第七話  招かれた客人




 ヒズミから見て左の方。三つ並べられたテーブルの一つで、男としては羨まし過ぎる光景が生み出されていた。

「ほら、ジュンタ。これおいしいですわよ。食べなさい。なんでしたら、わたくしが食べさせてあげてもいいですわよ? あ、ああああ〜ん!」

 恥ずかしそうにしながらもショコラをフォークで切り分け、突き刺して差し出したのはリオン・シストラバス。性格を抜きで鑑みれば文句なしの美少女が左の席から。

「ご主人様、私のもどうぞ。はい、あ〜んしてください」

 まったく照れくささのない顔で、それがまるで当然であるようにショコラを食べさせようとしているのはエルフの少女。献身的で癒し系な彼女が真向かいから。

「うん。それならわたしもやるべきだろうな。それじゃあジュンタ君、わたしのも食べてくれ。あ〜ん」

 そして最強の美少女といっても過言ではない、黒髪の大和撫子が主張を控えめに手を下に添えてショコラを差し出す。ニコニコ笑顔で右側から。

「え、ええと。これは、その、なんだ? このショコラは俺が作ったわけだし、味見もしたし分けてくれなくても大丈夫というか……」

 三人の美少女に言い寄られている男と言えば、引きつった笑みを浮かべて視線を右左前と行ったり来たり。どうしてだろう。ものすごく羨ましいはずの光景なのに、全然代わって欲しいとは思わない。

 リオンとスイカは何やら火花を散らしているし、クーヴェルシェンはマイペースで何も分かっていないようだが、だからこそその温度差はかなりきついはず。

 しかし、代わって欲しくないのと許すことができるのは別問題だ。元来甘いものが苦手なヒズミは、だけど自分用に用意されたショコラを食したあと、天国と地獄を同時に味わっているジュンタを睨みつけていた。

(気にくわない。どうしてあいつは、あんなに姉さんとベタベタしてるんだ)

 何の用か知らないが、レイフォン教会へとやってきたジュンタはこともあろうにスイカと買い物に出かけたりなんかした。邪魔してやりたかったが、子供たちに群がられ、スイカに留守番も頼まれたこともあり、追いかけることができなかった。

 やるせない気持ちで待つこと一時間近く。教会の戸を勢いよく開いた人影が現れたとき、ヒズミはようやくスイカたちが帰ってきたものとばかり思った。しかし帰ってきたのは、二人と一緒に買い物に行ったはずのヨシュアと、ヨロヨロな彼の隣に仁王立ちするリオンとクーヴェルシェンだった。

 結局スイカとジュンタが帰ってきたのはそれからさらに数十分後で、来客二人――猫もいたが――も居座って、こうしてジュンタが作ったお菓子でティータイムということになっているのが現状。

(くそっ、というかどうして姉さんはあんな奴にあ〜んなんかしてるんだよっ!)

 姉だけでもむかつくのに、さらに二人も美少女を侍らすとは何事か。一体どうすればそんな嬉し恥ずかしいポジションを獲得できるのか教えて欲しいというか、馬車で交わした苦労談義がここに来て一気にのろけに代わってどうしてくれようかというか、さっきから白猫が同情するように手の甲を叩いてくるのがどうしようもなく悔しいのだが。

「だぁ――ッ! もう我慢できない! お前ら、子供たちの情操教育に悪いから、ここでそんなことは止めろよな!」

「そ、そうだそうだ。ヒズミの言うとおり。一応ここも教会なわけだし、他意はないのだとしてもこういう真似は慎むべきだと、俺も思う」

 ついに我慢の限界に達したヒズミが立ち上がって注意すると、一番にジュンタが反応を示した。

 ジュンタは助けてくれてありがとうみたいな視線を向けてきて、それに重なるように三人の女の子から不満の眼差しを向けられて、なんでこうなるんだとヒズミはテーブルに手をついて自問自答。結論――生きてればきっと、いつかいいことあるさたぶん。

「まぁ、仕方がないな。ヒズミの言うことはもっともだし、こんな風なからかい方ではジュンタ君も困るだろうし。ん、おいしい」

 一番にフォークを引っ込めたのはスイカで、差し出したショコラをそのまま自分の口に入れ、とろけるような笑みを浮かべた。

 他二名は自分たちの何が悪かったのか分かっていないらしく、互いに顔を見合わせた後、渋々引き下がってスイカに倣いショコラを自分の口に含んだ。ジュンタはほっとした顔で背もたれにもたれかかって、長々とした吐息を吐き出した。

