それに、約束のことも」
「ご主人様……」
「俺はさ、悔しいよ。リオンに負けて」
クーはすぐに何が言いたいかを察したようで、真剣な眼差しで見上げてきた。その瞳をジュンタは眼鏡の奥の黒い瞳で見返す。
「だから少しだけ待っててくれないか? 今回はダメだったけど、絶対にいつかリオンに俺は勝つから。だから、敵を討つって言う約束。もう少しだけ待っててもらってもいいか?」
「はいっ、待ちます。いつまででも待ちます! ですけど、だからといって無茶をしてはダメですからね?」
指をピンとあげて、こればかりは許さないという風のクーに、ジュンタは苦笑を返す。
「骨身にしみて無茶したときのことが分かったから、無茶は控える」
「ふむ。これで結局武競祭でジュンタが得たものは、お菓子作りの腕に加え、女装術と悪漢変化となったわけだ。そしてもうすぐクーヴェルシェンによるトラウマの完成か……実に俺好みになったものだな」
「よ〜し、サネアツ。お前も俺好みの三味線に変えてやろう」
「へいっ、目が怖いぜジュンタ! YO、その目はマジの目だYO!」
茶々を入れずにはいられない馬鹿猫を猫づかみにするジュンタ。二人は至近距離で冗談なのか本気なのか分からない戯れを続ける。
「待て。今日という今日は地獄をお前にも――うっ!」
「ご主人様!」
筋肉痛の痛みが身体を走り抜け、ジュンタは芝生の上に倒れ込む。頭の上にサネアツが乗って、クーが慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか、ご主人様? やはりベッドでまだ休まれていた方が……」
「も、もう二、三日は痺れが取れない気がするけど、たぶん大丈夫だから」
「そうですか? それなら良かったですけど……」
言葉とは裏腹に心配そうな顔を変えないクー。
ジュンタは芝生の上に座り込みながら、話題を変えるために、人気のない中庭にクーが来た理由を尋ねた。
「そういえば、クーは俺に何か用でもあったのか?」
「あ、そうなんです。お伝えしておかなければならないことがあったんでした」
ジュンタの顔色をうかがうように顔を接近させていたクーが、ポンと手を叩いてから、巫女としての役割を果たすために口を開く。
「ご主人様。先程のお話なんですが、ご主人様は第三のオラクル『雌雄決す場にて頂に立つ』を達成していらっしゃいますよ」
「え?」
「なに?」
ジュンタとその頭上のサネアツが同時に驚きの声を出す。
ある意味では、武競祭に出場する切欠となった第三のオラクル。
『雌雄決す場にて頂に立つ』――それは武競祭で優勝しなければ、達成できないはずだった。
託宣を受ける巫女であるクーがそう言うなら、達成は紛れもない事実だ。だが、どうして……?
「なんでだ? 俺は結局武競祭で負けたのに……」
「オラクルは、言ってしまえば使徒を成長させるための試練。使徒がオラクル達成へと動き、その過程で成長することこそがオラクルの本懐。ならば、例え達成はできなくても、そこに望むべく成長があればクリアはされるのではないか?」
「そう言うものなのか?」
「あの、そのことなんですが、私に一つ達成した理由について心当たりがあるんですけど」
サネアツと議論を交わしていると、そろ〜りと手を挙げたクーがそう主張する。
「心当たりがあるのか、クー?」
「はい。というのも、これです」
クーがそう言ってかかげたのは、にこやかに微笑む女装エプロン野郎の絵画だった。
またもやトラウマになりそうな部分を突かれて、ジュンタは顔をしかめる。しかしサネアツの方は今度は笑わず、はっとなった。
「なるほど、そういうことか」
「分かったのか、サネアツ?」
「うむ。つまりはこういうことだ。ジュンタは確かに武競祭では優勝できなかったが、競い合う大会において優勝しているのだよ」
「それって、まさか……」
驚いているサネアツに対し、気付いてしまったジュンタは信じたくないなぁ〜と思いつつ訊いてみる。
「…………そもそも根本的な問題として、別にこのオラクル、何か競う場で優勝するのが目的であって、別に武競祭に条件が限定されてたわけじゃなかったよな?」
