第四話  黒曜の使徒


 

『ナンパに行こう!』――南巡礼都市サウス・ラグナに到着した途端のラッシャの発言に、ジュンタは呆れてものも言えなかった。

 南巡礼都市サウス・ラグナは騎士の王国、グラスベルト王国との国境近くに面する巡礼都市であり、多くの巡礼者が休憩場所として好んで集まる場所である。

 グラスベルト王国に近く大平原に面しているため農地として栄えており、他の巡礼都市と比べれば牧歌的な印象を受ける。近年では一番近くの商業都市ランカの発展に伴い、大陸中へと流れる商業の輸送中継点としても栄え始めた。東巡礼都市イースト・ラグナが海上物資の豊富な都市なら、サウス・ラグナは陸上物資が豊富なのである。

 ランカから馬車で一日かからない位置にあるサウス・ラグナに朝早くランカを出たジュンタたち一行は、夕方に差しかかる前に到着した。

 ここから聖地までは二日かかる。それは馬車でも徒歩とあまり変わりない。山越えをしなければいけないからだ。

 ここから山の麓を回って東巡礼都市イースト・ラグナに行き、そこから陸路や水路を使う手段もあるが、やはりこれにも日数的には同じぐらいかかる。ということで山越えはすでに決定。さすがに強行軍をあのリオンが取るわけもなく、今日はここで休むことになっていた。

 泊まった宿は当然の如く最上の宿。リオンのポケットマネーから支払われ、竜滅姫一行ということで街の司祭らまで出てきての歓待を受けている。さすがは竜滅姫であり聖地。敬虔な信者らのリオンを見つめる視線は、もはや使徒を見る瞳をそう変わりなかった。

 というわけで荷物を宿に置いたジュンタは、街の代表たちへの対応に忙しいリオンと、彼女を補佐するユースとは別れ、ラッシャと共に街に繰り出したわけだが……

「というわけでナンパに行こうやないか!」

「いや、何がというわけかさっぱり分からないし、二度言うな。こんなことならやっぱり、クーやサネアツと一緒に魔法の触媒収集にでも行っておくべきだったか」

 同じく暇をもてあましたクーとサネアツは、二人一緒に魔法の触媒を探しに出かけている。魔法使いである二人は戦いがあるからか準備に余念がなかった。ランカで揃えられるものは揃えたようだが、あって困るものでもない。ちょっぴり不安なのはサネアツが一緒に出かけたことか。

「いやぁ、すごいな。誰に付いていっても、絶対に問題が起きてた気がするからなぁ」

「なんや自分、問題なんて何もあらへん。ナンパやで、ナンパ。それ即ち綺麗に女の子に声をかけるっちゅう、紳士には当然の――へいっ! そこの胸元がきわどいお姉様! このラッシャ・エダクールと……あ、ちゃうねん。別にワイは自分の彼女に手を出そうとしたわけやなくてなぁ」

 話の途中で道行く綺麗な女性を見咎めたラッシャは、目にも止まらぬ早業でナンパしに向かった。しかし呼び止めたまではいいが、近くの店から女性の彼氏らしき巨漢がでてきて……すごい。ナンパってあんなに殺伐とした危険を孕んでいただろうか?

「…………な、ナンパってのは、こんな感じの楽しいもんっちゅうのがジュンタにもよく分かったところで一緒にやろうや」

「うん、いいよ。何かもう、あまりにもお前が哀れすぎるから付き合ってやる」

「おう、さすがやな自分! 男の生き様っちゅうのをよ〜く理解しとるな!」

 ボロボロになっても笑顔を絶やさず、ナンパを男の生き様と豪語するラッシャを見て、ジュンタは温かな笑顔で了承する……というか、リカバリーが早いな。

 ナンパが修行の一種だったかと半ば本気で悩みつつ、ジュンタはスキップするラッシャから微妙に離れて付いていく。

 サウス・ラグナの街並みは、やはり聖地と似たような白い建物が多い。整備もきちんとされており、白石の通りがどこまでも続いている。地平線の近くには小麦畑が黄金に輝いていて、ちょうど真夏の今が収穫のときのようだ。

 街行く人々も農民のような服装の人が多い。白い服をゆったりと着た聖神教の信徒も見るが、全体的に穏やかな空気が街中を満たしていた。

(聖地があってこその巡礼都市だ。聖地がもしもベアル教に陥とされたら、この光景もなくなるんだよな)

 守りたいのは自分の日常だけど、やっぱり見果てぬこの世界の美しいものは残っていて欲しい――ラッシャが見たことがないくらい真剣な目つきで道行く人々を観察している中、ジュンタは静かにそう思った。

 しばらくそのままジュンタはラッシャに付いていく。なかなかラッシャはナンパする相手が決まらないよう。熱い夏の日差しを浴びて汗が浮かび上がってきた。

「なぁ、ラッシャ。まだ決まらないのか?」

「もちろんや。ここは慎重に行くべきところやからな」

 どうせナンパの仕方を変えない限り、よほど奇特な女性か下心のある相手しか捕まらないだろうし、ジュンタはそれが分かっていて適当に付き合えばいいと思っていたので、ラッシャの慎重なやり方には疑問を覚えた。

「いつもはさっきみたいに少しでも綺麗な人を見かけたら速攻で行くのに、今日はなんで慎重なんだ?」

「時間があるときはいいんよ。ナンパの鉄則は数撃ちゃ当たるやからな……最近本当に鉄則が疑ってきたけど。しかし今日はもうすぐ夕方になるし、明日の朝にはすぐに出立や。ここは慎重を期して、一発必中でいかへんと」