(良いご身分だな、こいつ。……やっぱり気にくわない)

 乾いた口を湿らすように淹れてやった紅茶を飲むジュンタを見て、ヒズミは沸々と苛立ちを催す。それは最初彼を見つけたときも抱いた感情だった。

 ジュンタ・サクラと名乗る男は、とにかくヒズミたち姉弟にとって、良くも悪くも注目せざるを得ない相手だった。

 ロスクム大陸特有の黒髪黒眼で黄色人種的な風貌に、微妙にダサい黒縁眼鏡は、ヒズミにも一瞬故郷の姿を思い浮かばせた。スイカも懐かしく感じるのだろう。何かと彼のことを気にしている。

 それがヒズミにとっては甚だ気にくわない。

 姉弟としてだけじゃない、唯一の家族として、また使徒と巫女として、これまで二人だけで生きてきた。支え合ってきた。

 いわばジュンタ・サクラは二人の間に侵入してきたインベーダーなのだ。断じて許しては置けない、目障りな外敵なのだ。

(そりゃ、僕だって姉さんを独り占めしたいわけじゃないけどさ)

 スイカに対してヒズミは姉以上の感情は抱いていない。ただ、それでも二人だけで生きてきたのだから、スイカこそが最も大切な人ではある。外敵に嫉妬している自覚はあり、同時に考えることもあった。

(姉さん、本当に……)

 ジュンタに向けるスイカの笑みは、酷く楽しそうなものだった。ヒズミには些細な違いまでしっかりと判別できた。なかなか見ることの叶わない、心の底からの笑顔である。

 スイカのことが大切だから、ジュンタが目障りだと思うが致命的なまでの邪魔はしない。大切な姉が楽しそうだから思わず許してしまう。何かと大変な身の上にある姉の癒しになるのなら、ジュンタの存在も許容できた。

 だから、こうも苛立つのはきっと、スイカの前でジュンタが他の女と仲良くしているからだろう。ジュンタは姉のためだけに笑っていればいいのに……

(これは様子見か。姉さんがもしも本当にそうなら、僕は祝福しないといけない。サクラはすごく気にくわないけど、それでも千歩ほど譲れば悪い奴じゃなさそうだし。少なくとも、傷ついた女の子を見捨てたりはしないだろうしさ)

 ヒズミとしても微妙なのである。大切な人の笑顔を取るか、自分の感情を取るか……とにかく今は静観の構えを取ることにして、

「そうだ。食べさせてあげるのか嫌なら、ジュンタ君、わたしに食べさせてくれ」

「そんなことは僕が絶対に許さないからなぁ――ッ!」

 それでもスイカとジュンタの仲を邪魔してしまうのは、ヒズミがつまるところ、シスコン以外の何ものでもないからであった。






       ◇◆◇






 北巡礼都市ノース・ラグナ――

 聖地の北方にそびえる城壁都市には、境界線を面するジェンルド帝国の動向を警戒するために聖殿騎士団が常駐している。

 他の巡礼都市とは段違いに人も少なく、街の規模も小さい。主に常駐する聖殿騎士とその家族。ジェンルド帝国よりやってきた巡礼者の姿も垣間見られるが、それら巡礼者の内幾人が暮らしに困って逃げ出してきた者たちか。

 かつて大陸の北方に存在した多くの国々を侵略し、大帝国を築き上げたジェンルト帝国に対して、大陸に残ったエチルア王国とグラスベルト王国――特に魔法大国エチルアは、強く牽制を仕掛けている。経済制裁という名で物資の流通・交易を止めているのだ。

 急激な領地の増加に加え、野心家で知られる現皇帝ジェンルド六世は軍備に予算を多く裂くため、人々の暮らしは最低。さらに交易も止まってしまえば、自ずと辿り着くのはそこだろう。現在のジェンルト帝国の現状は内乱と市民蜂起。それを虐殺によって治める軍と、権謀述作の陰鬱なる時代を迎えていた。

 現在においては、混迷を極めたジェンルト帝国に対して交易を行っているのは大陸外の国のいくつかと、そして聖地のみ。

 聖地は人の導き手ではあるが、国に深く介入することはない。無論、これが聖神教や聖地に対する攻撃を仕掛けてきたならば話は別だが、基本的に聖地は経済制裁などを行ったりはしない。ジェンルド帝国の国教も聖神教であり、境界を面するノース・ラグナは、唯一エンシェルト大陸内でジェンルト帝国と交易できる場所として扱われていた。

