第十七話  それでも想うが故に




『封印の地』の中は、一言で説明すれば荒野が延々と続く大地であった。

 荒野の砂塵の色は灰色。空も枯れた木々も何もかもが灰色の、そこはまるで神に見捨てられた世界のようだった。いや、実際にこれは朽ち果てた一つの世界であるのだ。

 終わりがないと思えるほど続く荒野は、聖地近辺と同じ地形をしているのだという。
 
 聖地を表とするならば、この『封印の地』は異相のずれた裏の世界――人の代わりに魔獣が住まう、恐ろしい大地なのである。

「これが『アーファリムの封印の地』……寂しい場所だな」

 魔獣と遭遇する度に数人のフェリシィールの近衛騎士と別れていった結果、『封印の地』の入り口からしばらく進んだところで、ついにジュンタとリオンは二人だけで荒野を駆けることになっていた。

 入り口付近にいた全ての魔獣は、フェリシィールの一撃と騎士たちが相手を引き受けてくれた。固まっていた魔獣の群を潜り抜ければ、走り始めてから十分現在、魔獣の姿は視界内にない。

 視界には、ただ延々と変わらない風景が続くばかり。
 ジュンタはこの世界において、唯一鮮やかな色を放つリオンに走ったまま話しかける。

「リオン。本当に方角はこっちであってるよな?」

「私を方向音痴とでも言いたいのかしら。あっていましてよ。この『封印の地』の地形が聖地と同じならば、ベアル教のアジトがあった方へと走ればいいんですもの。どうやって間違えろという話ですわ」

「ならいいんだけど。俺はすでに分からないからな」

 自信満々なリオンにジュンタはほっと一安心する。この変わらない大地の中、すでにジュンタは自分の現在置を見失いつつあった。

「それで、大体片道でどれくらいかかる?」

「そうですわね、全速力で走れば二十分程度。ですけど、さすがにそれは無理ですもの。実質三十分以上はかかってしまいますわ。往復一時間強。薬を手に入れて戻るのにかかる時間はそれだけです。もっとも――

 マラソン程度のスピードだったリオンの速度が、一気にあがる。

――あんな障害物が出なければ、の話ですけど」

 紅き剣を構えるリオンの向こうから、点のように見える、灰色の景色以外の何かが駆け寄ってくる。それは群をなした狼に似た魔獣――ガルムだった。

「私がこのまますれ違い様に倒します。撃ちもらしたときだけ頼みますわよ」

 ジュンタが口を挟む間もなく、どんどんと詰め寄ってくるガルムの群に、リオンが逆に剣を煌めかせて突っ込んでいく。

 クーと話し終えてから夜までジュンタがしたことと言えば、休息と『封印の地』にいるだろう魔獣についての勉強である。だからガルムなる魔獣の力については既知であった。

 オーガとワイバーンの二大魔獣をのぞく魔獣は、武芸者なら大抵一対一において大した脅威にはならない。ゴブリンやワームなどは一般人でも相手ができる。
 魔獣の脅威は、ある意味野生の獣の脅威と似ているのだ。魔獣たちは仲間同士で群をなして、人を襲う。数の差こそが人々が認識する魔獣の脅威なのである。

 故に、向こうからやってくる六体のガルム――単純に考えて、群て襲いかかってくる大きくて獰猛な狼六匹と考えていい。爪と牙で獲物を仕留めに来る彼らは、十分人間には脅威的だ。

 しかし、あくまでもそれは素人の判断。並の武芸者では手こずるガルムの群など、名誉挽回に猛る正真正銘の騎士にとっては、本当の意味で『疾走を邪魔する石ころ』程度のものだった。

「邪魔でしてよ!」

 リオンを最初の獲物に定めたガルムたちが、一斉に彼女に跳びかかる。

 遙か昔に封じられ、人間の血肉の味に餓えた彼らは、半ば自分の身を無視した攻撃を行っていた。理性なき本能による食いつき。ケダモノが燃ゆる騎士に刃向かえば、結果はその炎に触れての死以外にありえない。

 リオンは疾走のスピードはそのままに、踏み込む足のステップだけを変え、左に重心を移し、左足を軸にして素早く一回転する。

 真横に円を描く刃は、回転と疾走の運動エネルギーを得て、具現化したカマイタチのような切れ味を前方に放つ。一回転して広がった一撃は、前方全体から襲いかかってきたガルムの半数以上を真っ二つに切り裂いた。

「っ!」

 ガルムが流す緑の血はリオンの速度の前に置いて行かれ、むしろ避ける動作を取らなければならなかったのは、後ろに続いていたジュンタの方だった。飛び散った緑の血と、地面に転がるガルムの死骸を避ける。

 その間に、返しの刃でリオンは残ったガルムをも一刀両断しており、

「速度を弛めてはいけませんわよ!」

 などと、石ころに躓きもしなかった彼女は叱咤を放つ。

 ジュンタは息切れしそうな身体に感動という名の気合いを入れ、「おうっ」と軽く答えてスピードを上げる。胸を満たすのは、自分の前を行く背中の力強さと、まるでどこまでも走っていけるような高揚感。

「本当に、お前って強いよな」

「そんなことは百も承知ですわ。あなたはこれまで、私の何を見てきたと言うのです?」

 口から思わず出た素直な感想に、リオンは振り向かずに、不敵に笑ったような気がした。

「一つ素朴な疑問なんだが、お前は一体いつぐらいから剣を握ってるんだ?」

「物心ついたときにはすでに訓練していましたから、剣自体を握ったのは三歳ぐらいだった気がしますわ」

「三歳……十三年間の研鑽か」

 十三年間剣と共に在った騎士なら、その強さも当然……なんて口が裂けても言えない。
 
 それだけ――しかも多感な子供のときを――剣術の修行に時間を費やすなど、生やさしいことでは絶対ない。賞賛すべきはその信念の固さであり、費やした血と汗の量であり、自らの力量を誇れるその強さだ。

