第十七話  獣のベーゼ(前編)


 

「あまり芳しくはないようだな」

 ふいに背後からかけられた声に、『不死鳥の湯』の屋根の上から大浴場の有様を見守っていたウェイトン・アリゲイは、驚いて振り返った。

「あなたは……」

 いつからそこにいたのか。忍び寄って来たのは一度だけ目にしたことのある相手だった。

「そうですね。あまり歓迎すべき事態の推移でないのは認めましょう」

 振り向くことなくディスバリエが返答した相手は、仮面をつけた偉丈夫。
 以前ディスバリエと共に現れ、ウェイトンが『神罰の監獄』より脱獄する手助けをしてくれた、ベアル教の盟主に従う仮面の男であった。

「状況はどうだ? ドラゴンは現れそうか?」

「ドラゴンは外への興味が薄いようでして。しかしこの地に満ちる空気を感じたならば、出て行かないわけにはいられませんわ。しかしまだ時間はかかりましょう。このまま『封印の地』が閉じなければ、いずれは現れますが……」

 ディスバリエに任せるなりいずこかへと消えた男が、今になって現れたことに対するウェイトンの疑念を余所に、淡々と二人は話し合い、揃って眼下で傷を負うことなく魔獣の屍を築き上げていくトーユーズ・ラバスを見下ろした。

「……『誉れ高き稲妻』か」

「果たして今まで何体の魔獣を屠ったか……世界最強と叫ばれるのも無理のない実力です」

「世界で一番呼んではならなかった敵を引き寄せてしまったわけか。しかし、まさかこのまま全ての魔獣が殺し尽くされてしまうわけはなかろう?」

「ええ、さすがにそこまでは。それにドラゴンさえ現れたなら、いくら彼女でも敵わない。それがドラゴンというモノですから」

「ならば問題はただ一つ。『封印の地』をこのまま閉じずにいられるかどうか、という点か」

「失礼。『封印の地』を閉じる方法が存在するのですか?」

 二人の会話を黙って聞いていたウェイトンは、そこで気になったことを質問する。

 仮面の男はウェイトンを振り向き、厳かに頷いてみせる。正体不明の怪しい男なのだが、その貫禄ある仕草はよく似合っていた。

「ああ、存在する。現在開かれている孔は、神殿の契約者の血を触媒に使い、一度だけ間接的に契約者として神殿の機能を停止させ、その結果封印が保てなくなり開いたものだ」

「神殿の契約者……トリシャ・アニエースですね。しかし彼女亡き今、何の心配もないのでは?」

「いや。確かに神殿の契約者がこの世に存在しない今、神殿が再起動して『封印の地』が閉じることはない。ならば答えは簡単だ。新たに神殿と契約し、契約者となってしまえば、あとは自ずと開いた道を閉じることも可能ということ」

「それは……なるほど。確かに道理ですね」

 今回開いた孔は二度と塞がれることないと思っていたのだが、そうではないらしい。ウェイトンには、顔の見えない目の前の男が少し焦っているように見られた。

「神殿との契約方法は、神殿魔法のための神殿との契約とほぼ同じ。神殿と繋がりの深い適格者であれば、少ない時間で契約は果たせますわ」

 一方何の焦りも見せないディスバリエは、補足説明としてそんなことを言う。

「そして、この地にはその適格者が存在するのです。一人はリオン・シストラバス。不死鳥の使徒の血を継ぐ姫。しかし彼女は魔法使いとしての知識が乏しい。彼女では契約までにかなりの時間を要するため、何の問題も無しと思っていたのですが……」

「何か予期せぬ問題でも?」

「もう一人、この地に適格者が存在していたのですよ。名をユース・アニエース。適格者として十分に適正を持つ人間であり、さらに彼女は魔法使い……リオン・シストラバスと違って、契約にかかる時間はとても少ないでしょう」

 ユース・アニエース――その名は調べられていたが、それでも彼女は捨て置かれた存在のはずだった。

 現竜滅姫リオン・シストラバスの従者。代々竜滅姫の従者を務めるアニエースの家の人間であるため、本来はその血に刻印が刻まれた『ナレイアラの封印の地』の神殿の契約者であるのだが、彼女は養子。トリシャ・アニエースとは血が繋がっていない。有能だが大した障害とならないと思われていた。

 そんな彼女がここに来て予想外の障害として認識された。悲願の時を刻一刻と刻みつつある現状、何としても彼女だけは大浴場に近づけさせてはいけない。

 ここに来てその事実に気付いたウェイトン。それ以前に気付いていたディスバリエと仮面の男は、すでに先の会話でユース・アニエースに対する対応を決めていたらしい。

「あたくしは今日、多くの魔力を使いすぎています。外の戦力を内部に入れないために、結界の維持は絶対。つまりは動けない状況にあります。同士よ。あなたにお願いしてもよろしいでしょうか?」

「承知した。ユース・アニエースを仕留めればいいのだろう?」

 ディスバリエからのお願いに、男は頷いて背を向ける。その手にはいつのまにか漆黒に鈍く輝く長槍が握られていた。

 トン、と屋根の端まで歩いていった彼は地上へと軽々と降り立つ。すでに旅館の中には人ならば等しく襲う魔獣で溢れているが、それをまったく気にせず、彼はユース・アニエースを探しに中へと入っていってしまった。

 名前も知らない同士が戦いへと赴いたのを見送ってから、ウェイトンは再び大浴場へと視線を向けた。

 ……身震いしてしまう。絶対の成就が約束されているはずの悲願を前に、その絶対を否定すべく蠢いている害虫たちがいる事実に。

「震えているの? ウェイトン」

 そのときかけられた優しい声に、はっとなってウェイトンは、いつのまにかうつむき加減になっていた顔をあげた。前を向けばディスバリエが覗き込むようにしてこちらを見ていた。
 
 そこで、初めて自分の身体が震えている事実に気付き――それが恐怖ではなく、こうして何もできずに彼女の隣にいるしかない自分に対する、情けなさから来る震えであると気付く。

