第八話  それぞれの因縁


 

 キメラにより生み出されたガーゴイルたちの前へと、勇壮なる騎士らが立ち塞がったのを見て、ベアル教の面々も最終決戦の準備を整え始めた。

 現在『ユニオンズ・ベル』内にベアル教メンバーは全員揃っている。儀式の核たるこの場が最も重要な場所であり、守護に付く人数も多い方がいいからだ。しかし現れた聖神教の別動部隊と、さらに予想される奇襲部隊への対応を考えれば、数人は外へ行かざるをえなくなる。

「…………」

 オーケンリッターは巌のような身体を窓の縁へと押し出し、地平線の彼方を睨むように見る。

 そちらは別働隊がいる方向からかなりずれている。しかし、確かに魔獣以外に蠢く影がある。それも複数。先頭にいるのは、翡翠の如き髪を持つ、忘れたくても忘れられない相手であった。

「……ズィール・シレ」

 親の敵を呼ぶようにも、恋い焦がれる相手を呼ぶように呟くオーケンリッター。すでに選択肢の中から排除していたはずの迎撃に出るという選択肢が、ここに来て再び明滅する。

「行くつもりですか? コム・オーケンリッター」

 身を乗り出すオーケンリッターを、後ろからディスバリエが呼びとめる。

「わかっているとは思いますが、『破壊の君』になるつもりでしたら、この『封印の地』という名の血の儀式場の上に居続けなければなりません。もし万が一にもそれが意味をなさない場所で、時が喰われたその先で死ねば――

「ならば死ななければいいだけの話だ」

 注意の勧告を途中で遮り、オーケンリッターは壁に立てかけておいた黒き槍を手に取り、さらに窓から身を乗り出す。

「ズィール・シレを城内に入れるのは得策ではない。誰かが迎え討たなければならぬ。ならば、因縁ある我が身が行こう。今度こそその心臓を貫き、新たなる私のための生け贄としてやろう」