「ああ。すごいな、それは」

「……なんだかあなたに言われると、バカにされているような気がしてなりませんわね」

「失礼だな。人が素直な気持ちで贈ったっていうのに」

「では逆に訊きますが、あなたは一体いつから剣を握っていますの?」

「半年前のあのワイバーンとの戦いで、お前から剣を渡されたときが初めてだな。修行を開始した時期をいうなら、武競祭開幕の十日ぐらい前だ」

 訊いた手前こちらも正直に答えたら、リオンから憤慨というか驚愕というか、何となく呆れられた空気が伝わってきた。

「私が十三年の時を費やして武競祭で優勝できるレベルなら、あなたは半月程度でベスト4入りではありませんの。……なんだか無性に腹立たしいですわ」

 そんな風に怒気を抱いたときだけリオンは振り返ってきて、その尖った視線をぶつけてくる。

「まぁ、私も今後永遠に強くなって行きますもの。あなたが私に追いつける日は一生来ませんけど」

「朗らかな笑顔で言い切りやがったな、この野郎。いつか絶対見返してやる――と、次のお客さんか」

 話を中断させて、ジュンタは前と横手に見える魔獣の影を視認する。

 同じく魔獣に気が付いたリオンは、しかしやはり余裕の笑みを浮かべて、

「上等ですわ。騎士の疾走を妨げるものなど、存在しないことを知りなさい!」

 障害を軽く蹴り飛ばすことを、高らかに宣言した。






       ◇◆◇






 適度に体力を温存しつつ走って三十分。リオンの感覚で、もう後少しでクーを治すための薬に辿り着こうとしたとき――さすがに石を蹴飛ばすように通れない魔獣が姿を現した。

 上空から滑空してくるその異形の影を見咎めたのは、前方を行くリオンが先。

「ジュンタ、上ですわ!」

「上?」

 リオンの声に空を見上げたジュンタは、雲も太陽もない灰色の空に、焔の輝きが輝いたのを見た。

「炎……なんで空に?」

「何、ぼうっとしてますの! あなた、焼け死にたくて?!」

「ほのっ――ワイバーンか!」

 上空で光り輝いた炎は、そのまま輝きを強め、大きくなって落ちてくる。それは紛れもなく、オーガやワイバーンの放つ火球の礫であった。

 上空からの攻撃だとしたら、それはオーガではなくワイバーン。多くの魔獣の中で、空の王者と畏怖されし、空を泳ぐ翼手の魔獣だ。

「くっ!」

 落ちてくる火球を避けるため、リオンと一緒になってジュンタは速度を速める。

「後少しだって言うのにっ!」

「文句は後回しですわ。来ますわよ」

 これまでのように、地上を疾走するままでは倒しようのない、上空の敵をリオンは睨みつける。

 空より現れた翠の魔獣――ワイバーン。
 手と一緒になった巨大な翼を持つ、小さなドラゴンと言った形の魔獣である。

 ワイバーンの数は三。リオン一人では相手にするのが難しい数だった。

「三匹ですか。ジュンタ、あなた一匹お願いできます?」

「一匹だな。任せろ」

「あら、いいお返事ですわね。では、私が倒すまで引き留めていなさい。倒せなんて無茶な要求は致しませんから」

 リオンは滑空してきたワイバーンに向かって自ら走り寄っていく。

 遙か上空からの攻撃では、ワイバーンと言えども地上の戦士にはダメージを与えられない。よってある程度の高さまで下りてくる彼らへと、空を飛べないリオンは果敢に立ち向かっていく。

「……俺にワイバーンが倒せるなんて思ってないってことか」

 リオンが残した台詞によって若干傷ついたジュンタは、双剣を構えて自分が担当するべき一体を見定める。

 地面を蹴って距離を離していくリオンを追いかけて、二体のワイバーンが離れていく。残った一体は、ジュンタを狙おうと上空に滞在したままその口を開いた。

 大気を焼き焦がす礫が吐かれ、ゴウッと音を立てて落ちてくる。

 前もって口の向きから発射角度と着弾位置を特定していたジュンタは、礫を爆風だけ感じる距離まで退避して避けきった。しかし避けても避けても、追撃のブレスは幾度となく火の雨として降ってくる。

「オーガが硬くて倒せないなら、ワイバーンは空を飛べるから倒せないのか。空にいたら攻撃が届かない」

 ワイバーンの攻撃を避けつつ、ジュンタは上空にホバリングしたまま下りてこない敵に悪態づく。

 かつて一体のワイバーンをサネアツと協力して仕留めたことがあったため、倒す自信が当初はあったのだが、如何せん空にいる敵への攻撃手段がない。攻撃があたらなければ敵は倒せない。

 前回の戦闘は運が良かったのだ。油断していたからか、相手にしたワイバーンは空を飛ぶことなく戦いを挑んできた。だから空を飛べない自分でも、リオンのドラゴンスレイヤーとサネアツの魔法の力を借りて倒すことができたのだ。

 しかし最初から空にいるワイバーン相手では、右手のドラゴンスレイヤーも効果を発揮できない。

 唯一上空への攻撃手段として玉砕アタックがあるが、あれを使えば自分も倒れる。
 それではクーの薬を手に入れて、フェリシィールの騎士隊が守る孔へと戻ることができなくなってしまう。使用は不可だ。

 このまま避け続ければ負けることこそないが、本当にリオンの言った通り倒すことは無理……

(リオンの奴は、一体どうやってワイバーンを倒す気だ?)

