突如始まった戦いに、ミリアンは弾かれたように椅子から立ち上がる。
第六話 来るべき日
姿見に映り込んだ自分を見て、ユースは息を詰まらせた。
首もとには薔薇の花のようにあしらわれた紅い羽根飾り。純白のウェディングドレスに編み上げられた紅い髪がよく映えている。
「うん、とっても綺麗だよ。ユース」
着付けを担当していたエリカは最後に薄いベールを頭に被せ、ユースの肩に手を置いてにっこり笑った。
「ありがとうございます。ですが、出来れば今はリオン様として扱っていただければ幸いです」
「あ、ごめんね。どこで誰が聞いてるかわからないもんね」
用意された花嫁の控え室には今、ユースとエリカの二人しかいなかったが、注意するに越したことはない。ここは南神居ではなく礼拝殿の中。扉の向こうには護衛の聖殿騎士も控えている。
「コホン。とても綺麗な花嫁姿ですよ、リオン様」
「ええ。ありがとう」
軽く咳払いをして、従者としてふさわしい微笑に変えて肩から手をどけたエリカに、ユースも応えるように演技に入る。
(申し訳ありません、エリカさん)
表情を引き締めると同時に、ユースは心の中で自分の従者として振る舞ってくれる友人に謝った。
これより行われる結婚式の準備を手伝うエリカの心境を思えば、ユースは申し訳なさでいっぱいだった。一年半前、当時狂乱の中にあったジュンタを持ち直らせたのはユースでもクーでもなく、彼に密かな想いを寄せていたエリカだというのは皆が知るところだ。
「こんな素敵な花嫁を娶ることができて、ジュンタ様は本当に果報者ですね」
それなのに、これが偽りの婚姻であることを知りながら、今こうして笑って祝福してくれるエリカは本当に強いと思う。
「……ふっ、ふふっ、つまりこれで名実共にジュンタ君は私のご主人様で……やっぱり愛人とかありだよね……」
「…………」
「キャー! メイドに手を出すなんて、いけない若旦那様なんだからっ!」
冗談。これはエリカなりに緊張を解そうとしてくれている、一流のメイドジョークだ。
ユースはそう思いこむことで、頬を押さえて悶える友人から視線を逸らし、もう一度自分の姿に見入った。
「憧れの、花嫁姿ですわ」
ユースも女だ。ウェディングドレスに憧れるものはあった。人よりも多く生きているためか、もしかしたらその憧れは人一倍大きかったかも知れない。
そんな憧れの姿に今自分はなっている。美しいと思うし、胸には熱いものが込み上げてくる。けれど、心のどこかで悲しみも覚えていた。
(これは誰、なのでしょうか?)
ユース・アニエースか。それともリオン・シストラバスか。あるいはカトレーユ・シストラバスか。
ここで花嫁姿になった自分を見て感情を持て余しているのは、果たして誰なのか?
割り切ることができないでいる自分を見つけて、ユースはエリカにばれないよう自己嫌悪に陥った。
そんな自分がいたことを忘れ、幸福の絶頂下にある花嫁の姿を取り戻したのは、扉をノックされたとき。
「はい、どちら様ですか――って、ジュンタ君。もうすぐ式なのにどうしたの?」
「ちょっと花嫁の姿を見にな」
エリカが応対に出て花婿と共に戻って来るのを、ユースは恋する乙女として出迎える。
「ごきげんよう。婚礼前に花嫁の姿を見に来るのは、少しもったいないことではなくて?」
「逆に結婚式の間じゃ満足に見惚れることもできなそうだからさ」
そう言ってジュンタは感嘆の吐息を吐いた。常日頃から眩いばかりに美しいユースだったが、今日は天上の太陽すら恥じ入らんばかりの美しさだ。
「綺麗だ、ユース。あまりにも綺麗過ぎて、それ以外の褒め言葉が頭に浮かんでこないくらいに」
「……そんな褒め方は卑怯です」
ユースは頬を赤く染めた。リオンとして褒められたならいくらでも取り繕えたが、これには演技を忘れさせられる。
「う〜ん。俺も存外格好良いかもと思ってたが、ユースと並ぶとやっぱり地の差が出ちゃうな」
「そんなことないよ。ジュンタ君も格好いいって。というか、もう変身レベル?」
「失敬な。せめて変装と言ってくれ」
エリカに褒められ、ジュンタが長い法衣の裾を揺らす。彼の格好もユースと同じく、すでに結婚式のための衣装となっていた。花嫁のウェディングドレスと違って、いつもの使徒の正装とさほど変わりなかったが、施された化粧には気合いが入っている。
すでに式に臨む準備は万端だ。あと半刻もすれば、ユースはこの主が愛した人共々、リオン・シストラバスの愛を形にする儀式に挑む。半日後には名実共に夫婦となっていることだろう。
「――うん、わかった。それじゃあ準備が出来たって伝えてくるね」