「……わかりました。では、ドラゴンとボルギィも共に連れていってください」

「いいのか? ドラゴンは元より竜滅が可能な敵にぶつけることが本懐とはいえ、ボルギィがいなければ魔獣が従えさせられまい?」

「よろしいのです。全てはこれより数刻の間で決まるでしょう。敵の中にはかの『誉れ高き稲妻』もいます。あなただけでは心配ですから」

 オーケンリッターはディスバリエが最後に口にした単語に、呆気にとられるようにしばし押し黙った。

「どうかしましたか?」

「……いや、まさか心配をされるとは思わなかったからな。くくっ」

 時間がそれなりに経ったあと、オーケンリッターはさも痛快な冗談を聞かされたように笑い声をあげた。

「しかし、貴公のいうことはもっともだ。ボルギィには門番でもさせるとしようか。それで、そちらはどうするつもりだ?」

 オーケンリッターが見たのは、暇そうにするウィンフィールドとグリアーの二人。

「さて、どうするかねぇ。戦って死ぬのは嫌だし、ギルフォーデと一緒に避難でもしとくかな。何なら一緒に行くか? グリアー」

「気安いガキね。あいさつもろくにしてないってのに」

 飄々と答えたウィンフィールドを睨みつけたグリアーは、

「私はヤシューの戦いを最後まで見届ける。今度こそ誰の邪魔も入らないように」

 そう言ってさっさと消えてしまった。

「……別に関係ない間柄でもないんだがな。まあ、そっちは父親似だけど、こっちは母親似だからわからないのも無理ないが」

 ウィンフィールドも短槍を適当に手で遊びつつ、去って行ってしまう。二人ともやはりこの戦いには何の興味もないらしい。

「やはり、この血が滾るのは、因縁があるからか……」

「因縁には決着を。あたくしはここで彼女を待つことにします」
 
 最後にディスバリエからの返答を聞いて、オーケンリッターは迷いなく窓の縁を蹴り飛ばした。

 鬱屈とした城の中から、澱んでいながらも開放的な外へと。

 眼下に見下ろすのはかつての主。使徒ズィール・シレ。
 彼方より飛翔し、追随してくるのは漆黒の王たるドラゴン。

「おぉおおおオオオオオオオオオ――ッ!」

 黒き魔槍を手に、『鬼神』コム・オーケンリッターはドラゴンにも劣らぬ咆哮を口から吐き出し、一気に敵へと躍りかかった。






 敵が空より恐ろしい速度で襲いかかってきたのは、別働隊とは別れ、忍びながら『ユニオンズ・ベル』の前へとやってきたときだった。

 最初に反応したのはトーユーズだった。
 落雷の如き敵の槍が誰を狙ったものか判断し、ズィールの前へと移動して鞘から愛剣を抜き、叩き返した。

 直後、槍を握ったオーケンリッターの背後から、無数の炎弾を吐き出しつつドラゴンが迫る。これには全員が反応し、炎の落下点より逃れた。

 燃えるものがない大地が燃える中、ゆらめく炎の向こうに着地した敵の姿を改めて視認する。

 巌の如き老雄。漆黒の甲冑を纏い、血の魔槍を握った裏切りの巫女。コム・オーケンリッター。

 飛翔し続けるドラゴンを頭上の供としながら、門の前に立ち塞がる彼の目は、じっと一人だけを――かつての主だけを捉えていた。

「……これより指揮権をリオン・シストラバスに譲り渡す」

 視線に気付いたズィールがそう言って、指揮権をリオンに譲渡した。
 それが意味することにジュンタも気付いたが、リオンが何も言わない手前口を噤んでいた。

「拝命致します、聖猊下。これよりリオン・シストラバスが指揮を執ります」

「ああ、任せたぞ」

 その一言で全てを託し、ズィールもまたオーケンリッターだけを見据える。

 そこにあるのは確かな因縁。使徒と巫女。ほんの一月前までは共にいることが普通だったろう二人は、何の因果かこうして敵として対峙している。緊張感は強者同士が対峙している以上の何かをジュンタたちに感じさせていた。

「ここは聖猊下に任せて、私たちは城内部への突入を試みますわ。私に続きなさい!」

 二人の姿を目に焼き付けるように見てから、リオンは振り払うようにそう叫んだ。

 ジュンタたちは頷いて、走り出したリオンのあとを追う。ズィールと対峙するオーケンリッターは微動だにすることなく、因縁深き相手のみを見つめていた。

「先生?」

 動かなかったのはズィールだけじゃなかった。
 もう一人、トーユーズもまた足を止めて因縁を視線にこめて空を仰いでいた。

 悠々と空を飛ぶ漆黒の王。魔獣の王にして災厄――ドラゴン。
 
「……ねぇ、ジュンタ君。そういえば、あなたにはきちんと言ったことがなかったわね」

 かの敵を見上げながら、トーユーズはジュンタに話しかけた。

「あなたはきっともう知ってるでしょうし、今更、という感でもあるけれど、この際だからはっきりきっちり言っておくわね。
 あたし、トーユーズ・ラバス――あなたの剣の師は、かつて紅き剣と誓いを胸に戦った、シストラバスの騎士だったわ」

 それは初めてトーユーズ本人の口から語られる、彼女の過去だった。

 そのことにジュンタは気付いていた。時折トーユーズがリオンに対して見せる敬意、エルジンらに対する気後れ等、色々とそれらしい素振りはあった。偉大なる師の名はあまりに高く、彼女の噂を市政の声から聞くこともあったが、こうして実際に語られるのはこれが初めてのことだ。

「その頃のあたしは傲慢だった。自分が最強だと、自分こそが最強の騎士だとおこがましくも謳っていた子供だった。
 ……だけど、それでもドラゴンには歯が立たなかった。守るべき竜滅姫様を守ることができなかった。無力さに打ちひしがれて、みっともなさに紅き剣を手放して、代わりに強い目的だけを手に入れて、そうしてあたしは戦ってきた」

 ドラゴンに歯が立たず、守れなかった無念さに泣いた日があった。

「あたしの夢は、ジュンタ君、あなたが叶えてくれた。あたしは間違ってなかったって、そうあなたが証明してくれた。あたしにとってあなたとの日々は幸せな夢の続きみたいなもの」

「先生……」

「わかってると思うけど、あたしはここに残るわ。あたしには一つだけ心残りがある。それを果たすために鍛えて、鍛えて、鍛えて……そして今再び敵が眼前にいる。いついかなるときも美しくあるためには、これは避けては通れない道」

 トーユーズは両手に剣を構え、優美でも瀟洒でもない、獰猛極まりない狩人の瞳でドラゴンを射抜いていた。極限まで凝縮された殺意の視線に、動物的本能からドラゴンが自らのターゲットを定める。

 重なる視線。つり上がる口端。

 全身に雷光を輝かせたトーユーズは、最後に愛弟子であるジュンタ、守りたいと思った人の娘であるリオンたちを見て、艶やかにウインクを飛ばした。

「ジュンタ君。どっちが先に理想の自分になれるか競争よ」

 トーユーズにとっての理想――いついかなる時も美しく。それを体現できる自分。
 ジュンタにとっての理想――いついかなる時も格好良く。それを体現できる自分。

「負けませんよ、先生」

 雷光となって空へと跳び立ったトーユーズにしっかりと頷き返したジュンタは走り出す。

 背後には二つの因縁が奏でる、激しい音。
 ジュンタはリオンたちと共に、ついにベアル教の本拠地――『ユニオンズ・ベル』へと突入を果たした。


 

 

       ◇◆◇


 

 

 ボルギィにとって過去は過去ではなく、未来は未来でない。

 そもそも、彼にとって自我というものはあまりにも不鮮明で不確定だ。何か難しいことを考えることはできないし、偶に考えるとしても、それは戦いの中でのこと。どうやって対峙している敵を倒すか。どうやれば勝てるか。その程度である。