「ヤシュー。今からでもまだ間に合うわ。これ以上ベアル教に関わるのは止めておいた方がいい」

 これからどうなるかわからない国と面しているため、聖地の一つらしからぬ小さな火種を抱えているノース・ラグナに、その男――ヤシューはいた。

 宿の一室に上半身裸で寝ころびながら、しかし眠れやしない。 
 理由は簡単で、先程から相棒である褐色肌の美人――グリアーが話しかけてくるからだった。

「グリアー。何度言ったらわかるんだよ? 俺は強くなるために、ディスバリエ・クインシュの奴を利用するって決めたんだ。今更どうこう言われたところで、手を引くつもりはねぇよ」

「だからって、私に何の相談もなく決めなくてもいいはずよ。アンタがどうしようもなく馬鹿で戦闘馬鹿で考え無しの大馬鹿野郎だってことは知ってるけどね、今度ばかりは勝手に決めていいようなことじゃなかったはずよ。それとも何? 私が反対すれば、私とは縁を切って一人でやるつもりだった?」

「ああ、そうするつもりだったが、それがどうかしたか?」

「どうかしたかって、アンタねぇ!」

 頭の下で手を組んで目を閉じていたヤシューは、迫る冷たい気配を感じて飛び起きる。

 ベッドを踏み砕く勢いで回避行動に移ったところ、先程まで自分の頭があった場所に、三つものナイフが突き刺さる場面を克明に見ることができた。殺意が込められた投擲は枕を切り裂き、中に入っていた羽毛を飛び散らせる。

「おいおい、グリアー。何のつもりだァ?」

「うっさい。どうせ当たったってアンタには通じないんだから、問題ないわ!」

「いや、そうだけどよ。少しは相棒に対する優しさがあっても罰はあたらないんじゃねぇか?」

「なら、先にアンタが相棒に優しさを見せな! 確かに前回もまた私は負けたけどね、それでも私を切り捨てることを是としたのは許せない!」

 珍しいことに、本気の怒りで顔を真っ赤にしたグリアーが蕩々と魔力を放っている。
 一体何が彼女の逆鱗に触れたのか、ヤシューにはさっぱり分からなかったが、取りあえずこういう場面は彼女と付き合いだしてから度々あったので、慣れだけはあった。

「あ〜、なんで怒ってるンだ? グリアー」

「アンタが私を無視したからよ!」

 真っ向からグリアーがグリーンの瞳で睨んでくる。
 どうしたものかとガシガシとくすんだ金髪をかきながら、ヤシューはベッドから下りた。

「いやよ、別に無視したつもりはねぇんだが」

「そうよね。無視よりある意味酷いわ。相棒だと思ってたのに、まさか蔑ろにされるなんてね」

 吐き捨てるグリアーの言葉が、どこか自虐のように見えた。心なしか彼女は傷ついたような表情をしているようにも見える。

「……よくわからねぇが、なんだか勘違いしてるみたいだから言っとくぜ」

「何がよ?」

「俺にテメェを蔑ろにしたつもりはねぇってことだ。むしろテメェのことを全面的に理解した上で結論を出したって言ってもいいな。だってよ、グリアー。テメェは今ここにいるだろ? ああ、信じてたぜ。俺が何を選ぼうが、テメェは絶対に付き合ってくれるってよ」

「…………」

 グリアーは信じられないといった顔でポカンと口を開け、やがて自分の額を手で押さえた。

「あ、頭が痛いわ。なに、このクソ野郎。自分の言った意味がわかってて言ってるの……」

 なんだか酷いことを言われた気がするが、顔を隠していた腕をどけたグリアーの表情にあったやけくそ気味な笑みを見て、ヤシューは気にしないことにした。

「仕方ないわね。アンタ一人にしたら、それこそ私は食いっぱぐれるし。精々あの『狂賢者』を利用しておいしいところだけ奪いましょうか。これまでのように、これからも。ヤシュー。アンタは誰が相手でも逃げないんでしょ?」

「当然だ。カカッ! やっぱりテメェが俺のことを一番理解してるなァ。相手が誰だろうと関係ねぇ。確かに今の実力じゃアイツ相手は絶望的だ。だがよ、俺は逃げたりだけはしねぇ。絶対に恐れずに挑んで、挑んで、挑んで、そして最後には必ず食いちぎってやる!」

