〈前編〉  佐倉純太VS宮田実篤 〜始まりの前夜祭〜




 佐倉純太の通う私立観鞘学園は、市内トップクラス、県内でも有数の進学校である。

 勉学の他、部活動などの実績も高く、県外からスポーツ推薦を取るなどもしている。家が遠く通学の難しい生徒のための学生寮も用意されており、学食や購買などの設備も万全。広大な敷地にそびえ立つまだ新しい校舎は冷暖房設備完備であり、近年完全リフォームされた学園だ。

 校風は自由と自立を推奨しており、進学校とは思えないほどに拘束は緩い。といっても髪などを染めて良いほどではなく、学校行事などでの縛りが少ないということなのだが。
 
 学校行事等を仕切るのは、学園生徒会。
 熱血なスポーツマンと生真面目な生徒が多い観鞘学園では、生徒会は非常に気楽にイベント進行を進められていたのだとか。

 そう、今年あの男が入学するまでは――宮田実篤が現れるまでは。

「つまりはどういうことなんですか?」

 昼休憩の最中、放送ではなく言付けという形で生徒会室に招集された純太は、執務机に座る生徒会長――いかにも生真面目という感じの、眼鏡な生徒会長に向き直っていた。

 生徒会長の背後には生徒会役員一同が並び、皆一様に見てくる様は正直異様だった。純太には生徒会に呼ばれる覚えはなく、ここに来て話されたのが観鞘学園の校風と生徒会の役割、そして幼なじみのことなので、本当に意味がわからなかった。わかったのは、幼なじみの宮田実篤が関わった時点で、碌なことではないということだけである。

「どうして俺が生徒会に招集されたんでしょう? 今の説明だと、七割方わからないんですが」

「佐倉君。君は一週間後に生徒会主催で何をするか、知っているかい?」

 貫禄というよりは、少し高圧的な声音で山岸生徒会長は質問をぶつけてくる。
 純太としてはさっさと自分の質問に答えて欲しかったが、相手が先輩なのでひとまず従うことにした。

「ええ、そのための準備を全校でしてますし。二学期最大の行事、十月一日、二日の土日に行われる体育祭と学園祭ですよね」

「そう、我が校の体育祭と学園祭は二日連続で一度に行われる。まさに最大の行事といってもいい。わかるかな? 生徒会にとって、この行事を無事にやり遂げることが最大の役割といっても過言ではないんだ。これを最後に引き継ぎ作業にも入る」

「はぁ……それと俺と、一体何の関係が?」

 いきなり熱弁し、生徒会役員共々拳に力をこめる生徒会長に、純太はいい加減意味が分からないとギブアップ宣言する。

「できれば単刀直入に教えて欲しいんですけど。俺は別にクラス企画の主催者でもなんでもないですが、クラスでやる軍人喫茶のお菓子全般を管理しないといけなくなりましたので」

 純太は一年生だが、やはり一年間で最大の行事だ。九月の末に入った現在、クラスは来るべき祭りへの準備の真っ最中だった。

 観鞘学園の二日連続で行われるこのイベントでは、例年体育祭はぶっつけ本番、学園祭は準備万端というモットーがある。体育祭の練習こそ皆無だが、純太も学園祭で出店するクラス企画――『軍人喫茶』の準備に追われているところであった。何の因果か幼なじみが提唱した企画が通り、メニューのお茶菓子を決める役割に任命されてしまったのだ。

 クラスメイトたちでも簡単に作れるお菓子を考えるのは結構難しいが、甘味となれば手抜きはできない――一通り作ってみたお菓子をレシピに書き起こしていた最中に呼び出されたため、やはりこの辺りで本題に入って欲しかった。

「単刀直入に……そうだな。今更躊躇ってもしょうがない。我々にはもう後がないのだから」

「後がない?」

 山岸生徒会長以下生徒会役員たちが表情を真剣なものに変えたことにより、広めの生徒会室に緊迫した空気が満ちる。

 何なんだろう。気楽な気持ちでいたが、実は何かとても重要な用件で呼び出されたのかも知れない。純太はゴクリと息を呑んで、生徒会長の次の言葉を待った。

「これまでは全て敗北を喫し、今や生徒会の名は地に堕ちている。私たちは全校生徒のため、学校のため、精一杯努力を重ねてきたつもりだ。例年の生徒会に比べ、自分たちが劣っているとは思わない。しかし、敵はあまりにも悪辣すぎた」

「敵……生徒会に敵なんているんですか?」

「いるのさ。私たちの用意したイベントに、ことごとく介入してきてはぶち壊してくれる奴が。証拠隠滅が周到で、未だ何の罰も受けずにのうのうと学校生活を送っている悪漢が! 奴の所為で私は様々な方面から叱咤を受け、生徒たちに対する威厳も何もかも失った! ぐっ、思い出したら胃が……」

 ドン、と机を叩いたと思ったら、生徒会長は腹を押さえ、ポケットからピンクの胃腸薬の入った瓶を取り出し、蓋を乱暴に開けた。

 呆然とする純太の前で、瓶の中身の三分の一ほどが山岸会長の口の中に消える。三粒ほどで効果があるだろうに、だ。ガリボリと決してあってはいけない咀嚼音が響いて、ああ、本当に後がないんだなぁ。と、純太は納得する。