 自分と同じく上空への攻撃方法を持っていない騎士の方へと、ジュンタはワイバーンの攻撃の合間を縫って視線を送り、

「うげっ」

 そこにあった光景に、普通に驚いた。

「はぁ!」

 全力で大地を駆けたリオンが高く跳躍する。その跳躍力は並の人間など目じゃないほどで、三角飛びの要領ならお前家にだって登れるんじゃないか? と、思えるぐらいの跳躍力だった。

 それでもワイバーンの飛翔地点までは届かないのだが、そこは技なのか、リオンが跳んだ瞬間のワイバーン一体の位置は、決してその跳躍力で届かない位置ではなかった。

 地面を強く蹴って跳んだ先で、リオンは鋭い突きをワイバーンの腹部へ、身体の柔軟性を使った変速的な軌道で繰り出した。

 深々と突き刺さったリオンのドラゴンスレイヤー。
 悲鳴をあげ暴れるワイバーンに、リオンは腹部に剣を突き刺したまま落ちずに掴まって、腹を解体するようにこじ開けながらその背に飛び乗った。

 上空の足場を確保したリオンにとって、もはやワイバーンは空を駆ける王者ではない。

 もう一体のワイバーンの位置を確かめると、リオンは暴れるワイバーンにもう一体へと飛び移れる位置まで乗り続け、飛び移れると判断した瞬間、自分の乗ったワイバーンの命を奪い、墜落していくその背を蹴ってもう一体へと躍りかかった。

 自分の身体能力とワイバーンの身体能力。それを見事に把握しきったリオンの跳躍は的確であり、彼女はもう一体のワイバーンの背に軽々と乗り移る。両手で持った剣を背中へと一突きし、そのまま、背中から飛び降りる過程でワイバーンの首を切断してのけた。

 二体のワイバーンを倒すのにかかった所要時間が、ジュンタと相対するワイバーンが炎を吐くまでのタイムラグの最中というから、驚く他ない。

「と、うわっ!」

 思わずリオンの鮮やかな手並みに見惚れてしまったジュンタは、再び吐かれたワイバーンの炎に、よもや焼かれそうになった。

 爆風に背中を煽られ、ジュンタは地面を転がっていく。
 それを見たワイバーンは、次の炎を吐く時間も惜しいと、早く獲物を仕留めようと急くように大きく口を開いて地面へと滑空してきた。

「いいフェイクですわっ、ジュンタ!」

 それを見たリオンがニヤリと笑って、駆け寄ってきたままのスピードで大きくワイバーンに向かってジャンプする。

 ワイバーンは突然の闖入者に驚き、その勢いを弱め、慌てて上昇するために翼をはためかせて転ずるも、時すでに遅し。

――遅い!」

 リオンが振るった刃の切っ先は、深々とワイバーンののど元を直撃し、その命を刈り取った。

 紅の髪を翻し、優雅に着地してみせるリオンに少し遅れて、ワイバーンが地面に落下する。
 瞬く間に一人で仕留めてしまった三体のワイバーンを見て、リオンはドラゴンスレイヤーについた魔獣の血を振るって払った。

「長年ここに封印されてましたから、焼き殺さず、食べることしか頭になくて楽でしたわ」

「………………うわぁ、俺情けな……」

 髪をかき上げ、軽く息切れするぐらいしか疲労を見せないリオンが、長年鍛錬を積んだ『経験』という強さを持っていることを再認識しつつ、ジュンタは起きあがる。

(結局、リオンの言った通りか)

 最初からこうなることを予測していたのか、寄ってくるリオンの視線にこちらを責めるような色はない。それが少しだけ安堵を呼び、それ以上の悔しさをジュンタの中で呼び起こした。

「さぁ、ジュンタ。さっさと先を急ぎますわよ」

「ああ」

 最後まで一太刀も浴びせられなかった両手の剣を強く握り、ジュンタは強くリオンを見返して頷く。

 悔しい。悔しいが、同時に嬉しくもあった。

 リオンという少女が一対一の決闘だけじゃなく、戦闘においてもこれほどに強いことが嬉しい。いつかリオンに勝とうと思っているジュンタには、目指す背中が大きければ大きいほどに膨れあがる昂揚があった。
 
「あと、もう少し」

 昂りそうになる感情を抑え込んで、ジュンタは走り始めたリオンの後について足を動かす。

 その足が、しかしすぐに止まったのも再びリオンの声にだった。

「っ!? 右に全力で避けなさい!」

 リオンの指示に、ジュンタは返事を返す間もなく実行に移していた。

 二人がいた場所に、先程の再現のように炎の礫が落ちてくる。
 それも一つだけじゃなく、二つ、三つ……一瞬では数え切れない数が重なり合って、巨大な炎の塊となって落ちてきた。

 リオンは激しい爆風に煽られながらも空中で体勢を整えて、地面に向きを反転させて降り立つ。ジュンタも向きの反転こそできなかったが、何とか体勢を整えて地面に着地した。

「新手か?」

 二人は背中合わせになって、揃って空を見仰ぐ。

 ジュンタはそこにあった脅威に息を呑み、さすがのリオンも小さく息を呑んだ。

「どうやら先程のワイバーンが、仲間を呼んでいたようですわね」

「そんなにワイバーンが仲間意識強いなんて、出発前に聞いてなかったけどな」

 若干強ばった声で会話を交わす二人の瞳に、自分たちに向かってくる八つの機影が移る。否、それは機影ではなく、獣の影――翼手を持つワイバーンの、さらなる増援の姿だった。

「ちなみに訊くが、俺が何体受け持ったら、二人とも五体満足で切り抜けられる?」

「とりあえず半分ほどあなたが任せられたと言うのでしたら、残りの半分は私が責任を持って相手をさせていただきましてよ」

「はっはっはっ、普通に無理だ」

「それでは逃げます? 相手は空を駆る魔獣ですわ。逃げられないと思いますけど?」

「仕方ない。なら、玉砕覚悟で[稲妻の切っ先サンダーボルト]を使うしかないか」

 一撃必殺及び自爆覚悟の攻撃を使用することを宣言し、ジュンタは身体に纏った魔力を強くしていく。

 バチリ、バチリと音を立て始める雷気を見て、リオンは不満そうに口を尖らせた。

「相も変わらず、あなたの魔力はどこか感に障りますわね」

「また失礼すぎる発言だな。まぁ、リオンには仕方ないんだろうけど」

 他の誰かは気にしなくても、リオンは気にするだろう自分の魔力性質は『侵蝕』――ドラゴンが持ちうる他者を侵す魔力性質だ。

 もう一つ『加速』によってジュンタは、雷気を纏っての特攻攻撃――稲妻の切っ先サンダーボルト]を擬似的に再現しようとしていた。

 それはさっきも忌避したように、このクーを助けるための戦いにおいては、まったく不便極まりない最高攻撃だ。例えワイバーンを倒せたとしても、その後が怖い。元よりこれは後のない状況でのみ使われる捨て身の必殺だ。

