第十三話  祝福の始まり(後編)


 

 結局スイカという頼もしいアドバイザーを得て、なおかつ夕方まで時間をかけても、リオンへの誕生日プレゼントは決まらなかった。

「あげたいと思えるものはたくさんあったけど、後一歩何かが足りないんだよなぁ」

「そこは妥協しない方がいいと思う。何かが足りないものをプレゼントしても、ジュンタ君に後悔が残るだけだ」

「といっても、もうすぐお店も閉まる時間だし、何とかしたいものなんだけど」

 赤く色づき始めた太陽に街を流れる水路が赤く染まる中、人通りが少し減った通りをスイカと共に歩いていく。

 半日歩き回って、スイカの助言もあっていくつか候補こそ選ぶことはできた。知らない店にたくさんいって、そこでリオンにあげたいと思うものは見つかった。しかし『これだ!』と思える物がなかったのも事実である。

(スイカは最後まで付き合ってくれるっていってくれたけど、これ以上付き合わせるのも悪いしな)

 隣を歩くスイカを盗み見て、ジュンタはそれから腕時計で時刻を確認する。

(それに日が沈んだら、いくら聖地だからって危ない。いや、聖地だからか。俺みたいに、スイカがディスバリエたちに狙われないとも限らない)

 いくら変装しているとはいえ、見る人が見ればスイカだと一目で分かることだろう。
 元よりあまり世間に姿を晒していない使徒だから今まで誰にもばれていないが、自分という使徒さえ知っていたディスバリエの目を誤魔化せるとは思えない。

 ズィールの真偽がはっきりとならぬ今、一番安全なのは恐らくフェリシィールの目の届く場所であろう。日が沈む前に彼女をアーファリム大神殿に帰してあげなければ。ヒズミも心配しているだろうし。

 とはいえ、直接そんなことをいえば、気にしないで欲しいとやんわり断れられるのが目に見えている。どうしたものかとジュンタは悩んで空から視線を前に向けたとき、それの存在に気付いた。

「……何やってんだ、あいつ……?」

 気付いて、気付かなかった振りをしたかった。
 誰も何もない虚空に向かって愚痴をもらす酔っぱらいが友人だと、知られたくはない。

「ん? あそこにいるの、もしかしてラッシャじゃないのか?」

「ピッキーン!」

 しかしスイカが気が付いて名前を呼んでしまったことにより、強制的にイベントが発生した。誰もが奇異の視線で見ていた酔っぱらい男、ラッシャは変な擬音を口にして振り返る。

「お、おお、そこにいるのはワイの心の友やないか! むしろ同じ志を持つ心友やあらへんか!」

「触るな。あと、俺は一般常識人だ」

「ふぐっ」

 ワイン瓶片手に号泣しつつ飛びついてくるラッシャからスイカを守るため、手を伸ばして突進を止める。勢い余ったラッシャが思い切り額を打ち付けて転んだが、ジュンタは痛くなかったので問題ない。むしろ今ので酔いが醒めたらしいので結果オーライである。

「大丈夫か? ラッシャ。かなり勢いよくぶつけたけど……」

「スイカっちは優しいなぁ。ジュンタとは大違いやで」

 心配するスイカにでれっと顔を崩してラッシャは起きあがり、パンパンとお尻についた汚れをはたきながら、仲睦まじそうに並んでいる二人に好奇の視線を向けた。

「ところで、どうして二人が一緒にいるん? もしかしてデート? デートなんか!?」

「うん、実はそうなんだ」

「というのは冗談で、スイカには買い物選びに付き合ってもらっているだけだな」

 ノリノリで冗談を口にするスイカの言葉を訂正しつつ、ジュンタはラッシャに発端について説明した。

「なるほどなぁ。姫さんの誕生日プレゼントか。そいつは、ジュンタにとっては重要な問題やなぁ。よっしゃ。ここはラッシャさんが一つ、いい店を紹介してやろうやないか」

「それはありがたいけど、いいのか? 馬車の中で確か、ラッシャにはここで何か別にやりたいことがあるって言ってたけど?」

「ああ、それね。……ううっ、聞いてくれや! ジュンタ!」

「……どうかしたのか?」

 ランカを出発するときにラッシャが言っていたことを指摘すると、笑顔が一転、ヤケに悔しそうな顔になってラッシャはおいおいと涙を流す。

「これが泣かずにいられるやろか? いや、無理や! ワイは、ワイは夢破れた可哀想な若者なんや。涙とお酒がなければ明日の光も見えない薄幸の美少年なんやで!」

「話が長くなりそうなら、短く要点を纏めて頼む」

 なんか余裕あるなぁ、と心の中では思いつつ、ジュンタはラッシャに先を促す。

 ラッシャは押さえていた目から手をどけつつ、口を尖らせて不満そうな顔をする。もちろん瞳に涙はない。

「しゃあないなぁ、まぁ、ジュンタには報告しといたろ思っとったから手間が省けてええんやけど。うん、実はワイ、この聖地ラグナアーツに自分の店出そかと思ってな、色々と奮闘しとったところなんや」

「自分の店?」

「そうや。商人にとってはこれ以上ない夢やで」

 はっきりとそれが自分の夢と語ったラッシャの言葉に、ジュンタは軽い衝撃を受けた。てっきり仕様もないことで落ち込んでいると思っていたら、そんな重たい事実があったとは。

「さっき夢が破れたって言ってたけど、お店は出せなかったのか?」

 言葉を失うジュンタに代わって、スイカがラッシャに尋ねた。

「聖地は聖神教の総本山やし、イースト・ラグナには商人ギルドの元締めもあるやろ? まずはその辺りから認可とろ思って、イースト・ラグナに行ってギルドに単身乗り込んだんや。あそこは年中無休で新しい商売とか募集しとるからな。資本金がないワイには交渉するしかあらへんし」