「このままでは我らが愛すべき観鞘学園の風紀と、私の胃が壊れてしまう。今度の体育祭と学園祭が最後の戦いの舞台となるだろう。我々は生徒会の面子にかけて、総力戦を仕掛けるつもりだ。そうだな、諸君!」

「おぅ、やってやりますぜ! 我らに仇なす敵に天誅を!」

「祭りが、阿鼻叫喚の祭りが始まる……」

「あたしたちの本気をついに見せるときが来たのね!」

「胃に穴が空いて入院した大森副会長のためにも、僕らがやらないと!」

「そう、ジークハイル! 最後に笑うのは我々だ!!」

 会長の言葉に、後ろで黙って控えていた男子二名女子二名の役員たちが血走った目で拳を固める。おかしい。入学式のときに見た彼らは、とても朗らかな笑顔を浮かべていたはずなのに、いつの間にこんな体育会系というか特攻兵じみた鬼気を纏うようになったのだろう。

 山岸会長の叫びに木霊する勝利万歳――気が付けば純太は五歩ほど後ろに下がっており、五対十つの瞳が向けられるに至って、先程とは別の意味で息を呑んだ。

「当日を無事に終えるために、全ての予算を注ぎ込んだ。次の生徒会の予算にも手を出してしまったが惜しくない。
 次の生徒会長にほぼ決まっている空園君は、この学園の理事長のご令嬢だ。しかもとんでもないストマックの持ち主だと聞いている。問題はない。ああ、問題はないとも! これは正義のための聖戦である! 佐倉純太君。君ももちろん力を貸してくれるね!?」

「け、結局俺は何に力を貸すっていうんですか?」

 断ったら殺されそうな気配をビンビンに感じるも、未だ自分が呼ばれた理由がわからない純太は、背中を扉につけて訊いた。

「おっと、一番最初に言うべきことを忘れていた。我らが聖戦のために、君の力が是非とも必要なんだ。他でもないあの男の介入を阻止し、無事に体育祭と学園祭をやり遂げるためには」

 山岸会長は眼鏡をクイッとあげて、怨敵であるトラブルメーカーの名をもう一度口にした。

――宮田実篤。君の幼なじみから平和を守るために、どうか力を貸して欲しい」

 ところで、佐倉純太の幼なじみである宮田実篤という男はトラブルメーカーである。

 昔から付き合いのある彼は成績優秀、文武両道、眉目秀麗とできすぎた男である。
 頭の回転も早く、行動力もある。カリスマ性もあれば金銭調達能力も高く、何より口が上手い。……ただ、その優秀さが全て裏目に感じるほどに、才能を費やす目的が間違っていた。

 とにかく実篤はトラブルを愛している。むしろトラブルを起こす秀才だ。トラブルに巻き込ませる天才だ。

 つまるところ、今回もまた彼のトラブルに巻き込まれたということなのだろう。観鞘学園に入学を果たして半年――実篤がイベントの度に起こしていた馬鹿騒ぎは、こうして生徒会の皆様の心に多大な負荷をかけており、ついに今期の生徒会最後にして最大の行事の開催に至って、爆発したということだ。眼がいっちゃってる。

(つまり、実篤が今回も絶対に起こすだろう馬鹿騒ぎを食い止めるのを、俺に手伝って欲しいということか)

 自分が呼ばれた理由を知って、純太は溜息を吐くと共にずり落ちていた眼鏡を直す。

「いや、俺は一応あいつの幼なじみですし、周りからストッパー役って認識されているのは知ってますけど……」

 ずっと実篤のトラブルに巻き込まれてきた身の上から言わせてもらえば、同情もするが、それ以上に下手に関わりたくないという気持ちが大きい。

 そもそも、実篤が観鞘学園でこれまでに引き起こしたことなんて、たかが知れている。
 今はまだ、実篤にとっては様子見の時期でしかない。その間に起きた事件程度で胃を弱めてしまったなら、あいつが本気を出したらショック死するのではないか。

(ここはもう、諦めてしまった方がいい気がするけどなぁ。実篤と一緒に過ごすこと、これ即ち色々と諦めることだし。下手に対抗したらダメージを多くするだけで)

 この世で一番宮田実篤という生物について熟知していると自負のある純太は、彼との付き合い方がわかっていない生徒会諸君を見やる。

 やっぱり眼が逸脱していた。ここじゃないいつかを見つめていた。むしろ綺麗な花畑でも見ていそうだ。

(止めておいた方がいい、なんて言えないか。ご愁傷様です)

 純太は心の中で、真面目過ぎたが故にトラウマを育ててしまったのだろう生徒会役員に対し、先に黙祷を捧げ、

「申し訳ないですけど、俺も忙しいので。それに一応はあいつ、俺の友人なので。裏切るようなことには協力できません。失礼します」

 ペコリと頭を下げて、背にしていた扉を開けて生徒会室を出て行こうとする。

 さぁ、このあと向こうはどんな行動に出るか。むしろ襲ってくるかも――注意深く一挙一動を警戒していた純太は、つまるところ山岸率いる生徒会を侮っていた。

「そうか。それは残念だよ、佐倉純太君。君さえいれば百人力だったのだが。それに、折角手に入れたこのチケットも無駄になってしまうな」

 彼らは紛うことなき本気であった。本気で佐倉純太を手に入れようとしていた。反則ともいってもいい、手に入れることに多大な労力を必要とする、そのアイテムを手に入れるほどに。