「それを使って本当に大丈夫なんですの? 倒れたら置いていきますわよ」

「大丈夫だ。使うたびに回復が早くなってきてる…………気がする!」

「あやふやのことに対して大した自信ですこと」
 
 呆れた風に発せられたリオンの言葉だが、彼女の表情は引き締まったまま。その顔が、リオンを持ってしてもワイバーン八体を相手にするのが、かなり難しいことを物語っていた。

 ならば、今度こそ自分の力を見せつけるときだろう。

 ジュンタは虹を纏い、その全景を視認できる位置まで接近したワイバーンたちを見上げ――次の瞬間、空を駆ける魔獣たちに向かって、幾本もの炎の矢が横やりから突き刺さるのを目撃した。

 数十本の矢が一斉に放たれたような乱射に、かなりのスピードで飛翔していたワイバーンたちは避けきれず、そのまま三体が仕留められて地に墜ちる。

「炎の矢?」

「と言うことは、まさか」

 ジュンタとリオンはワイバーンを襲った攻撃を見て、知り合ったばかりの同一人物を思い浮かべて横を振り向く。

「し、死ぬ。僕は、基本的には文系なんだ……」

「情けないぞ、ヒズミ。だから毎朝一緒に持久力を鍛えようとランニングに誘っているんだ」

 果たして、ワイバーンたちを離れた地上から射抜いた狩人は、荒い息を吐いて、姉から呆れられた視線を向けられていた。

「スイカ聖猊下!」

 リオンがまず現れた使徒スイカを呼び、

「ヒズミ……」

 格好良く登場してもいい場面なのに、弓を杖にして登場するという情けなさ過ぎるヒズミを、ジュンタが呼んだ。

「やぁ、二人とも。怪我がないようで何よりだ」

 朗らかに笑ってスイカが話しかけてくる。
 リオンと顔を見合わせてから、それぞれ疑問をぶつけた。

「どうして二人ともここにいるんだ?」

「そ、そうですわ、スイカ聖猊下! ここは危険です! すぐにお戻りください!」

「うん、危険は重々承知している。だけどここで戻るわけにはいかない――まぁ、話をする前に、とりあえずアレを倒してしまおうじゃないか」

 すでに血――魔獣の血のため緑色――の刃が形成されている『深淵水源リン=カイエ』を両手で操りつつ、スイカは未だ健在のワイバーンたちを見仰ぐ。

 スイカの指摘にはっとして、ジュンタとリオンもそれぞれ得物を手に空を見上げた。

 ヒズミの『黒弦イヴァーデによる射撃によって、八体いたワイバーンは残り五体。脅威はまだ残っているも、先程までのように絶望的な数の差ではなくなった。

 ジュンタは纏いかけていた雷気を霧散させ、両手の剣をしっかりと握り直す。

「そうだな。まずはあれを片付けないと、話だってしてられない」

「よし、では倒そう。ヒズミ出番だ」

「また僕がぁ?」

 ゼーハーと肩で息をしているヒズミが、スイカの指示に青ざめた顔をさらに青くする。

「さっきの一撃でどれだけ魔力を使ったと思ってるんだよ? ただでさえ『純血派』のアジトでの疲労が残ってるんだから、そう連射できないわけで……」

「何を言っているんだ。空にいる敵との戦いこそ、長距離の間合いを持つ射手が必要とされる時じゃないか。ジュンタ君もリオンも近距離専門だ。ここはヒズミしかいない。男を見せるときだ、がんばれ」

「それなら姉さんがやればいいだろ。姉さんならワイバーン相手だって中距離から戦えるんだからさ」

「確かに可能だけど、確実性を求めるならやはり『黒弦イヴァーデを使うべきだと」

 いきなり始まった姉弟の言い争いに、ジュンタとリオンは呆れて動きを止める。しかしワイバーンは待ってはくれず、一塊りになっていた四人の下へとブレスを撃ち出しながら飛んできた。

「ふっ!」

 不意をつかれる形で広範囲に放たれた炎を避け切れないと、いち早く察知したリオンが地面を蹴って自ら炎へと跳ぶ。短い呼気と共に切り上げの斬撃を炎に向かって放ち、スイカとヒズミが驚く中、炎がドラゴンスレイヤーによって真っ二つに叩き斬られる。

 四人の場所を避けるようにして炎は落ちる。
 リオンは華麗に着地を決め、その後毅然とワイバーンに立ち向かっていった。

「炎を斬りやがった。なんて奴、あれが『封印』の魔力性質って奴か」

「前見たときも思ったけど、素晴らしい剣の冴えだ。できれば一度、手合わせをお願いしたいものだけど」

「お前ら、もの凄いマイペースな」

 何をしに『封印の地』までやってきたか分からない主従関係の姉弟を見て、ジュンタは嘆息する。

「む? ほら、ヒズミの所為でジュンタ君に呆れられてしまったじゃないか。仕方のない奴だな」

「わ、分かったよ! やればいいんだろ、やれば! くそぅ、弓を武器になんて選ぶんじゃなかった」

 ようやく話し合いが決着したようで、二人はそれぞれ得物を構えて、先に戦いへと赴いているリオンを援護するように戦いに加わる。

 ヒズミが弓を引き絞り、大きな炎の矢を、空を飛ぶワイバーンめがけて放つ。
 放物線を描いてワイバーンへと向かっていく一本の矢は、素早く動くワイバーンには当たらない。しかしそこからがヒズミの弓の本領発揮だった。

 ワイバーンの横を無情にも通り過ぎていく炎の矢が、徐に空中で方向転換した。風の煽りを受けたわけでもなく、それは自動的に行われ、なおかつ方向転換した矢は狙ったワイバーンを追いかけ始める。それはさながらホーミングミサイルのような追尾性を発揮し、執拗にワイバーンを追いかけた。