 獰猛に笑うヤシューの剥き出しの狂気に、グリアーは小さく微笑を向ける。それは手のかかる弟を見守る姉のような視線で、ひたむきな男性に憧れる女性の視線だった。

「巻き込むっていうなら約束よ。アンタはもう逃げない。最後まで絶対に逃げない」

「もう、は余計だけどな。いいぜ、約束してやる」

「なら私も付き合ってあげるわ。どこへでも。例え地獄にだって。アンタが逃げないように見張っていてあげる」

 徐に伸ばされたグリアーの両手が、ヤシューの首にからみつく。
 一体どういうつもりか分からないが、グリアーは上気し、潤んだ瞳で顔を近づけてきた。

 その距離がゼロになるのを、ヤシューは拒むことなく受け入れようとして、


「おやぁ? お取り込み中でしたぁ?」


 突如横手からあがった男の声に、握り拳を固めた。

「ちっ、誰だ?」

 グリアーが離れたことになぜか舌打ちが出て、ヤシューは声があがった部屋の扉の方を向く。そこには音も気配ももらさず忍び寄ってきた、小柄な男の姿があった。

 恐らく三十代だろうが、正しい年齢を予想させない、一見友好的とも見える不気味な笑みを浮かべた男。肌は浅黒く、橙色の髪を七三にわけている。細身で眼が非常に細く、開いているのか閉じているのか分からないほどだ。

「同業者、だな」

「ほぅ、なかなかよろしい眼をお持ちのようですねぇ。このギルフォーデ。一目でそちら側であることを見抜かれることは滅多にないんですが。ねぇ、ボルギィ?」

「…………オレに、聞くな」

 ギルフォーデと名乗った男にボルギィと呼ばれた大男は、呼ばれて初めてヤシューとグリアーでも見える位置まで近付いてきた。

 あくまでも常人に偽装したギルフォーデと違い、ボルギィは異様な姿をしていた。

 まず目に付くのは、その異常なまでに長い手と圧倒的な長身だろう。ガイコツをイメージさせる色白の肌と病的なまでに細い身体は、二メートルを優に超している。頭部は完全にはげ上がっており、ぎょろりとした目つきは誰でも彼が普通ではないことを理解させる。

「……ギル。早く、しろ。オレは、得物が手にないと、調子が悪くなるん、だ」

「ええ、あなたとは長い付き合いですからねぇ。それくらいは理解していますとも」

 話すのも億劫という感じで途切れ途切れに話す相棒に、ギルフォーデは変わらぬ笑みで答え、警戒する二人に近付いていく。

「そのように警戒なさらないでください。私どもがどうしてやってきたかはご存じなのでしょう?」

「生憎と、まさかアンタたちみたいな奴が来るとは承知していなかったんでね」

 懐のナイフから手を離さないまま、強くにらみ据えるグリアー。それも仕方がない。対照的とも見えるこの二人を、同業者のことはあまり知らないヤシューでも知っていたのだ。グリアーも知らないはずがない。

「『裏切り』のギルフォーデと、『惨劇』のボルギィか。テメェらのことは俺もよく知ってるぜ」

「三年前、裏の一大ギルド『琥珀の嘴ガーゴイル』が壊滅する原因を作った二人の冒涜者。幹部であったのに裏切って上役を殺したギルフォーデと、構成員もろとも近隣の住人を皆殺しにしたボルギィ。表でも裏でも指名手配されてる奴らが、まさか待ち合わせの相手だとはね」

「お褒めに預かり恐縮です。しかし、私もあなた方のことはよく存じてますよぉ。フリーランスの暗殺者だということだけではなく、どうしてそうなったかまでねぇ」

 恭しくお辞儀をしたギルフォーデは、片目だけうっすらと眼を見開く。

「私、実は『狂賢者』様とは昔からの付き合いでして。はい、かの有名な実験のお手伝いもさせていただきましたぁ。いやぁ、しかしあの時の失敗作が『狂賢者』様のお気に入りになられるとは、このギルフォーデ思ってもみませんでしたぁ」

「こいつ――ッ!」

「止めろ、グリアー」

 芝居がかった所作を取るギルフォーデに敵意を剥き出しにするグリアーを制止して、ヤシューは彼の前に立つ。

「テメェ如きの前口上なんてどうでもいいんだよ。テメェが俺の何を知ってようが関係ねぇ。テメェらは俺らがディスバリエから預かった依頼の内容について聞きにきただけなんだろ?」