「いつの間にか武競祭優勝と等式で結ばれていたが、別に他のものでも問題はなかったと思われるな。ナンバーワンの店を決める戦いも、最高のパティシエを選ぶコンテストも、雌雄を決するという意味では間違ってはいない」
「つまりはご主人様の作ったショコラが、このオラクルを達成したと言っても過言ではないんですね。やはり、ご主人様のショコラには幸せになる魔法がかかっていたんです!」
素直に喜びを露わにするクーの横で、色々と翻弄されたジュンタは肩を落とし、サネアツはその気持ちを察して頭を肉球でプムポムと叩く。
「元気を出せ、ジュンタ。万事塞翁が馬だ」
「……空回り過ぎだろ、俺」
「それで次のオラクルなんですけど…………なんだか今は止めておいた方がよさそうですね」
空気を察したクーに頷く。どんなオラクルだろうと、今は聞きたくなかった。
「ジュンタ、来ていますの?」
なんだか無性に体操座りがしたくなってきたジュンタが実際に実行に移す前に、中庭に呼び出した張本人であるリオンがやってくる。
中庭に入ってきたリオンは、そこにクーがいることに気付き足を止める。持っていた何かをささっと後ろに隠した。
恐らく一人だと思ってやってきたのだろう。クーがいると知って、リオンはバツが悪そうに黙り込む。別に人見知りするような性格でもないし、何か人がいては困る理由でもあるのだろうか……本当に一人リンチされてしまうのだろうか?
「にゃあ」
硬直していたリオンを動かしたのは、ジュンタの頭の上から地面に飛び降りたサネアツの鳴き声。
「はい、分かっています。サネアツさん」
サネアツはそのままクーの帽子の上までよじ登る。クーはサネアツが落ちないようにピンと背中を伸ばし、ジュンタに向き直った。
「お二人のお話をお邪魔してしまうといけませんので、私は向こうに行っていますね。ご主人様、身体を大事にしてください。無理はダメですよ」
「ああ、わかってる。ありがとな」
サネアツを乗っけたままペコリと礼をして、クーは絵画を抱えて小走りで中庭を後にしようとする。
途中擦れ違うとき、徐にクーとリオンの視線が交差した。
それは一瞬のこと。しかし確かに二人は視線を交わして、そのまま何事もなかったかのようにそれぞれ視線を逸らす。
そうして、中庭には二人だけ、と。
「…………」
「…………」
ジュンタとリオン――互いに視線を合わせて黙り込む。
リオンの家で厄介になってはいるが、彼女は武競祭優勝後パーティーやら何やらで色々と忙しそうで、あの試合のあと会うのはこれが初めてだったりする。クーの話によれば一度眠っている時に顔を出したらしいが。あと、さっきのはなかったことになっている。
お互い遠慮するような間ではないが、やはり試合中とは訳が違う。
半年という時間。ジュンタは二月ほどの再会とはいえ、色々と互いに言いたいことがあって……なかなか第一声が決まらない。
そんな中、先に口を開いたのはリオンの方だった。
「身体の調子はどうですの?」
「あ、ああ、大丈夫だ。軽い切り傷と重度の筋肉痛だけだったからな」
「まったく、あんな無茶な方法で魔法なんて使うからそうなりますのよ。あなたにはちょうどいい薬ですわ」
そっぽを向いて宣うリオンだが、一応心配はしていてくれたのか、どことなく頬が赤い。
「な、何ですのよ、その生暖かい笑みは? 別にあなたを心配しての言葉ではありませんわよ。ただ、一応戦った相手としての社交辞令ですわ、社交辞令」
「そうか。なら、俺も社交辞令としてちゃんと返事は返しておかないとな。――ありがとな、心配してくれて」
「っ! べ、別にお礼を言われるようなことではありませんわよ!」
顔を真っ赤にしてリオンは視線を泳がせる。その間も、やはり最初に背中に隠した何かを見せようとはしない。両手を背中の後ろに隠したままの姿である。
リオンはスーハースーハーと深呼吸をして、それからンンと咳払いをしてから、近くまで近寄ってくる。
「ひ、一つ尋ねたいのですけれど、よろしくて?」
「また、いきなりだな。きついからな。座ったままの恰好でいいなら、別にいいけど」
きっと色々と気になるべきところはリオンにもあるだろう。
すでにリオンの態度にいつもの調子を取り戻したジュンタは、芝生に座りながら返事を返す。