「協力してくれればこれを贈呈するつもりだったのだが。この、喫茶シルフィーの特別裏メニュー――世界の終わりワールドエンド』のチケットを」


「犬と呼んで下さい、ボス! 不肖佐倉純太、宮田実篤の殲滅に尽力致しましょう!」


 佐倉純太と宮田実篤は幼なじみで親友である。
 しかし、観鞘市の最終兵器とまで呼ばれる『世界の終わりワールドエンド』のためなら、そんな友情は時空の彼方に追いやられるのは、コレ当然の理であった。






――フィーバー3より大佐へ。生徒会に動きにあり。繰り返す、生徒会に動きあり』

 通信機から響く報告の声に、「ほぅ」と小さな声をあげ、暗い部屋にいる男は指示を返す。

「了解した。フィーバー3は監視を続行。フィーバー2、フィーバー4は生徒会の動きに着目。可能ならば、役員を尾行し敵の狙いも探れ。ただし深追いは禁物だ。奴らを、祭り開始前の奴らだとは思うな」

『フィーバー2了解』

『フィーバー4了解』

『フィーバー3了か……なっ! あれはまさか!?』

「どうした? フィーバー3。生徒会に何か我々の計画を邪魔しうる問題でも発生したか?」

 敵である生徒会の監視にあたらせていた、観鞘学園体育祭&学園祭『裏』実行委員のメンバー一人の焦りように、同志たちの指導者である『大佐』は通信機に耳を傾ける。

 通信機からは僅かに狼狽えた声が聞こえ、続くのは無言。
 ハキハキと答えていたフィーバー3とは思えない反応に、何だと自分から通信を送る。

「フィーバー3。何があった? 報告を急げ」

『そ、それが……生徒会に、協力者が現れて……』

「協力者? ほぅ、凝り固まった理想論者たちもついに現実を見たということか。これは少し手応えが出てきたというもの。それで、その協力者とは一体誰なのだ?」

『きょ、協力者は』

 再びつかえる返事の声。しかし今度は急かす前に、意を決したような返答があった。

『一年C組佐倉純太。通称『最後の良心』――最悪の敵となることが予想される相手です』






       ◇◆◇






世界の終わりワールドエンド――それは学校近くのアーケード街に店を構える、喫茶店シルフィーの伝説的裏メニューである。

 ケーキを始めとしたデザートと、紅茶やコーヒーなどを主に出すお店であるシルフィーのメニューに、『世界の終わりワールドエンド』のことは載っていない。店側も常連にその名を告げることなく、その裏メニューがどのようにして広まったのかは定かではない。

 ただ、事実として『世界の終わりワールドエンド』は存在した。

 年に十枚ほど、どこからともなく現世に姿を表すプラチナチケットを持って店に行き、店長である紳士に見せれば、紳士はその時点で竜を殺す勇者となり、『世界の終わりワールドエンド』はその威容を示す。

世界の終わりワールドエンド』の御姿を拝見した人間は、その一年幸せに生きられるといわれ、食した人間には奇跡が起きるとまことしやかに囁かれている。純太にとっては別段奇跡とかどうでも良かったが、その言葉にできぬ美味しさは年中欲していた。

 これまで純太が食した『世界の終わりワールドエンド』は三つ。主に宮田実篤との契約によって食すことができたものだ。しかし全部で108種類あるという『世界の終わりワールドエンド』の完全制覇には、まだ遙かに遠い。山岸会長が提示したプラチナチケットは、何をしてでも手に入れるべき価値があった。

「とはいったものの、後悔はないが少しだけ罪悪感はあるな」

 純太は教室にて、午後の授業の間うっとりと眺めていたプラチナチケットから、窓の外へと視線を移す。

 空はすでに赤らみ始めていた。いつの間にか夕方になっていたよう。
 全然気が付かなかった。さすがはプラチナチケット、半端ない。けど、手に入れた僥倖にはにやけずにはいられないが、やはり実篤の邪魔をすることには若干の後ろめたさがあった。

「実篤も一応は友人だしな。子供の頃からトラブルを持ち込んでくるし、その所為で何度か本気で死にそうな目にもあったけど、というかマフィアの誘拐騒ぎに巻き込まれたときは本気で死を覚悟したわけで……訂正。まったく後ろめたさはないな」

 どうして自分は実篤と今なお友人関係を続けているのかという、年に数十回は疑問に思う不毛な疑問はさっさと切り上げて、純太は席を立つ。

 学園祭の準備のために遅くまで居残りが許されるのは三日前から。前日は丸々授業がお休みで準備時間となり、前夜祭なんてものまであるのだが、今日はもうクラスには誰も残っていなかった。

「……どうやら俺は、終わったことを教えてくれようとしたクラスメイトを全て無視したっぽいな。明日謝らないと」

 鞄を左手に、チケットを右手に、純太は教室を出る。

 向かうは喫茶シルフィーか、それとも――

「……シルフィーには行きたいけど、頭の中はもうそのことで一杯だけど、まずはあいつのところに行かないとな。一応礼儀は果たしておかないと。だって、実篤だってそれだけはちゃんとやってるんだから」

 先程窓の外を見たとき、水泳部のための屋上プールがある校舎とは別の校舎の屋上で、見知った男の影が揺らめいていたのを確認した。誰かを待つように夕陽の中に佇んでいた幼なじみ――こういうとき付き合いの長さというものは便利だ。純太は実篤が誰を待っているか、すぐに分かった。