「別にラッシャは特に聖地でやることは決まってないんだろ? なら、向こうで思う存分やればいいじゃないか」

「ちっちっちっ。甘い、甘いでジュンタ! 聖地の女の子はな、箱入り令嬢と同じくらい慎み深いんや。声をかけてもいい仲にはなかなかなられへん。分かるか? つまり聖地ラグナアーツに到着したなら、ワイは禁欲しなければならないんや!」

「いや、ここも一応聖地の中だからな」

「それにワイ、向こうについたらちょいやることがあってな。しばらく急がしなるからジュンタたちとも遊べへんし、合流できるのは姫さんの誕生パーティーぐらいで……おおっと、そうこう話している内に野郎つきじゃない別嬪さんを二人発見や!」

「大事っぽかった話より、そっちの方が重要なんだな。やっぱり」
 
 ついにラッシャが獲物と定めた同情に値すべき二人組は、ジュンタの視界内にはいない。どうやらかなり遠いところにいるよう。ラッシャは視力というよりもピンク色のエネルギーで、その存在に気付いたようだ。

「一人はゴスロリ調のかわいいタイプ。もう一人は男装の麗人っちゅう感じやな。前者はツルペタ。後者はボイン……くっ! 悩む。悩むでこれは! 仕方あらへん。どっちに行くかは自分に先選ばしてやるわ」

「じゃあ、後者の方でお願いします」

「うっし、即答やな。姫さんやクー嬢ちゃんに色目つかってるさかい、ツルペタ論者に成り下がってもうたかと思っとったけど、どうやらジュンタの広い守備範囲は健在のようやな! 
 さぁ、それじゃあ行くで。いざ、男の夢が叶うフロンティアへ! ……お? なんや、ジュンタが選んだ方が脇道に逸れてしまったで」

「お前の目は本当にどうなってるんだ? ああ、ツッコミが疲れる!」

 一分近く歩いてようやくラッシャの語る女の子の存在を確認できたジュンタは、隣のエロスエセ関西弁の脅威を再認識する。この男をここで矯正させることが、実は世の中の女性のために繋がるのではないだろうか。

 このナンパを経てそれを確認しよう――ジュンタが一人腕を組んで悟っている隣で、ラッシャは身嗜みを整える。

「悪いな、ジュンタ。けど、あっちの女の子を選んでしまった自分が悪いんやで? ここはワイが一人で先にパライソさせてもらうわ」

「行ってこい。俺はここで見学させてもらうから」

「男の背中を目に焼き付けたいっちゅうことやな。よっしゃ。それじゃあ、ワイの華麗なトーキングを見てるがええで!」

 ニカリと笑ったラッシャは、脇道の近くの店に背中を預け、足下に視線を注いでいる女の子へと近付いていく。

 ラッシャの言葉が正しければもう一人女の子がいたらしいが、今は黒いツインテールの彼女一人である。内気そうな彼女は身体を縮め、人の目から隠れるように俯いていた。もしかしたらナンパとかをしてはいけないタイプの女の子かも知れない。

「もしもアホなことをしたら、そのときは本当に矯正してやる」

 いつでも助けに入れる準備をしつつ、ジュンタはついに女の子に話しかけたラッシャを見守る。

 ラッシャは背一杯格好良く決めて女の子に話しかける。顔を上げない女の子は、プルプルと身体を小刻みに震わせていた。少なくとも、この時点でナンパ失敗は決定的だった。
 だが、それでもラッシャは諦めない。彼のパトスはこの行為を続けることでしか発散できないのか、執拗に女の子に言い寄っている。

「仕方ないな。おい、ラッシャ!」

「なんや、ジュンタ? ははぁ、わかったで。ワイからこの女の子を助けることで、この女の子の気ぃ引こうっちゅう魂胆やな。そうはさせへんで。このかわいらしい女の子はワイのメロメロトークですでにメロメロ――


「誰が……どこの誰が、かわいらしい女の子だって?」


 そのおどろおどろしい声が少女の口から紡がれたものだと気付くまで、ジュンタもラッシャも数秒のときを必要とした。

「女の子女の子って、僕のことを何度もお、女の子呼ばわりするなんて……!」

「うひょうっ、コイツはすごいで自分! まさかボクっ娘だったなんてな!」

「いや、待てラッシャ。何か様子がおかしいというかお前はよくこの状況そこを喜べるな!」

 怒りを噛み殺した少女の笑い声に、ジュンタは良くないものを感じる。
 受け身で戦いに巻き込まれた日々で会得した、それは危険察知の感覚だった。

 果たして、その多く危険回避を成功させた察知能力は、今回もまた真価を発揮する。
 ジュンタが、顔をあげた少女の手に握られた燃えさかる炎の弓の狙いがラッシャに付けられていることを察したのは、次の瞬間だった。

「ラッシャ!」

「へぶっ!?」

「消えろ。僕は、僕は――

 収束していく燃ゆる魔力を感知したジュンタはラッシャを咄嗟に蹴り飛ばし、放たれようとする矢の直線上に右の剣――ドラゴンスレイヤーを持って立ち塞がる。

 蹴飛ばされたラッシャが地面に倒れ込む。
 そのタイミングで、魂の叫びと共に見知った顔の少女――

――僕は男だぁぁあああああッ!!」

 ――――否、女装をした少年の手から、炎の矢は放たれた。

 


 

      ◇◆◇


 

 

 何がショックだったかというと、ラッシャにとってはナンパした相手が実は男だったという事実がショックだったらしい。

 その衝撃のほどは筆舌にし辛いらしく、矢は無効化されたというのに、ラッシャは倒れたまま燃え尽きたように意識を手放していた。本当にもうどうしようもない。矯正も無意味そうだ。放置しよう。主に明日への活力のために。