 やがて炎の勢いが衰え虚空に火の粉を散らせて消えたが、それまで延々と追いかけ続けていた。間違いなく、それこそが魔法武装である『黒弦イヴァーデが持つ特殊性であった。

「ちっ、外したか」

「ヒズミ、あれではダメだ。もっと速い奴か、分裂する矢にしないと」

「簡単に言ってくれるけど、それを撃つのは魔力の消費が激しいんだからな。ああもうっ、仕方ないなぁ!」

 苦戦するリオンを確認したスイカに言われ、ヒズミは弓をさらに強く引き絞る。
 ひとりでに番えられた炎の矢は先程よりも大きく、それはさらにヒズミが弦を引き絞り続けることによって肥大化していく。
 
 敵を射抜くには必要不可欠な照準も曖昧に、ヒズミは力を溜めることだけに神経を費やして―― 手を離した。

 先程よりも遙かに大きい矢が、狙ったワイバーンめがけて飛んでいく。

 これをまたワイバーンは避けるも、問題なく再びヒズミの矢は対象を追尾していく。さらに今回はそれだけではなかった。

「僕の力をなめるなよ!」

 放たれた矢が、追尾の途中で幾本にも分裂する。
 数十の細い矢へと変化した矢は、それぞれが『狙った対象を追尾する』という特性をそのままに、ワイバーンを追いすがる。

 さすがの空の王者も、多くの炎から同時に追われたら逃れることは叶わない。やがて一本の矢がその翼に命中したのを切欠に次々と着弾して、最終的に狙ったワイバーンは地面へと転がった。

「これで一匹。後四匹か……無理だね。よしっ、逃げよう」

「ヒズミ、なんて決まらない奴なんだ」

 一匹を見事に倒したヒズミは、残りのワイバーンの数を数え、今にも倒れそうな顔で撤退準備に入ろうとする。

「うるさいな。僕はここに来るまで、姉さんに言いようにコキ使われたんだ。ここからは休んだって誰も文句言わないさ」

 思わず呟きをもらしてしまったジュンタのことを、ヒズミは睨みつけながら自分の正当性を主張する。それを一刀で両断したのは、やはりスイカだった。

「わたしが文句を言う。確かにここまでヒズミががんばったのは認めよう。だけど終わりよければ全て良しだ。つまり逆をいえば、終わりがダメなら全部ダメだということになる」

「これ以上僕に何をしろっていうんだ。あのシストラバスを見ろよ。絶対、あれなら一人でだって勝てるって」

 四匹のワイバーンと戦いながらも、華麗に攻撃を避け、あまつさえ相手の攻撃である炎の礫の爆風を利用して、傷を与えることにもリオンは成功している。ヒズミの言うとおり、苦戦しつつもアレなら勝てるという確信が湧く光景だった。

 …………というか、一人戦っているのを三人が見てるのってどうよ?

「まぁ、いい。ヒズミが行かないなら、俺らが行くしかないだろ」

 ジュンタはリオン一人には任せて置けないと、勝てる勝てないとは別のポイントで剣を構えて、疾走の準備に入る。

「はぁ、仕方ないな。女の子にやらせて自分だけが横で見ているなんて、そんな武士道に背を向ける育て方はした覚えはないんだけど……どこで育て方を間違えたんだろうか?」

 スイカも『深淵水源リン=カイエ』を構えた。
 ジュンタとスイカは頷き合って、その場にへたり込みそうになっているヒズミを置き、リオンのところまで走り寄る。

「先に訊いておくけど、ジュンタ君。君は空にいるワイバーンに届く攻撃方法を持ってる?」

「いや、現状で使えるのはないな」

 隠してもしょうがないので、ジュンタはきっぱりと答えた。
 スイカとヒズミという援軍がやってきた今、もう自爆覚悟での攻撃はできない。なら、自分の攻撃手段の中に上空の敵への攻撃手段は存在しない。

「悪いが、リオンみたいに相手にブレス以外の攻撃をさせるフェイントもできないぞ」

「そうか。なら、わたしが一体地面に落とそう。そうすればジュンタ君も戦えるだろう?」

「そりゃ、それならできるけど。あれを落とすことなんてできるのか?」

「当然だ。できなければ口にしない。わたしが一体、ジュンタ君が一体、リオンなら二体を同時に相手することくらいはできるな。よしっ、これで完璧だ」

 作戦とは名ばかりの、各員の担当する数だけスイカが確認したところで、二人はリオンの許まで辿り着いた。

「リオン。手助けに来た」

「聖猊下。ご尽力感謝いたしますわ…………ついでにジュンタも」

「ついでか、俺は」

「じゃあ行こう。ジュンタ君、落とせるのは一回だけだから、しっかりやって欲しい」

「分かった」

 リオンへと声をかけた後すぐ、ワイバーンたちが新たな獲物に牙を剥く前に、スイカは大きく下から上へと『深淵水源リン=カイエ』を振るった。

 変幻自在の血の刃は、大きく振るわれたことにより大幅に形を変化させる。流体移動が勢いによって引き起こされ、刃の先は長く伸びて上空のワイバーンまで到達した。

 鞭となった血の刃は、ワイバーン一体を切り刻むことなく、その身体に二重三重と巻き付く。

 スイカはしっかりと刃が絡みついたことを確かめると、

「フィッシュだ」

 振り上げた『深淵水源リン=カイエ』を、今度は渾身の力で振り下ろす。突如下へとかかった力に、たまらずワイバーン一体が地面へと大きく降下する。さすがにスイカの腕力的に地面に引きずり込むことはできなかったが、それでもかなり低い位置までワイバーンを追い込んだ。

「これならっ」

 スイカから無言のアイコンタクトを受け取ったジュンタは、高度を落としたワイバーンへと斬りかかる。

 狙いは翼――暴れる足の爪を左の剣でいなし、そのまま右手のドラゴンスレイヤーを振りかぶる。

 ドラゴンスレイヤーは魔を断つ剣。ドラゴンすら傷つける刃の一刀は、魔獣の強靱な皮膚をも根本から叩き斬った。果たして、片方の翼を切り落とされたワイバーンは悲鳴をあげて、地面に降り立つ。それしか選択肢がなくなってしまった。