「……情けない。力さえあれば、私もあなたのお役に立つことができたのですが」

「そんなことを気にしていたの? ふふっ、あなたは何も気にしなくていいのです。あなたはその本――『偉大なる書』の適格者として選ばれた。あなたはここにその本と共に在るだけで十二分にあたくしの役に立っているのですよ」

「あ……」

 情けなさから来る震えが、頬に触れた甘美な指遣いに、歓喜の震えに変わる。

 触ったなら命がない――そう注意された『狂賢者』に、今自分は触れられている。その価値に、その歓喜に、その誉れに、ただただウェイトンの身体は震えを覚えた。

「ディスバリエ様」

 そっと撫でるようにディスバリエの指は動く。そして、囁きは耳元に。

「ウェイトン・アリゲイ。あなたは誰よりも先に見ることでしょう。今宵その目で必ずあなたの神を。我々の救い手を――ドラゴンを、絶対に」

 大浴場に紅い煌めきが混じる。だがしかし、もはやウェイトンの胸に一抹の不安もなかった。

 


 

 リオンが大浴場にたどり着いたとき、まず目にしたものは魔獣の死骸でできた小山だった。

 血の海と化した霊湯の端という端に積み上げられた魔獣の山。ゴブリンがいる。ワームがいる。ガルムがいる。オーガやワイバーンまでがいた。そしてその屍の山は現在進行形で高くなり続け、吠える野犬のような魔獣たちの雄叫びは、双剣を振るう美しい女によって断末魔に書き換えられる。

 炸裂する閃光は二度。続く断末魔は十――『封印の地』より現れ出でる魔獣を狩る、トーユーズはまさに戦場の王者として君臨していた。

「リオンちゃん」

 穿たれた孔の近くに陣取っていたトーユーズが、一息の内に入り口に現れたリオンの許まで下がる。その間にまた数体魔獣が現れたが、もはや今更なのか、かなり上がった息を整えつつ話すトーユーズは自然体そのものだった。

「あなたのお父様はご無事だったかしら?」

「はい。無事に旅館の外へと」

「そう、良かったわ。それじゃあ、あと少しここで踏ん張ってれば、直にこの戦いは終わりそうね」

「ええ。お父様ならきっと、良案を考えてくださるはずですわ」

 戦場の中にいるため戦士としての血が沸騰しているのだろう。トーユーズが浮かべた笑みは優雅さとはほど遠い、獰猛な獣に似た笑み。胸を撫で下ろした彼女は、軽く両手をブラブラとさせる。

「さて――ここに来てくれたってことは、リオンちゃんも足止めを手伝ってくれるってことでいいのよね?」

「正直、『封印の地』に繋がる孔を調べることさえ、魔獣を駆逐しなければ無理なようですし。それにどうやら私ではわからないレベルの魔法になってしまうようですから。
 騎士はただ剣を振るうのみ――僭越ながら、誉れも高きあなたと肩を並べられるというのなら、これに勝る栄誉はありませんわ」

 リオンは純粋に目の前の騎士に焦がれ、共に戦えることに歓喜を催す。
 
 彼女ほど活躍することはできず、この量の敵ともなればそう長い間戦ってもいられまい。できて彼女の邪魔にならない程度に、彼女が討ちもらした敵を倒すくらいか。それでも名高き『誉れ高き稲妻』と背中を合わせて戦えるなら、これ以上の喜びはない。

 戦場に似合わぬ喜色満面の笑みを浮かべるリオンに、ふっと獣臭さをなくした笑みをトーユーズは浮かべる。それはどこか寂しげな騎士の笑みだった。

「誉れなのはむしろこちらの方。竜滅姫様を背中にして戦えるなんて……ええ、こんなあたしには光栄すぎるというものよ」

 感慨深くそう呟いたトーユーズ――リオンはその心内のいくらかを読みとって、強くドラゴンスレイヤーを握りしめた。

「それでは、共にその身に流れる血の故郷を守るために」

「ええ。共に誉れの名に誓い、我らが剣に勝利の栄誉を」

 リオンは背中を預けた騎士のあまりの頼もしさに、トーユーズは二度と背にすることはないと思っていた姫を背中に、共に目の前の敵を睨む。

 戦場を染めるのは黄色と紅色の閃光――騎士の誉れの輝きは、闇の怒濤の中であっても失われることはない。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 ラバス村へとたどり着いたジュンタは、すぐに『不死鳥の湯』に起きている異常に気が付いた。

 村の端に居を構える老舗旅館は、今や外からは完全に見えない状態になっていた。
 濃すぎる白い霧が旅館を包み込み、外界からその姿を隠しているのだ。さらにその霧は外敵すらも阻むよう――まさにそれは外から内部を隔離する『結界』だった。

 その内に魔獣とリオンらを内封した結界からは、凄まじい魔力の滾りを感じる。今まで動かし続けていた足を一端止めて、ゴクリとジュンタは息を呑んだ。

「ジュンタ君!」

 双剣を手に旅館を見上げるジュンタに気付いたのは、背後に装備を調えた人々を揃えたゴッゾであった。

「ゴッゾさん。良かった。無事だったんですね」

「ああ、私はね。ご覧の通り、村人たちにも未だ被害は出ていない。しかし……」

「中の様子は分からない、ですか?」

 旅館を前にして立ち尽くしているようだったゴッゾらを見て、ジュンタはそう口にした。

「そうなんだ。私たちが旅館から一時退避した直後、霧が完全に建物を包み込んで外界から完全に切り離した。並の魔力と術式による魔法ではない。ジュンタ君も知っての通り、このラバス村には神秘を弱らせる『封印』の魔力性質持ちが多い。さらにはドラゴンスレイヤーもある。しかし、その二つを合わせてなお、この結界を超えられない」

 それが意味することはただ一つ。ジュンタでもまた、この結界の中には侵入することができないということだった。

『封印』の魔力性質が上乗せされたドラゴンスレイヤーの一撃は、あらゆる魔法を断つ。しかし多量の魔力と高い密度で生み出された儀式魔法などは、弱らせはできても完全に断つことは無理なのだ。

(俺のドラゴンスレイヤーだって魔法の攻撃はある程度弱体化できるけど、俺は『封印』の魔力性質じゃない。他の人がやってダメだったなら、俺も無理だな)