「頼むな」
ユースが覚悟を改めていると、ふいにエリカが部屋を駆け足で出て行った。
「エリカさんはどちらへ?」
「フェリシィールさんのところだ。問題なく花嫁の準備が整ったって伝えに行ってもらった。もう招待客の席は埋まってるらしいからな」
「では、すぐにでも移動した方がいいですね」
「けどその前に、ユース・アニエースに聞いておきたいことがある」
「ユース・アニエースに、ですか?」
明確にそちらの名前で呼ばれ、二人きりになれるよう人払いがされたのだと気が付いた。
よくよく考えてみれば、このタイミングでジュンタが訪ねてくるのに何の理由もないはずがない。彼は彼で忙しいはずなのだから。
「わかりました。何なりとご質問を」
「俺が聞きたいことは一つだけだ」
ユースに向き直って口を開くと、ジュンタは単刀直入に告げた。
「ユース・アニエースは、俺の味方か?」
主が心を突き刺されたという、そのまっすぐな瞳の前にユースは逃げ場を封じられた。
その金色の双眸に込められたものは、これまでユースが一度たりともジュンタから向けられたことのなかったものだった。好意でも敵意でもない。どちらにも変わる中間にあるもの。このとき初めてユースという人間に出会ったかのように、警戒と疑問を込めてジュンタは睨みつけてくる。
(ああ、ついにこの質問が来た)
ユースは一瞬で、この質問が来た理由を察した。
革命王との遭遇における失言が、ジュンタの中で疑問の芽を芽吹かせてしまったのだろう。たくさんのことを隠しているユースの秘密の中で、他とはいささか性質を異ならせるものについて。
それでも彼はサネアツの名前を一言も口にしなかった。
そういう全てをひっくるめた上で、敵か味方か問うているのだ。
ならば答えは一つだけ。ユースは、ユース・アニエースとして、質問に答えた。
「いいえ、私はジュンタ様の味方ではありません」
パタンと音を立てて扉が閉まる。
ジュンタが部屋を出て行ったところで、もう一度ユースは姿見に自分の姿を映した。
「そう、自分が誰かなんて関係ない。私は全身全霊を賭して、これからリオン・シストラバスにならなければならないのですから」
『たとえ、それが自分自身を殺し尽くすってことだとしても?』
独り言に、心の中で返答が返される。
ユースは鏡に映る自分を――自分の中に潜む魔性を睨み据えながら、迷いなく頷いた。
『ふふっ、おかしいね。君は死にたくないからわたしと契約したっていうのに、今はそんな風に自分を殺そうとしてるなんて』
「これで正しいのです。死神と契約しなければ、私はとうの昔に死んでいた。最初からユース・アニエースという人間などまやかしに過ぎなかったのですから。夢は夢に還る。幻は幻として消える。そしてまた、伝説も神話も歴史の中に埋もれるべきです」
『自分を殺すことでわたしを滅ぼすってわけか。それが君の言っていた赦さないって意味なんだね。けど、やっぱり矛盾してるよ? これからリオン・シストラバスとして生きて、あの幼い救世主と結婚までしようっていうのに、結局は死ぬことが目的なの?』
「そう、私の最終目的はあなたと共に地獄に堕ちること」
ユースはそっと鏡の表面を撫で、はっきりと答えた。
本心を隠すことに意味はない。この自分の中に潜むものに対してユースは隠し事ができない。彼女が望めば心の奥底まで暴かれてしまう。
「けれど、その前にやらなければならないことがあります。私は世界の全てからリオン・シストラバスだと認められなければならない。今代の竜滅姫はドラゴンを滅してなお生き残ったと、そう奇跡を演出して未来へ繋げなければなりません。いずれ、全てをお返しするときのために」
『ああ、なるほど。つまり君の願いは――』
理解を示して不死鳥が笑い、不死鳥と身体を共有する巫女も艶やかに笑う。
そう、ユース・アニエースの目的とは――
「――リオン様を甦らせる。それを叶えられる場所が『神の座』なのでしょう?」
醜く生にしがみついたがゆえの後悔ならば、たとえ禁忌を犯すとしても、人の摂理に抗い続けよう。
「さあ、早く私をそこまで一緒に連れて行ってください。そのための協力なら惜しみません。たとえ何を犠牲しても。誰を犠牲にするとしても。
――【全てに至る才】は、そのためだけにあるべきです」
透き通った音色が聖地ラグナアーツに響き渡る。
午前十二時の鐘を合図にして、待ちに待った瞬間は訪れた。
(偶に考える。俺はこの世界へ来て不幸になったのだろうか? 故郷の地にいるもう一人の俺と比べて、果たして俺は不幸なんだろうか?)