「ああ、そういえば――こんな立ち位置は、もしかしたら始めてじゃないのか?」

 メニュー作りに加えて舞い込んできたオーダーに、ニヤリと楽しげに笑って、純太はそうして足を旧校舎の屋上に向けた。






 なぜか、とても夕陽が綺麗に見えた。

 流れる雲は橙に染まって、観鞘市の街並みに輝く輪郭を作る夕陽は、とても綺麗だった。
 こうして改めて見る機会などほとんどないから、思わずそう思ってしまったのだろう。自分がこんな世界に生きていることを忘れてしまう。それが、日常というもの。

「こうして夕焼けの屋上で逢い引きなど、まったくロマンチックだと思わないか?」

 リフォームするときに新しく建てた新校舎とは違い、建物をリフォームしただけの旧校舎の屋上で待っていた彼の第一声は、そんなものだった。

 柵に肘を乗せて街並みを見つめる眼差しは、なるほど、確かに夕陽に照らされて綺麗ともいえよう。ロマンチックでもあるかも知れない。だけど、純太はロマンなど欠片も感じなかった。

「ロマンを語るのはロマンチストの仕事だ。お前が語れるのは、そうだな、精々人の胃をどうやって潰すかってことぐらいじゃないか?」

「失敬な。俺ほど男のロマンを求めているロマンチストはいないというのに」

 男らしい甘いマスクを体現した顔は、いつも通りに笑っていた。

 本当に、幼なじみというのは都合がいい。いつも通りのその横顔を見ただけで、なぜか彼が全てを知っているのだと理解できるのだから。

「俺、臨時の風紀委員に任命された。つまり、騒ぎを起こす輩を取り締まる役に任命されたわけだ」

 言葉少なく、それだけを純太は説明にした。

――――そうか。お前が、俺の敵か」

 夕暮れをバックに、十年来の幼なじみはそう淡々と口にした。

 喜色はそこにはなく、悲哀もそこにはない。あくまでも静かに物語る眼差しには僅かな呆れだけが含まれていて、恐らく、また逆も然りなのだろう。自分が実篤に向ける眼差しも呆れていて、声音は酷く淡々としているに違いない。

 夏の終わりの夕焼け。幾度となく共に見上げた赤。
 今日もまた共に見上げ、だけど二人の影は隣に並ぶことなく離れていた。

「ああ。俺が、お前の敵だ」

 実篤は返答を欲してはいないとわかっていたけれど、純太は返した。万感の決意で。最悪の敵といっても過言ではない幼なじみと、敵対することを示した。

「そうか……」

 実篤の呟きは酷く静かだった。耳には、どこか寂しく聞こえる、校庭から響く陸上部のピストルの音。

「……どうして、こうなったんだろうな」

 火薬が炸裂して響くその音は、スタートを告げる音――純太はここにスタートを切り、ゴール地点を同じくする競争相手に背を向けて、返答を欲さぬ独り言をもらした。

 空が、どうしようもなく綺麗だった。

 だからなのだろう。実篤は屋上の手すりに掴まり、見上げていた空にニヒルな笑みを残して振り返る。

 背中を突き刺す、歩く道を違えた相手からの視線。自分たちの始まりはピストルの音ではなく、これがふさわしいと、実篤は告げた。

「そうだな。たぶん、それは――

 一度そこで言葉を切って、実篤は――

――どう考えても、お前が友情よりも食い気の方を優先したからに決まっているだろう!」

「アホか。お前との友情よりも、至福の時間を優先させるに決まってる」

「それでも俺のソウルパートナーを名乗る唯一一人だというのか。俺は悲しいぞ」

「名乗ってないし、名乗るつもりもない。いつも勝手に名乗ってるのはお前だけだ」

「なんという酷い言い草か。今回は誰がどう見ても純太が悪いというのに、なぜに俺の方が悪い感じになっているのか質問したい」

「日頃の行いだな。でも、一応ほんの少しだけ悪いとは思ってるから謝ることにする。ゴメンゴメン。じゃ、俺はシルフィーに行かないといけないから。明日からはそういうことでよろしく」

「愛が足りないぞ、純太。はっ! そういうことか。強い友情で結ばれた親友同士が、世界の情勢によって敵同士になってしまう。そんな禁断の愛を演出しようということか!」
 
 手をヒラヒラ振って、純太はやってきた道を数分も経たずに戻っていく。後ろでナチュラル馬鹿が何かいっているが気にしない。ああいう本気か冗談かわからない発言をするから、一部の女子から熱っぽい眼差しで見られているのだということを学習して欲しい。

「とにかく、礼儀は果たした。予告状は愉快犯の義務。宣戦布告は正義の味方の義務だからな」

 純太は実篤の予想通りの反応に気をよくして、ポケットにしまっていた腕章を腕に巻く。

 もはや全力でやるしかない。やり遂げるしかない。思いの外楽しくなってきたのだから、しょうがない。

「特別臨時遊撃風紀委員――佐倉純太。最初の任務は、世界の終わりの幸福を噛み締めること、なんてな」

 明日から、ひいては祭りに思いを馳せながら、純太は弾む足取りでシルフィーを目指す。






       ◇◆◇






『大佐。よろしいんですか? 当初の予定では、佐倉純太はこちら側に引き込むつもりでは?』

 ポケットの通信機から響くフィーバー1の声に、手すりにもたれかかって大佐――実篤は答える。堪えきれない含み笑いと共に。

「いいのだよ。確かに、純太を引き込むことによって、宮田実篤高校生活最初の本気モードを始めるつもりだったのだが、問題ない。純太が舞台に上がってくるのには変わりないのだからな。これで楽しめることが確約されたも同然だ」