 こうしてゴッゾと話している間も、断続的に魔法での解呪が結界に対して試みられているようだった。しかし、霧の結界はビクともしていない。

「……恐ろしいことだ。少なくとも城壁クラスの結界だよ、あれは。破るには、リオンレベルのドラゴンスレイヤーの一撃が最低でも必要になるだろうね」

 あるいは『侵蝕』をもってすれば解呪は可能かも知れないが、その場合にかかる時間はあまりにも長いことが予測される。今ここで打つべき手ではなかった。

「とにかく、今分かっている情報を教えよう」

「頼みます」

「第一に、どうやら『不死鳥の湯』に入り込んだベアル教の導師ウェイトン・アリゲイと『狂賢者』ディスバリエ・クインシュは、『封印の地』を開放してしまったようだ。恐らく、この霧もまた『狂賢者』の手によるものだろう。
 内部には現在リオン、ミス・ラバス、クーヴェルシェン君、そしてクレオメルン君とユースがいる。屋根の上にいた巫女オーケンリッターも恐らくは中に取り込まれているだろう」

「『封印の地』は開かれてしまったけど、中には相当の戦力が残ってるってことですね」

「ともすれば、私が何とか掻き集めた外の戦力を上回っているだろうね」

 ゴッゾが集めた戦力は、村を守る自警組織の人間が主だった。注目すべきは、その組織の人間たちが紅い甲冑を身につけ、ドラゴンスレイヤーを持った騎士であるということだろう。なるほど、シストラバス領であるラバス村に在住している騎士もまた、シストラバス家の騎士であるわけだ。

 それほど数がいるわけではないものの、格を感じさせる騎士たちを筆頭に、かなり腕の立つ人間が揃っている。数にして百近い。しかし『封印の地』の中の魔獣を鑑みるに、それはあまりにも少ないといえた。

「……そしてこれが重要なんだが、開かれた『封印の地』を再び閉じるために、村の上役たちや魔法使いの皆に色々と話を聞いたんだがね。とある方法によって、開けられた孔を閉じられる可能性が高いことがわかったんだよ」

「『封印の地』を閉じる方法ですか?」

「端的に言ってしまえば、神殿と誰かが再契約することによってそれはなされる。しかし肝心の神殿と契約できる人間が、リオンしかいないということが問題だ。中に入ることができない今、手順などをリオンに伝える方法がない。
 解呪のための儀式魔法や触媒などを用意しているが、それが効果あるかも分からない。それにもしもこの結界を解呪してしまえば、恐らく内部に溢れているだろう魔獣が村に押し寄せることになる。集めた戦力を内部に突入させることも難しい」

「つまりは、中のみんなに任せるしかないってことですか?」

「中には魔法使いであるクーヴェルシェン君がいる。騎士トーユーズも自己流で新しい魔法を編み出したことのある天才だ。まだまだ解呪に時間がかかりそうな今、中の人間が気付いてくれることが一番望ましいのだが……」

 結局、中の情報を知ることができない現状、ゴッゾが取るべき方法は一刻も早い結界の解呪しかないのだった。

 それを理解したジュンタは、自分ができることを考える。ゴッゾの隣で旅館を見上げていたところで何の役にも立てない。ぼうっとしていて、中で絶対に許してはおけないことが行われてしまうなんてことになったら、目も当てられない。

 中の状況がわからない不安――同じことを考えたのか、ゴッゾは眉を盛大に顰めていた。

「一番最悪な事態は、ドラゴンが現れた結果、リオンが早まってしまわないかということなんだが……」

「それなら、今のところは大丈夫だと思います。ドラゴンの気配をそう身近に感じませんから」

「だといいが……とにかく、私は結界を破る方法と、中へと情報を送る方法を考えよう。ジュンタ君は何か中に入る方法がないか探ってみてはくれないか? もしかしたら、君の力でなら何とかなる方法があるかも知れない」

「わかりました」

 指示を受け取って頷いたジュンタは、早速『不死鳥の湯』へと走り寄ろうとする。

「そうだ。これも一応言っておいた方がいいだろう」

 その背に、ゴッゾの殊勝な声が向けられた。

「最悪の事態が起きてしまった結果、間違いなく王国騎士団や聖地などからも兵が向けられ、この地では人と魔獣との戦争が起きる。そうなったとき、私も君もリオンを守るために確実に戦渦に巻き込まれることになるだろう。そして――

 それはゴッゾの真剣な願い。彼が愛する娘のために伝えなければならない、絶対の言葉だった。

――カトレーユは、ただ、守りたい者のためにドラゴンの許に向かった。
 リオンが夢見る竜滅姫は、たとえドラゴンが相手でなくても、そんな惨状が広がらないためならば自分の命を賭けてしまう者なんだよ」






 
ユースと共に大浴場目指して進んでいたクレオメルンは、近いはずなのにあまりに遠いその距離を、槍を振るいつつ歯がゆく思っていた。

 玄関からの、クーはいなかったがユースのいた部屋への道のりもそうだったが、この旅館はすでに壁や床がボロボロとなり、屋根もところどころ崩れ落ちて、ただっ広い空間となっている。

 壁という障害はすでになくなっており、代わりに魔獣の壁という障害が新たに生まれていた。旅館を囲む結界も相まって、もはや『不死鳥の湯』全体が一個の戦場と化していた。
 それはこの場所で育ったユースには目も向けられぬ惨状であり、しかし彼女は毅然と己の目的を果たすため、先程まで死ぬ可能性すらあった身体に鞭打って歩いていた。
 
 その歩みを支えるという栄誉ある役目を与えられた自分が、その歩み止まらせてはならない―― クレオメルンはその一心で、『封印の地』を閉じるためにも、もう魔力を使えないユースを守りつつ戦い続けていた。

 結果歩みは止まることなく、ゆっくりとだが肉の壁を切り開いて進むことができていた。……そう、この敵が現れるまでは。

「もう一度問う。ユース・アニエースをこちらに渡してもらおう。さすれば貴様には手は出さないことを約束する」

 魔獣の代わりに立ちはだかったのは、二メートル近い身長の偉丈夫。
 身体をすっぽりと包むローブとフードを身につけ、手に漆黒の長槍を握り、顔には表情を隠す白い仮面を身につけた男であった。