 もはや空の王者に空はない。
 ジュンタは尾の攻撃から距離を取って間合いを測り、改めてワイバーンと相対する。

「それじゃあ任せたぞ、ジュンタ君」

「ああ、任せられた」

「うん、良い返事だ。やっぱり男子たるもの、そうでなくては」

 ワイバーンの身体から血の鞭が離れ、スイカはリオンが引き受ける三匹へと走り寄って行く。

 仲間から離されたワイバーンも、自分が誰を相手にするべきか理解したのか、炎を口に溜め、鋭い血色の眼孔で睨みつけてくる。睨み返し、ジュンタは半身になって双剣を構えた。

 互いの距離は狭い。ワイバーンが放つブレスは一度だけ。一度の踏み込みでジュンタの攻撃もワイバーンに届く。

 互いが互いを読み合って、そして雌雄は決せられる。決着は一合で付いた。

 ジュンタはワイバーンの口が開かれた瞬間に、その懐に入りこもうと一気に突っ込んだ。
 下手な攻撃を放てば自分をも巻き込む距離――しかしワイバーンは何ら気にせず、帯状に広がる炎の息吹を噴く。

 それはいつかの再演のような攻撃だった。
 
 広がり前方一面を包み込む炎の帯。そこへ突っ込めば焼死は免れない。だが、半年前とは違う。今のジュンタにはあの時にはなかった戦いの知恵があった。

 突っ込む勢いはそのままに、ジュンタは足の裏に溜めた魔力を一歩手前で解放する。

 バチリ、と地表で弾ける雷気の反動で高くジャンプ。足先から痺れるように筋肉の収縮が始まり、本来人が無意識に抑えているリミッターが、一時的に電気で狂わせられ蓋を外す。

稲妻の切っ先サンダーボルト]ほどではないが、肉体に恩恵を与えるそれは[加速付加エンチャント――足先から雷光のスピードで駆け抜けた虹色の光は、ジュンタにワイバーンの炎を越えさせ、敵の首に向かって放たれた一撃を強く、鋭く強化する。

「はぁッ!」

 剣圧によって炎をまき散らす強烈な一撃が、ワイバーンの首を刈り取った。

「よしっ、二人を」

 魔力を消失させつつ着地を決めたジュンタは、すぐに未だ生き残った三体と戦うリオンとスイカの方を振り向く。

 振り向いて――自分の助けが必要ないことを理解する。

 リオンは相変わらず自分から隙を見せて、牙や爪による攻撃を誘って空の敵と戦っている。すでに一匹を倒し終わっており、もう一匹へと今まさに死神の鎌を向けようとしているところであった。

 もう一人、スイカもまた地面に両足を付けていながら、空飛ぶ敵と十二分に戦いを繰り広げていた。

 鞭のようにしなる『深淵水源リン=カイエ』の刃の射程距離は、弓の間合いほどではないが、中距離武器にしては広すぎるほど。上空のワイバーンに地上から攻撃を加え、互いに大きく間合いを取った激戦を繰り広げている。

 それはさながら獣を飼いならすため、猛獣へと向かう美しい女調教師。
 牙を剥く猛獣の攻撃を軽くいなし、自らの鞭を鋭く音を立てて振るう。

 いや、スイカの武器は鞭ではない。鞭でもあるが、『深淵水源リン=カイエ』の本領は奪った液体の分だけ自在に変形するその特性。今ワイバーンに振るわれた鞭の先には、巨大なハンマーが付け加えられていた。

 鞭の攻撃では空から引きずり落とされなかったワイバーンは、唐突にこれまでとは違う強い衝撃をもらい、よろめき降下する。

「これで終わりだ」

 ジュンタはその時、スイカが何の表情もないのに、口元にだけ笑みを浮かべたのを確かに見た。

 ワイバーンを叩き落としたハンマーが、水しぶきが上がるように膜状に広がる。
 それはワイバーンの巨体全てを覆うほどで、下に向けて鋭く尖った杭が何本も並んでいた。

 落ちかけたワイバーンは、何とか翼をはためかすも、自分よりもさらに空から落ちてくるつり天井のような刃を避けきれない。重力を得て勢いを増して落ちる刃の群は、そのまま地面にワイバーンを縫い止め、串刺しにし息の根を止めた。

 ある種の鮮やかさすらある、容赦の欠片すらない攻撃。それはリオンが最後の一体の首を切断するより先駆けて決まり、スイカの『深淵水源リン=カイエ』は、新たなる獲物の血をも己が刃として薙刀の形状へと戻る。

 視界には三体と八体――計十一体のワイバーンが骸となって転がっているのみ。

「ふぅ、やっと片づいたか」

 一応は勝利の立役者ではあるヒズミが近付いてきて、重い重い息を吐き出した。

「まったく、追いつくなりワイバーンに襲われてるなよな。お陰でいいとばっちりだ」

「それは相手の方に言ってくれ……というか、どうしてお前とスイカがここにいるんだ? 確かフェリシィールさんの話だと、無断で神殿を抜け出したからって、謹慎してたんじゃなかったか?」

「フェリシ…………あ、ああ……ああああっ」

 ブルリ、と身体を震わすと、ヒズミはいきなり顔をこれまで以上に青白くさせて、頭を抱えてその場にうずくまった。

「また怒られる。説教、いや、今度は説教で終わるか。……ね、姉さんを何とか人身御供にすれば僕だけは助かるか? いやいや、そんなことをしたら逆にフェリシィールさんは怒るかも知れない。さらにさらに姉さんからも絶対オシオキが……ああっ!」

 絶望の叫びと共に、ヒズミは両手と膝をついてうなだれる。一体彼はどんな恐ろしいことを想像したのか、ダラダラの脂汗が至るところから噴出している。

「だから僕はこんなところに来るのは反対だって言ったんだ! いいじゃないか、相手は大して関わりもない相手だし、別に僕らが直接の原因ってわけじゃないし。むしろ僕の被害を思えば――