 全ての思考を戦いの中に重点を置いているのならば、彼は生粋の戦士と呼べるだろう。現に戦っていないときのボルギィの精神は酷く不安定だ。

 ただ、ボルギィのこの精神と性質は生まれながらのものではない……と思う。

 それすら不鮮明なのだから、本人に判断はつかない。昔のことなどとうに思い出せなくなったし、自分のことすらよくわからないのだから。

 けれども……稀に、本当にごく稀に、過去のことを思い出すことがある。

 それが本当に自分の過去かどうかはわからないし関係ない。ただ、いつも同じ光景を見る。いつも同じ女のことを思い出す。

 大丈夫だよ。と、明るく振る舞う女。触れれば折れてしまいそうなほど儚い女。名前も覚えていない女。

 彼女のことを思い出すと、胸の奥の部分が何だかとても痛くなる。自分とどんな関係なのか、どこにいるのか、生きているのか、それすらわからない不鮮明な幻のような存在だけど、記憶の中彼女はいつもボルギィのことを見ていた。

 憧れるように。決して負けない偉大なる騎士を見るような目で。

 ……その光景は、すぐに相棒である男の笑い顔と共に消える。そのときボルギィが感じるのは喪失感と安堵感、そしてギルフォーデに対する憎悪である。

 それが意味していることが何かはわからない。が、とても大事なことだった……気がする。

 気がするだけ。

 結局記憶が不鮮明である限り、そこには確固たる痛みは伴わない。

 ならば、気にすることさえない。思い出したそのとき少し疑問に思うだけで、いざ戦いが始まれば意識は全てそちらへ傾く。

 なぜならば、ボルギィは狂戦士であるから。

 求め欲するは殺戮のみ。それこそが、ボルギネスター・ローデの本質であるのだから。

 


 

「磨り……潰す」

 ついに到着した『ユニオンズ・ベル』へと侵入を果たしたジュンタ、リオン、クー、ユース、サネアツのメンバーは慎重に、しかし大胆に行動を始めた。重い扉を開いた先は曲がりくねった通路になっており、さらに進むと大きな伽藍へ出た。

 そこはかつてジュンタがスイカと交戦した場所であり、そこには今日も巨大な敵が立ち塞がっていた。

 二メートルを越す骸骨を思わせる大男。病的な肌と血走った瞳は病人を思わせ、その手に握られた拷問にも使われそうな、表面に刺がついたハンマーが狂的な印象を強くさせる。

『惨劇』のボルギィ。

 かつて女子供問わず無差別に殺戮した殺人鬼が、そこで獲物の到着を今か今かと待っていた。

「どうする? リオン。みんなで戦うか? それとも強行突破するか?」

 剣を握ったジュンタは、隊長となったリオンに指示を仰ぐ。

 敵は一人。通路を背に立ち塞がるように立っているが、この数で突っ込めば突破はできるだろう。

「お待ちなさい。私たちの目的はあくまでも儀式の中断にありますわ。ここで全員が足を止めるべきではありません」

 そう思って飛び出そうとする全員の前に手を出して止めたのはリオンだった。

「リオン?」

 なぜか剣を指輪の形に戻し無手の状態になったリオンは、一人ツカツカと部屋の中央へと歩み寄る。ジュンタが疑問の声をその背に投げ渡すが、リオンは返答を返すことなくボルギィへ歩み寄るだけ。

「すり、潰……す」

 ボルギィは壊れた蓄音機のような声をあげて、ハンマーを手にリオンへと迫る。かなり素早いが、それでも見切れないほどではない。リオンがすぐに剣を握れば軽く受け流せるレベルだ。

「約束を果たしに参りましたわ、ボルギネスター・ローデ。
 シストラバス侯爵家次期後継者、竜滅姫リオン・シストラバスがあなたに決闘を申し込みます」

 しかしリオンは剣を引き抜くことなく、あろうことか、部屋の中央でボルギィに対して恭しく騎士の礼などを取って見せた。

 胸を気高く張って、恐れることのない目つきでまっすぐボルギィを見るリオン。対してボルギィの動きは止まらない。その手のハンマーを大きく上段に振りかぶると、リオンめがけて叩き落とす。

「正々堂々と、一対一の立ち会いを望みます!」

「リオン!」

 凶刃を前に、なおも礼式を取り続けるリオンを前にして、ジュンタが声を荒げて飛び出す。だが、その足はすぐに止まることになった。

 ボルギィの振り下ろした槌が止まるのと共に。

「……決、闘……?」

「そうですわ。約束をお忘れですか? 
 あなたと私が昔交わした約束ですわ。ボルギネスター・ローデ、かつて騎士と名乗った破壊者よ。次に会ったときこそ騎士として決闘をしようと、そう言ったのはあなたの方でしてよ?」