 彼は魔獣の死骸でできた道を背にし、そこで一方的な要求だけを口にした。
 それは到底頷けようはずもない、ユースを差し出して自分の命を助けるという行為の要求。

「くどい! 私は騎士。使徒ズィール聖猊下近衛騎士隊隊長、クレオメルン・シレだ! 聖猊下の名誉のためにも、そのような行為は断じてできん!」

「……貴様も馬鹿ではないはずだ。相手の力量を読めないわけではないはずだが?」

 確かに、クレオメルンにも男の力量は察することができている。間違いなく達人級。目の前の男は、今のクレオメルンでは到底敵いようもない槍使いに相違なかった。

「クレオメルン様。ここは私も戦います。何とかこの場を切り抜ければ……」

「それはならない。あなたがここで魔力を使ってしまえば、それだけ『封印の地』を閉じる可能性を下げてしまう。ユース。あなたはこの村を守り、ベアル教の企みを打ち砕くためにも、ここは私に任せて先を急ぐのです」

「しかし、それではクレオメルン様が」

「封印の風のアニエース。その名を継ぐのだと言い放ったあなたは、命を賭して守る価値がある人だ。私に騎士の本懐を。さぁ、急いで!」

「……お願い、いたします」

 深々とお辞儀をしたユースが、クレオメルンから距離を取る。

 仮面の男が口元を忌々しげに歪め、足止めするために前に出るクレオメルンと、一人先を急ぐために隙を見計らうユースを交互に見やる。

「私を一人で足止めする、と。未熟な貴様一人で? あまりに舐められたものだ。――良かろう。貴様では足止めすることもできないことを教えてやろう」

 男は身につけていたフードとローブを剥ぎ捨てる。
 果たして、その下にあったのは頭の先からつま先までを包み込む、漆黒の全身甲冑だった。

 甲冑は禍々しい魔力が渦巻き、何とも気持ちが悪い威圧感を放っている。
 唯一色の違う白い仮面が兜の前方に取り付けられており、夜の闇よりも暗い甲冑の男の判別つかない顔を、まるでドクロのように見せていた。

 膨れあがった男の威圧感と穂先を前にして、槍を構えるクレオメルンの額に冷や汗が浮かぶ。

「さぁ、今ならば明確にわかるだろう。私には勝てないことが。これが最後になる。降伏しろ」

「断る! いざ、神に仇なす敵に天罰を!!」

「愚か者めが……!」

 浮かんだ恐怖を押し殺して、槍を前に突き出しつつ自分から仕掛ける。そうしなければ男の言葉に頷いてしまいそうだった。

「ユース。路を開く! あとは頼む!」

「はい。必ずや!」

「逃がさぬと言っているだろう!」

 男の巨体が弾丸ように地面を蹴ってクレオメルンに迫る。突き出された漆黒の穂先は、逃れられない死をイメージさせる。しかしそれが何なのか。先程ユースに見た『戦う理由』は、その死にすら抗わせる。

 恐らく仮面の男は自分を侮っていた。たかが息巻く小娘め、と……その油断が命取り。ここにいるクレオメルン・シレは、まさにこの一瞬に全てをかけているのだから。

「おおぉおおおッ!!」

 敵の槍の切っ先を自分の槍の切っ先で払い、しかし避けきれず横腹をえぐられる程度で抑え、弾く力を推進力として突き進む。互いに間合いを測っての競り合いではない。相手の懐に潜り込んでの刺突――避ける仕草を見せぬ無防備な男の首を狙って、白銀の穂先は迫る。

 だが無情にも、響いた音は金属音。クレオメルンが自分に傷を負うことを覚悟して放った特攻の一撃は、男の甲冑の前に弾かれてしまった。

「『竜の鱗鎧ドラゴンスケイル――ドラゴンの守りを体現する最強の鎧だ。貴様ではこれは貫けない……が、今の攻撃は見事だった。まさか、この私がみすみすターゲットを行かせてしまうとは」

 それでも一合目に勝利したのはクレオメルンだった。

 血が滲む脇腹を押さえつつ、クレオメルンは素早くすり抜けていった風にエールを贈る。一刻も早く『封印の地』を閉じてくれ、と。この世に地獄は不要。使徒がおわす現世に、それはあまりに似合わないから。

「ここからは、聖神教に仇なす敵を討つ騎士として戦わせてもらう」

「良かろう。実力の差を思い知るがいい」

 再び白銀の槍を構えたクレオメルンに、仮面の男もまた槍を構える。もう油断はない。

 勝ちようもない戦いに、それでも挑む。それが正義のためならば――そう、それこそクレオメルンが師から受け、父から受けた尊い教えに他ならなかった。


 

 

       ◇◆◇

 


 

 サネアツとグリアーの戦いは、ひたすらに相手に攻撃を喰らわすことを目指した戦いとなっていた。

 風と地の魔法による応酬。片や空を飛ぶ風の魔法使い。片やあまりに小さすぎる地の魔法使い。両者の攻撃は当たることなく、ただ闇雲に時間ばかりが過ぎていく。

「ふむ。何ともおもしろくない膠着状態ではないか」

「同感だわ。さっさとアンタを倒して、私はヤシューの奴を助けてやらないといけないんだから」

 距離を取って向かい合う両者の心内はほぼ同じ。
 魔力だけが減っていく現状を良しとせず、相手を今すぐにでも倒したいという気持ちだ。

「提案だが、次の一手を両者最高の一手にし、この戦いを終わらせるというのはどうだ?」

「私としても願ったり叶ったりな案だけどね。生憎とヤシュー相手にだまし討ちをしたような奴の提案には頷けないね」

「はっはっは。アレはアレ、コレはコレだ。そもそも格好良ければオールオーケーというのはジュンタの方針であり、俺の方針とは違う」

「へぇ? それなら、アンタの方針は何なのよ?」

「決まっているだろう? おもしろければオールオーケーだ」

「そっちの方がタチ悪いじゃないのよ……」

 呆れ混じりのグリアーの視線に、サネアツは軽く肩をすくめる。
 何とも遺憾だ。この世はおもしろく生きようと思えば最高に楽しめるアミューズメントワールドだというのに、人を疑うなんてカッコワルイ。