「ヒズミ、まだそんなことを言っているのか? 男らしくない。すっぱり諦めるんだ」

 うなだれるヒズミを見て、リオンと一緒に近寄ってきたスイカが腰に手を当てる。

「確かにわたしたちが直接の原因じゃないかも知れない。だけど、わたしたちはクーちゃんを救える位置に立っていた。けどそれができなかったのなら、そこには少なからず責任が発生するんだ」

「出たよ。姉さん理論が。はぁ……付き合わせられる僕の身にもなって欲しいよ、まったく」

「別に、無理に誘ったわけじゃない。ただ、付いてこないと一生軽蔑するって言っただけで」

「スイカよ。それはお姉ちゃん大好きなヒズミにとっては、脅し以外の何ものでもないと思――

「ちょっ、あなたなに失礼なこと言ってますのよ!」

 落ち込むヒズミにさらなる追い打ちをかけていく天然な姉に、ジュンタが思わずツッコンだところで、横に立ったリオンに思い切り頭を持たれ、強引に礼をさせられた。

「ま、毎度毎度、何するんだ? リオン」

「それはこちらの台詞ですわ! あなたこのお方を誰だと思っていますのよ? この世で最も尊き使徒が一柱、スイカ聖猊下ですのよ? その名を呼び捨てで呼ぶとは何事です。スイカ聖猊下と敬意を込めてお呼びしなさい!
 申し訳ありません、聖猊下。こちらの大馬鹿者が大変失礼なことを言いまして。あとでちゃんときつく言っておきますので、どうかご容赦のほどを」

 騎士として、また貴族として、目上の者への対応をしなかったことに対し、リオンは本気で怒っていた。その上でスイカに向かって自らも頭を下げて、たぶん心配も一緒にしてくれている。

「あ、いや、良いんだリオン。ジュンタ君に呼び捨てで呼んで欲しいと言ったのはわたしの方だから。彼を責めなくてもいい。むしろ君もわたしを呼び捨てで呼んでくれると嬉しいのだけど」

「いえ、滅相もありません。あなたも呼んで良いとおっしゃっていただいたからと言って、本当に呼ぶなんて何を考えてますのよ?! 自分とスイカ様の地位の差を考えなさい!」

「そうは言われてもだな」

 リオンのスイカに対する態度こそが、本来在るべき対応なのは間違いない。だけどジュンタにとっては、スイカは極々普通のちょっとずれた同年代の女の子にしか見えないし、そもそもこの場の誰も知らないが、自分だって使徒なのである。へりくだれといわれても、大根演技以外で早々できるものじゃない。

(それに、どこをどう見てもスイカはリオンみたいな態度じゃない方が嬉しそうだし……)

 リオンの言葉を聞いて、少し困ったように笑っているスイカと、頭をあげたジュンタの視線が交差する。

『そのままでいて欲しい』――声には出さないスイカの目が、そう語っているように見えた。

「良いこと言うじゃないか、シストラバス。そうだ。シストラバスはともかくとして、サクラは姉さんのことも僕のことももっと敬うべきだ。僕のことはヒズミ様と呼べ」

「いや、さすがにそれは全力で遠慮したい」

「なっ!? その巫女を巫女とは思わない態度……信じられない。おいっ、シストラバス。お前の方からも何か言ってや……って、どうしてお前も『それはまぁ、別にそのままでもいいですわね』みたいな顔してるんだよ!」

 起きあがったヒズミが、忙しそうにまた地面に膝をつく。
 そんなヒズミの言葉で場が白け、そこでジュンタはこの話題を切り上げることにした。

「とりあえず、その辺りのことは後回しにしよう。今は時間が惜しい。それでスイカ――

 そこへと台詞が辿り着いた瞬間、左右から鋭い眼光と、懇願するような瞳が向けられる。

 ジュンタはあ〜と一度唸ったあと、正面で地面から立ち上がったヒズミを見て言葉を続ける。

――ヒズミ姉弟は結局、俺らの手助けに来てくれたってことで良いのか?」

 適当に濁した結果、リオンは不満そうに口を尖らせる。一方のスイカは少しほっとした顔で質問に答えた。

「うん、クーちゃんを助ける手助けをしたいと思って、ヒズミと一緒に追いかけてきたんだ。しかして迷惑だっただろうか?」

「いえ、そんなことはありません、スイカ様。御身のお力がお借りできるのならば、それは天上の神を味方につけたも同然。これ以上心強い援軍はありませんわ」

「そこまで期待されるのも逆に怖いんだけど…………実は、わたしはあまり運が良くない。よく何もない道端で転ぶし、壁にはぶつかるし……」

「いや、それは単に不――

 不注意なだけ――そう続けたようとしたジュンタは、横からスイカには見えない位置で襲いかかってきたリオンの拳に沈黙する。

「それは神様のほんの悪戯でしょう。スイカ様は本当にお美しくていらっしゃいますから」

 リオンは口元に手を当て、さも当然だと言う風にスイカに接する。
 スイカにとってはあまり良い相手の態度ではないだろうが、それでもリオンの上辺だけじゃない褒め言葉を聞けば、決して悪い気はしていないようだった。

 だが、スイカはその笑みの中に一瞬だけ影を落としたように、ジュンタには見えた。

「神様の悪戯か……なるほど。確かに、神様は本当に悪戯好きだからな。うん、納得した」

「僕は納得して欲しくない。神なんかの所為にするんじゃなくて、もっと日頃から気を付けて欲しいよ、まったく」

 うんうんと納得する姉を見て、ヒズミはリオンに少し迷惑そうな視線を向けた。ずっと一緒にいたヒズミとしては、単にスイカがドジなだけなのをそういった理由をつけて納得して欲しくなかったに違いない。