「はぁ、はぁ、はぁ……くそっ! 練り込みが足りなかったか」

「これ以上魔力を込められてたら、本気でやばかったぞ」

 燃えさかる朱の弓を構えた女装少年は、荒ぶる息を吐きつつラッシャを睨んでいる。気絶した手前これ以上攻撃する気はないようで、彼は炎を消した弓を懐へとしまった。

 ジュンタもまた、以前会ったことのある彼が武器をしまったことで、炎の矢を弾いたドラゴンスレイヤーを鞘に収める。そこで自分を睨んでくる彼のことを、もう一度よく観察した。

 身長百六十センチ近くで、少しやせ形。髪は珍しいことに黒く、ツインテールにして赤いリボンで結んでいる。凹凸のない身体にはフリフリヒラヒラのフリルがたくさんついたゴスロリドレスを纏い、半泣きで頬を染める姿は、うん、どこからどう見ても女の子でした。

「これは確かに、初見のラッシャが性別間違えるのも無理ないよな」

「なんだとっ! お前、僕は男だって……ん? お前まさか、サクラか!?」

「なんだ、今頃気付いたのか。ヒズミ」

 指差して大口開けて名前を呼んだ彼は、以前聖地に行った折に何だかんだで巡り会ったヒズミであった。おかっぱ風の髪でこそないが、その何とも言えない仕草は至近距離で見れば間違いようがない。彼の姉と二人揃って、短いながらもインパクトは十分だった。

「ななな、なんでお前がここにいるんだよ?! お前確か、ランカの方にシストラバスと一緒に帰ったんじゃなかったのか!?」

「ちょっと用事でな。これから聖地の方に行くところなんだ。ヒズミの方こそ、使徒と巫女は聖地にいるもんだろ? こんなところで何やってるんだ? ……しかもそんな格好で」

「へ? う、うわぁっ!?」

 胡乱げな瞳で頭の先からつま先まで見つめると、そこでヒズミは自分の格好を思い出したのか情けない悲鳴をあげた。

「まさかお前……はまったのか? 女装に」

「ち、ちがわいっ! 誰が好きこのんで女装なんてするか! これは姉さんが勝手に、勝手に……」

 その場でガクリと膝をつき、さめざめと涙するヒズミ。姉の言うことに逆らえないシスコンっぷりは、今なお健在らしい。

「なんで、どうして僕がこんな屈辱的な格好を……これも、これも全部お前の所為だぞサクラ!」

「俺の所為って……あの一回でスイカ、味を占めたのか」

「そうだよっ! あれからことあるごとに秘密裏に動く際はこの格好をさせられるんだよ! 最近は化粧までされてるんだよ! 男の尊厳ズタズタなんだよコンチクショウ!!」

 立ち上がったヒズミが涙ながらに叫ぶ魂の叫びに、ジュンタは感銘を受ける。

 グッと拳を握って、慰めるようにヒズミの肩に手を置いた。

「分かる。分かるぞ、ヒズミ。そのやるせない気持ち。俺もだ。封印したはずなのに、先生が罰ゲームと称してことあるごとに……くっ!」

「サクラ、お前……そうだよな。こんな格好をして苦しんでるのは僕だけじゃないんだよな。女物の下着をつけたり、あまつさえ『あれ? かわいいかも』とか思うのはお前も経験したことなんだよな!」

「あ、ごめん。俺それはない」

 ガーン、と擬音がどこかからか聞こえたと思えるほどに、はにかんだヒズミが煤ける。その場に体操座りして壁に向き直ると、地面にのの字を書き始めた。

「どうして、どうしてこんなことに……こんなはずじゃなかったんだ。僕だって本当なら、今頃華々しく格好良い男になってたはずなんだ……なのに身長もあんまり伸びないし、筋肉もつかない……いいんだ。どうせ僕はこれからもずっと、姉さんの玩具にされ続ける運命なのさ……」

「ヒズミ。その、何というか元気出せ。ある意味では女装が快感になってきたのはいいことなんじゃないか? 抵抗減って」

「抵抗以上に男としての矜持がズタズタになって致命的な何かが減るんだよっ!」

 ガーと吠えてヒズミは立ち上がる。もう本気で泣きかけている。それ程までにこの女装は彼の心を傷つけているらしい。それに気付いているのかいないのか。スイカ、何て恐ろしい子。

「そう言えばお前今日は一人か? スイカは一緒じゃないのか?」

「姉さん? そ、そうだ、落ち込んでる場合じゃない! サクラ、お前はさっさとここから消えろ!」

 鬼気迫った様子を見せるヒズミに、ジュンタは表情を引き締める。

「どうかしたのか? 前に助けられたからな。何か困ったことがあるなら力を貸すぞ」

「そうじゃなくてなっ! お前を姉さんと会わせたくないっていうか、ランカじゃなくてここで会うのは予想外というかあぁ――っ!?」

「だ〜れだ?」

 ヒズミがこちらを――正確にはその後ろを指差した瞬間、アルトボイスの女の子の声と共に、背中で巨大な膨らみがむにゅっと潰れた。

「な、ななななっ、なな!」

 視界が真っ暗に閉ざされる中、ヒズミの震える声と、背中に抱きついて手で両目を隠した少女の息づかいが耳に届く。

 ジュンタはこれが有名な『だ〜れだ?』だと知ると共に、その恋人がするような行いをした相手が誰か察する。ヒズミの様子と今話していたことから鑑みれば、分からないはずがなかった。