「それがそちらの返答というのなら、仕方がない。ああ、仕方がなかろうな。問答無用で最強勝負に出なければいけないようにしてくれよう」

 そんなカッコワルイ相手にはオシオキだ――サネアツは今までより巨大な魔法陣を自分の真下に作り上げると、ノリノリで詠唱を歌う。

粘土を用意 妄想も完備 おお今こそ傑作の誕生を予感させるとき

「させないッ!」

 グリアーは詠唱を阻もうと最速で風の弾丸を飛ばす。しかしその攻撃は、突如としてサネアツの眼前の地面から現れた粘着性の土によって防がれた。

 攻撃魔法と思って阻もうとしたのだが、その実防御魔法――一体何のつもりだと眉を顰めるグリアーだが、そこで攻撃の手を休めたことは失策だった。サネアツはニヤリと笑い、現れた粘土防御壁に肉球スタンプを押しつける。

騙し絵トロンプ・ルイユ

 それは変貌の魔法。この身に与えられた恩恵と、この世界で得た魔法の情報とを融合させて、既存の魔法に新たなる形を、可能性を与えるサネアツの特別なキーワード。

 果たして、粘土は魔法陣により新たなる命を吹き込まれて変化する。
 それはさながら新鋭の芸術家に息吹を吹き込まれて変化――いや、進化する芸術。

「『土人形ゴーレム』、ですって?」

 魔法系統・地の属性――粘土遊びプラスティックアート

 土から生み出した人形を硬質化させ、相手に突進させたり、相手の攻撃に対する壁とする[土人形錬金ゴーレムメイク]の変則使用だ。

 グリアーは目を見開いて驚いている。それも仕方がないだろう。今この手で作り上げた芸術は、既存の『土人形ゴーレム』とは一線を画している。普通のゴーレムは意志のない、単一の命令しか受け付けない、いわば魔法使いが糸で操るマリオネットみたいなものでしかない。多くのゴーレムを作り出し物量で攻撃するのが、正しいゴーレムの使用方法だ。

 しかしサネアツが作り上げたゴーレムはたった一体だけ。何の脅威も感じさせないはずのソレだが、しかし見る人が見ればすぐに異質とわかる。

「くっ! 風の刃よ

 すぐにその異質さに気付いたのは、さすがは生き死にの経験が豊富な暗殺者というしかない。
 グリアーは素早い動作で生まれたゴーレムに刃を放つ。それは先程の攻撃のように、ゴーレムの身体を切り裂いて、しかし傷はすぐに繋がって塞がってしまう。

 それこそがこのゴーレムのおかしな部分だった。

 自立ができないゴーレムの身体は本来石だ。だが、今サネアツが生み出したゴーレムの身体は粘土。どれだけ切り裂かれようが、断面同士がまたくっついて再生を果たす。

「覚えているか? グリアー。以前お前と戦ったときに俺が使った[大地の茨アースブライア]という魔法を。
 今思うと拙い魔法であった。再生のために持続的に魔力を注ぎ込まなければいけないなんて、あまりに生産性に欠ける。何より、お楽しみ要素が少なかったと反省しているぞ」

 サネアツを守るように立つゴーレムの大きさは約二メートル。
 両腕の代わりに杭の穂先のようなものが取り付けられた、スタイリッシュなフォルムをしている。騎士を彷彿とさせる土色の甲冑をつけ、彫像のような精悍な顔だち。そして、なぜか猫耳。

「そのため、この体格故に足止めが難しい俺が選んだ、新たな足止めのための魔法がこれだ。作り上げた時点で粘土同士を結合させる術式を刻んだ。そこに粘土がある限り、自動的に再生を果たしていく猫耳ゴーレム君八号だ」

 サネアツの言葉に合わせ、ゴーレムは動き出す。両手の凶器を構え、上空のグリアーを仰ぐ。

「さぁ、踊りの相手を務めていただこう」

「はっ! そんな不細工な人形の相手はゴメンよ!」

 攻撃のタイミングは同時。グリアーは刃ではなく全てを吹き飛ばす風の弾丸を選択し、ゴーレムは創造主の命を受けて戦いを開始した。


 

 

 化け猫によって作り上げられたゴーレム――見たことのないタイプの魔法ではあったが、相手が空を飛べないゴーレムである限り、グリアーの敵ではなかった。

 先のジュンタを含めての戦いの折、攻撃を受けたのは化け猫の使った魔法により、石柱が立てられたからだ。あれを足場にして、彼は上空の自分に攻撃を加えてきた。

 その方法を今度も取ろうと思っても、それは無理。石柱は今までの戦いにより砕け折れ、新たに生み出そうにも化け猫はゴーレムを操るので手一杯のはず……

高く聳えるもの 其は空への挑戦

「な、にっ!?」

 そう思った瞬間に紡がれた[石柱ロックタワー]の魔法。足下からそびえたつ石柱に乗り矢のように空へとあがってきたゴーレムの姿に、グリアーは驚く他なかった。

「まさか、同時に魔法を!?」

 石柱の勢いに下半身を潰されながらも、痛覚も何もないゴーレムは腕の凶器を構えたまま突っ込んでくる。遠慮容赦が必要ないため、身体的速度がジュンタ・サクラより劣っているゴーレムだが、その強襲の速度は見劣りしていない。

「ちっ!」

 先程足に攻撃をもらった上、驚きから反応が少し遅れたグリアーの腕を、ゴーレムの刃が切り裂いていく。

 そのまま反転して地面に落下していくゴーレム。まさに狙い撃ちしやすい格好といえたが、攻撃を集中させることはできなかった。ゴーレムを運用しつつ他の魔法が操れるならば、化け猫に背後を見せるわけにはいかないのだ。