 ラッシャは少しだけ恥ずかしそうな顔をしながら、姿が見えない間、自分が何をしていたか語る。

「自分がこれまで行商やりながら見てきたこと、そして何よりジュンタたちと出会ってから体験した色々なことを経て、思いついた画期的な案やと自分では思ったんやけどな。担当しとった相手に一蹴されてもうたわ。こんなのを認めるわけにはいかない! ってな」

「それは……残念、だったな」

「ほんま、残念無念や。やっぱ、担当の人が綺麗なお姉様で商売の話より先にナンパしてもうたのがいけなかったんかも知れへんなぁ」

 ジュンタはありきたりの言葉しか言えない自分が嫌になったが、ラッシャの屈託のない笑顔にかなり救われた気持ちになった。

 いつもみたく冗談を口にするラッシャに対して、ジュンタもいつも通りの視線を向ける。

「アホ。夢を叶えようとするところで、そんなことするから」

「仕方ないやん! やって、ワイにとって女の子と仲良くすることは死活問題、ライフワークやからな。禁欲生活の決着点に綺麗な女性がいたら、そら声かけてしまうに決まってるやん」

 カラカラ笑って、腕を組み何度も頷くラッシャは、ひとしきり笑ったあとグッと親指を立てた。

「ま、いつまでも落ち込んでてもしょうがないわ。お酒も飲んで一通り薄幸の美少年も体感したし、そろそろ次目指して動く頃合いやな。ワイは夢に向かって、これから先も歩き続けるで。やってこれがワイが長い時間かけて、ついに描いたワイの夢やからな」

「うん。がんばれ。わたしに何かできることがあったら言って欲しい」

「まぁ、応援と手伝いくらいはしてやれるからな。友達なんだし、遠慮はするな」

 将来の夢をしっかりと決めたラッシャはどこか大人びて見えた。今回は残念だったけれど、きっといつか彼はその夢を叶えるだろうと、ジュンタはそう思った。

「ささ、ワイの話はこの辺にしとこか。ワイが見つけたお勧めの店へと案内してやるで。ついてきぃ」

 胸を張って歩き始まるラッシャに、ジュンタとスイカは一度顔を見合わせてからついていく。きっと、彼ならリオンの誕生日にふさわしいものを知っていることだろう。期待に足取りも自然と軽くなる。

「それで、ラッシャ。お前が作りたかった店って何なんだ?」

 自分よりも少しだけ先へ行こうとしている友人の背中を見て、ジュンタは自分にできることは手伝ってやろうと思った。なんだかんだいっても、ラッシャには何度も助けられてきた。その恩返しはしたい。

「ふっふっふっ、聞いて驚くんやないで」

 無意味に回転をいれて振り返ったラッシャは、よくぞ聞いてくれましたとポーズを取って、誰に恥じ入ることない自分の夢をデカデカと言い切った。

「ずばり、超ミニスカ喫茶や! 聖地の風習に異を唱える男の挑戦! 膝上五十センチ近い絶対領域を完備した女の子たちがサービスするフロンティア! 姐さんの店を見て思いついたんやで!」

「…………」

「それだけやない! さらにバリエーションとして、メイド喫茶、シスター喫茶、女王様喫茶やお姫様喫茶等も店舗拡大していくつもりや。やがてはワイの店は聖地から世界中へと広まり、そんでワイは従業員たちによるワイだけのハーレムを! グフ、グフフフフッ」

 とりあえずジュンタは、気持ち悪い笑みを浮かべるラッシャを殴ろうと思った。

 思い切り――グーで。


 



       ◇◆◇






「これは……」
 
 とりあえずラッシャには店へと案内してもらい、案内してもらったあと彼とはすぐに別れたジュンタは、ショーウィンドウに飾られた色に一目で目を奪われた。

 こぢんまりとした店のショーウィンドウに飾られた、それは一つの『紅』。

 空の赤に輝く、ガラス製のペアの酒器。
 宝石をカットするように削られた凸凹とした形ながら、全体を見れば酷く流麗なフォルムをしている。決して角張った感じのない、透明ながら柔らかい杯だ。

 カットする際にまるでルビーの刃でもつかったように、ガラスでできた全体には薄く紅色が広がっており、金箔のような輝きを生み出している。それが夕焼けに反射し、全体をさらなる紅色に変化させている様は、ジュンタの目を一瞬で虜にした。

 片方の飲み口には金で模様が、もう片方は銀で模様が描かれたそれはペアグラスであり、気が付けばジュンタはショーウィンドウへと近寄っていた。

「とても綺麗なゴブレットだな。ラッシャの目に狂いはなかったらしい」

「ああ、どうせ店員さんがかわいいからって理由だろうけど、今だけはあいつを褒めたい。これはいい。何というか、すごく欲しい」

 スイカが隣に立ち、夕陽の光が遮られても、なおその輝きは色褪せない。
 まさにリオンへの誕生日プレゼントして、これしかないと思わせる一品だった。

 近くで見たスイカもまた、感嘆で目を見開く。彼女の感嘆はどちらかといえば、美麗な外見の美しさ以外のものに向けられていたようだが。

「名前を思い出した。『硝子の口紅ルージュグラス――これは、その、あれだ。うん。いいんじゃないかな、とわたしも思う。これは飲み口の部分に、一つ自分で好きな細工をいれてもらえるんだ。だから本当の意味でこれは一つしかないペアグラスになって、今聖地では密かなブームになっていると聞いたことがあるな」