「…………騎士……」

 真っ向から挑むようにリオンが見ると、目に見えてボルギィの様子がおかしくなった。

 カタカタとハンマーが揺れ、ボルギィは頭を抱えて後退る。それは何かを思い出そうとしている仕草にも、思い出せない何かに苦しんでいる仕草にも見えた。

 結局ボルギィは思い出したようには見えなかった。
 ただ何も言わず、彼は一定の距離を取ってリオンに向き直った。
 
「ジュンタ。儀式の阻止、あなた方に任せますわよ」

 だけどリオンには、それで十分だったらしい。

 今度こそリオンはその手に剣を握る。真紅に輝く家宝たるドラゴンスレイヤー。それを自身と家の誇りと掲げ、高らかに騎士の聖句を口にする。

「掲げた旗に忠誠を! 騎士の誇りに誉れあれ!!」

「擦り、潰すッ!!」

 気合一喝。互いにそれぞれの得物を手に激しくぶつかり合う。それは再演の約束を果たした舞踏のようにも見える戦いの始まり。

「……行こう。ここはリオンに任せて大丈夫だ」

 自身が踏み込めない決闘の様子を見て、ジュンタたちはこの場をリオンに託し、前へと進むことを決断した。

 最初から幾度となく全力でぶつかりあう様を横目で見ながら、部屋の端にくっつくように通り抜ける。門番としているだろうボルギィはリオンにのみ集中しており、一瞥さえかけることなく通ることを許した。

 あの二人の間にどのような約束事があったのかは知らない。

 ジュンタはリオンが約束を守ったことを嬉しく思い、同時に彼女の恋人として、少しだけ相手が男であることに嫉妬した。


 

 

       ◇◆◇


 

 

 つい、と恋愛に慣れていない生娘のように、グリアーは気が付けばヤシューの裾を握っていた。

 僅かに力をこめた手。けれど絶対に離したくない手。
 前へと進もうとした彼は止められた力に、緩慢とした動きで振り向く。

「……本当に、行くの?」

 弱々しい声が自分の声だと、グリアーは信じたくはなかった。だけど、どうしようもなくそれは自分の声だった。昔から色々と多くの悪事を働いてきた自分が、こんな声を出せるなんてグリアーは思っても見なかった。

 こんなこと、知りたくなんてなかった。こんなにも弱々しい自分を彼には見られたくなかった。

 そう思うのに――抑えられない。
 それこそ本当に迷子の子供のように、その孤高の背中に縋ってしまう。

「行ったら死ぬのよ、あんた。戦ったら死ぬのよ? それでも……」

 払いのけられるのか、それとも貶されるのか、すぐあとに来るだろう拒絶に俯きながら、グリアーは途切れ途切れにヤシューに訴えた。

 ヤシューの反応は見えない。けれども振り払われることはなく、服を掴んだ手はやんわりと手で包み込まれた。

「あ〜、その、なんだ。調子狂うが」

 見上げると、ヤシューは視点の定まらなかった瞳を合わせ、まっすぐにこちらを見ていた。瞳には彼にしては珍しい動揺が生まれ、ガシガシとくすんで灰色に近くなった髪を掻きむしっている。

「グリアー。なんつーか、今まで付き合わせて悪かったっつーか、我が儘ばかり言って悪かったっていうかよ」

 目は右往左往し、包んだ手をこの後どうしていいか迷っているようだった。

 戦いにはあれほど貪欲な彼だが、こういうときはただ抱きしめれば誤魔化せるということを知らないらしい。慣れない言葉で取り繕おうとして、ものの見事に失敗していた。今はどこか人形じみた喜悦の顔のまま固定された表情だが、もしも前のように自由に表情を動かせるなら、色々な顔へと早変わりしていたことだろう。

 さきほどまで眠りこけていたのをずっと看病してあげたことに、鈍感で気が利かない彼とはいえ思うところがあるらしい。あーだこーだと言葉を探したあげく、ヤシューはようやく目を合わせた。

「つまり、だ。ありがとよ! ってことだな!」

 これがふさわしいと、強く肩を叩いたヤシューは何かをやり遂げた風に満足げに頷いた。

「ヤシュー……あんたって奴は……」

 ずっと彼なりの誠意ある言葉を期待していたグリアーは、もう一度顔を俯けて、顔をあげると共に思い切り拳を引き絞った。

「いっぺん死ね! 死んで女心を勉強し直せ!!」

 渾身の力をこめた拳を、グリアーはヤシューの剥き出しの腹部へと突き刺した。

 鋼鉄よりも硬い彼の腹部に対して何のダメージも与えられないどころか、自分の手の方にダメージが来たがそれがなんだ。満足げな顔を不満そうに変えられただけで満足だ。

 ようやくグリアーは笑みを口元に浮かべると、痛みを発する手を後ろに隠しつつ、下から睨みつけるように相棒を見やった。

「ま、あんたには何も期待してないし、別れの言葉を用意しようとしたその気持ちだけで満足してあげるわ。
 だから、もういい。私のことは気にしないでいいから、さっさと勝って来なさい」

 戻ってこいとも、生き残れとも言えない。言うことができない。そっちの方がずっとずっと言いたい言葉だったけど、彼と十年近くコンビを組んできた自負にかけて、今生の別れとなるこの瞬間にだけは言えなかった。