歓声を遠くに。『婚礼の間』に新郎新婦が入場する。
(確かに悲しいことも辛いこともたくさんあった。こんなに心が痛いなら知らなければ良かったと、そう思うことも)
参列者たちの拍手の音。ステンドグラスから降り落ちてくる光の祝福。
神父役を務める使徒フェリシィールの前に並ぶ新郎新婦の顔は、世界中の幸せを集めたかのような輝きで満たされていた。
(それでも俺はリオンに出会えた。この世界に来たからこそ、クーやユース、他にもたくさんの人たちに出会えた。地球にいたら出会えなかった人たちに。出会えなかった思い出に。リオンと結ばれるって喜びに)
花嫁に手によって新郎の左手薬指に、前もって預けられていた指輪が通される。
(なら、俺はこの世界へ来て不幸になったのだろうか?)
新郎の手によって花嫁の左手薬指に、エンゲージリングが通される。
(わからない。わからないが、この世界に来て幸せを見つけられたからこそ、俺は……)
そして最後に。新郎が花嫁のベールを捲り上げ、そっと誓いの口付けをしようとしたそのとき――
「俺は、きっと」
――ステンドグラスを突き破って、破壊の獣は現れた。
式が中断し、全ての声が失われる。
祭壇に捧げられた天馬の像の上に降り立った人影は、七色に輝くガラス片を背に、輝かない金色の髪をたなびかせ新郎新婦を睨め付けた。
否、彼が見ているのは新郎のみ。
口元に粗野な笑みを浮かべ、招かれざる客はこの場にふさわしき愛を囁く。
「ああ、誓うぜ。ジュンタ。これが本当の始まりだ。これが終わりの始まりだ。俺たちは戦い、俺たちは喰らい合う」
パシン。と、軽く手と手を打ち合わせて、その男――ヤーレンマシュー・リアーシラミリィは開幕の雄叫びを放った。
「さあ、神様の膝元で、獣のベーゼと行こうやジュンタァアアアアアア――――ッ!!」
「ヤシュー!!」
ヤシューが突き出した拳と、ジュンタが指輪から変えた双剣とがぶつかり合う。
衝突によって、二人を中心に衝撃波が聖堂内を駆け抜けた。
いきなりの襲撃者に放心していた参列者たちは、硝子や照明といったものを吹き飛ばしていく暴風に、我に返って逃げまどう。
「聖猊下をお守りしろ!」
壁際に控えていた聖殿騎士たちが使徒を守ろうと動き出すが、衝撃で吹き飛ばされたフェリシィールと、来賓席にいた使徒ズィールを守るので精一杯。もう一人、ジュンタの援護に入ることはできなかった。
「これは……彼は一体?」
「敵です、フェリシィール様」
「クーちゃん?」
身を起こすフェリシィールの疑問の声に答えたのは、来賓席の最前列にいたクーだった。
主の結婚式を邪魔されたというのに、この展開を歓迎しているかのような、幸福に酔った笑みを浮かべている。
「あの男こそ『破壊の君』。存在する限り全てを破壊する堕天の使徒です」
「『破壊の君』? ……まさか、それはベアル教が生み出そうとしていた――」
「――人工の使徒、か」
ジュンタは二人の会話を耳に入れつつ、目の前で力の押し合いをしているヤシューを動揺が残った瞳で見た。
「儀式は食い止められたと思ってたんだがな。それに、お前も死んだと思ってたぞ。ヤシュー」
「死んださ。テメェに負けて負け犬になって好きだった奴まで巻き添えにして、ああ、これ以上ないってくらい無様な死に様だったさ。けどよォ、まだ死にたくねェ。またジュンタと戦いてェ。そう祈ってたら生き返れたのさ」
瞳の色を濁った蒼から濁った金色へと変えたかつての好敵手は、その手に纏った漆黒の魔力を炎のように揺らめかせる。
「二年だ! 手に入れた力を制御できるまでのこの二年、テメェとやりあうのを我慢して我慢して我慢してたぜ!」