「じゃあ贈り物としてもいいわけだな。値段は……少し高いけど、予算の範囲内だ。やっぱりこれしかない。あれだけ悩んでも、決まるのは一瞬だな」

「ふふっ、目を輝かせて。なるほど、ジュンタ君は本当に欲しい物を前にすると、そんな子供みたな目をするんだ」

「え?」

 クスクスと笑うスイカの視線に、ショーウィンドウに張り付くように『硝子の口紅ルージュグラス』を眺めていたジュンタは軽く頬に朱を入れる。

「じゃ、じゃあ日も暮れてきたし、早く買うかな。細工を入れてもらうってことは、頼んでおくってこといなるし。リオンの誕生日に間に合わないようなら、それこそ残念だけど他のを選ばないといけなくなる」

 ジュンタは誤魔化すように目を明後日の方向に向けると、早速店の中へと入っていく。

 アンティークな装いの店には棚があって、そこに綺麗な硝子細工が並べられていた。時間も時間だからか他に客の姿は見あたらず、店の奥には店じまいの支度をしているまだ若い女性の姿が見つけられた。ラッシャが目をつけたとおり、かわいらしい人である。

「あの、すみません。まだ大丈夫ですか?」

「あら? いらっしゃい。まだ大丈夫だよ」

 スイカが礼儀よく尋ねると、店員の女性は朗らかに笑って店じまいのために動かしていた手を止めた。

「良かった。それじゃあすみませんけど、『硝子の口紅ルージュグラス』をワンセットもらえますか?」

「『硝子の口紅ルージュグラス』ね。はいよ」

 ジュンタが購入する旨を伝えると、元気よく頷いて店員は店の奥へと引っ込んでしまった。すぐに戻ってきた彼女の手には木の箱があった。

「どうも毎度ね。じゃあ、これから細工の形を決めるから、ちょっとお時間ちょうだい」

「はい、お願いします」

 えらくフレンドリーな店員は、箱をカウンターの上に置くと、蓋を開けて中からショーウィンドウの飾られていたものとまったく同じ品を取り出して、これをカウンターの上に並べた。

「こちらの金色のが女性用。銀色のが男性用ね。別に逆でもいいんだけど……どうする?」

「あ、それでいいです。金色のが女性用で……って、あれ?」

 質問に答えたジュンタは、そこで何やら店員の視線が自分とスイカとを行き来していることに気付く。さらに彼女の視線は何やら生温かい、どこか羨ましげなもので。

「あいよ。しかし、あれだねぇ。お客さんたちあたしより若いってのに、もう結婚かい?」

「へ?」

「結婚……!?」

 素っ頓狂な声をもらした直後、隣から珍しいスイカの本気で驚いた声が響いた。
 横を向けば彼女は耳まで真っ赤になっていて、酷く狼狽えた様子で視線を床に落としていた。

 それを見て、ジュンタは逆に落ち着きを取り戻す。
 なるほど。確かに男女でペアグラスを買えば、そういった関係に見られるのも不思議ではない。しかしなぜ恋人を通り越して結婚なのだろうか?

「あの、どうして俺とスイカが結婚なんてことに?」

「いやいや、照れなくてもいいって。とても素敵なことなんだから。羨ましいねぇ。あたしもいい人がいればさぁ〜」

 取り出した布巾でキュッキュとグラスを磨く女性は、何やらがっくりと肩を落として自己完結の模様。はぁ、と困惑の声をもらすと、冷静さを取り戻したスイカが耳元でこっそりと囁いてきた。

「実はこの『硝子の口紅ルージュグラス』、主に結婚式の引き出物とかに人気なんだ。他には結婚して夫婦になった男女が記念に買ったりと……カップルにはあまり手を出しにくい金額だし」

「そうなのか。ん? 待て。ということは、俺はそんな意味深な物をリオンにプレゼントしようとしてたのか? ……うわぁ」

 自分が何をプレゼントしようとしているのか知って、ジュンタはどうしようと考える。

 そもそも誕生日プレゼントにペアグラスって……いいんだけどダメな気が。もしも付き合っている人の誕生日に自分と彼女とペアで買うのならともかく、片思いの相手にペアグラスはどうかと。

「どうする? やっぱり止めておくべきか?」

「いや、別に大丈夫だと思う。多いというだけで、他の人が買ってはいけないことはないし。リオンに少し誤解されてしまうかも知れないことを覚悟しておけば、何の問題もないプレゼントだ」

「そうだよな。何も別に俺は……いや、ちょっと待とう俺。そもそも俺は自分の分のグラスとリオンの分のグラスを無意識に買おうとしてたのか? お、俺って奴は……」

 穴があったら入りたい。店先で『硝子の口紅ルージュグラス』を見たスイカが、どこか言い淀んでいたのはこれが理由だったのだ。ある意味では告白というかプロポーズ気味なプレゼントを無意識にチョイスして、これしかないと断言してしまったなんてすごく恥ずかしい。思えばラッシャが選んだ店なわけだし、こういう展開が用意されていても不思議ではないのだ。

 隣に立つスイカの顔がまともに見えなくて、ジュンタは赤い顔で視線を背ける。
 それを見てスイカは笑って、また店員も笑う。自分が耳まで赤くなっているのがよく分かった。

「いやぁ、まだまだ純情という感じね。よしっ、それじゃあ細工を決めようか」

「あ、それよりも先に一つ尋ねたいんですけど、これって明後日の夜までにはできあがります?」

 もうここまで来たら買わないという選択肢があるはずもなく、買う方向でジュンタは大事なそのことについて訊いてみた。ここで無理といわれたら、別の意味で買えない。

「明後日の夜? う〜ん、今はあんまり他の仕事も入ってないし……幸せな未来を築こうとしているお二人とためだ。何とか間に合わせてみせましょう!」

「いや、俺とスイカは別にそ――

「ありがとうございます。幸せになります」

――って、スイカ?」

 悪ノリしたのか、いきなり腕を組んで力強く頷いたスイカ。
 彼女は、ごちそうさまといった感じで肩をすくめる店員には聞こえない小声で、どこか楽しむように笑って見せた。