「ジュンタ君。わたしは誰だ?」

「スイカ、だろ?」

 もう一度問うた声に、ジュンタは軽く返す。
 すると目から手がどけられて、背中に押し当てられていた魅惑の膨らみが消えた。

 振り向けば、そこに黒い髪の少女はいた。

「うん、正解だ。久しぶりジュンタ君。また会えて嬉しいよ」

 巫女ヒズミ・アントネッリの姉――使徒スイカ・アントネッリが笑みを浮かべていた。

 

 


 プチリと何かが切れる音を耳にしたのだが、リオンにはそれが自分の血管が切れた音か、それとも引っ張っていたハンカチが切り裂かれた音なのかよく分からなかった。たぶん両方だと思われる。

「なんですのよ、ジュンタったら。折角早めに街へ到着するようにしたのですから、あいさつが終わるまで待っていてくれてもいいではありませんか。しかもそれだけでは飽きたらず、まさかこんなところで、お、女の子と、あんなうらや――破廉恥なことを!」

「リオン様。どうか落ち着いてください」

 宿にやってきた街のお偉いさん方から解放され、ジュンタを探していたリオンが見つけたものは、二人の少女と楽しそうに戯れる意中の少年の図だった。

 道の隅で何やら固まって、いやにくっついているジュンタたちを物陰からユースと共に見つめつつ、リオンは叫びそうになる衝動をハンカチにぶつけることで発散させる。哀れにも、すでにハンカチは見るも無惨な姿になっていた。

「ふ、ふふふ、何ですの? あの男。もしやナンパでもしていましたの? 許せませんわ。ええ、許してはいけませんわね」

「しかしながら、ジュンタ様も年頃の男性です。そういうことに興味を持たれるのは仕方がないことではないでしょうか?」

「それはそうかも知れませんけど。私だって、何も私以外と話すなとは言いませんわ。ですけど、何も旅先で私を放ってまでナンパに勤しまなくてもいいではありませんの。他の女性にそういうことを任せるぐらいでしたら、私が……」

「リオン様? 何をおっしゃられたか、申し訳ありませんが聞き取れなかったのですが」

「な、何も言っていません!」

 脳裏に浮かんだ『そういうこと』の想像を髪をかき上げる仕草で打ち払って、リオンは再びジュンタたちの観察に戻る。

 ジュンタと戯れている女性は二人。少々離れているが、リオンの視力は問題なく二人の容姿を判別できた。と言っても、片方は素顔を隠すよう大きなサングラスをつけているのだが。

「ジュンタ様が選ばれた方、お二方ともレベルが高いですね」

「ふんっ、私の方が容姿としては勝っていますわ!」

「リオン様と比べては誰だってそうですから」

 淡々と観察するユースの評価に同意はしないリオンだが、否定することもなかった。
 忌憚ない意見を述べさせてもらえば、間違いなくジュンタといる二人は美少女といえた。

 片方は凹凸の少ない身体に、フリルドレスがよく似合うツインテールの黒髪少女。恥じらうように黒眼を潤ませているところは、男性に保護欲を抱かせるのではないだろうか。

 もう片方は逆に豊かなプロポーションの少女だ。もう一人の少女の姉なのか、毛先のあたりをリボンで結んでる長髪の色が黒であることや、中性的な容姿といい似通った雰囲気がある。しかし着ている服は男性貴族が着るような礼服であり、胸の大きな膨らみがなければ女性とはわからないほどに決まっていた。

「……敵は長身の彼女の方ですわね」

 どこかで見た気もする少女二人を見やったリオンは、すぐさま敵がどちらであるかを悟る。

 ユースがなぜかと問いたいような顔をしたが、結局口にはしない。恐らくは気付いたのだろう。前者の少女の胸よりは勝っているが、後者の少女には大きさが負けているからなのだと。……口にしていたら怒っていた。ユースもあの少女並に胸が大きいからして。

「とにかく、要チェックですわ。これ以上何かあろうものなら、割り込んで差し上げましてよ」

「そのように気にせずともいいと思いますが。所詮は一時だけの巡り会い。明日にはもう別れる相手なのですから。それに……」

「それに? なんですの?」

 リオンは意味深に言葉を止めたユースを振り返り、

「それに、たぶんこれ以上盗み見するのは無理だと思われます」

 そこに多くのギャラリーを発見し、ぎょっとなって立ち上がった。

「紅い髪に紅い瞳……」

「間違いない。『始祖姫』ナレイアラ様の」

「竜滅姫リオン・シストラバス様だ!」

 その誰かの言葉が皮切りだった。一瞬で周りをぐるりと囲まれたかと思うと、誰も彼もがこちらを一目見ようと蠢き始める。

「ちょ、ちょっとお待ちなさい。私はジュンタが他の誰かと親しくならないように! それに詳しい女性の好みも――

 ありがたや、ありがたやと徐々に輪を縮めてくる聖神教の敬虔な信者の方々。
 視界の端で、ジュンタは二人の少女と並んでどこかへと移動を始めてしまった。

「そこをおどきなさい! 私は、私は……!」

「おいたわしや、リオン様」

 一人ちゃっかりと輪から抜け出しつつ、どうがんばっても抜け出せない人の輪に取り込まれてしまった主を、メイドはボロボロになったハンカチを繕いつつ憐憫の眼差しで眺め続けた。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 使徒スイカと巫女ヒズミ――二人とジュンタが出会ったのは、聖地でのクーにまつわる事件の折である。

 秘密裏に何かしらの代物を探していた二人と、目的の一致から協力してベアル教のアジトに入ったのが出会いの始まりといえる。そのときはクーのこともあったし、それほど長い間一緒に過ごしたというわけではないが、それでも二人が義理堅く優しい相手であることは理解できていた。