 ゴーレムの攻撃を避けた直後に、地面の化け猫から巨大な石の弾丸が放たれていた。
 グリアーはゴーレムから意識を放し、その攻撃を大きく胸を反らして避けるも、先っぽを掠めていく。この時ばかりは、自分の大きな胸が恨めしかった。

「同時に魔法が使えるなんてね。いや、どうして私はこうも気付くのがワンテンポ遅れるのかしら。猫がしゃべって魔法が使える時点で、常識では語れない相手だってことはわかってたはずなのに」

「ふははははっ、甘く見るなよ! 俺が地属性の魔法を重点的に修めているのは、男のロマンであるチョースゲーカッコイイ巨大ロボットの誕生に一番近そうという理由の他にも、一番サポートがしやすいと思ったのもあるのだからな!」

 無詠唱でこぶし大の石ころをいくつも矢として放ってくるサネアツという名の地の魔法使い。彼の攻撃を避けている中、グシャリと地面に落ちたゴーレムがまた再生を果たす。その直後には、再び紡がれた[石柱ロックタワー]の魔法によってゴーレムが打ち上げられていた。

「これぞ必殺、ポンボール戦法! グリアー、安心するといい。すでに落ちるべきポケットの準備は万端だ」

「そう易々と風の魔法使いを落とせると思わないことね!」

 二度も同じ攻撃が通じるグリアーではない。ゴーレムの強襲を軽々と避ける。

「いや。残念だが、ゴーレム君は元々我が師たる風の魔法使いを落とすために考案されたものだ。すでにチェックメイトなのだよ」

「まさ、か!?」

 わかっていたはずなのに。あの化け猫が相手の裏を掻くような戦いをすることはわかっていたのに、その煩わしい言葉に意識を傾け過ぎていた。

 要は先程上げられたゴーレムが、ただ無防備に落下していったことがフェイクだったということ。今グリアーを超えて空へと上げられたゴーレムは、その粘土の身体を薄く大きく風呂敷のように広げて見せた。

 サネアツから放たれた矢が、その風呂敷の四隅に、放物線を描いて落ちてくる。急激に落下を始めた粘土はすでに避け切る場所を封鎖して、グリアーの身体を地面へ落とそうと落下を始めた。さらにその過程で再びゴーレムの形に戻ろうと粘土は蠢き、動きを封鎖しようと丸まり始める。

我が風の前に土は消えん 風は自由なるもの 束縛はあらず
 
 しかしグリアーも黙って落下することなど許容しない。

 前回と似た形で落下しようとしている今こそ、まさに前回から学習した解呪の魔法を使う時。このまま落下したらまずいのは言うまでもないこと。

(奴は最大の魔法をぶつけあおうと提案した。そしてゴーレムはあくまで足止め。本当の切り札は時間がかかる、だけど一撃で私を倒せる威力!)

 サネアツの真の目的とは、ゴーレムを使ってこちらを足止めし、その隙に勝負を決める魔法を放つことにあると踏んだ。このまま落下して動きを止めたら、狙い撃ちは免れない。

 何としても避けなければならない――グリアーは全力で魔力を運用し、解呪のための風を放つ。

 再生する粘土を風が切り裂き、千切り、吹き飛ばす。予め仕掛けられたトリシャ・アニエースのトラップにすら抗ったそれは、即席の捕縛を軽々と吹き飛ばして見せた。未だサネアツの詠唱が聞こえぬ間に。

(距離を!)

 開いた頭上の脱出路を潜り抜け、グリアーはサネアツから距離を取る。

 魔法使いの戦いとは、即ち戦いの前にどれだけ手札を揃えられるかが鍵となる。そういう意味では、まさに学習して準備していたことが最善の働きをしたといえた。

 ――しかしそれが魔法使いの戦いの常道ならば、今まさに化け猫が切った手札も、また戦いの前に当然準備されていたものであった。

「すまないがな、グリアー。俺の切り札は別に詠唱を必要としない。そして、そこは残念ながら効果範囲内だ」

 淡々と語られる静かな声にこめられた怒りに、グリアーは自分がどんな地雷を戦う前に踏んでいたかをようやく察する。

 人語を介す猫。魔法を使う化け猫。ありえざる異常の存在は、また異常な魔法を使って見せた。 相手を殺すために知識を蓄えたグリアーですら分からない、これまでの理論とは違う、まさに新たに生み出された体系を。

 そんな猫が選んだ切り札は、しかしグリアーも既知の魔法理論からなる魔法だった。

「そんな……こんな、馬鹿なこと!」

 それを目にすることは滅多にない。対処策もあまりに使用例が少ないために確立されていない。しかし、そんな化け猫の切り札たる魔法とほぼ同じ魔法を、今日グリアーは目にしていた。

 昼間の戦いにおいて、それはユース・アニエースが切り札としてヤシューに使った魔法と大別的には同じもの。己の特異な魔法属性を利用した、『矛盾』を引き起こして暴虐的な威力を発す、世界でも使い手が片手の指もいない魔法である。

「まさか。こんなのは、あり得ない……!?」

「恐らくその驚きの声を、ユースにも向けたのではないか? そしてこう答えられたはずだ。『あり得ないはずがない。現に、今あなたの目の前に実在するのですから』とな」

 そんな稀少な魔法を、まさか一日に二度も目撃することになろうとは。
 しかも今度は自分へと向けられているとなれば、その驚きは呆然となってしまうのも無理ない。

「そう、あり得ないはずがないだろう。俺は二重属性魔法を扱える数少ない使い手――ユース・アニエースの弟子であるサネアツ様だぞ。
 ついでだ。一ついいことを教えてやろう。何、遠慮することはない。なかなかレアな情報だぞ」

 サネアツの足下に輝く魔法陣は茶色――彼が今まで使っていた地属性の魔法陣。

「本来一つしか得られない魔法属性を多数発現させるこの特異極まる性質は、なんでも魔法の開祖であるメロディアに関わりがあるらしい。これは恐らく正しいのだろう。正確には、メロディアを含めた特殊な力を有する使徒の影響が必要不可欠なのだろうな。特異なる性質は、特異なる能力の影響を受けて発現するということだ。さて、それではその前置きを踏まえた上で説明だ」