「ここは間に合わせるために、申し訳ないけど、そういう関係だと思わせておかないと。ここまで来て、リオンの誕生日プレゼントとしてあげられないのも困るだろう?」

「それは……まぁ、確かに。けど、いいのか? 俺とそういう風に見られることに抵抗とか?」

「別にないよ。わたしにとってジュンタ君は、最初に会ったときからずっと特別な人だから」

 その、当然のことのように言ったスイカの一言を、ジュンタはどう受け取ればいいのか分からなかった。

「じゃあ、ジュンタ君。ほら、自分とリオンの分の細工を選ばないと。こればっかりはわたしが選ぶことはできないから」

「……そうだな。じゃあ、悪いけどもう少しだけ付き合ってくれ」

 先程の言葉をさして気にした風もなく、紙とペンを取り出す店員の手元をスイカは覗き込む。

 ……きっと彼女にとって、先程の言葉は大した意味を持っていなかったのだろう。
 だからスイカの耳が赤いのは気のせいか――あるいは夕焼けの所為だと、そうジュンタは思うことにした。


 

 

「『硝子の口紅ルージュグラス』は主に結婚式の引き出物や、夫婦などが購入するペアグラスだな」

「……そう、ですの」

「最近ラグナアーツでは流行っていて、男女で購入したのなら、その男女は七割方夫婦、三割方カップルと思って間違いないと、そう言われている奴だ。確か」

「……………………」

 人もまばらになった通りから、ヒズミはリオンと共にガラス細工店へと足を踏み入れたジュンタとスイカの二人を、隠れて観察し続けていた。

 半日買い物を続けた二人は、何を買うつもりかはわからないが、ここでようやく買う品を見定めたらしい。店のカウンターの前で店員相手に腕を組んで何かを購入しようとしている。いや、二人が何を購入しようとしているかは、店に入る前の二人の様子を見れば一目瞭然だった。

 リオンもその辺りのことは理解しているようで、先程から口数が少ない。ショックでも受けているのかとヒズミは盗み見て、ぎょっとなる。

「ちょ、シストラバス! 何お前泣いてるんだよ!?」

「な、泣いてなどいません! 少し目が潤んでいるだけですわ! 侮辱は止めていただけます!」

「ほぼ泣きかけてるってことじゃないかよ! しかも侮辱ってなんだ、侮辱って!」

「悲しみの涙を流していいのは、親の腕の中か将来を誓い交わした方の腕の中と決まってますのよ。騎士であり淑女たる私が、あ、あんな、あんな二人で、二人でペアグラスを購入しているところを見たぐらいで、ええ、泣くものですか!」

 潤んだ瞳を拭わず、毅然と腰に手を当ててリオンは胸を張る。
 ヒズミは呆れたものか感心したものか悩み、結局どちらもせず視線を前に戻した。

「僕は別にお前が泣いてても、泣いてなくてもどっちでもいいけどさ。あんまり注目集めるような真似はしないでくれよ」

「だから泣いてないと言ってるでしょう!? それに、それは貴婦人に対してあんまりな言葉ではなくて?」

「慰めろっていうのか? 嫌だね。なんで僕がそんな意味のないことをしないといけないのさ」

「……それは、まぁ確かに。あなたに慰められたところでまったく嬉しくありませんし。これがジュンタなら別ですけど」

 なぜか納得した様子でシストラバスも二人の監視に戻る。そこで納得されるのも悲しいものがあるけど、あえて口にはしない。ヒズミは苛立った様子で、しかしどこか退屈な様子で監視を続ける。

 正直に言ってしまえば、ヒズミはジュンタとスイカが何のために買い物に出かけたのかもう気が付いていた。

(そういや、こいつの誕生日って明後日だったんだよな。誕生日ってこと半ば忘れかけてた)

 チラリと横を盗み見れば、そこにはさすがのヒズミでもドキッとしてしまうほどの美貌がフードに隠れていた。しかもいつもの怒っているような顔ではなく、今は寂しそうな、羨ましそうな表情を見せていて、こう、思わず守りたくなる危うさを孕んでいた。

(それでも、僕はどうこうしようとは思わないけどね。そうさ、僕は姉さんだけが……)

 明後日誕生日を迎える少女のパーティーに、ヒズミもまたスイカと共に招かれていた。招かれる前から行くつもりではあったが、今日正式に招待状も滞りなく届いた。

 つまりは二人が出かけたのはそういうことなのだろう。自分が招待状を見て何か適当にプレゼントを買っていくべきかと思ったように、ジュンタもまたリオンへの誕生日プレゼントを探しに来たのだ。スイカを誘ったのは、自分と違い本気でプレゼントを探すつもりだからか。

 二人は別にデートをしているでも何でもなかったのだ。今二人が自分たちのために購入しているように見える『硝子の口紅ルージュグラス』も、実際はジュンタがリオンにプレゼントしようと決めたものなのだろう。

 隣でリオンが落ち込んでいるが、本当に意味がない。慰める価値もない。どうせ明後日には、その悲しみの分が全部喜びに変わるのだ。精々悲しんでろ、という感じである。

(まぁ、元からサクラの奴がシストラバスを好きだってことは知ってたけど、まさかこっちもだなんてね)

 半日無駄にしたと、ヒズミは熱の冷めた視線で二人の様子を見る。だからギリギリと奥歯を噛み締めるような音が自分の口からもれているのだと気が付くのに、かなりの時間を必要とした。

(……シストラバスの誕生日プレゼントを選ぶために、どうして姉さんを連れていくんだよ、サクラの奴)

 たとえ姉とジュンタがデートをしているわけじゃないと気が付いてなお――いや、気が付いたから尚更にヒズミは苛立ちを募らせていた。ジュンタとスイカがカモフラージュのために腕を組んでいるのを見るほどに、血が頭に上ってくる。

 ヒズミだって色恋沙汰に疎いわけではない。ジュンタがリオンを好きなことに気付いたのだから、もっと長い時間一緒にいた姉が誰を想っているか気付かないはずがない。姉の態度はかなり素直だったから、たぶん想われている本人と恋愛に鈍い奴以外は皆気付いていることだろう。

(よりにもよってどうしてあいつが……姉さんにとっての特別なあいつが、どうして……!)