 そんな二人がどうして聖地ではなくサウス・ラグナ、しかもお供も連れず変装などをしているのか――答えは簡単だった。出会った当初と同じように、また二人はフェリシィールの目を逃れて何かを探しているのだろう。

 その点には触れることなく、ジュンタは気絶したラッシャを宿の部屋へと運び、その後同じ宿の別室を取っていた二人の部屋を訪れた。

「いらっしゃい、ジュンタ君」

「ああ、いらっしゃいました」

 扉をノックしようとしたところで、扉が開いて部屋からスイカが顔を出した。宿へと戻ったことにより外ではつけていたサングラスを外し、スイカは使徒の証である金色の瞳を晒している。

「それじゃあ、座ってくれ。お茶の準備はもうできてるんだ」

 部屋の中央付近に置かれたテーブルへと喜々として誘われたジュンタは、そのままストンと椅子に腰を落とす。

 ニコニコ顔のスイカが用意されていたカップに紅茶を注いでくれる。他にもテーブルにはクラッカーやジャム、スコーンなどがところ狭しと置かれていた。それを見るだけで、スイカがどれだけ歓迎してくれているかは一目瞭然だろう。

「ささ、飲んで欲しい。前回よりもおいしく淹れられたと思うから」

「それじゃあ、遠慮なく」

 差し出されるままにジュンタはカップを手に取る。
 スイカはティーポットを持って立ったままドキドキとした感じに見守っていて――一口。飲んだ瞬間口の中に薫り高い葉の匂いが広がった。

「ど、どうだろうか? あれから少し練習してみたんだけど」

「そうだな。蒸らす時間が少し短いし、カップの保温もまだ足りてないかもな」

「そうか……ごめん。自分なりに精一杯やったつもりなんだけど、いたらなかったようだ」

「だけど、かなりおいしいよ」

 しゅんと残念そうに肩を落としたスイカに素直な感想を伝えると、彼女はぱぁっと嬉しそうに笑顔を作った。

「ドキドキした。もう、ジュンタ君は意地悪だな。先に問題点をあげるなんて」

「いや、後に問題点を淹れるとおいしいって言葉が信じられなくなるだろ? 本当においしいと思ったから、後にしたんだ。それを意地悪と言われると困るんだけど」

「確かに、後で言われた方が嬉しいかも知れない。うん、嬉しい。とっても嬉しいよ」

 ウフフ、アハハ、と紅茶が入ったカップを片手に笑いあうジュンタとスイカ。短い付き合いで久方ぶりの再会だというのに、そうとは思えないくらい親しいオーラが辺りを漂っていた。

(やっぱり、スイカはどことなく話し安いんだよな)

 雰囲気というか間というか、ジュンタにはスイカという少女がどこか安心できる相手のように思えた。それはもしかしたら、同じ黒髪でどことなく故郷を思わせるからなのかも知れない。

「良かったらお代わりも淹れよう。茶葉もお茶菓子も一杯買ったから、何杯お代わりしてくれても構わないから」

「ありがと。それじゃあ、後でもう一杯くれるか?」

「次はもっとおいしく淹れてみせる。それこそ、ただおいしいとしか言えないくらいに」

「それは楽しみだ」

 何とも穏やかに時間が流れていく。窓の外では夕陽が輝いて、差し込む紅い光がスイカの黒髪を夕刻の海のように美しく輝かせた。それはどことなく郷愁を感じさせる、額に入れて飾っておきたいぐらい綺麗な姿だった。

――おい。どうして姉さんとサクラは、僕を放っていい雰囲気を作ってるんだ?」

 そんな感じで、二人だけの世界を作っていたジュンタとスイカの世界に割り込みをかけたのは、女装を文字通り脱ぎ捨てたヒズミだった。

 湿ったタオルを首にかけたヒズミは苛立った風にテーブルまでやってくると、スイカとジュンタの間の椅子に腰掛けた。そのまま用意されていた紅茶を一気飲みすると、姉と親しげに話をしていたジュンタを睨みつける。

「サクラ。お前、明日聖地に行くんだったな。なら、こんなところで油売ってる暇ないんじゃないのか?」

「なんだ、ジュンタ君はラグナアーツに来るのか?」

「しばらく滞在するつもりだけど、そっちはどうなんだ? 何しにここに来たかは、まぁ、訊かないけど。まだラグナアーツには戻らないつもりか?」

 ジュンタの質問にスイカとヒズミは顔を見合わせると、何やらアイコンタクトで会話を始める。さすがは姉弟であり主従。意志の疎通は完璧である。

「そうだな。わたしたちもこの辺りで帰ろうか」

「まだ僕らはここに残るからお前だけで聖地に行けって、はぁぁああ!?」

 訂正。意志の疎通は全然できていなかった。

「ちょ、姉さん! どういうことだよ? まだアレは探し出せてないだろ!?」

「そう、見つかっていない。先程の裏ルートも空振りだったし、これ以上探しても無駄だとわたしは判断する。フェリシィール女史を騙す形で出てきたんだ。そろそろ戻った方がいいと思うんだけど」

 なぎ倒す勢いで椅子から立ち上がったヒズミに、冷静にスイカは語る。
 それは内容の意味を知らないジュンタからすれば意味不明なことだったが、ヒズミから見れば反論できないものだったらしい。