『はぁ、そういうものなんですか?』

「そういうものだよ、俺のソウルパートナーはな。それに、仕方がないではないか。今日の放課後まで純太を誘えなかった理由は、純太を誘うための品が手に入らなかったから。俺よりも先に純太を仲間にするアイテムを生徒会が手に入れたのなら、それは俺の敗北ということだ」

 実篤は懐に忍ばせていた、ここ数ヶ月の間全力を賭して入手に奮闘していた魔法のアイテム――喫茶シルフィーのプラチナチケットを取り出す。

 当初の予定ではこれを用いて純太を仲間に引き込むつもりだったが、まさか入手困難とされるこれを生徒会もまた手に入れていたとは。運が良かったのか、それとも思っていたよりも山岸生徒会長が優秀だったのか。

「どちらにしろ、これが俺の生徒会に対しての初敗北ということなる。つまり――

 ポケットに手を伸ばし、全ての通信機に対してチャンネルを繋ぐ。
 祭りを近くにして活気を匂わせる学園の中、身分を偽ってさらなる祭りへと飛躍させようとするメンバーに、高らかに実篤は告げる。

「もう二度とは敗北しない! たとえ相手が純太であろうと! さぁ、諸君。祭りを我らの手で盛り上げようではないか! 観鞘学園の歴史を揺るがし、塗り返る時は今! レッツ、フィーバ――ッ!!」

『『フィィイバァアアアァアアアアア――ッ!!』』

 いつだって心強い仲間であった佐倉純太との、始めての対決を。






 舌をくすぐる冷たい味わいは、未だ熱い空気の中歩いてきた身体を優しく癒してくれる。この世のどんなものよりも柔らかなスポンジは、優しく心を受け止めてくれて、とろけるチョコレートの甘さは説明に難しく――ああ、まさに今こそ佐倉純太至福の時。

 言葉にできない美味しさといわれる『世界の終わりワールドエンド』の中、今宵皆の前にお披露目した偉容は、その高さ二メートルはあらんかといわんばかりの巨大チョコレートパフェ。
世界の終わりワールドエンド』NO.4〈トウシシテモイイデスカラ〉――それは遭難した登山者が、助けはいらないからそれを食べたいと、若き日のジェントルマンに持ちかけたという逸話の残るパフェである。

 シックな店にいつもはかけられている洋楽のレコードも今は消され、喫茶シルフィーに訪れていた客が生唾を飲み込みつつ待つのは、伝説の裏メニューを食すに至った果報者の第一声。

「くぅうう、さすがだマスター。俺はあなたほど尊敬できる大人を、未だかつて知らない」

 純太の第一声は、にこやかに微笑むマスター・オブ・ジェントルマンへの心からの賞賛。味を褒めることは難しすぎてできず、できることと言ったら作った人への賞賛だけだった。

 目を潤ませつつ立ち上がってパフェを攻略していく純太。遅すぎず早すぎずというスピードは、チョコレートとスポンジに加え、アイスがふんだんに使われたパフェに挑むには愚かに見えるが、甘い。『世界の終わりワールドエンド』シリーズを甘く見てはいけない。

 上から下まで完全に食べる人のことを計算し尽くされたチョコレートパフェは、溶けるのを焦る必要はない。かといって、パフェの醍醐味である焦らせるという行為そのものは禁止させないところに惚れる。中層のチョコレートアイスをあえて溶かすことによって、その下段にある薄いスポンジのアクセントと変える手法には、本気で惚れる。

 年齢不詳のマスターに惚れている女性の数は、述べ百人以上というのも頷ける話。むしろ男がいないことの方を疑問に思ってしまう。

 そんな感じで、食べれば食べるほどマスターのことが好きになるというパフェの攻略に挑む純太。くどくないパフェは純太をとろかしたまま、綺麗さっぱり無くなった。

 えも言えぬ幸福感にぼんやりとしたまま、純太は椅子の背もたれにもたれかかる。

 愛しのジェントルマンが片付けのために近付いてくるまで、一切笑顔は顔から消えなかった。

「お粗末様でした。食器の方を片付けてもよろしいかな?」

「はい、大丈夫です。あと、とても美味しかったです。ありがとうございました」

「いやいや、お礼を言うのはこちらの方ですよ。ありがとうございました」

 上品に笑うマスターに思わず頬を染めかけたが、さすがにそこまではまずいと。純太はあまりに強すぎる多幸感を強引に振り払った。たぶん、このマスターなら世界征服とかやれそうである。

「ところで純太君、先程言っていた相談というのは?」

「あ、そうでした。今時間大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」

 何度か『世界の終わりワールドエンド』を食べた結果、顔見知りになるに至ったシルフィーのマスター(名前不詳)に、純太は前々から相談を持ちかけていた。今日尋ねる約束になっていたのだが、手に入ったプラチナチケットと強烈な味のためにすっかり忘れていた。

 純太は鞄の中からノートを取り出し、シャーペンを用意する。

「実は今度学園祭で、うちのクラス軍人喫茶――あ〜、軍人のコスプレをした生徒が給仕する喫茶店をやるんですが、そのメニューを俺が決めることになってしまいまして。そのことで是非相談をしたいんです」