 サネアツの頭上に輝く魔法陣は緑色――彼の師であるユースが使っていた風属性の魔法陣。

「使徒にオラクルを伝える役割を持つ巫女は、必ず使徒一人にいるという特別な立場でありながら、使徒と縁深い相手が選ばれる可能性が高いというだけで特別に選ばれるにたる理由はない。能力も然り。巫女になったからといって、特別な能力に目覚めることはない」
 
 そして彼の眼前で輝く赤い魔法陣もまた、彼の魔法の師が使っていた色――

「だがな、使徒に一番近しいが故に、巫女は使徒が持つ特異能力の影響を一番に受ける。無論他者に影響を与える特異能力に限っての話だが……いや、違うか。他者に影響を与えない力であっても、至ってしまったなら影響を与えずにはいられないのだから」

 火属性の魔法陣。二つの属性を操ったユースを超える多色の輝きに、グリアーは息を呑みつつ理解した。この魔法が、誰から手ほどきを受けて誕生したものかを。

「この世界に魔法がもたらされたのは、メロディアの魔法の力が影響としてもたらされたからだ。エルフが魔法行使に適しているのは、巫女だったシャス・リアーシラミリィを通じて特に強く影響を受けたため。メロディアの親族の子孫であるホワイトグレイル家の人間も同様だな。
 ――では、ここで質問に変えよう。もしも現在進行中で、その影響を受け続けている巫女がいるとしたら……それは一体どれほどの魔法適正を持つに至るのだろうな?」

阻め風よ 逆巻け風よ あらゆる脅威を退けるために 」  

 どれだけ距離を取ろうとも、これから放たれる魔法の威力圏内から逃げられないことだけをグリアーは悟り、急ぎ防御の魔法を限界まで紡ぐ。長いサネアツの説明は、恐らく自分に防御の姿勢を整わせることが真の目的なのだろう。

「ヒントは一つ。その巫女の魔力性質は定まってはいない。以前は『造形』であったが、どうやら色々と付加され進化してしまったようだ。あえて名付けるなら『芸術』と呼ぶべき魔力性質にな」

「……言ってる意味はよく理解できないけど、質問に対する答えは簡単だね。答える意味すらない」

 そう、簡単だ。その質問に対する返答は酷く簡単だった。

 すでに故人であるメロディアの巫女がいるわけもないのだが、もしもかの『始祖姫』が生きていると仮定したら、無論のことその巫女もいるだろう。そしてその巫女が魔法の影響を受け続けているのなら……ああ、そうとも。全ての魔法属性を操ったメロディアのように、二重属性すら超えた多重属性に至っても何ら不思議ではない。

「さぁ、答えを開示しよう。我が師のように完璧な複合とはいえず、生憎と未だ三つのみの発現でしかないが、期待にはきっと応えられるはずだよ」

 三つの魔法陣がそれぞれ、それぞれの属性の魔法を呼び起こす。

 輝きは重なり、集い、激しい『矛盾』を引き起こす。
 ユースほどに一つの魔法が洗練されてはいないが、それを数で補った『矛盾』の威力は計り知れない。

 グリアーは勝負を諦め、生き残るために全ての魔力を防御に回す。

「……悪かったね、ヤシュー。助けてもらってばかりで、助けてやれなくて……」

 小さく未だ封じられた相棒へとお詫びを告げて、次のために、放たれる魔法の輝きを瞬きすることなく見続ける。

「師の仇は弟子が討つもの。俺がお前に勝つ。ジュンタたちがベアル教の野望を食い止める。それで俺たちのパーフェクトビクトリーだ。では、レッツ爆発!」

 一斉にはじけ飛ぶ三つの魔法陣。
 歪んだ円はさらなる歪みを招き、空間を歪める勢いで魔力をまき散らす。

 粉塵が風によって舞い上げられ、グリアーごと辺り一帯の空間を包み込む。視界が塞がるほどの風塵は、そのまま次の瞬間爆発物へと変わった。

「魔法系統・地と風と火の複合属性――[芸術は爆発だ]!!」
 
 高らかに猫の声が木霊する。

 空間全体に広がり、飲み込む大爆発は、空地面問わず辺り一帯を染め上げ、グリアーの姿をその風の防御壁ごと瞬く間に飲み込んでいった。

 


 

       ◇◆◇


 

 

「予定にはなかったけれど、そう、それでも流れに淀みは生まれない」

 ユース・アニエースが誰に阻まれることなく、傷を負いながらも大浴場へと辿り着いたのを見て、ディスバリエ・クインシュはほっそりと微笑む。

 対応に出てもらった彼は、どうやら足止めを喰らってしまい失敗したよう。大浴場で奮闘する二人の騎士の許にユース・アニエースが辿り着いた時点で、もはや『封印の地』の閉鎖は確定したといえた。

「ディスバリエ様、どうなさいますか?」

 同じように悲願がまたもや悲願で終わりかねない推移を目の当たりにしたウェイトンは、だけど何の不安もなさそうな声で、ただこれからについて尋ねてきた。その声には信頼が見て取れる。

 ウェイトン・アリゲイ――生まれも定かではなく、強くもない男。ただドラゴンに魅せられ、ベアル教の導師となり、そして『偉大なる書』の適格者として選ばれた男。

 ある意味では特別といえよう。今ここに立っているだけで、彼は特別なのだ。
 まったく嬉しい誤算といえた。予期もせず二人もの有用な人物を手のひらの上に招けたことは。

「ウェイトン・アリゲイ。ご覧の通り、最悪の事態になってしまったようです。ユース・アニエースが二人の騎士に合流してしまいました。しかもどうやら神殿との再契約による孔を閉ざす方法も存じているよう。このままでは、すぐにでも孔は塞がれてしまうでしょう」