「た、確かに。使徒フェリシィールは怒らせると恐いし、かなり怖いし、できる限り早く戻った方がいいとは思うけど怖いから」

「それじゃあ、決定だ。ジュンタ君と一緒に聖地に戻ろう」

「ちょっと待ってよ! 戻るのはこの際いいけど、どうしてこいつと一緒に戻らないといけないんだよ!? 僕らとこいつは仲良し子良しの間柄じゃないんだからさ!」

「そうなのか? わたしはてっきり、もう仲良し子良しだとばかり思ってたんだけど」

「少なくとも、別に一緒に行くくらいは何の問題もないだろ」

「だ、そうだ。何の問題もない。折角再会したんだし、目的地が同じでさよならというのはあまりに寂しいじゃないか。ヒズミ。なぁ、いいだろう?」

「うっ……!」

 スイカの潤んだ懇願の瞳を向けられたヒズミは、呻き声をあげて硬直する。
 そのまましばし悩んだのち、彼はガシガシと頭を掻くと、ふてくされたように椅子に座り直してテーブルに肘をついた。

「わかったよ。わかりましたよ! 別に姉さんがそうしたいっていうなら、僕は止めないさ」

「ヒズミ……お前、ものすごいお姉ちゃんが大好きな」

「…………そう言うところが嫌いなんだよ、お前は」

 照れるようにそっぽを向くヒズミを、スイカが慈しむような眼差しで見守る。

 その後彼女はティーカップに新しい紅茶を淹れてくると、

「それじゃあ、約束のおかわりを注ごう。それで、改めて再会の乾杯をしようじゃないか」

 本当に嬉しそうに笑った。どうしてそんなにも嬉しいのか、分からないほどの微笑みで。

 


 

 空はもう星空、夕食時である。通りの酒屋からは賑やかな声が響きだし、子供たちは家路を急ぐ。牧歌的なサウス・ラグナの夜は、どこか自然の中で感じる空気と似ている。

「う、うぅ、敬虔な信徒の方々のエネルギーを甘く見ていましたわ……」

 そんな通りをまるで暴れ牛にでも追い回されたかのような疲労ぶりで、リオンは少しボロボロとなりつつ宿を目指していた。

「ジュンタも見失ってしまいましたし、結局は早くに此処に到着した意味が全然ありませんでしたわ。これでジュンタが宿屋に戻っていませんでしたら、逆にマイナスですわよ」

 魔法灯の明かりに照らされ、淡い輝きに満たされた豪奢な宿。
 リオンはユースをお供に歩いていき、自分たちが取った部屋を目指す。

 リオンが取った部屋は大きな談話室があり、そこを経由する形でそれぞれの個室に行けるという形の部屋であった。浴場なども各部屋にはついておらず、談話室から行ける一つの個室として浴室があり、親しい人間が大人数で泊まるのに最適の部屋になっていた。

 そんなわけで、談話室へと続く扉を開けた瞬間、そこにジュンタの姿があったことにリオンは酷く安堵した。

「よかったですね、リオン様。ジュンタ様は最後まで行くことはなかったようですよ」

「当然ですわ。昼間の二人は、所詮は今日出会ったばかりの一時の女。宿に戻ればこの私がいるのですから、遊び以上のことが起きるはずありませんわ。もう会うこともないでしょうし。……ですけど、ジュンタが思わず女性に声をかけてしまったのは事実。淑女として、今日ぐらいは少しだけサービスしてあげてもいいかも知れません、わ……ね…………」

 安堵の吐息を吐いてしまったところをユースに見られ、繕うようにリオンは腰に手を当てて胸を張る。頬の筋肉がどうしようもなく緩んでしまったが、その辺りは不敵な笑みで誤魔化して……ジュンタの方を見た途端、完全に凍りついた。

「お、リオンおかえり。ユースさんも。遅かったな。どこ行ってたんだ?」

「リオンさん。お食事もう準備できていますよ」

「つまみ食いや、つまみ食い。ワイの心は空腹なんよ。ここは物理的に自棄食いせんとな」

「にゃにゃにゃ」

「僕の黒歴史を抹消したいのに。なんで下剤入りのワインを飲んでも平気なんだ?」

「ここの食事はとてもおいしいから、冷めない内に食べるといいと思うな」

 なぜだか、人間の頭数が二人ほど増えていた。両方ともが昼間見た黒髪で、片方は女ではなく男だけど、髪の長い方が紛れもなく昼間見た泥棒猫で……

「ジュ、ジュジュジュジュンタ! どうして、どうしてここに彼女がいますのよ!?」

「ああ、それな。驚くのも無理ないけど、なんでもラグナアーツに戻るらしくて。それでどうせなら一緒に行こうと思ってな。馬車の席数も残ってるし、別にいいよな?」

「よ、よくありませんわよ!? どうして私が、そ、そんな敵に塩を送る真似を――!?」

 昼間ナンパした女性が今なおジュンタの隣にいるという事実に、リオンはわななく。
 しかも一緒に馬車で聖地へ向かおうなんて……許せない。許せるはずがない。断固として反対の姿勢を取らなければ。

 そう思ったリオンに対し、背中を見せていた件の黒髪の少女が振り返る。

「すまない、リオン。いきなりなのは分かっているけど、できれば頼めないだろうか?」

「え? スイカ聖猊下!?」

 昼間サングラスで隠していた少女の素顔は、驚きのもの。
 燦然と輝く金色の双眸。申し訳なさそうに整った眉を曇らす彼女こそ、紛れもない使徒三柱――いや、四柱か――の使徒スイカ聖猊下その人であった。

「どうしてもダメだろうか?」

「…………いえ。どうぞ、ご同行してくださいませ。歓迎いたしますわ」

 それを知り、認めてしまった瞬間――貴き使徒のお願いに首を横に振ることなど、リオンにはできなくなってしまっていた。


 

 

       ◇◆◇


 

 