「まぁ、いいや。それでさ、あと薬ってのがある場所まではどれくらいなんだよ? 僕らはお前らを追いかけてきただけだから、距離がどれだけとか分かんないんだ」

「クーちゃんを治すための薬は『純血派』のアジトの近くにあるんだろう? わたしの感覚だと、もう後少しだと思うんだけど」

「はい。ベアル教のアジトまで、あと十分もかからないで到着する位置まで来ていますわ」

 クーのことを心配して応援に駆けつけてくれたらしい二人と合流したこの場所は、すでにベアル教のアジトの『裏側』すぐ近くだった。

「なんだ。なら、十分探して持って帰るだけの時間はあるんだな」

「この風景なら、探すのにそう時間もかからないだろうし。転がってればすぐに分かる」

「じゃあ、さっさと行こう。こんな場所、僕は一分一秒でも長くいたくないね」
 
「ええ、行きましょう」

 四人頷き合って、一斉に走り出す。

(なぁ、わかるか? クー)

 先頭を行くリオン。その後に並んで続くスイカとヒズミ――ジュンタは最後尾でみんなの背を見て、クーにエールを込め、小さな声で言葉を贈る。

「お前には、こんなにたくさん、心配してくれる奴らがいるんだぞ?」

 フェリシィールとルドール、スイカとヒズミ、そしてリオン。自分の危険すら賭けて助けようとしてくれている人がいるのだ。それを今も戦っているクーに伝えたかった。

 彼らに負けないようがんばろう――ジュンタは疲れてはいたが、全然辛くはなかった。むしろ全身から力が漲ってくるように感じられた。心強い仲間が揃って、同じ目的のために足を並べて、それでできないことなんて何もないように思えたのだ。

 必ず、薬が落ちた場所までは辿り着ける。そう、ジュンタは信じて疑わなかった。






 ――――そう、確かにそこに薬の瓶が落ちていた。確かに、薬が入っていた瓶だけヽヽ






 白い容器は、灰色の荒野に紛れているかのように思えたが、しかし色のない印象を受ける荒野に比べたら、その艶は酷く目についた。

 ベアル教『純血派』のアジトの裏に位置する『封印の地』――そこには確かに、ジュンタとリオンが目にした、反転が起きるのを食い止めるための薬の入っていた瓶が落ちていた。

 ……正直に言えば、その可能性をまったく予期していなかったかと言えば嘘になる。

 石の容器は、リオンがいうにウェイトンによって思い切り『封印の地』の中に投げ込まれたのだという。石の容器は丈夫だが、決して衝撃にまったくの無事であった保証はどこにもなかったのだ。

 現実を直視して説明をすれば、クーを治すための薬が入った容器は、その蓋が踏み砕かれたように割れていて、中の液体をことごとく灰色の大地へとぶちまけていた。

「そ、んな……」

 それを見た瞬間にジュンタは足を止めて、リオンは血相を変えて容器に走り寄った。

 容器を拾ったリオンは、胸に大事に抱いて、容器の中を覗き込む。
 その中にもう薬など残ってはいないことは、何十秒経っても何も言わないリオンの背中が、何よりも雄弁に語っていた。

 スイカとヒズミの二人は何も言わない。

 ジュンタは、何も言うことができなかった。






       ◇◆◇






 クーにとって、ジュンタ・サクラは絶対の『善』であった。

 善の象徴たる使徒の中にあって、こんな汚い悪である自分に救いを見せてくれた、とても優しい存在。近くにいるだけで穏やかな気持ちになれて、その声を聞いただけで嬉しくなり、触られただけで天にも昇る気持ちになれた。

 まさに、クーにとって唯一無二のご主人様である。
 何を望まれても、彼が何を選んでも、未来永劫付いていくと決めていた。

 だからこそ、今は何が正しいのかわからない。

 善である使徒である彼の本質は、悪であるドラゴン。自分と同じドラゴンなのだという。

 信じられない。信じられなかった。いや、信じたくない。信じたくなかった。
 だって、彼は正義であった。善であった。世界が望んだ、人が望んだ、この世の希望であった。そんな彼が、悪であるドラゴンであっていいはずがない。

 ドラゴンは、そのことごとくが悪性の塊だ。
 使徒の本質である神獣がドラゴンだという彼は、つまるところ悪そのものなのである。

「私のご主人様は使徒。正義なる善」

 深い深い悪夢の隣、クーは混乱する頭で唇を震わす。

「私のご主人様はドラゴン。混沌なる悪」

 使徒でありながらドラゴン。ドラゴンでありながら使徒。それはこの世で最も大きな矛盾――

 何が正しいのか。何が間違っているのか。
 本当の善意とは、悪意とは何なのか。そもそもそんなものは存在するのか。

 そう、クーヴェルシェン・リアーシラミリィは、今初めて疑っていた。絶対だと信じた主を。絶対だと決まっていた自分の悪性を。

 大好きな人を好きになれば、大嫌いな獣まで好きにならなければいけないという二律背反。

 答えの出ない迷路の中、心の隙をついて囁きはどんどんと大きくなっていく。

 ……闇が嗤っていた。自分が嗤っていた。

「…………ご主人様……」

 だけど大好きな人だけは、汚れた花嫁を、嗤っていなかった。






 クスクス。と、闇が嗤う。

「自分の存在を疑う必要などないというのに、あの子は何を悩んでいるのでしょう」

 闇は、冷たい水色を纏わせて。

「あなたがドラゴンなどと、どの口を開いて戯れ言とするのか。あなたは所詮紛い物。捧げられるしか価値のない、人形でしかないというのに」

 闇は、閉じた瞳に狂気を秘めて。

「そう、決まっている。あなたの用途は最初から最後まで決まっている。ドラゴンのために生まれ、ドラゴンのために生きて、ドラゴンのために死ぬ。だからあたくしは、ずっとあなたを祝福していたというのに……本当に馬鹿な子。そんなにもドラゴンになりたいのなら、なればいい」

 クスクスクスクス。と、闇は嗤う。

――手向けの花束よ。捧げられし花嫁よ。クーヴェルシェン。あなたはなんて幸せな巫女むすめ

 闇が抱くのは白き背表紙の本――――溢れる輝きは、燦然たる虹。









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