 ヒズミは奥歯を噛み締め、拳を強く握る。そうしなければ、今にも二人の許まで行ってジュンタの奴を殴ってしまいそうだった。

 この結果には納得がいかなかった。ジュンタならもしもの際姉のことを任せられると、本当に認めたくはないが少しだけ認めていたから、今他の女性へのプレゼントを選ぶ彼の隣にいるスイカを見て悔しかったのだ。

 ……結局のところ、姉はそうなのだ。自分よりも自分の大切な人のことを優先させる。いつだって笑って。

(悔しい。僕を頼ってはくれないのに。姉さんが唯一頼ろうとする王子様があいつなのが!)

 おかしい。絶対におかしい。ジュンタだって知っているはずだ。理解しているはずだ。たとえ否定しても、自分たちが仲間であることにはもう薄々気付いているはずなのだ。

(……そうさ、大丈夫。大丈夫だ。何の問題もない。あいつだって、最後は姉さんを選ぶはずだ。だって――

 紅い髪の少女を見て、黒髪の男女を見て、ヒズミは小声で呟いた。

――僕たちが戻るべき故郷は、一緒なんだから」

 


 

       ◇◆◇


 

 

 急くように政務に取り組んでいたフェリシィールは、大きな案件が終わったのと同時に、僅かながら休息を取ることになった。

 正直取るような時間も、取るつもりもなかったのだが、秘書として作業を手伝ってくれたルドールから制止の声がかかったのだからしょうがない。たとえ主従の関係とはいえ、いや、だからこそフェリシィールは自分の身を案じてくれるルドールの優しさを拒めなかった。

「なのに、何も一人にしていくことはないでしょう」

 不満たっぷりな呟きをもらして、フェリシィールは自分で用意したホットチョコレートをすする。舌にピリリとする香辛料とカカオの苦みのコラボレーションが何とも言えない。

 これさえあれば夜の政務もこなせそうだが、しかし日も暮れた今、広い部屋に一人というのも少し寂しい。先程まで隣にいたルドールは半ば強制的に休憩させたあと、どこかへと行ってしまった。

(こういう場合は付き合うのが普通でしょうに。ルドールったら、一体どこへ行ったのでしょう。まったく、体調などには気が利くというのに、こういった方面では気が利かないんですから)

 貴重な時間を割いてのティータイムだというのに、ルドール不在で一人きりだなんて空しいではないか。それでも素直に政務の手を止めている自分もあれだが。

 そうこうフェリシィールが自分の巫女への不平不満を心の中でぶつぶつと呟き、刻一刻と迫るタイムリミットへの焦燥感を誤魔化していると、何ともマイペースにトントンと部屋の扉がノックされた。

「ルドール? ようやく戻ってきたのですか? もう、遅いですよ」

 カップをテーブルに置いて、フェリシィールはソファーから立ち上がって扉へと向かう。

「あら?」

 果たして、開いた扉の向こうには何喰わぬ顔をしている少年の姿をした老人と、その孫である少女が立っていた。

「こんばんは、フェリシィール様」

「クーちゃん、来てくれたのですか?」

「儂が連れてきたのですよ。ちょうど神居の中におりましたので、お邪魔でなければ休憩にご一緒させようと思いましてな」

 開けた先にクーがいたことに目をパチクリさせるフェリシィールに、淡々とルドールは孫娘が一緒にいる理由を説明する。その揺るぎない静かな瞳が伝える思いやりのほどを、フェリシィールはすぐに察した。

「そう……ありがとうございます、ルドール」

「はて? 何かお礼を申されるようなことをした覚えはありませんが」

「ふふっ、なるほど、そうかも知れませんね。ルドールにとっても、クーちゃんは大事な大事な孫娘なのですから」

「むっ?」

「え? えっ?」

 主に黙って主のためを成したルドールは、だけど詰めが少しだけ甘い。何もクーを連れてくる間一人きりにしなくてもいいではないか。というわけで、意地悪と知りつつも微笑みを向けると、彼は小さく唸って黙り込んでしまった。

 事情も知らず連れて来られたクーが困惑しているので、フェリシィールはそれ以上何も言わない。ただ、深く自分の従者の気遣いに感謝しつつ、クーと目線を合わせた。

「クーちゃん、少しの間わたくしのお話相手になってくださいな。おいしいホットチョコレートを振る舞いますから」

「……は、はいっ! こちらこそ不束者ですかよろしくお願いします!」

 一瞬の返答の遅れは、たぶんホットチョコレートの所為だろう――少し悲しい。どうして同じ材料から作られたショコラは人気なのに、ホットチョコレートは人気がないのだろうか。こんなに美味しいのに。

 クーが甘いものが好きなことを知っているフェリシィールは、テーブルに案内したあと自分が用意させた焼き菓子をクーに振る舞おうとする。
 リタに用意された品だが、元より一人では食べきれないほどにある。決して足りなくならないよう食べきれないほどに出すのは、余ってしまって勿体ない気もするが、料理人の最高峰の誉れと呼ばれる聖地の料理人の伝統に口を挟むのも気が引けた。

「さぁ、どうぞ。クーちゃん。安心して飲んで下さいね。ホットチョコレートではありませんから。ルドールも、あなたまで立っていたらいつまで経ってもクーちゃんが座れないでしょう?」