「ほぅ、学園祭で喫茶店を。青春だね。思えば私も学生の頃は……」

 遠くを見つめるマスターの横顔は、多くの経験を経た大人だからこそできる深みがあった。店のいくつかの席からうっとりとした視線が向けられる。

「と、私のことはどうでもいいか。相談という話だったね。もちろん構わない。それと食器なども貸そう。それも含めた相談なんだろう?」

「分かってしまいます? それじゃあ、よろしくお願いしてもいいですか? 何としても今日中に決めておきたいので」

「ふむ。構わないが、随分急ぐんだね。まだ学園祭は先だったと記憶しているんだが」

「ああ、それは――

 ノートを開いた純太は、マスターに笑いかける。

「厄介すぎる障害を取り除くための準備に集中するためです。本番を楽しくするためには、ほら、やっぱりその前までに全て終わらせておくべきだと思いますから」

「全力で楽しむためにかい。わかった。私にできることなら協力しよう。それじゃあ、紅茶でも用意して来るとしようか。無論、私の奢りだよ」

「ありがとうございます」

 食器を片付けるために店の奥へと行きつつ、紅茶をもてなしてくれるマスター。
 彼が全力で作り上げたチョコレートパフェを全力で食べたことを、まったく後悔しないように――もう、負けは許されない。

「決戦は前夜祭の日に。実篤、勝つのは俺だ」






       ◇◆◇






 天気予報が告げる週間予報を信じれば、準備の最終日である今日から学園祭が終わるまで、連日晴天に恵まれるのだとか。

 来週からは雨なので、まさに絶妙なお祭り日和といえよう。これはもう天上の神が、努力を怠らなかった生徒会を祝福してくれたに違いない。むしろ桃神様の祝福だと――そんなことを最近何らかの宗教にはまったらしい会計補佐の先輩が言っていた。もう色々と手遅れな美人さんだ。

「それで佐倉君、何か宮田実篤を大人しくさせるいい方法は思いついたかい?」

「ええ、実篤が実篤である限り、大人しくしていると約束させる方法を考えてきました」

 昼休憩の時間。明日からの体育祭と学園祭に乗じて、何かしらの騒ぎを起こすだろう実篤の案件について、一手に任されていた純太は生徒会室を訪れていた。

 今日まで大した対抗策を議題にあげなかったことで、山岸生徒会長も焦燥を濃くしたらしい。
 胃の部分をしきりに押さえつつ、険しい顔で腕を後ろで組む純太を見ている。あるいは、表情が険しい理由はこの格好の所為もあるのかも知れない。

「是非その方法を聞かせてもらいたいものだが……それより先に、まずその格好は何なんだということを訊きたいんだが?」

「……触れられてしまいましたか」

 休めの体勢を取る純太は、自分の格好を恥じるように被っていた帽子のつばを持ち、若干表情を隠す。

「どうして君は、そのような軍人の格好などしているんだ?」

「別にふざけているわけでも、コスプレ趣味があるわけでもないですよ。だからそこのマッチョな会計さん。仲間を見つけたみたいな顔はしないでください。
 今日は一日中明後日の学園祭の準備じゃないですか。昼休憩の間、ようやくできたクラス企画の衣装合わせをしてたんですよ。ちょうど俺の順番のときに放送で呼ばれたので、この格好のままなんです」

「……君のクラスは、軍人の格好で一体何をしようとしているんだ?」

「喫茶店です。男子女子問わず軍事関連の服飾で給仕をします。というか、このトンデモ企画にオーケー出したのって生徒会ですよね?」

 年に一度のお祭り騒ぎなのだから、別に純太もこの企画に反対はしなかった。立案者が実篤であるところに一抹の不安は抱いたが、他の生徒によって上げられた男女逆転喫茶よりはマシだと擁護側に回ったのである。

 まぁ、実際はこの企画は通らないだろうなぁと思っていたわけだが、返ってきたのは『認可』の二文字。よって最終日の今日、すでに一年C組の教室はどこぞの軍事施設化している。

 純太の格好は某国の海兵隊軍曹のものであり、特段軍服の中ではおかしなものではない。
 今日という日は学校の至るところでおかしな服装を見かけたのもあり、出歩くのはさして恥ずかしくなかったのだが、生徒会室に入った瞬間ギョッとされて、現在はちょっと恥ずかしい。

 しかし考えてみれば、一番驚かないはずなのは学祭の総責任者である生徒会のはずで……見れば山岸生徒会長は、コソコソと生徒会員の人と話をしていた。

「そんな企画があったか?」

「あったような、なかったような……今回は怨敵の抹殺に心血を注いでましたからね。クラス企画はほとんど確認せずにOK出しましたし」

(おい、ちょっと待て。なんだその問題発言? 生徒会、何か大事な部分を見落としてますよ。道理で先輩たちが、『今年はやけにおかしな企画が通るなぁ』と噂してたわけだ)

 混沌の様相を見せていた学園祭準備だったわけだが、純太は初参加なので、これが例年通りと認識していたのだが、どうやらそれは違っており、今年が特別おかしな企画が多いらしい。その理由は生徒会が逸脱していた所為で……もう色々と諦めることが肝心のようだ。