「その様子じゃ、俺に愛想が尽きたりはしてないみたいだな」
「まだ好きで好きで堪らねェよ。だから頼むぜ。もう我慢しなくていいんだ」
ヤシューは左手だけで双剣を抑えこむと、拳を握り込んだ右手を大きく振りかぶり、
「最高の祭りにしてくれよ、ライバルッ!」
大神殿全てを揺るがすような破壊の拳を、最愛の相手目がけて振り抜いた。
◇◆◇
「敵襲だ! 『婚礼の間』に賊が侵入したぞ!」
忙しなく神殿内を駆け回る聖殿騎士団。
鼠一匹の侵入者も見逃さぬよう守備配置についていた彼らは、その上で警備を突破されたことに臍を噛みながら、すぐさま要人の護衛体制を改める。同じように街中の警備についていた騎士にも事情が伝えられ、周囲に目を光らすよう厳命された。
同時に情報統制も敷かれる。今、ラグナアーツはかつてない規模の人で溢れかえっている。その多くが結婚式を祝いに来た敬虔な聖神教信者だ。もしも賊が神殿内へ入り込み、結婚式を邪魔したとの情報が漏れれば騒動は必死だった。
「オリバー師団長! 全隊に情報回りました!」
「そうか。ご苦労だった」
聖殿騎士団の十の師団において最大の人員を誇る、第八師団『神の矛』の師団長オリバーは、部下からの報告を聞いて、騎士堂内に整列させた直下の部隊に向かって声を張り上げた。
「我々はこれより神殿を包囲し、内外の敵の排除に従事する! 総員、敵が女子供だろうと容赦はするな! 神聖なる婚姻を邪魔した大罪人に与えていい神の慈悲はない!」
『『はッ!!』』
白銀の槍と鎧とを打ち鳴らし、隊列を組んで騎士たちが配置箇所へ走っていく。
「師団長、サクラ聖猊下への援軍は必要ないのですか?」
正面入り口で引き続き指揮を執るオリバーへ、副官が神殿内から断続的に吹き荒れる魔力の波を感じ取って尋ねた。敵がジュンタと交戦に入ったとの情報は、すでに彼らの耳にも入っている。
「敵は空への警戒をしていた見張りを皆殺しにして侵入するような獣。聖猊下方の安全を優先するなら、第一師団にだけ任せておくというのは……」
「だからこそだ。下手人は会場に突入した男だけではあるまい」
威風堂々と構えたオリバーは、正面入り口前を固める第九師団共々、神殿の外に集まった笑顔の民衆を見渡しながら、
「襲撃は計画的なものだ。聖猊下とリオン様が結婚されては困る者によるな。大規模な敵の動きも予想される以上、我々はここで守りを固めなければならない。聖猊下のことは直接警備についていた者らに任せておけばいい。あそこには近衛も控えている」
「はッ! 失礼致しました!」
「構わん。先代ならば、ここで我先に突っ込んで行っただろうからな」
オリバーは二年前に殉死した先の第八師団師団長を思い、一層表情を引き締めた。
襲撃者がいかな使い手であろうとも、二重三重に守られた使徒が傷付けられるとは思わない。そもそも、守られる使徒そのものが凄まじい力を誇っている。
そういう意味では、オリバーは今回の襲撃犯を甘く見ていたのだろう。
『――さて皆の衆。花火は好きかのぅ?』
突如、オリバーの頭に直接響くかのような声が届いた。
「師団長!」
「狼狽えるな!」
声が届いたのはオリバーだけではなかった。聖殿騎士たち、そして民衆たちもいきなりの声に驚
いた様子で周囲をうかがっている。
『妾は好きじゃ。派手であればあるほど、盛大であればあるほど喜ばしい』
姿無き魔法使いの声はなおも続く。
怪しい者がいないか騎士たちが捜索するも、あまりにも集まった人の数が多すぎる。
この中から声の主を見つけるのは不可能――