「ふむ、そうですな。儂もご一緒させていただくとしましょう」

「あ、その、ありがとうございます。いただきます」

 これまた用意されていた紅茶を手ずから新しい二つのカップに注ぎ、フェリシィールはクーとルドールに差し出す。立っていた二人は真向かいの席に並んで腰掛けた。

 クーがやってきたから何度も見た光景なのだが、クーもルドールも未だ慣れないといった感じの空気を少し発している。クーの使徒相手で恐縮してしまうのは巫女となった今でも変わらないようで、またルドールも孫と一緒にティータイムを過ごすことに戸惑いを感じているよう。

(こうして見れば、どこからどう見ても家族ですのに)

 紅茶に手を伸ばす二人の関係は祖父と孫娘であるが、見た目が若いルドールとクーが並べば、どこからどう見ても兄妹といった感じだった。余所余所しくもなく、しかし決して親しいわけではない。自然な距離を自然に作れるあたり、やはり二人は家族だった。

 明後日の夜どうなるかわからない今、フェリシィールは酷くこの瞬間が大事に思えた。

 それを予測してルドールもクーを連れてきてくれたのだろう。
 自分とて付き合うのだから、もしものときを考えて孫娘であるクーを連れてきたというわけではない。彼はあくまでも主のためにクーを連れてきたのだ。

「そういえば、クーちゃん。ランカの街にわたくしが行ったとき、ルドールと一緒に修行をしていたようですが、何か理由でも?」

 不器用な自分の巫女と、クーがいてくれるだけで嬉しく思えてしまう現金な自分に心からの微笑みを浮かべ、フェリシィールは会話の口火を切った。

「あ、いえ、特にそういう理由があるわけではありません。折角おじいちゃんと会えたから、修行を見てもらいたいと思っただけで」

「そう、でもルドールの修行はとても厳しいから、無理はしてはいけませんよ? ルドールも、クーちゃんをあまり虐めたりすると、わたくしが許しませんからね」

「ご安心下さい。主に対して教示した修行の、大体二割り増し程度の修行しか施していませんから」

「そのどこに安心するべき点があるのでしょうか? わたくしがあなたを師として仰いだ修行では、日に何度も気絶させられるほどに酷使させられた覚えがあるのですけれど。修行場として使った場所も、いつも終わりの頃には更地になっていましたしね」

「魔法の魔力総量をあげるには、限界までの行使が必要ですからな。主を限界まで追い詰めるとなれば、そうなっても致し方ありません」

「わぁ、すごいです。フェリシィール様。私が修行をしても、辺りが凍りつくだけで終わってしまいますから」

「そんな、大したことはありませんよ。がんばりをいえば、クーちゃんの方が何倍も上ですよ。ねぇ、ルドール?」

「まぁ、そうですな」

 家族の前だからといって、いつもと変わらぬ落ち着きようを見せるルドールと、純粋に尊敬の眼差しを向けてくるクー。何か間違っているような気がしたフェリシィールだが、気のせいだとして少し照れたように頬を染めた。

 とりとめのない話はそうして続いた。巫女と、娘のように思っている少女との会話は何の気負いもなく続き、フェリシィールの身体から疲れを奪っていった。
 
 ……どうやら、思いの外自分は気負っていたらしい。使徒として、また先達として、様々な意味でのズィールとの果たし合いを前にして、知らず肩に力を入れていたようだ。

 自分の言葉に、ルドールの言葉に、一喜一憂する少女を見てそれがわかった。自分の自然体というものを忘れてしまうとは、ルドールに気遣われてしまうのも無理ない話か。
 しかし、そんな彼もまたどこか肩を張っていたよう。主の話をするクーのとろけきった顔を見つめるルドールの姿は、先程よりもどこかリラックスしているようだった。

 自分と二人きりでいたときとは違う温かな眼差しに、ちょっとだけフェリシィールは嫉妬してしまった。仕方がないこととはいえ、やはりルドールにとってクーは特別なのだ。

「そこでご主人様は、私の手を握って下さったんです。それだけで私はもう、何でもできるような気がして」

「普通は逆なのだがな。まぁ、お前らしいといえばお前らしいか」

「あうぅ、今度はご主人様に安心してもらえるようにがんばります」

 使徒フェリシィールの巫女ルドール――本名ルドーレンクティカ・リアーシラミリィは、三百の時を生きた森の賢者である。

 その瞳は長き時代を知り、その耳は多くの知識を聞き、その指は多くの神秘の秘技を操る。まさに『賢者』と呼ぶべき力と風格を持つ巫女だ。歴代の巫女の中にあっても、彼ほどの逸材はそうはいなかったと自負している。

 自分にとっての何よりの幸福とは、そんな相手が自分の巫女となってくれたことか。彼はいかなるときも自分の傍に控え、様々なことを教えてくれた。

 ……しかし、それが結局一人の少女に寂しい想いをさせてしまう結果をもたらした。
 それこそが、フェリシィールが最初にクーヴェルシェンという少女を気にした理由だった。

「ときには辛いことがあるだろう。敵わないと思う敵を前にすることもあるだろう。しかし、決して諦めてはいけない。主が諦めない限り決してな。それが巫女だ、クーヴェルシェン」

「はいっ、おじいちゃん! 絶対に諦めません。ご主人様といつまでも一緒に居続けます!」

 親しそうに話をしている二人には、しかしほんの少しだけ欠けているものがあった。それは家族としての会話とか、そういう類のものだった。

 あえて避けているとか、そういう感じは見られない。それも当然だ。昔から二人は『家族である祖父と孫』というより『尊敬すべき巫女の祖父と教えを受けるべき孫』という構図に近かった。それが当然だったから、今ではもう違和感すらない。

(そう、あれからもう十年経ったのですね)