「では、私はあなたのために、我らがベアルの悲願のために、何をすればよろしいのでしょうか?」

「ああ。本当にあなたはあたくしの役に立ってくれる……ねぇ、ウェイトン。あなたに一つお願いをしてもよろしいかしら?」

「愛すべき君のお願いならば、どのような願いでも聞き入れ、疾く叶えてご覧に入れましょう」

 その手に『偉大なる書』を持ちながら、恭しく頭を下げるウェイトン。
 神を崇める敬虔な信者のようなその態度は、ディスバリエが真実望むものであった。

 これからするお願いごとは、一重に最低なものと言えた。少なくともこの願いの果てにウェイトンの幸せはないだろう。否、それは一般的な観点から見た答え。彼はドラゴンにその身捧げた者。悲願を叶えることさえできれば、自分がそのための人柱になることさえ祝福だ。

「それではお願いしましょう。ウェイトン・アリゲイ。このタイミングで『封印の地』を塞がれては非常に困ります。ですからあなたには、何としてもそれを阻んでもらいたいのです」

「それはもちろん。しかし、私には力がありません。あの三人を相手にして勝つことは愚か、足止めすることさえ困難と言えますが?」

「何を言うのです。あなたには力があるでしょう? あなたの生き様により鍛えられ、培われた偉大なる力が」

「偉大なる力……」

 ウェイトンは自分の持つ『偉大なる書』に目を落とす。その人さえ魔獣に変えてしまう反転の書。それを持ち、ドラゴンへと至るために数多の実験に手を出してきたことが彼の生き様。彼の力とは、即ち『偉大なる書』そのものに他ならない。

「あなたは知っていましょう。人の身は弱い。しかし魔獣は強い、と。……もうそろそろいい頃合いなのではありませんか? 惰弱な人では、汚らわしい人では、いくら反転しても王にはなれないとあなたは理解しているはずです」

「そう、その通り。いくら『反転』を施しても、人は神には至れない」

「ですが、あなたはきっと違う。あたくしには分かります。あなたはドラゴンへと至る器として申し分がない」

「ああ。あなたにそう保証されたなら、この人の身をそろそろ捨てることに何の恐怖も戸惑いもありません」

 狂気の笑みでウェイトンは承諾する。今まで多くの人を魔獣に変えてきたように、今度は自分を魔獣へと変えることを。

 ウェイトン・アリゲイ異端導師は屋根の上を歩いていく。まるで夢遊病者のように、だけどしっかりとした足取りで、自分のやってきたことの行く末を、自ら体験しに行く。その手に黒い光をたたえる『偉大なる書』を持って。

 ディスバリエはそれを見送る。悪魔の笑みをたたえながら。

「では、恐ろしき人よ。『封印の地』に眠るドラゴンの前に、私というドラゴンをご覧あれ。
 あらゆる敵を踏みつぶし、喰らい、絶対的な力をもってして、この地にはびこる愚か者と救われざる哀れな者たちに、真の神が誰であるかを刻み込んでみせましょう」

「ええ。楽しみにしています。あなたは必ず、ドラゴンを目撃するのですから」

「祝福をありがとう。あなたのために、今宵私は終わりの魔獣へと至りましょう。
 ベアル教に祝福あれ。我らが神に祝福あれ。ああ、偉大なるかなこの私!」

『狂賢者』の祝福を受けた異端導師は、歓喜に肩を震わせながら屋根の上から飛び降りる。彼が正気か否かは、ディスバリエ以外にはわからなかった。

「ええ、祈っていましょう。見届けましょう」

 祈りを捧げる。狂気の果てにウェイトン・アリゲイが救いある幸福へと至ることを、ディスバリエ・クインシュは祈り続ける。

 クスクス。と、嗤いながら。

 

 

 ――その雄叫びが轟いたのは、まさにグリアーを下した直後のことだった。

 未完成の多重属性魔法を使った所為で、サネアツの身体はガタガタ。ジュンタの後を追わなければいけないのだが、足が動かないためどうしよう? そう思っていた矢先のこと。


――ハッハーッ! さぁ、血塗れた獣のベーゼを贈ってやるぜェ!!」 


「なに!?」

 驚きの声を発すサネアツが目撃したのは、地面の底から爆発するように土をはね除け、獣の雄叫びと共に甦った一人の男だった。

「馬鹿な」

 と、思わずサネアツは呟いてしまう。彼は間違いなく捕縛し、束縛されていたはずだ。硬い鉱石の下に閉じこめられ、身動きすら取れないはずだった。

 だというのに――彼は笑い声をあげてそこに立っていた。

「さぁ、どこだよ獣殿。我が愛しき獣殿は!」

 爛々と目を輝かせて、彼は辺りをうかがう。
 その恐ろしい瞳が自分の方を向いたところで、疑問を放棄し、サネアツは戦うことを覚悟した。

 現状で彼に敵うことは難しいだろう。相棒であるグリアーを倒してしまった手前、見逃してももらえないはずだ。できることといえば、油断を誘って逃げることぐらいか。少なくとも明らかにおかしい狂笑を上げる今の彼を出し抜くことは可能のはず……

 じっとりと冷や汗を流しつつまた再び敵となって現れた男を睨むサネアツ。しかしその考えは杞憂でしかなかった。

 つまるところ、獣のベーゼはたった一人にのみ贈られるものだったのだ。

「ああ、そうか。そこにいるのかァ、ジュンタ。カカッ、待ってろ。待っててください。今すぐ行ってやるからよォ」

 徐に『不死鳥の湯』の方に視線を向けた彼は、笑みをいっそう濃くする。

 そこで初めて気付く。ジュンタのいる『不死鳥の湯』を向く過程で、確かに彼は自分と地面に倒れ伏したグリアーの姿を向いたのだが……見えていない。彼の目には、今ジュンタ以外は見えていないのだ。

 口から熱い吐息を吐き出した彼は、そのまま身体を解すように揺らす。
 夜の闇にぼんやりと輝く茶色の線は、彼の心臓の脈動に合わせて不気味に輝く。

 どうやってバインドを解呪したのか――サネアツは、彼の体中に血管のように張り巡らされた幾何学模様を見て理解する。

「ヤーレンマシュー・リアーシラミリィ……そうか、嘆きのリアーシラミリィ!」

『栄光のリアーシラミリィ』を『嘆きのリアーシラミリィ』と呼ばれるに至った経緯。そこで失われた名前を考えつつ、サネアツは甦ったヤシューへと飛びかかった。









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