「其方もそう思うじゃろう? 祭りの華は、だからこそ盛大に散るべきだと」
――かと思われたが、果たして、堂々と正面から神殿に向かって歩いてくる人影があった。
眩いほどに輝く白銀の髪を持つ少女である。白を基調としたミニドレス姿で、どこかのパーティーにいる方が似つかわしい気品を備えていた。手に得物を持っているわけでも、周りを屈強な護衛で固めているわけでもない。
「囲め!」
しかし、オリバーは迷わず命令を下した。
女子供だろうと油断してはならない。彼女は強大な魔力を全身から漂わせていた。
「なんじゃ? ダンスの相手でも務めたいと申すか?」
少女は槍を手ににじり寄る騎士たちを涼しい顔で見て、うっすらと笑みを浮かべる。それだけで彼女が何かしらの意志をもって現れたのは明白だった。
「残念ながら、妾よりも先に其方と踊りたいという者がおるようでな。そちらと踊ってやって欲しい。妾のかわいい妹じゃ。断ることなど、せぬであろう?」
「っ!」
緊張するオリバーを含めた全ての聖殿騎士の背筋に、そのとき悪寒が走った。
まるで背中に刃でも突き立てられているかのよう。
空間全てを圧殺するかのごとき殺意は、白銀の少女ではなく、ゆっくりと進み出てきたフードの少女から放たれていた。
その手には血塗れのハルバート。今まさに人を斬ってきた凶器を手に、彼女は仲間に並び立つ。何の妨害もできずに少女を素通りさせてしまった聖殿騎士の頭は潰され、血を噴き出していた。
「う――うわぁああああああああああああっ!!」
一瞬の凶行に、ついに民衆の硬直が解けた。
誰かが上げた悲鳴を皮切りにして、恐怖が民衆の間を伝播し、瞬く間にアーファリム大神殿前はパニックとなる。
その中で、ぽっかりと空間が空いているのは聖殿騎士団と少女たちの周りのみ。
「さあ、名乗ってやろうとするか。妾はプラチナ・ウリクス・タダト。こちらはジェード・ウリクス・タダト」
混乱を作り出した白銀の少女が名乗りをあげる。
「ジェンルド帝国からはるばるやってきた布告の使者よ! さあ、遙かなソラにおわす偉大なる神よ! 恐ろしくも愛しき虹翼の使徒よ! 妾らからの贈り物、是非堪能してたもれ!」
「――死ね」
それは帝国から聖神教への宣誓布告だった。
「ちょ、何よこれ?! 警備はどうなってるのよ!?」
「落ち着くがいい、ミリアン」
ミリアンにそう声をかけたのは、怒号巻き起こる聖堂内にも拘わらず、落ち着いた様子で椅子に腰掛けたままのアースだった。
「良き見せ物ではないか。こういうものはゆっくり座って観覧するものだぞ?」
「馬鹿言ってるんじゃないわよ! これのどこが見せ物よ? どう見たって敵の襲撃じゃない!」
金髪の男が狙ったのはジュンタ。すぐに彼も剣で応戦したが、殴り飛ばされ祭壇を壊しながら吹っ飛んで行ってしまった。半壊した祭壇の前には襲撃者とリオンだけが残っている。
「このっ、何ボケッと突っ立ってるのよ! 風よこの手に――」
「止めよ」
ミリアンは援護射撃のため詠唱を口にするが、またもアースに止められた。今度は真剣な声音で。
「落ち着いてられん気持ちは理解できるが、下手な行動に出ると自分の首を絞めることになるぞ」
「その通りだ、ミリアン」
アースの言葉を継いだのは、彼の隣の席についたキルシュマだった。アースほど落ち着いて椅子に座ってはいなかったが、彼もまた動くことなく推移を見守っている。
「このタイミングでの襲撃者だ。十中八九、使徒と竜滅姫とが結ばれると困る陣営によるものだろう。わかるな? 僕たちもまた、グラスベルト王国と聖地の結びつきが強くなることに懸念を示している参列者の一人だ」