 クーが始めて神居にやって来た日のことを、フェリシィールはまだ克明に覚えている。

 彼女がやってくるだいぶ前から、フェリシィールはルドールが何か悩みを抱えていることに気が付いていた。生まれたときから一番傍にいた相手だ。滅多に態度を変えない彼だ。わからぬはずがない。だけどフェリシィールは心底から自分の巫女を信用していたから、彼が何も言わない内は何も聞かないものと決めていた。

 そうして待つこと数ヶ月――何やら調査を行っていたルドールは、冬のある日ようやく自分が抱えている問題を話してくれた。即ち、『自分の不肖の息子が、こともあろうに異端教徒に手を貸している』という話を。

 アンジェロ・リアーシラミリィ――ルドールの一人息子である彼が、聖神教の信徒であることを止め、ベアル教という組織に入団したというのだ。当時はベアル教の存在も明るみになっていなかったが、それでも巫女であるルドールは、自分の息子が異端教徒であることは良くないことだと、そう申し出た。

『しばらく休暇をもらってもよろしいか。息子に対し何もしてこなかった儂だが、それでも儂はアンジェロ・リアーシラミリィの父親なのです。責任を、果たしたい』

 そのとき始めて知った。彼に息子がいたことは知っていたが、自分とその息子が片手の指しか離れていないことを。それが意味し、自分が知らず彼から奪っていた『父親との時間』というものを。

 使徒に選ばれたものが生まれてすぐ聖地へ招集されるように、また巫女として選ばれたものも聖地にやってくる。そうしてルドールは生まれたばかりの息子に背を向けて、主となった相手とずっと一緒にいたのだ。

 その間、アンジェロには父親がいなかった。母親は彼が十歳ほどで死んだという。フェリシィールがルドールと一緒にいた分だけ、彼は独りぼっちだったのだ。

 それが結局、彼がベアル教に入団した理由かはわからない。彼はやがてエチルア王国の『満月の塔』でドラゴン研究に携わるようになっていたから、それが理由でベアル教に入ったのかも知れない。ただ、どんな理由であれ、ルドールとしては気にかけずにはいられなかったのだ。自分の息子が異端教徒となってしまったことを。

 ……言ってしまえば、ルドールは離れていたときもずっと気にかけていたのだ。故郷の森の残した息子のことを。

(わたくしはルドールを行かせた。それが良かれと思って。けれど、そこでルドールにさせてしまったのは、実の息子をその手で裁かせるということ。人の営みを踏みにじられて誕生した孫娘を隠れて連れてくるということ)

 怪我を負ったルドールがオルゾンノットより聖地に帰ってきたとき、その手は目に光を宿していない少女の手を引いていた。出迎えてその少女の容姿と、ルドールの凪いだ湖面のような表情を見て、すぐにフェリシィールは後悔した。

 自分がもしかしたら、アンジェロを狂わせてしまったのかも知れない。自分が使徒として生まれたことで、巫女となったルドールの家族を狂わせてしまったのかも知れない。

 ルドールは何も言わなかったけれど、フェリシィールはそう思った。だからせめて、唯一残ってくれた彼の家族を大事にしようと思ったのだ。

 一度間違え、また間違えてはいけないと、家族として接することを避けるようになったルドールの代わりに、本当の親を失った原因が自分にあるかも知れない少女と彼を幸せな家族にしてみせようと。それがいつしか自分も家族になりたいと、そんな風に思うようになって今に至る。

 フェリシィールは生まれてすぐ故郷のティンクの森を離れ聖地に来たため、家族というのものを知らない。だからクーとルドールが家族としていられているか、実際はわからない。けれど二人が話している姿を見るのが何よりも大好きだった。

 だからこそ思ったのだ。もう一人自分が家族になりたいと思った相手とも全力で向き合おうと。

(わたくしはがんばれる。たとえズィールさんと戦う形になっても、きっとがんばれる。ルドール。あなたが見せてくれた家族としての義務を、わたくしも果たしてみせます)

 皆のためとか、使徒だからとか、そういうのはもしかしたらどうでもいいのかも知れない。元より自分の我が儘さ加減は心得ている。そう、もしかしたら本当は、ただ自分の大切なもののためにだけに戦おうとしているのかも知れない。

 変わろうとして、でも変われなかったらしい自分を笑って、フェリシィールは大事な大事な、初めての家族となった男性に訊く。

「ルドール。あなたは、わたくしが諦めない限り、わたくしの傍にずっといてくれますか?」

『神の座』に辿り着くことを諦めたあとも、ずっと傍にいてくれた従者は、やはり大きな感情の起伏は見せずに穏やかな水面のような目をしていた。

 クーはじっと固唾を呑んで、自分の親であり敬愛する巫女の返答を待つ。

「この肉この血この魂の一欠片まで、全てを主に捧げん。
 救世の道を辿り、神託を賜る我こそ、唯一使徒の従者を許される者なり。
 忠誠こそ我が名誉。我が名誉は永劫にあなたの傍に。
 使徒フェリシィール・ティンク聖猊下が巫女――ルドーレンクティカ・リアーシラミリィ」

 そうして、いつか誓った誓約をまた口にして、ルドールはどこか悪戯っぽく笑った。

「このルドーレンクティカ。御身と孫娘の花嫁姿を見るまでは、ずっと見守り続けるつもりですぞ。自分の選んだ道の、その結果を。もっとも、どうやら主よりもクーヴェルシェンの方が早くなりそうですが」

 ああ、だからこの人が大好きなのだと、フェリシィールは頬を膨らませた。

「もう、見ていなさい。すぐにでも今の仕事を片付け、お婿さん探しを再開し、あなたが泣いてしまうような立派な結婚式を開かせていただきますから。そのときはもちろん、あなたにわたくしの父親役として出てもらいますからね」