 結局、ヤシューはグリアーが望むような言葉を言ってくれなかったし、グリアーは相棒の枠を超えられる言葉は紡げなかった。

 だけど、それでいい――なんて今は思う。
 寂寥と共に清涼ある風が胸を通り抜け、恐怖に震える自分を叱咤する。

(そうよ。私は他の誰よりもヤシューっていう男のことを理解している。きっと誰からも馬鹿だと言われて、偉大なんて絶対に思われない愚か者のことを理解してあげられている。それで、いい)

 思えば、この目の前にいる愚者についていこうと思ったのも、彼が愚かで無謀な行為を繰り返していたからだ。

 訳ありの身の上のために捨てられ、汚いゴミだめで身体を売ったり盗みを働いたりして生きていた自分。他人を信じず、近寄らせず、食い物にされる馬鹿や愚か者を蔑み見下すことで自己を保っていた自分。

 そんな自分の前に、見下していた馬鹿な愚か者の代表格とも呼べるべき男が現れた。スラムの支配者の実力を耳にし、勝負を挑んでは負け続け、死にかけていた男が。

 目の前で惨めに転がる男を何度嗤ったか。
 目の前で瀕死の状態で転がる男を何度手当したか。
 目の前で挑戦をし続ける男に何度賢い生き方を諭したか。

 それを全て笑って拒絶して、我が儘な愚か者で居続けたヤシューのことが、いつしか放っておけなくなっていた。馬鹿で愚かだけど、それでも自分にも他人にも嘘をつかない男をいつのまにか信じていた。

 誰も信じずにいた自分が、愚か者を蔑んでいた自分が、ついには圧倒的強者に勝利した男に憧れていた。あんな風に生きられたらきっと世の中楽しいだろうと、そう思って。

 約束をしたわけでも交渉をしたわけでもなく、前だけを見据えて歩いていた男のあとを勝手についていった。勝手に相棒を自称し、勝手にその我が儘に付き添い、勝手にその後始末に明け暮れた。

「じゃあな、グリアー。テメェは精々長生きしろよ」

 この期に及んでそんなことしか言い残せない男に絶望すること数十回。見放そうと思うこと数百回。それでも今日まで一緒にいた。それを選んだ自分は偽りではない。

 今まで一緒に過ごした十年の思い出よりも、ほんの一時間程度立ち会った強者への想いを優先した大馬鹿野郎のことなどこれ以上心配するものか。女の気持ちなんてわからない、わかろうともしない獣野郎をこれ以上惜しんで引き留めたりするものか。

 流れそうになる涙を堪えて、馬鹿で愚かで、だからこそ信じて一緒にいて楽しかった相棒へ、今グリアーは最後の言葉を贈る。

 ヤシューとは違う、とても素敵で気の利いた、そんな別れの言葉を。

「じゃあね、ヤシュー。アンタは精々愚か者として死になさい。――それが自分に惚れた女にできる、アンタの唯一の見返りよ」


 

 

 城の内部に魔獣の姿はなかった。

 城自体も広いだけでおかしな作りにはなっていない。まずは上階を目指して階段を上がり、最終的に儀式の中枢を探し出すことが目的だ。どこで儀式を行っているかは見誤ることはない。断続的に放たれる魔力の波は、その中心がどこかと教えていた。

 玉座の間――恐らくそう呼ばれる城の最も重要なポイントに、儀式の核はある。

 それを確かめ、潰すために一行は城内部を走っていた。

 ドラゴンやオーケンリッター、ボルギィなどが現れた以降、敵からの妨害は受けていない。それが逆に不気味ではあった。それぞれ大事な人を残してきている以上、使命感に突き動かされて足を止めはしなかったが、玉座の間へ近付くほど不気味な不安を覚える。

 この容易さはなんだ?
 この拍子抜けはなんだ?

 全てが『狂賢者』の仕掛けた罠とすら思えてくる。さすがにこの事態に至ってまで軽口を叩く元気はジュンタにもサネアツにもない。走る音だけが回廊内を響き渡り、やがて一行の前で古びた分厚い扉が姿を現した。

「この先が玉座の間に続く部屋だ」

 一度この城へ入ったことのあるジュンタの言葉に、全員が気を引き締め直す。

 この扉の向こうは、玉座の間へ続く最後の関門。変わらず魔力の波動が伝わってきている以上、ここに障害が用意されていないわけがない。

 ゴクリ。知らずジュンタは息を飲んでいた。あるいはそれは、肌が感じる予感が告げる未来予知か。

 ――そう、ジュンタはまだ出会っていない。自分の因縁の相手に。

 彼と最初出会ったのはグストの森で、敵ながらどこか憎めない戦闘馬鹿だと知った。
 次に出会ったのはラバスの村で、大事な友達を傷付けた酷い戦闘馬鹿だと怒りを覚えた。
 最近出会ったのは他でもないこの城内で、危ないところを救われた。彼は敵であっても自分の戦いのためなら平気で救える極めつけの戦闘馬鹿だと理解した。