「つまりここで下手に動けば我々も状況に巻き込まれかねないということ。ならば事態が収拾するまでここで大人しくしておく他なかろう?」
「……アンタの本音はさっきの言葉の方でしょうが」
指示に従うのは癪だったが、ミリアンは魔法陣を打ち消して椅子にお尻を戻した。元々聖エチルア勢に用意された席は、祭壇から遠い場所だった。戦いの余波もここまでは届かない。
「くそったれ。ジュンタ、アンタしっかりリオンのこと守りなさいよね」
ミリアンは苦々しげにそう呟いてから、ふと疑問に思った。
「……そういえば、どうしてこんな状況であのリオンが動かないわけ?」
リオン・シストラバスはその場を動くことなく、じっと戦いを見つめている。
瓦礫をはね除けてジュンタは立ち上がる。
「あ〜あ、せっかくの衣装が台無しだ」
口の端から伝った血を拭い、自分の法衣を見下ろす。一着で小さな国の国家予算くらいはするらしい衣装は見るも無惨な有様だった。仕方ないので、裾と襟とを掴んで力任せに破り捨てる。
「これも含めて全部弁償してもらうからな、ヤシュー」
「それくらいお安い御用だぜ。こちとら昔と違ってお金持ちだからよォ。もっとも、俺様を倒せたらの話だがなァ!」
ジュンタが剣を構え直した瞬間、ヤシューが一息に距離を詰めた。
再びぶつかり合う剣と拳。一撃に込められた魔力は先程よりも多い。黒と虹色の魔力をそれぞれ炎と雷のように飛び散らして数合打ち合ったあと、二人は弾かれるように距離を取った。
死んだはずの男が襲いかかってきた――それに伴う疑問は横に置いて、ジュンタは目の前の敵に集中する。
そう、敵だ。元々結婚式にあたって何かしらの妨害が起こるのは予想の範疇。それがヤシューだっただけの話で、やるべきことに変わりはない。敵ならば倒すのだ。
「覚えてるよな、ヤシュー。俺とお前の最後の戦い」
「もちろんだ。俺が負けたあの戦いだな?」
「そう。俺が勝ったあの戦い。あれで俺たちの戦いは終わりだと思ってたが、どうやらそうじゃないらしい。忌々しいが、俺たちは本当にライバル同士だったってわけだ」
ジュンタは一度胸の前で手を交差させるようにして、それからぶらりと力を抜いた構えを取った。その際、右手に握られていた無骨な剣と左手に握られていた優美な剣とが入れ替わる。
紅い刀身の、普通の剣よりも僅かに刀身の長い右の剣――魔を断つドラゴンスレイヤー。
反り返った刀身の、普通の剣よりも僅かに刀身の短い左の剣――『英雄種』の剣。
ジュンタは両手でそれぞれのグリップを握り込むと、
「なら今度こそ、この因縁を終わらせる!」
先のヤシューを上回る速度で肉薄した。
速度を乗せて放たれた右の刺突。ヤシューは身体を逸らして避ける。直後、ジュンタは右足でブレーキをかけると、その足を軸に一回転するように大きく薙ぎ払った。
ドラゴンスレイヤーは上から下へ袈裟懸けに振り下ろし、旅人の刃は相手の首を刎ねるために中段から跳ね上がる。続けざまに切り裂かれた大気は、ヒュウ、と乱れた。
双剣を使った広範囲を切り裂く一撃に対し、相手は後方にしか逃げ場はない。が、そうやって下がらせることが本当の狙い。剣を振り切ったときにはすでに軸足は右足から左足に代わり、ドラゴンスレイヤーに雷の魔力は集まっていた。刺突の間合いを三倍に伸ばす補助魔法は、敵が下がった距離を無に変える一刺しとなる。
「おいおい、そんな攻撃が通じると思ってないだろうなァ?」
けれど、そんな次の一手は放たれる前に無価値となった。
ジュンタの連撃は、ヤシューの剥き出しの腕と首筋とで受け止められていた。