 巡礼者の道を行くジュンタとヒズミの二人が乗る馬車は、絶えず会話の華が咲いていた。

 いや、それを華と言っていいのか。二人の会話を耳にするサネアツとしては、甚だ疑問だった。

「やっぱりさ、理不尽だと思うんだよ。僕だって巫女なわけだしさ、もっと敬われて然るべきだろ? だってのに、誰も僕に優しくなんてないし、姉さんのお願いには逆らえないし!」

「お前を見てると、俺はまだマシだって思えてくるな。俺にはまだクーが優しくしてくれるし……けど、なんだかそれを見てリオンの怒りメーターが上昇してる気がするから、やっぱりそんなに変わらないのか。むしろスイカだけのヒズミの方がマシなんじゃないか?」

「姉さんだけだったら、そりゃマシさ。でもね、アーファリム大神殿の人間って濃いんだよ。使徒フェリシィールと使徒ズィールを筆頭にしてさ、もう濃すぎる連中ばかり。あの中で常識人が過ごしてみろ。胃が痛くなるのも当然っていう話になるんだよ」

「あ〜、それなんだか想像がつくかも。なんだか偉くなればなるほど、おかしな奴が多いからな」

 それは会話というより、愚痴り大会とか不幸自慢というべきものだった。

 しみじみと自分の周りにいる変人たちとの苦労を語る二人は、シンパシーが微妙に繋がっているようで非常に白熱している。二人して自称一般人らしいが、サネアツからしてみれば五十歩百歩である。

「う、ううっ、初めてだ。僕の苦労を苦労と思ってくれる奴は。お前のことは嫌いだけど、今日のところは仲良くしてやってもいい気がしてきたね」

「貴重なツッコミ要員だからな、俺たち。あんまりにもボケが多いもんだから疲れるのは当然……嫌だなぁ、何だが聖地に到着するのが無性に嫌になってきた。このまま一般人しかいない馬車の中で揺られていたい」

「同感! 僕もその意見には激しく同意する!」

(とはいえ、聖地ラグナアーツは目と鼻の先なのだがな)

 少年二人の休息のときはもうすぐ終了である。
 何やら重たい空気が漂っている女性衆の馬車。あの箱が開かれたなら、中から出てくるのは閉じこめられた苦労の種たちだ。二人がどうなるかは、もう容易に想像がつく。

「ヒズミ。これからも挫けないでがんばろうな、お互い」

「そうだね。きっといつかいいことあるさ、たぶん」

 二人に染みついてしまった察知能力は、本人たちも気付かれぬところで作動しているよう。互いに激励する二人の顔は『無理だよなぁ〜』と物語っていた。さもありなん。絶対に無理である。

「さてさて、今回は如何様なイベントが待ち受けているのか……前回は置いてけぼりだったからな。今回こそ聖地ならではのイベントを享受しなくては」

 むしろ無理にしてみせよう――ゴロゴロとあくびをしつつ、サネアツはそんなことを心中で思い描いていた。


 

 

「ところで質問何だけど、リオンとクーちゃんはジュンタ君とどういった関係なんだろうか?」

「私たちとジュンタの関係、ですか?」

 徐にスイカからそんな質問を投げかけられたのは、もう少しで聖地ラグナアーツに到着する頃。視界に美しい川が顔を出し、夕陽の輝きに紅い道を描いている時分のことだ。

 旅の道連れとなったスイカはリオンたちの馬車に、ヒズミはジュンタたちの馬車に乗り込むことになった。男子と女子とで完全に別れた形である。ここまでの二日の旅程、休憩を挟みながら進み、それなりに楽しくやれていた。

 使徒スイカは使徒として同年代の話し相手に餓えていたのか、ぶっすぅとしていたヒズミとは違って終始楽しそうで……いや、違う。今の質問を受けて初めて、リオンはスイカが楽しそうな本当の理由を理解できた。

 それは到底考えつかないようなことだけど、答えはこれしなかなった。

(もしかしてスイカ様、ジュンタのこと……)

 長い髪を指先で少し遊びつつ、掴み所のないような、ほんわかしているような、それでも間違いなく年頃の少女であるスイカは頬を赤らめている。

「どうなんだろうか? もしかしてどちらかがジュンタ君の恋人だったりは……?」

 それは二日をかけ最後だからきっと尋ねることができた、一番彼女が訊きたかった質問なのだろう。何気なさを装ってはいるが、金色の瞳は真剣そのものだった。

 リオンはフェリシィールに使徒とはいえ人と変わらないと聞いた手前、どうしても勘ぐって言葉を探してしまう。しかし純粋なクーは、慌てた様子で手を振ってスイカの質問にすぐ答えた。

「い、いえ、そんな恐れ多いです! 私はご主人様の従者を務めさせていただいているだけで、そ、そんな恋人だなんて!」

「それじゃあジュンタ君の恋人なのはリオンの方なのか?」

 クーの返答に安堵を見せ、それでも変わらぬ緊張と共にスイカの視線がリオンに向く。

 リオンはスイカの思惑を気にしつつ、毅然とした態度で質問に答える。嘘は付けない。

「いえ、私も違いますわ。ジュンタとは友人、と言うべき間柄でしょう」

「そっか。そうなんだ。ジュンタ君には今、特定の恋人はいないのか」
 
 ジュンタに恋人がいないと聞いてスイカが酷く安心した様子を見せたのを、リオンは見逃さなかった。

 すっと目が自然に細くなる。目の前の人が使徒であることは知りつつも、自然とそうなった。リオンの女としての直感が囁いていた。危険だと、目の前の『女』は危険だと――気が付けば、そんな台詞が口をついていた。