 そうして逃れられない、避けて通るつもりはない約束を交わした。

 何かを犠牲にした先の争いではなく、卑怯な行為で戦いに泥を塗らない、正真正銘の決闘をしよう、と。

 音を立てて、ジュンタの前で扉が開く。


――さぁ、約束を果たそうぜ。ジュンタ」


 扉の奥の部屋。仁王立ちするエルフの男が浮かべた獰猛な笑みが、全てを物語っていた。


――ああ、約束を果たそう。ヤシュー」


 ジュンタは握る双剣に力をこめて、ズィールやトーユーズ、リオンたちがそうしたように一歩前へと進み出る。この場で行われる果たし合いは、二人だけで行われる。

「ご主人様。ご武運を」

「先に行っているぞ」

「どうか、リオン様とご一緒に追いかけてきてください」

 それを察したのか、クーたちは部屋の奥へと歩を進めた。

 二人だけしかいない決闘場。誰の邪魔も入らず、他に余計な心配もない、正真正銘の戦いの場。

 これより先は、目の前の敵を倒すためだけに。

 ヤーレンマシュー・リアーシラミリィ。
 いついかなる時も格好良く――それを貫くためには、目の前の男との対決は避けては通れない道であると、そうジュンタは確信していた。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 ヤシューが待ちかまえていた部屋から奥へと行き、広く高い玉座の間へと到達したサネアツたちは、そこでもちろん今回の儀式の核を目の当たりにするものと思っていた。

「何も、ない……?」

 けれども、部屋に異常な魔力を発することができるような危険な存在の姿はない。天井が切り取られ空が見上げられる大空間には、敵の一人――『狂賢者』ディスバリエ・クインシュがいるだけて、他の人間の姿もない。

「ようこそ、玉座の間へ。偉大なる王や騎士の従僕たちよ」

 玉座の横には目を瞑った怖い女が嗤っている。

 両手を歓迎するように広げたディスバリエは、辿り着いた二人と一匹に対して友好的とも取れる様子で近付いていく。その手には蕩々と虹色の魔力を纏う虹色の聖典が、落とさないようしっかりと握られていた。

 儀式の中核と考えていた場所には何もなく、代わりに出迎えた『狂賢者』。

 ドクン。ドクン。と、魔力の猛りは、彼女を中心として舞い上がっていた。
 疑うまでもなく、彼女の存在そのものがこの場で行われていた儀式。彼女の存在が、聖地の全てをかけた敵となる。

「どうやら、『狂賢者』自身をどうにかしないことには始まらないらしいな」

 サネアツが全員の代表としてそう述べる。ここまで来る間、自分の相手取るべき敵を見定め足を止めた仲間たちと同じように、二人と一匹は戦う姿勢を取った。

 対するディスバリエは微笑を浮かべながら、細い指先で虹色の聖典のページを捲った。

「さあ、歓迎の準備はできております。存分に踊ってくださいませ。存分に堪能してくださいませ。そして共に祝いましょう。聖誕する、新たなる破壊の君を」

 溢れる魔力に引き寄せられるように、開いた天井からガーゴイルが舞い降りてくる。
 外にいたガーゴイルより一際強壮なガーゴイルが十体、ディスバリエを守るように立ち塞がる。

「破壊の君……それが、あなたが誕生させようする破壊者の名前ですか?」

「聞いたことのない響きだが、良くないものには間違いあるまい。その存在がどんなものかは気になるが……生憎と今の俺は満腹状態なのでな。これ以上の火種は必要ないぞ」

 サネアツとユースが軽く前へと出る。

 さらにその前へと静かに歩み出て、感慨も大きくディスバリエを見つめるのはクーだった。

「…………」

 無言で見つめるクーを見つけ、初めてディスバリエの微笑が消える。
 そこにあるのは様々な感情が入り交じった結果辿り着いた無の表情。微笑すら消えた能面のような顔で、ディスバリエはその手で生み出した少女を見ていた。

「……私は、あなたが何を考えているのかわかりません」

 クーにとってディスバリエは創造主といってもいい。親、という言葉を使ってもあながち間違いはあるまい。けれども、その単語を呼ぶときに感じるのは温かさや優しさではなく、形容しがたい不思議な気持ちだけ。

「ずっと、わかりませんでした。こんな私を生み出して、今も昔もみんなを苦しめるようなことをして……わかりません。全然わかりません!」

 嫌い、といえばそれまでだが、その一言で終わらせたくない何かがある。
 
 感じるのだ。自分と彼女の間にある繋がりを。切っても切れない、因縁というべきものを。

「わからない、というあなたがおかしいのですよ。紛い物。『竜の花嫁ドラゴンブーケ』であるあなたが、あたくしの根元を知らないということがそもそもおかしいのです」

 それを感じているのはクーだけではない。
 またディスバリエも感じ、狂おしいほどの感情をこめて言葉を紡ぐ。

「あたくしは世界を救いたい。ただ、それだけなんですから」

「でしたら、どうしてみんなを苦しめるんですか? 世界を救いたいなら、もっと他の方法があるはずです! 優しいやり方で世界を救う方法が、きっと!」

 クーは知っている。この世界にある優しさを。

 酷い世界だと、そう思っていたときもあった。自分だけが苦しまなければいけない酷い世界などと、そう嘆いていた過去もある。けれども巡り会った。忘れようもない輝きと。優しくて温かい温もりと。