「とにかく、そんなわけですから、この格好にはあまり触れないでください」

「そういうことなら了解した。で、佐倉君。先程言っていた宮田実篤を大人しくさせる方法とは一体?」

 何一つ気にしない方向で本題に戻った山岸会長に対して、純太もまた若干顔を引き締める。コスプレだが、軍服を着るとちょっと身が引き締まったりした。

「その方法なんですが、申し訳ないですけど、秘密というわけには行きませんか?」

「秘密? それはまたどうして?」

「これも作戦の一環ですよ。ちょっと悲しい現実ですが、この世で一番実篤のことを熟知しているのは俺だと自負してますから。ほんと何だか悲しいですけど。
 実篤は基本愉快犯ですが、ある種の美学みたいなものを持っていて、あまり人様に迷惑をかけるようなことには手を出さないんですよ」

「我々は生まれて初めてといえるほどの迷惑を被っているわけだが?」

 うんうん。と、会長の言葉に頷く生徒会役員たち。純太は苦笑いして、

「あいつは認識がずれてますからね。この半年程度のことなら、生徒会に入るような猛者なら大丈夫だと思ってるんですよ、きっと。実際怪我人とか出しているわけではないですし……胃を壊して入院したっていう副会長はともかく。
 まぁ、そういうわけですから、実篤を大人しくさせるのは難しいわけです。これといった始める理由はなく、かといって一方的に悪と断じることもできないわけですから。実力行使に出たら、それこそ向こうも相応の実力行使に出るでしょうし」

「ならばどうすると言うんだ? そこまで言うからには、何か秘策があるんだろう?」

「もちろんです。敵を騙すにはまず味方からの要領で行くつもりですから、やることについては口を閉ざさせてもらいますけど、その方法は簡単に説明します。
 要はあいつを二日間大人しくさせるには、当日に抑えようとしても意味無いんですよ。準備万端で意気揚々。何を仕掛けても逆にそれを楽しむような馬鹿ですから。あいつを大人しくさせようと思うなら当日までに―― つまり、今日中にしないといけません」

「その方法は?」

「簡単です。あいつに大人しくすると約束させるんですよ。
 実篤は自分の敗北を認めたら、そのときの約束を守る奴ですから。今日中にこちらが勝利すれば、自ずと大人しくさせることが可能です」

「しかし、約束を反故にすることはないのか? そうでなくとも、自分は表舞台に立たず大人しくしている振りをして、裏では多くの暗躍を――

「会長」

 山岸会長の言葉を遮って、純太は眼鏡をクイッと上げる。

「実篤と俺は十年の仲です。あいつがそんなことしない奴ってことは、俺が一番わかってます。その結果誰かが傷つかないのだとしたら、あいつは約束をきちんと守りますよ。俺が保証します」

「そ、そうか。それならいいんだ」

 眼鏡の奥の瞳を細めて、どこか威圧するようになってしまったのは、こんな服を着ているからか。それとも午前中、接客のために軍人の演技練習をさせられたからか。わからないが、会長は押し黙って頷いた。

 純太は休めの体勢を解き、楽な姿勢となって纏っていた緊張を解く。

「とまぁ、俺がしようと思っていることはそれだけです。これから俺は、実篤をギャフンと言わせる何かをして、あいつを負かせて約束を取り付けますから。会長たちはその協力をお願いします」

「任せて、いいんだね?」

「食べた分は働きますよ」

「なら、君に一任しよう。任せたぞ。我らが仇を討てるかどうかは、君にかかっている」

「了解です。それじゃあ、そういうことで――決まりですね」

 チラリと、純太は山岸会長の背後にある窓の外へと視線を注ぐ。
 会長たちに向けた言葉である今の一言は、その実、もっと重要な相手にも向けられていた。






『これは、盗聴しているのばれてますね』

「そのようだな」

 生徒会室を監視する部下の報告に、仕掛けた盗聴器で、生徒会室での純太と生徒会長の会話全てを聞いていた実篤は、皮の椅子に深く腰掛け、持っていた帽子に指を入れてクルクル回す。

『いいんですか? あんなこと言ってますけど』

「いいも悪いもありはしない。全て分かった上で宣誓布告されたのだ。ここで逃げたら男が廃る。それこそ宮田実篤の終わりというものだ」

 持っていた帽子を被り、実篤はニヒルに笑って席を立つ。

「やはり純太は卓越している。俺のことを理解した上で、最低限の労力で効果的な策を打ち出した。喜べ諸君。祭りはどうやら、今日この瞬間から始まろうとしているらしい」

 通信機からもれてくる笑い声は信頼の証と受け取って、実篤は顔を合わせることなく受け取った宣誓布告に了承の旨を、

「約束しよう、純太。今日中に俺を負かせてみるがいい。そうすれば、お前の勝ちと認め、大人しくしていようではないか」

 勇んで、返す。この上なく笑って――某国海軍大佐の軍服で。






 実篤のこともしっかりしないといけないわけだが、それでもクラス企画のことも重要だ。

 生徒会室から戻ったときには、すでに昼休憩は終わろうとしていた。
 五、六時限目も、また今日は準備の時間。男子女子の軍服の寸法直しも終わり、今は皆が皆慣れるために当日着る服装に着替え、当日前の最終確認に入っていた。