「ええ、それもそうですねぇ。では『狂賢者』様より預かった言伝を教えてもらえますかぁ?」

「早く……教えろ。誰を、磨り潰せばいい……?」

 ベアル教『改革派』に属することになったヤシューと、なし崩し的にやはり属することになったグリアーは、『狂賢者』ディスバリエ・クインシュより一つの使命を帯びてこのノース・ラグナに滞在していた。それは、ここでディスバリエ個人が雇い入れた仲間に対し、依頼の内容を伝言として伝えて欲しいというもの。

 強くなることを望むヤシューとしては、雑用に使われるのは甚だむかついたが、それでも今は戦うときではないと明確に理解していたために承諾した。施された術式はまだ肉体に定着していない。まだ時間が必要なのだ。

 ノース・ラグナで使者として待つこと今日で五日目――ここに来てようやくディスバリエの仲間の到着だ。しかも、なるほど、『狂賢者』の仲間にふさわしい殺人鬼二人といえよう。

「よし、なら教えてやるよ。今回テメェらに下される『狂賢者』からの指示は二つだ。
 一つ目は同士コム・オーケンリッター主催の盛大に開かれる祭りの手伝い。二つ目が――

 最低最悪の殺し屋二名に対し、特に感慨もなくヤシューは告げる。どれだけ楽しくても、自分が参加できないパーティーに興味はない。

――そろそろ本格的にお姫様を取り除く頃合いだ、そうだぜ」






       ◇◆◇






 スイカにズィールのことについて尋ねた日の翌日。

 ズィールについての何かしらの進展は、すぐにはないものと考えていたジュンタに意外なイベントが舞い込んできた。それは思いもよらない人からの、思いもよらない誘いであった。

「使徒ズィールが俺に会いたがってる、だって?」

「そうだ」

 その日、ジュンタはリオンと修行を一緒にする約束を交わしており、来客があったのは、双方共に戦闘準備を終えて屋敷の庭に出たところだった。

 訪ねてきたのはクレオメルン・シレ。目的はジュンタへと預かった言伝を伝えることであり、その内容は驚かずにはいられないもの。――初見に近い使徒ズィールがジュンタとの会談を望んでいるというものだった。

 何というか、とてもきな臭い。庭でクレオメルンに対応していたジュンタは眉を顰めた。

「言伝は確かに受け取ったけど、またどうして俺がお前の父親に呼ばれるんだ? 俺と使徒ズィールが顔を合わせたのなんて、この前すれ違ったときだけなのに……ときだけだよ?」

「私に聞かれても困る。私とて疑問に思っているのだからな。この忙しい中、ズィール聖猊下がどうして貴様を招こうとしているのか見当もつかない」

 憮然とした響きを声の端々に秘めるクレオメルンは、父親であり自分が守る使徒であるズィールの思惑が本気でわからないよう。いきなりの呼び出しを受けたジュンタにも心当たりがあるはずもなければ、この場でその答えが出ることは永遠にないだろう。

「とにかく、ズィール聖猊下からのお招きだ。神居の塔へと足を踏み入れる許可も出ている。すぐにでも準備をして一緒に付いてきてくれ」

「……拒否できるわけもない、か。悪いなリオン、そういうことだから」

 ジュンタは少し離れた場所で、準備万端で待っていたリオンへと申し訳ないという顔を向ける。
 トーユーズから『暇があれば聖殿騎士団にでも喧嘩売ってきなさい』などと言われていたのに、最近修行が疎かになっていたのもあって、できればリオンとの実践形式の訓練はやっておきたかったのだが。

「私も一緒に行くこと、はできないのですわよね?」

「申し訳ありません。神居の塔はたとえあなたであってもお通しすることはできませんので」

 クレオメルンの言葉にリオンは少しだけ残念そうにしたあと、コレばっかりは仕方がないと手をパタパタと振る。

「ズィール様からのお呼び出しであれば仕方ありませんわ。手合わせはまだ今度に致しましょう。……ジュンタ。あなた、分かってますわね?」

 リオンが表情を真剣なものへと変えた意味。
 主語の欠けた言葉が意味するところを、ジュンタはすぐさま察する。

 リオンがしたいのは注意勧告だ。敵であるかも知れないズィールの許に行くことに対する危険へのものと、敵であると判別が付くかも知れないチャンスに対する。

「ああ、分かってる。どこまでできるかわからないけどな。じゃあ行ってくる」

「ええ、行ってらっしゃいな」

 リオンに対してしっかりと頷いたジュンタは、案内を務めるクレオメルンについていく。

「急ぐぞ。聖猊下を待たせるわけにはいかない」

(使徒ズィール。ここで俺だけを呼ぶなんて、一体なんのつもりなんだ?)