 あの温もりを救世の標と信じた。だからディスバリエの奉じるやり方はきっと間違っている。

「世界を救う方法を論じることが間違っているのです!」

 クーの思いをこめた叫びに、あの氷像の如きディスバリエが声を荒げて感情を露わにしていた。どこか浮世離れした彼女が、今は一人の少女に向かって生の声をぶつけている。

「必要なのは結果、過程ではなく結果です! 結果的に世界が平和になるのなら、それはきっと間違いなんかではありません!」 

「その過程で犠牲になるものは救われなくてもいいんですか? 大切なことを犠牲にした先に、本当に救いなんてあるのですか?」

「あります! 犠牲を偲べばこそ立ち止まることは許されない! 手段を選ぶことをしてはなりません! 救わなければ、この手で犠牲にしたものはなんだというのですか?! 狂うほどに捨ててきたものにどう顔向けしろというのですか!?」

「だから続けるんですか!? 大切なものをこれ以上犠牲にしてまで!」

 かつてないほどにクーは声を荒げていた。なぜか、ディスバリエの主張だけは通してはいけないのだと、絶対に受け入れてはいけないのだと魂が叫んでいた。

 それは間違っている。絶対に間違っている。たとえ世界を救うためとはいえ、手段を選ばないでいいなんて、たくさんのものを犠牲にしていいなんて間違っている。犠牲にしたものを思えばからこそ、これからはそうしない方法を探すべきだ。

 それがクーの主張。ジュンタと共に歩んできた時間で得た、自分の答え。

「……………………それを、あなたがいうのですか?」

 それを聞いたディスバリエは、ようやく顔に浮かべるべき表情を知ったというように、一つの感情を表に出した。

 それは――憎悪。

「あなたが、それを言うのですか? あたくしが最後に夢見た居場所を奪ったあなたが、それを言うの紛い物!!」

 憤怒を超えた憎悪を叫びを、ディスバリエは魔力の波に変えて虹の聖典から撃ち出す。ディスバリエを中心に吹き荒れる暴風はやがて氷の渦となり、天高くダイヤモンドダストを舞い上がる。

「あなたさえ……あなたさえいなければ! あなたさえ生まれてこなければ! あたしはきっと幸せになれたのに……もう狂っていなくてもよかったのに!!」

 自己の行いの結果を否定するような叫びに、ガーゴイルたちが一斉に行動を始めた。

「来ます!」

 ユースは襲いかかるガーゴイルたちへと、率先して立ち向かいながら後衛へと声をかけた。

 サネアツが茶色の魔法陣を構成し、
 ユースが緑色の魔法陣を輝かせ、
 クーが白色の魔法陣を弾かせ魔法を放つ。

「消えて! あなたはもう消えてよ、紛い物! あたしに返して! 救世主様の隣を!!」

 敵は『狂賢者』ディスバリエ・クインシュ。不気味に過ぎる謎の賢者が、今ではただの少女に見えた。

 聖地の命運をかけた戦いは、これより始まる。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 巨大な津波が魔獣の軍勢を押し返す。

 金色の疾走と共に放たれた人口の大津波は、聖殿騎士団本隊が無尽蔵の敵に対する準備を整えるための時間を稼ぎ、フェリシィールは堂々と本陣へと舞い戻った。

「部隊の準備は?」

「第一師団。御身のお側に!」

 濡れた髪を後ろに流しつつ戻った金糸の使徒へと、第一師団長オルサレムが答え、第一師団が使徒を、聖神教を、神を讃える声をあげる。

「第二師団。どのようなご命令であっても必ずや!」

 続いて、第二師団長ウルキオが。

「第三師団。裁きの雨を敵へと降らせてみせます!」

「第四師団。守りは鉄壁にして。味方を傷付けさせはしません!」

 第三師団長クワナガンが、第四師団長リーヴァデレスが。

「第五師団。いついかなる傷であっても癒してみせます!」

「第六師団。前線は永遠にでも持たせてみせましょう!」

「第七師団。敵は全て貫き、大いなる神の天罰を与えてやります!」

「第八師団。今は亡き戦友たちのためにも、この矛先に曇りなく!」

「第九師団。掲げた旗に未だ血のかげりなく、神の威光は御前に!」

「第十師団。今こそ我らの信仰が闇を明るくて照らすときにてございます!」

 第五師団長エイン、第六師団長ルビーオ、第七師団長トルケッシュが。第八師団長オリバー、第九師団長ロッドス、第十師団長ケテルゥも続いた。

 これで全て。十の師団全てが準備完了を告げる声を、団員と共に高らかにあげている。

 魔獣の奇声を掻き消す騎士たちの声。勇猛に、勇壮に、一切の曇りなき信仰の声。

「第一師団から第十師団、一切抜かりなく準備を整えてございます。これより先、フェリシィール聖猊下が望まれる限りは何時間でも、何日でも、何年でも戦っていられますでしょう。もはや御身を自ら危険な場所へは行かせません」