「別に怪我人を無理に起こさせるような真似はしませんわ。……そ、それで、ですわね。肝心の質問なのですけど」
「なんだ? 大抵の質問になら答えるけど?」
「当たり前ですわ。本心を言わなければ怒りますわよ。
私の質問は一つだけですわ。ジュンタ、あなたどうして武競祭に参加しようと思いましたの?」
「俺が参加した理由?」
意外と言えば意外な質問だった。試合中にも一応それには答えた気がするが…………改めて、と言うことなのか。
「それはだな。まぁ、色々あるんだが――」
取りあえず質問に答えようとジュンタは口を開き、
「わ、分かってますわ! 大丈夫! 改めて言わなくても、あなたの考えぐらい私にはお見通しですわ。ええ、分かっていますわよ?」
実際に答える前に、リオンにより遮られてしまった。
「……なぜに疑問系なんだ? それにお前、めちゃくちゃ顔が赤いぞ?」
「べ、別に誰も恥ずかしいだなんて思っていませんわ。喜んでもいません」
「うん、俺もそんなことは別に言ってないな」
首筋まで真っ赤にしたリオンは、両手を背後に回したまま、そわそわもじもじと落ち着きのない様子を見せる。時折言葉を紡ごうと口を開きかけ、それを羞恥心で思わず閉じて……そんな行動の繰り返し。
怪しい。とにかくものすごく怪しいというか、なんだか盛大な勘違いをしているみたいである。
「お父様が言ったんですもの」とか、「ユースだってそうだって言ってましたし」なんて呟きが聞こえてくるし。
敵に回しちゃいけない二人組の名前を聞いたジュンタは、これでもかと言うぐらい嫌な予感で頭を痛める。
「あ〜、リオン。今度は俺が質問していいか?」
「ひゃひふ!」
「取りあえず今のは肯定と受け取るからな。
それで、お前は一体ゴッゾさんやユースさんにどんな嘘を吹き込まれたんだ?」
「別に嘘ではありませんわ。冷静に分析したあなたの武競祭参加の理由ですわよ。ええ、そうですわ」
時折噛みそうになりつつも、リオンはツンと澄ました顔で、ちょっとにやけた風に言う。
「わ、分かってますのよ、あなたが私と結婚したくて武競祭に参加したということは。ま、まったく、告白を断ったからと言ってそんな手段に出るなんて……あなたという男はもう、その、あれですわねまったく」
「ああ、なるほど。そう来たか」
勝ち誇っているかのようなリオンの態度に、ジュンタは納得の色を見せる。
まず間違いなく、リオンはゴッゾ辺りにデタラメを吹き込まれている。あの人は嘘を論理的に、本当のように話すからタチが悪い。
ゴッゾはきっとリオンに、『ジュンタ君が武競祭に出場した本当の理由は、リオンと優勝して結婚したかったからだよ』とでも吹き込んだのだろう。一度告白したという前科……というのもあれだが、疑ってしまう余地がそこには確かにある。
(それは誤解……だよな?)
誰とも無しに、心の中でジュンタは尋ねる。
リオンの言葉は真実ではない。ジュンタはリオンと結婚したかったわけではなく、阻止したかっただけだ。だけど、別にそれは誤解として解かなくてもいいものかも知れなくて……
「まぁ、あなたの気持ちも分からないではありませんわよ? あなたみたいな粗野で粗暴な庶民が、この高貴なる私に近づこうと思うのならば、そんな卑怯千万な真似に縋るしかありませんわよね。もっとも、結局はそれでも私には手が届きませんでしたけれど」
「…………いやぁ、これは黙ってはおけないでしょ、俺」
だけどこのちょっといい気分に浸っちゃっているリオンに、黙っているのは精神衛生上あまり良くありません。
「で、でも、そうですわね。その……」
こめかみに青筋を浮かべたジュンタは、モゴモゴと口を動かしているリオンを見、はっきりとした怒りを覚える。
(そこまで言うか? こいつは。一応自分勝手に始めたとは言え、こっちはリオンが困っているって聞いてからがんばったっていうのに)
やはりリオンという少女とは剣と剣ではなく、言葉でストレートにぶつかり合わなければ分かり合えないのか――そんな諦観の気持ちと共に、ジュンタは口を開く。
「で、ですからジュンタにこれ――」
「勘違いするなよ。別に俺は、お前と結婚したくて武競祭に参加したわけじゃないから」
「――を……って、なんですって?」