 気を引き締める。そうしなければいけないと、直感に働きかける何かがあった。

 


 

「……どうして、こうなりますのよ?」

 足早にいなくなったジュンタとクレオメルンを見送ったリオンは、ガクリとその場に膝をつく。

 すると近くに生け垣の中から二人と一匹が顔を出す。言うまでもなく、それは隠れて見守っていたサネアツ、クー、ユースであった。

 三人は生け垣から出てくると、いなくなったジュンタの方を見てそれぞれ勝手なことを口にする。

「まったく、そこは『ズィールと私、一体どっちが大事ですの!?』と食らいつくぐらいの気概は見せて欲しいものだな」

「でもズィール様は一体、ご主人様に何のご用なのでしょうか? ご主人様とは面識がないはずですのに。ついて行かなくても平気でしょうか?」

「近衛騎士隊隊長であり娘であるクレオメルン様が知らないようでしたので、私的なご用かと思われますが。それにアーファリム大神殿の中では、敵も不用意な行動には出れないでしょう。ジュンタ様の安全面に関しては心配しなくてもよろしいかと」

「……どうして誰一人として、私に優しい言葉をかけようとは思いませんのよ」

 マイペース過ぎる三人を半目で睨んだリオンは、すくりと立ち上がる。

「一昨日といい、昨日といい、今日といい、どうして私がジュンタと二人きりになろうとすると決まって邪魔が入りますの?」

「答えてやってもいいが、その場合お前が落ち込むのは目に見えているな」

「……どうせサネアツのことですから、私とジュンタは結ばれない運命だから、とかいうつもりでしたのでしょう?」

「はっはっは」

「笑って誤魔化そうとしたって、あなたの考えることぐらいわかりますわよ。ふんっ、勝手にそう思っているといいですわ。ジュンタと結ばれない運命など、私は自分の運命などとは認めません。そのような運命、この手で切り裂いてみせますわ!」

「さすがです、リオン様。それでこそリオン様です」

「すごいです。ものすごい立ち直りの早さは是非私も見習いたいですっ」

「ふふんっ、当然ですわ」

 同性二名からの賞賛を受け、リオンは立ち直りも早々に者共に告げる。

「さぁ、次の作戦ですわ! 順序は逆になってしまいましたけど問題ありません。ユース! クー!」

「任せてください、リオンさん。がんばって一緒においしい料理を作りましょう!」

「はい、消火の準備、食中毒用の薬の調合、その他毒味役など準備は万全です」

「待て。どうして毒味役のところで俺を見る? 俺はハンバーグなどに入っているのなら大丈夫だが、丸ごとタマネギを食べたりするだけで寝込んでしまうストマックの持ち主だぞ」

 サネアツがリオンに促したのは、ジュンタの郷愁の念を大いなる包容力で癒して上げること。そこにおふくろの味と呼べるものは必要不可欠であり、本来料理などしない立場にあるリオンは料理を作ることを決意した。

「私にかかれば、料理などお茶の子さいさいでしてよ!」

 料理など生まれてこの方した記憶がないが、大丈夫。手先は器用であるし、何より一流の味を舌が完璧に覚えている。愛情をこめた料理は、必ずやジュンタのハートを射止めることだろう。

 リオンは、クーの鬼気迫る覚悟のほどとユースが用意した胃腸薬。サネアツのげっそりとした顔を見ても、自分がどんな結末を生み出すと思われているか気付くことなく、意気揚々と屋敷の中へ入っていった。

 


 

 クーとユースもリオンに続いて屋敷へと戻り――そこで、ふいにサネアツは足を止めた。

 サネアツはジュンタが消えた方角を振り返って、先程頭に過ぎったことを考えてみる。

 まさかとは思うも、ジュンタの態度に感じるものがあったのだ。いつものジュンタとどこか違うと、そう感じた。長年一緒だった幼なじみだからこそ何とか気付けるほどの、小さな違和感。

「まさか、な」

 感じて、でもサネアツは気のせいと思った。

 ジュンタに大事なことで隠し事をされた記憶は、ほとんどなかった。だからジュンタに感じた違和感は気のせいであると――あるいはリオンに協力している立場が見せる、ちょっとしたフィルターの所為だと認識する。