 近衛騎士隊の代表としてフローラが前へと出て跪き、傷つき血の滲むフェリシィールの姿を見て、決意も固く頭を垂れる。

 その動作が行われた刹那、全ての騎士たちの声が消える。それは神の威光たる使徒の声を隅々にまで届けるために。全ての騎士が拝聴できるように。

「我が誉れの騎士たちよ。あなた方が疲れているのなら、わたくしが癒しましょう。傷ついているのならわたくしが包み込みましょう」

 大きく両手を広げて、金色の瞳でフェリシィールは騎士たちを睥睨する。

 地平の彼方から、音を立てて魔獣たちが戻ってくる。

「では問いましょう。我が騎士よ、あなた方は疲れていますか?」

『『否! 否! 否!』』

「あなた方は傷ついていますか?」

『『否! 否! 否!』』

「ではわたくしはその背を見送りましょう。正義は我にあり――


『『――――我が正義のための聖戦を!!』』


 誓いをここに。この胸の正義のために、最後の一人になっても諦めずに戦うと。押し寄せる魔獣に一人、また一人と雄叫びをあげて突っ込んでいく。

 その背に神の威光を背負って。
 大いなる光を守って。


 

 

 ガーゴイルの力は恐るべきもの。何せオーガやワイバーンを含めた魔獣の複合体であるからだ。

 その力は強く、口からは強力な炎を吐き出す。地中に潜ることもあれば、空から急激に襲いかかってくることもあった。

 そのパターンを把握するまでに、ガーゴイルの大群を前に少なくない数の仲間が散っていった。生き残った者たちは仲間たちが遺した情報を刻み、それを糧としてガーゴイルを一体、また一体と打ち倒していく。

「父さん! そのまま足止めを頼む! 一気に魔法で叩く!」

「ふんぬっ! 任せておけぃ!」

 巨大なハンドアックスを振り回し、力づくで鋼鉄よりも堅いガーゴイルの身体を切り砕く父ロスカを前衛に置いて、後衛からキルシュマは強烈な魔法を繰り出していた。
 儀式魔法ではないが、それに近い強力な風の魔法。全てを巻き込み砕き尽くす暴風はガーゴイルを飲み込み、その内にて幾度となく切り裂き蹂躙し、ようやく倒すことに成功する。

「ワイバーンでさえ複数同時に屠った魔法で一体か……強い。なんて強さだ、このガーゴイルたちは」

 熟練の騎士でも手こずるほどのガーゴイルの強さ。数の差で圧倒的な差がついていたら、瞬く間に全滅に追いやられていただろう。

「魔獣の分際で、なかなか楽しませてくれる!」

「そんなガーゴイルをあんなに簡単に。あれが世界最強と呼ばれるグラハム・ノトフォーリアの実力か」

「ガハハハハッ! さすがは『騎士百傑』の長よ! 吾が輩も負けてはおられんな!」

 本隊が敵の大軍を引きつけておいてくれたからだけではなく、この別働隊に『騎士団長』がいたのも今なおガーゴイル相手に優勢を保てている理由だろう。決して弱くない、むしろ魔法使いが主流のエチルア王国では五指に入る実力者である父ロスカをも魅せるほどの実力を、彼は見せつけている。

 誰よりも先にガーゴイルに殴りかかり、誰よりも多くその身体を砕いている。

 まさに騎士の国の最強騎士と自他共に認める騎士団長である。一騎当千。彼が撹乱してくれているお陰で被害は少ない。

 ただし、それは『ユニオンズ・ベル』へと近づけているというわけではない。

「神、ヨ、ヨォオオオオオオオ!!」

 灰色の城へと行くには、倒さねばならない巨大な壁が存在する。その身体より無尽蔵にガーゴイルを生み出し続ける漆黒の大樹の如き魔獣。

「キメラ。ガーゴイルでこれだというのなら、あれは一体どれほどなのか」

 キルシュマは近付きつつあるキメラとの接触を思い、誰にも気づかれないように小さく呟いた。

「これなら、無理を承知で『彼ら』にも来てもらうべきだったな」

 キルシュマ・ホワイトグレイルは諦めても絶望をしてない。

 なぜならば知っている。人はどのような地獄にあっても切り開くことができるのだと。
 キルシュマは知っている。世界には、正真正銘の『救世主』というものが存在するのだと。

 


 

 黒い闇が鼓動する。

 最後の贄を、災厄の死を求めて脈動する。

 生まれるそのときを、今か今かと待ち侘びている。

 この地に満ちる全ての渇望願望切望を受け止めながら、生まれるその瞬間を。

 血の聖誕祭を準備して――――待っている。








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