「きっと、それは涙が出るほど嬉しい役目になるでしょうな」

「フェリシィール様の花嫁姿……きっと、とても素晴らしいものになると思いますっ」

「ふふっ、ありがとうクーちゃん。そのときはもちろん、クーちゃんにブーケを投げますからね」

「その前に投げられなければ、の話ですがな」

 なんて意地悪なことを言うのだと、フェリシィールは頬に朱をいれる。
 きっと、一番自分が結婚できない理由にいそうな人は、のほほんと紅茶を飲んでいた。

 大丈夫。明後日までも、その先まででもがんばれよう――使徒が諦めない限り巫女も諦めないのように、巫女が信じてくれる限り使徒は使徒でいられるのだから。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 リオンへの誕生日プレゼントを選んだジュンタは、スイカを送るために一路アーファリム大神殿へと戻る道を進んでいた。

 空は暗い。陽はもう落ちており、通りの家々からも淡い光が灯っている。空には満月に近付きつつある月が輝いていて、水路にこれでもかというぐらい光を落としていた。

「こんな時間まで付き合わせて悪かったな」

 手ぶらながらも、確かな満足感を胸にしていたジュンタは、ここまで付き合ってくれたスイカに申し訳なさそうな顔を向ける。

 スイカは「ん」と小さな声をもらして、首を横に振った。返された眼差しには、偽りない温かさがあった。

「気にしないで欲しい。わたしは最初から、ジュンタ君に付き合うつもりだったから。むしろ、ちゃんとジュンタ君が欲しい物が見つかるまで付き合っていられたことが嬉しい」

「そう言ってくれると救われるけど、やっぱりなんか気が咎めるんだよな。一日付き合ってもらったのに、俺がしたことといえば昼食とおやつをおごっただけだし。何かちゃんとしたお礼はしないとなぁ」

「そんな、本当に気にしないでいいのに。お礼だなんて」

 軽く手を振るスイカは、視線を大通りの集合地点と呼ぶべき前方――もう少しで到着するアーファリム大神殿を見やる。先程とは打って変わって、その視線はどこか残念そうだった。

「……うん。でも、そうだな。もしもジュンタ君がお礼をしないと気が済まないというのなら、一つわたしのお願いを聞いてくれると嬉しいな」

「お願い?」

 歩くスピードが遅くなっていって、やがて止めたスイカの口から出た言葉に、ジュンタもまた足を止める。一日付き合ってもらったことに酷く感謝しているから、そう言われたら答えるべき返答は決まっていた。

「ああ、いいぞ。俺にできることならなんでもな」

「本当に? あとで無理とか言わない?」

「そ、それは……なんだ。無理とか言ってしまいそうなお願いなのか? もしかして」

「無理じゃない……と、信じたい。無理だと言われたらわたし、泣いてしまうかも知れない」

「それは難易度がとても高そうですね、スイカさん」

 スイカが泣くところなど想像もできないジュンタは、軽く引き受けてしまったことに今更ながら危機感を持つ。もしかしたら自分は、とてもとても大変な相手に安請け合いをしてしまったのではないか、と。

 冗談なのか本気なのかわからないスイカ。だけどジュンタは彼女がそんな難しいお願いなんてするとは思えなかった。

「男に二言はない。よし、どんとこい。精一杯がんばってみるから」

「それじゃあ、お願い――

 そう、スイカという少女のお願いなんて、本当に些細なものだった。

 それでも彼女にとってはとてもとても大事なことで、


――――わたしのことを、思い出して下さい」


 その一言を告げるだけに、スイカは時間をたっぷりと使った。

 真剣に、哀願するようにどこか目を潤ませてスイカは訴えてきた。自分のことを思い出して欲しい、と。

 ズキン、と鼓動したのは、闇か、それとも心臓か。まっすぐに見つめてくる瞳の真剣さに呑まれていたジュンタは、なぜそんな質問をされたのかがわからなかった。

「……スイカのことを、思い出す…………?」

 思い出すということは、つまり忘れていることが前提だ。しかしジュンタの記憶の中、スイカに関して忘れている事柄はないように思えた。出会ってから彼女の過ごした時間は、時の中で埋没するほどに呆気ないものではなく、また多くもなかった。

 それでも――自分はきっと、何かスイカという少女について忘れていることがあるのだろう。

 スイカの嘆願は真剣だった。言葉にしてしまえば簡単だけど、それでも決して些細ではない頼みだった。

(俺は、スイカについて、何か忘れているのか……?)

 無言のまま、二人の間を風が通りすぎていく。

 風に靡く黒髪は、夜の光に溶けてしまいそうな柔らかな黒色――これまでの人生で一番目にしたことの多い髪の色。スイカという少女から受けるイメージは、懐かしくも感じる香りは、どうしてもジュンタに故郷の日本のことを呼び起こさせた。

 もしかしてスイカ。お前と俺が始めて出会ったのは、あのとき聖地ラグナアーツの裏道じゃないのか? ――思わず出そうになったその言葉を、ジュンタはすんでのところで呑み込めた。

「わかった。思い出す。俺が何かスイカのことで忘れていることがあるなら、必ず」

 訊くべきではない。と、そうなぜか思ったから、ジュンタはお願いに対する受領の言葉だけを返した。

 スイカは止めていた息を吐き出すように、心からの安堵の吐息を吐き出す。

「よかった。それじゃあ、期待してる。……忘れられたまま負けるだなんて、それだけは嫌だから」

 そのあと続いた言葉の最後は、吹く風に乗るように楽しげにステップを踏むスイカの足音に紛れて、ジュンタには聞こえなかった。

 ただ、嬉しそうな笑顔だけが印象的で……だけどジュンタの記憶の中に、黒髪金眼の少女は、どこを探してもいなかった。 









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