――ジュンタが俺たちを避けているように見える、など」
 





       ◇◆◇






 クレオメルンによって案内された場所は、アーファリム大神殿の中でまだジュンタが足を踏み入れたことのない場所だった。

 住人である使徒が入ることを許した者のみが足を踏み入れることを許される神居の中、フェリシィールの住まう東神居でもなく、はたまた友好的なスイカの住まう西神居でもない北方の塔。

 北神居――使徒ズィール・シレが住まう、まさか入ることはないだろうと思っていた場所である。

 といっても、神居自体に大した構造上の違いがあるわけでもない。陽光の角度があるため若干窓などの位置は違うものの、住人の趣味が出る部屋以外はほぼ同じ。感嘆も少なめに、しかし満ちる神聖な空気に自然と背筋を伸ばして、ジュンタはクレオメルンの後をついて階段を登っていく。

(ズィール・シレの目的、考えてもわからなかったな)

 急くようなことをせず、空気を大切にするかのように無言で上がっていくクレオメルンの背を見つめながら、ジュンタが考えるのはこの先に待ち受けている彼女の父親のことだった。

(まず前提として、俺が使徒ズィールに呼ばれるはずがない。接点なんてのはクレオメルンが謝ったことぐらいのものだし、すれ違ったあの一瞬で俺に興味を抱いたはずもない。いや、ある意味興味を抱かれたワンシーンに覚えはあるけど、あれは俺だとはばれてないだろうし)

 ズィール・シレに呼び出しを受けた理由に思い当たるふしがないジュンタは、神居に足を踏み入れる前に取り上げられてしまった双剣の感触を、思わず探してしまった。

 何せズィールは敵の可能性があるかも知れない相手だ。その上で何の理由も考えつかないいきなりの呼び出しを受ければ、警戒するなという方が無理な話。たとえ意外なほどに優しい部分を見ても、フェリシィールに植え付けられた疑いの芽はなかなか根強い。

(こういうとき、リオンみたいにちゃんとした場所でも無礼にならない指輪に変わる剣とかが羨ましく感じるよな。俺もいつかそっちの方にしてもらうか)

 宙を泳いだ手を握りしめ、ジュンタはただ覚悟だけを決めて、結論の出ない思考を破棄する。いや、しなければならなかった。

「ここだ。この部屋に、ズィール聖猊下はいらっしゃる。ジュンタ。言っておくが――

「大丈夫。無礼にあたるようなことはしない」

 たぶんな。と、心の中で付け加えて、疑うような目つきを向けてくるクレオメルンにジュンタは答える。

 考える時間はもうなかった。階段を登り終えた最上階。すでにそこにはズィールの待つ部屋があった。

「ズィール聖猊下。クレオメルンです。ジュンタ・サクラを連れて参りました」

「入れ」

 ノックの後にハキハキと扉の向こうに告げたクレオメルンに、中から低い男の声で入室が許される。

 クレオメルンは扉に手をかけ、ゆっくりと開きながら目だけで最後に忠告をしてきた。

 ラバス村の一件のとき、最後まで意識を保つことができずに気絶していたというクレオメルンは、ジュンタが使徒であることを知らない。そのため敬愛すべき聖猊下に無礼を働かないか気が気ではないだろう。リオンを相手に色々と勝手に振る舞っていたから。

 しかし最低の礼儀は尽くしても、謙ったりはできない。それは自分が実は使徒であることを抜きにしてもそう思うのだ。

「っ!」

 部屋の中央で威圧するように立つ使徒ズィール・シレを見た瞬間に、ジュンタは理解する。向けられる金色の眼差し。そこにこめられた強い意志を。

 身体が震えた。その目に見られただけで震えが走った。
 触れ合いを経てもなお変わらない疑いは、あるいは根本的な部分から来る苦手意識なのかも知れない。

 そう、本音を言えば、ジュンタはズィールが怖かった。

 目の前の男は致命的なまでな毒を保有している。
 サクラ・ジュンタという存在を簡単に消し去ってしまう、そんな毒を。

 ズィールのことが怖いと言ったスイカも、もしかしたら同じ気持ちを抱いているのかも知れない。この男の正義感は、自分たちのような在り方を持っている者には猛毒なのだと、そう気付いて。

 なんにせよ――立ち向かうことは必要だ。

 ジュンタは睨んでくるズィールの面を真っ向からにらみ返して、心を強くして部屋へと入った。



 


 彩りがない故に洗練された部屋の中、向かい合う形で用意された椅子に腰掛け、ジュンタはズィールの言葉を待つ。ここに来て明確だったのは、自分たちの間に無駄なおしゃべりなど必要なく、何よりズィールが自分を敵視していることであった。