何かを後ろから取り出そうとしたリオンの手が途中で止まり、表情が固まる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。今、あなた何て言いましたの?」
「だから、別にお前と結婚したくて俺は武競祭に参加したわけじゃないって言ったんだ」
「んなっ!? ……な、なるほどあなた、照れてますのね。別によろしいのですわよ。私ほどの貴婦人に心奪われることは、例えあなたがどんなに卑しくとも決して罪なことではありませんもの。誰も彼もを魅了してしまう私こそが罪なのですから」
「大したナルシスト発言だな、おい」
強がるリオンの顔がおもしろくて、ジュンタは言葉を続ける。思い返してみれば、そもそも武競祭参加の原因はオラクルだ……それは別に武競祭限定ではなかったのだが。
オラクルなんて受けるつもりはなかったのだが、巫女になったクーのために武競祭に出場しようと思ったのである。そうである。リオンの噂は後から聞いたもので、根本的な理由はクーに喜んで欲しかったからと言っても間違いではない。
「別に嘘じゃないぞ? 実際、優勝したって結婚の約束は蹴るつもりだったし」
「……な、なら、どうしてあなたは武競祭に参加しましたのよ?」
「それはまぁ、あれだな。クーのためだ。どうしてそれがクーのために繋がるかは言えないけど。
後から後から負けられない、負けたくない理由はできたけど、最初武競祭に参加しようと思ったのはクーのためだった」
はっきりと『誤解ですから』と告げると、リオンは急に黙り込んで…………何やらものすごい冷たい殺気を纏い始めたんですけどどうしましょう?
修行して鍛えられた危険察知能力が、最大級の警報を鳴らす。
「ふ〜ん。へぇ〜、そうですの。あなたは私に愛の告白をしておきながら、もうすでに他の女の子のお尻を追いかけてますのね」
「あ、あのリオンさん。なぜにそのような剣を手に握っていらっしゃるんでしょうか?」
背中に回していた手を前にさらけ出したリオンの手には、鞘に入った剣がしっかりと握られていた。ちゃんとオリジナルのドラゴンスレイヤーは指輪状態でつけているので、それはどこかからか持ってきた、他の誰かのドラゴンスレイヤーと言うことになる。
「この剣はご褒美のつもりでしたが……最低男に騙されたいたいけな乙女にとっては、この上ない武器ですわね」
「な、なぜにそのように剣を振りかぶっていらっしゃるんでしょうか? リオン様」
「ふふふっ。あなたが半年間姿を見せなかった理由は、クーと一緒にいたからですのね? なるほどなるほど、私よ〜く分かりましたわ。これはもう、ええ、タコ殴りにするしか鬱憤を晴らし、乙女の純情を踏みにじった怨敵に罰を下す方法はありませんわね」
「お、俺一応病人……です。全身筋肉痛でちょっとの刺激で大ダメージ……です」
「それは好都合ですわね。ありがたく思いなさい。私が心を込めた全身マッサージを施して差し上げますから。
ああ、そう言えば。あなたには女装してまで騙してくださった罪科や、私の裸を見たこと、勝手に逃げ出したことと、たくさん罪がありましたわね。それもついでに今ここで償ってもらいましょうか、ジュンタ・サクラ――ッ!」
「あ、あははっ。俺、何か地雷踏んじゃった?」
その事実だけで意識を手放しかけたジュンタを現世に繋ぎ止めたのは、皮肉にも鞘に入ったままの剣がリオンの両手によって振り下ろされたからだった。
ガツンと頭の受ける痛みと、全身を駆け抜ける激痛。
あらゆる箇所がつって、痺れて、もう何がなんだか分からないほどに痛い。
「本当にあなたという人は、最低最っ悪ですわッ!!」
宣言通りに滅多殴りにされるジュンタは、その紅い少女の姿を最後に意識を閉じる。
(――異世界を選んで良かったって、思わせてくれよ。リオン)
最後の最後に、再会した少女の眩しい姿を目におさめ――明日からの楽しい日々に思いを馳せながら。
旅の目的地に触れて、だけど変わらず旅は続く。
紅い騎士のお姫様がいる世界はきっと旅人にとって、とても素晴らしくて楽しい世界に違いないのだから。
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