――今は、ですけど」

 その言葉を驚きの表情と共に受け取ったのは、スイカとクーの両方だった。

 二人の注視を受けつつ、リオンは決して物怖じしない態度で微笑む。
 
 スイカがジュンタにその手の感情を本当に抱いているのかは分からない。そもそもスイカとジュンタが過ごした時間は僅かな時間と聞いている。それこそスイカの一目惚れでなければ、あり得ないことであった。

 しかし、相手はあのジュンタだ。リオン・シストラバスの心すら奪った男である。使徒であるスイカといえど、心奪われた可能性は完全には否定できない。

「……なるほど。それは困った」

 スイカはただ納得した様子だけを見せて、馬車の窓から景色を眺める。

 ジュンタのことをどう思っているのか、リオンは訊きたい衝動に駆られたが、スイカのその物憂げな横顔を見ているとどうにも訊くことができなかった。

 そのまま馬車は、聖地ラグナアーツへと少年と少女たちを運んでいく。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 スイカとヒズミという旅の道連れを連れた一行が聖地ラグナアーツに到着したのは、ちょうどサウス・ラグナについた時刻と同じ頃であった。

 当初の予定ではシストラバス別邸へと向かうことになっていたが、スイカとヒズミの存在故に、まずまっすぐ聖地の街道を馬車で走りアーファリム大神殿へと向かった。スイカという金色の瞳を持つ使徒がいれば、もうフリーパスもフリーパス。全てが顔パスだ。

 しかし、その顔パスでも通れない関門が存在した。

「ようこそ、皆さん。よくいらしてくださいました。それと――

 礼拝殿に入った瞬間に立ち塞がった、フェリシィール・ティンクという名の聖地の大ボスその人である。

「お帰りなさい。スイカさん。ヒズミさん」

 出迎えにやってきてくれたと思しきフェリシィールは、にっこり笑顔でまず二人の無断外泊者の名前を呼んだ。

 スイカがビクリと肩を震わし、ヒズミに至ってガクガクとマジ震えを始める。

「前に申しませんでしたか? もしも出かけるのでしたら、一言わたくしに告げていってからにして欲しい、と。申しませんでしたか? そんなことはありませんよね?」

「あ、ありません。確かにフェリシィール女史からは、そう言われました」

「でしたら、どうして無視されてしまったのでしょうか? もしかしてわたくしが何の心配もしないとでも思われたのでしょうか? あらあらまぁまぁ、どうしましょう。これでもわたくしなりに愛情表現を欠かさなかったつもりなのですけど」

 困りましたという感じに頬に手を当てて目頭を伏せるフェリシィール。恐い。下手にいつもが穏やかで美しいので、どうしようもなくその仕草が恐かった。

 さすがのスイカも額から冷や汗を流し、ヒズミはトラウマでもあるのか何かを呟いている。小さいのでよく聞き取れないが『お説教はやだ』と『ごめんなさい』を交互に繰り返しているよう。

「スイカさんもヒズミさんも、一応は立場ある身なのですから自覚してもらわないと困ります。とりあえず、今は忙しいので後でもう少しお話ししましょうね」

『はい。ごめんなさい』

 客人がいる手前、話を早々に締めたフェリシィールにスイカとヒズミは揃って頭を下げる。あとでこの続きがあるのは、フェリシィールの笑顔を見れば誰にでもわかることだった。

「そ、それじゃあ、ジュンタ君。また会おう……」

「だから、だから僕は止めとこうって……」

 心なしかフラフラになった二人は、そのままあいさつも軽めにフェリシィールの隣を通って奥の方へ消えてしまう。どうやら神居へと戻るつもりらしい。あまりにその背中が同情を誘うため、誰も呼び止めようとは思わない。

「さて、ジュンタさん」

「はい、ごめんなさい!」
 
「?? どうして謝られるのですか?」

「あ、いや……なんでもないです。お話を始めちゃってください」

 反射的に謝ってしまったことにジュンタはちょっぴり自己嫌悪しつつ、リオンとクーと並んでフェリシィールに向き直る。ラッシャとユースは馬車で待機中である。羨ましいことに。

「では改めて――ようこそいらしてくれました。お待ちしておりましたよ」

 先程とはうって変わって、フェリシィールは歓迎百パーセント混じりけなしの笑顔を見せた。

「さぁさぁ、あたくしの神居の方へどうぞ。お疲れでしょう。休まれる用意はすでにできていますよ」

「あ、いえ、そのことなんですけど」

 奥を指し示すように一歩横へとずれたフェリシィールに、ジュンタは自分がシストラバス邸に滞在する旨を伝えようとする。

 だが、その言葉が口から出る前に、前方の神居へと続く扉は明け放たれた。


 ――姿を現したのは金色の瞳を持つ、翡翠の使徒。


 右に初老の偉丈夫である雄々しき巫女――コム・オーケンリッター。
 左に近衛騎士隊の隊長である凛々しき少女――クレオメルン・シレ。

 この聖地においてとりわけ高い地位を持つ二人を左右に従えて、二人よりなお貴い彼は近付いてくる。

 ウェーブした翡翠色の髪を肩近くまで延ばした、二十代後半ほどの男。眼孔は鋭く身長も百九十近くあるため、かなりの威圧感を感じる。否、それは体格から来る威圧感ではない。聖神教の最高指導者として生きてきたが故に纏う、人々からの崇敬の輝きだった。

 両肩を隠すストールを延長させたかのような白いマント。金糸で細かな刺繍がなされた丈の長い衣は華美に走らず、あくまでも気品と風格のみを漂わせるのみに止められた聖衣である。

 そして、我こそは偉大なる者と万人に示すことこそを存在意義とする金色の双眸――

――――使徒、ズィール・シレ」

 気が付けばジュンタはその名を、畏怖を込めて呼んでいた。








 


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