「まずは突然の呼び出しにも関わらず、ご足労いただけたことにお礼申しあげる」

 クレオメルンのような大きな娘がいるとは思えない若い見た目の使徒は、鋭い眼光はそのままに、およそ使徒が平民に向ける対応ではない丁寧なあいさつを口にする。庭で正体を隠して話したときもそうだが、使徒とは思えないほどの丁寧さである。

 礼儀正しいところは、巫女であるオーケンリッターやクレオメルンと同じか。いや、逆なのかも知れない。ズィールあってこそのクレオメルンの礼儀正しさか。

「さて、では早速だが本題に入らせていただこう」

 紅茶を用意するでもなく、無駄な会話を交わすでもなく、案内してくれたクレオメルンもおらず無味乾燥なギスギスした空気の中、ズィールは淡々と用件のみを伝えるつもりのようだった。

 ジュンタとしても下手な会話を入れない単刀直入なところは歓迎できた。
 本来なら何気ない会話を装って探りをいれるべきなのだろうが、威圧的な眼孔を前にしては、とりとめのない会話であろうと差し入れるだけで疑われるに違いない。

 黙って本題を待つジュンタにズィールは瞼を閉じて、

「質問をさせていただく。貴公はこの世に神がいると思っているか?」

「……どういう意味です?」

 放られた問い掛けに、ジュンタは強ばらせていた表情にクエスチョンマークを浮かべた。

「まさかその質問をするためだけに、わざわざ俺を呼び出したんですか?」

「それこそまさかだ。自分はそれほど暇ではない。特に最近はな。されどこの質問には意味がある。これからする本題を執り行うにあたり、重要な意味合いが」

 表情を伺わせない涼しげな一瞥で、ズィールは質問の返答を催促してくる。

「さぁ、答えてもらおう。貴公はこの世に神がいると思っているか否か?」

 思考はズィールの質問の真意について探るも、一向に答えは出てこない。

 神――使徒にとっても、ベアル教にとっても重要な単語であるこれ。何を答えるのが一番いいのかわからず、だから口をつくのは正直な気持ちだった。

「いると思いますよ、神は。どんな神であれ、少なくともいはするんじゃないですかね」

「ほぅ……なるほどな」

 感心したともとれる相づちを打ったズィールの纏う温度が、数度下がったようにジュンタには思えた。
 
「なれば、神の子たる自分――使徒と呼ぶべき存在に対して、貴公はどう思っている? 謳われるところの人の救い手として、導き手として、敬うべき対象だと思っているか?」

「それは……思ってませんね。使徒の中には尊敬できる相手や、付いていきたいと思える人もいるかも知れませんけど、使徒だからって理由だけで俺は敬うつもりも、ましてや導かれるつもりもまったくありません」

 使徒を前にしてこの言葉はあんまりにも思えたが、予想に反してズィールの反応は頷きを一つするもの。

「正しい答えだ。『人』であるのなら間違った答えだが、そうとも、貴公にはその答えが正しい。神を敬わぬ態度には問題があるが、及第点は超えている」

「……どうして俺があなたに及第点をもらわないといけないんですか?」

 上から見下ろすような対応に、ジュンタは自分でもわかるぐらいの怯えを込めた質問をぶつけていた。

 ズィールはジュンタの態度を特に気にした風もなく、ただ最初から隠さぬ小さな苛立ちをいつもよりも多少多めに、質問の答えを示す。

「貴公が何を思い、何を信じ、何を望んで隠者となっているかは知らぬし、興味もない。なぜならば、ことこの事柄において偽装など決して許されてはいけないことだからだ。
 ジュンタ・サクラ。分かるか? 貴公が自らの身分を隠しているその行いは、我ら使徒として決して許されるべきことではない」

「待て。我ら使徒、だって?」

 聞き捨てならないズィールの台詞に、ジュンタは椅子から思わず腰を浮かせていた。

「そうだ。自分はすでに知っている」

 見るものを恐縮させる糾弾の視線をもって、ズィールが語るのは予想もしていないこと。ある意味では自分がここに呼ばれたのも納得といえるそれ。

 未だ答えを得られず、先延ばしにしてもらった、使徒ズィール・シレが知るはずのないそれを、しかし彼は絶対の確信をもって口にした。


――使徒ジュンタ・サクラ。さぁ、世を正せ。貴公が神より賜った力は、そのためだけにあるのだから」









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