「洗ったお皿とかってどこに置いておく? 下手な場所に置いたら埃つくわよね?」

「このモデルガンってどこに入れておくんだ――って、あれ? これほんも、『朝霧組からの貸し出し物』って、誰だよ朝霧組に調達の声かけたの……!」

「お皿は重ねて運び込んだ戸棚の中に。布巾被せて埃はつかないようにして、あとその本物に見える拳銃は、精巧に作られたモデルガンだから安心するように」

 飾り付けというか、教室の床天上壁問わず張り付けた薄い壁紙に、軍事施設の独特の雰囲気を出すため、スプレー缶を用いてわざと汚れをつける作業に従事していた純太は、結局当日も任されることになったお菓子などの調理者の義務から前者に、実篤の幼なじみの義務として後者に返答を返した。

 クラスメイトの女子は「ありがと」といってお皿を棚に入れ始め、段ボールを覗き込んだ状態で固まっていた男子はほっと息をついた。前者はともかく、後者には言えない。まさか弾さえ入っていなければ、本物で何の問題もないだろうと実篤が調達してきたことなんて。

(確かにあそこに頼めばお金は浮くけどなぁ。俺は気にしないけど、何も学祭の備品で頼むことないのに。そりゃ、快く貸してくれはしたけど)

 軍事マニアはクラスメイトにいたが、さすがに多種多様な軍服に合ったモデルガンを持っていろとは願えない。かといって予算内でモデルガン全てを購入することは無理なので、実篤が知り合いのある御方に頼み込んで貸してもらったのである。

「ああ、それはそちらに運んでくれ。そう、そこに横向きでだ」

 そんな無茶なことをしでかした張本人は、クラス企画の統括者として指示を出していた。

 パイプ机やでかいホワイトボードなどで形になった教室に似つかわしい格好――胸の勲章が眩しい海軍大佐の服装で。

 実篤は武術を習っていたこともあったため、背筋は伸び、ほどよく筋肉質であり、元来美形なのも相成って憎たらしいほどに服が似合っている。女子のかわいい感じを除けば、クラスで一番軍服が似合っているだろう。

「そろそろ頃合いか」

 心なしか張り切って作業している実篤を見て、純太は瞳を細める。

 教室を見渡せば、食材の下ごしらえや氷の準備など、当日にやる以外の準備はかねがね終わっていた。綿密なスケジュール通りに進んでいたので、他のクラスが慌てて準備している中、きちんと終わることができた。

 これ以上クラスの作業に取りかかる必要はない――それはつまり、これから前夜祭が行われる七時半までの五時間半が、今日という日の重要な戦いの時間であることを示していた。
 
 これまでの準備時間、実篤とはいつもと変わらないように接していた。立ち位置に若干の変化が生じても、いつもの関係までが変わる必要はない。されど、ここからは違う。

「よし、これで準備は完成だ。壁などの傷もそれぐらいでいいだろう」

「了解」

 純太以下、壁や床に張り付いていた生徒たちが立ち上がり、ぐっと筋を伸ばす。

 実篤は準備が終わった人間から集めると、

「皆、準備ご苦労だったな。我ら一年C組のクラスメイトが一丸となって働いたお陰で、準備はこれにて終了だ。当日の朝がまた、準備で忙しいことが予測されるため、これからの時間は自由行動にすることとしよう。
 明日の体育祭のために休むも良し。他のクラスの茶化してくるも良し。前夜祭に出ないのなら帰っても良いが、このクラスにそのようなつまらん人間がいないことを俺は理解している!」

「実篤。なぜに演説調なんだ?」

 最後のあいさつなのに、拳を握って力説する実篤に思わず純太はツッコミを入れていた。

「佐倉軍曹。何を馬鹿なことを言うのだ。今の我々の格好を見れば一目瞭然であろう? 俺は海軍大佐の格好をしている。しかも統括官――即ち司令官だ。体育祭という戦地に赴く戦士たちには激励が必要だろう? それとも何か、純太は俺に海軍らしく汚らしい罵声を浴びせろというのか?」

「アホ。そんなことしたらただの変態だ」

「うむぅ、残念だ。折角純太の上官の役についたのだからな、一つ敬礼でもしてもらいところなのだが……まぁ、いい」

 クラスメイトが笑い声をあげる中、本気で悔しそうな顔をして実篤は演説じみた挨拶を続ける。

「純太も言っていたが、何も別に役になりきる必要はないがな、我々が行うのは軍人喫茶だ。軍人らしさが出ていればこれ以上のものはないだろう。然からば、必要なのは羞恥心を消すための慣れに相違ない。
 どうだろう? 諸君。俺からの提案なのだが、我がクラスの宣伝のためにも、これからの時間この格好のまま過ごすというのは」

「賛成!」

「俺、彼女にこの格好見せたかったんだよな」

 準備をしていて少しハイな気分になっていたクラスメイトたちから、次々に賛成の声があがる。

 実篤は満足そうに頷いて、

「では、決まりだ。くれぐれも服を汚さぬようにな。それと、むやみやたらと拳銃も抜かないように。本物志向の一品だからな、壊したら弁償代が高いぞ。……注意事項はこんなものか――それでは解散!!」

 後ろで手を組んで、ハキハキと解散を告げる実篤に、クラスメイトの何人かがノリ良く敬礼を決めた。

 そのあとクラスメイトたちは各々の行動に移る。
 かくいう純太も今日までに準備していた荷物を持って、教室を出た。

 実篤はまだ動かない。手を後ろに組んだまま、意味ありげな笑みを向けてくるだけ。

 純太は小さく笑みを返して、そのまま教室を後にした。

 そうして――――前夜祭は始まった。









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