ヤシューという男の圧倒的な防御力。それを思い出したときには、彼の回し蹴りが凄まじい速度で側頭部に迫っていた。
「ぐっ!」
間一髪剣を引いて蹴りを防御する。体重を乗せた一撃は剣の上からでも伝わってくるような重さ。踏みとどまるのを諦めて、衝撃を逃がしつつ後方に跳んだ。
「ジュンタよォ。俺の特性を忘れるなんて酷いなァ、おい」
「相変わらずの硬さは健在か。生き返ったなら、その欠点くらいは治しておけよ」
「なに、人間欠点の一つくらいあった方がかわいいってもんだぜ」
着地した先で半身になって構えるジュンタは軽口を叩きながら、内心では舌打ちする。
ヤシューが敵として現れたことへの驚きは捨て去れた。しかし、すでに死んだものとして忘れていた彼の特性、戦い方、そういった情報を瞬時に掘り起こすことはできなかったらしい。
二年前、確かにジュンタはヤシューに勝ったが、それは多くの幸運が積み重なった結果だ。地力のほどを言えば、あのときのジュンタは圧倒的に好敵手に劣っていたのだ。あれから修行に修行を重ねて強くなり、二年前のヤシューを地力で超えている自負はある。
しかし条件は対等だ。
「ジュンタ、二年間でどれだけ強くなった? 自信があるみてェだが、俺も負けてねェぜ?」
「そうみたいだな」
ヤシューはかつて両腕につけていたガントレットを外し、代わりに漆黒の魔力を纏わせていた。毒々しい魔力の波動はジュンタにとって見知ったもの。
「ドラゴンの『侵蝕』の魔力か。……お前も人間を止めて獣になっちまったんだな」
「言ったろ? これで本当に同じ条件だってなァ」
「つまり、これが俺たちの――」
「――ああ、本当の戦いだ」
もはや疑うまでもなく、ヤシューこそがジュンタの前に現れた倒すべき敵――新しい使徒だった。金色の瞳がその証。そうなるまでの理屈はわからないが、今はそれだけ分かれば十分だ。彼を倒せば次のオラクルは達成される。
「フェリシィールさん。すみませんが、こいつとは俺にやらせてください。誰にも手を出させないように」
そう言うが早いか、ジュンタは虚空を蹴って、破れたステンドグラスの窓から聖堂の屋上へと駆け上がった。
「ハッ、確かにこんだけギャラリーがいるとやりにくいぜ」
ヤシューも膝を曲げ、脚力だけで後を追う。
建物の中に取り残された大勢の人たちが口々に何かを叫んでいたが、二人の耳には入ってこない。ヤシューが開けた天井の穴を隔て、十五メートルほどの距離を取って対峙する二人の目には、今度こそお互いしか映っていなかった。
「なあ、ヤシュー。戦う前に一つだけ教えて欲しいんだが」
「何だよ? ここまで待たせられたんだ。あんまり焦らすんじゃねェよ」
「そう言うな。こっちだって色々混乱してるんだからな。全力で戦うからには、それなりの答えが欲しいのさ」
「チッ、人の足下見やがって。いいぜ。何でも答えてやらァ」
「知りたいのはお前の今の立場だよ。俺も昔ほど自由な立場じゃないんでな。お前の立場如何では立ち振る舞いに変化が出る。……そう言えば、お前は騎士じゃない癖に、こと戦いに関しては流儀に通じてたか」
ジュンタはこの戦闘馬鹿のことを思い出し、紅と灰の剣を掲げ、名乗りをあげた。
「――『虹翼の使徒』サクラ・ジュンタ」
「――ジェンルド帝国皇帝ヤーレンマシュー・リアーシラミリィ! さあ、どいつもこいつも戦争をおっぱじめようや!」
宣戦布告は高らかに。アーファリム大神殿の上で、虹と黒の使徒はぶつかり合う。
招かれざる客によって、この祝福の日に、ついに聖地ラグナアーツへ新たな戦いの炎は運び込まれた。